36.更なる来客

 翌朝、私は眠い目をこすりながらリビングへと向かう。


「おはようございます。アルベルト」

「おはよう」


 アルベルトも先程起きてきたようで、まだ眠そうな顔をしている。

 私がアルベルトの横に座ると、メイドが朝食の準備を始めようとした。

 その時だった。


「お食事中、失礼致します。アルベルト様。御来客でございます」

「来客? また、シュヴェールト商会の者かい?」


 アルベルトがコーヒーを啜りながらそう尋ねると、メイドは首を横に振る。


「いえ、違います。アンリ・ルーベンス侯爵様がお越しです」


 それを聞いたアルベルトが驚きのあまりコーヒーを吹き出しそうになる。


「な、なんだって! アンリが!? 聞いてないぞ!」

「はい。ですが、ルーベンス侯爵様も突然のご訪問について、失礼は承知の上で、どうしてもお会いしたいとのことでした」

「そ、そうか。では、ひとまず客間に通しておいてくれ」

「かしこまりました」


 そう言うとメイドは軽く頭を下げ、玄関へと向かって行った。


「アンリ様がどうして……」


 言い知れぬ不安が二人の間をよぎる。

 だが、会ってみないことには何も分からない。


「とにかく話をしてこよう。君はここで待っていてくれ。教区の治療院で会った時のように、心無い言葉を掛けられるかもしれない」

「いえ、大丈夫です。私もなぜ彼がアルベルトに会いに来たのか、治療の様子がどうなっているか、色々と知っておきたいことがありますから」


 今さらそんな罵詈雑言を投げつけられたところで痛くもかゆくもない。

 それよりも真実を知りたいという私の意思は固かった。

 それをもう十分理解しているアルベルトはそれ以上、何も言わなかった。

 私たちはソファから腰を上げ、アンリさんの待つ客間へと向かう。


「やぁ。アンリ。急にどうしたんだ?」


 客間の扉を開けると、昨日ネイサンが座っていたソファにアンリさんが厳しい顔で座っている。


「非礼は詫びます。ですが、私も忙しい身ですので、急ぎアルベルト様と話がさせて頂きたいと……。おや、そちらのエセ治療師も一緒ですか。……まぁ、いいです。そっちの方が好都合です」


 エセ治療師とはご挨拶だ。

 と、思いながらアンリさんへ視線を向けた時、その横に座るずんぐりむっくりな男が目に飛び込む。

 その男はこちらを見ようともせず、うつむいたままだったので顔は良く見えなかった。

 だが、どことなく暗い雰囲気の人だということだけは分かった。


「そちらは?」


 私たちが向かいのソファに座ると、アルベルトがその暗い男に目を止める。


「ああ。こっちはクレイグです。治療院での先輩です」

「……初めまして。クレイグ・ディクソンと申します」


 彼がレオさんの言っていた、豪商で成金貴族の治療師、クレイグ・ディクソンか。

 商人の血を引いている割にはネイサンと違い、消極的だ。

 だから、家は継がず、治療師になったのかもしれない。

 兄弟がいればそれも可能だろう。

 そして、その縁故によってニンドウで儲けている訳か。


「今日はさすがの私たちも午前だけ休暇をもらっていたので、こうしてお邪魔させて頂きました。そして、話とは他でもない私たちの治療院のことですので、彼も同席させて頂きました。そちらもしれっと座っているのですから、構いませんね?」


 そう言って、アンリさんは私をにらむように横目で見やる。


「もちろんだ。それで? 改まって話とは何だい?」


 すると、アンリさんがずいと前へ乗り出し、アルベルトにこう問いただしたではないか。


「私の患者、ジェニー・アニストン氏の屋敷に訪問し、あれこれ質問したそうですね? 一体、何を詮索しているのですか? アルベルト様」


 私は思わず目を見開く。

 そして、必死で顔に出ないよう平静を装う。

 だって、昨日の今日だ。

 いくらなんでも早過ぎる。

 あの後、私たちがジェニーさんの屋敷を出るとすぐ、それを知らせにジェニーさんは治療院へ行ったのか。

 どうしてそんなことを。

 まるで告げ口でもするかのように……。


「詮索などと人聞きの悪い。ただ、君の作った薬が良く効くと評判だから、知人に感想を聞きに行っただけだ。単なる興味本位だよ」

「興味本位ですか……。まぁ、いいでしょう。ですが、これは彼女が、私の治療より効果的なディスガッツ病の治療法を見つけられるかどうかによって、彼女の治療師としての力を確かめるものだと言っていましたよね? それなのに、アルベルト様が手を貸してもよろしいのですか? それでは万が一、治療法が見つかったとて、本当に治療師としての実力があるかどうか疑わしいものになります」

