第78話 燕なき幸福の王子、或いは月女神の寵愛
以前の話だ。
以前――戦地で出会った高官の娘と交わした会話。
それを、ふと、思い出した。
高官を彼の求めていた場所まで案内し、そして、その娘と――黒いフードを目深に被って表情を伺わせない少女と二人っきりにさせられたときの話だ。
『……まるで幸福の王子ね、貴方』
それを聞いた途端――抱いたのは、珍しく嫌悪だった気がする。甚だしく遺憾、というものだ。
こちらでも、あちらでも、好かぬ話だった。
内容は、有名な話だろう。
人の悲しみと苦しみを眺めるしかできなかった、金箔と宝石で彩られた王子の像が――越冬を行おうとする燕に頼み込み、苦しむ人たちの元に己の身体を届ける。
幾度と旅立とうとする燕に頼み込み、彼女の善意と慕情によって人助けを続ける。
やがて王子はその身を彩る財宝を全て失い、そして冬を越せぬ燕は死ぬ――それを見た王子は、その鉛の心臓を砕き、心が死ぬ。
あとは、それを哀れんだ神が二人を天国に連れて行くとか――概ね、こんな話だ。……あまりにも気に食わぬ話だ。
『……俺は、あのように燕を死せることはさせない。不要としている。そのために備えている』
『そう? 悲しい
『……否定する。俺は、そのような助けというものが不要なように備えているし、燕にはそう告げる』
言ってから――……欺瞞だと、内心で首を振った。
それは正しくはない。確かに彼女の言うとおり、部下を死なせた。あの
一人では生きられなかった。己の能力が及ばぬが故に。
だからこそ、彼女のその言葉は――あまりにも正しい。しかし、だとしても、
『……訂正する。実行は確かにできていない。だが、備えている。今はできずとも、いずれそうなれるように』
『そ。……そうなる日には、貴方の周りを飛ぶすべての燕が死んだときだと思いますけど?』
『――』
抉るような言葉を向ける少女だった。
そして、悪びれもしない。
何故、初対面の相手にここまで言われなければならないのか――という不満と、言いたいならば言わせておけという諦観。マーガレット・ワイズマンの死を見送り、唾棄すべき友軍の戦時法違反を裁き続ける日々の内で、己にはどこか厭世的な暴力感が湧いている。
そうして積もったものが多くあるが、それでも首輪はあった。己自身に付けた怒りの首輪。
故に、呑み込む。
民間人の少女との、なんてことのない会話に腹を立てることも馬鹿らしい。
それに何より――〈……ねえ、貴方。痛いの?〉――思い返されるのは、顔を合わせると同時に悲しげな声でこちらの顔へと手を差し伸べた少女の言葉。
己の内の憤懣が霧散するのを感じた。あのときこちらを慮って涙ぐんだほどの少女の本質は、その口から出る言葉ではないだろう。そう思うことにした。
『……でも、私、嫌いよ。あの話』
『燕が死ぬから、だろうか。身勝手な王子を好かない?』
『いいえ。……違うわ、
『……』
『あれだけ身を粉にしても、燕に救いはなかった。誰も与えなかった。王子は――いい気味、かしら。最後に燕を想って心が砕けるなら、もっと早く彼女を鑑みるべきだったわ』
『その点は同意する。己の行為の果てを予期すべきだ。俺なら初めから、心を砕かない。……そうなれるように備える』
『……そういう話ではないの、
口を尖らせたように告げる少女は、思ったよりも若いのかもしれない。童話にここまで本気で応じられるなど――よほど、感受性が豊かか。
そう思えば、彼女のピアノの演奏とやらは相応のものだろうと思えた。とは言っても、己にはあまり縁のない話だ。芸術の良し悪しを感じる技能は、今では殆ど不要になったものなのだから。
とはいえ――そこで会話が途切れた。
その政府高官は身分を隠していた。暗殺の警戒から、名乗らなかった。自分も別にそれでいいと思った。生きている者の名は別にいい。
ただ、それでもわざわざ前線へと慰問に赴いているというのは、大層な覚悟と偉業に思えた。いい気なものだとも思うが、彼女たちも真剣で、本気だ。
だから――……今は、その高官に敬意を払い、その敬意の釣り銭のように、気難しそうなその一人娘へと応じることにした。
『神は、幻想だろう』
『……』
