第26話 スペード小隊、或いは最後の安息日
結果的には勝利したとはいえ、与えられた被害は甚大だったのだろう。
増援として送られていた【フィッチャーの鳥】の一個大隊及びその旗艦たるキングストン級六番艦『エイシズ・ハイアー』の撃沈。
合わせて送られた反抗声明ならぬ所信演説――言うまでもなくそれは、【
それを受けて、各地で反
元々の地球圏非統一思想主義者や、
そしてかつての大戦で地上に残されたアーセナル・コマンドやアーク・フォートレスの残骸、或いは傭兵がその暴力の代行を担う。
あの戦争の集結からから三年、半ば癒えつつもあった傷は、だからこそ燻り続けた新たな火種に煙をあげさせることにつながった。
あの灰色の機体――おそらくは
キングストン級の轟沈という戦果は、彼らにとっての最上の福音となったらしい。
それら運動を前に、各地の
随分と冴えた一手を打ったものだな、と思う。
みすみすとその姉妹艦の撃沈を許し、そして友軍への援軍を出さなかったことを理由に例の艦長に対しての弾劾は強くなったようだ。
……とはいえそれも、おそらくは建前だ。実態は【フィッチャーの鳥】への恥の上塗りをした艦長の吊るし上げだろう。
自分も簡易的ながらホログラム会議にて、自己が行った作戦行動の妥当性に対しての追求と、そして、彼の行動に対しての引責の証言の舞台に立たされた。
事実として彼の行動にはおおよそ問題があり、部下という立場からしても兵士という立場からしてもその交代を望むところであるが――……それでも少なくとも、仮に援軍を出していても間に合わなかった可能性は高い。
その最後の点と見解だけは伝えておいた。
処分がどうなるのか……おそらくは、艦長も据え置きにはなりそうだが。
作戦行動中に逐次その行動について査問されていたら、およそ、軍事行動というのは行えなくなる。
現在はあくまでも、新型試作機を奪取した敵に対しての追撃中であるのだ。
正式な処分や検証などは、作戦行動が終了してから改めて沙汰があるものであろう。
それだけに異例と言えようか――……それとも或いは終戦からの束の間の平和の気分が抜けていないというのか。
物資の補給に合わせて
一時的な寄港だった筈のそれが引き伸ばされ、結果、他の兵士には多少の余暇はできたらしい。
こちらは色々と忙しかった。
ようやく、その街を歩くことができている。
(……ステーキの気分だな。口の中はすっかりとステーキだ。もうステーキのことしか考えられない)
このマウント・ゴッケールリは、あまり近代的な施設はない。
医療系の製薬会社――サー・ゴサニ製薬が主幹企業であり、その医薬品の工場が主幹産業。
かつての資源衛星B7Rによる重大な気候変動にて廃棄された人類の居住区から、その遺産的なものを移設して作られた中世近世的な街並み。
石畳に整ったその景観の中に、街の随所にホログラムの市民誘導体や看板があるのは面白いところだろう。こんな仕事でなければ、いい観光場所にもなったろうに。
マーシュあたりはこのようなものを好きそうなので、或いはそう提案するのも悪くないな――と思いつつ何故か壮大に想像上の彼女に溜め息をつかれたので――保留し、
(ガーンだな……そうか、口の中は完全にステーキだったんだがな……)
また思索に戻る。
補充兵は同じく【フィッチャーの鳥】の飛行要塞船が向かわされるのか。それともどこかの
その点は、決まっていないらしい。
あの戦争の終期の転換点になった
終戦三年、開戦から五年の後もその辺りの人員の育成は芳しくないようだ。
時間が空けば開くだけ、敵への有利となる。
それが理解できない軍や【フィッチャーの鳥】ではないはずなのだが……。
どうにも例の艦長は今の【フィッチャーの鳥】内部の主流派に属しているらしく、また連盟議会員や官僚とも個人的な繋がりも深い。その関係もあっての政治的な工作らしい。
それを追い落とすつもりなのか。そういう、政治的なバランスゲームの一つなのか。
いい気なものだな、と思う。
一人の少女が親を攫われており、また、多くの兵士が命を懸けているというのに――……いや、だからこそなのか。権力闘争というものは。
(……そこは俺の領域ではない、とはいずれ行かなくなるのだろうか)
どうしても、何故人が権力を持ちたがるのか――というその理由を意識させられてしまう。
何故もこぞって多くの人間がと……それはきっと個人的な金銭欲や名誉欲だけが原因ではないのだ。必要な権力を握ろうとする、ということは。
