8-2 彼女の見えない感情
◆
今回のフーティ騎馬隊の仕事は、ルニスタル伯爵領の遊撃隊を撃滅する、ということだった。
戦場となる原野では、広い間合いで二つの陣営が向かい合っている。
片方はイムカ伯爵領軍、片方がルニスタル伯爵領軍である。
どちらも本来的には大規模な戦力を保有していないために、それぞれが傭兵会社と契約を結んでいる。また奴隷を買えるだけ買い、歩兵として動員していた。
まったく、こんな紛争に銭を支払うくらいなら、民の生活を少しでも豊かにすればいいものを。
私ですらそう思うのだから、家族を兵隊にとられたもの、食料を徴発されたものは、嘆きではなく怒り、それも激しい烈火の如き怒りを覚えていることだろう。
戦闘自体はまだ散発的なもので、重大な衝突には達していない。
騎馬隊だけが駆け回り、ぶつかり、馳せ違い、絡まり合い、離れて、それを繰り返している。
フーティ騎馬隊は傭い主であるところのイムカ伯爵領軍の要望に十分に応えているように私には見えた。敵の騎馬隊は翻弄され、確実に消耗している。一方のフーティ騎馬隊は損耗もなく、巧妙に緩急をつけているので、人間がもちろん、馬にも余裕がある。
丘の上で様子を眺めている私の隣で、ランサがあくびをする。
戦場にいるのに余裕なこと、と思うが、彼と部下四人の五人は、戦闘に参加せずに私の護衛をしているのだから、それは退屈だろう。
戦いを避けようとするのは社会全体から見れば正しいものだが、傭兵という職業のものが戦いから遠ざかりたいと思うようになったら、もう終わりだ。兵士もきっとそうだろう。
なので、ランサが私の護衛に物足りなさを感じるのは、傭兵らしい、かもしれない。
「例の僧兵の暴走には驚いたわよ」
彼の退屈を少しだけ紛らわえてやろうと声をかけると、司教を殺した後の顛末なんて知りません、とランサはそっけない。
「セラの仕事は丁寧で助かるわ」
「どこぞの間者が紛れ込んでいるように偽装して、内部分裂させた奴ですか。丁寧っていうか、残酷です」
本当に退屈らしく、ランサが自分の意見を披露していく。
「俺だったら、適当なところで司教を殺して逃げますけどね。隊長のように堂々と昼間にやったりはしないし、正面から平然と帰ってくるなんて、できません」
「今でもあの教会の人たちは、セラを探しているそうよ」
「意趣返しのためにですか? 俺の感覚だと、敵討ちをしようと思ったところで、相手はとっくにのたれ死んでいる、ってパターンが多いですよ」
「復讐って、人の視野を極端に狭くするみたいね」
目の前をフーティ騎馬隊が駆けていき、丘の上に整列する。
何だ?
「馬に乗れるようにしてくれ」
私の横に進み出たランサが、低い声でそう言って弓を手に取った。
フーティ騎馬隊が並ぶ隣の低い丘の上に、騎馬隊が整列していた。
旗が二つ出ている。一つは武装した女性の意匠、一つは一角獣だ。
おいおい、と思わず私が声を漏らしていた。
「ユニコーン騎馬隊を雇ったか」
そう言いながら静かに、まるで音を聞かれないようにするように丁寧にランサが矢筒から矢を手に取る。
武装した女性は、戦乙女、ワルキューレ傭兵組合の紋章である。そして一角獣は、ワルキューレ傭兵組合の三大騎馬隊の一つ、ユニコーン騎馬隊を示している。
十二大手の傭兵同士が今、戦場で対峙しているのだ。
どちらからともなく、騎馬隊が動き出す。
フーティ騎馬隊が傾斜を駆け下りていくのを、やはり傾斜を駆け下りたユニコーン騎馬隊が迂回していく。
お互いに円を描くような針路を取る。
曲線が内へ内へと進み、両者がぶつかり、離れる。数騎が落馬したのが見えた。敵か味方か土煙に沈んで判別できない。
私の横ではランサが矢をつがえ狙いを定めている。しかし敵味方が近すぎて、狙えないようだ。
と思った次には、矢が宙を走っていた。
馬群の中で一人が弾き飛ばされたように馬から落ちたが、隣ではランサが舌打ちする。外したらしい。
「乗馬」
ランサの声に他の四人が一斉に馬に乗る。私もそれに素早く従った。
さっきの矢で私たちがいること、いる場所が露見したから移動なのだ。
丘を降りてしまったので、騎馬隊同士の戦闘がどうなったのか、すぐにはわからない。ただすぐそばで馬蹄の響きが複雑に絡まりあって響いてくる。
丘の影を選んで六騎が駆けていく。先頭を行くランサは地形を知悉しているようだ。私が合流する前から仕事は始まっていたし、自分で見たり、仲間からの情報を総合して、頭の中に地図が出来上がっているのは立派だ。
どれくらいを走ったか、丘の上に駆け上がった。
騎馬隊は見えない。音はするが、視界にはない。やや離れた丘の向こうから土煙が立ち上がっているから、そこだろうとは予想がついた。
しかし私たちは離れすぎではないか。
「もう見物しないで、実戦の中に入りたいかな」
それとない私の提案に「査定で死ぬ査定係は是非見たい」とランサがブツブツ唱える。
その間にも音は大きくなり、ついにもつれ合った二つの騎馬隊が見えた。
しかもこちらへ駆け込んでくる。斜面の起伏を考えると、すぐ目の前を通過するはずだ。
「仕留めるぞ」
ランサの言葉は部下に向けたものだろうが、仕留める、だって?
