【150万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第62話 天に星あり、地に泥あり。そして闇に赫き篝火あり(前編)
第62話 天に星あり、地に泥あり。そして闇に赫き篝火あり(前編)
それは、大地を遠く離れた暗黒の海原で――死の真空の中で。
蠢くものがあった。
それは有機的な無機質を突き詰めたものというべきか、どこか、機能性の極地と硬質な生命力を両立させる昆虫の如き大船であった。
四方八方へと飛び出した鋭い銀色の柱が青き燐光を放つ。太陽風に含まれる水素を捕まえるための帆。金属でできた蜘蛛の巣の如き水素収集翼。
折り畳まれた蜂の脚めいて船体下部から後方に向いた六本の加速補助推進剤噴射口を携え、銀の巣のその中心で不気味に尖った凹凸の少ない円錐の飛翔体。
本来であれば一切の武装を持たない筈のその船は、しかし航行中に改修を重ねて――簡易的ながら、多少の砲門を備えていた。
外宇宙船団――生息四圏の人々が共同で運用していた、人類の生息圏を切り開くための開拓者の船【
しかしその理念は失われ……。
今そこに住まうのは、ある種の怨念にも等しい妄執であった。
木星との往復時間がおよそ千日足らずである高速船は、粛清を逃れるための
その、船長室。
まるで王座の如きその椅子に座す禿頭に軍帽を被った男が、船内モニターに映し出された星々の海原を眺めて呟いた。
「……動いてくれたか」
頷く男の前で、家臣の如く赤絨毯に膝を付いて報告を行ったのは軍服の青年。
彼は、数少ない地上侵攻軍の生き残りであった。生き残りにして連絡員であり、何より、今は軍帽の壮年男性の
家臣と称したのは、真実それが彼らの形態を言い表すのに正しい姿であろうからだ。
最早、近代的合理的な軍隊ではなく私兵――それも前時代的な、騎士団や戦士団と呼ぶのが適切かもしれない。
「どうか、我らからも【
「無論、彼らを見捨てはしない。しかし、如何に駆け付けたくとも今すぐに間に合うすべはない。いや、これまでとて間に合わなかったものだ……その内に多くが、あまりにも多くが失われた。だからこそ、故国を離れ遠き荒野に散った――彼らのその想いを、我らこそが背負わなければならない」
「では……」
「うむ、我々もまた行うべきを行うのだ。彼らが取り戻そうとした血まみれの玉座を、奸計にて奪われた血塗られた王冠を、他ならぬ我らこそが正すのだ。全ての死したる兵のその意思を継ぎ――偉大なる解き放たれた宇宙の民であるその在り方を、彼らが眠る大地に、彼らが見上げた頭上に示さねばならない」
仰々しく、古式ゆかしく会話する男たち。
そして、少し離れた艦長室の壁際に――腕を組んでそんなやり取りを冷めた目で眺める少女がいた。
背中まで伸びた燃えるように広がった紅き髪。強く世を見据えつつ、しかし、どこか厭世的な翳りさえも覗かせる鋭い金色の瞳。
肩に軍服をかけて、睨めつけるかの如く口を結んだ硬質の美貌。正面から向き合えば、大の大人さえもたじろがせるような
若干、十七歳。
名をウィルマ――ウィルヘルミナ・テーラー。
「シューメイカー大佐、例の【
「さて。自浄作用と言うが、どこまで期待できるかな。……所詮は奴らは旧態依然とした、
「では……!」
「奴らを誅するならば、我々だろう。それこそが唯一――あの戦争で散っていった者たちへの手向けであり、我らの遺されてしまった命の使い方なのだ」
少女は、眺めつつ考えた。エコーチェンバー現象だ。
他との交流らしい交流もなく、否定意見も他の視点にも触れられず、空気も淀んだ船の内側で醸成されていく過激派思想。発酵――否、腐敗に似て、彼らの寸劇は日に日に愚かさを増していく。
信頼はやがて信仰となり、そして、狂信と成り果てた。
万一に備えた避難民の箱舟だった筈の宇宙船は、終戦の間際で投降せずに合流を行った敗残兵と――そして彼らが手にした暴力と、それを背景に敷いた規律と、いつしか醸成された優勢思想により腐り落ちた。
人は、パンだけでは生きられない。
一本外に出てしまえば死する真空と、目指す先も定まらぬ逃避行である航行の内で、苛烈な思想統制や粛清だけが原因でなく人々はその毒たる思想にかぶれていくようになった。
愚かしい――……とは言うまい。
