【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第125話 第九の力、或いはハンス・グリム・グッドフェローとローズマリー・モーリエ
第125話 第九の力、或いはハンス・グリム・グッドフェローとローズマリー・モーリエ
その女性は、相変わらず――――というべきだろうか。
チェシャ猫のようにニヤニヤとした笑みを浮かべた銀髪で小柄の白衣の女性。
或いはその銀目銀髪は、以前よりも強くなっているかもしれない。
下から得意げに見上げてくるというその振る舞いだけは、以前と全く変わらないものではあるが。
ローズマリー・モーリエ上院議員。
十二歳で大学に入学してから四度も専門を変えて学び続けた女傑。
医師免許に加えて機械工学博士号、医学博士号、電子工学博士号、神経情報工学博士号を持つ怪物。
当人曰く、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチにしてプロメテウス――――と嘯く、かつて軍にて
自分の、大学の先輩だ。
ラモーナを連れ立って、彼女と二人でローズマリーの研究室を訪れていた。
研究室というより医者の診療所にも見えるし、上院議員を努めている割には特に秘書らしき人物は連れていない。
円筒形の銀色のロボットが部屋の中を動き回り――その中心のデスクの前に、小柄ながらに傲慢にして不遜な王のように腰掛けている。
その背後の壁一面のガラス張りの窓からは、SF映画のように都市部の摩天楼が覗く――――と見せかけてそれはホログラムテクスチャであろう。彼女も従軍経験があるが故に、防弾性や遮蔽性には気を使っているらしい。
そんな白衣の彼女は波打つ銀髪を揺らして鷹揚に頷き、
「ふむ。他ならぬキミの頼みだからね。さあ、話はすぐに済ませよう。脱ぎたまえ」
「……では、退室します」
ラモーナが恥ずかしそうに何度かこちらを見たので、言われるまでもなく部屋をあとにしようとした。
今日ここに来たのは、あの、ウィルへルミナが起こした事象について――――つまりラモーナが引き続き、人格汚染を受けていないかの検査についてだ。
だが、
「脱ぐのはキミだ」
……なんて?
「さあ、早く脱ぎたまえよ。ハンス・グリム・グッドフェローくん。ボクに裸を晒すんだ」
なんで?
◇ ◆ ◇
ハラスメントだ。
ハラスメントだ。
上半身を裸にひん剥かれて、寒々しい部屋の中で乳首を隠すこともできずに視姦――観察されている。
「今のうちによく見ておいた方がいいぞう、ライラックくん。後で見たいと思っても遅いからね。そういうのは子供のうちの方がお得だよ。大人になってからはできない。なかなかないぞ、こんなに練り上げられた貴重な肉体は」
「そ、そうなの……?」
「やめてください先輩。ラモーナも聞いては駄目だ。教育に良くない。やめなさい」
いえば、袖余りの白衣に包まれた指先でぺちぺちと叩かれた。
胸とか。
背中とか。
太腿とか。
脹脛とか。
叩かれた。ペチペチ。いっぱい。さわさわされた。
「ん。ほら、一晩どうだい? ん? ん? その身体を持て余してるのではないかね? ん?」
「やめて……」
そのスッと立てた人差し指で胸を縦になぞりながら、ニヤ付き混じりで笑いかけてくる。
なんかこの人だけ貞操観念が逆転した世界から来てる。こわい。たすけて。
「はっはっは、まあ、ワタシは生物学的には女だが性自認が男であり同性愛者であり受け側だから大目に見てくれたまえよ。マイノリティだぞ?」
「……それは女性と何が違うので?」
「差別発言だぞ、後輩くん? 軍はそのあたりも前時代的なのかな? うん?」
「………………」
りふじん。
わかんない。
ぶんかがちがう。
「……お熱が出そう」
「知恵熱だね。新しい扉が開かれそうになったときにはままによくある現象だ」
「医学エビデンスがない言葉を使わないでください、プロフェッサー・ドクター」
こんな人だっただろうか。
いや、ここまでセクハラはしてこなかった気がする。多分。わかんないけど。
「……二人は、その、知り合いなの?」
今日このとき、連れてこられた主体であるラモーナがようやく主役に躍り出た。そのまま速やかに議題をかっさらってほしい。
大きなガラス張りから摩天楼の絶景が見えるオフィスで上半身裸なのは堪える。それが架空のものだとしても堪える。服を着せてほしい。
なんとなく抗議の目線を向けるも、
「大学の先輩と後輩だよ。ワタシと、彼と、あとはマクシミリアンくん……よく三人で色々と遊びに行ったものさ。懐かしいねえ……旅行中の民航ロケット内で殺人事件! 古びたホテルで殺人鬼と激突事件!