「おいおい、少々飛躍しすぎじゃあないか? アンリ。治療師でもない私がそんな病気や薬の詳しいことまで分かるはずがないだろう。それはジェニーさんも一緒だ。ましてや、ジェニーさんはディスガッツ病ではない。ただ気になったから世間話をしに行っただけさ。アンリこそ、何をそんな神経質になっているというんだ?」

「別に神経質になどなっていません。ただ、コソコソと嗅ぎ回られているようであまり気分のいいものではありませんでしたので、こうしてハッキリと抗議させて頂いただけです」


 それだけの理由で、わざわざ連絡もなしに突然やって来るだろうか。

 それはアルベルトも同感だったようだ。


「嗅ぎ回ると言われてもね。治療院は連日満員で治療薬の実物も手に入らないのだから、周りから話を聞く他ないだろう。それとも、調べられて不都合なことでもあるのかい?」

「滅多なことを言わないでください。いくらアルベルト様でも怒りますよ。実際、協会本部には治療薬をいくつか送って、効果の信頼性について承認をもらっているところです」


 え? そうなの?

 初耳だ。

 協会からは何の情報も出ていなければ、他の治療院にも広めるようなことはしていない。

 それこそエドガーさんからは何も聞いていない。

 と言うことは、何らかの理由でその情報が上層部で止まっているのだろう。


「だったら、私たちにもその治療薬を分けてくれないか? そうすれば君を不快にさせるような調査は必要なくなるのだけどね」


 だが、アンリさんは激情に駆られるままテーブルをドンと叩く。


「なぜ敵に塩を送るような真似をしなければならないのですか。だったら、その治療薬で一人でも多くの病人を救う方が大切です。それに、私の治療薬をそっくりそのまま利用されて、同程度の治療薬を見つけたから私と同等の力があると吹聴されてはたまったものではありません。ですので、断固として拒否します!」

「それだけ自信があるのなら、私たちが少し調べるくらい大目に見て欲しいものだ。それに、純粋に君の治療薬の優れた効果は誰だって気になるところだろう。特に彼女は治療師なんだ。力を合わせれば、もっと多くの病気を治せる治療薬だって作れるかもしれない」


 すると、フンと大きく鼻で笑うアンリさん。

 隣のクレイグさんも彼に合わせてほくそ笑んでいる気がした。


「そんなことは万が一にだってあり得ませんよ。アルベルト様。治療の経験もない、お飾りだけの資格を持った者に、私たちの作り上げた治療薬を改良する力なんてありません」

「私たち?」

「ええ。もちろん。クレイグのこれまでの治療師としての見識と、私の粉骨砕身の患者の診察により、二人で成し得た偉業です」


 自らそこまで言い切るとは。

 それにしても、治療薬の作成にクレイグさんも一枚噛んでいたのか。

 材料の調達だけではなかったのか。

 でも、今まで帝都にいた時はクレイグさんの名前は耳に入ってこなかった。

 優秀な治療師であれば、所属に関係なく名は知られると思うが。

 一人で黙々と研究するタイプだったのか。

 そこへ、求心力のあるアンリさんとの相乗効果により新たな治療薬が生み出されたという流れだろうか。

 私がそんなことを考えていると、アルベルトがジェニーさんと話していた時にも気にしていたことを尋ねる。


「ジェニーさんからも聞いたんだが、アンリが直接じっくり診察をするんだね」

「はい。そうでなければ、正しい治療なんて出来ません。それに、兄のように病気で苦しむ人を救うには、様々な経験や知識を得る必要がありますから」

「……兄上か。もう、八年になるか」

「ええ。葬儀の際は色々とお世話になりました」


 それから少しの間、二人に沈黙が流れた。

 兄の病気。そして、葬儀。

 つまり、アンリさんのお兄さんは八年前に何かの病気で亡くなったのか。


「……いくら私に魔法の、しかも治癒の魔法の才があったところで、資質だけではどうしようもないということです。兄は救えなかったが、せめて兄と同じ病で苦しむ者を救いたい、いやそうすることが魔法の才を授かった私への神の啓示だと、その一心で聖職者を継がず、この道を進んだのです。だから、このような者を見ると虫唾が走るのです!」


