第63話 天に星あり、地に泥あり。そして闇に赫き篝火あり(中編)


 流氷が割れるような。

 鋼鉄が軋むような。

 大地と大地が擦り合わされるような。


 そんな音が、いつも、聞こえた。


 いつも。

 耳の奥で、鳴っていた。

 いつも――――或いは、いつしか。


 んでいく。

 どこまでも、倦んでいく。


 軍事費の増大に伴い、貧困家庭への経済的支援が――成績優秀者に与えられる筈の、ずっと約束されていた目標であった筈の政府の資金援助が打ち切られた。

 それはいい。

 別の手段を取ればいいだけだ。


 学業の傍らで続けたバンドのメンバーが、共に立ち上げた友人が、その家族が、不況から職を失った。彼は学業を捨て、軍へと志願した。いなくなった。

 それはいい。

 こんな世の中だ。それは仕方ない。


 衛星軌道から降り注ぎ、着弾し、粉塵と化して雨と共に降り注いだ重金属の汚染に家族が蝕まれた。

 戦時国債の返済と、軍事費割合の増加によって、医療費助成が削られた。

 戦時下ではまともな治療も受けられず、初期の対応の遅れが致命的な状態を引き起こした。


 それはいい。


 最功労者である筈の軍人の給与が削られ、現物での支給や別の形での助成に変わった。

 手足を失い、光を失い、身体の自由を失い、退役した軍人たちは職につくこともできずに乞食同然になった。或いは自殺した。

 病の衛星軌道都市サテライト出身の少女が道端で倒れ、誰にも助けられず、死んだ。見殺しにされた。


 前線で戦ったわけでもない新兵たちが、或いは後方に逃れていた奴らが、勝利を嵩に着て声高に自分たちの優生を主張する。

 あれだけ世界を焼き尽くしたというのに、どの兵器開発企業も、また新たなる兵器の開発を続けている。

 そんな兵器が奪われ火種となり、また少女を一人偶像に変え、巻き込み、殺し、殺され、戦いを続ける。


 ああ、駄目だ。

 お前たちは、もう、駄目だ。


 お前たちがこれ以上進んだ先に待ち受けるものは――――なんだ?


 この祈りの答えは、どこにある?



 ◇ ◆ ◇



 ……そして、果たして。


「は、は、は――……ははははははははは!」


 どれほど待ったか、アシュレイとシンデレラが見守る先で――青き装甲に包まれた機械騎士の内部で、ロビン・ダンスフィードは顔を抑えて大声で笑いあげた。

 そして、直後。

 シンデレラのみならず、アシュレイすらも寒気を感じるほどの強烈な殺気が――放たれた。


「そんなに燃やし尽くされてえか……ああそうか、よくわかった。ナメやがって――……


 それは、赫き憤怒を通り越した炎。

 白き義憤の清廉さもなく、緑の執念の執拗さもなく、ただどこまでも青黒き恩讐の炎。

 ロビン・ダンスフィードが、その城壁が砕けたそのときに――焼け落ちてしまったそのときに、その身に抱えた不浄の炎。 


「ガキを大気圏のチリにして、ガキを最大の殺人者にして、今度はガキをロボットの奴隷やゾンビに変えるか? は、は――どこのクソが理屈を作ったか知らねえが、ナメ腐ってくれるじゃねえか――――」


 彼は笑った。一流の悲劇は三流の喜劇と同じだという成句のように、ただ腹の底から笑った。

 臨界点を、超えてしまったのだろう。

 マーガレット・ワイズマンの与えた命題によりロビン・ダンスフィードが踏み止まっていた点も――たった今、見えない何かが超えてしまったのだ。


「これが、オレたちが欲しかったものか? アイツらが望んだものか? ガキを不死身のゾンビに変えて、次は何を求めやがる? 誰を殺させたい? 何を奪う? 全人類を水槽の脳みそにでもしやがるのか? ああ、今度は一体何をめちゃくちゃに――どこまで行くつもりだ?」


