補話【九】猟犬と、少女と、ある戦争の日々 その三
待機室の簡素な壁に、可愛らしい少女の歌声が響く。
「ドーは度胸のドー、レーは連打のレー。ミーは魅力のミー、ファはファイアのファー。ソーはチェンソのソー。シーはシールドよー。ラーはラッシュのラー……」
……可愛らしい?
とにかく、まあ、若干汚く崩れた歌声ながらも顔は可愛らしい茶髪の少女が、顔の横に垂らした片側だけの三つ編みを揺らしてパイプ椅子の上で身体を揺すっていた。
若干虚ろな目で。
設計上は、長時間の坐位待機姿勢でも身体的不具合が出ないように各種の低減装置や身体制御装置が設けられている。基本的に
とは言ってもストレスが付き纏い――民間人上がりということもあって、彼女らも強要されずに即応可能な格納庫横の待機室に身を置いているときだった。
上空監視衛星へとどれだけの隠蔽効果があるか不明なサーモクロミック液晶による上部偽装外皮は、ひとまず役目は果たしているのか。接近警報が鳴ることもなく、数時間が経過していた。
本格的な出撃は、これで三度目。
「……すまない。君たちには迷惑をかける」
本格的な戦闘を前に、また、エイダンが頭を下げに現れていた。
それを眺めた軽薄なストロベリーブロンドのセージが肩を竦める。
「へっ、軍人サンってのは警官よりも命令優先なんデショ? なら精々ふんぞり返ってればいいんですよ、やってこいって」
「セージさん!」
「なんだってんですか猪突猛進ガール。そんぐらいは言ったって許されるでしょーに。え? あれ、もしかしてエイダンの旦那が意中の――」
「いえそれはないです。絶対ない」
「……オレより残酷じゃね?」
すぐに茶化しにかかるのが彼の悪い癖だ。
拳銃は百発百中、銃を撃ちたいから警官になった――なんて嘯く桃色髪の新米不良警官セージ・オウルビーク十九歳にとっての平常運転。
皮肉屋で、多弁で、軽薄で、薄情。
常に首にかけたヘッドホンと片目を隠すような長い桃色の髪と混ざって、警官というよりはバンドマンのような印象を受ける。
「あのバカ二人は置いといて……逆にエイダンさんは大丈夫なのかよ?」
「……砲座だからな。そう、派手なことにはならない。前線に出る君たちの方が危険は多いだろうから……な」
剥き出しの三白眼と黒髪のエースは、エイダンを慕っている。というよりこの船の中でエイダンを頼りにしていないのは、セージぐらいだろうか。
そんな彼が皮肉げな片笑いを浮かべた。
「そーゆーことデスって。この船の軍人サンたちは民間人を前に出すしかないってワケ。エースの坊っちゃんも良く知ってるでしょ? ほんっとこの感じじゃ色々ヤバいね、この国。無事に帰して貰えるのか心配で心配で」
「ちょっと、セージさん……! 負けたら私達もどうなるか判らないんですよ!」
「国が負ける前にオレらがどうにかなる、っつー話なんですよ猪突猛進ガール。順番がそーなの。国より先に人が死ぬの。あー嫌だ戦いたくねぇ……」
セージの動きに待機室の自動扉が開き、すぐ隣の格納庫が現れる。
そのまま彼は、直立する巨人たるアーセナル・コマンドを手のひらで示すようにしながら皮肉的な笑みを零した。
「つーかこんな人型ロボ? なんかに乗せられるってのがおかしな話なんですよ。知ってます、
「……何が言いたいんです?」
「人の形をしてれば上等な棺桶とは限らないってコト。おまけに熱した金属を流してんデスヨこれ。……万が一のリスクはバカでけえの。逃げ場ナシで焼け死にするのよ?」
各機体には、出撃に備えて大型の外部流体貯蔵の銀色タンクが機体に接続されている。
待機モードで佇む赤き頭部の【
赤きフードを纏った白騎士めいた意匠の【
というのも、元来はアグレッサー兼マルチロール試験機。つまりは、【
更に【
試験アグレッサー機の性質上……換装によって近接戦、射撃戦、長距離砲撃戦に対応する機体であり、今は四脚に換装した砲撃主体がエース・ビタンブームスの機体であり、腕部のプラズマライフルと背部ガトリング砲で武装したのがセージ・オウルビークの乗機だ。
そんな機体の主たちは、
「……そんなに言うなら、乗らなきゃいいだろ」
「おっ、オレの代わりに戦ってくれます? でもエース坊っちゃんはナンバー四でしょ? 流石にこの船ごと墜ちるかもってなったらオレも安心できないかもね……って」
「じゃあ一人で墜ちてろよ。船を盾にしてた軟弱警官が」
「アレは母艦と共同での射撃ですヨーそうですヨー。学生くんには難しかったですかねぇ」
険悪そうに顔を見合わせる。
生真面目で反骨的な黒髪のエースと、軽薄で皮肉屋なストロベリーブロンドのセージは、見た目が示すように対照的な性格であった。
「だーかーらー! セージさんはそこまでにしてくださいよ! エースも突っかからないでってば! 私たちしか戦える人はいないんですから!」
メイジーが割って入れば、またしても肩を竦めたセージが口を開く。気怠げながらに常に皮肉げな身振り手振りで表現しつつ語り続ける、王付き道化のような振る舞い。
「それが問題だ、って言いたいんですよオレは。……仮にも最新鋭の船と最新鋭の機体なんでしょー? ふつーさっさと、もっと強い軍人サンたち寄越しません? そう思いません?」
「それは……、その……」
「
セージの邪推に、エースがジロリと三白眼を向けながら舌打ちを返した。
「……黙ってろよ。要するに、ビビってんだろ。アンタ。できない言い訳だけは一人前に。怖がりたいのは勝手だけど、それをバラ撒くな。士気が下がるんだよ」
「正しく分析できてるって、品がなく言うとそーなるんですねー。いやあ、今どきの学生って進んでますわー。……バラ撒くんじゃなくて情報共有ですよ? おわかり?」
「だ、だから二人とも――」
そのまま、今にも掴み合いになりそうな二人を前に彼女は唾を飲む。そして、
「メイジーチョップ!」
「うわっ!?」
「メイジーキック!」
「なんだぁ!?」
空振りだったが、二人の間の距離を開けることはできた。
「メイジーチョップはパンチ力、メイジーキックは岩砕くんです」
「……は?」
「馬鹿なの?」
「それぐらいしてやる、って言ってるんです! いいですよ、戦いたくないなら! 内輪揉めしたいなら! 言い争いたいんなら! あとは私がやりますから、好きなとこに引き籠もっててください! この根性なし!」
指差して、可能な限り居丈高に振る舞う。
「それで二人して全部終わってから言えばいいんです! 戦時中は女の子を戦いに出して言い争いをするのが僕たちの仕事でした――って! ヒーローインタビューは私のものですから! 後で雑誌に乗りたくっても、首から負け犬って看板下げて乗るしかないんですからね!」
肩を怒らせて、一思いに捲し立てる。
半分は不安を誤魔化すための勢いだが、半分は本音だ。
そのまま荒い息に肩を上下させていれば、不服そうなエースが睨み付けてきた。
「……だから、アホのお前に言われるまでもねえよ。オレは戦いに行くって言ってるだろ。コイツが横から口を挟むのが問題だって言ってんだ、アホ」
「こっちは、そもそもこの戦いが本当にやんなきゃ駄目かって言ってるんですけどねぇ。無駄死に、早死に、お買い物ポイントも付きませんよ? 案外ゴネてみたら改められたりするんじゃないの? 試せるもん試せないで死ぬのもかなりのアホでしょう? アホの子にはわからんかもですケド」
「うっ……う……」
