【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
補話【五】 深海魚、或いはハンス・グリム・グッドフェローとマーシュ・ペルシネット その四
補話【五】 深海魚、或いはハンス・グリム・グッドフェローとマーシュ・ペルシネット その四
そこで射殺されるとは、誰も思っていなかったのだろう。
へたり込むマーシュも、外骨格の手勢たちも、弾け飛ぶ彼自身さえも――……。
映画やドラマならそんな悪役とヒロインを巡って最後の銃撃戦などになるかもしれないが、現実はそうならない。
まず指揮官から殺すのは戦場の鉄則だ。
あまりにも危機感がない、と言わざるを得ない。そして彼は己の命でその過ちを支払うことになった。
人間は意図して自発的に行動する際の速度に比べて、相手の動きに対応しての反応速度が訓練のない人間ですら平均して〇・〇二秒ほど早いという研究結果がある。
ならば、逆に言うのならば。
その〇・〇二秒で相手を殺せるのならば――この世の如何なる相手をも葬ることが可能ではないだろうか。
後より出て、先を断つ応報の剣の如く。
己の射撃とは、つまり、それだ。
極端に軽くした
己自身と、人の技術と、その科学の全てを集約した――これまでの人類史そのものが授け賜うたと言って過言ではないその刃。
殺すものだ。
仕損じはない。
一度とて、ない。
民衆に紛れて突撃してくる少年兵も。
激昂に目を染めた民間登用の少女も。
敵のロボットも。味方のサイボーグも。
その全てを鏖殺した。
結果として――――それは、ホルスターに銃を収めた状態からすらも先んじて相手を撃ち抜く武器となる。
(――――――)
加えて、二連射。
既に撃鉄を起こしてホルスターに仕舞ったリボルバー。そしてトリガーを引いたままに撃鉄を左手で引き倒すことによるファニング。
それは瞬く間すらも遥かに置き去りに、一繋がりの銃声として二名を肉塊に変える技。
長大なる銃の重さが故に人類最速の本来の使い手には及ばぬにせよ――それでも、向かい合った状態ならば二名までは、現存人類の全てを一方的に殺害可能な己の切り札である。
マーシュ・ペルシネットを苛んでいた男の頭部は文字通り真っ赤に弾け飛び、その隣の隊長格は甲高い音と共に顔面を弾かれて倒れ込む。
だが、
「っ、
思考と逡巡を交えた上での即座対応。
雇い主はともかく、その飼い犬は優秀だった。
挟み込むように迫りくるライフルを用いた近接格闘。
同時、後ろ手に放った度数九十八度の――純正アルコールに等しい酒瓶が砕け散りその中身を振りまく最中、前方からの横薙ぎの一撃をすり抜けるように回避し――――そのまま、その膝裏に一発。
金属の内側で膨らむ人体が立てる醜悪な異音。
その着弾の衝撃によって、内部から大腿骨が破砕し大腿が破裂しただろうか。
痛みに呻く暇も与えない。
すれ違いざまに敵の腰から抜き取っていた電磁ナイフをその首裏に突き立て、スイッチ始動。
激突。生まれる混乱。包囲の綻び。
その間に地を蹴り、路地裏へと身を隠した。
時計と一体化した可搬型デバイスによって部隊へと緊急通報――用意していた緊急コード。文面。
そのまま、残る敵へと呼びかけた。
「指揮官は潰した。諦めるなら今の内だ」
「テメエ……クソッタレ! テメエ、一体誰をやったのか判ってるのか! このクソッタレ! 狂犬が!」
「誰であろうと例外ではない。正当防衛だ」
聖者でも、悪党でも、神様でも、こちらに不用意に銃口を向けたなら射殺はできる。
それが法だ。
銃口の前に例外はない。その条件を満たしたなら殺すだけだ。
戦闘の焦燥の中、己が深く沈降する。静かに――冷ややかに。切り替わる。
「撃て! 頭を抑えろ! クソッタレ! もうめちゃくちゃだ! 早く収容しろ! 撃ち続けろ!」
怒号と共に迸るマズルフラッシュと、手榴弾の炸裂めいて弾け飛ぶ煉瓦を模した作りのコンクリート。
その口径を前に、そんな建物の壁では防御にならない。
だが、構わなかった。
視界を遮る――――それだけで十分すぎるのだから。
左右の壁を三度蹴りつけた三角飛び。
そのまま路地から宙に身を踊らせ、眼下に収めるは夜闇に灯る昆虫じみた複眼の群れ。
歩道に蠢く、妖しく無機質な光の楕円。
稼働通知灯――正しい意味での
故に――――喰い殺す。
頭上から二発。
人間の目は、三次元的な縦方向の動きには即座に対応できない。また、彼らの常識の内には生身の人間がそうも跳躍しながら襲ってくることはなかっただろう。生身への牽制射及び銃口は、基本的に直立した人間の胴ほどを狙うようになっているものだ。
こちらを捉えようとした二つの複眼が、破裂する。
そして入れ替わりに迫りくる――迫り行く路上駐車のセダンの銀色の天井。衝突。ひび割れるスモークガラス。衝撃に、
脱出時のパラシュート利用のための着地方法は、パイロットの課程の際に学んだ。つまり現在も、或いはあの時よりも、武器として磨かれている。
反動のままに転がって車で彼我を遮り、そのまま銃撃戦に発展する。
あちらは乗り付けた黒塗りのクーペを盾に。こちらは銀色のセダンを盾に。
その強大なるライフルの集中砲火を前には、角張ったセダンもダンボールよりも頼りない。瞬く間にボロクズ同然に引きちぎられる。
腹這いの下の石畳と、上から降り注ぐ破片。
やはり、火力の桁が違う。
こちらは頭も上げられず、冷や汗の中、スピードローダーをシリンダーに差し込んでリロード。伏せた地面から覗く車体との隙間から――見えた足首を撃ち抜き、反射的に突かれた膝を更に撃ち抜く。人体が無残に損壊する。
血の匂いに、自分が起きる。
水に投じられた深海魚のように、思考と肉体が泳ぎ出す――自由に。自在に。獲物を狙って。
ここが、お前の、生息地だ。
「
大口径の牽制射撃を背景に、視界の先で上下に揺れるトラックの車体。彼らはこれ以上の戦闘を無意味と厭ったのか、撤退を優先させたらしい。