「……話を盛りすぎです、先輩。半分ぐらい嘘では」
「半分本当なら真実と言っていいんじゃないかな」
「擬陽性からは駄目です」
「お硬いねぇ……あ、硬いと言えば腹筋に力を入れてみてくれるかい? うわあ凄いな! カボチャも擦り下ろせるんじゃないかコレ!? 身体にフードプロセッサーつけてるんかーい! ……え、これは駄目な掛け声かい?」
「………………」
またハラスメントされた。
この世界にはハラスメントが多い。良くないと思う。駄目だと思う。男にも女にもしちゃいけないと思う。
「それと、力を合わせるも何も……先輩は何もしていません」
「目の保養にぐらいはなっていたんじゃないかな。ほら、表紙やポスターには三人ぐらい並べて一人は女がいた方がウケがいいよ? うん? 美人だろう?」
「…………ドラマ化の予定はありません」
「そうかい? そうなったらボクらの恋愛描写とか増えそうなんだけどなー。駄目かなー」
つまらなそうにその短い手足を椅子の上でバタバタと動かした。
ラモーナは、完全に圧倒されているらしい。
透明感のある無重力少女が、その透明感のままに空気に消えて行きそうだった。大体そうなると人見知りの彼女はこちらを盾にしていたものなのだが、今は完全にスタチュー・オブ・ハラスメントめいて上半身裸なので近付けないのだろう。それとも、こちらの身体にある傷が怖いのかもしれない。
「え、えと……あの……えと……」
「ん、ああ。……大丈夫。話はもう終わってるよ。簡易なデータなら、この部屋の内部のセンサーで十分に収集できるからね。少なくとも今、以前の機体内部データ上と今のキミに差異はない」
「わたし、大丈夫……なの?」
「さあ? 医師として不確かなことは言えないからね。データで観測可能な範囲においては異常は見られていない、としか言えないさ。……どうせならその人格汚染とやらの最中に
彼女は、銀髪を揺らして肩を竦めた。
「……失礼しました。考えが及ばず……」
「いや、いいよ。咎めてはいないさ。キミはできることをその中で十分にやっている。……それと、キミからの話のおかげで見えたこともあるんだ。むしろキミで良かったと思うよ」
「それは……」
「他の人間から言われたら荒唐無稽と思って否定したかもしれないけどね。キミだから一考はしてみる、と言う気になってる。ふ、ふ――さあ。まずは例の寝返ったとされている兵たちのデータから確認していこうじゃないか! ははっ、楽しくなってきたねえ!」
そして――――手を翳すと共に宙に現れた数多くのホログラムウインドウを、白衣の袖からほんの少し指先を出して彼女は捌いていく。
身体は酷く小柄だというのに、それは熟練の外科医か、それともオーケストラの指揮者か。
流石の手際と言う他ないが……。
「……ところで脱がずとも彼女のデータを取れたなら、なおのこと俺が脱ぐ必要はなかったのでは?」
「うん? やる気が違うからね」
「やるき」
「ご褒美くれたっていいじゃないか! 業務外作業かつ時間外作業で無報酬作業なんだから肌の一つでも見ないとやってられないだろう?」
「ごほうび」
性別が女だからまだ許されてるのであってこれ立派なハラスメントではないか。というか性別が女でも許されないんじゃないだろうか。
それとも性的マイノリティだから配慮しなきゃ駄目なんだろうか。訴えたこっちが差別発言者になるんだろうか。
そこんとこ詳しくないので誰か教えてほしかった。
元が乙女ゲーだからそのへんのマイノリティ云々とかには年代の進みほどに対応してないんだろうこの世界。
文化がそういうふうになってるんだろう。
なんか理屈とかあるんだろう。
たぶん。どうなんだろう。わかんない。むつかしい。
それともこの人、貞操観念逆転世界から転生してきたエロマッドドクターなのかもしれない。
わかんない。
昔は多分こうでもなかったと思うんだけどな。どうだろう。わかんない。
◇ ◆ ◇
軍に情報開示の請求を行っているそのときに、当然であるが話題は自分たち三人のものになった。
三人というか、正確には自分とマクシミリアン――――あの【
「あー……怒ってなかったかい、彼」
「……判るのですか?」
「手に取るように判るとも。多分こんな感じだろうね。『おお、我が終生の友ハンス! 何故君と戦わねばならないのか! そんな悲劇には耐えられない! どうか私と同じ道を志してくれないか!』『そうか。それより武器を捨てて投降しろ。でなければ殺す』『な、私にさえ対応が変わらないというのか――よもやそこまで。お前は友にも剣を向ける恐ろしき獣となったのか!』……違うかい?」
「…………だいぶ違うと思いますが」
「えー? そうかい?」
多分。わかんないけど。
それにしても無駄に熱弁が上手だ。観劇が趣味なだけある。ロビンに紹介したら話が合うだろうか?