ワナワナと拳が震える。
「うるせえ! やったらぁ! できらぁ!」
不安? なんだそりゃ。すまんありゃ嘘だった。
普通にぶん殴ってやりたい。二度も乙女を侮辱するとは許せん。女の顔を二度も殴っておまけに手袋をぶつけるような所業である。死刑である。
フーっフーっと掴みかかろうとすれば、後ろから羽交い締めにされる。
しばらく見守っていたエイダンが、流石に直接衝突となっては止めずにはいられないと動き出していた。浅黒い肌に巻きつけられた痛々しい包帯に、身体に籠もった力が失せる。
「すまないな、ブランシェット。……だがセージ・オウルビークの疑問ももっともだ。私としても、補充が行われないかと――再三に渡って交渉している」
「で、何もねえってことだ。それが何を意味してっかはエイダンの旦那にはわかってるでしょ?」
「……」
「あのねえ、さっきから皆さん殺気立ってますけど――何にも考えずに戦うなんてのは、本当に馬鹿なんですよ。おわかり?」
溜め息と共に、格納庫の機体を振り返ったセージが手のひらを広げる。
「死んじまってからじゃ取り返しが付かないの。てめえが死なねえなんて思って朝コーヒーかっ喰らってても、夜には撃たれて死んでるなんてこともあるのよ。この世界って」
「……セージさんも、そういう経験が?」
不良警官とはいえ警官だ。
そんな経験の一つや二つ――
「ハァ? あるわけないでしょ。そんな撃ち合いなんて」
なかった。
メイジーはずっこけた。
「なんでそれっぽい雰囲気出してるんですか!」
「その程度の危険には覚悟しておけって仕事だったのよ! んで――」
セージが、指を一本立てる。
「一つ、軍はこんなのをうっちゃっても構わなくて別に解決策を用意してる。新型実験機周りがどうなのかは詳しくねえもんですけど、案外もう量産に必要なデータは取り終わって量産着手してるんじゃねーです?」
「う……」
「二つ目は、マジもガチに援軍寄越してる余裕が軍にもねえか……こっちの方が不味いかな。第一世代型なんぞに人乗せるより、どう考えてもこっちに人寄越して乗せた方がいいでしょう? それすらできないってもうホンットに大事よ?」
やれやれ、と市民役場に居座る老人を懇切丁寧に案内するように彼は続けた。
「
「まぁ……そうですね。それが?」
「いやいやいや、鈍いですね猪突猛進ガール。それで一つ騙しました。相手は気付いてません――でも良し。アナトリアの方に気付かれました、ってなったらどうかってーと――――」
パッと彼が手を広げた。
「相手はそこで『ああ、あれはアナトリアのことか』ってなって終わりなワケですよ。自分たちでそっちを確かめれたから、なおさら満足して信じるってコト。詐欺師の常套手段よ? 選んだと思わせて選ばせてる――ってのは」
「……えっと、つまり」
「本当にアナトリコンの方で新兵器作ってて、こっちはマジもガチで囮ってこと。実験機ってことは、本チャンにぶっこむためのものじゃないでしょ? その実験で得たデータで量産機作るためのものなんですよ。だからあっちでガチのやつ今頃組み立て始めてるの!」
つまりは――ゲームチェンジャーとなる、第二世代型の量産機を。
既に軍は着手している。
新たなる鋼の騎士に――――極超音速での瞬間飛翔を可能とする、騎士に。
「だから今のうちらのお役目は、せいぜいその囮が本物っぽく動いてくれることなのよ。実験機が単なる実験機じゃなくて、実戦に突っ込めるものだったらあちらさんはなおさら『やっぱりこれが
皮肉な笑みを浮かべるセージへ、
「……ただの推測だろ」
「状況証拠、って言うんですよエースの坊っちゃん。空飛ぶ船なんだから、味方との合流もしやすい筈なんですわ。整備も殆ど機械化されてっから専門の整備員も大勢連れてこなくていいし、それこそちょっとアーセナル・コマンドに乗り付ければ軍人サンたち来れるワケです。来ない理由って逆になんです?」
「それは……」
「ま、そんな戦力出してる暇がねえってんなら――それはそれでジリ貧で? なんか意図があって出してんなら碌でもないってワケで? これ考えて――さあ作戦だから頑張って戦おうなんて言えます? 思った以上にやっちまったら、喜んで囮として激戦区に放り込まれかねないでしょ? 戦って余計に生き残れなくなるって馬鹿な話あります?」
コツコツと歩きながら推理を披露する彼は、警官というよりどこか探偵めいていた。
自然と、視線が集中する。
この場で唯一の軍人である――褐色肌のエイダンに向けて。彼は一度だけ神妙そうに目を閉じ、言った。
「……私から言えるのは、何にせよ戦わずにも済まないということだ。君の言うように――そう考えたとして、このまま作戦に出ずにアーリヤヴァルタ州に着いたところで、敵の弾頭に焼き払われる。移動可能なこの船に乗っているときよりも、逃げ場なく」
「あー……」
「他の場所に行きたい、と言ったところでこの周辺はいずれも激戦区だ。そして、例のミサイルの射程に収まっている。君の推論には一定の信憑性があるにしても――……この戦いばかりは、避けては通れないのだ」
訥々と語られる言葉には、疑問の余地はないと言いたげな響きが含まれていた。
それは彼が叩き上げの軍人であるから得たスキルなのか、それともエイダンですら呑み込むしかないこの状況が由来なのかは――メイジーたちには判らなかった。
「……ならせめて、先に軍のどなたサンかをこっちに寄越して貰えねえんですかね? 作戦前に小隊送って合流して貰えりゃあ、皆大喜びの第二世代型ですよ?」
「機種転換の問題が――」
「そのための
その言葉は、またもや正鵠を射ていた。
観念したように――……沈痛な面持ちのエイダンが首を振る。
「……不可能だ。つい先日も例のミサイルによって、大隊規模の部隊が焼き払われた。
「そりゃあまた……」
「実行するしかないんだ。死にたくないのは私も同じだ」
「どーだか。軍人が命について喋るのって、結構軽いんですよ? 知ってます? 警官は市民より軽くて、軍人ってのはもっと軽いの」
睨み合いが、再び始まる。
セージは軽薄な笑みながらにも鋭い視線で、エイダンは軍人らしい頑とした態度を崩さず、エースはセージがエイダンに向ける目線に反感を抱いて。
険悪すぎるその雰囲気にメイジーは内心逃げ出したい気持ちになりつつ、それでも踏み止まって拳の骨を鳴らそうとし――
「うん? どうしたんだい、何かあったのかな?」
ぬっと顔を表した金髪碧眼の白馬の王子様顔の男の気の抜けた声に水を注された。
相変わらず無駄に良すぎる顔。完全に覇気のない笑みだというのに後光が差していると勘違いしそうな冗談のような美形。軍の人事が広報担当官と艦長職を間違えて手配したのではないかとまことしやかに囁かれる顔面一〇〇点それ以外お察し男。
一体全体、何故戦闘区域が近付いてるのに艦長クラスが出歩いているのか――……ひょっとしたら議論に混ぜたら一々質問が入って手間だと思われて追い出されたのかもしれない。
「せっかくだから出撃前に君たちを激励してきた方がいい――……なんてブリッジの皆に言われてね? それで、何か問題でもあったかい?」
「いやあ、別に何も? アーサー“王子”には関係ない話ですよ?」
「そっかそっか、なら良かった! いやあ、ここで痴話喧嘩なんて言われても困るからね! 僕はこう見えて女性の仲裁しかしたことがないんだ! ……男同士決闘ぐらいのことを言われてもちょっと僕からは何も言えなかったよ! いやあ、本当に良かったぁ……!」
