第148話 終末の鐘、或いは駆動する処刑刃。またの名をパノプティコンの歯車


 せめて砲撃が予期される角部屋ではなく、万一の際の流れ弾も少ない部屋に移動すべきだと促されてからのことだった。

 薄い月色の瞳のマーシュ――マーシェリーナがぽつりと漏らす。


「……ピアノはなさそうね」


 その言葉に、大統領や首相、その護衛が笑った。

 彼女なりの冗談と思われたのかもしれなかった。

 目を閉じ――……空の鍵盤の前に向かう。弦楽のためのアダージョ。或いは鎮魂歌レクイエム。K626.ニ短調『嘆きの聖母Lacrimosa』。ああ、即ちは――『怒りの日』の後に。

 それとも、『主よ憐れみ給え』と奏でるべきか。

 その、最後まで国家と国民の未来をばかり見続けて潰えた憐れな男のために。


 ヴェレル・クノイスト・ゾイストは、亡くなったのだろう。


 宇宙にはフレデリック・ハロルド・ブルーランプが。

 このレヴェリア市にはエコー・シュミット、サム・トールマン、エディス・ゴールズヘアが。

 保護高地都市ハイランド本土にはヘンリー・アイアンリングとゲルトルード・ブラックが。


 全てがコンラッド・アルジャーノン・マウスの私兵同然である特記戦力。それが、要所に配置されている。

 つまりはここで彼を殺し取り除けたとしても、それらの戦力を取り除くことができぬ以上は――ヴェレル・クノイスト・ゾイストは詰んでいるのだ。

 黒衣の七人ブラックパレード無き今、六機の特記戦力の暴走を呑み込んでコンラッドを殺害するのか。それとも大人しく自らの死を呑み込むのかは――……最早論ずる必要もないだろう。

 個々に駆動する独立した七人ではなく、一つの指揮官の下に集められた特記戦力の九人。それを軍は操縦可能と認識したが、誤りだ。それは多頭の竜ハイドラではなく、れっきとした一つの頭を持つ悪竜だ。一つの意思に動かされる――首を落とされてなお動く悪竜だ。

 その頭は、マーシェリーナに言った。


『君の役目は、ハンス・グリム・グッドフェローを戦場に立たせぬことだ。――――あの男は。その言葉が兵を鼓舞し、その奮戦は民衆に希望を与え、その意志は敵対者のことごとくを殲滅する。……ただ一人となろうとも、秩序の旗を掲げ続ける不屈の男』


 まるで己こそが彼の理解者であるかのように。

 同じ流星から分かたれた唯一無二の片割れであるかのように。


『ああ、人は彼をこう称するだろう。まさしく――極光の英雄。秩序の猟犬。あれこそが保護高地都市ハイランドの守護者だと。ふ、ふ……その評価の正誤はさておき、あの男を戦いの場に出すことは誤りなのだよ。何もかも御破算にされかねない。あれは、手合いだ』


 あたかも救いの主のように。終末装置のように。

 それとも――――言うべきだろうか。英雄譚の、たる騎士なのだと。

 ……ああ、莫迦らしい。

 ただ一人の人間が、そんな、争いの物語に終止符ピリオドを打つべき存在になるなど。


『くれぐれも気を付けることだ、御令嬢。……あの秩序の猟犬は隙を嗅ぎ分け、如何なるところからでも敵に喰らい付くのだから。向き合えば、断罪以外の結末はない』


 如何に彼を相手に敵対しないか――全てはそのためにあったと、己の頬に手を伸ばしたラッド・マウスの言葉。


 腕を組んだマーシェリーナは、窓の外を眺める。

 滅びの日ように業火が広がる市街。

 悪夢じみて黒煙が幾条も立ち昇り、その上を神話めいた巨人が飛び交う光景。

 そんな地獄の中にあっても――――人は彼に、救いの祈りを求めるのだろうか。


 ぎりと、歯を喰い縛る。


 やがて、終末を決定付ける鐘の音たる放送が開始された。



 ◇ ◆ ◇



 息も詰まるような曇天の下を、五人で進む。

 ふと、シンデレラが何かに気付いたように足を止める。

 それを眺めたレモニアが、頷いた。


「マートン。警戒をお願いします」

「あいあい、我らが救いの女神の御告げですからね」


 どうも――あの車両への襲撃を間一髪免れたのは、シンデレラの直感によるところらしい。動き出してからしばらく、彼女の判断のおかげで戦闘を回避できる場面が多くあった。危機察知能力という意味では、汎拡張的人間イグゼンプトの彼女は飛び抜けていた。

 そして、マートン・アップルツリーの林檎型のドローンが周囲の警戒のために飛翔し――


「不味いですね。民間人が、暴徒に襲われてるみたいです」


 そんな言葉に、皆が顔を見合わせる。

 この場で定めた臨時の交戦規定上は、戦闘を避けることを謳っていた。民間人を保護して護送することも不可能だと定義している。

 だが、


「大尉……」


 シンデレラが、何かを求めるような視線を向けてくる。

 おそらく他の皆も言葉を出さないにせよ、総意なのだろう。兵士として、ここで、民間人を見捨てることを厭う気持ちがある。


「……どうしますか? 正直、あまり猶予がありません」

「判断は、俺が?」

「当職は現場判断ですが、最先任は貴方です。グリム・グッドフェロー大尉殿」


 つまり、上手く手綱を取ることと――責任を取ること。それが自分の役目だと視線が集まってくる。

 なら――迷うことはない。いつだってそうだ。


「発砲せずに制圧可能なら、制圧を。爾後はビーコンを渡し待機させ、救助チームへの保護を呼びかける」

「了解であります、大尉殿」

「……俺は護送対象の筈だが」

「巻き込まれたのは皆でありますからな。責任の所在は明白にしないと」


 ニッとレモニアが笑う。こんな場だというのに、抜け目がないことだ。それとも、今後のために判断の主を明白にしてくれたということだろうか。

 やがて移動した瓦礫の影で――眼前に繰り広げられる醜悪な光景。

 幾人も撃ち抜かれた民間人たちの中で、女学生らしき少女たちを囲んだ十数人の男たち。思い思いに不揃いなライフルを掲げて、威圧するように取り囲んでいる。

 これから何が起こるかは明白だろう。


「弾道計算に、時間を」


 そう、レモニアが呟くと同時にその額に突き出した――二本の

 鬼や悪魔の持つようなそれは、アンテナか。

 現実離れした光景を眺めつつ、思った。弾道計算――弾道? 銃火器は使えぬと言ったのに?