『だから、俺はこう考える。――きっといつか、遠いどこかで。天国ではなく、彼と彼女は同じ銅像になったのだと。今度は剥がす金も持たぬ銅像。ただ見守るもの。そして、かつて誰かを救ったもの。その救いへ、感謝で返されたもの』
『……続けて下さる?』
『ああ。きっとそのとき、燕と王子に救われた大勢の人間たちの中から――きっといつの日か、その日を生き延びたことで、いずれ彼らの像を作るだけの者が現れたのだと。……助けられた人々は、彼ら自身の努力で、他でもないその日の助けへ応えたのだ――と』
『……』
『こう考えるのは、どうだろうか。……そのような起こり得ない奇跡を、尊い努力と献身を、或いは人は神と――そう呼ぶのだと』
告げると少女はしばし考え込み、それから、肩を崩しながら声を漏らした。
『ロマンチストなのね、貴方。……思ったよりも、可愛らしい方だわ』
『……今しがた思い付いただけだ』
『そう? ふふ――ああ、そうね。貴方、そんなにも人を好きになったの?』
何故だか楽しそうに、嬉しそうに染まる少女の声。
他愛もない話にそうも興じるだけの少女の豊かな感性に、こちらは感嘆した。口から出ただけのでまかせの物語をそうも喜ぶなど、若干申し訳なくなるほどに。
『……また会いたいわ、今の貴方となら。そうでしょう、ロマンチストの
『からかいではなく、世辞と受け取ろう。……二度と会う機会がないことを願う』
『
『……内心は他者の自由だ。俺の行動に干渉をしなければ、どう思われようと構わない』
『貴方が内心に干渉したのよ、
『俺が関し得ない、関われない部分の話だ。責を問われても応じきれない。……咎めるより先に、己を鑑みるべきだろう。俺はそうしている』
『あら、そう。内心においては、万民の万民に対する闘争がお好み? 貴方の世界は、貴方で閉じようとしているのね。そんなにも、燕はご不要? それとも――――』
それから――その少女に、なんと言われたのか。
そこは思い出せない。
ふと、うたた寝に微睡む内に見る夢のようなものだ。
その高官が、友軍から――何らかの罪を申し立てられて留置所で死亡したというのは聞いた。
冤罪か、権力争いか。きっとその一人娘も、やがて世間の荒波に呑まれて亡くなったのだろう。
……会いたいとは思わない。名も聞いていない。
ただ、楽しそうに声色を弾ませたという――その声は忘れても、その事実だけは、忘れられなかった。それだけだ。
◇ ◆ ◇
光シャワー。
資源の限られる
果たして本当に効果があるのか――身に打ち付ける光の霧を前に、現時点での状況を確認する。
シンデレラは撃墜された、と言っていた。
つまり、追撃の戦闘があったということ。そして、彼ら【
その状態でもこちらに呼び出しがかからなかったということは、あくまでも今の任務に集中しろということで――そしてあちらからは、やはり特段の連絡はないことを示す。如何にも情報部の将校になった気分だ。
彼らの航行は、偶然だろうか。
マクシミリアン・ウルヴス・グレイコート――かのグレイコート博士の一人息子である彼があちらにいる以上、何らかの意味合いがあるふうに感じられてならない。
髪をワシワシと撫で付け、光シャワー上がりの除菌用使い捨てバスタオルをベッドへと放る。
最新の科学に基づいた人工物が作った一時的な長髪は、その程度で外れることもなく、そして自前のそれと異なり湿り気を帯びることもなくそこにある。
覗き込んだ鏡の先の、アイスブルーの瞳。
かつてのアナトリアまでに過ごした、耳にかかるほどの伸びきった黒髪。当時のハンス・グリム・グッドフェローであって、今の自分には似つかわしくないもの。
改めて眺めつつ、ふと瞼を閉じて内心で自省する。
言うまでもなくそれは、昨夜の彼女とのことだ。
(……ヘイゼルは、叱るか? 前にシンデレラがこちらを異性として意識しているのではないか――と話したが。……昨夜の彼女の反応は、そうとしか聞こえない)
顔を真っ赤に染めて、ダンスパートナーとなることを了承する少女。
流石に文句の一つも飛ばないそれを、義理や約束や場の流れで応じただけと見做すのは無理だ。
(……惑わせたか。年頃の少女を。……昨夜のあれは嘘偽りない本心だ。だとしても、聞きようによっては……その、愛の告白にも聞こえてしまうだろうか?)
