第9話 危険と安堵
次の瞬間、その異形は怪異じみた声を発してこちらに飛び出す。さっきまで後ろから聞こえていた声の主がなぜ床に張り付いていたのか、なんて考える隙はなかった。
ーーこのままじゃ、死ぬー!
まさしく鍛冶場の馬鹿力。五分前まで震えるだけで精一杯な私の体は反応を制す。しゃがみ込んだ体制のまま足を捻り返して反転して声の聞こえてきた方向に飛び出した。
見ると私がいた場所には床にあったはずの顔が浮かんでいた。飛びつく先がなかったためかあたりをフラつく顔。
ーー急いで逃げないと。
そう悟った私は後ろを振り向きながらバレないよう必死に擦りながら移動する。右手で口を封じて左手で背後を確認。制服のスカートが地面とスレスレにぶつかるからか、たまに音を立てる。が、窓からの風の影響もあって聞こえにくいようだ。
必死に、それでいてゆっくりと化け物から遠ざかる私。やつ自身その場でフラフラと浮かぶだけで移動したりはしていない。それどころかこっちを向くそぶりを見せても私のことを見つけることはしなかった。
これで大丈夫、そうやって安心していた私の背中にトン、と何かがぶつかった。
「え?」
左手で机の位置などは認識していた。だから私の背中に何かが当たるなんてことはありえないはずなのに。
声を出したことはバレていない。今のうちに手を当てて見極めようとした自分に突然ヌメっとした感触が襲った。
「ひ、!?」
今度こそバレた。浮遊していた化け物は私の方を見ると、再びニタァと笑みを表す。そこで改めて気付かされた。
背後から流れる硫黄の臭い、その正体が後ろにいるということを。
悪い予感が全身を駆け巡る。宙に浮きながら私を眺める顔には酷く細い
恐怖に怯えながらも気になって視線で辿るとやがて私の元へたどり着く。
正確には私の背後。
自分を跨ぐようにして広がる管を目で追うと最終的に、後ろを振り向かざる負えなくなった。
恐る恐る目先を後方に転向する。そして私は…………絶望した。
「ねえ、食べていーい?」
耳元で声が聞こえる。どうやら顔は私のすぐそばに迫っていたらしい。
ーーでも、もうどうでもいい。
目の前には大きな目玉。それを覆うようにしてえらく匂う皮膚が周りにかぶさっていた。教室の天井を食い潰すほどの巨体、加えてブクブクと音を立てて発酵している。
気色悪い。でもそれ以上に……こいつからは絶対に逃げられない。
「すごいでしょぉ、私のお兄ちゃん」
「お兄ちゃん…?」
「ここにあるのはその姿だけでぇ、心はもうない。けど亀裂になったときにぃ、たっくさん人を食べたからぁ、こんなに大きくて強そうにしてるんだよぉ」
耳元で囁く顔は笑いながらそう言った。その喋り方はまるで母親が兄の自慢話を聞かせるのと同じよう。
ーーそれに、今何か嫌な言葉が聞こえた気が。待って……本当に人を食ったの?、そんな嘘だよね。
話しかける勇気はない。隣の化け物は私の様子なんかに一目もくれず話を続ける。
「私はねえ、お兄ちゃんが集めた栄養万天の肉を食べてぇ、こっそり力を蓄えるのぉ。そしたらぁ、お兄ちゃんを虐めたクソ人間たちを全員噛みちぎってやるんだからぁ」
真横で何かが切れる音がした。発生源は顔の化け物。そいつは顎に繋がれた管を勢いで引っこ抜くとそのまま天井に飛び上がった。
「あなたってすごくおいしそう。とってもプリップリな肉質が楽しめそうだよぉー!!」
「っ、」
どうやら完全にこちらを捕食物として捉えたらしい。化け物は剥がれかかった皮膚をいともせずまっすぐ向かってきた。
思わず目を瞑る。噛み砕かれるのだろうか、痛いのは嫌だな、なんて考えるぐらいに私は諦めていた。逃げようにも後ろは阻まれているからだ。
しかしその時、
ボゴォーン!!!
そんな音が響き渡った。
怯えながらも目を開かせる私。顔の化け物は…いない?
付近を見渡すと、隣の部屋に行った先輩が私に手を振っているのが目に映った。
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