 そして、すぐに答えは齎された。

 ひょいと瓦礫を跨いで向かった先で彼女が掴み上げた。プラスチック製の円盾ように軽々と片手で持ち上げた彼女は、頷きを一つ。


「ふむ。……ま、こんなもんでありますか――なっ!」


 豪風が巻き起こる。そう錯覚する。

 円盤めいて飛翔するマンホールの蓋が、五人の男の頭部を損壊して壁に反射して飛び回る。

 常軌を逸した制圧行動。

 そして、同時に暴徒の周囲で駆動した四つの林檎。


「リンゴちゃん、っと!」


 脊椎接続アーセナルリンクを介した電脳制御により、その果実はマートル・アップルツリーの手足のように飛び回る。それが、次々に男たちの顎を打ち抜いていく。プロボクサーのパンチめいて、瞬く間に数人を脳震盪で昏倒させた。

 こちらの攻撃に気付いた暴徒たちが、銃を向ける。

 だが、


「ドム!」

「ああ――――la:Dominicus吾等は御主に従順に


 浅黒い黒肌のドミニク・カスター・ラズベリーが呟く。それは、こちらが機体に設定した承認コードと同じか。

 サブマシンガンを構える彼の黒服の背中が、弾けた。

 そして――眼前で展開された翼翅ハネ

 鋭い半透明のそれは昆虫じみた天使の翅。天輪こそ持たない天使が、獰猛な笑みと共に引き金を引く。


 直後放たれた――弾丸。


 無音。

 振動するその翼翅が、逆位相の音波を生み出し激突させることで銃撃を無音化させていた。次々にマズルフラッシュが焚かれ薬莢が転がっていくのに、静寂に包まれたままという異様な光景。

 改造された手足が殺す反動は、一切のブレがないままの必発必中の射撃を導いた。連射する弾丸の一つ一つが的確に敵の喉元を撃ち抜き、完全に無駄弾なく奪われていく無数の命。

 驚くべき早業であり、銃声を伴わない鎮圧だった。


「すごい……」


 隣で呟くシンデレラと同じ感想だった。

 彼らはいずれも、国家の精鋭を集めた特殊部隊や突入部隊の出身。鋼の巨人が空を飛ぶ世界に赦された人型の最高暴力。大統領、首相、公爵という最大のVIPを守護するための最高戦力。

 驚嘆し、頼りに感じながらも……勝てるか、と分析する己が居た。常に。強者を見れば、殺意と共に観察してしまう人生の反射。猟犬の本能。


「む。そんな目をしないで欲しいでありますな、空軍大尉殿。……それとも可愛らしいお嬢さんがいるのに、当職をお誘いで?」


 角を生やしたままこちらに不敵に笑いかける長身のレモニア・ミスリル・ナイフリッジ。百九十センチに迫るその体躯は、こちらよりも目線一つ大きい。

 その長い手足――全てを機械化しているのだろう。

 その所属はどこであったのか――……白兵戦闘力という意味では、あのユーレ・グライフにも匹敵するだろう。

 まことしやかに傷痍兵を集めた完全機械化改造部隊がいると聞いたことがある。それは、間違いなく事実だろう。あの大戦の間に――衛星軌道都市サテライトは実行していた。ならば、こちらが行わないこともない筈だ。

 そして、助け出した少女たちの下に一塊に向かう。


「こちら、保護高地都市ハイランドの軍人だ。怪我はないか? それと、この中で最年長者は誰だろうか?」

「わ、私です……」


 歩み出たのは、気弱そうな黒髪の少女だった。

 彼女では難しいだろうか――。

 そう算段しつつ、集団を見回す。安堵する者、不安がる者、縋るように見る者、敵意を向ける者――……。

 武器やその主を憎んでいるか、それとも目の前の少女に何かを申し告げようとしたことを警戒したのか。丁度いいかもしれない。


「であれば、君が責任者で……あとはそこの二人も、こちらに来てもらえるか?」

「せ、責任者……? あの……」

「申し訳ないが、こちらも作戦行動中だ。ここで君たちの保護をすることができない。恐ろしいと思うが……以後の救援チームの到着まで、待機してほしい」


 その言葉に、少女たちから悲鳴が上がった。

 直ちに助け出されると信じていたのだろう。作戦に関わりない民間人の救助にはこの問題が付き纏う。即ちは、保護してくれと喰い下がる民間人と――速やかに行動をしたいと目線で訴える部下との板挟み。

 幸い、今回は部隊員の方向性が一致していた。そういう意味では気が楽だが……。


「たった今恐ろしい目に遭ったばかりで、心細いだろう。だが――……俺たちはこれから、この根本原因の対処を行わなければならない。まさに激戦地に飛び込んでいくことになる。……そこに君たちを連れて行くことはできないんだ。済まないが、理解を求める」


 そして、余計に不安そうになった少女たちの前で、一つ――強く頷いた。


「そこで、君たちにも協力を求めたい」

「協力……? 協力、ですか……? 私達に……?」

「ああ。協力してほしい」


 戦闘地域に取り残されるだけでも不安そうな彼女たちは、その申し出に身を凍らせて顔を見合わせていた。

 その中でも――やはり、指名した二人の少女はこちらに喰い付かんばかりの目を向けている。そのことを確認しながら、決断的に言った。


「負けないことだ。この恐怖に、負けないことだ。……自らの故郷がこうなっていることが、恐ろしいだろう。戦場が、恐ろしいだろう。だが……呑まれてはならない。立ち向かうんだ。心の中で。こんな暴挙を赦しはしないと――こんな暴挙に屈しはしないと。この国は、そうして、あの戦争にも勝利した」

「暴挙、に……」

「必ずだ。必ずこの騒動を収める。そこから先に、様々な苦難が訪れるだろう。……だが、負けずに立て直すんだ。絶対にこんなものなどに、君たちの尊い人生を奪われてはならない。それこそが俺たちが護るべきで、君たちが守るべき唯一のものなのだ。――――屈するな。屈せずに、生き抜くんだ」


 少女たちの肩を叩き、強く頷く。

 言いながら――……本当に、随分と熟れてしまったものだと思っていた。何一つ、嘘の気持ちはない。しかしそれを自分はいつしか、意図的に使えるようになった。効果的に。どうすれば、効率的に使えてしまうかまでも分かってしまうようになった面がある。