何にしても、そのまま撃ち合うには相手はあまりにも専門家すぎた。退いてくれるならば、それは最上と言ってもいいだろう。……こちらの生存だけを考えるならば。
放られたスモークグレネードを合図に、トラックが走り出した。
こちらは置き去りにされ――……他に四名か。
人間とも呼べぬ肉塊になったものが、路上に残されていた。そこにあの、マーシュ・ペルシネットの姿はない。
走り出していくトラックを照準するも、諦めた。破壊は可能だが、九割がた跳弾か横転で彼女の命は失われる。
「……
通信デバイスを通じて、部隊の当直へと呼びかける。
狙われたこちらが軍人であろうとも作戦外なら警察への通報――……が本来の常道であろうが、
特別令上の措置。
「俺はどうしたらいい? 現場の保存を優先するか? それとも――……追跡を行うべきか? その場合、対象の正確な位置情報の共有が可能となるが……」
伺うこちらに返されたのは、予想外の返答だった。
『――やぁ、ハンス坊や。五体満足かね?』
「大隊長。……詳細は話した通りです。
本音で言うなら、今すぐにマーシュ・ペルシネットを助けに向かいたかった。エスカレーションが十分に考えられる上、目の前で起こった衝撃的な事態に対する速やかなるフォローを行いたい。
ただ、専門というものがある。
自分は人質の解放や生身での白兵戦に精通した人間ではない。そして命令で禁じられれば、それを踏み倒して迎えるほど向こう見ずでもない。
「俺が追跡を行うことは、法としては、やむを得ないならば可能です。……民間人が巻き込まれている。速やかに救助を行うべき案件だ。ただ……当事者の主観ですが、彼らの言動からは、こちらへの襲撃ではなくその少女そのものが目的と思われます。つまり、実際のところ、保護を行うには状況的に特別令の適応には問題が――」
『んで、やるならいけそうかね? 経歴を知っちゃいるが、アンタは
「は。……万全と言い切る自信はありませんが、手持ちの火器で敵の装甲は十分に破壊可能と確認済みです」
手の内の
『オーケー。……アンタが怪我したら、アタシの責任問題になる。意味がわかるかい?』
「は。……このまま現場にて待機し、引き継ぎせよということですね」
間違いなく、妥当な判断。
忸怩たるが、無理はないと頷こうとしたそのときに――
『違うさ。最悪でもババアの首一つでどうにかしてやるって言ってるのさ。――――存分に喰いかかりな、猟犬。ただし許すのは蹂躙だけだ。傷一つ負わずに喰い殺せ。……いい狩人ってのはそういうモンだ。そうだろう?』
「……感謝します、大隊長」
『は、は。いいさ……猟犬の
「――
返事と共に死体の武装を回収し、走り出していた。
運転中の襲撃を警戒して、敢えて置き去りにしたガソリン駆動のバイク。
排気量一一〇〇オーバー――――銃鉄色の刃じみたマシンが、己の騎乗を待ち侘びている。
『は。単身で最速で敵地に殴り込んでバックアップもなしにたった一人で帰還する……あたしたちでさえイカれた作戦だと思ったよ。なんだってのに……なあ? さあて、噂に名高いアクタイオンの猟犬の狩りを見せてみな』
その一言の後押しを受け、ヘルメットを被る。
下ろしたバイザーがイグニッションに連動する。スマートグラス。限られている視界が拡張し――ヘルメットなど存在しないかの如く、視野の街並みを膨れ上がらせた。
鋼の馬が、嘶きを上げる。
さあ、狩りの時間だと――振動が己に呼びかける。
「グリント
その言葉が、己を切り替わらせた。
即ちは、刃に――――敵を喰らい殺せと、己の脳髄を一つの機構に置換させる。
走り出したバイクのギアを切り替えながら、スロットルを全開に。風と、風をも塗り潰すエグゾーストノイズが、肉体に巣食う余計な感情を吹き飛ばしていく。
この身は一振りの刃なれば。
義務を果たせ。――兵士であるということの義務を。
◇ ◆ ◇
あまりにも寒々しく機能的な、機材ばかりが詰め込まれたトラック。
薄暗い室内では、
揺れる車内で、昆虫の仮面の中の男たちの怒号が飛ぶ。
「何なんだあれは……本当に人間か!? 軍用のサイボーグか!?」
「この街にいるわけねえだろ、そんな特殊部隊が!」
「あのギャスコニーのイカれ野郎以外、サイボーグでもねえとあんな動きはできねえだろ!? なんで
喧々諤々とした言い争いが続く。
砲弾の元でも声を届かせようとする男たちの戦場での本能が刺激されたように、彼らは取り戻されていた。
車体の側面から展開されている長椅子に座らされたマーシュ・ペルシネット――マーシェリーナ・ジュヌヴィエーヴ・パースリーワース・ド・ランピオネールは、それに紛れるように小さく呟いた。
「……ああ、法の下の平等は――死の下の平等になったのね」
アレは、完全に、殺戮機構だ。
褒め称える訳でも、貶める訳でもない。
恐れる訳でも、言祝ぐ訳でもない。
比喩でも、修飾でも、諧謔でもなんでもない。
単に――――本当に何の飾り気もない純然たる事実として、ハンス・グリム・グッドフェローのあの一面はただ純粋に殺戮を行うだけの機構なのだ。
目の前に現に存在するもう暴力でしか取り除けない命題を、如何にして暴力で取り除くかだけに着目して振るわれる純粋なる暴力。
他の解決が叶うならそれを行うだろうが、そんなあらゆる解決策というのを割り切っていった先に残る決して割り切れない一つの問題と――ただ向き合う一つの答え。
疑いなく必要とされる場にて、そこで疑いなく必要な分だけ、その必要性を満たすためだけに行使される剣。
それは、疑いなく、本当にただの剣なのだ。
「……」
ああ、なんと、本当に――……そうまでしなければ辿り着けぬ極光へと進む無垢なる刃か。
その領域を不得手としていた人間が、折れることも曲がることも毀れることもなきままに、ただその領域を踏破しようとして純化し尽くした果て。
感情も、事情も、因縁も、経緯も、或いはともすれば法秩序すらも構わない絶対的な解体機構。
