4-3 どこにでもある日常

     ◆


 早朝に人の気配で目を覚ますと、すでに朝食の用意が整っていた。

 セラは座り込んで口を動かしながら、私の方を見ていて、自然、視線がぶつかった。

 何を考えているか判然としない瞳の奥を、さらに探ろうとしたが、つとセラは視線を横へ外した。

 足音の方を見ると、ランサが斜面を上ってきたところだった。この時は彼が水を汲みに行ったということだ。私とセラの視線を完全に無視して、ランサは水を沸かす準備を始めた。サリーンも燃やすための枯れ枝を集めて戻ってきた。

 昨日の夜にウサギを全部食べてしまったので、この日は例の保存食。しかし気を利かせてくれたサリーンが、私の分はお湯でふやかして粥のようにしてくれた。こうしてもらうと食べやすいし、味もよくわかった。なるほど、意外にちゃんとした味じゃないか。

 出発して、さらに先へ。斜面を下りきると、そこは谷のようなところで、川に沿って進むことになった。この川の少し上流で、セラやランサは水を汲んだことになる。川の水は綺麗に澄んでいて、光の反射さえも格別に美しい。

 そのまま谷間を抜けていくうちに太陽は最も高い位置になり、小休止。

「ベェールに何かあるのか?」

 食事の途中で、ランサが問いかけてきた。

 彼の方から問いかけてくることは珍しい。

「知り合いが住んでいるの」

「俺たちに銭を払えるような大金持ちがか?」

「歌姫なんて呼ばれたりする私の有力な後援者、というところね」

 鼻を鳴らして、ランサは食事に集中し始めた。

 有力な後援者という表現を私は今まで、色んな場所でしてきたけど、受け取り方は人それぞれだと痛感する表現でもある。

 ある人は純粋に芸術に興味のある富豪だと解釈するし、ある人は私が体でも売って銭を搾り取る相手と解釈する。

 実際にはそれほど芸術に興味があるわけでもないし、私の体目当てでもない、ということを聞かされても、きっと信じるものの方が少ない。

 美しい話、醜い話、そういう極端なものの方が人の心に納得させる力がある。

 歌だってそうだ。

 曖昧な歌詞の曲は好まれない。情熱的な愛とか、深すぎる絶望とか、そういうものを歌う曲の方が、どこへ行っても好まれるのを、私は知っている。

 でも私はあまり、美しすぎる歌詞、悲しすぎる歌詞は好きではない。

 誰かに自分を投影すること、誰かと自分を比べることより、自分自身の中にあるささやかなものを大事にしたい。

 それは間違っているだろうか。

 人喜ばれるものだけを提供するのが芸術家の使命だとしたら、私はそれを逸脱した自己満足だけの表現者ということか。

 いつの間にか食事が終わり、食べているのは私だけになった。急いで粥を飲み込み、器を拭って返した。

 馬に乗り、さらに先へ。いつの間にか両側にそびえていた山は姿を消し、私たちは原野を進んでいた。遠くを鹿の群れが駆けている。起伏がある上に、形だけの道以外は草に覆われているので、鹿はすぐに見えなくなった。

 それにしても誰がこの道を使うのか、と思っているところへ、前方に小さな集落が見えた。

 太陽は稜線へ沈もうとしており、空を赤く染めていた。

 誰も何も言わないまま、集落の中の一軒の家に泊めてもらうことが決まった。

 家に住んでいるのは若い男で、がっちりとした体つきをしている。おそらく彼と仲間たちが私たちが通ってきた道を使っているのだろう。山から木を運ぶのか、石を運ぶのか、そんなところだろうか。

 食事は米の粥で、季節の野菜と、鹿の肉が入っていた。

 ほんの二日ぶりだというのに、まともな食事に私は舌鼓を打つ、というところだ。三人の傭兵のうち二人は全く感動もせず、何かの装置のように淡々と食事をしていた。唯一、サリーンだけが男性と話をしている。最近の景気の話で、それを聞く中でやっと、この集落のものが鹿を狩って生計を立てているとわかった。原野には多くの鹿が生息し、肉や内臓、皮や骨も何らかの形で銭になるということだ。

 もっとも、国が乱れて銭の価値も安定せず、山の木を燃料として売ることも考えていると男性は口にした。サリーンがそれに対して「木を燃やすのは一瞬でも、育つのには百年ですよ」と笑って応じたのには、私は驚いた。

 意外に庶民の感覚があるじゃないか。

 ただ馬に乗るだけ、野宿をするだけで、傭兵は務まらないようだ。

 もっとも、ランサは口出ししないでも話を聞いてはいるようだが、セラに至っては聞いているかすらもわからない。表情は作り物めいていて、ほんの些細な変化もない。

 思えば不思議な少女である。

 年齢は二十歳にはなっていないだろうけど、それが傭兵をやっているのだ。しかも頭領だという。何より、十二大手に所属しているのだから、相当な武勲をあげているはずだ。

 それがこんな意味不明、理解不能な少女というのはちぐはぐであると言わざるをえない。

 もっと豪放磊落、あけっぴろげな方が傭兵らしい、かもしれない。

 そうじゃなければ、もっと厳しくて、残酷とか。

 こんなまるで無が輪郭を持ったような少女が傭兵とは、世の中、解らないものだ。

 食事が終わり、就寝、翌朝早くに全員が支度をして、朝食も世話になり、銭を払って出立した。

 原野の先に街道が通っており、なるほど、近道ではあったわけだとやっと確信が持てた。

 街道を進めば、そこがもうベェールの街である。

「ここまででいいわ」

 私がそう告げたのは、街の入り口である。三人がそれぞれ馬を止めたので、素早く私は降りた。

「こんなところでいいのか?」

 ランサが確認したのは、さすがに私でも念のためだとわかった。

 彼としても私が誰から銭をもらい、自分たちに払うのか、気になったのだろう。

 銭の支払いは翌日の昼間、ベェールの街の庁舎で行うことにしていた。目印にそこがちょうどいい、となったのだ。

 三人の傭兵は私のことを信頼している様子だったけど、今は、逆に私がその信頼を確認している形だった。

 私がどこへ向かい、どうやって銭を手に入れるかを確認できれば、と思うのが自然だ。

 今、私を別行動させれば、逃げ出す可能性が捨てきれない。

 では、三人の傭兵は無理矢理に私を張り付くだろうか。

 答えは私の中では決まっている。

 張り付かない。

 彼らの矜持が、強気な姿勢を取らせるはずだ。

 無言の駆け引きは短かった。

「行きましょう」

 そう言ったのは意外にも、セラだった。

 彼女は無表情のまま、私にそっけなく告げた。

「明日の昼間、庁舎の前で。銭を忘れないで」

 笑いは笑うことができた。

「ありがとう。約束は守るから、安心して」

 頷き返すだけで、セラは馬を歩かせ始めた。サリーンがそれについていき、ランサは未練のようなものを覗かせたけど、仲間の二人についていった。

 三人の姿が消えてから、私は歩き出した。

 ベェールの街のすぐそば、歩いて一時間ほどの距離のところに、屋敷がある。

 そこはキシリアン公爵の屋敷の一つである。

 銭はそこで、手に入る。



(続く)

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