 ブチ殺す――と。


「そうまで救えねえなら、今日、俺が終わらせてやる――」


 始末屋は今、その針を抜こうとしていた。

 石畳を備え、弩を携え、大砲を抱え、城壁を誂え、戦を砕き散らす不壊の城塞ヘッジホッグが。

 その身に有り余らせたる全ての暴力をこの世目掛けて完全に解き放たらんと、血走らせた瞳で世界を見詰めて、


『だから――勝手に怒らないでください! 迷惑です!』


 叫びかかる少女の声に、無理矢理引き戻らされた。

 胴だけが白銀の機体が、数多の砲門を抱えた重装甲の【メタルウルフ】の前に立ちはだかる。

 自由な生命を奪われた筈の少女が、他でもなく彼女にそれを齎した筈の世界を庇って、憤怒の城塞と正面から向き合っていた。


『わたしは! 何度も言っている! 言ってるんですよ、従えって!』

「あ?」

『わたしが――わたしがいつ、と言いましたか! 怒りたいのはわたしなんですよ! 怒ってるのは、誰よりもわたしなんですよ! でも、わたしは何でもかんでもに怒らないって決めた! だから――」


 スゥと、大きく息を吸い、


! ! !』

「――」


 ロビンが息を飲むそのときに。

 ああ――と、啖呵を切る金髪の少女のその姿の奥にアシュレイも輝くものを幻視した。

 輝の中の輝。

 貴の中の貴。

 輝ける貴き騎士の星――一人、大気圏の流星となったマーガレット・ワイズマンの、その姿を。


『世界を焼き尽くせる力があるって、アナタ自身がそう思うなら――それは、ためにも使えるんだって、そう思ってくださいよ! もしアナタだけじゃそうできないなら――わたしが貴方を、そう使ってあげますから!』


 想起していた――――〈死神? ええ、ならばより結構ですわ! ほら、ほど戦場でありがたいものはありませんのでは?〉。

 その輝ける軌跡を――――〈ご安心を……というより、敢えてこう申しましょうとも。きっと、こここそが他ならない貴方の居場所になりますわ〉。

 一つの命が放つ確かなる光を――――〈そう、言うなれば不死身……不死身の、鋼鉄でできた七人! ふふ、ほら、考えてみてくださいまし。誰も死なぬなら……貴方が仲間を持つことを、恐れる理由もないでしょう?〉。


 〈わたくしは貴方の代弁者とはなりません〉〈ですが、こう申しましょう〉――――〈わたくしと来なさい、アシュレイ・アイアンストーブ。誰でもない貴方の悲しみへ、誰でもない貴方が正当に怒れるように〉。


 どうぞ、この手をお取りになって――と。


 或いはそれは闇の中の篝火に惹かれた小人のように。

 鮮烈なる少女と共に歩み続けたからこそ、誰よりも、黒衣の兵たちはその輝きに鋭敏だった。

 だからこそ、なのだろう。

 長く――……あまりに長き沈黙を続けたロビン・ダンスフィードが、ただ静かな――それまでの憤怒を感じさせない消え入りそうなほどにとても静かな声で、呟いた。


「アシュレイの旦那。……アンタはそのガキについていけ。黒の駒が一つでもあれば、あの狼野郎の目的も果たせるだろうよ。……よくわかった。オレは、地上に残る」

「……追撃を防ぐためかい? 先ほど、街で見た機体だけど――……あれはおそらく、単身で大気圏の離脱ができる。マスドライバーで打ち上げても、追いついて撃墜できるだろうね」

「へ、そりゃあいいことを聞いた。その手のものを止めるのは城の役目だが――……ま、別働隊が必要でな。地上で、ある程度は抵抗を続けねえとならねえ。そういうことになってたんだよ」


 アシュレイは知らず、ロビンのみが知る事実。

 マーガレット・ワイズマンがあの決戦の日、己の身と引き換えに破壊した筈の【星の銀貨シュテルンターラー】の運搬衛星――衛星軌道周回型アーク・フォートレスが、【フィッチャーの鳥】により再生を受けているということ。

