【レポート】第九の力、或いは観測伝導子【補話】
引用レポート「ガンジリウムという物質のその性質ついて」。
――アルバス・ウルヴス・グレイコート著、より
ガンジリウム――――。
星暦になってから発見された原子であり、異種原子の一種である。
現状、唯一と言っていい――自然界で極めて安定した異種原子の一種だ。
異種原子とは、通常の原子を構成する陽子・電子・中性子に変わって『同じ電荷を持つ別の素粒子』にて原子を成り立たせた原子だ。
例えば『陽子(+の電荷)』に代わって『反電子(+の電荷)』、『電子(-の電荷)』に代わって『反陽子(-の電荷)』、『中性子』に代わって『反中性子』で成り立つ『反原子』が最も理解しやすいものだろうが、これは単に電荷対称なだけであって異種原子とは呼べない。
異種原子とは例えば、『電子(-の電荷)』に代わって『反陽子(-の電荷)』が陽子と対を成すポジトロニウムのようなものや――或いは同様に、二つ持つ電子の内一つを反陽子に置き換えた反陽子ヘリウムのようなものがある。
だが、ガンジリウムは特に異なる。
ガンジリウムは、これらの――既存の原子を成り立たせている陽子・電子・中性子の粒子を一切持っていない。その反粒子に至るまで一切だ。
その原子を構成する
既存の原子の核子は一切用いずに、全てが異種とその他の反粒子のみによって成立した異種原子。
我々の世界の通常の物質とは、その原子の成り立ちが大きく異なるもの。
それが、ガンジリウムだ。
全く未知の存在と呼んでも、過言ではないだろう。
そして、更に不可思議な点がある。
言うまでもなくこの異種原子というものには、置き換えに伴ってある特徴が発生する。
反陽子も、
本来の原子よりもその構成要素が重いということは、それぞれのボーア半径(軌道半径)が本来の原子を構成する素粒子よりも小さくなることを意味している。
つまり、引き合う力――『弱い相互作用』による核分裂のリスクを抱えるのみならず、軌道半径の小ささによって互いに『強い相互作用』の影響を受けて、核融合のような形で別の原子へと崩壊や融合をしてもおかしくないということを意味する。
また、とても不安定な素粒子である。例えば
だというのに――この物質は、現に崩壊せずに他の異種原子に比べると極めて安定している。
そして何より奇妙なのは、そこから想定される質量に対して何ら釣り合っていない。
そうあるべき質量よりも、軽すぎる。
それはつまり、その質量を何かのエネルギーとして放出しているか(しかしこれは崩壊を意味するだろう)、それとも負の質量を持つ何かを内在させているということを意味する。
現状では、このガンジリウムのような異種原子の中で、理論との食い違いを発生させているその要素が何なのかは発見されていない。
我々はそれを『何かの
量子力学的な、そして宇宙論的な意味で興味深い物質ということは間違いないだろう。
これを分析することが、我々の宇宙の成り立ちを探る上でも実に極めて大きな助けになることは言うまでもない。
これは理論的な分野であり、では、現実の工業的な分野に如何にして寄与するだろうか。
一つは、核融合の触媒としての優秀さが見込まれる点だ。
ガンジリウムはそのボーア半径の小ささから、つまり他の軌道原子からしてみればまるでひとかたまりの中性子のように見える。
そうなれば一般的な電子の軌道のその分の接近をすることができ、その後に、強い相互作用による核融合反応を起こすことが容易となる。
アクタイオンの正体が不明である以上は理論の通りに核融合が起こらない可能性も高いが、解明できればこれは非常にプラズマ核融合の触媒として優れた物質であろう。
他にも――
(後略)
このように今日のガンジリウム物理学の基礎を作ったアルバス・ウルヴス・グレイコート博士が失われたことは、彼の友人や縁者のみならず、世界にとっても大いなる損失だろう。
本書は、あの戦争と悲劇によって命を失った偉大なる科学者アルバス・ウルヴス・グレイコート博士へと、哀悼を捧げる。
◇ ◆ ◇
観測者、というものの話をしよう。
摩訶不思議であるが、量子力学では、観測者というのは重要視されている。
ミクロではなく、マクロな観測者だ。
つまり、ここでは便宜的に人間と言ってしまっていい。
有名な放射性物質と詰められた猫の話と、箱を開けるまではその猫の死が確定しないという話がある。
半分の確率で放射線を出す原子がある。
放射線を検知すると毒ガスを出す機械がある。
