『本気で始めるミッション生活』




 綺麗な四十五度の正しいお辞儀と共に春翔はこの少女、水瀬桃華を選ばないことを選んだことを告げる。

 

 三秒程、間を開けてゆっくりと体勢を戻し、彼女を一瞥してみると何が起こったのか分からないというような呆然とした表情をしていた。



「……えっと……ごめんなさい。なんだか、聞き逃しちゃったみたいで」



 先程までのあわあわとした萌え仕草は鳴りを潜め、代わりにぎこちなく笑いながら現実逃避に走る水瀬。

 そこに追い討ちをかける春翔はまるでリプレイ動画のように先程と同じ動きで頭を下げた。



「無理です。ごめんなさい」



 絶対に断らない男としてこの学校で名を馳せるような男にまさか自分が振られるとは思っていなかったのだろう。

 

 水瀬の顔面は既に蒼白に染まってきている。そして、



「え、えっとー……あ、その……好き……です?」


「それはありがとう、だけど」


「……好きなんです……」


「ごめん」


「…………好きなんだけどなあ……」



 やや虚ろに近い視線をあちこちに右往左往しながら、混乱しているのか、同じようなことを何度も連呼していた。



「……ま、まあ、そういうことだから、それじゃあ」



 その姿を見て、あまりに居た堪れなくなった春翔はとりあえず、その場を後にしようと踵を返す。

 その際、失恋という憂き目に合っている状態の彼女を視界に入れないように気を遣いつつ、懐かしい校舎に向けて足を踏み出す。が、



「うわっとと!?」



 踏み出したはずの足が地面を蹴りあげ、宙を彷徨ったままブラブラとしていて返ってこない。



「……ってなにしてんの?」



 同時に上半身に重みが増したので振り返ると水瀬が俯きながら春翔のブレザーの裾を掴んでいた。



「やだ」



 下を向きながらぼそりと呟く姿に、仕方なく春翔は踏み出すことを諦め、再び水瀬の方に向き直り彼女と視線を合わせてみたところ、そこから水瀬の怒涛の攻めが始まった。



「す……好きです。付き合ってください」


「いやいや、その下り、もうやったでしょ?」


「付き合ってください」


「無理」


「一回でいいから付き合ってください!」


「無ー理ー!」



 序盤は同じように連呼する作戦を実行するが、ここで更に少しアクセントを付けてくる。



「なんでですか!? わたしが嫌いなんですか!?」


「好きでも嫌いでもない! だから付き合わないんだよ! 普通付き合うとかは好きどうしでするもんだろ!」



 ここで元詐欺師の春翔にしては珍しく正論を叩き込むが、なぜか振り切れた様子の水瀬はそれでも引かない。



「だったら先輩の言うこともなんでも聞きますし、先輩好みの女になれるように努力しますからっ!」


「なっ……! ……い、いや、そういうことを簡単に言うんじゃねえよ! 無理だ! 諦めろ!」



 春翔は『なんでも』という言葉に一瞬だけ心がぐらついたものの、ここも寸前で堪えて拒絶する。

 が、それでも水瀬は一歩も引く素振りを見せない。



「先輩の方こそ諦めてください! こ、こう見えてわたしも諦めが悪いんですからっ!」


「…………はぁ……」



 すると、このままでは拉致があかないと察した春翔は深くため息をつくと、とりあえず冷静に理性的な話し合いをする方向性に方針を変えることに。



「なんでそんなに付き合いたいの?」


「好きだからです」


「どこが?」


「…………えーっと……、一目惚れです」



 予想外の質問だったのか、微妙な間が空いて答えた水瀬を口だけで飯を食ってきた元詐欺師の春翔は責め立てる。


 

「ふぅん、てことは顔だけが目当てってことね?」


「ち、違いますけど!」


「じゃあ、内面のどこが好きなの?」


「えっと……それは……えっとー……」


「すぐに答えられないってことは、俺のことをよく知らないのに告白してきたってことだよね? それってどうなの? 失礼だと思わない? 俺、そういう適当に男と付き合えればいい、みたいなやつさ、大っ嫌いなんだよ」