僅かに黙し、吐息を漏らした。
(……聞こえる。それぐらいに、向ける熱量は同じだった――筈だ。そうでもしなければ、シンデレラの内心には響かないと判断したのだろう――……)
絶望の縁にいる人間には、或いは困難に立ち向かう人間には、それだけの熱を以って当たらねばならない。
故にあれは必要な範囲であり、妥当な措置であったのだと結論付けようとし――小さく首を振った。
(妥当? 必要? ……それだけか? 俺があのことを口にするのは数度だけ。……それも、幾度と受け入れられぬからこそ告げることを諦めた筈だが。単なる必要性で――ああ告げたのか、俺は?)
瞼を閉じて天を見上げるように、自問自答する。
そのとき計算して行った訳でもないことに、後に言い訳の如く言葉を付け加えるというのは自分の悪い癖だ。
煮え切らない――とマーシュに言われてしまうのは、間違いなくそんな面もあろう。
あの言葉は、確かに感情に基づいて発せられた言葉。それ以外どんな説明を、そも誰に向けてすべきだろうか。
故に、首を振った。
(……ああ、本心だ。見ていられなかった。あんなあの娘を、誰よりも俺が、見たくなかった。心の底から、力になりたいと思った。あの子が傷付く顔を、俺は見たくない)
認めよう。
あれほどまでに明るかった少女が、心にその影を落とした。折れそうなほど、壊れそうなほどに追い詰められた。そんなことを思えば――今でさえも、内から内から激情が噴き上がってくる。
ふざけるな、喰い千切ってやる、焼き尽くしてやると――怒りの獣が顔を出す。
そのためになら、胸を裂いて血肉を差し出しても構わないと――そう思えるのだ。思えたのだ。この娘がいずれ笑えるならば、そのためにどんなことでもしようと。
……或いは、戦地で言われたことを思い出す。
今そこで死に行くものを慰める――その末期に安堵を与える、それだけに向いている人間。
だから、生き続ける相手には関係性を続けていく不和が現れるのだ――と。
――〈ビデオゲームなら最悪よ〉〈脈があると思ったら、実はもう脈がなくなる相手しか相手にしない男〉〈死人前提。貴方、モルヒネと同じじゃない〉。
彼女は、無責任な男だと言っていた。その場その場で欲しい言葉を言ってくれる。だがそれは、末期の痛みを誤魔化しているのと同じで、そこから先に関係がどうなるかまでは考えてはいない。
死者に囲まれすぎた――
失われることと奪われることがあまりに常態化した日常が故の適応。そんな人間では、いずれ日常に戻ったそのときに関係性が破綻を迎えるだろうと忠告された。
……もっとも、警告したその女性も今は亡いが。敵歩兵の襲撃に遭って、遺言一つ残すことなく首から上が吹き飛ばされて死んでいた。
(……これは果たして、彼女に言われた、それだけなのだろうか)
黙する。
考え込むも、すぐに答えは浮かびそうにない。
ただ、シンシアがまた明るさを取り戻してくれたことへの喜びと――――そうとまであの娘が何かに追い詰められたことへの、どうしようもない怒りだけがあった。
首を振って、それらを追い出す。切り替える。
(何にせよ――……この話は、全てが落ち着くのを待ってからだろうな。彼女は【
……と。
戻した視線。鏡越しに、かち合った。
裸体を晒したこちらの傷のある肩の向こうに、扉を開いて覗き込む透明感ある長髪の少女がいた。
「おーぐりー、どうしたの?」
「……異性の着替えを覗くのはハラスメントとは思わないか、ラモーナ?」
「全然? おーぐりー、綺麗だよ?」
「……いや、その言葉は不味い。男女を逆に置き換えて考えてみてほしい。俺が、ラモーナの部屋に入るとする。裸を見る――俺は言う。『ラモーナ、綺麗だよ』……どう思う?」
「わたしは綺麗なんだな、って思うよ。……他に何かあるの、おーぐりー?」
「……そうだな、君の心は間違いなく綺麗だ。それを認めよう」
穢れた発想なんだろうか、自分が。
「ただ、俺は可能ならば恋人以外に裸体は見せたくないんだ。……言いたいことは、判るだろうか?」
「おーぐりーは、わたしを恋人にしたいってこと?」
「…………論理学の勉強がもう少し必要だということは良く分かった。必要条件と十分条件の違いだ。ラモーナ、勉強をしよう。俺にできる範囲で教えたい」
「そう? あ、でも、おーぐりー?」
「なんだろうか?」
「ごめんなさい。おーぐりーのことは好きだけど、恋人にするのはちょっと嫌……かな」
「…………………………ああ。大丈夫だ。かなりよく言われる。大丈夫だ。問題ない」
なんでフラレてるんだろう。なんで告白したことにされてるんだろう。なんで救いようのないロリコンに強制就職させられてるんだろう。むしろ矯正すべきでは?