強い力――排斥の力だ。
それを、担うことができる。
嫌悪というものは個人的なそれもさることながら、排斥に至る情はむしろこのような仕事の場では大抵が大義を確実な裏付けとしたものとなる。
すなわち、こいつがいると自分が死ぬ――或いは味方が死ぬ。機能として不具合が出る。だからどのような手を使っても取り除かなければならないという切実な危機感。
今はその手の感情と業務を切り分ける自分とて、かつて、大学に通う傍らで士官候補生の教育を受けていた中で同期生に対してそう思ったこともある。
父親――この世界の父親からの提案で、直接的に士官学校へ通うことが許されなかったその際の話だ。
その危機感は多分妥当で、兵ならばある種の必然であるものなのだろう。
……だがそれを懐き、そして実行をすることには憚りがある。
如何にそれ自体は無理がない願いだとしても――……もしそこに『自己の個人的な利益』を求める人間が加わったとき、その正義感ないしはそれに基づく連帯感から来る排斥は確実に利用される。
多くが自己や味方のためにやむを得ずと思っていたとしても、その多数の圧力と情念を、都合よく利用したい者にとっては珠玉だろう。
少し正義感を突いてやれば、自分のごく個人的な利益や嫌悪感の敵となっているものを追い落とせるのだ。
故に、己は、ハンス・グリム・グッドフェローは正義の味方ではないと言い聞かせている。
正義を語ったその時点で、それは、負になる。
あくまでも本分を果たすだけだ。連盟の平和と独立を守り、その理念たる自由を尊び、如何なる際もそれを胸に市民の公共の安全と連盟国家の自立を守るべき兵。
かつて、四年間の教育訓練を終えて任官した際に語った言葉から逸脱はしない。……無論、士官としての自由裁量の範囲でその理念に逆らわぬことを命令或いは実行することはあってもだ。
(……彼らも大半が死んだか)
連盟軍の士官となる方法は五種類。
まずは正規兵となった後に、一番下の兵士から順調に昇進を重ねて下士官になり、そこから士官候補生試験を受けて士官への昇進をする方法。
次に高等教育終了後に、各種の士官学校に入学し四年間の教育を終えて士官として任用される方法。
他に、一般の大学を卒業または卒業見込みのうちに促成的な半年間の士官候補生の教育を受けて任官する方法――促成予備士官候補育成過程。
それから、所定の大学に四年間通う傍らでその専門的な単位を取得しながら、併せて構内に併設された訓練機関により四年間の士官としての教育を行われた後に任官する方法――予備役士官訓練過程。
他に極めて専門的な技能を有し、当人にその意志がある社会人への半年間の研修と共に行われて、かつ、それが最低限士官階級が求められる職種であった場合のもの。
自分が任官したのは、四番目のそれだ。
その後に飛行士としての訓練学校に配備される中での戦争であり、そして兵種転換によるアーセナル・コマンドの操縦者――
初めから、この世界には戦いが起きると知っていた。
であるが故に士官学校へと入校しようとしたのだが、空軍兵である父がそれを許さなかった。
必ず、軍人としての道以外も。
もし将来に軍人が不要とされたときも、或いは続けられなくなったときも生きるための術を。
そんな理念からだった。
彼は立派な人間だったと、そう思う。
あの【
家庭人として、父として、軍人として、彼は立派な男だった。自分とて任官や訓練の際にグッドフェロー・ジュニアなどと呼ばれたくらいであったのだから。
遺伝的なつながりはあるが、真の意味では親子とは言えない関係。
それでも自分は彼に敬愛を持って接していたつもりだったが、果たして伝わっていただろうか。そうであったなら嬉しいのだが……。
いや、感傷だ。自分には不要なものだ。
(だからこそ、真の意味でシンデレラの力になれるとは言い難いな。……何とも不甲斐ないことだ)
彼女のように複雑なコンプレックスを抱えた父との関係には、納得はできても真の意味で理解はできない。
それ故に気が行き届かずに彼女を怒らせてしまうことも多いのだろう。そこは、悩みだった。
もので機嫌をとってしまうような形になるが――何か土産でも買っていくべきだろうか。
そう考えているその時だった。
喧騒とも言えぬ、子供たちの声。
どうも見るに、亀のように丸まった薄汚れた少女を囲んでいるらしい。
「止せ」
断じて見過ごせたものではない。
勿論、無手だ。