 今も、戦場に置き去りにされる不安を抱えていた少女たちは――いつしかそのことを忘れ、その後のことだけを考えるようになっていた。問題点を、立ち向かうべき敵をその向こうに定めることで、現在の恐怖を通過点にした。

 そのことに……薄汚れたような気持ちになる。


「こちらで、安全そうな建物に目処をつける。そこで救助を待ってくれ。……くれぐれも、ただ待つことは恐ろしいだろう。だが、その恐怖に負けずに助けを待つんだ。君たちの戦いは、それからだ。俺たちは――君たちへの救助をすぐに出せるように、これから基地に向かう」


 レモニアに目を向ければ、スモークグレネードが差し出された。恐ろしいだろうが、何か武器を差し出されたということがお守り代わりにもなる。他に、たった今殺した男たちから集めた銃もあるが……それを直接手渡しはしなかった。アップルツリーが目星をつけた避難用の建物の中に運び込み、安置していく。最悪の場合に――……彼女たち自身で、その先を決められるように。


「俺は、第五五五強襲猟兵大隊のハンス・グリム・グッドフェロー大尉だ。……俺の仕事は、アーセナル・コマンドを使用することにある。そのためにも、今しばらく、君たちの勇敢なる献身を――どうか俺に力を貸してほしい。この街を取り戻すために。皆の力を、俺に貸してくれ」


 そう言えば集団は顔を見合わせて僅かにざわつき、やがて、決意を秘めた目で少女たちが頷き返した。


「あの……グ、グッドフェロー大尉さん……」

「なんだろうか。まだ、何か不安が? それとも負傷者が? 医療キットは残していくが――」

「必ず……必ず助けに来てください……私たち、大尉さんのことを待ってます……。貴方のことを、信じます……」

「……ああ」

「た、大尉さんたちも気を付けてくださいね……」

「感謝する。……勇敢なるレディたち。どうか、名前を。ご家族が保護されていたら、俺から伝える」


 そして、手元に残ったメモ。会話を終えて目を閉じる。

 ……ああ。今すぐにでも彼女たちのすべてを救うだけの力があれば、良かったのに。こんな――何ひとつも力になれない言葉での慰めなどではなく。

 いつだってそうだ。力が足りない。自分の手は届かず、何ひとつも成し得ない。何ひとつ救えない。そうして取り零してしまう。守りきることもできずに、人を戦いに出してしまう。自分以外なら――例えばあの不慮の自殺を遂げたマクレガー大尉や引退してしまったイレーヌ・パースリーワース大隊長なら、きっともっと上手くできたかもしれないのに。……何故、ここにいるのが自分なのだ。こんな自分でしかないのだ。

 目の前の、レモニアの誘導で建物に入っていく彼女たちを見送りながら思う。俺以外なら――もっと違う良い形の決着もできただろうに。一礼していく彼女たちに、忸怩たる思いが湧いてくる。


「……」


 考えながら、助けた民間人の少女たちを宥めて建物に促す隣の小柄な少女を見た。

 彼女もまた、生き残るために相応な機械化がされたのだろう。そう思うと、やはり申し訳なくなった。今更悔いはしないとしても。


「大尉?」


 その伺うような視線に、何でもないと首を振り返す。

 機械化――か。

 そう考えれば、彼女が強大なアーク・フォートレスを撃破したというのにもある種の納得が行った。勿論、それだけでできるほど容易くはない偉業であるが――……駆動者リンカーに関しても、機械改造を行うというプランは軍に存在していたのだ。人道的な面と性能的な面から先送りになったが、生身の人間よりも効率的で隔絶的な機動を行える。事実として、シミュレーションのスコア上は撃墜数上位陣ダブルオーナンバーズに及ばないにしろ迫る数値を出したものがあったとも聞いた。


 ……ただし、結局はそれも正式には見送られた。


 脊椎接続アーセナルリンクの弊害だ。ただの肉体とアーセナル・コマンドを繋げるだけでも自分のあの初期化コマンドやシンデレラのような低身長化の問題などを孕むというのに、を接続してしまうのは大きな問題だった。

 アーセナル・コマンド側に引き摺られる――……もし完全なる機械化改造によって戦場に出るものが居たら、機体に攻撃を受けるたびに連動で操縦者が壊れてしまうリスクやサイバネ装備の誤作動リスク、起動と終了のたびに無意識にサイバネ装備がオンオフされるリスクも伴った危険なものとなるだろう。その強力さの反面、継続戦闘能力としては最低に近いと言っていい。精神的な面にも強い影響が出るという話もあった。


(……そう思うと。シンデレラがあのような最期を迎えてしまったことも、無縁ではないのかもしれない)


 何もかも擦り減らしてしまった果てに、極光のあちらに飛んでいってしまった金髪の少女。

 それは汎拡張的人間イグゼンプトが故に齎されたしまった結末かと思っていたが――ともすれば異なるか。少なくとも、今思うとそれだけではあるまい。精神疾患を発症し、暴走のままに離脱した衛星軌道都市サテライトの機械化改造強襲猟兵部隊がいるとも聞いていた。

 この娘を、これ以上戦場に立たせるべきではない。

 ……まあ、もう立つこともないだろうが。法廷での決着を望むなら、彼女がアーセナル・コマンドを駆ることもない。このまま保護されて、しばらく監視下での生活になるだけだ。それで戦場から離れられる。


「どうかしましたか?」


 やがて民間人の収容を終えて小首を傾げる少女へ、軽く頷き返す。


「君を守りたいと、思っただけだ」

「なっ――」


 赤面するか。

 そういえば、そう慌てる様子も実は可愛らしいと思っていたな――なんて考えつつ、


「……なら、わたしと一緒ですね。わたしも、大尉のこと、守りたいですから」

「そうか」

「む。……大尉、一言足りませんよ?」

「面映いような、物寂しいような気持ちだ。光栄でもあるし、君が今俺の隣にいてくれることの嬉しさもある。二度と離れたくないし、君と共に帰りたい。強く抱き締めたいというのを言語化すればこうもなろうか」

「抱きっ――!? こ、今度は多過ぎます! み、皆いるのに! 人前で、そういうことっ!」

「……そうか」


 頬を赤らめて早足で歩き出した彼女の背中を見ると目尻が下がってしまう。こんな状況であるというのに呑気なものだ、と我ながら思った。自分らしくもない。いや、或いは、既に闘争の環境に適応してしまったために奇妙な心の余裕が出たのか。