真実、地平線よりも果てなき彼方の虚空の宇宙目掛けて航海を続ける孤独感と、一切の温かみがなく無限に広がる空虚の絶望感に人間は耐えられない。自己の精神を保つ為に、そうして、何かしらの信仰を得なければならないのだ。
……いや、そも、あの戦争自体がそうであった。
誰かが悪意を持てば、狂えば、諸共に全ての人間が死んでしまう宇宙でこそ団結が求められた。一体感が求められた。一つの
決して一枚岩とは呼べなかったのだ。民間企業由来の開拓都市や、政府主体での開発都市、或いは一部の富豪たちが共同した私設都市など――……また、それぞれが根拠にした場所によって、
そして、ウィルヘルミナが考えを深めるその内に、大層な会談とやらは終わっていたらしい。
青年の退室を見届け、艦長席に座す軍帽の男が緩やかに口を開いた。
「何か思うところがあったか、ウィルマよ。……今は儂が貴公の仮初めの父だ。胸の内を、遠慮なく申すがいい」
「……特には、何も。これから――如何するおつもりなのかと思っただけです」
「これから――か」
僅かに含めるように口を噤んだ壮年の男は、それから、厳格たる響きでこう言った。
「穢れた地で蜂起したる同胞に合わせて、我らも兵を挙げる。知らしめる必要があるのだ。
「……」
「どうあれ、奴らは大地を離れられない……母なる大地を離れ、空虚なる死の真空に生きていく気概を持てないのだ。ならば必然、我々
今の
「判るか、ウィルマ。我々がここで打撃を与えるということは――仮に我らが死したのちも、今の我々
「……」
「かつて人々が宇宙の星を見詰め星座としたように、それが悠久の時を生き受け継がれたように――我らの行いもまた、永遠の永きに語られるものとなる。全ての死したる兵の貢献は、無限を生きる星座の一つになるのだ」
ある種の鎮魂歌のようなものなのだろう。
或いは――手向けか。遥かかつて神話が作られ、或いは戦士を吟遊詩人が歌ったその日から人が抱えた幸福の一つ。欲求の一つ。
死してなお滅びぬもの。残り続けるもの。永遠の命。
人は生ではなく、名を惜しむように――それは甘美なる誘惑の果実として、大いなる承認欲求として、確かに報酬足り得るものだった。
ウィルマは、ただ、圧し殺すように静かな声で、
「……は。それで、具体的な作戦方針を問うてもよろしいでしょうか」
「避難した兵の中に、かつての技術開発に関わったものがいた。彼らは、ある、強大なアーク・フォートレスたちの情報を有していた。――我らはそれを手に入れる」
事実、かつて地上に投じられたときは猛威を振るった。
初期に作られたものでさえ、あのレッドフードとその乗機を量産化したような第二世代型の配備により押し返されつつあった戦線を、再び
決して個人では対抗できない大いなる群の力。固の力。
一部の例外を除けば――それは如何なる力をも塗り潰し、世に打ち込まれたる鉄杭になると呼んで差し支えのない力だった。大物食いは、本来、奇跡と同義なのだから。
「……その兵器で、
「無論、それもあるが――その兵器を解析し、そして、情報を共有する。全世界にそれを発信する。――武力による均衡だ」
「武力による均衡……?」
「
それは衰退だと――男は、アンドレアス・シューメイカー大佐は荘厳に頷いた。
「そうなれば、奴らは、その内にすらもより多くの火種を抱える。そして、あらゆる勢力が世を焼く火を抱えるが故にどこか一つに対して注力し続けることができなくなる――既に【
「……」
「
それこそが
「そして大地を統一した政府が保てなくなるその日まで続ければ――愚かなる
「……」
「そうして、奴らは宇宙を軽んじられなくなる。そのときこそ、真に、我々が、勝利する日であるのだ。……判ったか、ウィルマよ。これこそが大義である。大局、というものだ」
この男が述べるその理屈こそが、今、敗残兵になった者たちには甘美にして鮮烈な救いの道として現れていた。
故に――死兵となる。殉教者となる。
アンドレアスという伝道師とその信者たちは、繰り返す内に、そして一定の道理を持つ教義を有するが故に、本国が降伏したのちも戦い続ける原動力となっていたのだ。それはただの自棄鉢などではなく。
ウィルマは一礼し、部屋をあとにした。