流石に必要性がなければ、銃を抜くこともない。少年兵相手でもなければ撃つこともなく、また、仮に後から銃を抜いても十分に殺傷は可能でその経験もある――……ああ、なおさらこんな場には必要性がない。あってはならない。
ましてや軍人が市民の命を奪わんべく銃を向けるなど――その任命の職責からしてもあり得ない。
どうも彼らに話を聞いてみれば
「こいつの親、
それが、理由のようだった。
大戦で地上に残された彼らを受け入れたのも、このような
……だとしても。
未だ、都市部の市民の中に
宣戦布告すらなく、同胞たちを吹き飛ばした卑怯者――。
数少ない人々の居住区をクレーターに変え、奴隷化を試み、生き血を啜った野蛮者――。
おとなしく地上と貿易をしていればよかったのに、気が狂った殺人者――。
己たちの地上の仲間すらをも見捨て、再び地を穿たんとした卑劣漢――。
そんな侮蔑と怨恨に基づく扱いを受けていた。
酷ければリンチも当たり前で、軽くとも職務上で差別的な扱いや区分を。最悪の事例としては
……自分は、彼ら帰化人たちが通う高校への市民の暴動へ、その人道的な警護として赴いたこともあった。
また同じく……戦争では任務として彼らを殺害し、或いは戦後にその残党が起こした
どちらも見た。どちらの言い分も聞いた。
ただ、言えることとしては、
「この娘が殺した訳ではあるまい。……それに、君やその肉親が殺されたというのか?」
「それは……」
少女を庇うように背にし、少年たちへと厳然と会話を続ける。
「仮にそのどちらかに当て嵌まったとしても、俺は間違いなく諸君らを止めると宣言しておく。法の沙汰を待て。私刑を行うな」
「はあ!? なんで……!」
「ここは――
社会契約論――何の保障もされずとも生まれながらにそれを有するという、自然法として人の生存権や人権を認めながらも、それらが国家の法に縛られる根拠。
「連盟国家や都市国家のそのインフラなどにより、我々は、本来的な個々の野生の生命単体では極めて困難である筈の生存活動というものを可能としている。これはその、いわば契約の不履行だ」
「な、何難しいことを言ってるんだよ! 騙そうったってそうはいかねえからな!」
だろうな、とは思った。子供にする話ではない。
単に、ハンス・グリム・グッドフェローが持つ国家や社会、契約に対する所感でしかない。
要するに、
「……暴力は良くない。そんな心の、付属品だ」
「うるせえ! 腰抜け軍人! 行こうぜ、つまんねーよ!」
子供たちはそう声を上げた。不快だと。水を挿されたと。
……自分とて、そんな差別的な感情の存在は理解している。
だが、それとこれとは関係がない。
契約論などという社会的な規範、理性の話とは別の次元で――……ただ本当に、暴力は良くないと思っている。
暴力はあまりにも容易い。
だからこそ、人の命が、想いが、その尊厳が容易く奪われていいはずなどないのだ。何の必然性があったとしても。
「大丈夫か?」
少女へと手を伸ばしながら、思う。
或いは軍人などをしている自分がそう願うことが――……それ自体が救えぬ矛盾であり、己の罪深さなのだろうと。
煮え切らない
マーシュから、一度そう言われた。どうにもならないことから目を逸らさずにずっと見つめ続け、考え続けている愚か者。
そして己のそんな感情と思索すらも、理性の元で切り分けられてしまう貧者――……彼女の言葉には、或いはそんな思いも込められていたのかもしれない。
そして、
「人殺し……! 切り裂き魔……! 死神……!」
自分の顔を見た少女は、手を取ろうとしたそこから――改めて目を見開いて、そう拒絶を叫んで足早に路地裏に去っていった。
「だっせえ、お礼も言われてねーじゃん」
「そうだな。ただ、それとこれとは関係ない。誰かに礼を言われることと、俺の行動原理には本来関わりがないことだ。……判断の指標にはなるが」
「また訳わかんないこと言ってるぜ! きっとコイツ偽モンだよ! こんな奴、軍人の訳ないぜ!」
そうして少年たちも駆け出していき、自分一人が取り残される。
……まあ、問題はない。
英雄になり損ねた、為すべきも為せなかったたかが人殺しには似合いの顛末だろうか。
……首を振る。
そんな風な自己認識は、あの、マーガレット・ワイズマンと彼女が自分に向けた言葉に唾を吐くことになる。
それでもまた、自分は歩き出した。
◇ ◆ ◇
差し入れを手に、シミュレータールームに足を運ぶ。
聞いてはいた。
彼はこの唐突な休息となったその時も、一度も船の外に足を伸ばしていないのだと。