 春翔は相手の心を確実に折るように、立ち上がる戦意を削ぎ取るように冷たい言葉を投げつけて、最終的にはかなり厳しい言葉で突き放す。ここまで言えば十代半ばのメスガキなんてのは被害者面で泣き崩れるものだ。

 少し言い過ぎた感はあるかもしれないが、こうでもしないといつまで経っても終わりそうになかったことを考えると、まぁそれも致し方ないと自分に言い聞かせた。



「……ひ、ひどいっ……です……ぐすっ」



 案の定、水瀬のまぶたからはボロボロと小粒の水滴がこぼれ落ち始めたので、春翔はそのまま黙って踵を返し、今度は確実に校舎へ向けて歩み出した。



「うぐっ……ひくっ……」



 背後で咽び泣くような音が聞こえるも、無視を決め込んで最後まで春翔は彼女を拒絶した。

 

 しかし春翔がこうまでして元、元カノである彼女を拒絶するというのには当然それなりの理由があり、その理由は大きく分けて三つ。


 一つ目は彼女の本性を知っているから。

 二つ目はその彼女の成れの果ての姿を知っているから。

 三つ目は単純に(実年齢がひと回りも)年下の女子なんて恋愛対象として見ることが出来ないからである。


 ちなみに上記二つの情報は過去の自分の経験を踏襲することが出来るタイムリープという現象の恩恵によって知り得ているもので、そう考えるとタイムリープというのは情報力という点で他を圧倒するチートスキルかもしれない。



 それはさておき、ここで明かされる水瀬桃華という女の正体は天使の皮を被った世紀の悪女である。

 

 まず、本来の水瀬桃華は弱々しくて守ってあげたくなるような幼気な美少女— —などではなく悪意をもって男を誑かす獰猛な肉食系女子なのだ。

 男を虜にすることに愉悦を感じ、虜にした男を非情に捨て去ることを快楽とするメンヘラ男製造機である。


 容姿、仕草、(表向きの)性格が抜群の彼女に魅了された男子は瞬く間に彼女が気になり、好きになり、虜になり、告白する。それを彼女は(表向き)喜んで受け入れ、男は束の間の幸せを手に入れる。

 が、彼女の寵愛を受けることが出来るのはそこまでで、一度堕とした男に興味を失う水瀬はまさに蛇の生殺しのように二週間飼い殺す。

 放課後、(表向き)天使の隣を歩いているのに、キスはおろか手を繋ぐことすら叶わずに、性欲の解放期である男子高校生は一人悶えるという地獄を見るのだ。

 それを上から見下ろし、楽しみ、嘲笑い、壊す、というのがこの水瀬桃華という悪女の本性なのである。


 しかし、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているように、後に彼女もまた壊れることになる。



 と、今の春翔は知っている。

 

 要するに水瀬桃華という少女は春翔にとって既に目に見えている地雷なわけで、

 目の前の地面に地雷が埋まっていると分かっていてそこを歩く者などいないように、たまたま今回その標的にされた春翔もまたその地雷を避けただけに過ぎないのだ。



 ということで、春翔は『これで良し』と自分の判断に納得したところで今度こそ歩き出し、なんとなしにポケットに手を突っ込んだ。



(…………あれ?)



 が、そのポケットの中からさっき確認したときには感じなかった違和感が生じた。



(……なんか入ってるぞ?)

 


 違和感の原因を取り出してみると、正体はくしゃくしゃになった茶色の封筒だった。そしてその封筒の端のところには"KAMI"の文字。

 その差出人に若干の心当たりがある春翔はその場で足を止め、中身を確認すると中には便箋が封入されていた。



『拝啓 親愛なる低脳クソ雑魚詐欺師の早坂くんへ』



 最初の一文を読んだだけで元々くしゃくしゃだった紙を更に握り潰す春翔。



「……ふぅー……落ち着け……耐えろ……」



 そうして、一度深呼吸して心を落ち着けてから、敬っているのか、侮辱しているのか、どちらにしても煽りスキル高めの導入で綴られた数枚の手紙を読み始めた。



『君がこの手紙を読んでいる頃には、僕はうえで滑稽な君の姿を見ながらほくそ笑んでいて、君はきっと僕のミスでこんな状況に陥ってしまったんだと決め付けて憤慨しているところじゃないでしょうか?』



