第61話 黒衣の姫君、或いは炎と嵐の猟犬、またの名を聖なる滅びの獣


 グレイコート博士により、【星の銀貨シュテルンターラー】――位置エネルギー利用型運動エネルギー弾は開発されたと言われているが、この兵器の構想自体は星暦せいれき以前の旧世紀の内から既に構築されていた。

 そういう意味では、決して、画期的な天才がこの世に新たに生み出した発明とは呼べない。

 だが――……何故、グレイコート博士がその開発者として歴史に名を残しているかと言えば、そこにはある明確なる理由がある。


 通常、兵器というものは開発に伴い実験を行うものだ。


 それは単なる銃砲或いは剣の内から始まり、今や世を席巻するアーセナル・コマンドとて例外ではない。

 核兵器というものも、実証実験を重ねた上で運用される。

 だが――……果たして、衛星軌道都市サテライトから、まさに地を穿つ神の杖の開発を行えるだろうか。その実験を、みすみすと地に住まう――そしてその被害を確実に受けるだろう保護高地都市ハイランドが許すだろうか。


 ここが肝だった。


 衛星軌道都市サテライトの、人類の住処であるボウル。

 これもまた――元来なら有り得ないか、或いは真実天文学的確率の元でしか成り立たない地球の二個目の衛星というものによって複雑に乱れた重力均衡点によって、本来なら成立し得ないものである。

 だが、現実にそれは今も宇宙そらに浮いている。

 それを成り立たせた、複雑なる計算を可能としたのは、グレイコート博士のその父が作った高精度の演算シミュレーターによるものであった。


 ……同様に。

 何故、グレイコート博士が【星の銀貨シュテルンターラー】の開発者として呼ばれるかと言えば――その由来は、ある種、至極単純なものであった。


 かの【星の銀貨シュテルンターラー】は、


 その全てが兵器開発演算シミュレーター上の計算によって成立したのだ。

 このシミュレーターこそが、【星の銀貨シュテルンターラー】のその開発における肝要たる要素。

 これを以ってグレイコート博士は、構造自体は単純であり構想自体は旧世紀から存在していた神の杖――かの位置エネルギー利用型兵器【星の銀貨シュテルンターラー】の開発者として、歴史に名を残すことになった。


 その天才が携わったのは、機械工学のみならず生体工学・神経工学・電気工学・通信工学・情報工学・医用工学・宇宙工学・駆動工学と多岐に渡るものであるが――……。

 最も鮮烈であり、当人が専らその能力を注いでいたのはであった。


 博士は、決して、兵器開発者ではなかった。



 ◇ ◆ ◇



 沈みゆく海上遊弋都市フロートが起こす波に、身を横たえた甲板が揺れる。

 視界の遠く向こうで火の粉が散る。

 轟々と燃える紅蓮の炎と、濛々と膨れ上がる黒煙に飲み込まれた都市を背負って、包帯姿の半裸体にジャケットをかけたハロルド・フレデリック・ブルーランプが、眼帯に一つを遮られた眼差しを向けてくる。

 ジャケットの裾を揺らして吹き抜ける潮風には、煤と砂礫が入り混じっていた。

 今なお滅び行く災禍の浮き島を背景にして、確かな足で船の甲板に立つ彼を前にこちらも黙する。


 いいニュースと悪いニュース。


 そう問いかけられるときは、決まって嫌なニュースのレベルというのが並外れており、そしていいニュースというのがあまり期待できないときだ。

 しかもそれが定型を外れて悪いニュースばかりが増えているともなれば、聞く前に僅かに心の準備をする必要があるだろう。

 そう思いつつ、こちらを見下ろしてくるジャケットを肩掛けにしただけのブルーランプ特務大尉を眺め、ふと、


「……バウアー社長は?」


 自分の口を出たのはそんな言葉だった。

 腹に血の滲む包帯を巻いた彼の激戦を見れば、どうしても最悪の想像が湧く。

 それとも或いは、あのフィアによる広域爆撃の被害を受けたか。

 問いかけられれば苦渋に顔を歪めたブルーランプ特務大尉に、こちらも覚悟を済ませて――


「ひぎゃぁぁぁ、逆の足もひねったァァァァ!? 痛いよぉ、ハルくん痛いよぉぉぉぉぉ! ひにぁぁぁぁ、ズキズキするぅぅぅぅ――!? 痛いよぉぉぉ助けてよぉぉぉぉ――――っ! 肩を貸してよぉぉぉぉぉお――――ぅっ!」

「………………随分と、その、打ち解けたようで」

「忘れろグッドフェロー。忘れろ」


 甲板のあちらの方の人の輪で声が上がった。賑やかだ。元気そうで何よりというか、彼女はこんなときでも平常運転らしい。

 ……どちらが保護者かわかったものではない。

 いや、年齢的にも職業的にもブルーランプ特務大尉が保護者であることには間違いないのだが……。


(しかし、まあ……現地のスタッフとここまで打ち解けたなら、何よりと言う他ないな)