眉間に皺を寄せ、拳を握り、金の瞳を閉じ――……無重力に浮遊する艦内の通路を進むその内に、影から黒ずくめの黒髪の男が現れた。
「なるほど今や、彼が艦内の支持を受けるのも頷ける話でしょうな。ただ生きようとして生き続けられる者は多くはいない……明日の展望を与えることで、活力を与えた。なるほどある種の英雄と呼んでも、間違いはありませんとも」
「……英雄? アレは、詐欺師や宗教家の類いだろう。使い道があった筈の兵をただ先走って散らせる理屈など、与えても毒でしかない」
「ええ、まあ、そうとも言えるでしょうね。ですが――それにすら縋らなければ、我々は、生きることもできないのですよ。今や戦争は、物語だ――いえ、この世に生まれたその時から物語であったのかもしれない。如何にそれを神話にできるかどうかで、戦いの趨勢すらも変わるものでしょう」
「……かのラケダイモンの人々と、プラダイアの戦いのようにか」
「如何にして文脈を共にできるか――……神話を作れるか。兵や国民たちに必要なのは、それなのですよ。……尤も、神話とするが故に恐ろしきことになる」
ご存知でしょう?――と。
毒蛇が舌を舐めずるが如く目線を這わせる黒髪の男のそれを前に、ウィルマは無言で返した。
そうだ。
そもそもの開戦自体が、それは、神話の一つであったのだから。
「元より、
「……」
「ええ、“大いに一つなる
「……英雄呼びを、あの男の部下に聞かれたらどうなるか私にも判らないが」
「おや。語りすぎてしまうのが、わたくしの悪い癖です」
わざとらしいほどの恭しさで腰を曲げる道化師然とした男を前に、ウィルマも鼻白む気持ちになった。
だが――正しい。
隠しきれぬ怪しき有り様を別にすれば、男の言葉はすべてが正しい。身に余るほどの大義名分を作ってしまったが故に、
「ともあれ、あれは、聖戦になったのです。乾坤一擲だったのです。そこまではよかった――敗れさえしなければ」
「……」
「敗れてしまったそのときに、残るのは神話という名の毒です。妄執です。ああ――なんと嘆かわしき病か。ですがその病への安楽となるならば、わたくしはその行いも言祝ぎましょうとも。元より人は、死の苦しみから逃れる生を送るものが故に」
敬虔なる牧師の如く、優愛なる看護師の如く慈愛を口にする黒ずくめのトレス・スネークリーフ。
言うならば――宮廷道化師というべきか。
あたかもかつての王侯貴族がその居城に王を批判する道化を備えたかのように、アンドレアスに認められて、この船内を漂う非力な弁舌師。
宇宙空間であるというのに全くの防護服を備えず、また、一度とて防護服もヘルメットも着用したことがなき妖しき笑みのその黒服の男は、アンドレアス同様にウィルマに悪印象を持たせる男だった。
「……随分と、人間に対してわかった口を聞く」
「ええ、わたくし、それほど人を愛しておりますので。……それがせめてもの慰めになるのなら、或いは幻想の内で果てるというのも慈悲深いものかと思いましてね。なるほど、星座となる為に死ぬ――それはあまりにも、甘露なる鎮魂でしょうとも」
「これの……どこが慈悲だ……!」
怒りを圧し殺した声のウィルマを前に、トレスは大仰に肩を竦めた。
「貴女の怒りもまた尤も。ですので、手をお貸ししようと申し上げております。戦場になれば、機会もあるでしょう? そう――貴女の父を殺した、貴女の仮初めの父を討つ」
「私は、復讐をする気などない……!」
「ああ、そうでしたね。……貴女は取り戻したいだけです。かつての日々を――或いは未来の、宇宙移民の自己決定権を。無残に真空で死した、御母上のためにも」
途端、ウィルマの金の瞳が圧力を増した。
翻るような炎の如き髪もにわかに逆立ち、それを目の当たりにしたトレスはわざとらしく驚き、腰を折った。
「おっと、失言でしたね。……ですがまあ、わたくし、それも良いと思っております。どんな形にせよ、どんな選択にせよ、それが貴女がたにとって満足の行くものならば」
「傍観者か、立会人気取りか」
「おや、悲しいですね。わたくしは本心から貴女がたに安らかなる終わりを――と思っておりますよ? どうあれ終わるものならば、せめて、少しでも安らかに眠りについてほしいのですから」
神経を逆撫でするような声色で話すトレスをもう一度睨み付ければ、彼は肩を竦めて廊下を別方向に曲がった。