ランサが剣を抜き、振り下ろしたのは、目の前の傾斜の下を騎馬隊の集団が差し掛かるところだった。
五騎だけで不意打ちか?
私も当然ついていく。査定で死ぬ査定係は間抜けだが、査定係だろうと、傭兵会社の一員だ。仲間を放ってはおけない。
斜面を駆け降り、集団の半ばにあるユニコーン騎馬隊の先頭に衝突する。
そう、セラが指揮するフーティ騎馬隊は逃げを打っており、先を駆ける彼女たちは、本当に少しだけユニコーン騎馬隊を引き離していたのだ。
ユニコーン騎馬隊の先頭で血飛沫が噴き上がり、首や腕が血煙の中を飛ぶ。
しかし別動隊はほんの六騎に過ぎない。
仮に私がユニコーン騎馬隊のものなら、構わずに敵の本隊を追い続けただろう。
予想に反して、ユニコーン騎馬隊は動きを止めた。フーティ騎馬隊が駆け去るのを彼らは見送っている。そんな彼らを遠くに望みながら、私とランサたちはセラたちとの合流を目指した。
私たちが追いついた時は、フーティ騎馬隊の傭兵たちは馬を降りて、手綱を曳いて歩いていた。それだけ馬を酷使したのだ。しかし馬を失ったものはいないようだった。潰すような間抜けはいないのだ。
先頭の方へ行くと、いつも通りのセラがいた。
ただ明らかに生臭い匂いを漂わせ、その体を守る具足の半分が光を不気味に反射していた。
「馬が潰れるかと思った」
それがセラがランサに最初に向けた言葉だった。ランサにささやかな横撃をさせる作戦に対する感想のようだった。暗に、ランサにもう少し早く攻撃を仕掛けられる位置で待っていろ、と言っているようでもある。あまりに言葉が平板なので、ただの感想か嫌みなのかはわからない。
「それでも二人ばかり仕留めました」
ランサの言葉に、セラは無言で頷いている。
後でサリーンが教えてくれたことによると、ランサは最初の矢でユニコーン騎馬隊の副長を負傷させ、奇襲では負傷した副長の代わりにその役目を受けていたものの首を飛ばしたようだ。
そしてその話の中で、フーティ騎馬隊から負傷者が三名出て、それに三名をつけて離脱されたとのことだった。
フーティ騎馬隊は少数精鋭の部隊で、五十名ほどである。増減は常にあるが、セラは極端に隊を大きくしようとはしない。それは何度も話し合ったし、ガ・ウェイン傭兵社でも議論になるが、今のところは結論は先送りだった。
セラの異質なところは、決して動じないことだ。
仲間の死にも、敵に死にも、動じない。
表情が変わらないことで、彼女を感情を失った人間、感情を知らない人間と見るものが多いけど、私はそうは思っていない。
何かが蓋をしているだけで、ちゃんとその奥には、感情が渦巻いているのだ。
そういう意味では不憫である。不憫ではあるものの、そう思うことはセラを侮辱することだ。
ユニコーン隊との駆け合いは連日、続いたが、決着はつかなかった。
そのうちに歩兵同士のぶつかり合いが始まり、本当の戦闘の幕が切って落とされた。
(続く)
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