 彼ら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の真なる目的はその破壊であり、そしてその暴露を以って【フィッチャーの鳥】を糾弾すること。

 当初――……当初、ロビン・ダンスフィードは己こそがあの日の決着を、あの日遂げられなかった始末をつけようと思っていた。

 だが、


「例のテロリストの連中がいるんでな……最初は、まあ、こっちの目的にもそれでいいと思ってたぜ。都合がいいってな。だが――……ああ、そうだな。奴らを野放しにしたらそれこそ問題になるだろうよ。……――具合を調整しないとならねえ。加減をな」

「それを、君が?」

「あァ。……終わらせ方、か。始末を付けられれば、それでいいと思ってたが……だろうなァ、旦那。始末の付け方にも色々とある。その形ぐらいは保たねえと、世界が割れちまうぜ――……そうだろ?」


 憑き物が落ちたような声色でロビン・ダンスフィードは腹から吐息を漏らして、それから、その青くハネた髪をボリボリと掻き毟った。


「おい……なあ、ガキ。キャスリングって知ってるか?」

『知ってますけど……それがどうかしたんですか?』

キングと場所を変えるのは、城壁ルークの役目だ。クソガキ、テメーは宇宙に上がれ」

『あっ、また言った! わたしのことはグレイマン准尉って呼んでくださいよ! 何回言わせるんですか!』

「うるせえ。オレから言うのは一つだ、クソガキ。……テメーが死んだら、オレは、世界を焼き尽くす。こうなる筈じゃなかった世界に、オレが、始末をつけることになるんだ」


 口調や内容とは裏腹に、先程までロビンが抱えていたどうしようもない憤懣――それが消えているふうに、アシュレイには感じられた。

 まるで炎の中に投じられた二種類の金属の片方が還元されるように。

 黒く滲んで煤けてしまっていたロビン・ダンスフィードが、あの日以前の彼が、亡者が、灯る炎の力によって生を取り戻されているようだった。


「とにかく、オメーは死ぬんじゃねえぞ。死ぬようなことから遠ざかれ。コックピットから引きずり出して子供部屋に詰めてやりてえが――……そうもできねえってんなら仕方ねえ。そこはオレ様だって呑み込んでやっていいぜ」

『いい大人が、そんな脅し文句なんて恥ずかしいって――』

。クソッタレが……正直、てめえなんぞ戦いに出させるなんてそれだけで腸が煮えくり返る気分だ。でも、呑み込んでやる……は、結局、どう足掻いたってテメーで勝手に戦いやがるからな」

『そんな、人を戦闘狂みたいに……それにわたしはシンデレラ・グレイマンです。他の誰かなんじゃ、ないったら!』

「うるせえ、黙ってろての。今回だけは呑み込んでやる……いいか、クソガキ。オメーは吐いた啖呵の分、期待外れじゃねえってことを見せなきゃならねえんだぜ?」


 心底うんざりしたような――それでいて、呪いの陰りもない傲岸さを取り戻したかのような強く明朗な声色で、ロビンは告げた。


「いいか? オレにと言ったんなら――オレに命令するってんなら、黒衣の主に相応しい動きをしろ。……星になるな。生き残れ。生き残れよ、シンデレラ・グレイマン」


 その声を聞きながら、アシュレイは考えていた。

 戦いの中、年長組で何度か話し合ったことがあった。それは――或いはあのハンス・グリム・グッドフェローも除いた、三人での会話だ。

 取り留めもない話もしたし、重要な話もした。積み重なった言葉の多くは心の海底に海雪の如く降り積もり、多くが忘却の海溝に沈んでしまったが――……その中でも度々、話に上がった言葉があった。

