35.真夜中の商談
それは突然の出来事だった。
私たちがアニストン家からアルベルトの別邸に帰ってきたその日の真夜中。
スヤスヤと爆睡する私を、一人のメイドが起こしに来たのだ。
「……ア様。クレア様」
「……ふぁい。は、へ? ど、どうしたのですか?」
そのメイドはかなり動揺した様子だった。
「……あ、あの、クレア様にお客様がお見えでして」
「私に? お客? こんな夜更けに?」
「アルベルト様も既にお待ちですので、お早くお出でくださいませ」
そう言い残すと、メイドは逃げるように部屋を出て行ってしまった。
これは確実に悪い報せだろう。
私はベッドから下りると、身支度を整える。
私に用があるのだから、メイドの変装は不要だろう。
いつもの服に着替えると私は部屋を出た。
リビングに入ると、アルベルトが腕組みしながら立っている。
そして、何とアルベルトは帯刀しているではないか。
私は驚き、とっさに声を掛ける。
「アルベルト! どうして剣なんて……」
「ああ、クレア君。どうか落ち着いて聞いて欲しい……。と言っても、まだ私も訳が分からず混乱しているのだが……」
そう言い淀んでいたアルベルトだったが、覚悟を決めたようにこう告げる。
「シュヴェールト商会の者が来た」
シュヴェールト……商会?
聞き覚えのない名前だった。
私が小首を傾げていたら、アルベルトが再び、落ち着いて聞いて欲しい、と前置きした上で続けた。
「ノルンの赤眼を売りさばいていた組織だよ」
「え、ええーー!!」
実は、まだ夢の中ではないかと思うくらい、荒唐無稽な出来事に困惑を隠せなかった。
私を探しているという噂の裏組織。
シュヴェールト商会というのか。
それが突然、私の前に、というか侯爵家のアルベルトの別邸に押しかけるだなんて。
どうかしてる。
まともな神経の持ち主ではない。
こんな真正面から訪問してくるとは。
「……私を殺しに来た、訳ではなさそうですね」
シュヴェールト商会の正体を聞いた時は驚きで、一瞬パニック状態になってしまったが、冷静に考えてみると、こうしてご丁寧にメイドに取次までしてもらって私を襲いに来るなんておかしすぎる。
それに、アルベルトの話では、商売を潰された腹いせに殺しをするなんて割に合わないことを普通だったらするはずがないという。
だったら、一体何が目的なのだろうか。
「ここまで馬鹿正直に正面切って襲ってくれるなら、私も心置きなく、容赦なく、対処出来るのだが。しかし、どうやら違うようだ。クレア君にぜひ会って話がしたいというのだ。その申し出を君が断れば、私は彼を力ずくでも、望むならそれなりの制裁を加えて追い出すことも容易だし、こんな夜分に怪しい商会の者が押し掛けたとなればそれは当然の権利だ。だが、それは向こうも承知しているはずだ。その覚悟を持った上で、君に会いに来ている。……判断は君に任せるよ、クレア君。どのような選択でも私は最優先で君を守る」
そう言って、アルベルトは腰の剣の柄に手を置くのだった。
私はアルベルトの顔を見つめる。
もう、答えは決まっていた。
「……会います。シュヴェールト商会に」
それを聞いたアルベルトも答えを知っていたかのように、フッと口角を上げる。
「では、行こうか。客間に通してある。万が一のこともあるから、くれぐれも気は抜かないように」
「分かりました」
私は力強く頷くと、リビングを出て、玄関ホールを抜け、奥の部屋までやって来た。
ここに、ノルンの赤眼で商売をしていた者がいる。
私はグッと気合を込め、ドアノブに手を掛ける。
「失礼します!」
ドアを開けたその先には、全身灰色のベストに長ズボン、灰色の帽子を手にした男がソファに深々と座っていた。
そして私の方を見ると、おもむろに立ち上がり、右手を腹の辺りに添え、片足を引いてお辞儀をした。
「これはこれは。お初にお目に掛かります。シュヴェールト商会代表、ネイサン・ブラウシュヴェールトと申します。以後、お見知りおきを」
アルベルトもネイサンと同様にお辞儀をしているのを横目に見た私は、ハッとしながら急いで片膝を曲げてお辞儀をし返した。
「クレア・エステルと申します」
いやに腰の低い人だと思って驚いた。
裏組織の人間というから、どんな悪人面かと想像していたが、どこにでもいるような平凡であまり目立たない印象だった。