セージの嫌味にも気付かずに情けない台詞を吐くのは、期待外れと言おうかむしろそれで期待通りと言おうか。
「……え。こう見えてもというかどう見てもですよ」
「それこないだの話だと、結局仲裁できてなかっただろ」
「いやマジに大丈夫なんですかねぇ……この人で」
「………………その、アーサー艦長」
「えっ、えっ、僕なにかしたかい!? なんだい!? 皆で集まって僕の陰口かい!? 仲間外れにしないでおくれよぅ!?」
情けない。
それでいて憎めない。
アーサー・レンという青年に与えられた評価は、そんなところだ。余計な口を挟んだり余計な任務を思い付いたり押し付けたりしないだけ、無能だがマシな上官と判断はされているらしい。
「……はぁ。つまり真面目に戦っても損だ、って話ですよ。ほどほどでいーのよ、程々で。オレらみたいな素人でやれる以上のことやったら、本当に後が地獄ですからね」
「あー……うん、そうだね。そうそう、こういうのって回せちゃったら絶対に『じゃあ補充はいいか!』みたいになるなる! わかるとも! 絶対にそうさ! 軍は手の足りないところから割り振っていくから絶対に! ははっ、それは僕だって詳しいぞ! 確かに『ここで大活躍したらめちゃくちゃ褒め称えられるぞー!』ってやるのはリスキーだね! よし考えを改めよう! 反省できる僕だ!」
「アーサー艦長…………頼むから……頼むから黙ってくれ……」
額に手を当てながら俯くエイダンは、傍目にも気の毒な有り様だった。
本当にこの人で大丈夫なのだろうか――……という気持ちには、話すたびにさせられる。人としては悪い人ではないし、少々デリカシーと観察眼には欠けるが陽気なのは……美徳……とは断言できないか。ただ、まあ、性格は悪くはない。
「チッ、腰抜けども……」
エースは、それに不満そうだった。
メイジー自身は――……
「んー……そっか。あー……セージさんも艦長さんも、優秀な人なんですね。そっか。そういうことか」
「……メイジー・ブランシェット?」
エイダンが眉を上げる。
いや、と前置きし……。
「私、余裕ないんですよ。私で本当に上手くできるか、とか……本当にこれでいいのかって。精一杯やるしかないって。でも二人とも、あんまりやり過ぎずに……頑張り過ぎずにやったほうがいいとか、ここで全力を出さないでいいとか……そういうとこまで見れてるんですよね。それって凄いなーって」
「……なんです? 嫌味デスかね、猪突猛進ガール」
セージが向けてくる露骨な半眼を掻き消すように手を振った。
「え、いや……そんなんじゃなくて……確かに言われてみたらその通りかもって。色々言ってくれてるセージさんだって自分一人でサボろうとした訳じゃなくて、急に実戦でそう動いたら私とエースが釣られて混乱して危ないからですよね?」
「……は。脳みそお花畑だこと。こっちはおマヌケさんに巻き込まれるのが嫌だっただけなワケで?」
「や、それでも別にいいですよ。……っていうか巻き込まれる程度には一緒に戦ってくれるつもりだったんですね? なんだぁ……」
「……けっ」
拗ねるようにセージが口を尖らせた。
……何かそんなに面白くないことでも言ってしまったかな、と内心で首を傾げつつ――
「でも私、やっぱりできないんですよ。生きるか死ぬかのときに……。そんなふうにしてて死んじゃったら、本当にマヌケって言われちゃいますから。だから……全力で自分にできることをしよう、って!」
グ、と拳を握る。
それを眺めた男性陣が何か言いたげに顔を見合わせ――何故だか盛大な溜め息と共に、張り詰めた緊張感が霧散していた。
「……そうだな。助かった、メイジー・ブランシェット。確かに……セージ・オウルビークの言うとおり、返す言葉もない。君たちに任せてしまっているのは、申し訳ないことだ」
エイダンが、深々と頭を下げる。
こういうところのある種の懐の深さが――彼の魅力だとメイジーは思った。いい意味でプライドがない。拘らない。とても実直な人柄。
「だが……アーリヤヴァルタ州に着けば、本格的に引き継ぎもされることになっている。君たちも下船できる筈だ。そのためにも、ここで当該基地を叩く必要がある。君たちの生存にも、軍の勝利にも、これは避けられない戦闘だ。……申し訳ないが、今回ばかりは頼みたい」
顔を上げた彼のその顔には包帯。
最後まで民間人の収容と避難に尽力したが故の傷。
それは、警官という立場なのに早々に避難側に回ってしまったセージ・オウルビークには気まずさであり、
「……あー、もー、わかりましたって。なんだかオレが悪者みてーじゃねえっすか」
後頭部をボリボリと掻きながら、その鉾を収めさせた。
なんだかんだと斜に構えていても、こうされると応じるしかない。ある意味での付き合いの良さのようなものが彼にもあった。
「重苦しい感じは御免なんですって。どう言い回そうが、結局の所オレたちはやるしかない……そういうことでしょ?」
「……ああ」
「なら、それよりも、撃ち落としてきたら降りるまでおかずが一品増えるーとか言い方あるんじゃねーんスかね? そういう方を考えといてくださいって。軍人と違ってバカ真面目じゃ人は動かないってコト」
「なるほど。……善処する」
「だからそーゆー言い方がですね……」
取り繕わない真面目一直線なエイダン相手には、流石のセージも歯切れが悪い。
「セージくん」
「……なんスかね?」
「デザートと交換なら……艦長権限でおかずを増やしてあげられるとも!」
「……いやアンタが食べたいだけでしょそれ」
親指を立てて突き出すアーサーは相変わらずだが……まあ、彼の登場から空気が変わったのは確かだ。
そういう意味ではトップとしての素質があるのかもしれない。放っておけないとか、そういう意味で。
何とかなりそうで良かったと内心で胸を撫で下ろし、機体内で待機しようかと格納庫へと歩き出そうとしたときだった。
「重ね重ね助かった、メイジー・ブランシェット。……君がここに必要なのは、あの機体に乗れるから以上に……そんな人間だから、なのかもしれないな」
「えっ、えっ……い、いやー……私は別に……私も、こんなところで死にたくないってだけで……!」
「例の婚約者か。……そうだな。生きる意味は大事だ」
勝手に婚約者の名前を広めてしまうと、本来なら成人まで当人に明かすべきではないという契約をされている婚約を知ってしまったとして破棄案件になりかねない――それをしないと信じたい――のでイマイチ核心的なことは言えないが、それでも信じてくれているエイダンは強く頷いた。
だが、
「妄想の婚約者でも、ですかい? オレもAIの恋人でも作っとけばよかったですかねー」
頭の後ろで手を組んだセージが、同じく広い格納庫に吊られた機体へと歩き出しながらも茶化すように嘲笑ってくる。
「ぬぐぐ……いるもん! 婚約者いるもん! ラブラブマイダーリンいるもん! 見たもん! 婚約者見たもん!」
「ぜってえ嘘スよね。それか形だけか」
「いますー! 心が通じ合った婚約者がいますー! 心が通じ……いやどうだろ……どうなんだろ……通じてくれないかな……好きって思ってほしいなぁ……綺麗になったって褒めてくれないかなぁ……でも十年来くらいの関係の婚約者いますー!」
いますー!