それらが詰められた箱に猫がいる。
外から箱を開けるまでは猫が生きているか死んでいるかはわからず、結果、猫は『生きている状態と死んでいる状態が重ね合わせられている』。
有名すぎる話だろうが、これ自体は、量子力学の言い表していることを簡易に落とし込んでこんな馬鹿な話はない――――と量子力学を否定するために作られた思考実験である。
さて。
猫はともかくとして、当時の物理学者は量子力学が唱える『重ね合わせ』に対して、それを奇妙だと思った。
だから、こんな思考実験を作った。量子力学の持つ古典力学では想像し得ない奇妙すぎる性質についての拒否感から唱えられ――――そして他にもその否定のために様々なパラドックスが提唱された。
だが、なんと最終的に紆余曲折あれ『重ね合わせられた状態が存在するというのは疑いない』ということは実験から導かれた。
ここまではいいだろう。
もしすんなりと飲み込めるか、あるいはそんなものを常識だろうと思えたならば――今度はまた別に、次なる問題が発生するはずだ。
では、何を以て観測者と呼ぶのか――――だ。
先の例を考えてほしい。
確かに、箱に入れた時点では放射線が出るかは半々であった。その時点では本当に不明だった。
だが、本当に箱を開けるまで確率は半分の重ね合わせだろうか。
それよりも前に結果が確定――これを『波動関数の収束』と呼ぶ――することはないのだろうか。
まず、思うはずだ。
①外から箱を確認しなくても放射線が放たれれば機械が検知して反応するので、箱の外の観測者はまず必要ない。
つまり、機械が観測者になる。
②仮に機械が観測者ではないとしても、機械が反応して毒ガスを撒くことを猫自身が観測するので箱の外の観測者はまず必要ない。
つまり、猫が観測者になる。
③観測というのは、目や肌で何かを感じることであるがその『感じる』という現象が起こるよりも先に細かな分子や原子規模での変化が必ず生じているので(つまり①なら機械の中の検知機を構成する分子と放射線の接触であったり、②なら猫の肉体を構成する分子であったりが反応しているので)別に誰かや何かが観測する必要なんてない。
つまり、分子や原子が観測者になる。
だから別に、人間が観測するよりも先に決まるのではないか?――と思うだろう。これは自然な感覚だ。
そして、この箱に猫というものを放り込んでしまったからややこしくなるものであって(猫という生き物でいいなら別に箱の中に人を入れてもいいだろうと思う人間もいる筈だ)ここでは一旦、猫を取り出すとしよう。
毒ガスで死ぬ猫はいない。猫は助かった。
それに合わせて、①や②を変えてみよう。
猫は些かマクロ的であるので、そこには何か意図せぬ紛れが起きてしまうかもしれない。
それを避けるために、極めてそんな紛れを消せる最小単位を用意してみる。
放射線ではなく、毒ガスではなく、光子や電子と――猫ではなく、それを写すフィルムや遮る壁などと置き換えてみよう。
そして置き換えたとしても、ここで①や②や③と役割は変わらない。
つまり、『確率的に起こる出来事によって影響を受ける物体がある』という一点がそれらの役割だ。
さて、このように条件に変更した。
ここに光子を遮る壁と、その壁の先に光子を焼き付けるフィルムと、その壁にぶつかるのかぶつからないのかが半分の確率を持つ光子があるとする。
光子を遮る――ということは、光子の持つエネルギーを吸収するか反射するか、少なくともその接触の際に光子とその壁との間である種のエネルギーのやり取りが行われることになる。
そして先に上げた①や②のようにその物体そのものや、③のように物体の構成分子自体が『観測者』となれるというならば――――少なくともその物体と光子が接触して遮られる軌道にあったのか、遮られない軌道にあったのか、その時点でどんな軌道を通っていたかは確定するはずだ。
確定したら、それで、言える筈だ。
別に何も、人間が観測するという必要はないのでは――と。
……いいや、必要があるのだ。
そんな遮るものを用意した上で、光子は『遮られる場合』と『遮られなかった場合』のどちらでもある重ね合わせの結果を残した。
分子や物体は、観測者になり得なかった。
そのフィルムには、ただ、確率の波模様が現れた。
しかし、『遮られたのか否か』を観測者が壁の部分で確認した場合には、フィルム上に確率の波模様は現れずに、示しうる一つの結果に向かって波動関数は収束した。