だが、どうやらそれはまんまと彼の術中にはまっていたようだ。
良く見ると、その灰色で一見目立たない服装は、上等な生地による洗練された仕立てだということが分かる。
つまり、商売相手を引き立てるため、あえて地味なデザインを選びながらも、信用を得るためにハイクラスな物を身に着けるというテクニックの一つなのだろう。
初見の腰の低さも相手を油断させるために違いない。
この男、裏組織の代表を名乗るだけあってただ者ではない。
だけど、私だってこの権威主義、男性至上主義の帝国で生き抜いてきたのだ。
それくらいのことは貴族社会の処世術として心得ている。
「ネイサン・ブラウシュヴェールト様。それで、私に御用というのは?」
「ネイサンで結構ですよ。クレア嬢」
そう言うと、ネイサンは部屋へ誘うように腕を広げる。
私は促されるまま向かいのソファに座る。
しかし、アルベルトはソファには座らず、その横に立っていた。
何かあった際に、いつでも動けるようにしてくれているのだろう。
「いやはや、貴女とぜひ話がしたいと思っていましたが、お近付きになろうにも、そちらのクローディス侯爵様が常にお側にいらっしゃいますし、私の仕事柄、誰の目があるとも知れない日中の屋外で、貴女に話し掛ける訳にもいかず。苦労して考えあぐねた結果、ついに別邸にお泊りになられたのを知った私は意を決して、人目の付かない深夜に不躾ながらこうしてお邪魔させて頂いた次第でございます」
さすが商人。
立て板に水とはまさにこのことだろう。
私は警戒を緩めることなく、問いただす。
「私に用があるのなら、宿に一人でいる時に訪ねて来ればよろしかったのでは?」
「そんなことをすれば恐怖と混乱で落ち着いて話も出来なかったでしょう。なれば今が絶好の機会と判断した訳です」
それもそうか。
一人を狙って来ていたら、確実に殺害しに現れたと勘違いしていただろう。
だとすれば……。
「私に危害を加えようという訳ではないことは一応理解しました。ですが、目的は何でしょうか?」
「危害を加えようだなんて滅相もない。最前から申し上げている通り、私はただ貴女と話がしたいだけですよ」
そう言ってネイサンは貼り付いたような笑顔を浮かべる。
「ですから、その話とは何ですか?」
「……あぁ。いやいや、失敬。当たり前過ぎて失念していました。貴女は治療師でしたね。我々、商人にとって話とは、商談以外の何物でもありません」
「商談……ですか?」
よくもまぁ私にそんなことが言えたものだ。
ノルンの誇りを金儲けの道具として成金貴族に売りさばいていたというのに。
私は怒りを表には出さず、冷ややかに言い捨てる。
「私もノルンも、これ以上、貴方たちに魂を売るつもりは毛頭ございません」
すると、ネイサンが分かっていたと言わんばかりに大きく二、三度頷く。
「貴女のお気持ちは良く分かります。私もハウザー氏とのお取引は相当勇気がいる決断でした。しかし、それはハウザー氏もノルンの長、ゼニス・ガル氏も、祖国のため、ミッドランド帝国の貴族と密な繋がりを持ちたいというお考えあってのこと。そのお覚悟に感化され、少々奇抜な趣味の貴族を顧客に持つ我々、シュヴェールト商会が謹んでお引き受けさせて頂いたのです。つまり、お互いの需要に対し、我々がその仲を取り持たせて頂いたに過ぎません。当然、我々も慈善事業ではありませんから、相応の対価は頂戴致します。ですが、あくまでそれはご依頼主様のお望みを叶えることに尽力したことに対する報酬だということです。その手段がたまたま他のご関係者様の心を深く傷つけるようなものだったことは言い訳するつもりはありませんが、その手段自体によって利益を得ようとした訳ではなく、我々はご依頼主様の幸福を願い、信念を貫いた結果、商会としてまた一つ繁栄することが出来たということなのです」
いけしゃあしゃあと長ったらしく喋り倒して。
要は、ノルンの赤眼を取引することについて非難されることは覚悟の上で、それでも自分たちしか出来ない商売だから引き受けただけ、ということか。
確かに、元々話を持ち掛けたのはゼニスさんとガスパルさんであって、シュヴェールト商会はそれを右から左へ流しただけと言えば、その通りだ。
私は少しだけ間を置くと、ネイサンにこう尋ねる。
「それで、商談とはどういった内容ですか?