「十年来? ……オタク今いくつよ」
「十五歳ですけど。ハイスクール二年生の。現役の」
「十五? ……なおさら形だけじゃねーですか。お互いガキの頃に親が約束して、とかデショ? 年齢一桁で婚約したようなそんなんにトキメクなんてガキですわ、ガキ」
「なにおう!? 違いますー! 少なくとも向こうは今の私と同い年ぐらいでしたから!」
「え」
えへん、と胸を張る――――。
「そりゃあ、お父さん同士が子供ができたら――なんて約束をしてたのは確かですけど、ちゃんと私から言いましたもん! それで向こうの人が受け入れてくれたんです!」
なお本当のところは『ちゃんと私から(父さんに)言いましたもん! それで向こうの人が(父さんと向こうのお父さん経由で)受け入れてくれた(と判断していいと思う)んです!』が正しかったが……そこを一応隠す乙女の見栄があった。意地があった。沽券があった。
……いや。
多分その時点のメイジーの将来性を買ってくれたということだ。きっと心の清らかさとかを買ってくれたということだ。人間性とかを青田買いしたのだ。きっと。親同士の義理とかそういうのじゃ断じてない。おそらく。
なのでもう後は顔を合わせて言葉を交わせばお互いにすぐに魅力に気付いて結婚間違いなしだ。きっとそうに違いない。そうであって欲しい。そうじゃないかな。そうじゃなかったらどうしよう。そうだと言ってよダーリン。
駄目かな。ずっとずっと会えるのを夢見てるんだけどな。送ってくれた手紙の一通一通が宝物だったんだけどな。何度も読み返して励まされたんだけどな。この人とならきっと幸せな家族になれるって思ったんだけどな。本当に考えるだけで幸せなんだけどな。今すぐ会いたいな。多分大丈夫な筈。きっと綺麗と言ってもらえる。抱き締めて。多分。おそらく。メイビー(メイジーだけに)。
だが、色とりどりの髪を寄せ合った男性陣の反応は……
「……うわロリコン。それヤバいんじゃないです?」
「……チッ」
「うわあ、特殊性癖かい!? 五歳と婚約するなんて異常者じゃないか! ジェントルな流石の僕も中々にドン引きだね! その……危ないんじゃないかい? 大丈夫?」
「か、艦長……彼らにも事情がきっと……」
「七歳ですー! ああそうですよ盛りました! 盛りましたよ! 悪かったですね! 十年は経ってませんって! でもそれぐらいにはもう奥さんになってるから誤差ですよ誤差! 誤差! こちとら学生結婚するつもりです! ダーリンと! ラブラブマイプレシャスと!」
でもヒソヒソと囁き合ってる。何故だ。失礼な。
「とにかく私は、素敵な夜景の見えるホテルに行って……朝、二人一緒に美味しいバフェット食べるまで死ぬ気はないんです!」
グ、と拳を握る。
月並みだが――――夢があるのだ。ささやかな。しかし乙女にとって最大の一大事の。
あの日から憧れの人で、ずっと文通して正体を隠して励ましてくれてた優しい婚約者さんとの。初恋のお兄さんとの。
しょうがないじゃん。
だってずっと癖っ毛をからかわれて。ドレスなんて着ても可愛いと誰かに思ってもらえると思わなくて。恥ずかしくて。消えてしまいたくて。悔しくて。
そんな自分を見付けてくれて笑いかけてくれたお兄さんなんて好きになっちゃうじゃん。しょうがないじゃん。その後もずーっと正体を隠して手紙で励ましてくれて。プレゼントを送ったりしてくれて。何度も勇気づけてくれて。
好きになるじゃん。
あと……きっとそれぐらいしてくれるってことはあっちも絶対好きだと思うんですよ。そういうことなんですよ。
なお、
「バフェット……あー、
「ええっ!? 読めないのかい!? ビュッフェを!? 読めないのかい!? 僕でも読めるのに!? ビュッフェを!? そうか……そういうとこ行ったことなかったんだね……そっか……戦いが終わったら連れてってあげるね」
「……どんなバカだよ。本当にコイツ、マニュアル読めてるのか?」
「ま、まぁ……読みづらくはある。読みづらくはあるぞ、メイジー・ブランシェット。気持ちは判る」
恥の集中砲火に、メイジーは真っ赤になってぷるぷる震えていた。
◇ ◆ ◇
第二世代型アーセナル・コマンド。
それは、レーダーではなく有視界戦闘距離での対アーセナル・コマンド戦闘を主眼とした急速近接戦闘機動を実装した機体である。
これらの登場により、その戦法というものにも変化が生じた。
第一世代型での戦闘は、基本的に、謂わばこれまでの空戦航空機のような機動の中での射撃を行うようなものだった。その機動の中に、空中での停止や減速反転の混ざったようなものである。
アーセナル・コマンドの登場の当初――。
それが有する力場というエネルギーフィールドの特性故に、まずは誘導弾を用いた飽和火力による瞬間的な敵の撃破が第一に戦法として確立されたが……機体の塗装や装甲に用いられるガンジリウムの齎す電波吸収特性によるステルス性から長距離射程や精密誘導が可能な電波誘導方式のミサイルが無力化され、安価な短距離赤外線誘導弾や連装銃を使ったアーセナル・コマンド同士の有視界近距離戦闘の比率が急増。
この時点で、優れた射程距離と誘導性能を持つミサイルという兵器に対して――――装弾数という意味で勝る高速質量弾による銃撃戦が、主体となり始めた。
例えば
そして同時、そんな敵の爆発反応装甲などを突破するために
まさしく航空機そのものが戦争に投入された直後のように、アーセナル・コマンド同士の戦闘は互いに新たなセオリーを作り出し広がっていく。
ここでは敵弾に被弾しないことが最重要であり、そして被弾しても必要な時間さえあれば装甲が回復する――という点から、アーセナル・コマンドに関しては短時間に飽和火力を受けづらい形となる従来型の空戦機動が好まれた。
そしてこれが、航空作戦そのものに変化を齎した。
その装甲性による全体的な撃墜の減少。
つまりは、あまり決定的な航空優勢――――というのが生まれにくくなったのだ。
空戦型アーセナル・コマンドの役割は、そんな膠着状態を相互に用いて制空権を固定し、足の遅い対地攻撃機を空域に入れさせない――その装備重量故に力場をより多く推進力に回さざるを得ず空戦機よりも軽装甲を意味した――ためのものであった。
それが、発生からまもなくのアーセナル・コマンドでの戦いの常道である。
だが、第二世代型は違う。
空中での滞空からの急回避が可能となった機体は、その分だけ火力の有効発揮時間が増した。追いかけ合うことなく定点から多量の誘導弾を投射して戦域の制圧を図る機体が現れたり、また、鈍重な対地攻撃機も被撃墜の心配が低減された状態で戦線に投入できたりするようになった。
つまり――――攻撃という意味で、第二世代型は更に大きな力を発揮する。
結果、至短時間においての大火力投射により速やかな敵空戦機の排除が可能となり、或いは、航空優勢に拠ることなく戦力を投入しての対地・対艦攻撃が可能となった。
それがバトルブーストの齎した変化であった。
そんなバトルブーストの登場によって低速での移動や滞空が主体とされていくことで、それに対する戦法として高速での常時移動は淘汰される。
戦闘機とヘリコプターの空戦と同じだ。
彼我の速度が違いすぎると、会敵機会が喪失されて攻撃が行い難い。追い越してしまう。或いは追いつけない。
高速も低速も、互いにそれぞれを相手にするのには難がある中で――――アーセナル・コマンドに関しては、低速の側だけが高速の敵に対しての優位な回避手段と攻撃手段を獲得した。
そんな中では、高速の機動戦というのは戦場から廃れて行ってしまう。
ドッグファイトのような芸術的な空戦機動は、急速に無用の長物と化していった。
面と向かって鋼の巨人たちが有視界近距離で撃ち合うという不可思議な状態が成立したのは、全て、これによるところが大きい。
そして――――――そんな第二世代型の隆盛。
その中でも、今日の第三世代型に匹敵する性能を有する機体があった。
特徴はそのエネルギー量。
クァンタムバッテリー・プラズマツインドライブ――量子的に不確定化させた双発のガンジリウム・プラズマ融合超伝導電力発生炉の対としてあえて一つの量子電池を接続し、量子重ね合わせと不確定因果順序を利用した確率論的電力供給能力によって、いわば並行世界から電力を集めるように――融合炉の通常の効率と出力を超える充電を可能とする新型の動力装置。
更に機体各部や主武装では、既存のアーセナル・コマンドの有する
これらSMESは電力をイオン化エネルギーや熱エネルギーなど他のエネルギーに変換せずとも超伝導コイルにて直接保存可能というロスのない