なんと――謳われたアクタイオンの猟犬のように、鹿に変えられてしまった主さえも噛み殺して本分を満たしてしまった猟犬のように、獲物を仕留める猟犬という性質のみを抽出した破壊者か。
「……もう、そういうものだから、そうなるしかないのね。貴方は」
そこには、暴力以外による解決ができぬものが持ち込まれたから――ただ暴力によって葬り去られるという純粋なる定理だけがある。
そうだ。
アレは、もう、ただそこにある暴力的な問題を解決するという――答えそのものなのだ。
「そうでなければ、耐えられなかったの? 世を許せなかったの? ……いいえ、違うわ。貴方はただ本当に――」
呟くマーシュの、その豊かな髪が掴み上げられた。
機械的な駆動音を伴った大きな手のひら。
そして近付けられる、薄暗がりの中でも発光する複眼――昆虫じみた威圧的で無機質な仮面。
「ぶつぶつ歌ってる場合じゃねえぞ、淫売お嬢様。……お前の飼い主は吹っ飛んだ。ペットの行き先がわかるか?」
「……」
「俺たちの餌代も払われねえんだ。お前が餌代になるんだよ。……クソッタレが。売り払ってやる。毎日クソを食わせながら薬打ってヤることしか頭の中にねえド変態に売り払ってやる! 澄ましたツラをしやがって!」
男の怒声のままに、背中から壁へと叩き付けられる。
肺から息が漏れる。
項垂れるようにようやく頭を上げれば、見下ろしてくる昆虫の複眼がマーシュを捉え、言った。
「忌々しい。男を無駄に誘いやがって……クソッタレ。ああ、なんたってこんな……あの人もわざわざこんなところにまで出てくるから――……ああ、クソッタレ。なんてことだ。人の話を聞きゃしねえからこんな……それもこんな女が無駄に使えるモンのせいで……」
自己の職場がなくなることへの不安か。
友軍が肉塊になったことへの恐怖か。
戦闘による情緒不安定を引き起こされたような男が、マスクの向こうの籠もった声のまま今度は冷たく凄み始めた。
「売り払ってやるが……お前、その前にめちゃくちゃにしてやる。話は聞いてるぜ、売女。あの叔父様には数カ月間随分と仕込まれたそうじゃねえか。いやそれともその前からか? 不良憲兵の取り調べはそんなに楽しかったか? いい社会勉強になっただろう?」
「……」
「唾液でぐちゃぐちゃになるまで首を絞めてやる。てめえの血管が破裂するぐらいにだ。メロンの筋みてえにな。わかるか? ここを出たら、たっぷり可愛がってやる。無事で済まされるなんて思うんじゃねえぞ、今どき売り物なんてのは売り方次第ででどうとでもなるんだ……楽に済ませて貰えると思うなよ。天国で、あの変態叔父様のイチモツにもう何度目かのキスをしな」
顎を掴みながら寄せられる獰猛で殺戮的な昆虫の面。
冷たい死と暴力。
それが今にも動き出して顔面を喰い千切られるのではないかという恐怖を抱かせるも、マーシュは、あまり表情の変わらぬ物憂げな目線のまま答える。
「……そう言われたとき、私はいつもこう言うわ。『そうね。恐ろしいわ。それとも私を憐れむなら、どうか優しくしてくださいませんか?』……これで満足?」
「このガキ……」
「……今までと一緒。貴方たち男は、私にそうする。いつもそうする。今までと違うのは――……」
言い切る、前だった。
喉を掴み上げられる。体重がかかり、グ……と喉が潰された。
更に男はその逆の手で、平手を作った。
人間に比して大きすぎる装甲仕込みの平手。薄い金属板やコンクリートならば容易く貫くその拳を、敢えて広げて貫通力を失わせて……一度、返り血に濡れた白ドレス越しに腹を撫でられた。
それは照準であり、予告だった。
「おい」
「少し大人しくさせるだけだよ。大丈夫だ」
そして――――鈍い音とそれに見合わない強烈な衝撃。
胃が捻転して、肺が動転する。お腹で爆弾が弾けたような電流が身体を駆け巡った。
逃げ出そうとする肺の中の空気は堰き止められて、灼熱になって膨張を始める。だが、呼吸は許されない。視界が狭まる。地上で溺れさせられる。何度も味わった、呆然とした酸欠が訪れる。
そのまま、男の腹いせがマーシュの華奢な肉体に繰り返された。
叩き付けられる平手と、それに揺れる豊満な乳房と白い肢体。グロテスクな血に濡れた美しい果実の包み紙のような薄手のドレスに、男たちには得も言われぬ欲求がこみ上げる。
手足をバタつかせて、口の端から涎さえ流して、酸欠と窒息に涙さえ流す彼女を見た彼らはマスクの下で口角を上げた。
目の前で人が吹き飛ばされても動転した様子を見せないような女が、そうして無理矢理に表情を与えられているというのは何とも堪らなく愉快だ――或いは溜飲が下がる。
遅かれ早かれという話なので、特に誰も止めようとはしなかった。或いはあの戦争の最中を思えば、それでも手緩いと言えるかもしれない。
あの狂った鉄さびと硝煙の日々が取り戻されてくる気がして、彼らは徐々に陶酔と変わった。
雇い主が死んだことも、化け物じみた狩人に撃たれたこともどうでもいい。いやどうでも良くはないが、どうでもいい。
心の一部が麻痺したような感覚――……抜け出したかったあの頃の日々の幻肢痛。だが、今では、それが堪らなく懐かしい。二度と御免だというのに、あまりにも大きな郷愁として、何よりも骨身に焼き付いてしまっていた。
「いや、でもこれ、面白えな」
「何がだよ」
「没落した公爵のご令嬢に、その親父様と幼馴染だった悪役の叔父様に、あと、この現代にあんな古典的なガンマン野郎だろ? はははっ、面白えな。面白えよなぁ。ハハッ、あの人から習った“フェンシング”って古流武術に出番があるかも……ハハッ、やべえよ。面白くなってきた。中々ないよ、こんなの」
「バカが」
腰掛けた
戦闘と、忌避感。
目の前の現実にクソッタレと言いたくなる心情を伴ったどこまでも乾いていくような厭世観。本当に最悪でここからどうにか切り抜けたいという焦燥感。吐き捨てたくなるほどに凍えるような絶望感。
それら全部を交えた原始の闘争本能の目覚め。
ああ――そうだとしても全員、そこに、奇妙な懐かしさを感じているのだ。