そうしてそれから、ようやく話は本題に入った。
そこで、こちらが知る限りのウィルへルミナの権能についての説明を行った。
極力主観を交えず、彼女が口にした言葉と実際に起きた現象。それと、ラモーナの体験した感覚。
それらを総合した上で――しばらく話を済まし顔で聞いていた彼女は、こちらの口にしたある言葉についてだけ反応をした。
「んー……後輩くん、今なんと言ったかな? あり得ない、と?」
「は。あり得ないというか……一体如何なる理屈で、その自己の転写――燃え広がらせると例えられるようなことを起こしたのかと。少なくとも、ラモーナは機械的な接触も身体的な接触も行ってはおりませんでした」
厚手の防護服に身を包まれたラモーナの肌に直接触れることは、極めて難しいのだ。
空気感染のような――。
それとも、ある種のオカルトめいたサイキックやテレパスならば理解は可能であるがと、そう言おうとしたときだった。
「ふむ。内在されることによって逆説的に内包すると言っていい。理解できるかい?」
飛び出したのは、あまり耳慣れない理屈だ。
こちらの戸惑いを読み取るように、立ち上がった彼女が一流のプレゼンターめいて手のひらを翳す。
「ところで、キミ、E=mc^2とはわかるかい?」
首肯する。
「では、iφt + φxx + 2ε|φ|^2 = 0(ε=±1)は?」
「……なんと?」
「非線形シュレディンガー方程式だ。単なる意地悪さ。じゃあ、πは?」
「円周率です」
それぐらいは解る。問題は、何故ここでその言葉が出てくるのかわからないということだ。
だが彼女は、満面の笑みを浮かべ――直後それを打ち消し、あたかも聴衆へと探偵が推理を展開するかのように、白衣に包まれた両腕を得意げに広げながら、音を立てて部屋を歩き出した。
「そうだ。これらは我々人類が利便的に表したものではあるが、しかし、何よりも疑いなくこの世の法則を示しているものと言える。2πrと言えば直径……πr^2と言えば面積。そこに何か疑いはあるかい? ここでr=3という式を作るのと、現実に半径が3センチメートルの円がそこにある際の直径や面積は、全く真実同じだろう? この時点までなら疑いなく正しい筈だ。πに具体的な数値を定義しない限りは」
「……」
「さて、では、具体的な数値を入れるとしよう。極めて高精度に小数点以下も示されているとしよう。……そこでも面積や直径は極めて正しいと、そう呼んでいいかな?」
「……厳密に言うと、物体を構成する分子などが有限である以上は、正確には円周率通りの数字にはならないかと思いますが」
「そうだろうね。それは確かだ」
どこかからメモとペンを取り出した彼女は、器用にそれを円形に破きながらまた足を運ぶ。
「だけれども、もう、円周率や円というのはそういうものなんだ。キミの言うように、仮に現実の観測データから帰納していったらそこで導き出せる円周率は細かな数字が食い違う。円を大きくするごとに食い違うだろう。物体の大きさにより、我々人類の観測可能領域により、観測機材の精度により、数字は食い違う。それぞれの物体から帰納的に導き出せる円周率では、そこに差異が現れる。でも、この円周率に関する式は正確なんだ――どういうことかわかるかい?」
「……」
「帰納的に求めていたなら、円周率は今頃どこかで割り切れていただろう。しかし、それは、大いなる規模と小さな規模での見逃せない差異を発生させてしまう。故に人類はそこで円周率を止めはしなかった」
「……」
「しかし式から演繹するに限って、そこに数値を代入すれば、現実のそれは、どんな大きさの円であれ普遍的に極めて近似値を導き出せる。……帰納と演繹の違いは理解できるね?」
煙に巻くような探偵じみた口ぶり。
帰納――――具体的な現実の出来事の中に共通する一般法則を見つけ出そうとすること。
演繹――――一般法則を見出し、具体的な個別の事例に当てはめること。
「我々はまず、理屈を見出そうと仮説を立て、或いは現実から帰納させ式を想定し、やがて演繹に使える大きな公式を作り出す。この世の法則というものを解き明かそうとする。さて……その意味において、このちっぽけな文字は宇宙の真理を描いたものだ。ありとあらゆる宇宙で行われる営みが、まさにこのメモの上にある」
「……」
「つまりこの式は、記号は、この宇宙に広がる法則そのものだ」
メモには、先程のE=MC^2が書かれている。
特殊相対性理論から導き出された質量とエネルギーの等価性に関する式。この世で最も有名で、そして殆ど宇宙のあらゆる物体に付き纏う法則。
そのメモを改めて指でつまみながら眺めた彼女は、
「おそらくだが、その、キミらの言うウィルへルミナ嬢の能力――――とやらも同じものなのではないかな」
肩を竦めて、そう言い切った。
理解できないこちらへと補うように、彼女は白衣に包まれた腕を広げながらホログラムヴィジョンを呼び出した。
その波打つ銀髪に、青い燐光が反射する。