結果として、第一世代型は勿論、既に実戦配備されている他の第二世代型アーセナル・コマンドを大きく上回る瞬間出力量を実現。
プラズマ兵器をその主武装としつつも、バトルブーストや《
それはまさに、今日の第三世代型に等しい。
それらの技術の量産化のための実験機。
それが、故ジュリアス・ブランシェット博士の開発した第二世代型試作アーセナル・コマンド【
◇ ◆ ◇
力場の圧力によって海中に真空を作る――――と言っても、完全に無音になる訳ではない。
海水にとってはそれが潜水艦の隔壁であろうと、力場による障壁だろうと、どちらにせよ押し退けられていることは変わらない。
故に速度を上げ過ぎれば、当然、相応の音が響く。これは流体の動圧上昇によって引き起こされる静圧低下による飽和気体の発現――つまり流速が上がりすぎることによって圧力が低下し、海水が常温のまま気化し泡となって現れるキャビテーション現象に由来する。
しかしそれでも、元来のスクリュープロペラによって速度を生み出す方式よりも遥かに効率的なこと――仮に七〇ノットを出そうとすればプロペラの回転速度は抵抗等を差し引いてそれよりも上になる――に加え、機体そのものの動作音が海水に伝わらないのは、やはり優れた移動法と言えるだろう。
その、飽和蒸気化にかかる速度と最適形状の追求――並びに《
立案、検討、計算――……どれをとっても芸術的な速度と精緻さであった。
“
(強襲作戦に難儀するようになった
あれだけ破壊したマスドライバーは、かろうじて未だに再建されていない。衛星軌道からの物資搬入降下を行われても、それ以外にも資材が必要なためだ。
豊富な鉄鉱石を有するアウストラリス州での採掘も既に開始されてはいるだろうが、肝心の施設を彼ら自身の初撃である【
未だ、
出撃から、既に五時間が経過していた。
概ね、順調だ。B7Rの到来によって活発化した潮流も現地の漁師からの聞き取りで検討したものとそう代わりはない。何度か《
幾度か定期的に通信のために一機が海面近くまで浮上していたが、敵基地接近に伴い無線封鎖を行われている。
あとは、敵の海中磁気センサーを避けることぐらいか。
こればかりは、幾ら機体周囲を真空にしようと変わらない。電力を用いる機械である以上、絶対に磁気を発してしまう。そのような機雷もあるために注意が必要だった。
そしてそれに関しても――やはり順調だった。
(……デイビッド・マクレガー大尉。幾度か話には聞いていたが……噂通りか。判断が早く、そして人望がある……空戦ばかりは得手としないようだが、空間認識能力は高いと聞く)
兵士的に言うなら、久方ぶりの当たりの指揮官だ。
これを機に、その手腕を存分に確認させて貰おうと――そう考えていたときだった。
幾度か響く無線のジップ音。マイクのスイッチだけを押す事前打ち合わせした緊急符号。
それが現況確認や傍受のために幾度か海面近くまで上昇していたデイビッド・マクレガー機からのものだと気付くには、そう時間がかからなかった。
皆、機体を寄せる。力場同士が僅かに干渉し、その低減を把握する機能に連動させることで擬似的な仮想通信を行う――傍受を防ぐための細工のまま、彼から言葉が放たれた。
『偵察機から味方への無線を拾った。……不味いことになった。敵の航空戦力が予想より多い……奴ら、基地防衛にどこかから中隊を引っ張ってきたらしい。予定通りなのか緊急配備かは知らないが、このまま接敵したら味方戦艦が押し込まれる』
「中隊規模ですか? ……マクレガー大尉、味方の別働隊は?」
『ゴンドワナ側から予定通り増援は出ているが、当然全部第一世代型だ。……相手は第二世代型完全統一の部隊。どうも、例のエース狩りらしい』
エース狩り。
名前までは記憶していないが、覚えはあった。
自分の猟犬時代の同期だったサイファー・“ロード”・スパロウやライオネル・“ザ・バッカニア”・フォックスを撃墜した敵の対アーセナル・コマンド用部隊。
その時は第一・五世代型であったが――――それが第二世代型に変わっている。確実に、油断のならない相手だ。
少なくとも今この国にとって、第二世代型は鬼門を意味する忌み名だ。
そして、数……相手の中隊規模は二十四機。こちらの二個中隊に相当する。元より居るものを含めればソコトラ島には計五十機近くが犇めいており――当該空域の防備は、凄まじい硬さを持っていると考えていいだろう。
『作戦が漏れていたとは思えないが、衛星監視か……それともこの間の偵察機から用心するようになったのかね。出撃前は確認できなかったんだが……』
「……」
『重ね重ね、こっちの目が潰されたのが痛いな。……そんな虎の子を引っ張って来れるくらいにアイツらの戦線には余裕があるのか?』
宇宙は今や、彼らの支配下だ。
監視衛星という神の目や通信衛星という神の耳は、既にあちらしか持ち得ない。
それが、霧を蔓延らせる。
そしてアーセナル・コマンドの機動性は、その霧の中で存分に動き回るには十分すぎるものだった、
『プラスに見れば、相手はそれだけ当該基地の戦略的優位性を考えてるってことだろうが――――……それならそれでもっとさっさと充実させておいて欲しかったもんだな。奴ら、デートには時間ギリギリに来るタチらしい』
緊張感を笑い飛ばすような兵隊特有のジョークだったが、それでも今はキレが薄かった。
メイジーを含む艦載機は一個小隊の三機。
友軍が二個中隊――――その内、対空戦闘を前提にしているのは一個中隊=十二機。残りは対地攻撃二個小隊=六機・対防空網制圧二個小隊=六機。
この中隊は……純粋に対空戦闘が可能なのは、自分を含めて四機だ。つまり全て合わせても、十九機。敵は、対空戦闘機体だけで五十機近く。倍以上、差が開いている。おまけに性能はあちらが上だった。
『さて……どうしたものか。司令部から友軍航空隊及び空中橋頭堡への作戦変更の通達はない。つまりは予定通りってことなんだが……』
ただの中隊規模での増援もさることながら、それがエース狩りとくればお釣りが来る。
(……第一世代型と第二世代型では、そも撃ち合いになれない)
足を止めて撃ち合ったところで、火力では第二世代型が圧倒的に有利。バトルブーストによる回避もある。
そうなれば第一世代型が撃墜を防ぐなら常に航空機めいた高速常時移動を行うしかなく、しかし、この戦法では第二世代型を殆ど撃墜できない。
被撃墜を避けるならば、それもいい。
だが、第二世代型の目的が第一世代型の壊滅ではなく別の攻撃目標に対する攻撃の場合――――例えば今回の作戦の味方戦艦【
第二世代型は足を止めたまま戦うか、追いかけて戦うかが選べる。究極、こちらを無視をしてしまってもいい。
そんな圧倒的なイニシアティブ。
もう――――空戦そのものが成立しないと言っていい。
だからこそ、デイビッド・マクレガーはこちらが攻撃側になるような戦場に持ち込んだのだ。それなら、第一世代型は大きく不利を被ることはないと。
敵が有する第二世代型の数から考えても十分に勝算がある作戦だった。しかし、今回に限っては……
『……軍は今回の作戦を、起死回生の一手として検証したいと考えている……その戦略的観点から、無線封鎖は継続する。こちらからの発信を行わないという判断に変わりはない』
つまり、彼らとの打ち合わせができずに進むしかない。
当初より敵が増えることは想定はしていたものの、それがエース狩りの二十四機とは考慮されていなかった。
どうするか――……どうなるか。生憎と、別働隊の指揮官たちの人となりは知らない。このまま予定通りの布陣で作戦を続行するのか、別の手段を使うのか。彼らがどちらを選ぶのか、自分では判断できない。
『敵はおそらく変わらず、二手に分かれる。……こちらが二面作戦を仕掛けてると考えるだろうさ。それ以上は奴らには読めん。比率が――どうなるかね。常道なら基地防空を残したまま、エース狩りを二つに分けて迎え撃つってとこだろうが』
「……どちらかがやられたら、もう一方に集中すると?」
『話が早いな。ただ、違うぜ。その頃にはオレらも出てるから――……こっちに来るってことさ』
無線に緊張が乗る。
最悪、敵の地上機体を除いて十二機――――同数の制空アーセナル・コマンドと撃ち合うことも想定はしていた。それが倍になると、まるで話が違う。
『先んじて味方二つが合流しても分が悪い。オレの見立てでは、おそらくあの第二世代型とやらは――戦力数の二乗ではなく三乗で計算させるような類の代物だ。むしろ分割は願ったりだ。あいつらを混ぜ合わせない方がいい』
ランチェスターの第二法則の更に先の存在。
それに気付くのは流石のマクレガー大尉と言うべきか。
しかしそんな前線魔術師でさえも、妙案は閃きそうにもないらしい。