あいにく、あなたの求めるようなものを私が提供出来るとは思えませんが」
「いえいえ、そんなことはありません。今に貴女もノルンの意思決定に一役買うようになる、とハウザー氏がノルンを離れる前に私に言い残してくれました。そして、以前の商売はそう長く続くものではなく、いつか露見し、なくなることも常々仰っていました」
ガスパルさんも薄々分かっていたのか。
だから、この男、ネイサンも私が商売を潰したところで恨むような真似をすることはなかった。
全て予定調和ということか。
そうすると、これで私を狙う者の候補から裏組織、シュヴェールト商会は完全に外れたことになる。
「それと、ハウザー氏はこうも仰っていました。次の商売の種は既に撒いた、後はクレア・エステルと交渉しろ。彼女は少し頑固なところはあるが本質を見抜く目を持っている。互いの利になることが分かれば交渉は成立するだろう、とね」
ガスパルさん。
短い間ではあったが、良く分かってらっしゃる。
正直、その商談とやらに少し興味が湧いてきたところだった。
だが、この男にはそんな態度はおくびにも出さず、素っ気なく言う。
「とにかく、先を続けてください」
「ええ。そうですね。では、本題に入りましょう。貴女はこの葉っぱが何か知っていますか?」
そうして、ネイサンが懐から小さな布の袋を取り出し、口を開けて中の物を手の平にパラパラと落とす。
それは、茶色く乾燥した植物の葉だった。
「……少しよろしいですか?」
ネイサンが頷き、手を差し出す。
私はその乾燥した葉を指でつまむと、目の前で角度を変えながらじっくりと見る。
独特なツンとした香りが鼻孔に届く。
「……今まで色々な植物を見てきましたが、これは初めて見ました」
「そうでしょう、そうでしょう。失敬、失敬。少しイジワルをしてしまいました。優秀な治療師である貴女ですら、見たこともないのは当然です。実は、これはつい最近、新大陸で発見された新種の植物なのです」
「新種の植物ですか……」
「ええ。まぁ、現地では古くから使用されてきた薬草のようなものです」
「薬草? どのような効能があるのですか?」
「それが実に面白いのですが、そのまま口にしては効果が強すぎるため、体に異変が出て危険なのですが、これを燻してその煙を吸うと、大変に心が落ち着き、疲れが取れるというもののようで、現地人は日常的に愛用しているというのです。私も最初に聞いた時はホラ話かと思いましたが、こうして実際に使ってみると、不思議と安らぎましてね」
そう言うと、ネイサンはまた懐から細長い布の袋を取り出した。
その中には木製の細い筒が入っていた。
その筒は先の方が直角に折れており、口が広く開いていた。
ネイサンはその広く開いた筒の口に、先程の乾燥した葉を詰め出した。
「ちょっと失敬」
そう言って、テーブルに置かれた燭台のロウソクの火を乾燥した葉に近付けながら、筒の反対側を口にくわえ、スパスパと空気を何度も吸い出した。
すると、葉に火が移り、ゆらゆらと煙が立ち上る。
それをネイサンが筒から吸い込むと、ぷかぁと口から煙を吐き出したではないか。
「どうです? これが新しく発見された植物、先住民たちがトバコと呼ぶ薬草です」
独特の臭いが鼻につき、むせ返りそうになる。
これが本当に薬草だろうか。
だけど、ネイサンはとてもリラックスしたように煙を吸っては吐き、吐いては吸ってを繰り返していた。
どうやら本人にとっては、心が落ち着き、安らぐというのは嘘ではないらしい。
病気や怪我を直接治す薬草というよりは、ハーブなんかに近いものなのかもしれない。
でも、それが何だと言うのか。
新しく見つかった教区の治療薬とも関係なさそうだし、今の私には必要のないものだ。
「珍しいものをありがとうございます。ですが、治療には使えないと思いますので、結構です」
すると、ネイサンが高らかに笑い出した。
「ハハハハハ! 逆ですよ、逆。私が貴女にこれを売ろうということではありません。貴女が私にこのトバコを売って欲しいのですよ」
新大陸で発見されたという新種の植物を?
