第八部 査定員と女傭兵

8-1 追跡

      ◆


 結構、上等な馬を与えられている私でも、追跡するのは一苦労だった。

 まず第一に戦場の外周を巡るようにしていること。敵となっている勢力と接触すると困ったことになる。

 次に連中の痕跡が非常に分かりづらく、蹴立てられてえぐれた地面を追うことはできるが、頻繁に無数に隊が分かれていくので、どれが本隊、指揮官に通じているか、見当をつけづらい。

 夜になると追跡は不可能で、結局、私は現場に着いてから丸三日、一人きりで過ごすことになった。

 戦場がすぐそばなので、火を起こすことなど問題外だ。ちょっとでも光を発すれば、敵も味方もここへ確認にやってくる。警戒心だけならいいかもしれないが、容易に恐慌状態に陥る極端な不安とか、敵がいたら絶対に倒すという殺意に溢れているような連中がだ。

 馬には水と秣を与える。原野に草が芽吹き始めているのはありがたい。塩を小さく固めたものも手元に余裕がある。

 馬がいななくといけないので、心の中で謝りながら板を噛ませておく。

 誰もそばにいない場所で、夜の闇の中で寝そべっていると、まるで世界に自分一人しかいないような気分になる。

 この世界に私一人しかいないなら、何もかもが私のものだろうか。

 でも、どんなものが手に入っても、共有できないということは切ないものだろうな。

 うとうととしているうちに、光を感じ、朝が来たとわかった。

 さて、今日こそ追いつかないと。

 明け方の薄い光の中で保存食をかじり、水を飲み、馬に鞍を乗せた。噛ませていた板もすでに外してある。

 素早くまたがって駆け出す。

 昼前にすぐそばで激しい馬蹄の響きが湧き起こった。丘のちょうど向こう側だ。

 迂回していき、様子を見る。

 はずが、正面に土煙が上がり、近づいてくる。

 これはちょっと、まずいかも。

 反転して駆け出しながら、背後の様子を確認する。

 少しずつどこの騎馬隊が走っているか、見えてくる。

 黒で統一された簡略された具足。

 先頭を駆けているのは、私が会いに来た人物だ。というより、その騎馬隊自体が目的でもある。

 馬の足を抑えて合流する気でいたが、先頭の騎兵が片手を手綱から放すと、宙を切るように複雑な手信号を出した。それだけで騎馬隊が唐突に間隔をあけ、散るようにてんでんばらばらの方へ駆け去る。

 私はなんとか、例の指示を出した騎兵に近づいた。向こうは鞍に槍を引っ掛け、腰には剣がある。しかしたった今まで使われていたという痕跡はない。

 二頭の馬が並ぶ頃には、相手の顔はよく見える。小柄で少女といっても差し支えない。

 彼女はこちらを見る。

 その無表情の作り物、仮面めいた顔の中でしかし瞳は今、強く生を主張している。

「久しぶり! 元気だった?」

 蹄が地面を蹴る音に負けないように大声で呼びかけると、その少女は頷くだけだ。

 私はそれ以上は何も言わずに、セラに並んで進んだが、疾駆しているセラの馬は異常に速い。体格が立派な馬だが、どこで見つけたのだろう。

 馬を含めた装備を万全にするのは、評価できる点だ。

 他の部分はこれから、念入りに査定することになる。

 私の馬は息を荒くして駆けているのに、セラと引き離されていく。私は馬の速度を緩めた。セラの馬に張り合っていたら、こちらの馬が潰れてしまう。

 地面には見えづらいが痕跡がある。それを見失わなければ追いつける。はずだ。

 あっという間にセラは見えなくなった。背後を見ると遠くで土煙が起きている。セラたちを追いかけていた騎馬隊がいたはずだが、もう戦場へ戻ったか。あるいは私が接触した時には、すでにフーティ騎馬隊は追跡を振り切っていた可能性もある。

 ここのところもよくよく話を聞いて、査定の書類に書き込まないと。

 結局、日が暮れかかる前にセラたちには追いついた。そう、セラだけではなく、黒い具足の若者たち、フーティ騎馬隊が集結していた。

 私が見ている前で隊は四方に散っていったはずだが、手信号で合流地点を知らせ、全員がそれに従い、迅速に行動したことになる。

 私が馬を降りて近づいていくのにも彼らは反応しない。私の顔を知っているのだから、当然だ。それでも歩哨の青年が「身分証を」を問いかけてきた。腰の剣をいつでも抜ける姿勢である。ほんの短い間、私と彼で抜き打ちがどちらが早いか、試してみたらどうなるか、想像した。

 私の方が早いとしても、ここで自分の会社の傭兵を意味もなく切るのは間違っている。

 ガ・ウェイン傭兵社の身分証を見える。査定係の現地調査員のそれだ。

 失礼しました、と歩哨が深く頭を下げる。

 馬の世話をしたり、雑談をしたり、休んだりしている傭兵の間を抜け、私は目当ての人物に歩み寄った。

 彼女は二人の腹心と地図を前にしていた。

「こんにちは」

 そう声をかけたが、もう夕方か。

 顔を上げた三人のうちの一人が例の少女、もう一人は小柄な少年で、険のありすぎる顔をしている。三人目の長身の女性だけが愛想を見せて「もうこんにちはという時間でもないですね」と律儀に答えた。

 私は肩をすくめて、懐から書状を取り出した。

「これが通達書。ガ・ウェイン傭兵社の定期査定ということで、私はしばらくあなたのそばにくっついているから、そのつもりで。もう慣れていると思うけど」

「グロリカさんは」

 長身の女性、サリーンが苦笑いしている。

「戦場で傭兵の査定とは、大変なお仕事をしていますね。嫌になりませんか」

「結構、自分には合っていると思うよ」

「でも危険でしょう」

「ま、腕に自信はある、ということにしておいて」

 ガ・ウェイン傭兵社に限らず、どこの傭兵会社も雇っている傭兵がきっちりと仕事をしているか、不正をしていないか、倫理や人道に反することをしていないか、それを査定するものを抱えている。

 そんな査定係は、世間では腕の立つ一騎当千の戦士とされるけど、実際のところは傭兵上がりの一匹狼が多い。私も元は傭兵で、仲間が廃業したので、自然と査定係に鞍替えした。

 明日以降の戦いに関して三人が意見を出し合っているのを聞きながら、私は持参した水筒から、酒をちょっとずつ飲む。春とはいえ、夜冷える。ここ数日、少量ずつ飲んできたが、そろそろ水筒も空になる。

 酔うというほどの量ではないけど、仕事の間くらい、素面でいなくては。

 話し合いはすぐ終わり、セラがこちらへ来て「よろしく」と手を差し出してくる。

「こちらこそ」

 手を握り返していたが、それだけでは味気ないかな、と言葉をつけたした。

「いいことをはよく見えるようにして、悪いことはちゃんと隠しなさいね」

 セラの唇の端が、毛筋ほどだけ動いた。

 笑ったのだ。

 食事にしようぜ、と少年、ランサが声をかけてくる。

「セラ、食事をしながら、これまでの仕事に関して追加の話を聞かせてくれる」

 こくりと少女が頷くが、おそらく喋るのはサリーンとランサの役目だろう。

 この少女は滅多に口を開かない。私に、よろしく、と声をかけたことは例外中の例外だ。例外中の例外が起こったのは、私が査定する側で、彼女がされる側だからに過ぎないからだろうと思う。

 もっと愛想を、と思ったが、傭兵に愛想なんて必要ないか。

 私が知る限り、愛想でもって敵を討ち果たした戦士はしない。




(続く)

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