多分プリンには付き合ってくれたし甘い物も好きだろう――と、サークリングもちゃもちゃ(注:小麦粉を円形に形成して中にものを詰めて焼いた菓子。何を詰めるか、何と呼ぶかには政治的な係争を伴う)が二十個詰まった大きな紙袋を手にしている。
これなら彼が五個食べるとしても自分はまぁ、それなりに食べれる。
「アイアンリング特務中尉、熱心だな」
「あ、大尉!」
「いい、座ったままで。貴官とて疲れているだろう。……邪魔するつもりはない。労いに来ただけだ」
紙袋を見た彼は目を輝かせ、開けるなり停止した。
それから袋の口をそっと閉じ――努めて何もなかったかのように、改めてこちらに目を向けた。
「あの……オレに、なにか……?」
どこか、憔悴が見られる。
食べるものも食べずに三日間連続して長時間のシミュレーターを行ったと聞けば、無理もない。
仮想的な訓練とはいえ
部下がそれほどまでに己を追い込んでいるなど、見過ごせることではない。
ましてや、
「ヘイゼルから聞いた。貴官の奮戦を。……よく考えて、よく実行した。よく耐えたな、ヘンリー・アイアンリング特務中尉」
少なくとも――そんな顔をしなければならないなど、そんな理由はないのだ。
「あの通信には勇気付けられた。貴官には、大いに助けられた。シンデレラを助けたのも、君であると言えるだろう。君は――大した男だ、ヘンリー。君の上官になれたことを、俺は心から誇りに思う」
「……っ、」
「君は最高の兵士だ。俺がこれまで見た中でも実に得難い――……ヘンリー? どうした?」
見れば彼は金髪の三つ編みを揺らして俯き、そして、絞り出すように言った。
「オレの、せいで……っ、もしかしたら大尉に、余計なっ……余計なっ……! オレ、余計なことをって……! それなのに、大尉に……あの戦いの英雄にっ、オレっ、こんな……っ! こんなことを言って貰えるなんて、オレは……っ!」
「気にするな。君は立派に務めを果たした。俺が叱責を受けたのは、ただ俺の行動が理由だ」
「でもっ、オレ……っ、オレはっ……」
どうやら彼は――こちらが幾度と上官から呼び出しを受けているのを見て、例の六番艦撃墜についての叱責をされていると受け取ってしまったらしい。
それは、こちらのミスだ。
あまり顔を合わせている余裕がなく、心配は必要ないという旨を伝えはしたものの――初撃墜を終えた彼と十分な話し合いをすることができなかった。
それがここまで、彼を追い詰める原因となってしまったのだろう。
……仮に自分が叱責や訓告懲戒を受けるとしても、それを部下の責任になどするものか。
ハンス・グリム・グッドフェローは、ハンス・グリム・グッドフェローのその行動において全て己が実行者である。
今回は誤解と言うのもあり――……そして仮にヘンリーが理由だとしても、部下の成長のための場にもなったのだ。そのことを厭う上司などおるまい。
「ヘンリー。俺は喜んでいるだけだ。貴官は強くなった。誰よりも努力を欠かさずに、その花を咲かせた。……それを喜ばない上官がいるだろうか?」
「大尉……っ」
「心の底から、貴官のことが誇らしい。君は、俺にとっても誇りなんだ。……泣き止んでくれ、ヘンリー・アイアンリング。俺の誇りが、そんな泣き顔をするものではないぞ?」
言ったら、彼はもっと嗚咽を漏らしてしまった。
どうやら完全にとどめになってしまったらしい。
そのまま、啜り泣くヘンリーに胸を貸す。そういえば死人以外にこうすることは久しいなあ――と思っているときだった。
「……仲良さそうですね、二人とも」
シミュレーター室に入室したシンデレラが、そんな半眼を向ける。
「うるせえ、茶化すなよシンデレラ! 見るなっ、クソっ、見るんじゃねえっ!」
「へえ? 泣いてるヘンリー中尉も可愛いと思いますよ? 泣いてるヘンリー中尉は、かな?」
「うるせえっ! うるせえっ! それと俺は特務中尉だ! うるせえっ!」
賑やかに語り合う部下二人を眺めて、こちらも目を細める。
……やはり、自分は好きだ。
人の輪が。生きようとしている人たちの、その輪が。
世にどんなことがあろうとも、こうして織りなされる営みに貴賤はない。何とも奇跡的で――……本当に、ただ、美しいものだ。
どうか彼らの健やかなその笑顔が、非日常ながらも日常であるそれが崩されないように――そう願ってやまなかった。
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