第31話 かくて演者は舞台に上り、或いは大いなるガラスの車輪

 海岸の側に、その診療所はあった。

 人類の生息四圏――今やあの資源衛星B7Rによって、二つ目の衛星によって乱れた地球において人が住まうのは四ヵ所だ。


 ――地たる保護高地都市ハイランド

 ――海たる海上遊弋都市フロート

 ――空たる空中浮游都市ステーション

 ――宙たる衛星軌道都市サテライト


 人類はこの四つに必ず属する。そこで生きている。

 確かにそうだが――しかしそれは

 生息圏が限られた陸地の中を奪い合い、しかし空の都市や海の都市に逃げることもできなかった貧民。

 或いはそんな、貧民以下の身分。

 国家の内で――戸籍を持っていない人類。


 かつての戦争で死人になったと見做されたまま、助けを得られなかった者。

 或いはそれ以前に、生まれ育ったその街を捨てられなかった者。

 もっと単純に、ただ税金を収めることも難しかった者。

 国家の秩序に従えなかった者。国家から己を離している者。

 戦場の陵辱と望まぬ妊娠によって棄てられた者。


 そんな人間たちは、潮汐力の変化に伴った危険がある海岸線の側に暮らしたり、或いは気象的に厳しい荒野や、活火山の影響で多く生じた新規の島嶼部に暮らしている。

 ここは、そんな場所の一つだった。

 ウォードラン。

 そんな名前の人類の共同生活圏から少し離れた海沿いに、彼の診療所はあった。

 

「アシュレイせんせー、さよーならー!」

「うん、気をつけてね」


 本当は銀色であった筈の髪が、戦場のストレスにより白く色褪せてしまった褪せ人ターニッシュド

 鼻先にかかろうかという秩序のない癖っ毛と、隈の濃い睡眠不足の銀色の瞳。

 医者だというのに首からは十字架を下げ、葬儀屋めいた黒シャツ黒スーツを纏い、持ち前のどこか不器用な様から何かの怪我でもしたのか頬に湿布を貼った男。

 名を――アシュレイ・アイアンストーブと呼んだ。


 一言で言うなら、世の全てに押し潰されて草臥れてしまった睡眠不足の葬儀屋。或いは死体監察医。

 彼を見た人間は、そう答えるだろう。

 ただしその猫背気味の長身の体躯は、よく見れば逞しく――彼の身を覆う気配は、決して病弱や不健康さとはかけ離れていた。

 事実、彼はかつて軍医を務め――そしてそのまま壊滅した部隊の人間に変わって、駆動者リンカーを勤め上げたという経歴の持ち主だった。


 故に、子供たちが海岸に打ち上げられたに群がっているとき、彼の言葉は普段とは様相を異ならせた厳然たる重さの響きになった。


「……皆、下がりなさい。危険だ。ガンジリウムはあまり身体に良くないんだ」


 撃墜されたのか、かつての大戦で廃棄された残骸か。

 あまりにも彼自身も見慣れたそれはアーセナル・コマンドの、白鳥めいた純白の装甲板。

 近くで半壊しているのは、そのコックピットか。

 ……見慣れたものだと、彼は思った。

 おそらく、真実――きっとこの星の誰よりも見慣れていた。


「ああ、大丈夫。僕は――先生は、慣れてるからね」


 困ったような、儚げな笑み。

 それを浮かべた男のかつての名は――第六位の擲炎者ダブルオーシックス

 不殺の僧兵と称された、黒の交渉人ブラックビショップである。

 子供たちを遠ざけながら、彼は半壊したコックピットのハッチに手をやる。

 大穴が空いていて、海水も入っている。

 中にいた駆動者リンカーはもうサメの餌になっているか、それでも僅かばかりの肉片が残っているか、遺品だけでも残るか。

 そう思って手を伸ばした彼は――驚愕した。


「これは――」



 ◇ ◆ ◇



 その色味が強い癖のある金髪を、もみあげで片側だけ三つ編みにしたのがヘンリー・アイアンリング。

 それはある種のジンクスが込められて、彼自身で続けている特徴的な髪型だ。

 太腿を撃ち抜かれ、医務室をあとにした彼にかけられる言葉など決まっていた。


「間男ヘンリー」


 かつての嘲笑と同じ二つ名。

 それが、こそかしこから零される。

 理由など、わかりきっているだろう。

 既に艦長が無罪放免となってしまったことで歪んだ特権意識を醸成してしまった艦内の【フィッチャーの鳥】の面々は、つまりその保守主義や連帯主義を作る男根主義は、弱者を見逃さない。