 自分には、そういう特段親しくなる相手というのは特にはいなかった。極めて常識の範囲内の関係の構築が精一杯で、或いはそれすらもままならないことも多かったのだ。

 どうにも上手くいった試しがない。

 開戦初期、一つの出撃が終わるたびに――ときには本当に文字通り地下に潜りながら次の出撃の準備を整えることだってあった。

 その際、軍人だけでない様々な協力者から支援を受けながら行動していたのだが……おそらくここまで親密になった事例はないはずだ。


 それどころか、軍事基地があったせいで狙われたとか、お前ら軍人なのに肝心なときに何もできないとか――……或いは、この先も戦いを続ける意味はあるのかとか。

 宣戦布告を伴わない爆撃の直後には、避難所の市民からのそんな言葉だってあったと思う。

 ……それも、あの連盟政府高官の演説により結局その風向きは変わったのだが。


(だが……彼のあの演説は、正しかったのだろうか――……或いはあれがなければ、この世界は、ここまで鉄と暴力の支配する世界になってはいなかったのだろうか)


 振り返りつつ、ふと思った。

 もしも、の話だ。

 あの戦争の――宣戦布告へ先んじた七日間の軍事基地及びマスドライバーの破壊のための徹底した衛星軌道高度爆撃。

 もし大地の人々が屈して――……連盟政府高官があのように人々に怒りの燈火を灯す演説をしようと判断をせず、そのまま黙して電撃的な敗北を受け入れてしまっていたらどうなっていたのだろうか。

 それは、今よりマシだったのか。

 この先に待ち受けている未来より、マシだったのか。


 ……その政府高官も今は亡い。


 戦中のどこかで、連盟憲兵であったか治安警察であったかにより捕縛され――そしてその拘留期間中に持病が悪化し、死亡した。

 或いはその死は、暗殺や憂さ晴らしだとも囁かれた。

 戦争によって出血を強いられた軍人や市民、その逆恨みによって衛星軌道都市サテライトのスパイという濡れ衣を着せられて、悪意に晒されて死んだのだと。

 故に、発言の真意はもう問えない。

 彼は一体何を見込んで、ああも高らかに宣言したのかと――そこに確かな勝算があったのだろうか。目論見はあったのだろうか。それとも、意地だったのか。


(貴方は、そのとき、未来のこんな光景も予期したのだろうか)


 拳を握る己が腰を下ろした甲板は波に揺れ、吹き付ける風は炎の匂いを強く孕んでいる。

 ……また、大勢死んだ。そのことが強く胃にのしかかってくる。あの大戦中に幾度と見た光景。己が滅ぼした都市の光景。それが想起される。

 かつてとは、また、解像度も違う。

 彼女ら【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】との共同任務に伴って、自分も、今燃えるピフ・パフ・ポルトリーの市街に何度となく足を運んだのだ。


 ――〈どうでしょうか、これ! 自慢の新メニューで!〉〈新ソースです! レシピは秘密!〉〈どうです? 是非是非! オススメです!〉。

 ――〈そうなんですよ。マスター、色々と凝っちゃってて……〉〈まあ、戦争中からの夢なんだって言われちゃうとですね……〉〈え? ああ、ほら、その壁の写真の〉。

 ――〈えー、お客さんも軍人さん?〉〈なんか面白いですね。その時の敵味方が、こうして今は料理を作る人と食べる人に分かれてるのって〉〈マスターもお客さんも、生き残ってよかったですねー〉。


 ――〈挽き方はペーパーフィルター用のものでよろしいでしょうか?〉〈……申し訳ありません。そちらは、ご盛況にて売り切れてしまっていて……〉〈……もしよろしければ、お取り置きなさいますか〉。

 ――〈こちらは特に手間ではありませんよ?〉〈そうお求めになられたら、私どもとしても嬉しい限りですから〉〈ふふ、お仕事お忙しいのでしょう?〉。

 ――〈それで、如何なさいますか?〉〈ありがとうございます。またお待ちしています、お客様〉〈ふふ、どうぞお楽しみください。素敵なご縁に〉。


 ――〈ママ、これ、その、プレゼント……〉〈……別に。サークルで作っただけだから〉〈いいよ、そんな。こんな、たかが買い物袋になんて……大袈裟だから〉。

 ――〈大したものじゃないから……だから、いいって〉〈オーバーなんだよ、もう〉〈本当にこんなの、誰にでも作れるんだから〉。

 ――〈だから……うん、また色々作るからさ〉〈そのたびにそんなに喜ばれてたら、困るの〉〈……恥ずかしいんだってば〉。



 全て、焼けたのだ。

 全てが。――全てが。

 焼けたのだ。

 彼らは、彼女らは、一体どれだけ生き残っただろうか。

 何人が、苦痛と、恐怖と、絶望に助けを求める声を上げながら死していっただろうか。生きながら煙に巻かれ、瓦礫に潰され、嘆き、死んでいっただろうか。


 そう思えば――憎らしくなる。

 何もかもが。

 メイジーも、ヘイゼルも、ロビンも、マクシミリアンも、フィアも、【フィッチャーの鳥】も【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】も、【衛士にして王ドロッセルバールト】も、あの戦いに関わり、人々の死の遠因となったその全てのものが――本当に、何もかもが。


 

 すべてを。本当にただ、すべてを。

 平たくしてやりたい。何もかもすべて。争いを。死を。

 彼らから、彼女らから、奪われたる命から奪ったあらゆる幸福と絶望を取り立てて、苦痛を以って、慟哭によって、その全てに応報したくなる――この目から吹き出そうなほどの、胸の炉心と共に。