更にこの実験に手を加えたところ、現在の選択が過去への影響を与えることも確認されている。
本当に、必要なのだ。
明確なる観測者というものが。
気持ち悪いと、思うだろうか。奇妙だと。
それとも、都合が良すぎると感じるか。
人間が誕生する以前から宇宙があり、今の人間の目で届かないところがあるというのに、何故今になってここに観測者が必要となるのか?――と。
或いは、そんな『人間の観測が必要』というのはとっくに古い理論であるのに、そこだけが無駄に有名に広がってしまっていて、現在の理論ではとうに否定されているのでは?――と。
一部のオカルティストやスピリチュアリストがその内容を取り違え、都合のいいように使おうとしており、誤った説が収集がつかないほどに広がっているのでは?――と。
いいや、違う。
現実に量子力学はそれを前提としており、最早、観測者の存在の必要性は疑うまでもない。
疑われているのは波動関数の収束が本当に起こりうるのかとか、その情報はどうやって伝わるのか、それを情報と呼ぶべきなのか、他にそれとも観測はどんな範囲にまで及ぶか、原則として観測することが絶対ならば観測不能なものをどう扱うかというものだとか、観測範囲外は如何なるものということである。
それを元に、それぞれの仮説から論が導かれている。
例えば、こんな仮説がある。
ファインマンの経路積分。
もつれと呼ばれる量子エンタングルメントの奇妙さ、つまり、異なる二点に別れた双子の粒子の片方の確率的な収束によってもう片方が収束することへの――その情報が超光速で伝わっているのではと見做すことができてしまうことへの――理由付けの一つとして唱えられたもの。
既に宇宙全体には素粒子が取りうる可能な経路の無限集合が存在しており、エンタングルメント状態の粒子の片方の観測に伴って波動関数の収束の情報が超光速の旅の果てにもう片方へと伝わったものではなく、多くの可能性の中から実際にどれが選ばれたのかを知るだけに過ぎないというもの。
エヴェレットの多世界解釈。
これは、波動関数の観測を伴わない。人間の観測が世界に与える影響はない――――とするための理論。
確率的な分岐に従い、そのたびに世界が別れており、それぞれの世界は繋がることはない。分岐の数だけ無限に世界が増えていくだけであって、それぞれがその中で生きているだけであって、人間の観測が世界に影響を与えることも波動関数が収束することもないのだというもの。
何にせよ、第一に、量子力学はもう疑いない。
外の人間が箱を開けるまで、箱の中の猫は死んでいる状態と生きている状態が確定しない――――確率的に重ね合わせであるというのは真実だ。
そして第二に、重ね合わせから一つを決定するには、この宇宙において、誰かが観測しなければならないというのは疑いない。
それが波動関数の収束を行うためなのか、それとも分岐した世界のどこにいるのか知るためなのかはさておきとして、とにかく観測という行為がなければ確率の波は収まらないのだ。
きっと貴方は、都合がいいと思うだろう。
それは、あまりにも世界が、人間というものに対して都合が良すぎるようにできてしまっていないかと。
人間以外の他の何が観測者になりうるのか、何を以ってミクロの世界とマクロの世界が隔たっているのか、人間が観測する以前の宇宙を誰が見ていたのか。
ああ、観測者よ。
誰がお前を観測者としての資格を持つと見做すのか。
何故、お前が決定者となり得るのか。
――――――――それを魂と呼ぼう。
魂や知性と称された第九の力とは、何も、摩訶不思議な力ではない。
高ぶることで無限のエネルギーを引き出すこともなければ、個々人の性質によってその重さや出力が違いすぎることも、或いは目減りせずに使えるものでもない。
これが多ければ、現実を塗り替えられる訳ではない。
この力を好きに操ることによって、この世を思い通りに書き換えられる訳ではない。
そんな都合のいい力でもなければ、熱力学的第二法則を突破するものでもない。
単なる、一つのエネルギーだ。
観測を、観測として有効である――――それが観測者に足ると定めるための、世界のミクロとマクロを区別するための、ある指標となる素粒子。
量があり、傾きがあり、スピンを持ち、存在している。
そんなただの素粒子の一つに過ぎない。
魂。
或いは知性。
それは確率的な収束に関わる素粒子――――
そこに不思議はない。
ただ、単なる分子や物質では『観測者』にはなり得ないという足切りのための素粒子。