私がネイサンに?
「……何を言っているのか分かりませんが?」
「では、ご説明しましょう。ハウザー氏が私に言った言葉。次の商売の種は撒いた。これは、その言葉通りの意味なのですよ。つまり、ハウザー氏はノルンを去る前に、私がとあるルートで手に入れたこの植物の種子を、魔の森ミュルク大森林に撒いたというのですよ」
「何ですって!?」
新種の植物をまさかミュルク大森林で育てていただなんて。
だけど、アルヴィニアで薬草採取していた時に感じたように、あの森だったら育つ可能性は十分にある。
「そして、これが商談の主旨ですが、この植物を貴女はノルンで誰にも知られず育ててください。それを私が買い取り、私の顧客の貴族に売りさばきます。物好きな貴族は大変に多いですから、この嗜好品は間違いなく帝都で爆発的に売れるでしょう。そうなれば、この取引は最早ノルンという国単位での資金源にまで成長します。貴女が少し協力するだけで、貴女の大好きなノルンの輝かしい繁栄が約束されるのです。いかがです? 聡明な貴女にはこれがどれ程の話か理解出来るはずでしょう?」
ドクンと心臓が胸を打つ。
こんなにウマい話があるものだろうか。
まさに煙に巻かれているだけではないか。
しかし、目の前で美味しそうにプカプカと煙を吐き出す男の姿を実際に見て、これが多くの人々に受け入れられている未来を容易に想像することが出来た。
そして、それを真っ先にノルンで栽培することで、しばらくは独占的に流通させることが出来る。
しかもノルンと帝国の交流はほとんどないため、栽培地が露見する可能性は低く、新規参入までに時間が掛かるはずだ。
そうなれば価格は、まるでこの煙のようにどこまでも上がっていくだろう。
それを見越して、この男はノルンという隠れ蓑を使う算段に違いない。
だけど、それだけの価値はある。
ネイサンの言う通り、これはノルンの一大産業になる。
だからこそ、私一人では決められない。
それに気掛かりなこともある。
「……これは人を堕落させ、神の教えに背く悪しき物として罰せられることにはなりませんか?」
回りくどい言い方だが、毒草や毒キノコの類いは、一般の使用や所持が禁止されている。
もしも、この新種の植物、トバコにも致命的な副作用があり、多くの人々に危険が及ぶのならば止めるべきだろう。
だが、ネイサンはけろりとした様子で答える。
「実際、しばらく愛用しているが自我を失ったこともなければ、現地でそのような例もなく、極めて安全な薬草ですよ。私だって危ない橋を渡りたくはない。それに、よっぽどローダナムの方が、私は危険だと思うがね」
ローダナム。
痛みを和らげ、安眠出来る、優れた鎮痛剤として使われている薬だが、一部の貴族が使用した際の陶酔感に快感を覚え、病気でもないのに常習し、遂には自我が崩壊する者も出てきたという。
薬も過ぎれば毒となる。
その典型だ。
それに比べればということか。
「そもそも、そういったことが気になるのであれば、すぐ近くにその権威がおわすではないですか」
そう言ってネイサンが私の横の方へ視線をずらす。
すると、それを受けたアルベルトが抑揚のない声で語る。
「神の教えに背くかどうかはさて置き、教会にとって弊害となるかどうかだが、これまでの様子を見る限り、あまり関係はなさそうだ。心が落ち着くというが、真の安寧は信仰によってのみもたらされる。このような煙に取って代わられることはなく、あくまで嗜好品という立場として広まることは考えられる。そうすると、多くの貴族が肯定的に捉え、教会としても全面的に否定することは難しい、と言うよりするメリットがない。また、もし仮に禁制品となったとしても、それ以前に取引や使用していたからといって罰することは出来ない。そうなったら大人しく手を引けば問題ない」
ネイサンがすっと私に視線を戻し、にんまりと笑いかける。
「……お話は分かりました。ただ、私はノルンの宰相でも何でもないので、持ち帰った後、前向きに検討させて頂きます」
「是非ともそうしてください。ノルンに戻られる際には、私も同行し、現在の長であられるセルジュ・ガル氏にもお目通りの上、ご挨拶させて頂きたく思います」
「いえ、まずはこちらで協議しますので、そのようなお気遣いは結構です」
「まぁ、そう言わず。直接、私からお話させて頂いた方がより詳細に議論を詰められるかと思いますよ」
ネイサンはどうしてもセルジュと直接話がしたいようだ。
私の口利きがあればセルジュも聞く耳を持つだろうという魂胆か。
正直、素直にこの男の言う事を聞くのが嫌だったので、少し渋った様子をしただけだったが、意外にも効果はてきめんだった。
……そうだ。
だったら、何か条件でもふっかけてみるか。
帝国の裏も表も顔が利きそうなシュヴェールト商会だ。
教区の治療薬はレオさんが手に入れてくれるはずだし、せっかくだから彼らにしか出来ないようなことを頼むのがベストかな。
何をしてもらおう……。
裏の組織、シュヴェールト商会……。
裏?