それから、同情するように背中をぺちぺちと叩かれた。
裸を見ないでと恥ずかしがるべきか、着替え部屋に入らないでと教えるべきか。
なんかかつての色々を思い出して悲しい気持ちになった。なんか無茶苦茶色々と言われた。ハイスクールとかその前とか。色々と言われた。思い出した。悲しくなった。
……で。
白くのっぺりとした廊下を進んだ先。“
元来ならば、対戦相手になるだろう他の
それぞれの戦績に応じた無理難題。それを通すだけの女王的な権限が、彼女にあるというのか。
呼び出しに応じ、密閉室めいた隔壁のロックが開く。
「はいはーい。おはよ、ハンス――じゃなくてオーグリーくん?」
「……ハンツマン教官殿、よろしいでしょうか」
「言葉の前とあとにマムをつけるなら、いいよー?」
「……イエス、マム。モデルやアクトレスでない限りもしくはビーチでないなら、恋人や夫それに準ずる関係以外に肌を軽率に晒すべきではないと考えます、マム」
「何でビーチならいいんだろうね? 面積的には同じだと思わない?」
「は。……いえ、は」
彼女がタンクトップの裾をちらりと持ち上げたので、おもむろに視線を外す。
スパッツと、薄手のタンクトップ姿で他は身に着けずに白い肌を晒す麗しき銀髪の美女。モデルさながらに長い涼しさも感じるほどの肢体。男として落ち着かない心地にはなる。
「んー? ははー? あ、独占欲? 他の男にそうしてるーって思ったら、嫌になっちゃったかなー? 元人妻なのにー?」
「……ノー、マム」
感じているのは、何とも言えない居心地の悪さだ。
かつての教官を務めたアルテミス・ハンツマンの姿からは想像もできないその姿。あのときの彼女は、切れそうな糸のように張り詰めていた。
こちらが彼女の素なのか、それとも時間と共に変わってしまったのか。それは知れない。
「えー。……つまらない男になったねー、オーグリーくんはさー? 私の着替えを覗こうとしてたキミはどこ行ったのかなー?」
「………………男社会、訓練生特有の糾弾されるべき社会構造性の悪辣な集団心理が為した事案であり、実行者並びに被害者に対するハラスメント的な罰ゲームとお考え下さい、マム。……そして自分はその実行前に自主的に申し出、罰を受けました」
「んー、そだっけ?」
ケラケラと笑う彼女に、やはりその時の面影は見えない。
訓練生時代の、初期だったか。信じられないことを聞いたように――己の努力が台無しにされたかのように、彼女はその青い目を見開いていた筈だ。記憶に残っている。それは彼女の献身に対する裏切りだ――と。唾棄すべきことだと。
それで、訓練生同士諍いがあった。自分についてくれたのは、サイファー・スパロウという貴族出身の男。
結局、揉めた全機を模擬訓練にて叩き落とすことで黙らせた。それから全員で腕立て。そのはずだった。……確か。
「……で? 恋人以外に晒しちゃいけない肌を晒しちゃった女の子に、オーグリーくんは何をしちゃうのかなー? んー?」
「いえ……」
「
反射的に背筋が伸びる。
「ん? そんなに私は魅力ないかなー? んー? どうだどうだー? んー? 正直に言わなきゃ駄目だぞー?」
「それは……」
「正直に所感を述べよ、オーグリー・ロウドックス!」
「はッ! 小官は、今のハンツマン教官殿を一瞥しましてから、その均衡の取れた肢体を前に――――」
……辱められた。
ハラスメントだと思う。重大なハラスメントだと思う。近頃ハラスメントをされてばかりだと思う。
なんで彼女が軍属ではないのだろう。絶対に然るべき箇所に通報したのに。なんで彼女が軍属ではないのだろう。
「んー、やっぱり自分より階級下の子の方が可愛いねー。ま、もう追い越されちゃってるだろうけど。どうにもあれから、命令するのが癖になっちゃったんだよねー。……軍人じゃないうら若き乙女に十分な教育なしに教官を務めさせるとか、その後の人生に悪影響が出ると思わない?」
