ep.13 本性から始まる和解案



「なんなの? 今までに捨てたバカ男の差し金?」



 やや目が座った様子の水瀬の声のトーンががくんと下がった。

 これは俺が過去に振られた時と同じトーンである。



「いーや、これは俺の意思だよ」


「なんのつもりなの?」



 ようやく水瀬が本性を現したようだな。


 このために俺はずっとストレスと快楽をコントロールさせて精神的に不安定な状態にさせてきたのだ。

 最後は目一杯の煽りまで入れて。


 勝負はここからだ。


 今の水瀬は本性剥き出しの状態、つまり今の水瀬こそが着飾ってない丸裸の水瀬なのだ。

 普段何重にも仮面を被り、何枚にも着飾っている彼女のままではどんな言葉も届かない。


 素顔を晒した今しか伝えたいことは届かないのだ。



「なんのつもり? そもそも近づいてきたのはお前の方だろ、水瀬。お前が近づかなければ俺とは関わることもなかっだろうに調子に乗ったなぁ」


「じゃあ何で桃の告白を受け入れたのよ!」


「それは水瀬がしつこいからだ。それに……この後の水瀬の行動次第ではお前に惚れる可能性もあっただろ?」


「はぁ? 可能性なんて無かったじゃん! 最初から最後まであんたは桃の事なんか眼中に無い感じでずっとつまらなそうな顔して上から見下ろしてた! 馬鹿にしてた!」


「最初から上から目線だったのは水瀬の方だろ?」


「……た、確かに最初はそうだったけど、桃だってあんたが振り向く為に努力したもんっ! あんただっていつも努力家だなって褒めてくれてたじゃん!」


「ならお前は何を頑張ったの?」


「何って……。かわいく見せる為に化粧したり、流行りものにも敏感に乗ったり、行動とか仕草とかいーっぱい頑張ったもんっっ! あんたは気付きもしなかったけど!」


「それはお前自身を確かに磨いた努力なのかもしれないけど、そこに俺への配慮はあったのか?」


「な、何よそれ! 自分の事を棚に上げて! 自分は配慮した良い人だったって言いたいの!?」


「いいや、俺は水瀬と同じことをした悪者だよ。善人でも聖人でもヒーローでもないが、俺は水瀬のためにこれまでずっと配慮はしていたつもりだ。それに俺はただ水瀬に気付いて欲しかったことがあっただけだ」


「……い、意味わかんないんだよっ! 馬鹿!!」



 刹那、水瀬の怒声と共に水瀬は目の前にあったティーカップに手を掛けた。



(……いや……ちょいちょい……これはまずいだろ)






          ***






 興奮の勢いが限界値に達した桃は激情して目の前のカップを手に取り中身を奴にぶちまけた。


 パシャッという音と共に目の前の男に水が滴った。


 少し時間が経ったとはいえ中の液体はまだ熱いはずだが、あいつは何一つ声を出さず微動だにしなかった。

 そこで少し昇っていた血が下りだす。


 流石にちょっとやばいことをしちゃったかもしれない。


 ふと気付くと桃はカフェの中で一人怒声を張り続けていたから、周りの客からの視線が集まっていた。

 その中には同じ高校の制服姿も見えて一気に熱が冷めていった。


 あぁ、終わった……。


 もう何もかも終わったと思った時、ふわりとした匂いと共に桃の身体は引き寄せられた。



(はっ!? えっ!? ちょ、なに!? 抱きしめられてんの!? なんで!? ちょ、ふざけん——)



「ごめんな、水瀬っ! 俺が悪かったよ。俺が本当に最低なことを君にした! だからこんなことされても仕方ないよ。君はなにも悪くないからねっ!」



 彼は店内に響き渡るような大きな声でそんなことを桃に向かって語り掛けた。

 その様子はまるで怒りで我を失った桃を庇うようにしてるように見えた。

 

 そして桃が状況を理解出来ない間にも、桃にしか聞こえないくらいの小声で囁いた。



「……とりあえず店を出ようか。お店に迷惑もかかっちゃうからさ」


「………………ぅん」



 先輩に腕を取られて下を向きながら急いで店を後にして、そのままされるがままにふらふらとついて行く。



(……あぁ、帰りたい。そして死にたい)