 もしも、いざとなったなら。その時、それが選べるのならば。

 自分たちは、年長者は、彼や彼女のためにも盾にならなければならないと――紡いでいかなければならない命の糸は、より年若い者たちにあるのだと。

 そう語っていた。語っていたのだ。……それを実現させることが、あの日、できなかったものだが。


『死にませんよ。わたし、今、死ににくいみたいなんで』

「……そういう話じゃねえんだよ、クソッタレが」


 だから今、アシュレイ・アイアンストーブとロビン・ダンスフィードは同じ気持ちだったろう。あの日語ったように。無言で今、言葉を交わさずに約定を取り決めた。

 シンデレラ・グレイマンの生存――。

 あの日のように、最も生き残るべき命を取り零さない。己たちはそれをすべきなのだと、定めていた。

 そして同時に、アシュレイは思った。

 或いは、ロビンも思っていたのかもしれない。


 きっとそれは、黒衣の七人ブラックパレードの理念そのものとは外れている。

 天から地を焼き尽くさんとした滅びを前に抗おうと立ち上がったその日の理念からは、外れている。

 或いはそれは、マーガレット・ワイズマンの残した問いかけ――――からという意味では、本質を損なっていないとも言えるかもしれないが……。

 それでもどこか――自分たちは黒衣の七人ブラックパレード失格だと、思えてしまっていた。


 だからこそ――……であるが故に。


 最も懸念すべきは、一つ。

 きっと、世界が焼け落ちるその日まで己の首輪を外さない男。決して黒衣の七人ブラックパレードをやめない男。

 ともすれば、その彼が曲がらずに保たれ続けるが故に。

 どこかで彼我は、刃を交えてしまうことになるかもしれない。何もかもが変わり行く中でも、ただ、岸辺に立ち続ける男を前に。

 ただ一人、ただ一振りの――決して揺るぐことのない、あの、


『大丈夫ですよ。……それに多分、そういうときはきっと――大尉が駆け付けてくれるって、信じてますから』


 だけれども、そんな懸念は――……。

 本当に愛おしそうに、大切そうに、胸の前で手を握って、己の中にそんな灯火を止めようとするように。

 そう呟く金髪の少女の和らいだ声を前に、アシュレイも飲み込んだ。

 そうだ。きっとそうだ。

 ……彼は、人命に重きを置く。きっと戦う場所が変わっても、その本質までは変わらない。ならば刃を交わすことはないと――アシュレイは信じたかった。


「…………おいおいおいおい。なあ、アシュレイの旦那……アイツこれで何件目だと思う?」

「さあ、僕にもちょっと……黒衣の七人ブラックパレードの部内裁判で、何回有罪になったか判らないからね……」


 ふう、と溜め息と共にコックピット越しに視線を交わし合う。そうしていると、あの日に戻った――そんな気がした。


『ちゃ、茶化さないでください! わたしはただ大尉のことを信じてるだけです! きっと――ああ言ってくれた人ならきっと、さっきも人を助けてた人ならきっと、絶対、大事なときには――助けてくれるんだって! な、なんで笑うんですか! 失礼ですよ! は、ハラスメントですっ!』


 顔を真っ赤にして身振り手振りで反論しようとするシンデレラを眺めつつ、アシュレイとロビンは小さく息を吐いた。

 戦い――なのだ。これまでも、これからも。

 自分たちが得てしまった力を、ただ使う。せめて正しき形になるように使う。

 交渉人ビショップ始末人ルークにある祈りは、それだけだった。――――或いは。


 彼らは祈る。


 しかし、《彼》は祈らない。


 それが決定的な終わりを分かつことに至る、理由なのかもしれない。



 ◇ ◆ ◇



 ――対して。


 ロビン・ダンスフィードを見送り、忸怩たる思いで都市を焼き落とした暴力を見過ごし、マスドライバーの最終調整を行うその最中、ルイス・グース社が開発した航空要塞艦アーク・フォートレス『ドラゴンフォース』にて。

 それは【フィッチャーの鳥】が運用しているものに比べると、いささか小型の船であった。

 航空巡洋母艦――『アトム・ハート・マザー』に比べて、アーセナル・コマンドの搭載数が少なく自衛のための砲門も少ない。

 それでも、一武装勢力には過ぎた暴力である。まずそもそも、航空要塞艦アーク・フォートレスを有する反政府組織というものは極めて稀であるのだから。


(……宇宙そらに帰るのは、何年ぶりか)