それは最低の喜びだ。
また戦場に立っていくという、そんな喜びだ。
「こっからどうする?」
「ああ――ま、そうだな。地下鉄だよ。そこから逃げるしかねえ。で、せいぜいかき乱してやれ。即席の障害物だ。よくやった手だろ? なあ?」
「だな。……ああ、クソッタレ」
殺すしかできない状況で、壊すしかない状況で、すべてを費やして殺しを行う。最大限の現実的で合理的なことを疑いなくやる愉しさ。
自分の性能を全て発揮できるという喜び。
ああ――……最低で、堪らなく愉快だ。嬉しいのだ。自分という存在が、十分に殺傷能力を発揮できる、つまりは己そのものが、本当はそれだけのポテンシャルと性能を持っているのだと世と神に表せるのが楽しいのだ。
死ぬかもしれないという最悪の恐怖の中にある、最低で最上の喜び。
弱々しい女であり、おまけに性の吐き出し先なんて――この世で最も下等で尊厳もなく価値もなく尊敬にも値しないクソ生物を連れ戻させられることに感じていた不満が、別の喜びに変わっていく。
しばらく続けられるだろうマーシュへのその責め苦は、揺れる彼女の姿と表情は、戦闘終了後の愉しみを思わせて静かに血を滾らせていく――麻薬的に。
呻き声と車体の振動の中、それぞれの危機感と不安感の中、それでもマスクの下の彼らの口角は引き攣るように上がっていた。
彼らが下る階段を、逃げ惑う民衆は幾度と転びそうになりながらも必死に駆け上がっていく。
警告や威嚇のための無駄弾もほぼ必要ではなかったし、敵が複数なら敢えて二三人に銃撃を加えて救助にリソースを割かせても良かったが、果たして相手はそんな救助を行う人間なのか――ということと、重症では済ませず致死させるしかない大口径というのがかろうじてその行為に歯止めをかけていた。
痛めつけたマーシュ・ペルシネットは、ふらついた足取りながらも彼らに促されるままに従った。おかしな動きをしたら二三人撃ち殺すと耳元で告げれば、ただ俯きがちに抵抗らしい抵抗もせずに歩を進める。
「なあ、それが“
「……っ」
「無駄口叩くな。いいじゃねえか、こっちは楽で。……なあ、男に逆らわねえってのはお利口さんだぜ。ちゃんと身体の芯に躾けられてるんだな? お貴族様には刺激的なお勉強だったろう?」
野卑な冗談を飛ばし合いながら、
退避する人波で、後方からの追撃は不可能だ。彼らが地下鉄に向かったとまでは嗅ぎ付けられても、その後はどうにもならない。
人の壁であり、流れ。
稼いだその猶予時間のままに薄暗く電灯が明滅するレンガ調――再現だ――のホーム上で、男たちは言葉を交わした。
「どうするんだ?」
「次の電車を撃ち抜いて止めてやれ。そのまま線路を進んで連絡口から脱出する。あとは元々の手筈通りに、だ」
「帰りの便の手配は問題ねえのか? ったく……」
三名が後方の階段を警戒し、一名はマーシュの腕を絞り上げる。あとの二名は支柱を挟んだ対岸のホームの階段を睨んでいる。
問題はあったものの――あまりにも大きな問題はあったものの――任務は完了だ。形は変わってしまったものの、脱出は完了する。
民衆が出入り口を塞いでいるからか、追撃はこない。
代わりに遠方より地下トンネル壁を照らして近付いてくる列車のヘッドライト――間に合った。死は、彼らを捉えられなかった。
その安堵と共に迫る列車へと銃口を向ける。
あとは必要なだけ弾をばら撒いて、脱出して、帰りの輸送機で死ぬほどよろしくやる。その後に売り払う。
もうそれだけだと胸を撫で下ろそうとして――――迫りくる列車の窓が開いた。
そして、
「――な、」
窓から突き出された腕。
そこに居たのは、悪魔的な銃口だった。
「行き先は地獄だ」
そんな声が聞こえてしまうほどの錯覚と共に――立て続いた怪物の咆哮めいた銃声。
また二人、人体が破裂した。
着弾の衝撃により装甲の内部で膨れ上がったのだろう肉袋が、耳障りな音を立てる。
「クソッタレ! 撃て! 撃て! 野郎、駅を回り込みやがった! 先回りしやがった!」
撃ち込まれる射撃によって、火花を散らすブレーキと共に停止する自動運転列車。
乗客の退避は既に行われているのか。
或いはまだ居るのか。
どちらかは不明だが――――撃ち抜かれる列車とコンクリートの上げる粉塵に紛れて、更に、射撃が来た。
大口径と大口径の射撃戦。
とっくに逆側のドアを開いて地下鉄の線路上に降りたであろうリボルバーの主は、ホームと列車にて射線と視線を切りながら射撃を続けている。
煙と闇の中から、砲炎が襲い来る――闇に潜む致命的な怪物めいて。
「おい、この女を盾にできねえか!」
「できたらアイツはハナから撃ってこねえだろ! お構いなしだ! イカれてんだよ! 狂犬野郎が!」
違う――と、突き飛ばされて倒れ付すマーシェリーナは銃声の中で思った。
人質として役立つと思われたら使われるから。そうしたら為すすべもなくなってしまうから。その結果二人とも死んでしまうから。
だから、彼は、容赦をしていない。
最大限の生を掴み取るために、死そのものの如き冷徹さを身に纏っている。甲冑や仮面に己を隠すように。
「おい、グレネードは!」
「持ち込めてねえよ! 寝ぼけるんじゃねえ! 煙幕だけだ!」
「クソッタレ! こんな場じゃなきゃ――――ガッ、」
だが、そんなものは彼女が抱いた幻想ではないかと思われるほどに冷酷かつ圧倒的に振るわれていく暴力。
そうだ。
尊い人命というものを、人生というものを、ただの数字に変えていく情け容赦のない刃。
その銘に偽りはない。
徹底的に――何一つ容赦せずに振るわれる殺人の刃。
機体が彼を殺戮者に変えるのではない。
ただその意思一つが百万人を殺したのだ――――この地上にある何よりも強い鋼鉄の殺意。
喜びもなく。
怒りもなく。
殺すためだけにただ殺す無垢なる刃。
死骸を燃料に煉獄の戦火にて鍛え上げられ、屍血を以って冷たく固められた堅刃。
皆殺しの魔剣――――鋭角の猟犬。
猟犬は、獲物を逃さない。
「マーシュ・ペルシネット! 走れ!」