 駆動者リンカーの自分たちとしては、ここは駆動者リンカーとしての戦場ではない。彼女の離反からずっと戦いの場で巡り合わないことは幸福だったが、どうにもこんな騒動の中ばかりなのは何となく宿命的なものを感じてしまう。

 そういう意味で、今回に関しては運が良かった。

 もし己が都市の防衛に駆り出されてしまっていた場合、こんな形で騒動が発展してしまった現況では、下手をすれば彼女のような非正規戦力との戦闘も発生しうる状況であり――


「……待て。シンデレラ。君も、マーシュに呼ばれたのか?」

「えっと、はい。……それがどうかしたんですか?」

「いや……」


 口を噤む。

 既にアララト山の噴火によって起きた危機的な状況だ。

 旧交を温めたい――と思うことはあるにせよ、こんな状況で自分という戦力を現場から離してしまうリスクを考えられないほど彼女も子供ではあるまい。

 てっきり、リーゼ・バーウッドに対する懸念のために呼び付けられたかと思ったが……だとしたらシンデレラではなく、スパロウ空軍中将こそが適任だ。

 そうなれば、


(マーシュ・ペルシネット。……俺と彼女を呼んだのは、本当に偶然か?)


 無意識に、戦灰グラナータの握把を握り締めていた。

 もし彼女がこの騒動に何らかの形で関わっているとするなら、は――――――。


(……よそう。ここでそうしても、意味がない)


 手を離し、吐息を漏らす。

 身を屈めて遮蔽物に隠れながら沿っていくような歩きの中で、先鋒のアップルツリーが止めるように手を上げた。

 また、敵か。

 それにしては彼にも戸惑いがあると思っていれば――やがて通りのあちらに現れたのは、二足歩行の大型昆虫じみた集団だった。

 強化外骨格エキゾスケルトン――……黒とオレンジを基調とした蜂の警戒色めいたそのカラーリングは、【フィッチャーの鳥】のものだろうか。

 アップルツリーと彼らの間で超短波通信が行われ、そして、


「……ハンス・グリム・グッドフェロー大尉ですね。探しましたよ。無事でよかった」

「貴官らは?」

「貴方の護衛に。……この会談を利用して、貴方の排除を行う者が出るかもしれないという話がありましたので。護衛チームが割り当てられていました」

「そうか。……助かった。そちらのルートの安全は確保されているのか? 良ければ、基地周辺の状況なども――」


 これなら、想定よりも早く帰還できる。

 そう考えた、瞬間だった。

 彼らの装備を通じて流れる無線――――大規模。広域指定かつ非暗号通信の緊急無線。

 その内容は、衝撃的なものだった。


『都市部に接近する【フィッチャーの鳥】へ告ぐ。直ちに接近を取り止め、待機したまえ。ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将が殺害された。繰り返す。ゾイスト特務大将が何者かに殺害された。現況は混乱の中にある。どうか待機し、自制ある行動を――――』


 ラッド・マウス大佐の声が、唐突に途切れた。

 襲撃……と見るには、銃声がしなかった。となれば、機材の不具合や電波の混線と見るべきだろうか。噴煙に含まれたガンジリウムにでも起きたか?

 だが、


「どういうことだ……!?」

「【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】か……!?」

「通信が、繋がらない……! 衛星に何かあったのか?」

「おい、司令部! 今のは一体どういうことだ……!」


 ざわつく強化外骨格エキゾスケルトンの二個分隊。

 状況は――……どうも、更に最悪に目掛けて進んでしまったらしかった。


 雨が降る。

 灰を含んだ、雨が。



 ◇ ◆ ◇



 駆動者リンカースーツに身を包んで、獅子の如き金髪を棚引かせる偉丈夫がシェルターを歩く。

 ボリボリと、片目にできた海賊傷を掻く。

 トラックの通過も可能なほどの直径を持つコンクリートの通路。予てから進められていた地下への軍事的な輸送網や避難網は、まだ完成には至っていない。これはそんな区画の一つだ。


「……さて、と」


 そんな中の大仰な鋼鉄の防火壁が持ち上がっていく先に膝を付いた――三体の機体。

 大口径と高火力で武装した、無数の金の髪を棚引かせる銅色に輝く重火力の戦鬼騎士。

 直立歩行する青い薔薇じみた長身の異形騎士。

 そして、漆黒のフードロングコートを纏った粛清騎士。


 純白の装甲を持つ【ホワイトスネイク】は、そのコートの裾たるテールスラスターはコマンド・リンクス同様の加速器であるが、それ以外に飾り気なく、この機体に関してはとにかく誤作動の低減と安定性だけを目的にした専用機だ。量産機と読んでも差し支えない。

 その主はここには居らず、彼らの指揮官の護衛を努めている。そんな防御を突破できるのは、ロビン・ダンスフィードやヘイゼル・ホーリーホック。マレーン・ブレンネッセルかハンス・グリム・グッドフェローぐらいであろう。絶対的な殺戮権じみた実力以外は、跳ね除けられる。

 いるのは、一人だ。

 額に傷を持つ禿頭の青年が一人、ヘルメットを小脇に抱えて機体の前に佇んでいる。


「それじゃあ――準備は大丈夫か、サム?」

「俺は、問題ない。問題ないが……ゴールズヘア教官……その、これは……」


 躊躇が見えた。

 特にあの会談にて、全世界に名指しでメイジー・ブランシェットの暗殺に関わったと明かされてしまったのが、堪えたのだろうか。無理もないと言えた。

 代わってやりたいし、休ませてやりたいところだったが――


「終わらせるんだ、俺たちで。あの星をぶっ壊す。そう約束したんだろう?」

「だ、が……ゾイスト特務大将までは……それに、こんな暴動が起こるとは……」

「サム。……悪いことは言わない。余計な考えは捨てるんだ。…………いいな? それだけでしかない。それだけでしかないんだ」

「きょ、教官……」


 事実――口にするエディスも、呑み込みきれない面があった。最終目標は【B7R】――人類が新たに手にした宇宙の大地にして、侵略者。外宇宙からの到達者であり、鉱物にして生物である思考体。四百五十八億光年のあちらの彼方より来たるもの。