人が行き違うだけで精一杯の、狭く限られた――つまりそのものが宇宙に住まう者の居宅の如き廊下を見詰め、ウィルマは腹から吐息を漏らす。
ある種、彼女もまた彼らと同類だ。
彼女とてあの戦争の終結に大人しく従わず、また、新たなる争いを呼ぶ存在ではあるのだ。或いはあの道化師は、それすらも見越してあんな言葉を吐いていたのか。
どうすればいいか――ともすれば彼女が持つ戦略的な方針は、アンドレアスにも劣るかもしれない。彼のそれがあまりにも死人を見詰め過ぎている為に決して肯んずることはできないが、少なくとも、一定の支持を集める程度には合理性があるとも言えた。
立場が弱いのは、彼女だった。
たとえ、【
だからこそ、大義名分が必要だった。或いは、戦略的な目標が。
(ええ……判っているわ。何にしても――【
弱者と見做されないように肩肘を張った言葉を脱いで、ただ内心で彼女は額に手をやった。
この先も続くであろう戦いの中で、
父が理由ではなく、彼女自身がそうすべきだと己に誓ったが故に決めねばならない人々の生存の保証を。
(……完全なる独立も狙えないなら、それで流れる血が多いなら、ガンジリウム資源を元にした兵器廠としての役割を担い生存を図るとして……何にしても、行方知れずとなったあの演算装置は見付け出さないと)
破棄されず、接収されず、破壊されたとも聞かない高性能の演算装置【
条約後の【
アンドレアスも知らぬ、そして未だ残存していると思っていない、ウィルヘルミナのみが残留を知るその装置の行方を如何にして突き止めるべきか――……頭を悩ませつつ、彼女はまた廊下を進む。
もしも仮に――。
ハンス・グリム・グッドフェローが十分な知識を持ち合わせ、そしてこの場に居たら或いは称したかもしれない。
ウィルヘルミナ・テーラー――――悪役令嬢、と。
◇ ◆ ◇
ときは遡り――十一月三十日、一五:一九。
洋上にて向かい合う二機のアーセナル・コマンド。
大きな尾腹を持った昆虫の如き増設火力速力ブースターを抱えたロビン・ダンスフィードの【メタルウルフ】と、白銀の胴体だけが別の機体のものに置き換わったシンデレラ・グレイマンの
その二機へと無線で呼びかけ、そして、接近する青き気鋭が一つあった。
『アシュレイさん!』
コックピット内で声を弾ませたシンデレラ。
彼女の視線のその先には、彼女が駆るアーセナル・コマンドと同様の群青色の塗装が施された――というよりも胴体部位以外がそっくりそのままベースとなった機体が、波を散らしながら低空飛行で合流を果たそうとしていた。
彼女からしたら、アシュレイ・アイアンストーブは第二の師だ。
ハンス・グリム・グッドフェローが彼女に最低限の生存能力と人としての心の持ち方を教えてくれた師とするならば、アシュレイ・アイアンストーブはその心に見合うだけの力を授けてくれた師だ。
彼の診療所へのアーセナル・コマンドの襲撃に際し、シンデレラは撃墜された恐怖を克服し、また、その後の戦いを通じてアシュレイの技量を受け継いだ。
全幅の信頼を寄せていると言っていい。……そして物静かなその在り方はどことなく意中の男に似ていて、それが、余計に親しさを感じさせるものだった。
だが、
「……仕掛けやがったな、アシュレイの旦那」
「ああ、うん。音は空気を伝わる波だからね……湿気と空気を乱せば、音も、乱すこともできる」
呟くロビン・ダンスフィードの声は苦い。
「相変わらずえげつねえことをしやがる……あいつの心に釘を刺しやがったな?」
「ああ、うん、僕はなんだってやるよ。殺さなくて済むなら――殺すこと以外なら、なんだってやる」
実のところ――先程シンデレラが生存した理由には、ヘイゼル・ホーリーホックが仕損じた理由には、アシュレイの援護があった。
熱を操るということは風を操るということであり、大気を統べるならば、即ち音や光をも自在にその支配下に置くことを意味する。
特にそれはヘイゼルに対して有効だった。彼の並外れた聴力を狂わせる。そして極超音速などの低速ではなく光速で飛来する不可視のレーザーは、ピンポイントに彼の放った弾丸を熱し、歪め、軌道を僅かに狂わせた。その影響の音をも隠して。
言ってしまえば単純だが、これもまた絶技である。
「……本当に、いいんだね?」