『悩ましいな……。こうなっちまうと共同での砲撃は放棄して、味方航空隊が壊滅するまでに俺たちで制圧する――それも視野に入れた方が良さそうだ。航空隊の生存率は、例の【
僅かに黙する。
(……メイジーたちは、小隊規模しか迎撃戦力を持たない筈だ)
彼女たちが行わなければならないのは、自艦の防衛。
援軍は届かず、届いた所で第一世代型では援護に難しく、幾ら素質があるとは言っても彼らの戦闘経験は浅く、敵は連携に優れたエース狩りの第二世代型機。
そして、この地上で初となる第二世代型同士の戦闘――何一つセオリーがない中での空中戦。
未知の領域。あまりにも不確定。
その戦いに正解を見出だせるのは――――きっとこの世でも、俺だけだろう。先を知る、この自分だけだ。
「……敵の基地防空勢力は残るでしょうか」
『おそらく丸々温存されることになる……オレならそうする。誰でもそうするだろう。それでも、ここまで来たらもうやるしかないが……』
「では……上空にもっと敵を惹きつけられたら……下も楽になりますか」
『グッドフェロー少尉?』
問い返す彼の声に、小さく頷いた。
「元より飛び入りの俺です。……質問を。マクレガー大尉の計算に、俺は入っていますか?」
『……いや。実のところ、戦力として強く当てにはしていなかった』
有るなら有る、無いなら無いで考える指揮官だろう。
きっと、そう返されると思っていた。
この状況なら、言うことは一つしかなかった。
拳を握り締める。
メイジーを庇いに行く――――
「では、俺に……彼らの救援を、行わせてください。味方航空隊の」
――――のではない。
『だが、浮上は――』
「味方機の飛行ルートに合わせて移動。海中からの接近であることを隠蔽した形で浮上し合流。そちらと共同を行います」
それなら、本隊の海中からの強襲作戦は秘匿されたままだ。味方がどのような編隊かは不明だが、おそらく現時点では敵には個々の機影の判別まではできていない筈だ。
一機が増えても、露見がしにくい。
『ただな、お前一人行ったところで……』
「対・第二世代型の空戦戦術を考案しています。敵自身が第二世代型に習熟していない今なら、まだ十分に戦える筈だ。先に合流し……それを味方に共有します」
そう、頷く。
自分の記憶――――前世と思えている不可思議な記憶から導き出したセオリーと、戦闘法。
確実とは言い切れない。
だが、この世に何一つ『第二世代型同士による戦闘』というものが生まれていない今なら、それは、決定的に効果的に働く筈だ。
今この瞬間なら――――おそらく俺が、この地上で最も第二世代型を殺すことを考えられている。識っている。
そんな、時間制限付きの切り札。
(……すまない、メイジー)
本当ならば、直接彼女を助けに行くべきかもしれない。
婚約者ならそうしてやれと、言われるかもしれない。
不安の中にいる彼女を、支えるべきなのかもしれない。
だけれども――――今はそちらを、選ばない。
『……はは。流石の猟犬だな。というか、そんな戦法があるなら先に聞いておきたいところだったが? 検討の余地もあったろうに……まさかお前は敵のスパイかな?』
「実戦で有用かの検証が不十分で理論が未完成のために、不確実な情報の共有を避けました。それは、大きな危険を伴います。……今は状況的にやむを得ずの使用です。それでもよければお送り致しますが」
……嘘のない言葉以外に、もう一つの意図があった。
それは戦場の加速と変化だ。
本来ならばもっと後期に生まれるべきだった理論が、何を引き起こすか――――それが総体としてより大きな殺戮に繋がるのではないか。
例えばレイピア。ブロートソードよりも遥かに取り回しの良いそれは、その有利によって殺傷性を確保し、利用者の勝率――生存率にも繋がる――を高めるために生まれたものだ。事実として明白に有利だった。
それは、確かにその有用性の通りに働いた。しかしながら、殺傷率の高いレイピアの細身の刃が人体を殺してなお止めることに向かなかったために、結果、全体として相討ちによる死傷率が急激に増加したという研究がある。条件が変化し、殺傷率と勝率と生存率の方程式が崩れたのだ。
個人規模では、それを用いて戦うことは大いに生存性を高めるものだ。使わぬことが明白に個人の生存性を下げる。しかし、総体として不利に働いてしまっている。
そんな、影響。
ある時点やある視点での紛れもない合理的な有利が、総体として見た際には非合理である損失に繋がるというのは――宿痾なのだ。この世の。
(……俺の存在が、俺が編み出した戦法が、余分な死者を増やすかも知れない。それが――本来ならば勝てていた筈のあの娘たちの敗北に繋がるかもしれない)
一度、目を閉じた。
震える手を握る。
考えている。もっと先手を打って全てを殺し尽くすか、或いは己の知識全てを共有すべきではないかと。
……だが、できない。それが齎す影響と波及が知れぬ以上は、解き放つべきではない。その最後の一瞬まで、できる限りその札は抜くべきではないのだ。
そして今は――最後のそんな場だった。そこにある命の危機、急迫不正の侵害という、他に手立てのない場だ。
いずれこの世界に編み出されてしまう戦法なら、いつまでも伏せた切り札にはできない。ここで使う。
(パースリーワース教授と幾度とシミュレーションを行った。……他の如何なる方法でも、少なくとも三十年はかかる。それまでに争いは起きると――――そしてそこにハンス・グリム・グッドフェローという札がないことで失われる命があると)
初めから。
初めから自分は、それを是とできなかった。
だから、ここにいる。
他の歩みの遅いプランに賭けることができず、己という役割の札に欠けることを許せず、そうしないと決めたから他でもないこの道を選んでいる。
(武力だけで、争いは止まらない。思想、教育、環境、社会構造――……それらの変革を、有史以来あらゆる人類が成し遂げられたことのない途方も無い変革を成し遂げなければ終わらない)
そんな未来。
そんな極光。
答えすらも存在するか判らない道を、自分は選ばなかった。選べなかった。故に――
(止められずとも、そこにある死と悪意を防げる。損失を食い止められる。今は、それでいい……それしかない)
使う。全てを。
振るうしかない己という剣を。
『なるほど、こりゃまた……。クルーズの手慰みとして受け取っておくよ。……それにしても、実装されて間もない対・第二世代型の空戦戦術か……一体お前さんには何が見えてるんだ? 猟犬ってのは皆そうか?』
こちらの緊張を和らげようとするような、彼の口調。
承認を得られた、と思っていいか。
「他は知りませんが……俺に見えているのは――」
武器などない。才能などない。
あるのは、理性だ。
常に喉元を突き破る一閃のために捧げた理性だけだ。
俺は、
「――――喰い殺す先の敵だけです」
ただ、備え続けた猟犬だ。
これまでも――――これからも。
◇ ◆ ◇
海中に遠ざかっていく反応を眺め、そして、送られた戦術レポートを眺める。
良く出来たものだな――と頷きつつ、デイビッド・マクレガーは僅かに残念な気持ちになった。
あの彼は敵ミサイル発射元への追撃を行ったまま合流した遊兵であったために、元より自分の中隊だけで任務は可能だが……残念に思ったのは、そこではない。
それが、民間人登用者ばかりの船の援護に向かったことだ。そう――今回の戦いにおいては要であるにせよ、実のところ軍にとっても戦力としてはあまり目処を立たせてない部隊を。
彼は、友軍航空戦力への援護を申し出た。船は見捨てた形だ――――だが、違うとマクレガーは見ていた。
あの選択は民間人への援護の意味合いも含んだものだ。
簡単に蹴散らせる第一世代型の航空戦力と、第二世代型と最新鋭艦。敵として鹵獲ないしは撃墜したい優先目標は後者だ。そこに更に、ハンス・グリム・グッドフェローが加わったらどうなるか――――その方が、まず敵の目を強く惹き付けられる。
その間に友軍機第一世代型は撃ち落とされるだろうが、おそらく基地防空戦力まで引き出すことができる。十分な搭載機も有しない【
合理的なのは、そちらだ。
最新鋭の第二世代型実験機――――といえども、一度既に作れたのであれば次を作ることもできる。その別機で情報収集も戦闘実験もできる。庇うだけの意味合いは、実のところない。使えそうなのでマクレガーは使った。
友軍機も、元より損耗を覚悟した作戦だ。それほどまでにプラズマ焼夷弾の脅威は多く見積もられていた。新鋭の実験機と飛行要塞艦よりも、強襲猟兵よりも、マクレガーよりも。
(お前はそこまでの冷徹さは持てない男なのか?)