 ――――。

 貴様らの、その喉笛を。

 ――――――――。


「……グッドフェロー?」

「いや、済まない。……少々、待ってくれ」


 握り込んだ拳を解くと、血が滲んだ。眉間を抑えて一度腹から大きく息を吐く。

 切り替えろ――……自分は、死者のために生きているわけではない。。身勝手に死者の怒りを代弁して、無意味により多くの死者を作る

 感傷も、感情も不要だ。

 己が唯一つ従うべしと最初に定めたその感情以外の――その妨げになるものは不要だ。いっときの感情に身を任せて、より大切である筈の感情に基づくを見失うなと、己に言い聞かせる。


「待たせた。……言ってくれた順番でいい。覚悟は済んだ」

「そうか……じゃあまず、悪いニュースからだ」


 ふう――と吐息を漏らし、煤けた海風に深紫色の髪を靡かせたブルーランプ特務大尉が、おもむろに口を開いた。


「奴らは……【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は母艦を二隻、宇宙目掛けて打ち出した。……撃墜はできず、大気圏外へと取り逃がした。……マスドライバーは破壊したがな」

「……」


 敵は見事に、その本懐を遂げたということか。

 一体どこまで情報を掴んでいたというのか。乱戦にも等しい入り乱れた勢力状況で、その目的を達成できたのは流石の灰色狼グレイウルフと言うべきだろう。

 ……マクシミリアンは、宇宙そらへ帰ったのだろうか。

 郷愁にも似た感傷が襲い来る中、それを胸に留めてハロルドの言葉の続きを待った。


「生存者は、二千人ほど……あとの多くは、死亡した」

「……そう、か」


 二千人……わかりやすく言うならば、混雑時の満員電車以下の人間の数。それが、生存者の全てだと言う。

 煙たい海風が甲板を吹き抜けた。

 見れば、揃いのジャケットに身を包んだ【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】の面々の中にも無念が滲む者もいた。

 家族を失った者も、当然、いるのだろう。

 それか――……その仲間のことか。あのような反乱を起こすまで、仲間の胸の内を読めなかったという事実に打ち拉がれている者もいる気がした。


「……それで、最悪とは?」

「こちらにいる黒衣の七人ブラックパレードは、もうオマエだけだ」


 その言葉に、思わず停止する。


「……待て。ヘイゼルは? アシュレイは?」


 問い返すこちらの言葉を掻き消すように、甲板からあちらへ離れた業火の海上遊弋都市フロートが、その燃え落ちる瓦礫や浮き島が、海中へと没して水柱を上げる。

 そしてハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉は、厳かにその首を振った。



 ◇ ◆ ◇



 波間に陽光を散らせて照り返す洋上にて、射線を交わし合っていた三機のアーセナル・コマンドはにわかに停止した。

 腹から声を上げたシンデレラ・グレイマンは息を荒げ、対する二人は完全なる無言であった。

 一瞬――確かに呑まれた。

 ヘイゼル・ホーリーホックは、そう自認する。

 シンデレラ・グレイマンが上げたその声の内に、感情の炎のその内に、かつて見送ってしまった眩い星の光を幻視したのだ。

 そして、その隙は――あまりにも致命的なものだった。


 軽快な開放音。


 増設火力ラックも合わせた兵器庫の完全展開。

 足を止めていたロビン・ダンスフィードに、みすみすその動作を許してしまった。


「チッ……クソガキが」


 そして吐き捨てるような彼の言葉と共に上がった甚大なる白煙。

 全門展開――全弾発射。

 青く重厚なる機械騎士【メタルウルフ】のその背部・腰部・脚部――そして背面の超大型火力/速力増設ブースターに備えられたミサイルポッドの全てが吐き出され、遮るものなき海上に、白き尾を持つ竜の如き噴煙が散る。

 その全てが目指す先は、今なお炎に包まれる海上遊弋都市フロート――『ピフ・パフ・ポルトリー』。


「雨が降りゃあ、そこまでガンジリウムの煙も広がらねえだろう。……どの道あの区画はしばらく暮らせやしねえだろうが、逃げてる連中が巻き込まれることはなくなるだろーよ。二次被害は防げる」

『そうですか。……ありがとうございます、わたしの言葉を聞いてくれて』

「……チッ」


 その天才的なセンスと火力利用による天候操作技能を、あの都市目掛けて使用したのか。

 傲岸不遜であり唯我独尊であったロビン・ダンスフィードがシンデレラの言葉に容易く従ったことに、ヘイゼルは衝撃を受けた。

 三種類――彼もまた自分と同じ気持ちになったのかということと、彼が自分に先んじて決断を済ませたこと。その二つに加えたもう一つ。


「オイ、言っとくがなクソガキ……オレたちは別にテメエの命を借りるつもりなんてねえんだよ。だから、これは貸しの方だ。返済は、とっとと戦場からいなくなって普通の暮らしでもして税金でも払って――」


 その怜悧な銀フレームの眼鏡を押し上げて睨みつけるかのようなロビンの声色に――しかし、


『ハラスメントです』

「あ?」

『クソガキ、クソガキって……わたしにはシンデレラ・グレイマンっていう名前があるんですよ! せめてグレイマン准尉って呼ぶべきでしょう! そんな何かのモノみたいに……大尉みたいに他人を尊重しようって意識はないんですか? 大人失格じゃないですか! そんなの!』

「なんだこのキャンキャンうるせえガキは……ミサイル撃って損した」


 二人の会話を聞き流しながら、ヘイゼルが感じていたのは残る最後の衝撃だ。

 シンデレラ・グレイマンが、かつてのマーガレット・ワイズマンを思わせる言動をしていたこと――――ではない。

 あのロビン・ダンスフィードが、戦闘状態にあったというのに民間人の少女の指示に大人しく従ったこと――――――ではない。

 もっと致命的で、最も根本的な、


(……仕損じた? 俺が?)