 ヘンリーは、格好の獲物だった。


 仲間を殺しまくった【ホワイトスワン】の開発者で、そもそもそいつが攫われなければ今回のような事態を引き起こさなかった厄介事――その娘の、生意気な美少女シンデレラ。

 一度は艦内の多くの兵士の希望となりながら、しかし汚い現実に破れ、磔刑にかけられてしまった聖者のハンス・グリム・グッドフェロー。

 彼らと同じ小隊におり、そして小娘などに銃撃を受けたヘンリーの男性的な地位は最底辺だ。

 だが――……或いはそれだけならば、真なる兵士を知った今のヘンリーならば、その状況にも構わずに鍛錬を積めたかもしれない。


 ……だが、無理だった。

 彼の心臓は張り裂けてしまいそうだった。或いはもう、張り裂けていたのかもしれない。

 もし己に力があったら、無様に銃撃され転がっていなかったら、シンデレラを止められただろうか――――彼女は死なずに済んだだろうか。

 そして、男と男の約束を守り抜けただろうか。

 そんな思いが、頭の中を――張り裂けた心臓の中を蠢いていた。

 故に、


「あのガキ……英雄サマと、艦長と、おまけに敵側にも股を開いてたらしいぜ。大した淫売だよな。痴情の縺れかよ」

「へえ、親父が機械イジリの天才なら、娘は別のものをイジる天才かよ? あーあ、こっちにも貸して貰えばよかったな。キャンキャン吠えるからヤりがいがあるし、小せえから具合は良さそうだったぜ」


 その言葉に――己の戦友の生と死を侮辱するその言葉に、ヘンリー・アイアンリングは撃発した。


「テメエら、殺してやる――」


 松葉杖を投げ捨てて、躍りかかる。

 右の拳が一人目の顎を打ち抜き、昏倒させた。

 二人目目掛けて、左の拳。前歯を折り、鼻を砕いた。廊下に鮮血が舞う。

 だが奮戦もそこまでだ。

 背後からの羽交い締め。それに肘で返そうとすれば、腹に打ち込まれる拳。


 えづいた。それが複数。執拗に腹を打つ。

 だが――痛くなかった。それは痛くなかった。痛いのは、打たれていない胸だった。

 罰してくれと、そう思った。

 自分は、あれほどまでに気にかけてくれた男を――愛してくれた男を裏切ってしまった。彼の期待に答えられなかった。罰してくれ――オレを。ヘンリーはそう願った。

 だが、


「やめないか」


 そう、誠凛とした咎め声が入ったのは。

 一見しては軍人に見えない白いスーツの男。

 艶のあるウェーブかかった癖毛を左右に分け、端正に整ったその顔に浮かべた優雅さとその自信を隠そうともしない美丈夫。

 気品のある雰囲気とは裏腹に、身体の随所は男性的なその男――同じく軍人。

 憤る兵士たちをまるで王たる者のような冷徹な一瞥のみで黙らせ、ヘンリーを別室まで導いた彼は言った。


「君がヘンリー・アイアンリング特務中尉かな? 初めまして。私はラッド・マウス大佐だ。実は、君に提案があってここに来たのだよ」

「オレに……?」

「担当直入に言おうか。私は【フィッチャーの鳥】の中にさらなる精鋭部隊を作ろうと思っている――【狩人連盟ハンターリメインズ】と。その部隊に、是非君の力を貸してほしいと思ったのだよ」