「とりあえず、ここ寄って行こうか」



 そう言われて着いたのはいつもの公園だった。


 先輩は公園の入口にある自販機で飲み物を買うとベンチで項垂れる桃にそれを渡した。



「……で、どこまで話したんだっけ?」


「……」



 ベンチに座ると先輩はすっとぼけた顔で切り出した。


 外の空気を吸ったせいか昂っていた気持ちは収まっていて、代わりにやらかしたという後悔と抱きしめられたときに感じた胸の強い鼓動が襲ってきていた。


 とはいえ、ぶすくれていたのでだんまりを決め込むと先輩はうーんうーんと唸りながら手を叩いた。



「あぁ、そういえば取引をしようって話だったんだ」



(おどれがしたんだろうがっ)



「なぁ水瀬、自分でも思わないか? 俺にこんなことしても無駄だって」


「また説教始めるんですか?」


「うん。だめか?」


「まぁ……良いですよ、もうどうでも」



 本性もバレてるのでもう隠す必要もない。

 そんな桃を見て先輩は薄く笑った。



「そっちの方が親しみやすいぞ?」


「馬鹿にしてます? 良いですよ、そんなの」


「だって今までは俺の事なんか眼中になかっただろ? 俺をどうやって惚れさせるかって事だけで俺が何を考えてるとか何をしているとか、楽しんでるとか怒ってるとか悲しんでるとかなんて微塵も気になんかしてなかったろ?」



 そう言われてハッとした。

 

 確かに桃は自分が良く見られるように努力をしたけど、それは先輩の為ではなく、自分の為だったのかもしれない。



「俺は最初に言ったよな? 俺も水瀬の事を知る努力をするから、水瀬も俺を知る努力をしろって」


「…………はい」



 そういえば、そんな事を言われたのを覚えている。



「水瀬さ、俺のことなんかなんも知らないだろ?」


「……し、知ってます! クール気取ってて、偉そうなとことか、腹黒のとことか腹筋が割れてるとことか」


「ほぼ悪口やん。……他には?」


「…………せ、先輩だって桃のこと全然知ろうとしてないじゃないですか! 偉そうに人の説教ばっか」


「水瀬は本当は負けん気が強くて一生懸命で向上心が高くて、誰よりも強い女の子だって俺は知ってるよ」


「…………え?」


「それにコーヒーなんか飲んだことないことも本当は甘いものが大好きでいつも学校の自販ではいちごミルクを買ってるのも、本当はショッピングとかよりもゲーセンが行きたいこととか可愛い系の服よりボーイッシュが好みとか小説とかじゃなくて漫画が好きとか朝はお弁当とか化粧するよりギリギリまで寝てたいとか、俺にムカついてる時は下唇を強く結ぶとことかそれに」


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って!」



 桃は驚きと動揺と驚愕で口をぱくぱくさせていた。



(え? え? え? な、なんでこいつが知ってるの? それに待って……てことは今日のデートでの行動って……)



 その行動の意味が分かった瞬間に心の奥の何かが溶け出したような暖かさが胸に広がった。



「言っただろ? 今はなんでも知ってるって。だって俺はお前を知る努力をしたんだから、本気でな」


「え、まさかストーカー……」


「それを言うなよ。仮にも彼氏なんだから」


「……彼氏って思ってたんだ」


「(仮)だけどな」


「ぷっ……なんなんですか、それっ。むかつくっ」


「大事なことだろ」


「全然、大事じゃないっ! ふふっ」


「笑ってんなよ」



 と、言われてもさっきからなぜか笑みが止まらない。

 理由は分からないけど笑ってしまう。



「…………ねぇ、先輩?」


「なんだよ」


「条件ってなんですか?」


「……お、やっと取引する気になったか」



 そう言うと先輩は椅子にもたれ掛かるようにして夜空を見上げた。

 それに倣って首を上げると空には星が綺麗に光っていた。



「ひとつは男漁りをやめること。ふたつは水瀬が自分自身の価値をきちんと認識すること。最後に俺とは二度と関わらないこと。簡単なことだろ?」


「…………ちなみにその条件を守ったとしたら先輩はどうしてくれるんですか?」


「あの録音は消すし、周囲には俺がこっぴどく水瀬に振られたってことにして何を言ってもいい。俺からは何も言わないから水瀬はこれからも高嶺の花でいられる」


「それはそれは……魅力的な提案ですねぇ」


「だろ? 特別出血大サービスだ」



 先輩からの提案は願ってもないものだった。


 なんせ桃はそのことでこの一週間どうするかと苦悩していたのだから。

 だけど今はもうそんなことどうでも良くなってしまっていた。



「なんでわざわざ先輩はこんなことしたんですか? だって先輩にはなんのメリットもないのに」


「別にメリットがないわけじゃない。この一週間隣に人気の後輩を侍らせてたんだから役得だと思うよ」


「ほんとに思ってます?」


「思ってる思ってる。ただひとつ残念なのはその子が自分の価値に気付かないせいで本来のパフォーマンスでいてくれなかったってところかな」


「どういうことですか?」


「あのな、水瀬。お前は気付いてないかもしれないけど、本当のお前は演じてるお前よりも何百倍もかわいいんだよ。いい加減それに気付け」



(……っ! か、かわいいって言った……!)