線路の闇から投じられたスモークグレネードが、煙幕を生む。
また銃声。
冗談みたいな銃声と破壊音が響く。男たちの怒号が聞こえる。
「行け! 援軍は要請している! 君は助かる! 絶対に助かる! 誰かが君を救う! 行くんだ! 早く!」
ああ――……なのに。
そんなときもただの民間人を案じようとする彼の声に、泣き出したくなるほどの声にならない想いがこみ上げてきて、マーシェリーナはただ走り出した。
オルフェウスがすべきであったそのように。
背後を振り返ることもせずに。
人命なんて簡単に呑み込んでしまいそうな鉄と炎の戦場に彼を置き去りに、ハイヒールで走り出した。
階段の先で開かれた世界が、夜風の唸りを上げる。
都市の明かりは遠い。
石畳の街は眠っている。
だけれども、そこには確かに、守りはあった。
駆けつけた人々の、遠き明かりがあった。
「……!」
地上に複数ある地下鉄の出入り口を前に、完全には部隊の展開が終わっていないのだろう。
ホームから一番近い入り口にはパトロールカーや救急車が押し寄せ、避難した民衆もそこが一番多い。まだ退避が完全に完了していない。
彼らが巻き込まれてしまうことを厭ったマーシュが選んだ出口に居たのは、自動化された機械たちによる即席のバリケード隊であり――――警察は、軍は、まずは混乱した人々の収容と救助を優先している。
だが、動き出している。
マーシェリーナのことを知らず、それでも助けようとしている人たちは動き出している。
無関係に。
当たり前に。
そこに利害はなく。
要請と職務に従って、彼らは、誰にも当たり前に開かれるべき救助の手を伸ばそうとしていた。
明かりが――――人の明かりが。
あるのだ。
ただ、そこに、あるのだ。
泣きたくなるぐらいに、そこに、あるのだ。
幼きあの日に告げられた言葉のように。
人を救う機構というのは、だからこそ冷たく暖かな平等として、そこに存在する。
『――――……?』
バリケードの展開を行っていたロボットが、マーシェリーナを見付けて手を止めた。
猫の耳じみたセンサーのついた頭部が左右に揺れる。スキャニングにより武装や怪我を確認して、収容や捕獲を行うためなのだろうが……それでもどこか戸惑っているような仕草で、こんな状況であるというのに、なんだか笑いが出てきてしまった。
だが――……
『――、――……!、?』
響いた銃声。
ロボットから火花が上がる。
階段の下から放たれたそれが、容易く軽量の機械を打ち砕いていく。
彼らは、それでも、マーシェリーナを庇った。
当たり前に。
ごく当たり前。ただ機能として。
何より、使命として。
打ち砕かれていく。
それでも、マーシェリーナを、庇った。
◇ ◆ ◇
宵に包まれた街は雨に濡れ、遠き夜空の明かりを滲ませる半球ドームは、あたかも街を水槽めいたものに変える。
靴音。
否、もう、靴音ですらない。裸足で駆ける水音。
冥き深海に紛れた海月の蔓のように――――薄月色の髪が棚引く。流れるように、流されるように。
それが止まるのと、宵闇を押し退ける複眼が灯るのは同じだった。
「終わりだ、クソ女が……」
息一つ上げることなく、彼女が稼いだ距離を埋めた二足歩行の昆虫じみた強化兵士。
更に歩を進ませようとするそれに目掛けて――右のリボルバーによる牽制射。
胴を狙ったつもりだったが、それは、相手の股ぐらの石畳を弾き飛ばしただけだった。
マーシュを挟むように、雨の中、浮かび上がる複眼と向き合った。
「生きてやがったのか、テメエ……出鱈目な狂犬が」
「犬ならば、もう少し聞き分けがあるだろう。……武器を捨てて投降しろ。これが最後の機会だ」
こちらの言葉に男が反射的にライフルを向けたが、どうやら既に弾丸は失われているらしい。
こちらが用意した即席の射撃装置――最初に殺した敵兵士のライフルと通信機能もあるスマートウォッチを組み合わせたそれで牽制し、随分と弾丸を吐き出させた。
その甲斐あったと、言うべきだろう。
「クソが……終わらせてやる」
ライフルの先に銃剣をつけて、
まさに飛びかかる獣のように息を潜めた。
こちらは度重なる怪物拳銃の銃撃により、反動に右手が半ば麻痺している。
そんな状況で、睨み合う。
支えきれなくなった重さに垂れ下がりそうになる右腕を堪え、呟いた。
「――そうだ。終わりだ」
そして、こちらの言葉に合わせて――闇を裂くサーチライト。建物の影から現れた鋼の巨人。
家々よりも大きな動く人型。
それは、現実感を失わせる。
人に比しておおよそ十倍。体積にして実に一〇〇〇倍。つまりは、もう、理屈ではない。見上げることを強要される存在そのものが暴力だ。
目の当たりにした
「あ、アーセナル――……クソッ、ふざけんな! クソッタレ! なんだよこれは! チクショウ!」
何故撃ち合いに付き合ってやらねばならないのか。
交戦規定と状況が許すなら、最大火力にて敵を撃滅するというのが戦闘における基本だ。
そして――そんな戦闘は、もう終わる。
巨人が緩やかにその歩を進め、それは起こる。
「ひ、ぎ――――……」
力場――不可視のエネルギーフィールド。
アーセナル・コマンドをアーセナル・コマンドとして成り立たせる仮想の装甲。
それが、男への武器として膨れ上がる。
爆裂する、と称するべきか。
人型巨大機械同士の射撃戦においてもその大いなる弾丸をも受け逸らす《
一体、重力の何百倍の加速度だろう。
その領域において――人体は文字通りの血煙に変わるのだ。
爆発にも等しい破裂音と共に、空間から真っ赤に消し飛んだ
鎧袖一触という言葉もおこがましい一方殺。筋肉という筋肉、骨格という骨格、内臓という内臓、装甲という装甲が細切れ同然に四方八方に吹き飛ばされる。
いくつかの部品は拉げながらも残ったようだが、概ねすべてが血の雨となって路上に降り注いだ。
制圧完了だ。
『まさか、この都市での初出動がこうなるなんてな。……怪我はないか、大量殺人犯の守護天使どの』
「貴官の協力に感謝する。……思ったよりも上品な部隊のようだな。仲良くできそうだ」