 大気圏離脱のシークエンスを整える艦内放送が響くその内で、自己の機体である灰色の鳥――【アグリグレイ】を前に、肌に貼り付くパイロットスーツを纏ったマクシミリアンは一人口を噤む。

 始めてしまった戦いの、その戦況の悪化のツケに己の父を謀殺した衛星軌道都市サテライト

 既に帰る場所でなくなってしまった故郷を、格納庫の壁越しに遠く見上げ――それから、影めいて付き従う黒髪の青年へと口を開く。


「ローランド――……あのグレイマン技術大尉を頼む。いずれにせよ、彼には新型の開発を求めてくれ。この先の戦いできっと必要になる」

「承知しましたが……貴方は?」

「彼ら黒衣の七人ブラックパレードと彼女を回収してから宇宙に上がる。……二手に別れることになるだろうな。その蒼の新型は宇宙まで追跡して来かねない」

「なるほど、どちらかが囮となるということですね。それならば、アナタではなくこちらに来てくれればと思いますが――……申し訳ありません。兄と違って守り切れるとは、口にはできません」

「構わない。……君とハインツは、別の人間だ。それぞれにできることがあるのだ。どちらが上とは、そこにはない」

「……は」


 アーセナル・コマンドの操縦以外ではローランドに利が、しかし、アーセナル・コマンドの操縦においてはその兄ハインツが。

 よく似た双子である彼らは、それぞれ、兄弟同士で互いを補うように才能を分け合っていた。

 ……しかし、それも、失われた。あの戦いで――ハンス・グリム・グッドフェローとヘイゼル・ホーリーホックにより、ハインツは撃墜されたのだから。


(言葉を交わしても、今日この日まで私に気付くこともなく――君は殺し続けた。その機能を、発揮し続けた)


 それを思えば、ギリ……と拳を握る手に力が入る。

 どうしようもなく――幾度と戦場で邂逅し、目の当たりにし、そして抱いてしまった嫌悪感と殺意。己の最も親しき友が、己が最も嫌悪する存在へと変質してしまうことへの拭えない拒否感。

 本当に――……。

 認められない。断じて認められない。

 友の姿をして、友の口で語る、友とは思えない、友自身が望まない破滅に恐らく至るであろう理性を突き詰めた先なる獣。


 まさしく処刑人としか呼べぬ姿。


 思い返せばそれはあまりにも殺意を煽り――だからこそ、のためにかつての唯一無二の友が失われたことへの憤懣と、そんな憤懣を彼へと向けてしまう己への歯痒さと、それらが混ざり合った上でそれでも湧き立つどうしようもない嫌悪感と怒気が内から内から匂い立ってしまう。

 彼が、あの日自分と語り合った心優しき彼が、そんな彼の心を最も踏み躙るであろう存在へと成り果ててしまうという――髪を掻き毟り、世の全てに罵声を浴びせたくなるほどの忌避感。

 つい先程の洋上での会話を思えばなおのことそれは強くなり――……マクシミリアンは、打ち消すように内心で首を振った。


「宇宙で落ち合うことが何よりの勝利への道筋だ。……それが無事に為されれば、これ以上の戦いは起きずに済む。くれぐれも、頼んだぞローランド」

「ハッ」


 敬礼と共に去っていくローランドを見送り、冷たく騒がしく人々が行き来する格納庫の中、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは瞳を閉じた。

 

(君は、ただ、その優しさからあの都市の争いを止めようとしたのか――……それとも誰かに命じられたから友軍すらも殲滅したのか、そのどちらなのか、私には判らない)


 都市部付近に残した兵士から告げられた【フィッチャーの鳥】の内紛。都市を灰燼に帰した戦艦を、更に塗り潰すように振るわれた絶対的な焼却の炎。その粛清の薪の王たる、燃える剣の主――ハンス・グリム・グッドフェロー。