 それを破壊する。そのためにも、ここで【フィッチャーの鳥】の掌握と戦役が集結しないことが求められた。

 何かしらの騒動は起きると踏んでいたが――それがここまで果断なものになるとは、思わなかった。

 暴動は、大佐の直接工作ではあるまい。あの男は、そんな判りやすいリスクを侵さない。

 ただ――現状の打破か、秩序への不信や改正を求める心を刺激した。或いはウィルヘルミナがその能力で煽動したこともあり得るが、全て、結局は大元で絵図を描いて意図を引いたのはコンラッド・アルジャーノン・マウスであろう。そらぐらいはやってのける男だった。


「サム・トールマン。俺たちはなんだ? お前の使命はなんだ? この国の安全と秩序を保つことだ。そうだろ?」

「……」

「大佐が支持を集められたなら、心配はない。俺たちは神輿を担ぐだけだ。だが――……それにちィと足りなかったときは、も公表しなければならなくなる。そうなったら、どうなる? あの戦争で汚染された地域……生まれつき銀髪の人間……この兵器の搭乗者……そういうのも一切合切、一纏めに扱われる。分断と対立も最悪だが、結束と対立も最悪だ。あの戦争はそうやって起きたんだ」


 努めて、そう、言い聞かせる。

 そうなった際には――エディス・ゴールズヘア自身の戦う意味ですら、脅かされてしまうのだから。


「やるしかねえのさ。ボスは、とっくのとうに生き方を決めてやがる。あの男は、やると言ったらやる。その前に俺たちの方で大義名分を固めとかなきゃならねえ。……俺たちが、コンラッド・アルジャーノンの安全装置ストッパーなんだ」

「……あ、ああ。問題ない。……問題は、ない」

「オーケー、サム。……いい子だグッボーイ


 その肩を叩きながら、内心で吐息を漏らした。

 悪い形ではない。少なくとも、悪い形ではない。

 コンラッド・アルジャーノン・マウスに追い詰められたウィルヘルミナ・テーラーは何かしらの騒動を起こすだろう。エーデンゲートで取引が行われるという話だったが、きっとそれだけに留まらない。

 あの女が、【蜜蜂の女王ビーシーズ】が何かをやるのならまだ【フィッチャーの鳥】は大義名分を得られる。その中で、【B7R】を破壊することへの正当性も獲得できる。

 予定通りではあるのだ。

 ここまでは全て、コンラッド・アルジャーノン・マウスが描いたその通りに世界は動いている。あの忌まわしい星を破壊するまで、おぞましい寄生体の根本を葬るまであと一歩のところに来ているのだ。


「流れを確認するぜ」


 深く息を絞って、エディスは続けた。


「大佐は理性ある静止を呼びかけたが、その静止も聞かずに戦いは起きた。これに乗じてアイツら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】まで動き出すことになる。大統領と首相と公爵がいるこの街で莫迦デカい衝突になっちまったそこを俺たちが颯爽と収めて、かつ大佐は自ら、その言に従わなかった者たちの分まで寛大な措置を願い出る――――それであの男の王国の完成だ。わかったなユー・コピー?」

「ア……了解したアイ・コピー


 この会談の始まりから暖気状態で待機させていた二機のアーセナル・コマンドに乗り込む。

 人頭花めいた【ルースター】と、戦場の闘争が鋭角に固まったかのような【ジ・オーガ】。

 なるべく速やかに――――可能な限り民衆への被害を少なく終わらせる。エディスにできることは、それしかなかった。



 ◇ ◆ ◇



 退避した先の建物の二階で、シンデレラの身体は宙を舞った。金髪が靡き、コンクリートの壁に背中をぶつけられる。


「お前……何か知っているのか! 吐け! 手前らは何を企んでやがった!」


 激高した強化外骨格エキゾスケルトンの男の一人が、シンデレラの両腕を頭上に抑えながら声を上げた。

 何度行っても繋がらない衛星通信に彼らの理性は削られていき、そして、その果てがこれだった。

 手洗いのために離れた廊下で、数人に取り囲まれた。そのまま、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】という対立組織を前にした彼らは、強硬な尋問に移行した。

 いや、それは果たして、尋問で済むのだろうか。


「へえ……?」


 激高して抑えつける男以外の一人が、胸を張らせられるように壁に押し付けられたシンデレラの身体を眺めて意味深に呟いた。

 駆動者リンカースーツの張り付くような繊維越しに強調されたシンデレラの肢体。今まで人生で幾度と向けられたことのある捕食者じみた視線。

 彼らは混乱の中にあり、正気が削られて暴力衝動に満ちている。それが別種のものに変わらないと思うには、あまりにも危機感がない。

 そんなとき、だった。


「その手を離せ」

「ですがねグッドフェロー大尉殿、コイツらは反体制派の――」

「二度も言わせるな。


 廊下のあちらから来た規則正しい足音。有無を言わせぬ刃の如き蒼き双眸。

 静かに――しかし不動の殺気が充満する。

 不定形の猟犬が服の下にまで潜り込み、喉元にまさに牙を突き立てんとしているように。

 直接向けられていないシンデレラでさえ、背中の痛みを忘れるほどに肌が凍り付いたのだ。数多の戦場の殺意を人間大に凝縮したかの如き圧力。極寒の冷気めいて放たれるそれに身体は強張り、呼吸が浅く加速するほどに吐息の自由を奪われ、強烈な重力に組み敷かれるように彼の視線の先の強化外骨格エキゾスケルトンの兵士たちは及び腰に下がっていく。


 死の化身。

 その歩みですら、殺人を感じさせる無二の暴力。

 最強の猟犬。


「ア、アンタはどっちの味方なんだ……!」


 シンデレラの腕を抑えた粗暴な兵士が、浅く加速する呼吸の中でかろうじて叫び返す。いや、叫び返さなければ、声も出せないような圧迫感。焼かれつつ凍てついていくような極低温の奈落の炎。

 しかし、彼は僅かにも視線を外そうとはしなかった。

 刃じみた瞳が睥睨する。


「俺は。……ここで余計な時間を使うことは、今まさに襲撃の被害に遭う民衆と国家の中枢に対する深刻なる攻撃と認識せよ」


 それを改めねば、容赦なく喰らい殺すという冷徹な蒼い猟犬の瞳。その線を誤った途端に、黒猟犬の牙は突き立てられる。


「そして……冷静になるんだ。考えればわかるだろう。彼ら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】自身の貴重な戦力一人がこの混乱に巻き込まれる状況で、行動を起こすことは不合理極まりない。現時点で彼女らに関する疑念は、何も、確実なる証拠を意味しない」