「式を観測させているんだ。ウィルヘルミナ・テーラーという式を観測させている。普段はそれはただの式だ。だが同時に、それは、確かにそのものを表す言語であり内容であり象徴でもある」
こちらの怪訝そうな表情を受け取ったのか、安心させるように彼女は肩を崩した。
「そうだ。今キミがオカルトと思った――……ああそうだろう。そう思えるだろうね?」
「……」
「そうさ。それは呪術であり、しかし同時に科学であるとも言えるね。れっきとした科学さ。何も怯えることはないんだ。言霊――という概念とやらもね、ワタシは式の一種だと思っているよ。言葉に魂が宿る……何とも詩的な表現であるが、我々科学の徒こそそれを最も知っている。何故ならば、我々の語る式そのものが、彼らの言うところの言霊と同じであるからだ」
物事の本質を表した方程式と物事そのものは、全く等価であると言いたげに。
こちらが消化しきれていなかったウィルへルミナの超越的な権能を、何たることか、科学の徒である彼女こそが不思議のないものだと受け入れていた。
そして――と、言葉が続く。
「いいかい? この式は、このメモの中に今内在している。そしてこの世にその式通りの法則がある以上、式がメモに内在されながらも、その内在したメモすらも内包する大きな力として現実に現れている――そう言えるんじゃないかい?」
「ですが……それは、その式が表す法則は……メモに書かれる以前からこの世に存在するものでは? 式が、この世に法則を生み出す魔術という訳ではない」
「うん? ああ、そうだ。正しいよ――……うん、何よりだ。流石だね、
詐欺師のように穏やかな笑みで――歩き出した彼女はこちらの目の前で足を止め、言った。
「もし仮に、ここで、誰かがこのメモに新たなる式を書き込んだとしよう。それがある視点者にとっては全く過不足なく疑いのない式だとしよう。だが、メモを見る我々は知らなかった式だとしよう。……さて、我々という無知なる観測者にとっては、それは、メモに書き込まれて内包されることによって初めてこの世に現れた――それを内在させるメモすらをも内包する式と呼べるのではないかね?」
こちらを量るような、試すような笑み。
超然として、応用で、知性に溢れ、どこか狂気すらも覗く銀色の瞳。
故に――
「……ローズマリー・モーリエ。貴官は、今、何について語っている?」
「――」
こちらの一言に、場が静まった。
そして――……それから、僅かな沈黙。それが、不意に破られた。
彼女は、手を叩いて大きく笑い出した。今にも腹を抱えようとするほどに体をくの字に曲げた笑いだった。
「あはっ、ああ――うん。それでこそキミだ。やはりキミは素晴らしい……! そうだ。だからキミは有象無象とは違うんだ。ああ、本当に面白い……! キミは本当に鼻が利くねえ。素晴らしい猟犬だねえ……!」
「……」
「キミという人間の目は本来、そんな本質を見抜く瞳だ。遠慮かい? 制限かい? そうせねば機能を高められなかったかい? 出力を絞っているのかい? それとも不必要だと思ったからかい? ああ――……でもそうして、ちゃんと、欲しいときには決定的には間違えない」
道化のようにこちらを見上げながらも、彼女はあたかも支配者の如く値踏みするように頬を歪める。
「ふふっ、ああ……そうだ。だからだろうねえ、こんなにもボクを飽きさせないのは。……そうさ、キミは本当に大事なときは間違えないんだ。少なくとも決定的にボクを手放さない程度に、キミはボクを掴み止めようとしてくれているよ。キミに余計な状況と制限をかけさえしなければ、キミは本質的にボクの味方で居てくれる。……ああ。こう言った方がいいかな? まさしくキミが望んだ方向性は、正しく機能しているよ。悪いのは状況の方さ。キミが気に病むことでもない。どうしたって救えない者はいる……掬えないと言うかな?」
「その……」
「うん、なんだい後輩くん?」
うっとりと――どうやらようやくここに来て再会を喜ぶように、こちらをこちらとして認識したように彼女は上機嫌になっていた。
それはともかく、
「話が長くて……あまり、入ってこないかと……」
ラモーナは今にも頭から煙が出そうなくらいに左右に首を傾げて目をぱちくりさせていた。
あと服を返して欲しい。
寒い。
そろそろ辛い。心が寒い。上半身裸は辛い。
そう言えば、彼女は僅かに顎に指を当てて考える素振りをしたのちに――
「……今夜どうかな?」
なんで?
「ボクもいい歳なんだから、そろそろ貰ってくれてもいいんじゃないかい? キミみたいなの以外に誰がボクを貰えるって言うんだい? うん? キミの余計な力をそこらに向けさせないで済むのは、ボクみたいな厄介な人間の相手に全力を注がせるときしかないじゃないか。うん、その点から言っても、そして世の為にボクを貰うべきじゃないかな? きっと世の中の悲劇を減らせるぞ? だろう?」
「……先輩、まだご結婚は?」
「したけど」
…………? ?? ???????