 果たして、彼は、その良心に従って味方を殺したのか。

 それとも法や指示の下、求められるがままにそう振る舞ったのか。

 いや――……そも、如何なる事情や背景にしろ、彼は友軍を容易く殺せる男となってしまった。

 そのことだけでも、もう、取り返しが付かないことのように感じられた。


(ただ職務だけで己を縛るということは、そこに、君を置かないということだ。君自身をこの世から切り離すということだ。それほどまでにこの世の争いが心優しき君にとって耐え難い――……そういうこと、なのだろうか)


 黙し、先ほど己の方から殺そうとした彼を想う――――。

 何たる愚かしい矛盾か。

 何たる救えぬ情動か。

 大気圏離脱を前に、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは、そんな煮え切らない己の直視を続けさせられていた。


 大気圏を離脱し、再び宇宙に戻り、潜む。

 そのまま【フィッチャーの鳥】へとハラスメント的なゲリラ活動を行い続け、彼らが隠し持った【星の銀貨シュテルンターラー】――マーガレット・ワイズマンが命と引き換えに破壊したそれを再生したものを釣り出し、地球の民に対する裏切りと糾弾する。

 保護高地都市ハイランド連盟の内部での世論の高まりによって、【フィッチャーの鳥】を解体させる。

 それが勝利への道筋。

 このままでは再び決定的に分断が進んでしまう、また新たな戦争の火種となってしまう【フィッチャーの鳥】を取り除く――――それが【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の目的だ。


 大切なのはその破壊の為の戦力と、ゲリラ工作の為の戦力の確保だった。


 そして――。

 彼が座す『ドラゴンフォース』の姉妹艦、『アークティカ』の船内にて。

 マスドライバーの超高負荷である射出に備えて船内の稼働物を固縛する、或いは物品や道具などを大型の固定金属コンテナに収納する整備兵たちの姿がある。

 元来マスドライバーは、人間どころか壊れやすい構造物を射出することが運用の想定にはない。送り出す物資というものも、強大なその加速度に崩壊しないものに限られていた。

 それ故に、宇宙戦闘用の艦船――それも対大気圏離脱機能を有するものは極めて限定される。かの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争の際もまた、数少ない旗艦だけがそれを可能としていた。


 戦闘指揮所CDC内部には、衝撃吸収ゲルボールが展開。


 まずゲルの展開に先立ち、半透明の某膜フィルムが機械類やシートへと展開。その後、船室内部を保護すべく衝撃吸収性のゲルが満たされ、指揮所の人員はこれに入室する。

 船内の各所には同様の設備があり、マスドライバーによる加速シークエンスはこれに待機し、その後航行の安定により各所に配置される手筈となっていた。

 それ故に、加速直後で船内にて問題が発生した際は対応ができず、致命的となる。

 そんな、慌ただしい最終確認を行う船の内にて。


 なよなよとした外見の優男と、それに語りかける錆び付いた銀髪の眼帯の青年。

 グレイマン技術大尉と、アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー――人の心を失った技術者と、人の心を弄ぶ破戒者である。


「なあ、先生。……黒衣の七人ブラックパレードなんてものが続々と来たら、アンタと新型も――……お役御免になってしまうかもしれないよなあ」


 彼のその肩に義肢をおいて――這い寄るように、舐り尽くすように、錆銀の三つ編みを揺らして神父服の青年は妖しく赤き瞳を光らせる。

 最早船内の慌ただしさに、彼へと注意を払うものはいない。

 いや、既に、ギャスコニーはその根を張っていた。筆舌に尽くし難い方法で――淫蕩に、或いは酷薄に。艦内の多くへ、その魔の手を伸ばしていた。

 だからこれも、その、一環であるのだ。

 語られた内容へと思わず片眉を上げたグレイマン技術大尉を眺め、


「は、は――……おれもさ。悲しいねえ……手が足りないときは頼るだけ頼って、アテができたらポイ――だよ。都合がいい男なんだろうね。残念だねえ……そうしたらアンタとこうして話せるのも、もう、これっきりかなあ……」