 そう言ってアンリさんは私を一瞥するのだった。

 治療師としての経験もロクに積んでいない、治癒魔法の才能があっただけでたまたま治療師になれたポッと出の私が、治療法の見つかっていないディスガッツ病を治すと言い出したかと思ったら、これまでの努力の結晶である治療薬を寄越せと言ってきた。

 アンリさんから見ればそういうことなのだろう。

 そう見られても仕方ないのかもしれない。

 だとしても、私はもう黙っていられる程、人間ができていないのだ。


「言いたいことはそれだけですか?」


 今まで聞かせたこともないくらい低い声に、アルベルトがギョッとして私へ振り向く。

 アンリさんも一瞬、目を丸くしたが、すぐに私をキッと睨みつける。

 まるで子犬だ。


「おい、口のきき方に注意しろと行ったはずだぞ平民。護衛が聞けば、痛い目を見ることになるぞ」

「ですが、残念ながらここにいるのは私たちだけです。だから折角の機会なので言っておきます。貴方に嫌われようと敵視されようと、そんなことはどうだっていいです。私はディスガッツ病の治療法を見つけます。どんな方法を使っても。たとえ、貴方の治療院の周りをネズミのようにコソコソ探ろうとも、貴方の作った治療薬を転用しようとも、ディスガッツ病が根本的に治癒出来るのなら貴方の指図なんか受けず、何だってやります。私は、貴方と同じ、治療師ですから!」 


 アンリさんが奥歯をギリリと鳴らす。

 クレイグさんは爪をガリガリと噛んでいた。


「……いいだろう、平民。……いや、クレア・エステル。お前を一、治療師としてその挑発に乗ってやろう。だが、治療法が見つからなかったその時には、治療師資格の剥奪はもちろんのこと、運が良ければ奴隷として売られるか、さもなくば偽りの罪で火あぶりになると心しておくんだな」


 そう言い捨てるとアンリさんは勢い良く立ち上がり、そのまま部屋から出て行ってしまった。

 その後を急いで追うようにクレイグさんも私たちの前から去って行った。

 やがて静寂が訪れると、それをアルベルトが破る。


「……すまない。アンリも根は悪い人間ではないのだが、頑固で思い込みが激しいのが玉にキズでね」

「いえ、アルベルトが謝ることはありません。それに、その真っ直ぐな信念があったからこそ、これまで努力されてきた治療師だということは分かりましたから」


 治癒魔法の資質があるからと言って、全員が全員、人々を救うために治療師になったなんてことはあり得ない。

 中には資質もないのに、貴族の特権を利用し、治療師資格を持つ者もいるという噂だ。

 エドガーさんではないが、協会内部は金と権力で腐りかけていると言っても、あながち間違いではない。

 そんな中で、あんなに純粋に治療師として人々に向き合っている人は珍しい。

 だからこそ、私も熱くなってしまったのだ。


「私こそすみませんでした。つい我慢出来ずにあんなこと言ってしまって」

「いや、クレア君は当然のことを言ったまでだよ。それにアンリにとっては良い薬さ」

「良い薬、ですか?」

「ああ。身分が高いと人から欠点を指摘されることも少ないからね。兄上を救えなかった当時の自分に対する悔しさを、君に重ねて見ていたようだった。それを君に真っ向から否定されたんだ。これでアンリのクレア君に対する誤解が解けると良いんだが……」


 私には火に油を注いだようにしか見えなかったが、アルベルトがそう言うのだから、そんな効果もあったのだろう。

 だけど、言って分かるような人ならば、こんなことにはなっていないはずだ。

 だったら私がディスガッツ病の治療法を見つけ、アンリさんの治療薬より効果があることを証明することが、何より一番の薬だ。

 このままでは特区だけでなく、帝都全域にディスガッツ病の感染が拡大する恐れがある。

 そのためにも、蔑まれようが脅されようが、私は治療法を探し続けるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る