第三話 ~『金田との闘い』~


 覚悟を決めてからは時間の進みが早かった。いつの間にか、窓の外に広がる景色は黒に染まっている。


(もうすぐ始まるのですね)


 ベッドに横たわりながら、時間になるのを待つ。寝ないで乗り切る方法も考えたが、昨晩と同じ眠気が襲ってくるなら、それは無駄な努力に終わる可能性が高い。


(――ッ……やはり眠気が……)


 予想していた通り、意識が混濁するほどの眠気に襲われ、瞼を閉じてしまう。そのまま眠りに付くと、視界に広がる光景が見覚えのあるものへと変わる。


 昨晩と同じく、住宅街へと飛ばされていた。アスファルトで舗装された道路の上に立ちながら、踏みしめる地面の感覚を確認する。夢と思えないほど、はっきりと感じられた。


『桜さん、僕の声が聞こえる?』


 市街放送のように、遠くから梅沢の声が大音量で耳に届く。キョロキョロと視線を巡らせるが、彼の姿はない。


「梅沢くん、どこにいるのですか⁉」

『僕も夢の中さ。白い空間にゲームのコントローラーとテレビが置かれていて、映像には君が映っている』

「そのコントローラーで私を操作するのですよね?」

『試しに右手を上げてみるね』


 梅沢からの指示で、桜の肉体が意思とは無関係に動く。まるで自分の肉体が自分のものでないような感覚だった。


「僕のゲームにようこそ。どうやらプレイヤー登録したようだね?」

「クロウさん⁉」


 蝙蝠のゲームマスターが羽ばたいてくる。彼がやって来たということは、試合開始が近い証拠だ。


 ゴクリと緊張を飲み込むと、光に包まれて、金田が姿を現す。下卑た笑みを浮かべる彼は、この戦いを待ち望んでいたのか、嬉しさを隠し切れていなかった。


「桜ちゃん、俺のモノになる覚悟はしてきたか?」

「ま、まだ、私は負けていません」

「クククッ、俺に勝てるつもりかよ」


 非力な少女と喧嘩慣れしている不良。殴り合えば勝敗がどうなるかは明らかだ。だが桜は恐れない。今の彼女には梅沢が付いているからだ。


「役者は揃ったようだね。では両者を紹介するよ。赤コーナー、女の敵と人は呼ぶ。クズの中のクズ――金田徹の登場だ! そして青コーナー、儚き美少女はどう戦う。今夜はプレイヤーを登録しての挑戦だ。学園のアイドル――霧島桜!」

「プレイヤー……はっ、梅沢の奴か」


 金田はスマホで登録情報を確認しながら鼻で笑う。二対一でも桜に後れを取ることはないとの自信から来る余裕だった。


「では両者ともに準備はできているね。さぁ、試合開始だよ!」


 クロウによって闘いの火蓋が切って落とされる。そして真っ先に動いたのは、意外にも桜の方だった。


 彼女は一瞬の隙を突く形で距離を詰めると、ただ力任せに金田を押す。スピードを乗せた押し出しに、彼は尻餅をつくが、痛みはないのか、余裕は崩れない。


「こんな攻撃で俺を倒せるとでも?」

「思っていません。でも……ダメージは与えました。あとは時間切れまで逃げ切れば、私の判定勝ちです」


 これこそが梅沢の立案した作戦だった。攻撃を躱し続けるだけなら、パワーの差は関係ない。逃げ切ってみせると意気込む。


「舐めやがって。時間はたっぷりあるんだ。一撃くらい当ててやるよ」


 金田は大振りの一撃を振るうが、桜は紙一重で躱す。梅沢の正確無比な操作に、彼女は安心して身を任せた。


「クソッ、クソッ!」


 二度、三度と打撃を繰り返すが、そのどれもが空を切る。金田の体力は徐々に失われ、息が荒れ始めた。


「梅沢、てめぇ! 卑怯者がっ! 正々堂々、殴り合え!」

『女の子に無理矢理闘いを挑んだ君が、卑怯を口にする資格はないだろう』

「クソッ、なら俺も卑怯に徹してやるよ」


 正論を受けて、顔を怒りで真っ赤にしながら、ポケットから小銭入れを取り出す。


「てめぇは、この世界をゲームと同じだと思っているようだが、本質を分かってねぇ。俺がこの世界での戦い方を見せてやるよ」


 金田は大量の小銭を握りしめると、それを桜にぶつける。硬貨の雨に顔を打たれ、額から血が溢れた。


「出血したな。これで判定は俺が有利だ。時間切れまで逃げたきゃ逃げろ。俺の勝利で終わるがな」

「そんな……梅沢くん、次はどうすれば⁉」

『桜さん、ごめんね……』


 格闘ゲームでは起こりえないイレギュラーな戦術に作戦は崩れてしまう。焦りを滲ませながら彼に縋るが、返って来た答えは謝罪だった。


 もう勝ち目はなくなったと、絶望から涙を浮かべそうになるが、必死に我慢する。彼に罪悪感を与えたくなかったからだ。


「梅沢くん、ありがとうございました……あなたの頑張りのおかげでここまで戦えました……」

『桜さん……感謝はこの試合に勝ってからでいいよ』

「まだ私に勝算が?」

『もちろんあるさ』

「では先ほどの謝罪は?」

『勝つために、君の非暴力の流儀に反する必要がある。そのための謝罪だよ』


 梅沢がコントローラーを操作すると、桜は両腕を胸の前で構えて、ファイティングポーズを取る。


『いくよ、桜さん。覚悟はいいね?』

「は、はい!」


 桜は走り出すと、一気に間合いを詰める。金田は迎撃しようと腕を振るうが、それを紙一重で躱して、カウンターの拳を彼の顔に叩き込む。鼻を潰された金田は血を吹き出した。


「い、いてええっ!」


 受けた痛みで怒りの炎を瞳に滲ませる。そんな彼に追撃の一撃を放つため、桜は飛んだ。


 スピードを乗せた膝を顔に叩き込み、金田を吹き飛ばす。二度も強力な打撃を受けた彼は、耐えきれずに意識を失う。鼻血を流しながら、動かなくなった。


「私が勝ったのですか……」

『そうだ、君の勝ちだ』

「……っ……あ、ありがとう、梅沢くんのおかげです」

『君の頑張りの賜物さ』


 気を失った金田を見下ろしながら、桜は自分の勝利を実感する。理不尽なゲームを勝ちぬいた喜びで、拳をギュッと握りしめるのだった。


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