軍が必要としているのはプラズマ焼夷弾のミサイル基地の破壊であり、海中強襲のデータであり、敵第二世代型に対しての味方第二世代型のキルレートだ。それは、この駒全てが墜ちても達成される――――マクレガーも、諦めてはいた。諦めた上で、海中突破ならばまだ生存の目はあると考えており、友軍実験機まで札に入れた。だが……
(三方を収めにいった、か。……)
冷徹な確実さよりも、生存の最大利益を選んだ。
それもまた、兵士としては間違った判断ではない。ときには賭けに出なければならない場面もある。彼は――ここが賭け時だと冷徹に見抜いたのだろうか。
だとしたら、態度からは不適なほどに大胆な男だ。
それとも、自分ならば確実にそれを獲得できるという強い自負からなのだろうか。そんな英雄志望か。この逆境になお奮い立っているのか。
……いや、そうは見えない。その手の人間が戦闘を前にしたときのような高揚がまるでない。
あれでは……きっと、本当に単に、彼はそこに居合わせて戦闘に臨むのが民間人ばかりということを厭ったかのようだった。そして、友軍の死を。
(意外にナイーブなのか? お前は、オレに似たタイプだと思ってたんだがね……)
不気味な男とは聞いていた。
普通は成り立ての軍人にある筈の何かしらの理想や自負が色褪せている。万能感。使命感。自分ならできる、やってやろう――――という意思がない。薄い。それは本来、過酷な訓練を乗り越えるための助けになろう。若き兵が現実を知るのはそれからでいいのだ。
なのにその男は淡々と、まるで何かから逆算するように必要なものを拾っていっている。訓練をそう送っている。
だというのに何かの強烈な自負心に裏付けられるような確信的な言葉を吐き、かと思えば冷淡で、そう思えばときに奇妙なまでに人や人道に寄り添おうとする慈悲ある姿勢を見せる。
あまり近くで見なければ――……いや、深く知ってしまえばなお英雄的としか呼べない面を持っているのだ、と。だというのにそのことを一切誇りそうな態度になく、そんな英雄たる己に憧れる態度すらない。一体果たして、そのような性格の人間がそんな次元に行き着くのだろうか。
そうなることを義務付けられた剣を引き抜き、その役割を担っているかのように……何かが噛み合わない。
マクレガーに説いた男は、彼をそう評していた。――まるで未来から現在の行動を導いているようだ、と。
マクレガーの意見は、やや違った。
(人の結論が見える。決着が見える。逆に、何故、そこに至れないのだと不思議にさえ思えてくる――――てっきりお前も、そうだと思ったんだ)
合理性を本能で持つもの。
ある種の獣だ。
自分の中で区分けされ段階分けされる人間性。
その人間性という玉ねぎの皮を剥いていけるモノ。
本当に大切なもののために、それだけを見て、他を捨てていけるもの。
最高の効率で――――動く機械。
何故他人がそれをできずに些細なことに拘泥するのかが、理解はしても共感できない。
本当にそれはいるのか?――と自問する機能がないことが信じられない。そこで鉾を収めたり、呑み込めないことが何も判らない。
ある時点での確かな本音を、段階に応じて脱ぎ捨てる。その結果だけ見て感情的に嘘と吐く愚かな混同や、一元的な物の見方が理解できない。世界を区分けできずに単純にしか考えられない馬鹿がにわかに信じられない。
かつて中世の騎士物語では、獣が合理性の現れ――――感情の豊かさを持たず、冷たく、無機で、だからこそ人のみが持てる感情は大事で、しばし騎士たる物語には感情に翻弄されるロマンスが尊ばれたと聞く。今で言う機械のように獣は扱われた。
(オレから言わせて貰うと、感情をどうにかできない方が獣に見えるけどな)
くだらない言い争いをしないで、必要なことだけを告げて受け取れば恋人が死に別れる物語の悲劇は生まれない。
結局の所、その手の大方のトラブルは、そんな、感情を御せないからこそ発生する。この戦争だってそうだ。
ある種の侮蔑に近い。本当ならシンプルに終わる筈だった話を、くだらない体面や感情や拘りで無意味に複雑にする獣じみた我欲の動き。
だからこそ、彼に会うことを楽しみにしていた。自分と同類の人間なのではないか、と。その必要に応じて、自分という一つの機械を合理的に加工していける人間なのではないかと。
だが――――
(何だったかな、前に、誰かに言われた気がするが――)
アレは、高校の同期だったろうか。
大学で知り合った相手だったかも知れない。
確か――――ああ、変わり者だった。自分よりも数段聡明で、若くして大学入学可能なスコアを叩き出して、十六歳のその時には既に一度大学を卒業していた銀髪の女。
見れば分かる。
終わりが分かる。
オチが読めるというのと、言っていい。
なら、あとは、そこを目指すだけだろうと――――そんな話をしたのだった。
『ふふ。そうだねえ、いや、ワタシもそう思うとも。人類の知能とは……単純に言えばパターンの認知能力だ。如何にそこにパターンを見出し、そして区分けできるかが知能指数による一番の差異だ。IQが違うと話が成立しないというのはそれさ。ホワイトとオフホワイトとパールホワイトを区別できない人間と、できる人間で話が通じるかい? 文字通り、見えている世界が違うんだ』
銀髪の少女が笑う。
『そしてその点で話すなら――区分けできないと、無駄な角度が多すぎるのさ。それに拘れば、あるべき結末に行き着かない。……色々と見た上で、知った上で、やはり思うよ。ある種のヒトのそれは明確に無駄だ。どう美辞麗句で言い繕っても、それだけでは誤魔化せないものがある。それとこれとは別なんだ。しがらみ、機微、感傷……そこに拘るのは結局の所、俗人的なのさ』
天才故にかねてからそう思っていたであろう女は、様々なものを鑑みて検証した上で、やはりそれは不要な無駄だと断じた。
『しかし――――気を付けなければいけないよ。そんなように何もかも区別できるというのは、実に得難い力だ。一つ一つの現実というピースを、その形の通りに見れる。理解も早い。話も早い。合理的とはそれだ。キミのそれは素晴らしい力だ。圧倒的に優れている……だけれども』
銀髪銀目の女が、笑う。
女賢者というより――――道化のように。その年下の少女は、笑う。
『それとこれとは別という言葉で本質を見続けたら、やがて、大きな落とし穴に嵌ってしまうかも知れないよ。……魅入られるのさ、ただの冷たい事実でしかない現実に。素粒子や宇宙だけを眺めていたら、己がここに存在していることに意義が見出だせなくなるように。……優れた科学者ほど神を感じると言うけどね』
預言者じみた言葉。
それは一体、何を見ていたのか。
『同時に保たなければならない。全てを別に区切りながらも、一貫性を持つこと――――
お前の心臓はどこにある?――――と。
その銀色の瞳は腑分けするメスの切っ先のように、デイビッドを覗き込んだ。
得体の知れない女だった。
あらゆる対象を切り分けるものとしか見ないような……自分の数段上の奴だ。どんな人間もモルモットとしてしか見れないだろう。おそらくアレが個人的な好悪などを抱いたとしても、何かに入れ込むことはない。
そんな異質な人類だ。
それから、幾度か自問自答して……結局の所デイビッド・マクレガーはデイビッド・マクレガーなりに、彼女のような領域に旅立ってしまうことなく乗りこなすことができた。乗りこなせるような形に、加工した。
(まさかお前は、あの女の言っていたその先の人間か?)