◇ ◆ ◇
銀色の円筒形のロボットからミネラルウォーターを受け取った彼女は、また椅子に座しながら天井に手のひらを向けた。
意地の悪そうな笑み。
本当に医者というよりは偏屈な教授であり、何よりもどうしようもない性格の探偵めいている振る舞いだ。
「医者として、研究者として、あまりエビデンスのない言葉は使いたくないんだけど……そうだね、纏めるとしたらこんな形かな」
それは、こちらの体験からの総合的な仮説だ。
「ウィルへルミナ・テーラーというものを視覚や聴覚などに認識させることによって、ウィルへルミナ・テーラーという概念を相手の脳に植え付ける」
「え、えっと……」
「まあ、変な言い方をしたが何もオカルティックな話ではなくて……いや本当にそこは誤解しないでくれるかい? 簡単に言えばその声の持ち主や言動の主と、その外見や性格などの情報を頭の中で関連付けて『ウィルへルミナ・テーラー』という個体認識をさせるというところかな。……まだ難しいかい?」
ラモーナが小さく頷けば、彼女は優しげに目を細めて銀色の目線を合わせた。
「例えばキミが知人に対して電話口でいちいち確認を取らなくても、声を聞けば誰と話しているかは判るだろう? そしてその、『誰』――という認識は同時に表情や外見、経歴や以前の会話を想起させる筈だ。例えば以前は対面で話していて次は電話越しだとしても……脳内の関連付けによって矛盾なく記憶の照会は可能だろう?」
「うん……」
「この関連付けに関しては、オカルトでもなんでもない。脳の生理的な機能とコミュニケーションだ」
そう言葉を区切り、
「さて。単なる推論は語りたくないけど、君たちの言葉から判断するなら――……そんな、相手の中に自分に関しての『その人物』という認識が確立されて初めてウィルへルミナ・テーラーの技能は使用可能となる筈だ。言ってしまえば、この人ならこうするだろうという人物像のようなものかな。キミの脳の中の瞳にウィルへルミナの像が映るんだ」
ひとまず、ローズマリーはそう纏める。
だが、それはまだ前提でしかない――……。
彼女という探偵は、更にその狂気的な凶器についての推理を続けた。
「ここまでは、正常な脳機能の話だが――ここからは些か、現状の科学を超えた推論となってくる。しかし、式という概念についての理解は済んだろう?」
ラモーナだけではなくこちらの反応を確認した上で、満足げに彼女は頷いた。
「そんなウィルへルミナ・テーラーの人物像とは、つまりは式だ。式とは法則を言い表したものだ。それに従い、ウィルへルミナ・テーラーはそこに宿る」
「……」
「はは、まさしく深淵だ。キミが深淵を見るとき、深淵もまたキミを覗いているんだ――――何とも実に詩的な能力じゃあないか!」
どこか他人事のように、彼女は笑う。
実際のところ――他人事ではあるのだろう。
そうだ、これは、科学者としての彼女を主体としたものではない。
もっと別の視点から来るものだ。
「それは式であり、ウィルへルミナ・テーラーだ。あとは式に数値を代入さえすれば、立派に機能を果たす! まあ実際のところ細々したものは省いたし定義にも疑問は出るが――……ほら、こう考えればわかりやすいだろう?」
「えっと……」
「ふむ。言い換えようか。……どんな形にしろ、人間の中で、理屈はつけられるんだ。切り分けることで理屈が見出されるのではなく、ただ理屈によってこの世は切り分けられるんだ」
彼女は、そう、椅子に座したラモーナの肩へと手を差し伸べた。
その瞳に狂気はない。
科学者としてではなく、ただ一人の大人として、彼女はラモーナと向かい合っていた。
「いいかい? 理屈は人を不安にさせるためにあるんじゃあない。不安を言語化することで理屈を付け、人は、安心を得るんだ。理屈というのはそも、安心のために生み出された」
ああ――――そうなのだ。
これは科学的な検証ではない。だから荒唐無稽な理論さえ飛び出している。
彼女は科学者だ。
故に十分な検証ができないことも、まるで再現性がないことも、データとして不十分と見做す。根底にそんな性質がある。
だからこそ――非科学的であるこの事象に対しての十分な意見を持たない。
ああ、だから本当にただ……科学者としてではなく彼女は、呪いを解こうとしていた。
かつて学生のときに遭遇した殺人事件で犯行についての推理そのものではなく、除霊と笑いながら人々の心を解きほぐしたように――。
「今のところ、キミたちの置かれた状況から鑑みるに――ウィルへルミナ・テーラーの能力が通じているのは、ある一定の相手に限られている。……ハンスくんなら答えはわかっているんじゃないかい?」
「……は。細かくは不明ですが、まず
「そうだね。知っている通り、
宥めるような声色。
これは、カウンセリングだ。
ラモーナへのカウンセリングのようなものであった。
「だから――――ああ、摩訶不思議に予兆なくキミが怪物に変わるなんてことはあり得ない。これは現象であり、理屈があるようなことなんだ。……安心できたかい?」
ラモーナの膝に手を起きながら、ローズマリーが慈しむような表情を浮かべ――――……ラモーナがどうなったかなど、最早言うまでもないだろう。
その涙が収まるまでの間、彼女はそうしていた。
ずっと、そう、小児科医が患者にそうするように彼女へと寄り添っていた。
◇ ◆ ◇
ラモーナは、更に細かい検査へと向かっていった。
今回の件とはまた別に、と言おうか。
そちらについての同行を行おうとしたが――彼女から断られたことが一つと、ローズマリーから呼び止められたことが一つ。
