第二話 ~『梅沢との再会』~
窓から差し込む光で目を覚ますと、瞼を擦りながら起き上がる。いつもなら朧げにしか記憶に残らない夢の内容が、今日だけは現実で起きたことのように鮮明に覚えていた。
(嫌な夢でしたね……ぅ……い、いたっ)
腹部に刺さるような痛みを感じる。シャツをまくり上げて確認してみると、殴られた拳痕がしっかりと刻まれていた。
(夢で起きたことは現実なのでしょうか……)
痛みがその答えを教えてくれる。もし所有権を奪われたらと、改めて恐ろしくなり、目尻に涙が浮かぶ。
(逃げちゃ駄目ですね……立ち向かわないと……)
怯えていても何も変わらない。昨晩と同じなら深夜零時になると、強制的に睡魔が襲い、闘いの舞台へと招待されるからだ。
(まずは金田くんに私との試合を止めるように、お願いしてみましょう)
不良として有名な金田でも真摯にお願いすれば優しさを見せてくれるかもしれない。そうと決まればジッとはしていられない。身支度を整えて、家を飛び出す。
早く出発しすぎたせいか、通学路に生徒の姿はない。小鳥の囀りを聞きながら、学校へ向かうと、遠くから怒声が聞こえてきた。
(この声どこかで聞いたような……)
聞き覚えのある声の主を求めて歩みを進めると、路地裏で睨み合う二人の男を見つける。
一人は鋭い目付きに、細い眉、捲り上げた制服から覗かせる腕は丸太のように太い。絵に描いたような不良少年は、桜の探していた人物――金田だった。
金田は怒りを瞳に滲ませながら、拳を振り上げる。一触即発の雰囲気で先に動いたのは彼の方だった。
だが振り下ろされた拳はギリギリで躱される。対する男は金田の攻撃を完全に見切っていた。
(金田君が喧嘩⁉ あ、相手は……え⁉ どうして梅沢くんが⁉)
金田の拳を華麗に躱す男は、桜のクラスメイトであり、幼馴染でもある梅沢だった。無造作に切り揃えた黒髪、小枝のように細い腕、そして日光に焼かれていない青白い肌を見間違えるはずがなかった。
「雑魚のくせに躱すんじゃねぇよ!」
「なら当ててみなよ」
「クソッ!」
金田は力任せに腕を振るうが、そのすべてが空を切る。桜は怪我をしないかと、内心ヒヤヒヤしていた。
「あ、あの……」
喧嘩は良くないと止めようとするが、喉が震えて、声が上擦る。だが想いは通じたのか、金田は息を荒げながら、殴るのを止める。そしてジッと舐めるような視線をぶつけた。
「桜ちゃん、じゃねぇか。今晩を待てなくなったのか?」
「や、やっぱり金田くんが私を……」
「あの世界に招待した! 俺のモノになれるんだ。桜ちゃんも嬉しいだろ!」
「…………」
金田の下卑た笑みで確信する。彼に優しさを期待しても無駄だと。絶望で足がガクガクと震え、俯いてしまう。その様子から只事ではないと、梅沢も気づく。
「桜さんに何をした⁉」
「まだ何もしてねぇよ。するとしたら明日以降。桜ちゃんのすべてが俺の物になってからだ」
「……どういうこと?」
「部外者のてめぇには関係ねぇよ。なぁ、桜ちゃん?」
ねっとりとした声には悪意が含まれていた。もし肉体の所有権を奪われれば、最悪の事態が起きると容易に想像できるほどに。
「夜の事を考えると、てめぇの相手なんてどうでもよくなったぜ!」
あばよ、と言い残し、金田はその場を立ち去る。残された桜たちは気まずそうに顔を見合わせる。
「あの……梅沢くんは虐められているのですか?」
「まさか。僕は君と同じで、金田がカツアゲをしていたから、助けに入っただけさ……被害者は先に逃げちゃったけどね」
「相変わらず正義感が強い人ですね」
桜は幼少の頃の梅沢を思い出す。彼は間違ったことを許さなかった。大人相手でもビシッと注意し、困っている人がいれば放っておけない。正義のヒーローのような少年だった。