全てを斬り分ける剣を大悟に至らせた探求者。
空の高みに至るモノ。
万物が異なると見て、万物の意味を腑分けして考えて、――――それでも一つの塊のように見れる、己のその視点すらも切り分けられる到達者。
そう思うと、酷く不気味に感じた。
人や物に価値を見出しながら、それを消してしまえる――そして時には己のそんな目を消してしまって価値を見れるという異常な切り替え能力の高さ。
一体、どんな精神でその働きができるのか。
どんな構造ならそれが成り立つのか。
狂気的な正気のままにそこに至るという――そんな矛盾した在り方を許すのは、精神的に完全に超越者だろう。ヒトと同じではない。所謂上位者であり、ともすれば人類の宿敵にまで成り得るかも知れない。
そんな、大いなる空洞を覗き込んでしまったような薄ら寒い恐怖。
(理解できない――……理解できなく思えてしまうのは、俺の未熟か……? 俺が、そっち側になるとは……)
下の位階の者に上の位階の者の思考は読めない。
それは、常々マクレガーが抱いてきたことだ。受けてきたことだ。愚かさという秤では、決して上位の者の視座に至れない。下位の尺度に当て嵌めて咀嚼し、見当違いな理解をするしかない。それが常だ。
これまでそのように評される側にいるのは自分の方で――そうできない不気味さにある種の悔しさがある。いや、それでも薄ら寒い恐怖が勝る……と言おうか。
聞いていた評価と、受けてみた印象と、その能力と、実際の行動が全て噛み合わず……ときに違和感に近いのだ。
(……それともやっぱり、オレとお前は似てるのかね)
己と同じように霧散しないために何かを通したのか。
ハンス・グリム・グッドフェローもまた、他者には一見の理解が得られずとも何かの一貫性を組み込んだのか。彼の場合は――人道や倫理を。或いは戦闘者としての何かの自負を。
そして、デイビッドの場合は……
(……ジュスティナの奴は、無茶してないといいが)
デイビッド・マクレガーの自己同一性は、そこだ。
将官たる父親とも折り合いが悪く、何かと跳ねっ返りだった妹。素直でなく、強情で、感情任せで、激情家の妹。
己のような生きやすさもなく、アレは、度々ぶつかってそのたびに傷付いて生きていくだろう。
なら、兄として、せめて多少なりとも――その手助けをしてやりたいと決めていた。
自分の力を、そう使うと決めていた。
……或いはそれは、あのローズマリー・モーリエに言わせたら不純物なのだろうか。
いつの間にかデイビッド・マクレガーも、彼女から興味を失って眺められる――そんな普通の人間になったのかもしれない。まぁ、あの怪物に気に入られたいとは思わないが。そも、そんな食指にかかる人間がいるのか疑問だが。
なんにせよ、
「さて。……それじゃあ、お客様がた。名残惜しいですが、快適なインド洋クルーズはそろそろ終わりを告げようとしております。海中の景色は如何だったでしょうか? 楽しく過ごせましたでしょうか? 紳士淑女の皆様……ここからは、敵船に乗り込む海賊の真似事のお時間です。カトラスはお持ちですか?」
告げた通信に、部下たちの笑いが返ってくる。
それに――安堵を覚えた。安堵を覚える自分がいた。いつの間にか、人の感情を嫌っていない自分がいた。
そのことに笑いを浮かべつつ、牙を向く。
その名に従い、役割を果たす時間だった――――。
まずは、奇襲を成功させる。
史上初となる――海中からのアーセナル・コマンド強襲を。
デイビッドの手腕に、全てがかかっていた。
◇ ◆ ◇
赤きフードを被った狩人騎士が、その従士と共に天空に浮かんだ鉄の街か――或いは横に寝かせた大剣の如き母艦の周囲を飛翔する。
母艦から放たれる対空砲火はハリネズミも斯くやという弾丸の筵を作り、無駄を承知で放たれる艦対空ミサイルが勢いよく高空に跳ねながら目標に向かって飛翔する。
周囲の空域に大いに浮かんだ雲は、青空に住まう白き獣の群れめいている。
痛烈なる砲煙の上がる空対空防衛。
これまでの二度の撤退戦を成功させたことで、妙な自信を持ってしまっていた――――と。
そう、メイジー・ブランシェットは後悔した。
正しく言うなら、あれは撤退戦ではなく遭遇戦だったのだ。相手も本気で逃走するメイジーらの掃討にかかったのではなく、偶発的な遭遇の果ての戦闘だった。
雲なのか、敵影なのか。
目で負いきれない。全天周囲コックピットに映った敵影が無造作に過ぎていく。天地を見失った遊泳魚めいて、あまりにも不確かな機動になってしまう。
直後――盛大な衝撃が、胃を下から衝き上げるような衝撃がコックピットを揺らす。
四種の複合装甲によって機体に損傷はないが、一撃浴びるたびに行動が中断されて足を釘付けにされてしまう。
そこに――――さらなるミサイルと対空砲火が襲いかかる。
「このッ!」
操縦桿をいっぱいに倒し、フットペダルを全開。
即座に機体が弾丸をも凌駕する加速を迎え――メイジー・ブランシェットは何度目かも判らない後悔をした。
深海に放り込んだゴムボールが破裂するあの映像。
背筋が、首筋が、肋骨が、肺が潰される。
ただの一度で全身を脂汗が包んだ。
弾丸の回避ができたか、否、それより先に潰れて死んでしまうのではないか――――蝕むような冷や汗が止まらない。
「ひっ……」
それでも未だにメイジーの動きを追従してくる弾丸を前に、喉から引き攣った声が漏れる。
バトルブーストが、怖い。痛い。辛い。それを引き起こす敵の攻撃が、怖い。
何とか、通常の機動で回避を試みる。必死に背後を振り返りながら、機体を旋回させる――――そこに衝撃。
グワグワと首と視界が揺れる。射線に誘い込まれた。逃げる先を、選ばされている。
これまでの敵と違って、明らかに連携が手慣れている。
『味方からの通信だ! 敵基地に増援が配置されている! 基地防空隊は健在! 戦闘に加わっていない! これはその増援の方だ!』
オペレーターからの通信。
身が凍る――――敵にはまだ、余裕がある?
『もう片方の味方さんの方はどうなってるんですかねえ! ちゃんと引き付けてくれてんの!? サボってねえ!?』
砲声混じりのセージの声。
普段の嘲るような響きを持てない切迫した声。
『敵は、隊を二分してこれだ! あちらにも第二世代型が向かってる!』
十機以上が乱れ飛ぶだけで、空は大きく狭められる。
矢継ぎ早にすれ違い、矢継ぎ早に弾が放たれる。目で追うことができない。どこに何があるかも判らない。
それでも――――〈大丈夫です!〉〈敵の攻撃なんて〉〈一発もこっちに届かせませんから!〉――――メイジーは拳を握って、敢えて敵の中心に機体を加速させた。
機動戦なんてできない。
高機動加速も以ての他だ。
ならばわざと足を止めて、装甲で押し切るその間に何とか撃ち落とすしかない。
被ロックオンの警報が鳴り続ける。混乱と、音と、恐怖が渦になってパニックじみた気持ちになる。
必死に操縦桿を握って姿勢制御。
何とか一機――――一機だけでも撃つ。墜とす。それしかない。当てれば、きっと墜ちる。それしない。
『こっちでこれなんて……向こうは大丈夫なのかよ!』
『気にしてる場合ですかね、エース坊っちゃん! やべえのはこっちもどっこいですよ! 余所のことよりうちのこと、だ!』
『あっちが墜ちたら全部来るだろ! もう、倒すのは諦めて足止めにかかった方がいい! 全員で足止めして、その間にさっさと地上を撃つんだ!』
『ええっ、ビーコンなしじゃ巻き込んじゃうから無理だよ! うわっ!? 左舷! 左舷に敵!』
怒声混じりの無線が飛び交う。
艦が空を飛ぶための仮想装甲が砲弾を止めてはいるが、それにも限度がある。というよりも、それを全て使い切った先は墜落だ。飛行要塞艦に限っては、アーセナル・コマンドほどの強度がないと考えていい。
『ブランシェットの奴を向こうに飛ばせて、その間にこっちはオレたちで何とかする! 時間を稼いで、一発撃って逃げるしかない! そうだろ!』
『オタクは指揮官じゃねえでしょう、エースの坊っちゃん! 喋るよりも射撃に集中!』
『じゃあ――――どうするんだよ! あっちが墜ちたらこっちにまとまってくるんだぞ!?』
悲鳴混じりと怒声混じりで、今にも艦の指揮はめちゃくちゃに崩れそうになっている。
メイジーへの敵は、四機でまとまったかと思ったら急激に二つに別れた。バトルブースト。空を跳躍するような人狼の動きに、近接兵装を折りたたんだプラズマライフルの銃口が迷う。
同時に、左右からミサイルを撃たれた。
違う、更に上からもだ。これは、耐えられるのか――それともあの回避をしなければならないのか。白煙が青空に筋を引いて迫りくる。
大混戦。
メイジーたちには少なくとも、そう感じられた。
それも崩壊間近の。
追い詰められて、判断が混ざってしまっている。飛び交う無線の圧迫的な音声と同じだけ、思考が乱れる。
これが、戦争。
これが本物の、戦争。
何も判らないまま――――何もできないままに死んでしまうかもしれない。この混乱のまま、気付いたら撃ち落とされているかもしれない。加速する死の潮流や情報の洪水のような場所――戦場。
『どうするんだ、味方は来てんのかよ! 基地に敵が残ってたら、上陸できないんじゃないのか! 惹き付けないと駄目じゃないのかよ!』
出鱈目に砲を乱射するかのような音の混じったエースの悲鳴じみた無線。
それが、伝播する。
いや、皆、きっとそう思っている。だから混乱している。そしてその疑心が伝わっている。
なのにどことなく――――どことなく他人事のように冷静に、エースはそんなことにまで頭が回るんだな……と思った。感心していた。現実感なく。自分と同じか、それよりも不慣れな学生だった筈なのに。
『クソッ! 艦長! 指示をしてくれ! どうするんだ! このまま待つのか! 向こうに行くのか!』
『み、味方から増援要請は――――』
そんな瞬間だった。
『――――こちら
揺るがぬ鋼のような声色が、無線から聞こえたのは。
一切の死と穢れを打ち払う刃毀れのない鉄剣の如き響きだった。
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