「それを確実にするために、尋問すると言ってるんだ」

「この状況で? 先程の放送が、何かの欺瞞でない証拠がどこにある? すべきは速やかに基地に到達し、この騒動を終わらせて国家の判断を仰ぐことだ。真実を明らかにするのは断じて戦場ではない。……落ち着いてくれ。今の貴官の行動は、全てそれに反していると自覚はあるか?」


 その問いかけに、重圧が僅かに解かれたその問いに、シンデレラを捕まえているのとは別の兵士が口を開いた。二足歩行の昆虫じみたマスクの中で、どんな顔をしているのだろうか。


「空軍大尉殿。……俺たちは、内閣府令第35647号に指定される法令によって、スパイ等の防止措置を行える。公安機能を持ってるんだ。……ここで尋問して、何か問題でもあるんですかね?」

「ある。繰り返させるな」


 見れば思わずぎょっとするような、そんな無機質な昆虫の仮面を前にも彼は譲らない。


「彼女は貴重な証人だ。ここで手を出すことは罷りならない。……法廷で全てを決するのは、あの会談が中断されるよりも先に示された方針だろう。【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に関しての取り扱いは慎重になるべきだ」


 怯えることなく――正面から論を説く。

 そんな黒髪の軍人を前に、


「証人……証人ね」


 一歩踏み出していた兵士が、意味深に呟いた。

 それを聞いていたのは、シンデレラだけだったのかもしれない。カチリと、何かの音が鳴った。何か通信機を起動するような音が。

 そして入れ替わりに、シンデレラの腕を掴み上げた男が口を開いた。


「……この女は、アンタの元・部下でしたな」

「それがどうした」

「どうした? アンタの言葉はこの女かわいさに出たって思われても仕方ないと言ってるんだよ。ああ、それともアンタ――とっくの昔に【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】のスパイだったのか? このガキの身体に籠絡でもされてるかもしれねえな。ええっ?」

「そんな事実はない。侮辱をやめろ。……繰り返すが、戦場の外で行うんだ。速やかにこの騒動を終わらせ、その後に俺への査問や尋問を行えばいい。逃げも隠れもしない。それは、今行うべきではないんだ。まず考えるべきはこの騒動を鎮圧することだ。……理解してくれ」


 その説得に、粗暴そうな声の男は叫び上げた。


「ふざけんじゃねえぞ。……大将を殺したのが国じゃねえって保証がどこにある! おまけに状況的に手前は怪しすぎるだろうが! ええっ! なんでこんな街で、このガキと一緒に居やがった!」

「パースリーワース公爵からの呼び出しの最中、暴動に巻き込まれた。……その事実関係も、後ほど幾らでも立証されるだろう。繰り返すが、そのためにもこの騒動を収める必要がある。貴官が行うべきは無意味な疑心暗鬼と無価値な暴言ではなく、俺たちを基地まで護送することだ」


 二人の強化外骨格エキゾスケルトンの兵士を前に、カーキ色のフライトジャケットと駆動者リンカースーツに身を包んだだけの生身の青年が向かい合う。

 明らかなる不利であるというのに、揺るぎもしない。

 その両足は大樹の如く床に立ち、そのアイスブルーの瞳は決して折れぬ御旗の旗手のように真っ直ぐに前を見る。

 気圧されたのは、人智を超えた機械の鎧に身を包んだ側だった。


「ここを離れた先で、俺たちを襲撃するかもしれねえだろうが! 手前がそれを意図してねえって証拠がどこにある! このガキをひん剥いて口を割らせるのが先だ!」

「……移動ルートを定めるのは貴官らだとしてもか? それで行える襲撃があるだろうか?」

「つ、通信すりゃあいいだろうが!」

「……今の、この通信が乱れた都市で? 落ち着くんだ。貴官の懸念には説明が付く。深呼吸をしろ。どうか、落ち着いてくれ」

「っ――――」


 理路整然と。

 この人は、どこまでもそう動く。

 それを遮るように、もう一人の機械昆虫が口を開いた。


「なあ、空軍大尉殿。……自分たちの組織が国から尻尾切りに遭うかもしれないと判って、従う理由はどこにありますかね?」

「貴官の宣誓にある。国家と市民に奉仕するとあの旗に誓ったなら、貴官らはその行動においても契約の通りに果たされるべきだ。それに不服な場合、法的な解決を実行すべきだ。……その際は、貴官らの献身が疑いないなら、俺も微力ながらに力になると約束する」


 淡々と話されるその言葉も、きっと本気だ。

 本気で、力になろうと思っている瞳だ。

 だけど――――


「上等ですね、サー・グリム・グッドフェロー。騎士野郎が……なあ、俺たちが潔白だと思ってるのか?」

「……」

「汚れ役をさせられて、挙げ句に消されるだと? ふざけんじゃねえぞ。俺たちは犬じゃねえ。人間なんだ」


 彼らには響かない。

 いや、違う。

 そうされても助けられないようなことをやっていると、彼らの内に自覚があるのだ。


 もう、きっと先程の言葉で腹は据わってしまった。

 ああ――……シンデレラが不都合だと。あの会談が不都合だと。証人や証拠を消せば助かると、そんな悪なる考えに囚われてしまった。

 おそらくこの問答は、残る兵士たちを展開させるための問答だ。時間稼ぎの問答だ。彼らは、もう、シンデレラやそれに関わる人間を消そうと――殆ど決意を固めている。


 そう伝えたかったが――口を開けなかった。

 今のこの状況は、まさに爆発しそうな爆弾を前にしているのと同じだ。シンデレラの余計な言葉が、何を踏み抜くか判らない。

 そして、目の前の人の説得を無駄にしたくない。

 この人はまだ、踏み止まろうとしている。いつも通りに。危険なのに。最後まで、その旗の理念に寄り添おうとしている。


「人間だと言うなら、理性を証明しろ。……繰り返すが、落ち着いてくれ。今のこの場で貴官の取る行動では、明らかになる真実もない。潔白を訴えたいなら、まず、何においてもこの騒動を沈静化すべきだ。既に大統領と首相と公爵が危機にある。この街の市民も、今もまさに保護を待っているんだ。……彼らの速やかなる救出が最優先だろう」