デスクに向かう彼女は、緩やかに椅子を回転させてこちらを捉えつつ、言った。
「判ってはいるとは思うけど、データが足りなさすぎる。まだあの子が本当に安全かどうかは判らないから、くれぐれも軍の機密には近付かせないことだ。……無視できない程度に再現性があるものは、能力ではなく現象だからね」
「理解しています。具体的な安全性は――」
「その辺りは、データが開示されてからさ。さて、コンバット・クラウド・リンク上から生体データが削除されてなければいいけど……」
ふうむ、と顎を撫でた彼女はあまり楽しそうではない。
やはり、人の人格を塗り潰すような――尊厳を踏みにじるような現象には思うところがあるのか。
そう伺えば、答えは違った。
「実際のところ、どんな細かな条件で発動するかとか、どうしたら安全かとか、何ができるかなんてのは別に知ったことじゃあないさ。だって面白みもないだろう?」
「面白み……ですか?」
「銃で脅したり、首輪に爆弾を付けて脅せばできることやる技能でしかない。ローコストではあるけどね。脳からデータを吸い出すことは――――確かに魅力だ。ただ、いずれは既存の技術でも可能となるだろうね。……個性がない人格なら電子データにもできるところに来てるんだ。そう遠くない領域なんだよ、それは。キミもわかっているだろう?」
頷けば、彼女は妖しく目を光らせた。
「それよりも――だ。ボクが気になっているのは、何が彼女の力を媒介しているか……だよ」
「それは……」
「基本的にこの世には、何らかの力の媒体が必要だ。電磁気力が光子によって伝えられるように、重力が重力子によって伝えられるように、必ず力には何か媒介が必要となってくる。……理解はできるね?」
その程度なら、自分にも解る。
つまり先に言ったような『式に何かを代入するようにウィルへルミナを移す力』とやらがあるとして――――ではどうやってその力とやらを、式とやらを伝えたのかという問題だろう。
「光による像や音で認識を作っているというなら、何らかの形でその人物プログラミングや人物データの構築には光子が絡んでいるのかもしれない。その特異なパターンの通信により、未知数の伝達と構築がされているのかもしれない。しかしそうなるとまた疑問が出る。……キミの話では、ウィルへルミナ・テーラーの本体と派生物は双方向に情報の共有を行っていたということだろう? それも、距離的に考えたら到底光速よりも早いとさえ思えるもので」
「……」
「一体、何がその媒体を努めたのか。……いいかい? 散々オカルト的な話をしてきたが、最初から言うようにボクは科学の徒だ。必ずこの世には何かの媒介や伝達が必要となる。一見して空間を超越して見えていたとしても、必ず、絶対に必ずそうならなくてはならないんだ。……いや、嘘言ったな。量子デコヒーレンスやエンタングルなんかの問題も出てくるからそうは言えないか。うん、言えないな。そうだね、正しく言うなら『情報伝達が光速を超えることはない』か……例えば相関関係においては伝達の必要は……いや、それでもリープ・ロビンソン限界が……だがそれも多世界解釈や収束的逆導引性理論によって……」
会話の途中だと言うのに彼女は、どこか別の方に思考を飛ばし始めていた。
「……環境変動だなんだの混乱のせいで量子力学も随分と停滞した。第五の力の研究も進まず、超大統一理論の構築はそれが打ち出されてから何百年も進んでいない……実に損失だ。だから戦争なんてものは碌でもないんだ。そうは思わないかい?」
「思います」
「うん、その、理屈は細かく理解できなくても敬意を払うという姿勢は大変よろしい。人が自然に抱いてきた畏敬と同じだよ。――まあ、すぐに神という理屈を付け始めたのだけれど。全く、本当に人という生き物は理屈を付けるのが好きな生き物じゃないか。……いや、そういう意味でキミの割り切りは少々人間を離れてるね」
「……」
「そうだよ。理屈だ――……ところで理屈と言えば、それにしてもボクは常々思ってるんだけどね。科学者を登場人物にした恋愛ドラマですぐに『理屈のつかない感情』って言うのはなんだいアレは? 馬鹿にしていると思わないかい?」
……うん?
「ボクらはね、最終的に理屈が付かないとしても理屈を付けようとするんだよ。アインシュタインという大昔の科学者でさえ、今では当たり前の量子力学論を『なるほどそういうものか』と言わずに色々とパラドックスで反証しようとしたんだよ? いやほら、例えば少なくともどういうところに好感を抱いたかの分析と、何故自分がそこに好感を抱くのか、どんな経験からそれが導き出されたのか、精神構造がどのように変化するのかぐらいは分析できると思わないかい? いやまあ専門がある以上は素人分析で他の領域に足を踏み入れられないか。そうか。でもそうだとしてもせめてもうちょっと科学者として何故を前に匙を投げるのが早いというか、別に横の繋がりが用意できないこともないんだし、何よりも好きな相手のことぐらいは科学者として――」
話が逸れてる。
自分があまり喋らなくなったのは、彼女の影響のところもあるかもしれない。
相槌を打つぐらいしかできないのだ。興味深いから聞き役に回らされてしまう、というのもある。
そうしてひとしきり喋った彼女は、また、元の路線に戻ってきた。
「ううん……細かい被害よりも、理屈よりも、見かけ上でも光速を超越されたことが引っかかる……実は超越してないんだろうか? それとも光速を破れる限定的な状況が生まれたんだろうか? まさか
