今は亡き女王への手紙
狭倉朏
親愛なるあなたへ
ところどころすり切れた紙の束が、窓辺に無造作に置かれ、風に吹かれている。
打ち捨てられたそれを、毎日手に取っていたものはもういない。
絢爛豪華であった城の中は、踏み荒らされ、価値あるものはすべて奪われた後だった。
ただし、それは踏み荒らしたものたちにとっての価値であった。
風が、紙の一枚目をはためかせた。
そこには無骨な、しかし真心のこもった文字が踊っていた。
***
四月二十八日
親愛なるジュリエッタ様
春の陽射し暖かな今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
自分はようやく今日から殿下とともに、西の隣国アーフル領に入りました。
ジュリエッタ様が所有されているアーフルから取り寄せた本の通り、アーフルは色とりどりの花咲き誇る美しいところでありました。
滞在中の城の主からお許しを得たので、花を一輪添えます。
取り急ぎ。
あなたのブルーノ
***
五月十日
親愛なるジュリエッタ様
花のお礼をありがとうございます。
よく親しんだ懐かしい香りのお茶を殿下といただきました。
アーフル王都に到着し、一週間が経ちました。
殿下はいつものように、こちらの国の方々の心をつかまれました。
その鮮やかさたるや我が主ながら、末恐ろしささえ感じます。
今回の外遊が、両国の架け橋となり、争いの絶えぬ大陸の平穏に結びつくよう微力ながら自分も尽力させていただきます。
殿下はこちらでジュリエッタ様のお話もよくされています。
二言目には「姉上、いえ陛下が……」とあなたの自慢をしたくてたまらぬご様子です。
アーフルの方々はすっかりまだ見ぬあなたへ親しみを持たれたようです。
ご存知の通り、殿下はあなたのことを、他の不届き者と違い『繋ぎの女王』などと呼びはしません。
あなたこそが正当な王であると、それをアーフルでも強く訴えておられます。
それにしても、あなたの美しさばかりは殿下がいくら言葉を尽くそうと、伝わりはしないでしょう。
それを少しばかり鼻にかける自分がいることを、お許しください。
あなたのブルーノ
***
五月十八日
親愛なるジュリエッタ様
アーフルは少しずつ暑さを感じるようになってまいりました。
オーレンスではいかがお過ごしでしょうか。
そろそろ夏至の祭りに向けて、準備を始める頃でしょうか。
今年はあの歌や踊りを楽しめないと思うと、少しばかり望郷の念が募ってまいります。
ジュリエッタ様が持たせてくださったハンカチーフの刺繍の花を、故郷の花と思い、この
あなたのブルーノ
***
五月二十六日
親愛なるジュリエッタ様
なんとお礼を申し上げればよいのでしょう。
あなたの手紙に同封された、あなたの手による踊りを舞う少女の刺繍が施されたハンカチーフ。
色とりどりの花々に包まれたこれはまぎれもなく、あの夏至のお祭りの光景。
殿下を支えるべき自分が、情けない弱音を漏らしたというのに、このような形で力づけていただけるとは、いくら感謝の言葉を並べても足りません。
ただただ大切にします。
あなたのブルーノ
***
五月二十八日
親愛なるジュリエッタ様
前回の手紙のお返事をいただく前に追加でお便りを送る性急さをお許しください。
いただきましたハンカチーフのお礼を探して、殿下が行商と交渉するのに、柄にもなく同行させてもらいました。
アーフル産のキレイな紅玉の指輪を買う機会がありましたので、贈ります。
あなたの細指に似合うとよいのですが。
あなたのブルーノ
***
六月九日
親愛なるジュリエッタ様
指輪へのお礼の手紙をありがとうございます。
さっそく身につけていただけているようで、本当に嬉しく思います。
こちらは雨が続いております。
殿下は外に出ることが出来ず、いささかつまらなそうです。
自分もチェスのお相手などするのですが、何しろジュリエッタ様もご存知の通りの腕前ですので、なかなか相手になりません。
こちらで知り合った貴族方とも対戦されていますが、自分から見ても殿下は明らかに手加減されていて、対等なお相手がいないようです。
