第10話  分かったこと

 どうして彼がここに居るんだろう?、なんて今はどうでもいい。ただ来てくれた事実、それだけで私は心が嬉しくなったのだから。


 「せん、ぱい……」


 怯えてあまり大きな声が出ない。だけど聞こえててほしい、そんな思いに先輩は首を振る。

  

 「大丈夫かい」

 「はい」


 返事をするとほっとしたように笑顔を見せる彼。先ほど手を振ってくれたのも心配からかもしれない。

 近づいてくる彼の左手には何かが握られている。視線で説明を求める私だったが、人差し指を立ててシーっと口を閉じる他にない。


 そうして先輩は眼球をずらし私の後ろに蔓延る巨体に目線を合わせた。


 「なるほどな、そこにいたのか」


 先輩はそう言って一度視線を外し上を見上げる。顔の化け物は……あれ、天井に張り付いてる? 

 やつは親の仇を見るような目で先輩は睨み、啖呵を切る。


 「貴様ぁ、なぜここにいるぅ? 向こうには亀裂が蔓延っていたはずだぁ。なのにどうしてー」

 「あれなら消したよ」

 「なにぃ!?」

 「あの程度の雑魚、どうってことないさ。用があるのは君の後ろだしね」

 

 呆れながらも冷静に呟くその様子に怒りが巡ったのか顔の化け物は私に向かってきた時の倍近い速さで彼に突進をかまそうとする。


 だが、


 「無駄だよ」


 そこで彼は小さく何かを呟くと刹那、淡い閃光が飛び散った。


 「かぁ!?」


 原理はわからない。眩しさに目を閉じていた私が光景を垣間見ると、そのままの勢いで化け物は壁際に激突していた。


ーーな、何が起きているの?


 「もうやめよう、こんなこと」


 畳みかけるように言う彼の目は鋭い。けれどその瞳はどこはかとなく寂しくて慈しむ色を表している。

 お互い顔見知りなのかな、ふと化け物の方を見ると、崩れかかった化け物の顔つきが酷いことになっている。どうやら衝突で粉々になったらしい。

 ガッツポーズを決める私であるが、やつ自身はもろともせず先輩に恨みを吐くばかり。


 「貴様にぃ、貴様なんかの人間に何がわかるぅ!!」

 「分かるさ、君の苦しみなら」

 「黙れぇ!! そうやって油断させて私の兄を殺したんだろう!」


ーーえ、殺した? 兄を……?


 思わず後ろを振り返る。兄ってこれだよね、確か心が死んでるんだっけ。言われみればびくともしてないし。

 先輩に視線を合わせると彼は私の疑問に答えるように、目先だけは化け物に向けて話しだした。


 「仕方なかった。君のお兄さんは生徒に危害を加え続けていたしそのたびに泣いていたからね。殺されることだってお兄さんなりの望みでもあったはずなんだ」

 「嘘だぁ! お兄ちゃんは私にそんな仕草を見せたことない!!」

 「そうだろう。だって一番大切なものに弱みなんて見せたくないからね」

 「っ!?」


 その途端、やつの動きが一時的に止まる。

 空中でフラついていた化け物の体はゆっくりと降下し、先輩の目の前で停止した。


 「大切なぁ、ものぉ……?」

 「君は知らないだろうけど僕がお兄さんの心を殺す最後の瞬間まで、彼は君のことを心配していたよ」

 「うそだぁ」

 「嘘なんかじゃない。間違いなく彼は亀裂となって悪意を振りまいていたし、人だって食らっていた。でもその実は立派なお兄さんを演じていた普通の人間。……だからこそ自分とその妹が徐々に狂いだしていくことに耐えられなかった」

 「嘘だぁ!!!」


 彼女は泣き叫びながらもう一度突進をかまそうとする。

けどまるで無意味。再度彼は何かを呟きそのたびに跳ね返りを行なって壁に衝突し続ける。

 

 二桁に突入しようとしたところで、突っ走った化け物の顔を掴みにかかると彼は左手に握られた紙切れを取り出す。

 そしてやつに解るように崩れかかった眼球に触れる距離に大きく見せびらかした。


 「隣の部屋の亀裂の中にあった。君なら何なのか判るだろう!!」

 「あ、……」

 

 『もういいんだ、アン』。

 自我を失う手前で書いたのだろう。その字は小学生のひらがな練習帳に混ぜられても見分けがつかないくらい崩れている。


 誰か親しい人に向けてのメッセージに違いないが。


 「あ、あああああああ!!!」


 化け物の顔が歪む。ぐちゃぐちゃに角ばった目玉から大粒の涙が流れ出る。それは彼女が亀裂になって初めての泣き顔だった。

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