第四部 歌姫と傭兵
4-1 乱世の歌姫
◆
タバン伯爵領をぐるりと回り、私はフィリアという街に辿り着いていた。
ここまでのタバン伯爵領の旅には、五人組の傭兵が護衛として付いてくれていたけど、彼らは契約が満了するフィリアの街に到着する前夜、私の持ち物から金目のものを盗んで消えた。
まぁ、体をどうこうされなかったことを神に感謝するべきかもしれない。
とにかく、わずかな銭しかなく、知り合いを通じて食事と泊まる場所を手配したものの、これでは本当の目的地にたどり着くのは困難だ。
私は、乱世の歌姫、などと呼ばれるけど、実際に歌で銭を得るとしても微々たるものだ。
それでも今は歌があるだけありがたかった。
フィリアの街の通りに出て、私は歌った。
悲しみはいつか
あなたを捕まえるだろうけど
それは私も同じ
誰もが悲しみに見初められ
最後まで
この世の終わりまで
寄り添うことになる
だけどその悲しみがあるからこそ
私たちは本当の愛を
知ることができる
悲しみの背中にある
幸福を
知ることができる
そんな歌詞の曲を、アカペラで歌っていると、自然と人が集まってくる。
一曲を歌い終わるたびに拍手が起こり、銭を置いていく人もいる。
歌いすぎると喉を痛める。時折、井戸で汲んできた水を水筒に入れてあったのを口にする。本当は歌を歌う前には脂が多いものを食べるといいのだけど、あまりにも手元の銭が頼りなかった。
数時間ほどを休憩を挟みながら歌うことで、それなりの銭が手元に集まった。
しかしこれでも、目的地まで無事にたどり着けるだろうか。
「いい歌声をしているじゃないか」
散っていく観客で見えなかったが、小柄な少年が一人だけ、残っていた。
腰には短剣があり、服も粗末ではない。ただ職業が何かは、すぐには判断できなかった。
「ありがとう、褒めてもらえて嬉しいわ」
ほどほどに相手をしようと言葉を選ぶ私に対し、少年は容赦なかった。鈍感なのか、わざとそうしたかはすぐにはわからない。
「乱世の歌姫とか呼ばれる、マリナって女があんたか?」
答えに困るのを隠すために私は無言で、しかし口元で笑みを強調しておいた。目は笑っていないように抑制した。
あまり踏み込まないでね、坊や。
そんな意図を発散したけれど、やっぱり少年は動じなかった。鈍感なのだ。
「ここからどこへ行く? 見たところ一人だが、護衛がいないのは危険じゃないか?」
おやおや、この少年は意外にいっぱしの口を聞く。
「護衛はいたけど、今はいないのよ」
その短い私の返答で、正確に少年は事態を飲み込んだようだった。
「つまり、逃げられたのか? もしかして銭を持ち逃げされ、だからここで、路上で歌を歌って路銀を手に入れようとしているのか。デタラメだな」
……他にやれることがないんだから、放っておいてくれ。
銭をまとめて財布に入れ、その重さにとりあえずは満足して私はその場を離れた。離れていくのに、例の少年が付いてくる。
なんか、変なのにまとわりつかれるようになっちゃったな。
これが用心棒になりそうな、屈強で、命令に忠実なタイプの、細面で、すらりと背が高い、いかにも頼れる男ならいいのに。それが現実には、細っこい小柄な少年ときた。
お母さんのところへ帰りなさい。
そう言ってやろうと振り返ると、少年の表情にある露骨な険に、言葉はどこかへ行ってしまった。
「別に追いかけているわけじゃない」
少年の方からそう言ったが、実際には追いかけているじゃないか。
「変質者として、警ら隊に突き出してもいいのよ?」
強気を集められるだけ集めて、そう恫喝してみたが、慣れないことはするもんじゃない、少年の表情をより一層、険しくさせただけだった。
「これでも身分はしっかりしている」
おかしなことを言うじゃないか。
今の時代、大陸を統一したクエリスタ王国が崩壊した結果、大半の人は身分が固定されなくなった。
それはクエリスタ王国時代に身分制度、階級制度があったわけではなく、身分を保証するものが一つじゃなくなった、という簡単な理屈だった。
例えばどこかの公爵がその人に何らかの身分を与えても、離れた場所にある伯爵領でその身分は通用しない、ということがままある。逆に下手に身分を明かせば、何か裏があると思われて身の危険につながることもある。
勢力をまたいで活動する、例えば大規模な商人などは、比較的広い範囲で通用する身分証を持つが、目の前の少年が大商人とは思えない。
では、どんな身分があるのか。
「見せてもらえる?」
好奇心というのは恐ろしいものだ。ついさっきまで変質者扱いしていた相手の身分を、私は知ろうとしている。身分などどうでもよくて、走って逃げるべきなような気もしたが、もう遅い。
目の前で少年が懐から小さなメダルのようなものを出した。
「驚いた……」
メダルは金貨でも銀貨でもなく、傭兵会社であるガ・ウェイン傭兵社の紋章が透し彫りになっている。個人番号入りである。
仮にこの少年がどこかで盗んだとか、奪ったとかしてないとすると、この少年は傭兵であるらしい。
「これでもういいだろ。じゃあな」
メダルを懐に戻し、少年が歩き出し追い越そうとするのを「待って」と引き止めていた。
足を進めるのを停止させ、緩慢に、もったいぶったように少年がこちらに向き直った。
「なんだ? 警ら隊の詰所に行こう、とでも言うつもりか?」
私はめまぐるしく思考を回転させ、相手が信用できるかできないか、ほとんど瞬間的に判断した。
「あなたが良ければ、護衛としての仕事、引き受けてくれる?」
しかめっ面のまま、少年が口をゆがめる。
「銭のない奴に雇われるほど、間抜けじゃないぜ」
「銭は後で払える。これからゆかりのある人のところへ行くの」
「その誰かさんが料金を支払うって? 俺たちはそこまで安くないと思うがね」
それは、ガ・ウェイン傭兵社といえば、十二大手などと呼ばれる大きな組織だ。
しかしだからこそ、逆に信用できる。私からものを盗んだりしないだろうし。
しばらく二人で見つめ合う、ではなく、睨み合った結果、少年が肩を落とした。
「残念ながら、俺たちは今、仕事をしていない。休暇なんだ」
「そこをなんとか」
「俺とあと二人しかいないぜ。三人の護衛でいいなら、仲間と相談くらいはしてやる。もし駄目だとなっても、恨むなよ」
どうやら少し、いい方向へ転がったらしい。
「ありがとう。恩に着るわ。もう知っていると思うけど、私はマリナ。あなたの名前は?」
少年は、ランサ、とだけボソッと答えた。
この時の私はまだ、このとっつきづらい、つっけんどんな態度をとり続ける少年より、輪をかけてとっつきづらく、感情をまったく見せない少女の存在を知らなかった。
おそらくダメだろうな、などと繰り返し呟くランサについて行って、一軒の旅籠で私は彼の仲間と対面した。
一人はサリーンという名の背の高い女性で、もう一人はランサと同じくらいに小柄な少女だ。
名前はセラ。
この小さな少女が、頭領だという。
そのことを聞いた時、これは間違ったかなと思った。
思ったけど、笑顔を作ってお辞儀をした。
セラは反対に、笑いも何もせず、作られた仮面の顔、人形のような顔でこちらを見ていた。
(続く)
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