この世に大きく分けて存在する三種類の素粒子――物質を構成する要素たる「物質粒子」のレプトンやクオーク、力を伝達する「ゲージ粒子」のフォトンやウィークボソン、質量を与える「ヒッグス粒子」のヒッグスという素粒子の中に分類される一。
その一定値によってマクロにおいて『観測者』であると見做されるだけの波動関数の収束に関わる――――電磁相互作用の影響を受ける素粒子の一つでしかないのだ。
これの存在によって、結果的にエヴェレットの多世界解釈は否定されるだろう。
或いは、共存するかもしれない。
何にせよ、魂や知性は人間の認識によって操作できるものでも現実に手を加えられるものでもなく、これは、そんなオカルトとは無縁の物理的な話に過ぎない。
第九の力、
それはある種の「物質粒子」であり、「ゲージ粒子」であるという性質を持つものに過ぎない。
そこに、何が見えるだろう。
「多世界解釈を否定したくなるのは、無限に宇宙が広がっていることへの気持ちの悪さからだろう? エネルギーは有限である筈なのに、一体どこからそんな宇宙の分岐の力が来ているんだと思ってしまう」
少女が――――どこまでも白い少女が、口を開く。
口を開いて見えるだろうか。
違う。ただ、情報が与えられているに過ぎない。情報を受け取っているに過ぎない。
貴方は、何も、見えてはいない。
「逆だよ。エネルギーは本来、無限なんだ。無限であることが自然なんだ。世界が有限だからこそ、君たちにとっては有限に見えているに過ぎない」
白い少女は肩を竦める。
「君たちの言う崩壊も何も、君たちの言う素粒子とやらそのものは消えてもなければ変わってもいない。本来のエネルギーの一部が、世界の縁に触れることで現れて見えただけに過ぎないよ」
実に単純な理屈だと――――笑う。
「角度さ」
少女の指が、二本の指が、指し示す。
ピースサインのように。
切り取られた角度を、貴方に伝える。角度の貴方に。
「角度が変わったんだ。全てのものはやがて角度を飛び越えていく」
その立てられた二本の指が作る角度へと向けられる、逆の手の人差し指。
ゆっくりと。
逆の人差し指が、角度を横断していく。
「君たちに見える時間や空間の壁にぶつかったときに、世界角度のそこに穴を開けるそのときに、本来の大いなる力のその一部が、君たちのいう現実というスクリーンに僅かに現れる。君たちは、それを指して崩壊や消滅と呼んでいるのだろう?」
やがて、その人差し指は二本の指が作る角度を突き抜けた。突き抜けていく。
さらにそのまま手のひらが、手首が、腕が――二本指の作る角度の窓に映ってくる。
徐々に動くそのものによって、時間の流れによって、角度の窓の中に切り取られて見える指の太さは変わる。
そこに映し出されるものは違う。
ああ、だが動かされる彼女の指自体は損なわれずに存在していて――
「全ては何も変わっていない……そして、君たちの世界という角度を飛び越えていく。いいかい、エネルギーは、無限であることが自然なんだよ」
少女は笑って、肩を竦めた。
「誰かが全てに海が満ちていると唱えたのは、まあ、当たらずとも遠からずだね。そうだよ。そこは全て、本来が海なんだ。何もかもは本当はただ大いなる一つの海でしかなくて、それが切り取られて、陰っていて、だから色がついているに過ぎない」
ディラックの海――――量子力学の理解において、理屈上起きえてしまう負のエネルギーが無下限に落ちていくことへの、しかし現実では落ちていっていないことへの理屈として考えられた仮想電子の海。
万物に満ちている仮想の海。
既にもう否定された仮想の場。
「それに本当は、エネルギーという言葉も飛び越えるという言葉もおかしいのさ。それもまた角度だ。真宇宙は、初めから、何一つ変わらずにそこにあるんだから。ただ、無限の中に『角度』という見かけ上の限界が設けられているにすぎない。時間も、空間も、エネルギーも、世界縁による角度世界も……何もかも見かけ上の限界でしかない」
少女は肩を竦め、そして笑った。
「世界の本質は、切り取る角度そのものさ。不便だねえ、君たちは。……まあ、今の僕に言えることではないけどね」
そして、その、月色の瞳が歪む。
情熱の炎が、灯される。
「そんなことより、彼の話さ。――――だって恋って、そういうものなのでしょう?」
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