「助けるためとはいえ、喧嘩は駄目ですよ」
「喧嘩とは違うさ。僕からは殴り返してないからね」
「でも怪我をしていたかもしれませんよ……」
「金田のパンチなら眠っていても躱すのは容易いさ。万が一にも当たることはない。一応、これでもプロだからね」
まるで武術の達人のように拳を躱していた姿を思い出す。只者ではない動きだった。
「梅沢くんは格闘技のプロなのですか?」
「近いけど違うかな。僕は格闘技ではなく、格闘ゲームのプロだからね」
「プロのゲーマーですか……以前ニュースで聞いたことがあるような……」
「プロゲーマーの存在は日本だとマイナーだからね。でも世界だとサッカーや野球に匹敵するほどの超人気スポーツなんだよ」
人気のプロゲーマーとなれば、年収が億を超えることもある夢の職業だ。彼はキラキラと瞳を輝かせながら、話を続ける。
「特に格闘ゲームはね、キャラの動き出しのフレーム変化を見切って、即座に次の手を決める必要がある。将棋とボクシングを同時にやるような技術が求められるんだ」
「ゲームで培った動体視力のおかげで、金田くんのパンチを躱せたのですね」
「もしかして桜さんも格闘ゲームに興味があるの?」
「興味というより……ごめんなさい。きっと信じられないと思いますから……」
格闘ゲームの世界に巻き込まれると悩みを打ち明けても、返ってくるのはきっと困惑だけだ。だが梅沢は退かない。肩をガッシリと掴み、真摯な目を向ける。
「桜さんは嘘を吐くような人じゃない。どんな荒唐無稽な話でも僕は信じるよ」
「梅沢くん……」
「だから話して欲しい。君の力になりたいんだ」
彼ならきっと信じてくれる。そう思わせるような力強さが言葉から感じられた。
「実は……」
桜は昨夜起きた出来事を、包み隠さずに伝える。格闘ゲームの世界で闘いを強要されている話に始まり、勝利条件などの細かなルール、そして対戦相手の金田に負けると、生殺与奪の権利を握られてしまうことなど、抱え込んでいた不安をすべて打ち明ける。
気づくと、桜の瞳から涙が零れていた。誰にも相談できずにいた不安を共有できた安心感が、彼女の心を揺さぶったのだ。
「私……っ……怖くて……でも傷つけることもできなくて……それで……」
「怖かったね。でも安心して欲しい。僕がプレイヤーになる。そして君を救ってみせるから」
「梅沢くん……」
頼れるパートナーに安心し、桜は涙を拭う。やはり彼はヒーローだと、尊敬の念を抱く。
「桜さんを勝たせるために、もっと情報が必要だ。スマホに登録さえたアプリを見せてくれないかな」
桜は指示されるがままにアプリを立ち上げると、彼にスマホを預ける。淀みない操作で、アプリに目を通した彼は、情報収集を終えると、ふぅと息を吐いた。
「状況は把握した。まず君の現状のステイタスで金田に勝つのは絶望的だ」
アプリには桜のパワーやスピード、体力が数値化されていた。対比する形で対戦相手の金田のステイタスも表現されている。だが二人の数値の差は大きい。正面から挑めば、勝ち目はないが、梅沢は諦めていなかった。
「でも可能性はある。プレイヤー登録するとステイタスが上がる。その上昇値に期待できるからね」
アプリに梅沢の名前を登録すると、桜のステイタスが大幅に上昇する。おかげで金田との力量差が縮まったが、それでもまだ金田の方が能力値は高い。
「そんな……」
桜は絶望に肩を落とす。だが対照的に彼の瞳は希望で輝いていた。
「落ち込む必要はないよ。ここまで差が縮まれば、十分に勝機はある。僕に任せてよ」
「梅沢くん……ありがとう……」
やれることはすべてやった。後は彼に運命を委ねようと覚悟を決め、夜になるのを待つのだった。
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