『言ってろよ、前線症候群。……アンタに問題はなさそうだな。間に合って良かったよ。こちらも帰還する』
「重ね重ね、援護に感謝する。いい仕事だ」
敬礼を返せば、爆裂的な突風と共にその機体は飛翔を始めた。
これが、【フィッチャーの鳥】。
度重なる残党たちのテロリズムやローンウルフ型のテロその他の反政府活動に対しての取締や対処を行う部隊と聞いていた。
ともあれ――死体に関しては処理は別の人間の役目だ。自分は、マーシュ・ペルシネットへの対応を行うべきだろう。
「……平和的に解決できて何よりだ。怪我はないか?」
「平和的……?」
「……君も俺も生存している。民間人の被害もない。極めて最上の結果とも言えるが……何か問題が?」
確かに――いたずらに人命は損なわれるべきではない。悪人ならば死ぬべきだとも、死んでいいとも言えない。何にせよ命は命に違いあるまい。
だが、切迫した状況における優先度は別だ。
警官は証拠や証人のことを考えて違う言葉を言うかもしれないが、軍人は違う。目標達成可能か否かと、彼我の損耗率が至上命題だ。ただその合理でしかない。
そういう意味ではこれは極めて平和的に――自陣に全くの損害なく――解決した。実に喜ばしいものだろう。
(……とはいえ、民間人が目の前でこれを見せられては、ショック症状もあるだろうな。
何にせよ、彼女に現状の危機が解決したこととその緊張の緩和を呼びかけるためにも、笑いかけるべきだ。
上手くできるか自信はないが……努めて肩を崩そうとして、
「いいえ。そうね、問題ない。……アレが死んだことなんて、別に何とも思わない。そこはただ、せいせいするぐらいよ」
「……」
「そうね。素敵な笑顔よ――……それが、貴方なのね。固まったのでも、狂ったのでもなくて……ただそうすべきだからそうしようとしているだけの男。そうと決めた、施しの君」
彼女は少しだけ、悲しそうに微笑を浮かべた。
雨音が、響く。
耐圧ドーム内の消火設備の点検が、開始されていた。
◇ ◆ ◇
店先に置かれたレンタル傘を手に取り、マーシュの元へと向かう。雨の中、彼女は、すぐにこちらの手を取ろうとはしなかった。
その肌に血塗られたドレスを貼り付けて、憂い顔の少女がこちらを見上げてくる。
橙色の――物憂げな目。
「貴方は私に、何を望むの?」
「……」
「誰かが私に手を差し伸べるとき……そうでなくてもそう。男たちが私に望むことなんて、一つしかなかった。貴方は、私に、何を望むの?」
言えることは一つだけだ。
そんなもの、初めから、一つしかない。
故に、極めて真摯かつ厳粛に頼むしかないだろう。
「証人になってくれ」
「……?」
「武器使用に関する証人だ。事例的にやむを得ない射撃であったが、あの教唆犯が丸腰であったためにそこを論点にされかねない。あれが首謀者であり、命令者――指揮系統上位であったためにそれが最も効率的でありつまり平和的な手段であったために実行したと主張するつもりなのだが……裁判になったら、彼の言動について証言をしてくれ」
悩ましいのはそこだ。
相手が権力のありそうな相手ということから、なおさら、今回の件については長期化や重大化の懸念がある。
理念とは別に、社会は、そのようなものだ。
正直そのことが、何よりの心配と言っていいだろう。
「……私に望むのは、それだけ?」
「他に何か? 言っておくが、このような事例において証人を確保するというのは極めて重要であり――」
続けようとしたら、彼女は小さく吐息を漏らした。
呆れたような、しかし逆に何かにとても安堵したような――そんな顔。
「そ。ならいいわ。……ドレスが汚れてしまったの。エスコートしてくださる?」
「了解した。医師の下まで付き添おう。……そう遠くはないはずだ。安心してくれ」
退避していた民間人にもその混乱の中で怪我人や急病人が発生したのだろう。救急車や警察車両が現場近くに到着している。
しかしやはり、まだ、彼女はこちらの手を取ろうとしなかった。
疾走が原因で足が攣りでもしたのだろうか。許可を貰った上で抱きかかえるべきかと考えれば、彼女は言った。
「ねえ、
「……?」
「貴方、何か変わった訳ではないのね。ただそれが必要だからそうしてるだけ……きっとそこに、何の誇りも願いもない。必要がなくなったら、貴方はそれを簡単に捨てられる。……誰に案じられる必要もないぐらいに、貴方は貴方だけで完結している」
ポツポツと呟く彼女が、その頬に雨垂れを伝えながらこちらを見上げてきた。
「そんな必要があるから――――……なら、それは、いつまで続くの?」
「――」
見透かすような視線に、僅かに口を噤む。
「貴官の言葉が何を指しているのかは判らないが……人がいる限り、どこにでも争いは生まれるだろう」
「ああ、だから――……争いに呑まれないために、貴方は、争いを呑むことにしたのね。いいえ、争いというものの歯車の一つになった。呑まれないために。いずれの争いそのものを殺す日のために、矛盾に身を委ねた」
「……」
沈黙が続く。
降り注ぐ雨垂れの中で彼女はまた俯き、しばしそうしてから、傘を差し出すこちらにようやく頭を上げた。
「ねえ。私、色々と、怖い目遭ったわ。……とても、怖い目に遭ったの。そうでしょう?」
「……」
「中途半端に助けられると、助けて貰えるものだと思ってしまう。……その辺りの責任は、取っていただける?」
「無論だ。軍人としての契約に従い、俺はこの国土と民を防衛する役割を持っている。その契約の続く限り、君たちを守るものと考えて貰って構わない」
頷けば、
「……それで貴方は、いつまで軍人を続ける気?」
「階級が許す限り、軍が許す限りは続けるつもりだ」
そう、胸を張る。
勿論、不名誉除隊や不功績除隊を言い渡されなければだ。正直今回の事案の処理に関しては若干怪しい気がする。穏当に終わってくれればいいが……彼女の前でそういう不安を考えるのは避けた方がいいかと、表情を保つ。