ブツブツと呟きながら、空間に展開されるホログラムを眺めるローズマリー。
そこには、あの衛星軌道での攻防が映し出されている。
自分が帰還するより以前の、【
アシュレイの攻撃によってその場のアーセナル・コマンドのセンサー類や電子系統類は破壊され、こちらも機体を喪失。ヘンリーやフレデリックの物が機密として扱われているとすると――――これは、現場に居合わせた巡洋艦の映像か。
「まあ、何らかの要因によっておそらくは情報の伝達がされている。影響は無限遠か? となると……いや……だが……細かいところは引っかかるが。そこに情報伝達は行われ――――いや待てよ。例えばそれぞれが別個に独立して動いていて、単にその時点では『情報は共有されている』と錯覚しているだけなんじゃないか? そうだ。この場合はハンスくんが観測者として――」
なんか始まった。
「あくまでウィルへルミナ・テーラー自身がそう思い込んでいる。……そしてウィルへルミナ・テーラーがウィルへルミナ・テーラー同士で情報を共有した、と明らかになったのはハンスくんがその情報を持って確認しに行ってからだから、つまり光速度は超えていないか。だが現実はその間に彼女も行動しているし――いや、エヴェレットの多世界解釈理論を適用するか? 或いは選択的遅延実験、或いは同一光子による時間的遅延遡行実験、マグネティックリング透過実験やメルボルン大学の超光子限界放射やワンソー情報穴理論を鑑みれば無理もないことには……それともメルボルンの量子レンズ交換実験か? なんとか――」
なんかガリガリ書いてる。
ノートが埋まっていく。
逆の手でホログラムコンソールによって宙にも色々と描かれていく。
「悔しい! 気候変動だ紛争だ戦争だで理論が進まなかったことが悔しい! 悔しい! なんて損失だ! なかったら今頃ボクはこのモヤモヤを味わわずに済んだかもしれないというのに! 酷いぞ! ズルい! 酷い! クソッ! 理屈を付けてやるッ! このボクの前に現れたことを後悔させてやろうボクと同じだけ! はははははは!」
「コーヒーを入れますね。……ポットは?」
「あっち。お願い。甘くだよ?」
そしてこの部屋に来るのは初めてだが大体お決まりのところにミルと豆は備えられていて――子供のように不平不満を言い、散々喚き、お姫様だっこで運べ機嫌を取れ膝枕をしろ肩を揉めと申し付けてきて、全て丁重に断った上でカップを差し出せば、彼女はようやく落ち着いたのか三杯目のコーヒーを啜りながらふと呟いた。
なおお行儀が悪いので寝転がるのをやめるように言ったら、ふてくされたように逆からソファーの背もたれに上半身を預けている。
壁の上のチェシャ猫が尻尾を投げ出すように、背もたれの縁から手とコーヒーカップをだらんと垂らして。これもお決まりのものだ。
「或いは、ひょっとしたら魂の力なのかもしれないね」
「……魂?」
「ああ、いや、その……別に何もオカルトの話ではないんだ……待って身構えないでおくれよ……カルト宗教やトンデモ科学者扱いだけは避けたいんだよぉ……! うぇぇぇぇ、やめてくれよぉ……ボクを見捨てるなよぉ……先輩だぞ? 偉いんだぞ? 博士号を四つも持ってるんだぞ? いや、本当、仮説なんだ……」
「……は」
「いや……繰り返すけど、仮説だよ? ボクは疲れているというのは念頭においてくれたまえよ? 例えば――小指の先ほどもない蜘蛛の子供が夢を見ることをキミは知っているかい?」
初耳だ。
「見るんだよ。レム睡眠が観測された。……かつて、犬猫なども夢を見ないとされていた。キリスト教論的に人類の魂――人間の知性のみが特別に扱われる風潮があったんだ。でも、その、睡眠時に夢を見るという生物は思ったよりも多くいることがわかった。……これが何を意味するか判るかい?」
「いえ……」
「夢を見るということは、その程度の知性を持つことだ。いいや、知性でなくとも良い。少なくともそんな情報の整理が必要だということだ。これはオカルトではなく単に科学的な話だ。その程度の脳の大きさでも、夢を見るだけの情報集積能力と処理能力と整理機能が必要とされており、そして存在しているということなんだ」
なるほどな、と思う。
犬は飼っていたが、夢の中で走っているように前足を動かしたのを見た覚えがある。
きっとかつてその理論を立てた連中はよほど犬を見たことがなかったのだろう。良くも詳しくないのに否定できる。わんこやにゃんこを。許せぬ。
「そして、意識というものが量子的な効果を持つというのは既に既知の通りだ。脳量子論は時代遅れのオカルトではなく、量子磁気検知器によって意識の有無による量子的効果の変動というのが――有意な相関関係が外部から確認されている。睡眠時とそうでないときによって、量子検知MRIは異なる反応を示している、と。他にも――生存している、しかし意識が喪失された多細胞生物を用いた体細胞の量子縺れ化実験も確認され、それは極めてミクロなスケールの現象ではなくマクロスケールでも発現しうるとね」
専門的な話には、ただ聞き入るしかない。
「ついでに言うならば、まず睡眠は、高等な脊椎動物にだけ許されたものではない。脳を持たない生物すらも睡眠することが判っている――――ただ、彼らは夢を見るのか? それは判らない。外部から確かめようがないからね。まあ、高度な感覚器官を持たないなら夢の必要はないだろう。そこに推論や空想で足を踏み入れることはできない」
「……」
