第六部 女戦士と女傭兵

6-1 戦場にて

     ◆


 馬の呼吸を読み取るのが困難だった。

 しかしまさか馬を潰すわけにもいかない。

 騎馬隊同士の駆け合いはすでに一時間になろうとしている。相手もそろそろ退きたいだろう。

 部下を確認する。ついてきているのは四十騎、ほぼ脱落者はいない。

 味方の騎馬隊と離れすぎているし、そもそも主戦場も遠い。私たちが巧妙に引きずり回されているようなものだ。

 腕を振って、私は隊を即座に三つに分けた。調練を重ねているし、部下は全員が戦場に慣れている。地面を蹴立てる音の密度と距離で、部下の動きはだいたいわかった。

 敵は少し、躊躇したようだ。私を先頭とする十騎を取り込めるかどうか、と見たはずだ。

 しかしほんの短い時間で、彼らは三方から圧力を受けることになる。今度は私自身が彼らを引きずり込んだ形だった。

 私の隊に引き込まれた敵の騎馬隊が、二つの小さな隊に分断される。

 いや、向こうも巧妙に隊を散らしたか。馬から落ちたのほんの数騎だけだった。

 ここまでだ。馬を休ませる必要がある。

 再び身振りで隊を一つにまとめ、離脱する。しかしただの痛み分けではつまらない。

 私は馬を走らせたまま、鞍につけていた弓を手に取り、矢筒から一本を抜き取る。

 弓は大ぶりな、強弓だった。

 上体に力を込めて弓を引きながら、体は駆けている馬の上でもピタリと落ち着く。

 見据える先に、敵の騎馬隊を指揮している男がいる。

 年齢は二十をいくらか超えたくらいで、若武者といったところだ。

 不運だったな。

 思考すると同時に、矢を射た。

 甲高い音を立てて矢が飛翔し、突き立つ。

 なんだ?

 私の矢が男の胸を具足ごと貫いたのだが、ほとんど同時に首にも矢が突き立っていた。

 二本の矢を受けて、確実に絶命しただろうが、どこから、誰が射た矢だ?

 敵の騎馬隊が離れていくのを見送り、私は一つの丘の上で隊をまとめた。副官の青年が報告するには、負傷者が三名いるという。いずれも軽傷で、動作に支障はないようだ。

「矢が飛んできたぞ」

 私の言葉に、副官がさっと指さす。

 やや離れた丘の上に、騎馬隊がいるのが見えた。さっきの敵ではない、方向がまるで違う。

 黒い具足で統一しているが、旗などは出していない。

 先頭にいるのは小柄な人物で、遠いせいか、子どものように見える。

 問題はその横にいるやはり小柄な人物で、そちらは片手に弓を持っているのが見て取れた。

 先ほど、敵の指揮官を射抜いたのがその誰かだとすれば、相当な腕前だ。

 弓矢というものは技術だけではどうしようもないものがある。議論になる最たるものが風である。遠くのものを正確に射抜くには、その瞬間での風の動きを直感的に把握する資質が必要になるのだ。