 己の絶対的な技量への――――どうしようもない不審。

 確かに殺した。間違いなく逃れられなかった。確実にその息の根を止めた。

 だというのに、何故、彼女が生きているのだ。

 生きて、ここに、いるのだ。

 それは――目だけでは捉えられぬものを、音や振動を介して捉える己という機能への問題。


 ただそれだけが、請け負うことに己を見出したヘイゼル・ホーリーホックにとって、何よりも痛烈なる打撃であった。

 あとの些事など、構う必要なく。

 それだけが、あまりにも大きすぎる衝撃の震源だった。


『ヘイゼルさんと争ってたってことは【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】なんですよね? なら、早く連れてってくださいよ。こっちは判らないんですよ、色々』

「……あ? なんでお前みてーなクソガキを……」

『また言った! 失礼です……失礼ですよ、貴方は! これだから大人は……! そうやってすぐに子供のことを遠ざけようとする! わたしだってもう当事者なんだって、どうしてわからないんですか!』


 言い争う彼らの声は――聞こえている。

 何も変わりないように、いつもと同じように聞こえている。


「ふざけんな。……軍人でもねえガキを駆り出すのは懲り懲りなんだよ、こっちは」

『軍人ですよ! 階級も言ったでしょう! わたしは、貴方の上の人に直接誘われてるんです! それを貴方が勝手に追い払っていいんですか!』

「あ?」


 コックピットの向こうのその人体が出す音も、聞こえている。

 聞こえている――筈だ。きっと。己の能力は損なわれていない筈だ。

 停止し、沈黙するヘイゼル・ホーリーホックはそう自問自答していた。


『それに……わたしはもう殺されそうになってるのに……今更戻して、縛り首にでもさせたいんですか! どっちにしても、連れて行って貰うしかないんですよ! もう! わたしには!』

「……チッ。クソッタレ」


 そして、ロビン・ダンスフィードの緊張が一瞬途切れる隙をついて、シンデレラの機体目掛けて左腕のショットガンを抜き放つ。

 だがその前に――回避行動を始めていたシンデレラ・グレイマンの、白の胴と群青色の四肢が継ぎ接ぎの機械騎士。

 ショットガンの弾丸が空を切る――――


(なんでか、前よりもデキるようになってやがる……でも、悪いな。これで鈍るほど、お兄さんも生易しい人間じゃあねえんだ――)


 だが、それでいい。

 弾丸同士を利用した跳弾により、回避したその先のシンデレラの機体の背面を撃ち抜き、一撃を以って致死させる。

 やがて、雲一つない青空にとってあまりにもちっぽけな丸い弾丸が、日光に僅かに煌めいた死神の指が、彼女の機体の背面スラスターに命中し――――


『だから――どうしてわからないんだったら!』


 ――――否。

 命中したと思われたそれは、僅かに逸れていた。ほんの僅かに。

 そして最高の距離と最高の機会を逃したその弾は哀れ、《仮想装甲ゴーテル》に逸らされて叩き落される。


 


『どうしても戦いたいっていうなら――わたしは貴方を殺さない! それだけの力を、想いを背負っているんですよ! わたしも! 貴方に撃ち落とされたあのときから!』


 その言葉と共に向けられる両肩部のレーザー照射装置と、両腕部のグレネード投射砲。

 もう、彼女を新兵などとは呼べやしないだろう。

 限られた技量の者しか使用が適わない超高速戦闘の中のレーザー照射も、弾速が緩やか過ぎてそれだけでは敵機撃破には頼りないグレネード投射砲も、彼女はきっと十全に使いこなせる。


 彼女の身に何があったのかは、ヘイゼルには判らない。


 しかしおそらく――アシュレイの手解きを受け、そして少なくない数の戦闘をこなしたのだ。

 ハンス・グリム・グッドフェローという保護者がいたことで阻害されていた彼女の成長が、行われている。

 油断が許される相手ではないと彼自身の中の歯車ギアが上がると同時に、訪れたのは――最大の懸念は、彼自身のその不調。

 精緻な計算と観測、その上に成り立っていた繊細なる予測の御業の歯車が狂わされた。


 あたかもプロのアスリートが何かのきっかけで取り戻せない不調に至ってしまうように、そんな重圧と疑念が彼の喉を這い上がっていた。


 だがそれでも、仕事をこなせるからこその――黒の請負人ブラックナイト

 二対一。

 優れた技量を会得したシンデレラ・グレイマンと、自分より殲滅力で勝るロビン・ダンスフィード。

 しかしそれでも、彼には――ヘイゼル・ホーリーホックには諦観はない。撃墜せよと言われれば、撃ち墜とすまでだ。それが請負人だ。

 勝機などは後付だ。

 終わったあとにそう名前を付ければいいと、赤き四脚【アーヴァンク】は逆手握りの超大型レールガンを構え、


『こちら、ハロルド・ブルーランプ特務大尉だ。ヘイゼル・ホーリーホック特務大尉……早急に海上遊弋都市フロートへと帰還しろ』

「ああ? 悪いがこっちも仕事中で――」

『フン。まだそうしているなら……手こずっているんだろう? それよりも緊急の案件だ。グッドフェロー大尉が海に沈んだ。救助できるのはオマエだけだ。速やかに撤退、彼の救助を行え。これ以上、黒の駒を減らすな』