「オレの力を……? オレに……何ができるって言うんだ。オレは結局、大尉の言葉に……何も応えることもできなくて……」


 彼に何かあった際は、自分が彼女を守るべきだったのに――と。

 ヘンリー・アイアンリングは、そんな約束を破ってしまった。みすみすとシンデレラを逃して、そして彼女は撃墜された。ヘイゼルの腕ならば、仕損じることはありえない。

 そんな敗残者にできることは、負けを増やすことか、それとも無意味な訓練を積むことだけ。

 だというのに、


「果たしてそうかな。……君が、ハンス・グリム・グッドフェローにかけられた言葉はそれだけか?」

「え……?」

「あの理想的な兵士のことさ。ただ唯々諾々と君の上官を勤めている程度の男ではないと……私はそう見ているのだが、果たして誤りだったかな?」


 ラッドの言葉に――リフレインする声。

 穏やかな笑顔。自分に差し伸べられた右手――〈ただ、俺にできることはしよう〉〈貴官の期待に応えると、約束する〉〈……強くなれる。貴官は〉。

 そうだ。

 約束したのだ。彼と約束を交わしたのだ。

 他の全ては破ってしまっても、己の心の中に一つ残る篝火の炎は――――あるのだ、と。


「……強く」

「ん?」

「オレを、強くしてもらえるのか……? あの人の期待に応えるぐらいに強く……もう、それだけしかあの人の言葉に応じられないオレが……それしかできないのに……」


 ――かつてヘンリー自身が語った言葉。

 それに偽りはない。

 ましてやあのとき以上にその気持ちは強かった。

 シンデレラは死んだ。グリム・グッドフェローは去った。

 なら、もう、ヘンリー・アイアンリングに返せる約束なんて、この世に生きる意味なんて、それしかないのだから。

 そしてその言葉を聞き届けた高貴なる男は、満足げに目を細めた。


「できるとも。先ほどの様を見れば判る。君の中には、得難い不屈の闘志がある。それは一握りの天才では持ち得ない稀有な才能だ。私の計画の元ならば、

「誰よりも……?」


 あの、ハンス・グリム・グッドフェローや。

 或いは彼を擁した黒衣の七人ブラックパレードよりも強いものがこの世に存在するとは、思えない。

 地平に果てがあるように。海に底があるように。

 彼らの強さは、世の絶対たる定理だ。

 だというのに――……ラッド・マウスは、可能だと嘯く。それは真実ならばあまりにも縋り付きたくなるには十分な甘言で、同時に真実ならば己の正気を疑うもの。

 だが、目の前の男は鷹揚に言い放つ。


「ああ。何故、ハンターと言う名を冠する部隊になるか判るかね?」

「レッドフードに……あやかって……?」


 彼女が初めて駆り、最後まで利用した愛機・狼狩人ウルフハンター

 故に、保護高地都市ハイランド連盟において、ハンターという名はあまりにも多くの意味と文脈を持つ言葉。

 そんな背景を加味したヘンリーの問いかけを、ラッド・マウスは首肯する。

 ただしそれは、一方で認めながらも――決定的に異なると、強い断絶を告げるような象徴的な笑いだった。


「それはある種の正解だ。彼ら黒衣の七人ブラックパレードたちを含む九人が対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバーと呼ばれているとは知っていると思うが――」


 そしてその笑みは、一段と切れ味を増す。


「こちらは対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーだ。ハンドレッド・サウザンド・オーバー――略すること、ハンター。彼ら黒衣の七人ブラックパレードを超える黒の狩人ブラックハンターだ」