「いいかい、科学者としてのボクはあくまで――それが進化の過程で必要とされたならば、その方が有利な形質ならば、我々が解明できていないだけで彼らの脳にもそんな機能が存在する余地が十分にあるのだろう――と言う。その上で解体し、解析し、解明するのが科学の使命だ。そのことにはなんら疑いはないんだ。ただ――」
彼女は僅かに、その髪を握った。
かつてよりも、より銀色に染まってしまった髪を。ガンジリウムに汚染された髪を。
「だけれども――それはタンパク質の不思議か? 高度な機能か? 進化の神秘か? それとも、脳というものはその大きさに関わらず――一定度の知性なるものを宿すのか?」
その銀色の瞳が哀愁と、にわかな狂気を帯びた。
「高度な生体3Dプリンターで作った脳は夢を見るのだろうか? それとも見ないのか? 見ないとしたら何が理由だろう? 見るとしたら何が理由だろう? いいかい? 科学とは、共通点と相違点を並べ立てて方程式を調べていくことだ。多くのパターンを紐解き、そしてこの世は奇妙なことにそのパターンの先にある式で説明できる法則によって成り立っていると知る。何故方程式が? それが効率的だからか? 収束したのか? 何故? 円周率に例外はないのか? 果てはないのか? どうして世界は確率によって成り立つ? 収束するのか? 発散するのか? 分岐するのか? 何故、万物は数学的に説明できる? 何故、我々は何故と考える? いいやわかっているさ理屈はつくんだ。どれにも理屈はつくが――ああ、どんな性質がそれを導き出すと言うんだ?」
削るように。
研ぐように。
言葉と共に、彼女の瞳は空洞へと向かっていく。或いは――地平へと。
「勿論、説明が付くものもある。我々は多くに説明をつけてきた。必ず説明を付けてやると諦めはしない。科学は諦めを踏破することだ。……だけれども未だに神学や宗教がなくならないのは、そんな、説明しきれない――――説明しきったとしてもそれでも生まれる大いなるものへの答えになり得るからだ。人は納得したいのだ。そして説明が難しいのだ」
或いは、誰よりもその彼女が納得を求めているふうに見えた。狂気的なほどに見えるのは、ただ、向かい合おうとしているからかもしれない。
「……おっと、話が逸れたね。そしてキミは――……うん、ははっ、それでもボクのことをどうにもならない狂人や何とも仕方ないもののように見ないんだね」
「……」
「キミは見続ける。正気をそう定義したように、キミはただ理性で見続ける。……キミが何かを見なくなるのは理性を手放したからではなく、理性によって、その先は不要だと断ずるからだ。……ああ、本当は、どこまでも人に寄り添いたいんだね。
不意にその頬が和らぎ、こちらへと手が伸ばされる。
だがこちらの頬に触れる前に、白衣の中に引っ込んでいった。彼女は何か言いたげにこちらを眺めて、それから肩を竦めた。
「まあ――……そこはいいさ。それはおいておこう。何故こんな説明をしたかと言うと――――魂だ。或いは、知性と呼んでいい」
「それは……」
「そう、一応言っておくがオカルトではなく。摩訶不思議な無限のエネルギーではなく。それも、有限の単なるエネルギーとして……超大統一理論が纏めようとしているものののように。ひょっとしたらこの世には、ある種の、魂や知性というエネルギーがあるのではないか? ビッグバンから始まった宇宙の中で、大いなる元から分離したエネルギーであり、実は未だに我々が観測できない力なんじゃあないか?」
繰り返しオカルトではないと言うのは、彼女自身がそれを認めるところだからだろうか。
だが――言われてみたら、だ。
ビッグバンのその時から熱力学的法則が破られず、エネルギーがどこかから無限に湧いてこないとした上で、その内の一種だとして定義すればオカルトではないのか。
「暗黒物質という、そこに多く宇宙を満たしているのに未だに解明しきれないものもある――――ああ、科学者としては失格の発想かもしれない。しかし、今、我々に見えているものはそれが全てなのか? 我々は、見通すための瞳を持っていないんじゃあないか?」
髪を搔き毟ろうとした彼女は不意に手を止め、憑き物が落ちたような笑みを浮かべていた。
「さて、まあ、長々と話して悪いが――……別に大したことを言いたかった訳じゃない。例えば、弱い力と電磁気力はかつては同一の力だったと知っているかい? 電弱力と言うんだ。随分と昔にその統一は証明された」
「は、それが……」
「うん? いや、もしさっき言った知性とか魂だとやらがあるとしたら、多分宿るのはきっと脳だろう? それに、仮にウィルなんとかくんが人格や記憶や思考とやらを移すとなってくると……少なくとも思考があるということは、脳波があるということは、生体電流の影響――――つまり電磁気力と何らかの相互作用を起こす力なのは自明じゃないか。まあ、確かめなければわからないけど」
電磁気力と相互作用を起こす力――――。
つまり、電気を流せば影響を受けるものということか。
電気、と言われてすぐにイメージは付かなかった。こちらはそもそも、弱い力というものにすら馴染みがない。
やれやれと彼女は肩を竦め、
「まあ、全てはトンデモオカルトレベルの、エビデンスもない理屈だからさらにその先なんて口には出したくないけど――」
そこで言葉を区切ってから、溜め息と共に吐き出した。
「果たして、知性とやらをエネルギーとするのは、彼女だけなんだろうかね?」
ホログラムが。
アーセナル・コマンドの戦闘風景が、研究室の中で踊っていた。
その中で、《
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