「――ッ」


 応じて放たれたグレネード投射を躱しながら、歯噛みする。

 様々な理由から、その命令にはすぐさまに応じられないのだ。すぐに承ることができないのだ。

 だが――


『オマエの天秤はどこにある? 理解しているだろう? 今のオマエがそいつらに手こずって、最悪オマエまで失われる危険と――……オマエとグッドフェローを生かしたままこちらに残せることの、どちらが重要か。オマエも士官なら判る筈だ』


 そう、兵士としての彼の理性に訴えかけるような言葉を前に強制的に脳が冷やされる。

 バトル・ブースト。

 四脚から発される力場が故に重力へ抗うような機動に向いた【アーヴァンク】が、迫るグレネード弾と照射されるレーザーを空を漂うように回避する。

 舌打ち一つ。

 展開した超大型レールガンを折り曲げるように背部へ格納し直しつつ、左のショットガンを二機に向けて引き気味に距離を取る。


「ハッ、逃がすと思ってるなら――」


 その動作で悟ったか。

 ロビンの青き【メタルウルフ】が、油断なくその両腕のガトリング砲を連射し――――銃口の先で起きたグレネードの爆発に遮られた。


『だから! わたしに従えと言った! 二度目ですよ、これは!』

「チッ……落とせる内に落とすしかねえんだよ、この男は」

『だから、そうするなって……何度も言ってるんです! 何度も何度も! 物分りの悪い人しかいないんですか! 大尉以外の黒衣の七人ブラックパレードは!』

「あァん!? 誰の物分りが!? なんだって!?」

『大人をできているのはグッドフェロー大尉だけだ、って言ったんです!』

「…………………………アイツまた被害者増やしたのかよ」


 呆れたように呟いたロビンの声に合わせて、放たれたショットガンの弾丸。

 ただし、赤き【アーヴァンク】の左手のそれからは硝煙は上がらず――――その発射を為したのは、先程レールガンの展開に合わせて海中へと放ったショットガンであった。

 手を離れてなおも放たれるショットガンの弾丸とその水柱という、ヘイゼル以外には決定的な予想外。


 その隙を縫うように、彼は――【アーヴァンク】は、二人の視界を振り切って海中へと潜伏した。

 


 ◇ ◆ ◇



 唸る潮風に、包帯を巻いた半裸体の肩口にかけたジャケットを抑えて――心底困ったことだと言いたげな盛大な溜め息の後に、苦渋が滲むような顔でハロルドは告げた。


「ヘイゼル・ホーリーホックは休職を願い出た。アシュレイ・アイアンストーブはシンデレラ・グレイマンを追う形で【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に合流した」

「……シンデレラ、だと?」

「生きていた、らしい。彼女を仕留め損なっていたことで、ヘイゼル・ホーリーホックは自分の技量への懸念を抱いたそうだ。オマエの救助を行ったのち、休職を願い出た。受理されるかどうかは判らんが、アレでは戦力に数えられないだろう……僕の目から見てもアレはもう、不能だ」


 海底から自分を引き上げるとしたら彼しかいないだろうという納得と共に、


「……そうか」


 複雑な気持ちだった。

 大切な戦友の不調と、大切な戦友とのいずれの敵対。そして、それ以上に――自分が守りきれなかった少女の生存。

 無事だったのか、どうしていたのか、不安はないのか。

 そんなことを問いかけたい想いと――……彼女がやはり、撃墜されたその前のように【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】との合流を行ってしまったことに対する何とも言いようのない思い。


(……俺では、庇護者としてあまりに不足と見做されたのだろうな。いや――父との再会を望むならば、あちらに与するのは正しいか)


 ただ――彼女が【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に属してしまうということは、戦場で相対したそのときに、ともすれば戦闘になりかねないということだ。

 見知った少女との――……この世界の業を背負わされてしまったという肩書を持つだけの少女との戦闘の可能性。

 そしてそれ以上に、彼女が人の殺意と悪意が複雑に絡み合う戦場に出撃してしまう――己がそれに介することもできず――人を殺してしまうだろうそんな可能性。

 全てが入り混じり、すぐに答えがでない。

 そんな思いを掻き消すように、いっとき内心から離そうとするように、眼帯のブルーランプ特務大尉へと続きを促していた。


「……マシなニュース、というのは?」

「メイジー・ブランシェットがその乗機ごと洋上にて消息を絶った。少なくとも【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に合流して宇宙に上がった訳ではないらしい」


 やれやれと、彼は吐息を漏らした。


「どこかに隠れたか、海中に没したか……政府からの依頼により――彼女へ追撃を行った第五位の殴殺者ダブルオーファイブもまた消息不明だ」

「監視だったのか、彼は」

「そういう契約だった、というだけだ。本来なら二重契約になるだろうが、メイジー・ブランシェット自身も認めていたらしい」

「……」


 マシどころか、真実それが最悪のニュースだった。

 保護高地都市ハイランド連盟から命を狙われると知った上で、彼女はこちらに弓を引いたということだ。

 何故、それだけのことをしたのか。

 彼女は卓越したその能力で未来予知の如く、何かの運命なるものを読み切って――そしてああしたのかもしれない。


(……君ほどの人間がそうするとなれば、相応の理由なのだろう。だが、俺にはそれは見えないし……やはり、あの場で焼け落ちる都市の命を見捨てていいとは到底思えない)