「……ああ。本当。誰かに救われる必要がないぐらい、貴方はとっくに普通に生きてるのね。深い深い海の底で……酷い深海魚みたい」
「……」
「ありがとう、サー・ハンス・グリム・グッドフェロー。そうね……貴方はきっと、いい猟犬よ」
「光栄だ」
頷くと、橙色の半眼が強まる。
言葉とは裏腹に、半分ぐらいは、何故だか彼女からは褒められてはいない気がした。
「本当は、貴方に泣きついて身の上話の一つでもするべきなのかもしれないけど――――……私、貴方に守られたとしても……救われてなんてやらないわ」
「……」
「ねえ、
伺うように小首を傾げた少女の顔色には、僅かに戦闘前のあの気難しく幼気な性格が戻ってきていると判断すべきか。
戦闘のショック症状は薄い。
或いは明白なショック症状がなくこうしていることがそうと言えるかもしれないが――……何にせよ問答はもう少し続けられるものと思い、頷いた。
「そも人を救おうとまで思い上がったことはない。俺の役目は、外患及び内乱についてこの国とその国民の独立と安全を守るという一点だ」
「……つまり?」
「君の内心については俺は関し得ず、そしてそれに関わらず自己の役割は果たすと言うことだ。細かくは状況によるとしても、理念としてそこに例外はない」
言えば、彼女は笑った。
「無償の愛みたいね、貴方」
「……そう大それたものではない」
「ふふ。半分は褒めてはないわ、
「……?」
「昔、言われたわ。助けを求めるなら専門家相手にしろ、って。……ふふ、貴方が軍人になったのはそれが理由?」
小刻みに身体を揺らす彼女の髪を、頬を、雨垂れが伝っていく。
石畳の街並みが濡れる。光を薄く
宵闇でも、眠らぬ者たちもいる街の営み――――それを、世界を、遠ざけながら。
多くが眠りについた街は、どこか、深海の海底都市めいている。遠くに星の光を――星座を映しながら。
「……私、今、作りかけの曲があるわ。大事な……大事な大事な曲。今日みたいなことばかりだと、きっと集中してなどいられないでしょうし――……いつ死ぬにしても、どんな目に遭ったとしても、私、その曲を歌いたかったの。ずっとずっと、ただ一度だけでも歌う日だけを夢見ていた――……」
独白のままに、少女はたおやかにその右手を差し出してきた。
「どうかそれまで私の隣に居てくださる、
そのストレスを鑑みれば無理もない話であり――まずは傘を差し出す。
「……ああ。そう望むなら、応えよう」
それは契約だ。
ならば己は、それを、履行しなくてはならないのだ。
それが、可能である限りは。
右手のリボルバーをホルスターに収め、その手を取る。
何故だか彼女は、それを見て、ほんの少しだけ嬉しそうに肩を崩した。
◇ ◆ ◇
殺風景な――しかし高級な。そこも合わせてミニマリストの見本のような広々とした部屋のリビングで、コーヒーを啜る。
死んだのはなんだか
或いは、つい数カ月前に発足した【フィッチャーの鳥】という部隊のこの都市での初出撃も関連しているのだろうか。
法はともかく、正義の面から己の行動が妥当か妥当でないかには疑問が出るところだが――……元より正義など、人類には遠すぎる話だ。法廷というのも、結局はある種のパワーゲームでしかないのだから。
また一口、コーヒーを。
ケーキが食べたいな、なんて思う。内臓なんてグロテスクなものを見てしまったあとは特に。ケーキで目の保養をしたい。まあその死体が腐ってなければしばらく肉が食えなくなるなんてこともなく、問題なく腸詰めでさえも食べられるようになっているが――切り替えという意味ではやはりケーキだろう。美味しい。えらい。綺麗。
でもケーキはない。それがちょっと悲しかった。
「……貴方、冷静なのではなく、ぼんやりして鈍感なだけよね」
「………………よく言われる」
「そ。……意味が判っていないあたりが、特に」
「……?」
そう呟いてテーブルの向かいで紅茶を啜るマーシュ・ペルシネットとは、奇妙な縁ができた。
しばらくは報復措置も懸念されたということか、プライベートでの護衛役のような扱いを求められて……ついに先日、こうして家に上げられるようになった。
よほど不安なのだろう。無理もない。
行おうと思えば、この程度の住宅には一分以内に侵入して拉致が可能だ。特に目立った怪我になってはいないとはいえ、人質時に身体的な暴行を受けたと言われてしまうとそれも道理だろう。
「それで、ねえ、
「トレーニングの予定だ」
「……あら。荷物運びじゃ、その訓練の足しにはなれないかしら?」
歳の離れた異性の友人のように。
テーブルに突っ伏した彼女は気怠げな猫のようで、こちらを覗き上げながらそう伺ってくる。
迂遠だが、買い物に行きたいという意味だろうか。
だが、
「……生憎だが、車はない。ドローンでの取り寄せの方が効率的だろう。ネット環境があるならそちらを勧める。安全面でも合理的だ」
「………………」
言うと半眼が強まった。
睫毛の長い橙色の瞳を半分閉じながら、じーっと見られる。コワイ。
しばし考え、
「……とはいえ、君がどこかに出かけるというなら同行しよう。人生とは効率だけでは終わらない話だ。休日を無味乾燥に過ごすのは、侘しいことだろう」
「あら。……意外ね、まさかそんなに情緒あることを言うなんて」
「……君は俺を何だと思っているのだろうか」
情緒がなければご飯を美味しく味わわないのだが。
美術館とかに行かないのだが。
芸術家さんに気を遣ってこうして護衛をしないのだが。
感情ある一人の人間なのだが。
「私に問いかけるよりも、自分自身に問いかけたらどうです? 鏡よ鏡――……正解が返るかは判らないけど。合わせ鏡、かもしれないわね」
「……? 君の言葉は難しい……」
数度の交流であるが、彼女が表現者であることと芸術家気質であることを差し引いた上でも――なんだか酷くこちらを惑わせるような物言いが多いな、とは知れていた。
だが、そう返すと、
「よく考えて。……でなければ、不公平でしょう?」
なにが?