そして改めてアシュレイ・アイアンストーブは、シンデレラへと確認した。
彼と彼女の盟約――。
その中で、一つ、交わしたものがあった。シンデレラがなんのために――いやそもそも、本当に戦うのか。それを決めるのは、再び【フィッチャーの鳥】と見えてからだと。そうしてから結論付けるべきだと。
そして果たして、
『何度も言ってるじゃないですか。今のわたしにできることはこれしかないんだったら……もう選ぶとか、選ばないとか、そんな話じゃないんですよ!』
やはりというべきか、彼女の結論は変わらなかった。
『あんなふうに殺されかけて……命を奪われかけて黙ってなんていられる筈なんてない……! あんな簡単に……あんなにも簡単に人の命を奪えてしまうって思ってるから、だから【フィッチャーの鳥】は今日みたいなことをやる! ここでもやった!』
それは、清廉たる白の義憤だった。
純白に燃える心の炎――彼女は、シンデレラは、理不尽を許さない。それは【フィッチャーの鳥】とそもそも因縁ができてしまった当初から、ハンス・グリム・グッドフェローに助けられたその日から続いている。
『修正しなければいけないんです、そんな傲慢は! 誰かが! あれがある限り、こんなことが起き続ける……そんなの、誰だって、許しちゃいけないことなんだって判る筈なんです!』
「……うん、そうだね」
『人々を憎しみ合わせて、悲しみばかりを増やす……そうして積み上がった人の命の重さを支えきれる力は、今の地球にはきっとないんですよ……もう、これ以上は』
彼女はアシュレイと共に、多くを見た。
生息四圏のどれにも含まれない、破棄された人々も見た。崩れかけている地上も見た。ただ生きていくだけで難しい人々も見た。暮らしも見た。
故にその結論は、
『だから――』
息を吸い、一息に。
『止めます。わたしが。こんなことがまた繰り返されてしまう前に、それは間違ってることなんだ――って言わなきゃいけないんです』
シンデレラ・グレイマンは、己が進むべき道を口にした。
気候の変動により、生息圏が限られてしまった人類。降り注いだ銀の杖と戦火により砕かれ尽くした地上。
それが先に待ち受けているのは、きっと完全に荒廃した世界だ。
そんな場所で繰り返されるであろう無数の悲劇を思えば、目を閉ざして口を噤むことは彼女には選べなかった。
そんな崩れかけの星でも、生きている人がいる。続けようとしている今日があり、繋ごうとしている明日があり、今まで守ってきた昨日がある。
それらを存在しないもののように奪うことは何よりも許されないことだと思えて――そして何よりも、そう思う自分の心をこそが、
『わたしがそうすべきだって……そんな気持ちまで捨てる必要はないんだって、大尉が教えてくれたから』
護るべきものだと、教えて貰ったから。
だからシンデレラ・グレイマンは戦う。――彼から貰った篝火の炎をこそ、受け継いで。
そうするための下準備を、備えを与えられた。だからこそ、戦うことができる。彼から受け取ったものをすべて、活かすのだ。
……いや、それは、欺瞞だった。
正しくとも、正しくない。
それだけが、シンデレラの戦うすべての理由ではない。
思い返すのは――そう口にしてくれた、あの青年のことだ。ぼんやりと人の世の営みを見詰めて、見守って、なんでもないことのようにただ一人で立とうとして、備えていて。
そして、
『……そうすれば、あの人も、きっともう怒らなくて済むから』
あれほど重く苦しい怒りの炎を、止めてあげたいのだ。
もう怒らなくていいんですよ――って。
大丈夫ですよ、って。
そんなに傷付かなくても――苦しがらなくてもいいんですよ、って。
彼を怒りの首輪から、解き放ちたいのだ。
「……そうか。うん、わかったよ。なら、僕も医者として協力するよ。命は守るものであって、奪うものじゃないんだから」
『……本当、ですか!? でも……いいんですか、アシュレイさん?』
「あれを見せられて、黙ってはいられないからね。……うん、戦いでは役に立たないかもしれないけど、僕もせめて一緒に行かないと」
『役に立たないなんて……そんなことはないですよ。わたしに戦い方を教えてくれたのは、アシュレイさんなんだから』
信頼する相手とこの先も戦えるという、シンデレラの弾んだ声。