 戦いではない場で改めて問いたいと願いつつ――……それも難しいか、と内心で嘆息する。

 彼女に限っては死ぬことないだろうとも思うが、あれほどの激戦の先だ。機体の不具合にて水没というのは十分にあり得る話である。

 そして何より、仮に彼女が生存していたとしても……もう決裂したのだ。


 状況が許せば何度とも語り合う用意はあるが――おそらく、彼女と己では完全に行動の方針というものが違う。そもそもの価値観が違う。語り合ったところで、やはり、その道が交わることはないと思えた。

 人命がかかっていないなら幾らでも譲ることができるが、そうでない以上は、個人の範疇に留まらない以上は、こちらも軽々と譲歩もできない。


(それでも大禍なく君が無事であることを願いたいが……いや、もう婚約者でもないのに保護者気取りは傲慢か。俺が考えることでもあるまい)


 そう、小さく頷く。

 ただの他人になった男がそうするのは過干渉が過ぎよう。そして、こちらから一度は殺そうとしておきながら無事を祈るというのもおかしな話だ。それとこれとは別の話ではあるが、メイジー自身も喜ぶまい。


「忙しくなるぞ、グッドフェロー。……今のうちに休暇を済ませておいた方がいい。僕からそう上申しておく」


 深い吐息と共に、甲板の上で海風に目を細める彼こそに疲労が見えた。


「……貴官は?」

「軍部にて今回の件の釈明を行った後、ラッド・マウス大佐に報告する……僕ら【狩人連盟ハンターリメインズ】に求められることにも変化があるだろうからな」

「そうか」


 その口ぶりを聞くに、いつの間にか完全に彼らの一員となっているようだ。構わないが。

 何にしても、すべきことをするだけである。

 改めて配置の転換や出向の命令が来たならば、その場で務めを果たすだけだ。

 正直なところ、自分などよりよほどブルーランプ特務大尉の方が指揮官として相応しい決断力と責任感の持ち主とは思うが……もし本当に当初の打診通りに彼らの指揮官をせよ、と任ぜられるならその役目を遂げるしかあるまい。

 そう思っていれば、当のそのブルーランプ特務大尉がこちらを僅かに見上げて、躊躇いがちな逡巡の後に口を開いた。


「……グッドフェロー。オマエは――……オマエはその、何か、思うところはないのか」

「思うところ、か……」


 正直なところ、いくらでもあった。

 またしても都市部での大規模な戦闘と一般市民の大量死。

 それを引き起こしたのが、自己と交流があったあの民間軍事会社の人間も含む海上遊弋都市フロートの面々であるということ。

 また、衛星軌道都市サテライト連合軍の残党がこのタイミングに蜂起を起こしたということ。彼らがあれほどまでに機体を購入できた資金源の背景やその他。

 そして何よりも、メイジー・ブランシェットの離反とシンデレラ・グレイマンの生存――……。


 そのいずれもに、思うところがある。


 思わない訳がなかった。特にメイジーが何故、ああも刃を向けてきたのか。そしてシンデレラがどのように生存したのかということと、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に加わってしまったということ。

 いずれも、心の内においては重大な事項である。個人的には、どこまでも気がかりでしかなかった。

 ただ、彼が上官としてそう問いかけており、こちらも言うのであれば―― 


「特にはない。貴官の指示通り、許可を得たら休暇に入ろうと思う」

「……そう、か」


 そう返せば、ブルーランプ特務大尉は口を噤んだ。

 どうやら、それで話は終わりらしい。


「では、失礼する。……念の為、都市部の生存者の探索に移る」

「……任務だからか?」

「そう、俺に求められているからだ」


 そして、自分がそうすべきだと定めているからだ。

 ……他人に殊更伝える必要もない決意というものであるため、いちいち口にはしないが。


「ところで、オネスト少尉とローズレッド少尉は?」

「疲労が大きい……朝から戦いずくめだったから、無理もないだろうな」

「了解した。二人へは、爾後じごの休養を与えたいが構わないだろうか?」

「好きにすればいい。……オマエは、休まずに動くんだろう?」

「理解に感謝する」


 そして、改めてヘルメットを被り直す。

 視線の先には、滑走路よろしく白線の引かれた甲板の上で膝をつく三機のコマンド・レイヴン。

 内の一機は――自機は、装甲の大半が破損。内部の骨組みの殆どが露わとなっており、それは、さながら鴉に屍肉を啄まれた黒き骸骨の兵士にも似ていた。

 レイヴンの名を冠するがため、皮肉なことではあるが。


「なあ、グッドフェロー」

「……まだ何か?」

「本当に、オマエは……何も思うところはないのか?」


 再度の問いかけに、逡巡する。

 びゅう、と船の傍を強く風が吹き抜けた。

 彼は、指揮官としてこちらの精神状態を案じているのかもしれなかった。

 心優しく、よくできた指揮官だった。そんな彼と誤解なく協調関係にいられるというのは喜びしかない。極めて良好な関係を築けていると自認する。

 部下としてその力になりたい。

 ならば言えることは、一つだけだ。


「何も問題はない。俺は、あらゆる状況でパフォーマンスを発揮可能なように努めている」


 そして、


「仮にあったとしても、私情それ任務これとはなんら関係がない。公私の別をつけることにはしているし……仮に内心がどうあったとしても、任務には何も影響はないので安心してほしい。今のところ、特に動じる事態は起きていない」