 HUNTER――つまりは、彼ら“対一万機”を超える“対十万機”を――HUNdred-Thousand-ovERを冠する個体名。

 神話を超越する伝説。

 英雄を失墜させる民衆。

 かつての戦争の残骸、生きたる死者、既に燃え尽き炎を失った薪の王たち、九つの古き狩人の遺骨リメインズを狩る最新鋭の技術と訓練の狩人ハンター


「どうかね……君も、狩人にならないか?」


 そして、男は――ラッド・マウスは、ヘンリー・アイアンリングへと手を差し出した。

 神の救いに、そう思えた。



 ◇ ◆ ◇



 全周モニターが世界の写し身を反映するコックピットの中。

 灰色の癖っ毛と、思慮深き狼の琥珀色の瞳。

 その身を焦がすのは激昂か。

 彼もまた、賢しく優しき怒りの聖者。世を憂う思索者にして静かなる賢者。


「少女を……自分たちで招き入れた少女を……! 撃墜するか、【フィッチャーの鳥】……!」


 合流地点に現れず、そして、消失したシンデレラ・グレイマンの機体信号。

 それを前に、我が身の不甲斐なさを座席へと叩きつける。


「何度繰り返そうと言うのだ……! こんな悲劇を……!」


 拳を握り、怒れる狼は我が身の憤怒を押し込める。

 かつて、その妹であるメイジー・ブランシェットを――血染めの“レッドフード”へと、血塗られた戦場へと導いた――その世界を睨みながら。

 重く賢しき“灰色狼グレイウルフ”ウルヴス・グレイコートは、ただ、見定める。



 ◇ ◆ ◇



 廃墟となったビル群。

 砂塵が立ち込め――そして強烈に放たれるガトリングの火線が、空気を裂く嘶きと世にまろびでるその発砲音を以って廃墟の中で激しい演奏を奏でる。

 その二連ガトリング砲の主。騎士鎧を近代的に無駄ない形に仕立て直したかの如き鉛色のアーセナル・コマンド。

 ただしその背部には大型ミサイルベイが四門、両肩部には円形の近接迎撃機関砲、腕にはレールガンとプラズマライフルを握り、その外甲にはガトリングガンが計四門。更に脚部外側にて大型ショットガンとグレネードランチャーを予備携行――。