それに割り込んだのは、あまりにも冷徹な駆動音だった。
突き付けられた片腕二門のガトリング砲。
それを両腕、相対する二機の機械騎士に向けて――ロビン・ダンスフィードは、凍えるような声を発した。
「オイ、旦那……まだそのガキを連れてくことに同意はしてねえ。それにアンタもだ。折角足を洗えたんなら……アンタ自身が為すべきことを見付けられたんなら、戦う場所はここじゃあねえだろうが」
一歩でも進めば撃つ――と。
そう言いたげに向けられた銃口は、いずれも微塵も揺るがず、つまり立て続けに《
そんな事実を前に返される声は、殺気に当てられて震えていた。
「……ああ、うん。そうだね。僕ももう、戦いは嫌なんだ。怖いよ……本当に嫌なんだ……」
「だったらアンタは――」
「でも――考えたことはあるかい、ロビンくん」
「あン?」
「この戦いの終わらせ方、だよ」
患者やその家族を前に手術の説明をするように。
乱れた銀色の猫っ毛を持つその元軍医は、徐々に恐怖心に乱れた声を鎮めながら告げた。
「民衆が不満を持って、それを抑えつけて、ついには噴火した……それは判るよ。でも――彼らが抑えたのは、宇宙と海と、あとは空に対してだろう? まだ
「……つまり、アンタはこう言いたいのか? 母体から支持を失ってない限り、【フィッチャーの鳥】といくら戦っても潰せやしねえ……って」
「そうだね。だからこうも言える――……終わらせ方を間違えたら、また、陸とそれ以外の大きな争いを呼ぶことになると。そこだけは、間違えちゃいけない」
切り取る病巣を見定めるような口調のまま、彼は淡々と続ける。
「切り離さなきゃいけない。
狙うのは――彼らに対する粛清だと。
「大切なのは、彼らがこのままいると
「要は、トカゲの尻尾切りをさせろってことだろ? 中には本心から
「……医者が他人を傷付けることを嫌っていたら、肌にメスの一つも入れられないからね。そこは、僕も割り切ることにしてるよ。……針と糸は肌を傷つけるけど、それでも、縫わないと止まらない血もある」
そこで重要になるのが――他でもないシンデレラだと、彼は考えていた。
彼女から聞いたマウント・ゴッケールリでの虐殺。
そして、離反したシンデレラを撃墜した際に彼女を悲劇のヒロインとして祀り上げたこと。
そもそも彼女は、新型機強奪の失態から目を背けさせる為に、レッドフードに代わる新たなるヒロインとして宣伝された。その分、より多くの支持の為に演出され、プロデュースされた。その戦いに、物語を――神話を付けられた。
まさしく偶像。そして、不都合な生き証人。
「……なるほどな。あのバカ経由で生存を知らせられたそのガキを消しに来る、それがこっちの利益になるって言いたいのか? ハッ、躍起になって消そうとすればするほど、そりゃあ有効打になるだろうよ――……ああ、だがな。お断りだぜ、
「……」
「そのガキを使い古しの
ロビンのその言葉には、少女を利用する策を提案したアシュレイへの侮蔑も含まれている。彼には、そう思えた。
実際のところ提案者は他ならぬシンデレラであったが――秘したのはアシュレイだ。
彼にも確信があった。シンデレラがそれを提案したとなれば、ロビンはより頑なに拒絶を口にしただろう。少女が自己犠牲を唱えるのは、明確にロビン・ダンスフィードの踏んではならない線を踏む。
それを思えば、言えなかった。
……この先のより大きな衝撃を生む真実のためにも。
「仕方ないか。……うん、こっちを先に話しておけばよかったかなって思ったんだけど、うん。君にも君の理屈があると――理屈で動けると確かめる必要があったから」
「あン?」
「もう一つ、シンデレラくんが戦場に立たなければならない理由があるんだ。……【
腹の底からの溜め息を一つ。
ロビンほどでなくとも、アシュレイもまた強く思うことがある事態だ。ある意味では余計に――深く倦むほどに。
そして、やおら口を開く。
「ロビンくん……彼女がアーセナル・コマンドから離れることは、死を意味する。比喩表現ではなく、ただ物理的な死だ」
「…………あ?」
「彼女はね、死んでいたんだ……僕が見付けたときには酷い状況だった。内臓だって溢れ出そうになってたし、手足だって千切れ飛んでた。場所によっては獣に食い荒らされたみたいに……。それでも彼女の脳と脊椎は無事だった」