 風は見えない。肌で感じるか、あるいは風自体は見えなくとも、草木の揺らぎなどから把握することになる。

 言うほど単純ではなく神がかった素質であり、それを持つものだけが、弓矢において神技を会得するのである。

「敵ではないようですね」

 黒い影のような騎馬隊が、ゆっくりと丘を下りてこちらへやってくる。

 私たちの馬は疲れているし、相手を焦らしてやろうと、下馬を命じて馬を曳かせた。ここで待ち構えてもいいが、そこまで無礼にはなれなかった。

 私たちでも、さすがに人間関係という奴を円滑にしないと、やっていけないのだ。

 ましてや私たちは異邦人と言ってもいい。

 その騎馬隊とは、丘の上で対面した。相手の方が待ち構えており、彼らも馬を降りていた。

 意外なのは、小柄な二人が本当に子どものような姿をしてて、片方が少女だったことだ。

 しかもまるで作り物めいた顔の造作をしており、そしてまた、作り物のように感情が宿っていなかった。

 弓を持っているのは少年の方で、こちらはムッとした顔をしている。不機嫌そのもののようだが、こちらはこちらで、その表情のまま変化しない。

「私たちはフーティ騎馬隊です。私はサリーン」

 進み出てきたのは先の二人とは対照的な長身の女性だった。ただ顔には幼さのようなものが残っている。

 私が代表して進み出る。

「私はクーリーニア。見ての通り、蛮族の騎馬隊だ」

 サリーンが人好きのする明るい笑顔を見せ、頷く。

「先ほどはトード伯爵の配下の隊とやっていましたね。我々もミナン連合に雇われています。所属はガ・ウェイン傭兵社です」

 ガ・ウェイン傭兵社とは、十二大手と呼ばれる傭兵会社の一つだった。

 子どものように見えて油断ならない相手かもしれない。注意しておこう。

 私の視線を受けても小柄な少女は無表情のままだが、少年はそっぽを向いていた。彼らに視線を送る私に気づいたサリーンが身振りで二人を示した。

「彼女が隊長のセラ、彼はランサです」

 彼女が隊長、という言葉に思わずサリーンへ視線を戻したが、彼女は悠然と微笑んでいる。自信と自負、揺らがない強さが見えた。セラという少女を、もしくは仲間を、信頼しているのだ。

 ここもまた留意するところだな。

 一枚岩の組織というのは珍しいが、その結束の強さは数以上の力になる。

 私たちがそうなのだ。

「素晴らしい弓の腕前でした」

 サリーンの方からそんなお世辞を向けてくるので、思わず笑ってしまった。

「そちらの射手の方が、より遠かったと思いますし、的も小さかったでしょう」

 さりげなくランサの様子を確認したが、彼はまだそっぽを向いている。いや、彼の視線の先は、さっきの敵の騎馬隊が離れていった方を見ているようだ。私の方でも、副官がそちらを見張っている。

 戦場でのんびり話をする方が不自然と言えるだろう。

「こちらは馬を休ませたいのですが、ミナン連合の陣へ迂回していきましょう」

 私が言うべきことをサリーンが口にして、驚いた。私の驚きに、彼女が肩をすくめてみせる。

「こちらも敵の騎馬隊とやり合った後です」

 彼らの馬はなるほど、少し息が荒い。ただ私たちの馬よりはマシだった。

 いきなり連携が取れるかは不明だが、いざという時、私たちの四十騎だけよりフーティ騎馬隊がいた方がいいかもしれない、と私は決めた。

 よろしく、という短い言葉で同意し、二つの騎馬隊は一つになって丘の陰へ降り、間を縫うように進み始めた。もちろん、警戒のための斥候が周囲を確認している。

 私が気になったのは隊長であるセラという少女だ。

 馬を曳きながら、周囲に目を配るのその目つきに、刃のような鋭さがある。怯えなどはなく、逆に昂りもなく、不自然なほど透明な色に見えた。

 彼女の馬はひときわ立派で、いい馬に見える。様子も従順そうで、しかし孤高といった佇まいだ。

 乗り手と馬の相性というのは、こういうところにも出るだろう。

 私の馬はともすると暴れだしそうになり、私と似ているかもしれない。

 二時間ほど進むと前方で喚声が幾重にも聞こえてくる。

「乗馬」

 前触れもなくセラがそう言った途端、フーティ騎馬隊の兵士が一斉に馬にまたがった。

 何が起こったか分からないうちに、三十騎ほどが一斉に動き出す。まるで言葉で詳細な打ち合わせでもあったかのような、前触れのない動き出しだった。

 二手に分かれて、彼女たちは駆け去って行った。

 私たちの馬はもう少し休ませたい。いざとなれば戦闘に加わるつもりだが、今はフーティ騎馬隊とやらの実力を見ておきたかった。

 丘の上に上がると、戦場が遠くに見えた。

 黒い線となった少女の率いる騎馬隊が、敵の騎馬隊に絡みつき、駆け抜けていく。

 血が騒ぐとはこういうことだろう。

「私たちも行くよ、乗馬」

 私の声が震えたのは、武者震いだ。こうなると自分の衝動を抑えるのが難しいのだが、それさえも忘れた。

 騎馬隊が私を先頭に駆け出す。

 剣を抜いて、掲げた。




(続く)

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