着替えのために別室に向かった彼女からは、鼻歌が聞こえてくる。
機嫌が良さそうに――……多分それは思い込みなのかもしれないが、例の作曲というのが上手く行っているのかもしれない。その辺について聞いてもはぐらかされてしまうが、少なくとも戦闘後のショック症状は今のところ見えていない。
(……俺が必要なくなる程度に彼女が立ち直れるのも、そう遠くないのかもしれないな。実に喜ばしいことだ。できれば併せてカウンセリングなども勧めたいが――)
それとなく問いかけてみるべきだろうか。
何にせよ、関わってしまったのだ。
その日まで、信頼できる正常な大人の役目を務めるつもりだ。いつの日か彼女が、こちらの助けなど必要なく、当たり前の幸福を謳歌できる日を迎えるためにも。
しばらくは、平然そうとしていたところから衝動的に自殺などされないように見守るべきだろうが。……あれは、もう、二度と御免だ。
吐息を漏らす。
手持ち無沙汰のままにリボルバーを引き抜き、そのシリンダーを展開した。
口紅よりも大きな契約の柘榴。己を戦いに指向するその象徴とでも言うべき――ペルセポネーとハデスの盟約。
(いつの日か、か。……俺が辿り着くべきいつかは、本当に来るのだろうか)
首筋を撫でる。
脊椎と、脳に行われた処置――己をただ一振りの剣として一体化させるその装置たちを透かすように。
「俺に、何ができるのだろう」
「……何か言った?」
「いいや……」
振り返れば、着替えを済ませた彼女が扉のところにいた。今日は、シックな装いなのだろうか。
春物のベージュのコートと、白いブラウス。黒いパンツスーツは中性的と言えなくもなく、露出を減らした服装だった。或いは動きやすさのためか。
褒めようとするそれより先に、咎められた。
家の中で拳銃を弄るなとか、軍人は嫌いだとか、そんな話だ。
(……確かにあの日の殺戮の記憶は生々しいか。想起させるなら控えるべきだろう)
万一がないように点検をしたつもりだったが、家主にそう言われれば頷く他ない。
無粋な兄を咎める妹のように彼女は腕を組んで先にリビングから出ていき、こちらは平謝りながらにそれを追うしかない。
そこで、
「……そう言えば、俺には救われないというなら何故こんなことを」
「どういう意味?」
「いや……」
言ってから、失言だったなと思った。
その先の話題は、彼女のデリケートな心に踏み込みかねないものに繋がる。行うべきではなかった。
だが、腕を組んだままジッと見詰められ続ける。彼女は多くそうしてくる。迫力があってコワイ。
「……失礼だが、交流を通じてある種の……その……心理的なカウンセリングを行っているという風にも見受けられて。その、あくまで俺の、見当違いかもしれないが……いや、なら、何故あのときはあんなことを……と」
やけに薄着で部屋を彷徨いたり、驚くほど距離を近付けたり。
目の前で寝落ちしたり。寄りかかって来たり。
こちらが信頼できる男だと――世の中には、彼女に何かを求めるそんな卑劣な男ばかりではないのだと確かめるような仕草。
当然その信頼のとおりに、彼女に対して全くの情慾は抱かないので安心して欲しいものであるが……たまに距離が思ったより近くて驚くこともある。パーソナルスペースに踏み込まれるのは得意ではない。
それを知ってか知らずか、
「あら、知らないの? 幸福の王子の心臓を砕いたのは、彼に救われた人たちじゃなくて――唯一救われなかったツバメなのよ?」
彼女はそう、肩を竦めた。
「童話……?」
「……はぁ。本当に、無粋。いいから付き合ってくださいな。予定はないのでしょう?」
「了解だ。ところで、何を買いに?」
自動運転車の乗り場を検索する。
当然、大まかな行き先によって乗り場は異なっている。
彼女はしばし何かを考え――
「ねえ、
「アーセナル・コマンドを使うと手早く済む。或いは、砲兵隊をこそ戦場を耕す者と呼ぶ声もあるが。何にせよ重機を使うのが効率的だろう」
「……」
ジッと見られた。
すごい半眼。コワイ。とてもコワイ。
「……そ。貴方、本当、無粋なのね。それでは、立派な騎士様とはとても言えないわ」
「……騎士ではない」
「称号まで貰っていて? 国家と議会に異を唱えると?」
「……」
「すぐ黙るのね、
「こそばゆい。やめてくれ」
そう思ったら今度は急に接触が増えた。
気まぐれ、と言う他ない。彼女は口を尖らせたかと思うと急に悪戯げに振る舞って来たりする。よく判らない。おそらく十歳近く歳が離れている筈なので、なおのことよく判らない。
パーソナルスペースに無遠慮に入られると正直落ち着かないからやめてほしいところだ。わかっててやってるのかもしれないが。
「……貴方は、騎士様になったのね。本当に――……貴方だけは立派に」
聞こえないぐらいの、小さな呟き。
「何か言っただろうか?」
「いいえ、何でもないわ。幼い私の失恋の話よ」
「……」
「あら、そんな顔をしないで下さる? 失恋も、物語でしょう?」
そうなのかな。
急にあまりよく知らない知人からそういう話されても居心地悪いだけなんだが。慰めた方がいいのだろうか。
「それに、ほら――……失恋は、次の恋のための助走ではなくて?」
「そうか。いや……なんだか判らないが、相談が必要なら言ってくれ。大した力にはなれないと思うが……協力できる範囲ではしよう」
「……そ。あまり期待できそうにないですけど」
「待ってくれ。俺は恋愛について詳しい。少女漫画を読んでいるから恋愛偏差値も高い。つまり、わかる」
「…………………………名誉毀損になるわ、作品名を言うと。くれぐれも口にしちゃ駄目よ、グリム?」
……なんで?
「恋バナもされた。こう見えても相談は、それなりにされた実績がある。つまり、俺はその専門家だ」
「……そ。鈍感男」
「…………???」
なにが?
むつかしい。わかんない。
……まあ。彼女が嬉しそうにしているなら、幸いだ。
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