完全に本来は死亡し――確実に殺傷されている遺体であった筈のシンデレラ・グレイマン。
だが奇しくも、
おそらく咄嗟にコックピット内部にすら力場を展開したのか、その二つの器官だけは完全なる無傷でそこにあったのだ。彼が、血塗れのコックピットを発見したその時にも。
「……半透明人間みたいだった、というのかな。僕が彼女を見付けたとき、彼女からは健全な血液循環機能も失われていたんだけど――シンデレラくんは、失われてしまった器官を力場で補って、心臓を無理矢理に稼働させていたんだ」
長らく多くの傷や遺体を見てきたアシュレイにとっても、それは衝撃的な光景だった。
剥き出しにされた人体のパーツが宙に浮かび、存在しない血管を通じて血液が循環している。恐ろしい光景だったと、改めてそう思う。
「勿論、血が巡っている……擬似的に血液循環も神経伝達も行われていたから、傷を癒やすことはできた。臓器も幾分か、治癒を待てないものは人造品で補いもした。……ただ、あの環境だと小型化に無理があって機体からの電力の補給が必要になってる。だから、恒常的に――それができなくとも、定期的に機体との接続が必要だ」
そこに関しては、アーセナル・コマンドの電力に頼る必要は必ずしも存在しない。
そして、
「勿論、それはより良いものに置き換えればいいだけだけど……今の彼女がそれだけの手術に耐えうるとは思えないのが一つと、もう一つの問題が……」
解消の方法はあるのだ。それだけだったなら。
だが――そうはいかないからこそ、アシュレイとて心苦しいものでありながらも、戦闘によってそうまで傷付けられた少女をまた戦場に送り出すことを受け入れざるを得なかった。
「機体の力場を通じて、学習型AIを通じて、肉体の不随意運動を代行させた弊害か――……どうも彼女の脳は、心臓の動かし方を忘れてしまったらしい」
「……は?」
「こればかりは、僕も状態を上手くは言い表せない。専門家ではないからね。ただ……常に機体に繋がっていなければならない訳ではないけど、だけど、やはり定期的に機体と接続しなければ彼女の心臓は止まってしまう」
或いは彼女の父親か、他に専門家であるならば――。
それとも
「胴体部分だけ、ツギハギにしてるのもそれが理由だ。……今はあの胴があって初めて、彼女の胴体もまた成立するようになってしまっている。……正直【
機械工学――或いは神経工学の権威ではないため、アシュレイにも詳細は掴めない。
ただ、言うとすれば……シンデレラから聞いた【ホワイトスワン】の機体特性は、その《
だから――或いは、こうも言えるかもしれない。
第三世代型【ホワイトスワン】の設計コンセプトは、ある種の
それが、急激に――それも天然の
「……マーガレットくんのことがあるから、戦いに連れて行きたくないというロビンくんの気持ちも判るよ。ただ、もう彼女に帰れる場所はないんだ。……厳密に言うなら、帰してしまったらどんな扱いをされるか判らない。或いは戦いに出さなければ――そちらで大きすぎる有用性を証明できなければ、彼女はただの実験動物にしかなれない」
「……」
「少なくとも万一に備えて、まともな機体の整備能力を有している組織に属する必要がある。……そこは、二つしかなかった。だから、だよ」
【フィッチャーの鳥】か。
それとも【
少なくとも、その二つを天秤にかけたそのときに――それでもまだ信用ができそうなのは後者だという、それだけだった。
……或いはそれも怪しいか。
非人道的な取り扱いを受けぬにしろ、実験はされるだろう。そしてもし仮に【
故に――……
唯一無二で換えの効かない貴重な戦力として、決して実験や分析で失ったり無駄にしたりしてはならない人材として、その有用性を以って居場所を得る。
彼女に取り得る、ただ一つの人間的な道を選ぶ方法はそれしかないのだと――そう結論付けた。
それも、あまりに酷な道筋であるとはアシュレイとて理解していたが……それしかなかった。
目を背けられない事実は、一つだ。
シンデレラ・グレイマンは生者であり、死者であり、そして故にこそ不死者なのだ――と。
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