「ふ、ふーん……でも信用出来ないなぁ。だってこの先輩は桃のことをずっと騙してたんだもんなぁ」


「だからな、これまでお前がやってきたことは自分の価値を下がることだったわけだ。そこでふたつめの自分の価値を認識しろっていう条件があるんだよ」


「先輩は本当にそう思いますか?」


「思うよ」


「本当に?」


「うん」


「本当の本当の本当に?」


「あのなぁ……ちょっと空を見ろ」

 


 そう言われて桃は再び夜空を見上げる。



「綺麗に見えるか?」


「はい」



 今夜は天気がいいのか本当にたくさんの星が散りばめられていて、不覚にもロマンティックなムードを感じてしまっているくらいには綺麗な星空だ。



「けどさ、星を一つ一つ見てみろよ」


「むむむむぅぅぅ……見たけどなんなんですか?」


「星の大きさはバラバラだし、明るさにも差がある。月なんかは輪を乱しまくりだろ? でもわざわざ気にしなきゃ誰もなんとも思わない。ただの綺麗な星空だ」


「はぁ……だからなんなんですか? 先輩って理屈臭くて回りくどいですよね。……めんどくさい星人」


「……あのさぁ、ちょっと良いセリフ言おうとしてんだからかっこつけさせろや。台無しだわ」


「あ、かっこつけてたんですね? ふふ、それは失礼しました!」



 そう言うと先輩は首を背もたれに乗せたまま横を向いて顔を覗き込んできた。


 もしかしたら先輩は意外とロマンチストでカッコつけたがりなのかもしれない。

 もっと知りたいと少しだけそう思ってしまう。



「つまり人間も皆そうなんだよ。別にそこまで周りの事を気にしてないんだ。だからさ、水瀬もそんなに周りの反応を気にするのをやめてみたら?」


「……そ、それは……」


「別に皆が好きな物を好きじゃなくっていいじゃん。皆が好きじゃない物を好きでもいいじゃんかよ。だって水瀬桃華として生きてるのは他の誰でもないお前だろ? 実際に全てを感じるのは水瀬な訳だからお前の好きなことをして生きなよ……恋愛もそう。お前が本当に好きな人が出来た時の為に若い貴重な時間を使えって事だよ」



 ゆっくりと、長々と、それでもはっきりと伝えようとする先輩の眼差しは凄く真剣で後ろから当たる電灯の灯りが彼の整った顔を眩くさせていた。



「だから俺といる時間は無駄だって事だよ。本性も知ってる訳だし、条件さえ守れば文句はないから。あとお前は気取らなくても充分かわいいし、人気者でいられるよ。だから自分に価値がないなんて思うなよ?」


「……………………」


「俺はさっきまでの背伸びしたお前より今の素でイキイキとしたお前の方が断ッ然、魅力的だと思うわけよ。だから胸を張って生きろってことだ!」


「……先輩は……——」



 その先の言葉が出てこなかった。

 悔しいけど、今日聞かされた先輩の話に桃は納得してしまったから。



「まぁ、それを決めるのもお前の自由だよ。とりあえず俺から言えることは自分を安売りすんなってこと」


「……お、送ってくれないんですか?」


「今日のデート(仮)で奢った分でタクシーでも拾え」


「彼氏失格!」


「はいはい、俺は彼氏失格ですよーだ」




 そう言って先輩はさっさと帰っていってしまった。


 そして公園からの先輩の家が近すぎて予期せず特定してしまった。



(あの野郎、待ち合わせは二人の家の中間距離にしようって言って決めたくせに全然桃の家の方が遠いじゃんかよ! 騙しやがってたなぁぁぁあ!)



 と、心の中でツッコミを入れながら桃は星空をもう少し眺めたいのとタクシー代が勿体ないので歩いて帰った。




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