「……は、いえ」
……訂正する。彼女が軍属ではなくてよかった。セクハラとパワハラの権化になる。
ひょっとしたら、その辺りがエディス教官との結婚生活の破綻の原因だろうか。思ったが、考えないことにした。
「で――本題、だっけ? シンデレラちゃんのことなら――あの子はもういないよ。機体の手足を自分で直して、どこかに行っちゃったからね」
「どこか……とは?」
「んー……それ、キミの任務? オーグリー・ロウドックス? それは任務だって、そう言える?」
「いえ――ですが」
「任務以外のものを、抱える余裕がある? この場所で――敵地真っ只中で? 咎めてる訳じゃなくて、本当に単に質問だけど。ご自分の仕事を、理解した上で?」
「それは……」
先程までの態度はどこへやら、その青き瞳が張り詰めた弓の弦の如く絞られていた。
「鉄の英雄――なんて言われるキミに対しては不要かもしれないけど、私はもう、私の教え子がどこかで死ぬところを見たくないの」
「……」
「生身を襲撃されて絶対に生き残れる――って誓えるなら、教えてあげられるけど。それ、誓える? 例えば今この場で、私を巻き込んで。あの姪っ娘さんを巻き込んで。それ以外を巻き込んで」
「……失礼しました、マム。ですが――……これは軍人として必要なことです」
一度言葉を区切り、彼女の理性に訴えかけるように続けた。
「彼女は今、自分が知る限りでは反政府的なレジスタンスに合流している。……正規軍と比べて如何ほどの指揮や規律が保たれているか激しく疑問であり、そんな組織の下で元民間人の少女が戦闘に加わるのを見過ごすことは――連盟旗に誓った者として、重大な瑕疵となり得るかと思います。俺は、軍人としてあの娘を助ける義務がある」
「さすが、
「……モッド・トルーパー、と」
アーセナル・コマンドの兵器的な特徴の一つ。それが、ブロック・パーツ・システムだ。
機体全てでフレームを構成するのではない。腕だとか足だとか、胴体だとか頭だとかで切り離せるようになっている。
理由が、破損した機体の部品の交換を容易とするため。つまりは戦地における戦略的継続戦闘能力の確保だ。深刻にすべてのフレームが歪まない限りは、パーツを付け替えることで戦闘続行を保証する。
そしてそれを利用して、全く異なる機体の手足を付け合うことも可能だった。モッド・トルーパーというのは、まさにそんな構造の産物だろう。
……とはいえ、無論であるが、流体ガンジリウムの血脈型循環構造を持たぬモッド・トルーパーと異なり、アーセナル・コマンドについてはそれぞれに設計上の差異はあるために全てが十全とはいかない。大きく世代が変わってしまえばパーツの付け替えによるミキシング・ビルドは手間になっていくだろう。
(……そういえば、親の仕事を盗み見たというようなことも言っていたな。
彼女独力で機体を一機モッド・トルーパーに仕立てることも不可能ではないだろうと結論付けた。
そう、思索に没頭しそうになるそんな際。
ハンツマン教官が指を鳴らすと同時に、彼女の可搬型デバイスからホログラムが浮かび上がった。――目が隠れんばかりに前髪を伸ばした男性を写した姿見のように。
「……これは?」
「オーウェン・ウーサー・ナイチンゲール。……彼の名前の一つだけど、かつてあのレッドフードのいた船に乗っていた――って言って伝わる?」
「……!」
「勿論、偽名。……だって私が亡命するときに関わった情報将校だったからね。姿は覚えてる。名前は違う。……あの最後の戦いで死んだはずの男。情報部の、そんな男。――特に私に熱心に、宇宙での暮らしについて聞いてきた男」
情報部ということは――スパイ、だろうか。