こんなときあなた様がいれば、と思わずにはいられません。
オーレンスも雨の時期だと思いますが、どうぞ体調にお気を付けて。
あなたのブルーノ
***
六月十五日
親愛なるジュリエッタ様
先日の手紙に添えていただいたキンポウゲの押し花は、私の日記帳の中に差し込まれています。毎日のように手に取って眺めております。
夏至の頃に花を飾れば、乙女の夢枕に運命の相手が立つとは言いますが、自分のようなむくつけき男の元にも現れてはくれまいかと望まずにはいられない毎日です。
こちらアーフルでも夏至祭りの準備が進んできています。
町はにぎやかで、殿下も自分もどこか浮き足立つような思いでいます。
きっとこちらでは見慣れない催しなどもありますでしょうから、それについてもお伝えできればと思います。
あなたのブルーノ
***
六月三十日
親愛なるジュリエッタ様
ああ、夢枕になどと夢想を申し上げていたら、思いがけない絵姿をいただきました。
あなたの肖像画は無事にこちらに届きました。
私の贈りました指輪もキラリと光っておりますね。
きっと似合うと思ったのです。思った通りでした。
いつから準備をしてくださったのでしょう。
これほどの絵ですから、一日二日というわけにはいかないでしょう。
本当になんとお礼を申し上げれば良いか。
この絵はアーフルの私の部屋に飾ります。
毎日あなたに思いを捧げ祈ります。
どうかあなたとあなたの民たちが、情勢に負けず、健やかで幸せであり続けますように。
あなたのブルーノ
***
***
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十月二日
親愛なるジュリエッタ様
北の隣国グレーフからの度重なる侵攻、こちらでも聞き及んでおります。
アーフル王は援軍を申し出てくださいました。
殿下が率いて国に戻ります。
もちろん自分も帯同します。
どうかどうか、お待ちください。
必ずあなたを助けに向かいます。
あなたのブルーノ
***
十月二十日
親愛なるジュリエッタ様
手紙を送るもあなた様からの返事はなく、各地の貴族方から届く殿下への報せもあまりに胸が痛む言葉ばかり。
オーレンスの北側はすっかりグレーフに占拠されたようです。
この手紙があなたに無事に届くかもわからぬゆえ、あまり言葉を尽くすことは出来ませんが、殿下も自分たちも全力を尽くしております。
王都で再び会える日を信じております。
あなたのブルーノ
***
せめてせめて
あなたの亡骸だけでも
***
最後の言葉だけは、紙の束の裏に走り書きされていた。
もっとも信頼していた友の乱れた筆跡を見て、青年は深くため息をつくと、紙の束を大事そうに抱きかかえた。
城の外には大軍が武装し、青年の戻りを待っていた。
その真ん中にふたつの棺があった。
ひとつは蓋が開いている。
無骨な男が横たわっている。まだ死んで間もないその男は、争いの後に死したというのに、あまりにも安らかな顔をしていた。
その隣、ふたつ目の棺の中身を、青年は二目と見ることはできなかった。
ところどころ朽ちてしまった最愛の姉の哀れな骸。
首輪も腕輪も紅玉の指輪も何もかも剥ぎ取られ、見るに耐えない姿。
しかし、やり遂げたのだ。
友は、姉を取り戻してくれた。
「姉上の棺とともに、これを埋葬してやってくれ。何もかも奪われた女王に、せめてもの
部下が紙の束を柔らかな布に包み、優しく女王の棺の上に載せた。
友の棺は蓋が閉められた。暗い静寂の中に友は消えていった。
「姉上の肖像画だけは、私がもらっても良いだろう? ブルーノ。何しろこの王家にひとつしか遺っていないのだ。美しき女王の姿……ああ、私達だけのものにしたいとも思うが……やはり後世に遺したい。姉上の功績とそのお姿を」
新しい王はそうつぶやいた。
葬列がゆっくりと教会へ進み出した。
今は亡き女王への手紙 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki
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