 努めて落ち着いた声色で続ける彼に返されたのは、傲慢と恐慌に満ちた嘲笑だった。


「そうまでアンタを誑し込むぐらいにこのガキは具合がよかったのか? なあ? これだけ小さけりゃ、随分と締まりが良さそうですモンなあ? あやかりたいぐらいだ」

「……見逃せない侮辱は取りやめろ。そして繰り返すが、この真相が明らかにならぬ無意味な問答をやめ、速やかに基地への合流を果たせ。こうしている間にも、騒動は激化するばかりだ。民間人も、戦友も、今まさに助けを求めている。……落ち着くんだ。兵士として行うべきは、その決着だろう?」

「結局のところ、コイツが可愛くてそう言ってるんだろう、アンタは。……いいよなあ! 何にも裁かれもしねえ立場は! お綺麗で! 好き勝手に中立ヅラができて! 手前は、危機感もなくそこにいるだけだ! こっちは、国から殺されるかもしれねえってのに!」

「……」


 やがて――僅かにシンデレラの腕を掴み上げる外骨格の兵士を悼むようだった彼の蒼白の瞳が鋭さを増した。

 嗅覚。

 猟犬としての嗅覚だ。

 彼は今、心から説得を行おうとすると共に――を組み立て始めていた。

 窓の外を、チラリと林檎がよぎった。それに気付かないようにしながら、彼は続けた。或いは、それにも聞かせるかの如くに。


「冷静になってくれ。貴官には、僅かに精神的な錯乱が見られる。……その装備の着用中はバイタルデータも記録される。それでは捜査官としての能力に疑義を問われる。つまり、この時点で、貴官からの尋問はと理解できるか?」

「あ?」

「そして……【フィッチャーの鳥】だけではない。無論ながら彼女たち【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】もまた同様にその在り方を問われるのだ。……法廷に辿り着けばどうなるかなど、現時点では問いようがない。つまり、ここで俺が彼女を庇ったとしても彼女が何の罪にも問われないという保証がない。……その時点で貴官の論理には瑕疵がある」


 相手に言い聞かせようとする噛み含めるような声色と共に、彼は言う。


「もう一点。俺が裁かれないのは当然の話だ。俺は国家の法と命令の定めるところにより、それに逸脱した行動をとっていない。……貴官も兵士として行動を行ったと言うのであれば、何故そうも怯える? 貴官の言葉が示していただろう――内閣府令第35647号に従った行動だと。案ずるな……ならば、その権限のうちにある行為に関しての責任は国家に帰結する。それを逸脱した処分は不可能だ。落ち着くんだ」

「……っ、だから――じゃあ! だったらなんで特務大将が殺されてるんだよ! 消しにかかってるだろうが!」


 時間稼ぎの問答でありながら、それは、シンデレラの腕を拘束する彼の本音でもあるのだろう。

 それを悼むように見詰めて――黒髪の青年が、相手を刺激しないように、努めて平静に口を開いた。


「繰り返させるな。あの通信の正誤も不確かであり、真実も不明だ。……特務大将の死は、俺も、残念だが……何が彼を殺したのかは判っていない。この暴動――襲撃による死である可能性が非常に高い。それをまず明らかにするためにも……貴官らの指揮官の死を正しく読み解き、その無念を晴らすためにも……そしてそんな刃が首相たちにも向けられる危険を除くためにも、今行うべきは速やかな基地への帰還なんだ」


 どこまでも論理と理性に基づいた言葉。

 おそらく、周囲に展開する兵士の気配に気付いていように――それでも彼は、繰り返し続けた。


「落ち着け。……疑いない献身なら、最後までその義務を果たせ。貴官はここで、国家と市民の家が焼け落ちるのを見るために兵士になったのか?」

「国より先に……俺たちだって話をしてるんですよ、空軍大尉殿。アンタには判りませんかね? 国が死ねって言ったら死ぬのか? 裁判で俺たちが裁かれるって、殺されるかもしれねえのに従えってのか?」

「そうならないように行動をしているし――」


 続けて、


「究極的にはであり、だろう。……心情として生存権の主張は認めるが――俺たちはまず国の指示で戦地に赴く生き方を選んだ筈だ。そして裁判で命を奪われることも理解して人権の一部を国家に差し出し、代わりの庇護を享受した筈だ。


 理性ある賢者のような言葉。

 狂気的に激高する感情を前に、それでも、一つの機構のように繰り出される冷静な言葉。

 その瞳は、そのまま問いかける。


「貴官は既に公安警察として幾人も裁判所の下に人員を導いたのではないのか? その時何を考えた? 国家の名の下に、法の名の下に死を導いたなら――……今、それが巡ってきただろう。何故、そこでそうも怯える? 己が通した道理に従う気はないのか? その法理を受け入れていたのだろう? 法治国家の番犬であったなら、等しく、法の名の下に己の潔白を問え」


 正気を。

 論理を。

 一貫性を。

 ああ――――何一つも曇らない、刃の如き瞳で。


「……何にせよ、真相を明らかにすべきだ。それはここでこうして、互いに言葉の刃を向け合い続けることではないだろう? 貴官が宣誓した際の、その理念を思い出してくれ。……こうするために、兵士になったのか? 貴官が捧げる献身の行方が、祈りの行方が、それでいいのか? 今もこの街の人々は助けを待っている。それを置き去りにしていいのか?」


 お前も人間だろう――と、どこか祈るような目。

 正気を問いかけ、正気で在り続ける目。

 相手を対等に、理性ある一人の人間として扱う目。


 ああ――だからこそ、感情と狂気から覚まされようとするその目が、きっと、恐ろしくなるのだ。人は。


 幻想を奪われようとすることが。

 衝動を冷まされようとすることが。

 闘争の場にいるのに、狂騒という唯一の鎧を剥がされてしまうことが。剥き出しの生身にされてしまうことが。

 きっと今、シンデレラを掴まえる男は時間稼ぎという考えも忘れていた。ハンス・グリム・グッドフェローという問いかけと答えに呑まれていた。だからこそ、より感情的に加速していく。尖鋭に。


「っ……だから、その真相が――――その真相が明らかにされたら困るって話をしてるんだろうが! 俺たちがどれだけのことをしてきたと思ってるんだ! だからこんな形で切り捨てに来たんだよ!」


 叫ぶ男へ、慈悲を向けた視線と同じ口のまま――彼は言う。


「……そうされることをしてきたと言うなら、貴官は裁かれるべきだろうな。それすらも拒絶したいと言うのは身勝手な傲慢に過ぎない。その行為に及ぶ前に、まず己が咎を考えなかったのか? 何故、執行者が法を逸脱して許されると思った? 如何なる理屈で人々を処刑台に送った? その天秤は、一体どこにある?」