「……そうか。そう――か」


 噛み締めるように呟く彼を一瞥して、踵を返す。

 確認された生存者は、海上遊弋都市フロートの避難所兼避難用の船舶となる区画に逃げ込めた者だけだ。

 アシュレイほどの炎と破壊の専門家がそうと見込んだならば、真実、既に助かったそれ以外の民間人の生存者はいないのであろうが――……それでも、だ。

 それでも、万一はある。

 そして、彼にだけ選択の責任を背負わせる訳にはいかない。彼のその行動を理由として他の救助を打ち切るのは、それは、あまりにも個人に対する責任が多すぎる。

 民間人に――……そしてあれほどまで心優しいアシュレイだけに、その責を負わせるのは何の妥当性もない。こちらも軍人として、務めを果たすべきだろう。


 見上げた銃鉄色ガンメタルの骨組みめいた自機は、既に歩行以外の移動能力を喪失していた。

 やむなく、フェレナンド機への搭乗を行う。こちらの行動を想定していたのか、学習用AIの可搬装置は入れ替え済みらしい。

 コックピットに乗り込み――その瞬間にフィーカに激しく注意されたが受け流し――今なお焼ける海上遊弋都市フロートを目指して飛行する。

 消防は機能しておらず、消火活動はままならない。

 だが、僅かな後に、急な豪雨と雷鳴が辺りを包み込んだ。


 それを受けて――受けながら――雨を装甲に溢れさせたまま銃鉄色ガンメタルの機体で都市部の探索を行うも、新たな生存者は一人も確認できなかった。


 天へと手を伸ばすように焼け焦げた死体を見かけた。

 抱き合い、死した母娘の死体を見かけた。

 逃げ切れずに、倒れたまま炎に巻かれた老人の死体を見かけた。


 生存者は、もう、誰もいなかった。


 やがて、海上遊弋都市フロートは焼け落ちる。

 静かに――――炎に呑まれるように、深い海へと、沈んでいった。

 

 かつて己が彼らに、そうしたように。



 ◇ ◆ ◇



 そして軍部の召喚に応じて今回の作戦行動についての弁明を行い、作戦の報告書を提出し、幾度かの査問の後に休暇に入ろうとした矢先のことだった。

 当の【フィッチャーの鳥】の指揮官たるヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将に呼び出され、新型機の格納庫にて面会をすることになったのは。

 改めて彼が去った格納庫にて、懸架された新型機コマンド・リンクスを前に、ホログラムコンソールを操作するメイド服のマグダレナの説明を受ける。


「……さて、では、戦況の詳細に移りましょうか」


 彼女が宙に指をなぞらせるに合わせて、その足元に置かれたホログラム投射装置から映像が浮かび上がる。

 青いデータレポート。

 映されるのは、今この生息四圏に存在する潜在的な武装勢力組織だ。


「目下の課題は【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】でしょう。反【フィッチャーの鳥】を掲げる彼らは、今まで【フィッチャーの鳥】に抑圧されていた民衆の不満を的確に吸い上げる受け皿となっております」


 あの大戦の集結から半年の間に結成された【フィッチャーの鳥】は、様々な意味で急進的が過ぎた。


「複数の企業主体などからの支援を受けることで、生息四圏に存在する武装勢力の内で最大の規模にまで成長しました。独自にアーセナル・コマンドを開発していることも確認済みですわ。――その支援企業や協力軍人への調査追求は進められておりますが、まだ時間を要するでしょう」

「……」

「その母艦が二隻、大気圏外に離脱したというのは御主人様とて知るところでしょうが……さきの大戦の影響により、衛星軌道上には多くのスペースデブリが漂っております。或いは廃棄された居住都市ボウルも――……その補足は極めて困難、と言う他ないでしょう」


 つまり、その根を叩くことは難しいということだろう。

 頷き、僅かに考える。

 彼らが自前のマスドライバーを有していないことはあの戦いで明らかになった。翻って言うならば、必ずどこかから、地球から上げられた生活物資を横流しにしているものがいるということだ。

 その調査も行われていることだろうが――マグダレナの口ぶりから考えるに芳しくないということは、連盟軍もまだ考えあぐねている――【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】と【フィッチャーの鳥】は軍内部での勢力争いの意味もある――といったところだろうか。


「なお、御主人様が撃墜したあの航空要塞艦アーク・フォートレスについては、敵軍からの攻撃により流体ガンジリウムが漏れ出した末の事故……という形で公式には処理をされています。ですがそのことが、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】等をより勢い付かせたようです」

「そうか」

「お嫌ですか? こうして秘されるというのは」

「……」


 事実の隠蔽がなされた――ということだが、それは秩序や善に対する裏切りであり、近代国家における見逃せない瑕疵だと思えた。

 正直なところ、不快感が勝る。

 だが、ある意味では軍事や警察などの治安行動にはそんな面もある。機密というものがある。全ての情報を開示することは、究極的にはその性質上不可能であり、そしてやむを得ない事由でもある。

 ……無論、あのような虐殺はそんなやむを得ない事由には当たるまい。正されるべきだと思うし、質されるべきである。

 公正であるべきなのだ。

 人道や倫理という面からだけでなく、長期的な益というただ合理的な面から言っても、巨大な機構というものは。

 ともあれ――彼女の話の続きを待つ。


「次いで、それらに呼応する形の反統一政府運動……旧世紀の国粋主義や地域至上主義、反自由主義など勢力はさほどでもないにせよ、便乗する形で騒乱を起こしております。これの対処に追われるところも、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】のみに戦力を注げない原因の一つでしょう」