彼女が指を左右に動かすに連れて、そんな男の姿が変わっていく。どこかの建物を前にした人混みで――その足運びや挙動などは、人の流れに紛れようとしている風にも見える。
死んだはずのスパイが、この
何か、不審なものを感じる。感じざるを得ないだろう。こちらのスパイ――という肩書で、あちらの二重スパイを行っていたのか。それとも……。
「……情報、感謝します。しかし、何故、これを? 何故、自分に?」
「色々とキナ臭いな、と思って。何か手がかりになるかなーって。ハンスくんほどのコマを一旦手放して、
「……感服しました、マム。この返礼は――」
思いがけぬ情報だった。
かつての情報部が、死を偽装して
シンデレラとの再会。
そして、この情報。
彼女が寄与してくれたものはあまりに得難いのだと、可能な限りどんな形でも応じようと言おうとし――
「ああ、いいよ。要らないから。その代わり――次の試合、本気で戦ってよね。だってそうでしょう? 自分が育てた教え子と、本気で殺し合うほど楽しいことってないと思わない?」
「――!?」
「残りの情報は、生き残ってからの話だね!」
思わず、絶句した。
それを置き去りに、彼女は続ける。先程までの悪戯げな顔ではない。淋しげな、静謐とした少女の顔。
「……私一人だと、行けないと思ってた。私の目指した先へ――私を置き去りにする私。でも、そこに、もう一人私がいたら?」
「確認ですが……こちらを
「いないでしょ、ここには。だって非合法な賭け事で――ここは
そして――嗤う。
酷薄な笑み。信じ難い笑み。かつてのアルテミス・ハンツマンとも、今のアルテミス・ハンツマンとも結び付かない――ゾッとするほど無慈悲で美しい、銀髪の女神の笑み。
「会いたかったよ、私の全盛期を過ぎちゃう前に。私が錆びついちゃう前に。キミたちが皆――私の手の届かないどこかで死んじゃう前に」
女神は、言う。
「あんなに手塩にかけたんだから、私を置いていくなんて許せない――そうでしょ、オーグリー・ロウドックス? いいえ、かわいい私の猟犬……ハンス・グリム・グッドフェロー?」
抱き締めて、耳元で囁くかのように。
それは真実、その愛と執着が死を齎す――。
そんな古き神話の神の似姿であり、どこまでも冷酷にして無慈悲な夜の女王の微笑だった。
◇ ◆ ◇
あれは、ライオネル・フォックス――幾度と撃墜されながらもそのたびに敵のアーセナル・コマンドを奪って帰還するのちの海賊王――だったか。
確か、最終的には撃墜数ランクの二十位に位置した。
そんな、浅黒い肌に黒髪を持った青年だ。
――〈なあ、グリム〉〈自分の生まれた土地を離れて、敵地に行って〉〈そこでも白い目で見られて、自分の国からも裏切り者になって、そういうのは、どんな気持ちなんだろうな〉。
応じたのは、銀髪のサイファー・“ロード”・スパロウだったか。
貴族然とした貴公子。品行方正。質実剛健。穏やかで、そして如何にもな騎士のような容貌を持つ美形の青年。
後に、レッドフードの船に乗り込むことになるそんな男。
――〈私としては、想像がつかないね〉〈あまりにも苦しい、と言わざるを得ない〉〈仮に勝ち残ったところであの都市の住民だったと向けられる目は拭えず、負けてしまえば待ち受けるのは地獄だ〉。
他にも、数人。
今は死んでしまった者たちがいた。
ミヒャエル・ハーケン、ルシアン・ボルドー、ボブ・マーティン・ジュニア――顔も名も思い出せる。
――〈要するに、俺らが大戦果を示しちまえばアルテミス殿は目出度く勝利の女神ってなるって訳だろ?〉〈元々馬鹿げた単機突撃なんだ。ちったぁ英雄的に上乗せしてもいいだろうよ〉〈なあ? 女神のために戦うってのも悪くない〉。
――〈私は勝利のためだ〉〈そのついでに彼女が評されるというなら、それならそれで構わない〉〈善き祈りには善き結果があれば、いいとは思うが〉。