「うるせえんだよ、女にうつつを抜かしてる色ボケ野郎が! このメスガキのスパイの穴に誑かされやがって! ロリコンのクソ野郎が!」


 無礼な言葉を聞きながら――思った。

 冷えついたアイスブルーの瞳。彼は、親しいシンデレラのためにここまでのことをしたのだろうか。

 いや、違う。

 誰が相手でも同じことをする。そのことが恐ろしくもあり――――誇らしくもあった。しかし、今、恐ろしさは余計に膨れ上がろうとしていた。

 冷静な瞳が、更に凍り付いていく。


「そんな事実はないし……彼女が全くの他人でも、俺が貴官にする行動に変わりはない。三度目はない。

「っ……」

「……彼女は証人であり、決着は法廷で行われる。そして今行うべきは、基地への帰還だ。それ以上は、法的な合理性なく行使される深刻な秩序への毀損と認識し――この街の民間人、政府の要人、市街地保護に対する。冷静になるんだ……どうか、冷静に」


 今やもう、ここに、


「……お利口な選択肢をやるぜ、空軍大尉殿。コイツへの取り調べが終わるまで、アンタはドアの外で聞き耳立てて待ってるんだ。そうすれば俺たちの援護でアンタはすぐに基地に帰れる。秩序の味方だってんなら、それが一番いい選択肢だろう? それを蹴るのは、アンタがこのガキに個人的な感情を持ってることへの証明だ。そんなアンタの言葉なんて、同じく信用ができないって判るか?」

「その時間も惜しいし、貴官らが居らずとも帰隊は実行できていた。余計な対価を求める協力は不要だ。……貴官らは現状で不利益しか齎していない。速やかなる帰隊に協力せよ」


 それはきっと、互いに最後通牒だった。


「っ、もういい! コイツを黙らせろ! ここじゃ、誰にどう殺されたかなんてわからねえ! 撃て! さっさとミンチに――――」


 その言葉に隣の兵士のライフルの銃口が動く。

 廊下の逆側からも、回り込んだ兵士が現れた。

 だが、言い終わるか、否か。


「――――――」


 轟く轟音。頭部を撃ち抜かれた背後の男。シンデレラの頭上で、真っ赤に頭部が弾け飛んだ。ライフルを掲げた隣の男の頭も、弾け飛んだ。

 

 見えなかった。振り下ろされた。処刑の刃が。応報の剣が。秩序の女神の剣が、抜き放たれた。容赦なく、慈悲なく。躊躇いなく。彼は、兵士として駆動した。秩序の――猟犬として。

 さっきまで悼んでいた相手を、公正に殺害した。


 その瞬間に、弾けるように彼は動いていた。

 シンデレラを掴んだままの死体を盾に射線を切って――一方からの弾丸を躱し、振り返りざまに瞬く間の応射で回り込んだ兵士の頭部を撃ち抜いていく。強化外骨格エキゾスケルトンたちを。二足歩行する殺戮昆虫たちを、次々に。

 先程のドミニクも顔負けの、完全駆動する殺戮兵器。猟犬。秩序の猟犬。無比の鉄剣。

 更にその手から放られるスモークグレネード。会話の間に用意していたのは、彼も同じか。徹底的に容赦なく、徹底的に呵責ない。流れるようなリロードとマズルフラッシュ。人型の死の猟犬がフライトジャケットを棚引かせて、一陣の風のように砲炎と鉄礫を炸裂させながら囲みを喰い破る。


「往くぞ、シンデレラ!」


 窓に足をかけながら差し出されるその手は、冷えついたように恐ろしき死神の手で――


「っ、――はいっ!」


 だけども、取ることに何の躊躇いもなかった。

 彼に抱えられるようにして、窓の外に身を踊らせる。

 ……彼が正しいからだろうか。

 彼が疑いなく正しいと思ったから、その手を掴んだのだろうか。


 ……いや、違う。


(……ああ、だから、この人は――傷だらけになってしまうんだ)


 そのフライトジャケットの胸元を握り締める。

 伝わってくる――――相手を一人の人として扱い、最後まで理性を説きながらも、即座に切り替えて殺せてしまうことの恐ろしさが。その容赦のなさというのが、どうしようもなく両刃の剣であることが。

 だからどこまでもこの人は、傷が付かない剣なのだと。

 そうなろうと、してるのだと。

 ……いつか。きっといつか。その理性が、大切な彼の最も大切なものを奪ってしまわないか。

 それが、ただ、恐ろしかった。

 それが、ただ、悲しかった。


「すまない。状況が変わってしまった。……不安だろうが、必ず君を守る。安心してくれ」


 駆動者リンカースーツによる衝撃吸収で車の屋根を潰しながらも着地した彼の蒼い目に、首を振る。

 震えるシンデレラの指を包み込むように握った彼の柔らかな視線を前に首を振る。

 違うのだ。

 痛いのは、自分ではないのだ。


(大尉……どうして、戦っているんですか……?)


 そのままで、貴方は、どこかに消えてしまわないだろうか。



 抱きかかえられたまま、通りの角まで疾走する。

 身体が揺れる。

 こうなってしまって、レモニアたちは大丈夫だろうか。これから、どうなるだろうか。

 何より――――ああ、何よりも。


「大尉」

「なんだろうか? すまない、ひとまず遮蔽物まで――」

「好きです」

「――」

「……貴方が、好きです。大好きなんです」


 言葉が喉を通らない。

 握り締めた手の想いは、伝わってくれるだろうか。

 どうしてこの言葉が、こうも、悲しい響きになってしまうのだろうか。

 どうしてこれが、祝福と共に語られないのだろうか。


「そうか。……ああ。ありがとう、シンデレラさん」


 意外そうに瞳を見開いてから、小さく彼は微笑んだ。

 僅かに嬉しそうに。

 少年のようなそれは、きっとそれは、一瞬だけ覗いた兵士ではない彼の驚きの目で――……。

 抱えられながら、揺れながら、思った。

 この人が――――心優しいこの人が、戦場と戦乱というこの世の歪みに立ち向かっていく悲しさを、思った。そうして戦い続ける苦しさを、思った。


「速やかに基地に戻らないと。……あの娘たちのこともある。約束を果たさないと」


 そう、誰かを慮る目。

 常に理念の傍らに立とうとする理性の目。

 いつか決定的にこの人は――――どこかに、行ってしまうのではないだろうか?


 光のその果ての、どこかに。

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