 まるで遺書のように始まる内容を読み進める毎に比例してストレス指数が上昇するという類い稀な文章力である。

 今更だが、差出人は言うまでもなく神様だろう。



『はい、残念ー! 実はこの企画の本当の趣旨は【検証!君が未来ではなく過去に転生してしまったら、どんな反応するのかドッキリ】でしたー! イェーイ! ドッキリ大成功ー! パチパチパチパチー! ……やーい、詐欺師のくせに騙されてやんのー! ばーか、ばーか!』


『え? なんでこんなことしたかって? そんなのおもしろそうだからに決まってるじゃーん! そうでしょ? まぁ、僕のことをよく理解してくれてる君なら分かってくれてると思うけどね!』


『さてさて、ということでネタバレも済んだところで本題に入りたいと思うので、一旦君を天界に戻すね?』



 そんなあまりにどうでもいい前置きが終わった結果、判明したのは、どうやらここまでの出来事はとんだ茶番で、春翔はこれからまた天界に戻されるらしいということ。


 そんな訳で春翔は「はぁ」と深くため息をついた後、再び悪意の手紙を握り潰し、戻されるのを待つことにする。



「…………」



 しかし、しばらく経っても何も起こらない。



「………………要領悪いなあ」



 なので仕方なく、皺だらけの手紙をまた広げて、二枚目の手紙を読んでみることに。















『はぁーい! これもドッキリでしたー! もう君は天界には戻れませーん! そこで新たな人生を送ってもらいますー! まーた騙されてやんのー! ばーか、ばーか!』



 春翔は無言で手紙を地面に叩きつけた。






          ◇◇◇






『……はい。ということでおふざけはここまでにして……はぁ……えー、さっさと本題に移りたいと思います』

 


 気を取り直して春翔の靴の足型がついた手紙の続きを読むと、なぜか急に賢者タイムになったようなローテンションで続きが綴られていた。



『……ったく、ちょっと遊んでただけなのにそんなに怒らなくてもいいでしょうよ……まったく……ほんと天使ちゃんはこの話題になると堅物なんだから』



 どうやらテンションが低いのは天使に怒られたからだったようだ。

 天使に怒られる神とは一体どんな関係性なんだろうか。



『えー、ということで詳しく説明すると、君は僕の独断と偏見で過去にタイムリープしてもらいました。……まぁ、これは君なら言わなくても状況は分かってたと思うけども、一応の確認でしたっと』


『で、君は僕と交渉した際に自分が不幸にした分も救う、と大見得切って宣言したと思います。……なので、まさか早々にその約束を適当に反故にしてやるか、なんてことは考えていないとは信じているんですが、』



(…………)



 そこに関しては後ろめたさがある春翔。なので踏みつけた際についた土屑を申し訳程度にそっと払っておいた。



『詐欺師の気分は山の天気のように移ろいやすいと旧くからの友人が教えてくれたことを思い出したので、念のために君を送る際、僕と君とで契約を結んでおきました』


『名付けてカミッションと称しましょう。さて、というわけで早速指令内容を発表しまーす』



 企画名「ださ」っと思いつつ、また下らないことが始まるんだなと最早悟ったような表情で読み進めた春翔だが、次の瞬間、その内容に背筋が凍るような感覚に陥った。



『目指せ、有言実行! 早坂春翔と関わった人、全て、不幸にしてしまった場合、即死亡&直行で地獄行き決定! さぁ、地獄に行きたくなかったら、人々の不幸を回避してみろ! 開幕、春翔チャレンジ! いぇーい!』


『— —ということで』



 まさかの鬼ハードな企画内容。これはつまり関わった人、という事は春翔からではなくとも、相手から話しかけられたり、何らかのアクションを取られたものもカウントされるという事になる。その中には不可避なものも多々あるだろう。


 そして、まさに今現在、真っ先に浮かぶ懸案事項がある。



『はい、察しの良い早坂くんならもう既に気付いていると思いますが、心優しい神であるボクが一応教えておきましょう。僕の予想ではおそらく君が先程振ってしまったであろう水瀬桃華さん!』