これだ!
「……はぁ。分かりました。……セルジュに話をして、正式な商談の場を設けるように動きます」
「いやぁ! さすが! ありが……」
「ただし!」
ネイサンの歓喜の声を食い気味に遮ると、鳩が豆鉄砲を喰らったような彼に、これまでの借りを返す勢いでまくしたてる。
「一つだけ、お願いしたいことがあります。ご存知かどうか分かりませんが、今、私は謎の人物に命を狙われています。私自身には心当たりが全くないのですが、どうやら私を敵視している者は大勢いるらしく、犯人の見当がさっぱりつきません。このままでは商談どころの話ではなく、無事にノルンに帰れるかどうか。そこで、そういった非合法なことにも精通されたシュヴェールト商会のお力で何とかその暗殺者を捕らえ、依頼主の目的を探ることは出来ませんでしょうか?」
それを聞いたネイサンが初めて感情を表に出したかのように、苛立たしげに口にくわえた筒を歯でカチカチと何度も噛み鳴らしていた。
そして、再び貼り付いたような笑顔を私に向ける。
「ええ。いいでしょう。お安い御用です。これからの商売に比べれば、ね。他にも帝都で困ったことがあれば何でもご相談ください。貴女は我々、シュヴェールト商会の大事なパートナーですから。では、私はこれで失礼させて頂きます。善は急げと言いますから。早速、地下に潜って情報収集致しますので」
そう言って立ち上がったネイサンは、会った時と同じように丁寧なお辞儀をすると、ネズミ色の帽子を目深に被り、颯爽と部屋を出ていくのだった。
「……ふぅ」
私は背もたれに全身をぐったり預ける。
とんでもない疲労感だ。
でも、最初は悪い報せだと思っていたが、フタを開けてみれば一挙両得といった具合だ。
すると、私の横にどっかりと剣を腰から外したアルベルトが座り込む。
「まったく。とんだ杞憂だったな。こんな商談になるなんて……」
「ええ。新種の植物で商売だなんて……。セルジュに話したら何て言うだろう」
「まぁ、その件は私たちではなくセルジュの仕事だからいいとして、私が驚いているのは君がやった交渉の方だよ。まさか彼らが条件をのむとはね」
「いずれ帝国もどこかの領地で栽培を始めるでしょうが、それまではノルンが唯一の生産地ですから、いち商会の利益としては莫大なものになるのではないですか?」
「そうだろうな。だからこそ、彼らは君をパートナーとして認め、君はシュヴェールト商会の協力を得ることに成功した。つまり、君はこの帝都でとんでもなく強力なカードを手に入れたということだ」
強力なカードか。
今日、初めて知ったシュヴェールト商会。
裏の組織だとか聞いていたが、どうして捕まらずに帝都で商売出来ているのかも良く分からなかった。
誰もやらないような商売で相当な利益を得ていることから、他の商人からのやっかみでそのような噂が立っているだけだろうか。
でも、暗殺者を探すため地下に潜ると言っていたから、禁制品の密輸くらいしてそうだ。
実態は未だに謎多き組織だが、帝国で大きな影響力を持っていることは間違いない。
その力を借りることが出来るというのだ。
「この点だけはガスパルさんに感謝ですね。森に種を撒いてくれたおかげです」
「そうだね。本当に何事もなく、暗殺者の件も片付きそうで良かった」
「はい! ……安心したら眠くなってきました」
「ああ、そうだな。私もだ」
そうして私たちは笑い合ったのだった。
独特の香りの漂う、白く靄がかった部屋。
まるで、本当に夢の中にいるみたいな気がした。
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