 例えるなら、個人向け要塞。

 重火力に武装したその機影は、腕部から脚部から胴体からしてその全てが肉厚の重厚である。

 第二世代型:黒騎士霊ダークソウルの重装甲改修型――魔械騎士デモンズソウル

 彼が駆りたる機体のその銘を、【メタルウルフ】と呼んだ。


「ったく、戦争の方がマシじゃねえか。くだらねえ。くだらねえなァ、本当よぉ」


 そのコックピット内で銀色フレーム眼鏡の青年が毒づく。

 派手に染め直して整髪料で刺々しく固めた外に跳ねる青髪と、怜悧な銀色フレームの奥の赤く燃える瞳。

 自信と、自負と、自尊を混ぜ合わせて傲慢をかけたような獰猛な笑みを浮かべる青年――パイロットスーツの上の赤い革のジャンパー。パンク的ハードな戦場演奏家。


「今日もテスト、明日もテスト、明後日も明々後日も――こんなに備えて世界でも焼き尽くす気かよ、なあ」


 その鉛色の機体の重厚なる脚部の後背部から下部に伸びた無限軌道キャタピラ

 左右で逆の回転。

 その場にて己自身を竜巻じみて盛大に振り回す機体は、試作武器による鋼の雨を降り注がせた。

 上がる爆炎。爆豪。粉塵。爆煙。

 ビル群の中のターゲットは、しかしその乱暴で野蛮なる回転から放たれた射撃により――一つも寸分の狂いもなく撃ち抜かれた。

 そして男が、ふと思い出したようにオペレーターに告げる。


「ああオイ、急な雨に気を付けな」

『雨ですか? 天候は晴れの予定で――』


 困惑した冷静な声色の女性オペレーター。

 天気は快晴、その予報の筈だと彼女はオペレータールームのモニターを振り返り、困惑した。

 降り注ぐ瓦礫の雨、砂礫の雨、鉄の雨。

 その中に混じって降り注ぐ――――本物の雨粒。


「なァ。当たるぜ? ロビン様の予報だ。


 鉛色の機体を打ち付ける黒い雨の中、硝煙と粉塵が作った曇天の下で男は笑う。

 名を、ロビン・ダンスフィード。

 不壊の城塞ヘッジホッグ――第四位の制圧者ダブルオーフォー

 人は彼を、黒の始末人ブラックルークと――そう呼んだ。



 ◇ ◆ ◇



 居住区域であるというのに、さながら廃品置き場の如くなった客室。

 女物の下着と、男物の下着。或いは色とりどりなそれさえも捨てられたゴミ山の中で、その冴えたる銀髪と対照的に黒い神父服に身を包んだ一眼鬼は肩を竦めた。


「なあ、もうイジメないでくれよ。ほら、おれはか弱いんだ――……ベッドの中で旦那を喜ばせるぐらいしか、できないさ」


 娼婦の如き、人を惑わせる悪魔の囁き。

 それを見下ろす黒いスーツの青年は揺らがない。

 清涼な雰囲気を身に纏い、その黒髪で赤い瞳を隠し、ただ気負いもなく立つ青年。彼は闇だ――強いて言うならば、穏やかに人の眠りを見守る闇。


「アナタには、二度と勝手な真似をさせないと……そう誓ったのです。こちらの指示には従って貰います」


 どこまでも清涼たるその静かな声を前に、神父は目を細めた妖しい獣笑いを浮かべた。


「へえ? ああ、それ――……いい匂いだ。旦那も、いい……蕩ける匂いだよ。兄貴の真似かい? それとも、?」

「――っ」


 僅かに青年のその清い顔へ怒りが覗くのを見逃さず。

 戦闘により片眼と、片腕と、片足を失った彼は――それでも祝福のように手を広げる。


「斯くあれかし、斯くあれかし、斯くあれかし――……さ。あんまり怒るなよ、世界を焼くぜ? なあ――……」


 戦の匂いを漂わせるモッズコートの下、神聖なる神父服に身を包んだ“銃なる剣バヨネット”の破戒者――銀髪のアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーは残る片目を細め……。

 兄ハインツを失った黒髪のローランド・オーマインは、ただ、拳を握った。



 ◇ ◆ ◇



 雲一つない空を、銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴンが駆ける。

 二機を引き連れて、大空を飛ぶ。

 その眼下には大地。上がる黒煙と放たれる火砲。【フィッチャーの鳥】の権威が削れたことによる全世界的な、小規模の戦乱。

 死あるところに、鴉あり。

 戦をその手に統べしフリズスキャールブの玉座に座す片目なる王の遣いか、或いは彼そのものか。


「大尉……オレ、大丈夫なんスかね……オレ、めっちゃ不安で……いやマジ、エルゼ先輩はさっきから黙ってるし……もぉーホントのホントに不安で……」

「案ずるな。俺がいる。……出戻りの身では、信頼し難いのも判るが」

「ええっ!? いや、大尉のことをそんなふうに思う訳が――」


 赤髪のフェレナンド・オネストが、モニターの向こうで慌てたように手を振る。

 それを眺めながら、ハンス・グリム・グッドフェローは小さく頷いた。

 何にせよ、判っていることは一つ。

 そして自分にできることは、いつだってたった一つだ。


「――――ノーフェイス1、を開始する」


 戦いは続く。

 ただ――それだけだ。








 そして、黒よりも深い深海で。

 或いは、青よりも遠き高層で。

 白い少女が――――新雪の如くか、はたまた天使の翼の如くか。穢れなき純白の長髪を溢れさせた月色の瞳の童女が、空――或いは頭の上の地を見やって微笑む。


「ああ――愛しいね、僕の伴侶。魂の片割れ――世界を焼き焦がす黒い英雄、薪なる不死者、火のない灰、至高の狩人」


 高鳴る胸の名は恋。

 喉をこみ上げる慕情は恋。

 背筋を震わせ、骨を蕩かし、肉を熱くするその血潮の名は恋。


「ねぇ、恋をしよう? 僕とキミとで――世界が燃えてしまうだけの恋を」


 口づけを迫るように。

 抱擁を求めるように。

 目を細めた純白の少女は、ただ蕩けたように笑う。

 この感情に名前をつけるとしたら、それは、戦争だ。

 恋は戦争。

 なら愛は、なんと呼べばいいだろうか。


「ふふ――まだかなあ。まだかなあ。うん、まだかなあ。ああ――うん、僕は待ってるよ。楽しみだね。キミのことをどこまでも――……ねえ、僕を殺しに来て? 慈悲深き竜殺しの英雄、ハンス・グリム・グッドフェロー?」


 我が身を抱き締める衣擦れの音。

 彼に全てを与えたい。彼から全てを奪いたい。

 そんな献身の強欲。強奪の清貧。静かなる激情の恋慕。

 ただ求めて、ただ求められる――ああ、その甘美なる感情になんと名前をつけたらいいのだろう。

 ああ、


「この胸を、愛で射て――ねっ? ふふっ、ああ、愉しみ――――」


 きっと――それは、祈りと呼ぶのだろう。

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