 やはり、と春翔は頭を抱えた。



『君は彼女の行く末を知っていますよね? 勿論、知らないとは言わせないよ? タイムリープした君なら確実に分かることだもんね? だって、その子の末路は全校生徒に認知されることになるんだからね』



 その文を読んだ後、春翔の脳裏にはフラッシュバックのようにある光景が映し出された。


 

 — —この裏庭に生える一際太く丈夫な大木。


 早朝の少し薄暗く肌寒いその場所で、これ見よがしに首を吊った状態で揺れる少女。

 その眼からは既に生気が失われていて、代わりにこの世の全てを憎むようなそんな目をしていた。


 

『何年も前のこととはいえ流石に君にも覚えがあるだろうね。さて、つまりその彼女を救うというのが君の記念すべき初めての神ッションになるのだけれども、君にそれが出来るかな?』


「…………」



 無理。それが真っ先に浮かんだ春翔の言葉だ。


 そもそも水瀬とは別れて以降全く関与していないので、どうして今の彼女があのような結末になったのか、分かりもしない。

 仮に彼女ともう一度付き合ってみたとして、振られるまでの期限は二週間。おそらく彼女を変える何かが起こったのはそれよりもずっと後のこと。


 それをどうにかするなんて無理な話だろう。



『まぁ、それを出来なければ君が地獄に堕ちるだけという話だから、無理なら無理でいいと思うよ。まぁ、その選択は僕としてはとてもつまらない選択で欠伸が出るけども』



 けれど、神様はそれを嘲笑うように煽った文体で春翔のことを捲し立ててくる。



(と、言われてもどうすりゃいいんだよ……)



 しかし、春翔が最後の審判でああも大見得を切ったのは地獄を回避したいが為のもので、実際には自分が誰かを救えるなんてことは一切として思ってもいなかった。

 そもそも過去に周りの人を不幸にしてきた経験があるからこそ、生前の春翔は周囲を巻き込まないように孤独を選んで生きてきたのだ。


 

(その俺が、放っといても不幸になるような運命にある人を救えるわけねぇだろ。俺はただのしがない詐欺師だぞ)



 そんな時にふいに過った生前の誰かの言葉。



『なら、逆に人を良い方に導くことだって出来るんじゃないかな? うん、そうだよ! きっと出来るよ!』



 今となっては母だったか、妹だったか、それとも違う誰かの言葉か思い出せない言葉だが、たしかに過去に聞いたことがある台詞だった。



(はっ、無理だよ……俺はただのしがない詐欺師……)



 その記憶に対し、相も変わらず否定から入る春翔。



『無理じゃないよ。……だって君のウソはいつでも優しさから来てるウソだって私は知ってるもん』



 そんな自分に対し、またしても優しく諭してくるのは記憶の中の誰かの言葉。

 思い出せない。だが、なぜか心地がいい。



(…………)



 死んで尚、卑屈で捻くれて後ろを向こうとする春翔の心に驚くほど自然に浸透してくるその言葉を受け入れた春翔は薄く笑ってその言葉にこう返す。



「……ふっ、そうかよ」



 その言葉で改めて春翔の覚悟が決まった。


 

(どうせ一度死んだ身だ。ならもう一度死のうが、その先が地獄だろうが臆することなんてないし、怖いものなんてない! 良いだろう。どうせやるしかないなら、せっかくのタイムリープなんだ……本気で向き合って、本気で人を救って、本気で楽しんでから死んでやる! 後悔しない!)



 そうして、顔をあげた春翔は手紙を雑にブレザーのポケットに突っ込み、もう何度目か分からない踵を立ち尽くしていた水瀬の元へと返す。



「……ごめん。さっきは俺も覚悟が決まってなかった。自分に自信がなかった。だから逃げようとした。けど— —」



 そして、目の前へと立ち、きょとんとした表情を向ける水瀬の目を見て、水瀬へ、そして自分に向けて言葉を放った。



「俺と付き合ってくれ」






 こうして過去に囚われ、後ろを向き続けたクズが、過去に戻ったことでようやく前を向き、未来を歩み始めた。




 — —そして、ここから、始まるのだ。


 


 

 "クズから始める高校生活"が。




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