――〈なんだっていいさ。新しい兵器だ。こんな窮地だ。ああ――だから兵隊ってのはこんなにも楽しい〉〈焼けるだけ、焼けばいいんだ〉〈……それ以外に報いようもねえだろうが、僕らになんざ〉。
あれは、祈りだったのだろう。
献身に応えたいという、善意に報いたいという、そんな祈りだったのだろう。
そんな彼らも多く、帰らぬ人となった。
出撃前に吹き飛ばされ、或いは移動時に爆散し、または敵地にて砕きつくされ、それとも帰り道で撃ち落とされ、もしくは道を失って、はたまた心を病んでいく。
中期には、ほぼ、姿を消した。
そして戦いが終わった戦後に、己の所業を悔やんで――或いは戦地に心を置き去りにしたために、自ら死を選ぶ者もいた。
献身に報いようとした猟犬は、善意に応じようとした猟犬は、確かな自負を持って飛び続けた猟犬は――徒花のように歴史から流されていった。
主であるアクタイオンすらも喰い殺した猟犬は、何よりもその本分を全うした猟犬は、残り数頭。数も少ない。
……ああ、そうか。
その答えが――これだと、言うのか。
◇ ◆ ◇
射出口に、機体を並べる。
上半身のついた戦車の如き姿。膝を膝を折り畳んだ車両形態。アーモリー・トルーパー。武装は二丁拳銃。
その身を起こす。二足歩行に。重き鋼の脚部を展開する。
白線。スタートライン。コックピットの、強化ガラスの向こうの――射出廊下の遠くに四角く切り取られた暗礁宙域。
作業ステーション――母艦のカメラとドローンのカメラ。その向こうでは、今頃は選手紹介がされているだろうか。
見世物の殺し合い。
あれだけ殺し殺されても、それでもまだ消えぬ鋼と鋼のぶつかり合い。それを見守る数多の人々。血を捧げる賭け。
「怒ってる、オーグリーくん?」
「怒りは不要だ。……俺は、自分に首輪を付けている」
「へえ? 私以外の首輪を? へー……」
「俺の首輪は、俺だけだ。……他の一切を否定する。俺に燕は、必要ない」
別の射出口にて待機するハンツマン教官――アルテミスが、無線にてそう告げてくる。
明るい声。
残酷にして玲瓏な狩りの女神の声色。
「あははっ、ああ――そう。うん、それ。キミ、絶対に日常にいない方がいいよ。だって輝きが――そんなにも違う。キミが生きる場所は、私がいっぱい教えた戦場なんだよ?」
「……そう思うなら、否定はしない。貴官の中ではそうなのだろう」
「あははっ、うん、私だけじゃないよ。あの娘に王子様のような顔をしてたキミと、狩人としてのキミ――女心を惑わせるだけ惑わせる無自覚な色男と、無比の鋼鉄製の処刑人。どっちが魅力的だと思う? 皆に聞いても、きっと狩人だって答えるよ? そんなキミが見たいんだ――って」
ねえ――と囁いてくる。
ここではないどこかの視点を有するかのように。天空に座す神々のように。或いは神託する原初神のように。
「だってそうでしょ? キミが心血を注いだのは、日常じゃなくて戦場なんだもん。初めから、日常に居場所なんてないの。狩人の本質は、どこまでいっても狩人――なんだから」
「……」
「獲物を狩るキミだけが魅力的――だから貴方は、本質的に狩人なの。誰よりも素敵な狩人」
何が彼女を変えたか、それは論ずまい。
ただ、己にできることは一つだ。
認めよう。ハンス・グリム・グッドフェローの有用性とは、すなわちその一点のみ。
つまり、
「――オーグリー・ロウドックス。敵機を撃墜する」
「――アルテミス・ハンツマン、射止める」
加速する強烈な車輪の振動。駆動する加速パイル。
圧をかける電磁カタパルトを更に蹴りつけ、機体は、宙へと身を投じた。
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