「うーん……それは、困るね。……例えば個人的にぼくが雇うことはできるかい? ぼくも多少は蓄えがあるし……妻と別れて、その慰謝料を報酬に当ててもいいだろうし……」


 眼鏡の奥の成長の足らぬ瞳で、神父を見詰める技術大尉。

 彼は既に、ギャスコニーの言葉を信じ切っていた。つまりは――家庭が崩壊状態となった原因は彼になく、きっと彼の妻は開発の為の泊まり込みにかこつけて浮気をしており、娘というシンデレラも彼の種ではなく血縁関係もなく、その全てにおいて彼は全く悪くなく、全ては妻に原因があるのだと。

 そんな背景から零された言葉に、ギャスコニーは頬を三日月めいて吊り上げる。


「へえ……いやあ、それほどまでにおれのことを買ってくれてるとなると――……その期待には応えたいねえ」


 彼がこれまで籠絡してきた男や女とは些か感触が異なるにしても、人間として精神が成熟しきっていないにしても、何にせよグレイマン技術大尉は彼のある種の信奉者ないしは信任者となっており――。

 だからこそ、ギャスコニーは笑う。

 かつて衛星軌道都市サテライトの一員として戦争に敗れたことも、ハンス・グリム・グッドフェローとの戦いに敗れたことも、そのどちらも彼へとってはそれほどの痛打でもない。

 大義、名分――……世の人々が説くそのどちらも、ギャスコニーの行動理念には何ら関わらない。

 故に、


「そうだ。おれに一つの伝手があるんだが――……なあ、先生。もしって言ったら、あんたは乗るかい?」


 ただギャスコニーは嗤った。

 あまりに妖しく、そして、清々しい笑みであった。



 ◇ ◆ ◇



 そして黒衣の姫君を収容し、黒衣の七人ブラックパレードと合流し、地球という重力の星を後にしようという船を前に――。

 燃え落ち、沈みゆく海上遊弋都市フロートのそばを漂う海陸両用艦の甲板にて、眼帯の少年はその専用機たるアーセナル・コマンド――【ブルーランプ】への搭乗を行おうとしていた。

 青銀色の機影。

 手足に鋭い鬼火を纏った金属製の骨組みともいうべき、超高速運用を主眼とした高速機。

 単身での大気圏離脱と大気圏突入を可能とする、宙陸両用の専用機である。

 だが、


「行っちゃ駄目だよぉ、ハルくん……死んじゃうよぉ……」


 タラップの上で、小柄な彼の軍服の裾を摘んでしゃくりあげる蛍光色の髪の少女がいた。

 外見で言えば彼より年上の十七歳に見える――しかし実態は十四才のカタリナ・バウアー。この戦いにて戦友の裏切りに遭い、そして暮らした都市の人々を焼かれて涙を流す少女を無碍に振り払う残酷さを彼は持てなかった。

 いや、そんな人間性というよりも――……。

 ただ機能として、腹部に重症を抱える彼ではその乗機の本来の能力は発揮できない。どこまでも冷徹に計算したその上で、少女の手を振り払って戦場に赴くことは難しいと彼は結論付けていた。


 或いはハンス・グリム・グッドフェローなら――今まさに海中に没した彼ならば、そんな状況にすらも備えていて戦闘に臨めたかもしれないが、ハロルド・フレデリック・ブルーランプにそれは適わなかった。

 だからこそ――。

 彼は、である青年へと呼びかけた。


「……出番だ、ヘンリー・アイアンリング特務中尉」


 もしも自分と、ハンス・グリム・グッドフェローが万一の際に仕損じたときに――『アトム・ハート・マザー』に搭載された元【狩人連盟ハンターリメインズ】のフィア・ムラマサを殺し残ったそのときの、真打ち。

 遥か高空――衛星軌道近くに待機する機体に乗り込んだ、その青年へと。

 果たして、


『了解だ。ヘンリー・アイアンリング、【アイアンリング】――を、開始する』


 呼びかけに応じる青年の声。

 その刃は、マスドライバーへ――そしてそこから放たれる二隻の船を撃墜するべく、待機している。

 準備している。


 ――のだ。

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