 まさしくマグダレナと戦ったその時の治安維持行動で鉾を交えたのだ。覚えがある。


「そして、あの【衛士にして王ドロッセルバールト】に代表されるような、衛星軌道都市サテライト脱走兵や地上軍残党などの勢力。……ここに来て蜂起を起こしたのは、おそらく、かつて終戦間際に旅立った探索船――外宇宙船団の地球圏への帰還と関連があるでしょう」

「つまり、外宇宙船団も事実上の残党勢力と見るべきか」

「ええ。詳しい調査は及んではいませんが……終戦間際に一部の敗残兵がそちらに合流した、との情報もあるようです。その敗残兵を麾下きかにしたのか、それとも逆に船内を掌握した敗残兵たちの恐怖政治によるものかは不明ですが、現時点では極めて反体制的な集団と見てよろしいかと」

「……了解した」


 そちらに関しては、テロリストの一味として規定通りの対処を行うしかあるまい。


「こちらの今後の対応は?」

「今回の件を鑑みて、軍上層部も【狩人連盟ハンターリメインズ】の殲滅力を認識しました。そして確信したようです。やはり、対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバーにはそれ以上の戦力を以って当たるしかない、と」

「そうか。……ラッド大佐の部隊が正式に対処要員となるのか。俺はやはり……その部隊に?」


 問いかければ、マグダレナは微笑を浮かべた。

 そしてこちらを捉える冷静な赤色の瞳――いや、冷静そうなその瞳の中には、凍り付くような情熱の色が含まれていた。

 何が彼女を、そうも昂ぶらせたのか。

 すぐに――その答えは、与えられた。


「ハンス・グリム・グッドフェロー大尉。貴方様に与えられる任務は、大量破壊兵器への対処ですわ」

「……大量破壊兵器?」

「ええ。かつて衛星軌道都市サテライトが開発し、しかし運用はされずに――それでも分解や破棄が行われなかった、戦時の混乱の中で行方不明となったアーク・フォートレスが複数存在します」


 アーク・フォートレス――この場合は航空要塞艦アーク・フォートレスではなく、その名の元となったかつて用いられた衛星軌道都市サテライトの兵器、移動式武装要塞と見るべきだろう。

 その運用には、アーセナル・コマンドのような個人は求められない。あくまでも船の如く、基地の如く、高度な訓練を受けた人員により用いられるものだ。

 在りし日の呼び名で言うなれば――対一〇〇〇機サウザンド・オーバー

 実際のところ、それは正確ではない。


 例えばあのアーク・フォートレス【波間の水精ヴァッサニクセ】のように黒衣の七人ブラックパレードを以ってしても容易に比し得ない存在もいる。

 あくまでも、最低が対一〇〇〇機サウザンド・オーバー

 その種別や能力によっては、容易くそれ以上の殺戮性を発揮するアーク・フォートレスとて存在するのだ。


「断片的な情報から推察する限り――その戦闘力はいずれも全て、対一〇〇〇〇〇機ハンドレットサウザンド・オーバーに相当すると予測されます」

「……!」


 とても穏やかな数字ではない。

 あの大戦時に、今まさにラッド・マウス大佐が推し進める計画を先取りして行っていたなど、オーバーテクノロジーと呼んで然るべきであろう。

 だが――頷けるところではあった。


 あの大戦中、衛星軌道都市サテライトは数々のアーセナル・コマンドを実装した。開発は保護高地都市ハイランドが行ったものだというのに、彼らのその充足速度はとても後発とは思えぬほどのものであったのだ。

 それを成り立たせたのが、天才グレイコート博士と博士が開発した演算シミュレーター【ガラス瓶の魔メルクリウス】。

 通常の兵器進化としては有り得ぬほどの速度で、衛星軌道都市サテライトの戦時下における数々のアーセナル・コマンドの実装と開発とを担ったのもこのシミュレーターによるものだ。

 その力があれば、或いは……


「おそらく殲滅力を高める観点からその完成が終戦間際となり、そのまま戦線に投入されるよりも先に本国が降伏したのでしょう。あの戦時に衛星軌道都市サテライトは全国民への脊椎接続アーセナルリンク手術を試みようとしておりましたが、そうして戦線を膠着させた先で投入する筈だった勝算――――と考えられます」

「……つまり、これまで戦ったものより強力な兵器か」

「ええ。いずれの勢力が手にするにしろ……これが敵の手に渡れば、なおも勢い付かせることになります。そうなれば、繰り返されるのは先日と同じ虐殺の火――……」

「……」

「ならばこそ、御主人様の出番でしょう? 純粋なる暴力の化身――炎を塗り潰す黒き炎、死を轢殺する硬質の死、寛容にして不寛容な万物と断絶した不毀の剣――……」

 

 実に誇らしく喜ばしいことだと、マグダレナは笑みを深め、


「作戦名を――【新月の月光ギーシズ・クロップ】作戦」


 本来なら存在せぬガチョウの素嚢ギーシズ・クロップを名前に使うその既知は、或いは彼女によるものなのか。


「どうぞ……貴方様のを存分にご発揮なさいませ、御主人様」


 スカートの裾を摘み上げ、そううやうやしく頭を下げた。

 あたかもこの劇を、最も近くで――観客席では及ばない舞台の上という場所で見守る助演女優のように。

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