34.頭痛の種

「こ、これを着るんですか!?」


 明朝、アルベルトの別邸で目を覚ました私の前には黒いロングドレスと白いエプロンが置かれていた。


「アルベルト様からのご伝言です。効果は薄いかもしれないが、襲撃者の目をくらませるための変装だ。クレア様がお気になさっているこの家へのご来訪も、この格好をしていれば不自然ではなくなるのではないか、とのことです」


 そう、メイド服である。

 確かに、メイド服を着た人間が主人とその家に出入りするのは何も珍しいことではない。


「……そうですね。……じゃあ、お借りします」


 本物のメイドさんが部屋を出ると私はノロノロと着替え始めた。

 隣の浴室で顔を洗い、髪を整え、丈夫で上等な黒地のドレスに袖を通す。

 正直、メイド服を着てみたいと思ったことは少なからずあった。

 爵位の高い貴族の使用人の着衣は、規律正しい制服のようであり、シックで気品漂う佇まいからは自らの仕事に対する誇りまで感じられる。

 そして、帝都においては爵位の高い貴族の使用人であればある程、メイド服、執事服で出歩くことが名誉なこととされていた。

 家門によって各々独自のデザインを凝らしているため、どこの使用人か一目で分かるようになっている。

 そのため、街で見掛ける人数が多ければ多い程、その家の力を誇示することに繋がるのだ。

 だから、そんな憧れだけで着て良いものではないということと、普段の自分とは違う自分を見られる恥ずかしさから躊躇う反面、着なければならない合理的な理由があるため仕方なく……と、ウダウダ言っているがやっぱりちょっと着てみたいのだ。

 準備が整った私は部屋の扉を開ける。

 すると、リビングのソファで紅茶を飲むアルベルトと目があった。


「……どう、ですか?」


 私はうつむき加減に消え入りそうな声でそう尋ねる。


「うん、良く似合っているよ!」


 パァーっと満面の笑みで答えるアルベルト。

 私はアルベルトに促されるまま、隣のソファに腰を掛ける。

 すると、メイドさんが私の前に朝食を用意し始めた。

 まずは紅茶にビスケット。

 そして、スモークサーモン、ハム、パテ、スクランブルエッグに新鮮なフルーツの盛り合わせ。

 最後にスープとトースト、ジャム数種。

 朝からこんな豪華な食事をしているなんて、さすがクローディス侯爵家だ。

 そして、その公爵様の隣で使用人の服を着ながら主人と同じ食事をする私の姿は、傍から見たら前代未聞、荒唐無稽過ぎることだっただろう。


「では、昨日言っていた通り、アニストン家へ行こうか」


 アニストン家。

 アルベルトが教区の治療院でばったり会った知り合いの貴族だ。

 そこのジェニー婦人が例の治療薬により頭痛が治ったということで、私たちは手掛かりを求め、話を聞きに行くことにしたのだ。


「ええ。お願いします」

「馬車も用意した。昨日のこともあるし、暗くなる前に帰ろう」


 私はうなずくと、アルベルトと共に家を出て、馬車に乗った。

 馬車に揺られながら、まだ記憶に新しい襲撃の恐怖が脳裏によぎる。


「昨日は本当にありがとうございました。まさか、襲われるなんて夢にも思っていなかったので」

「そうだね。そっちの方も黒幕を突き止めなければ。クレア君に不安で眠れぬ夜を過ごさせることなんて出来ないからね」


 ありがとうございます。

 昨日はふかふかのお布団でぐっすりでした。

 さすが侯爵家様。

 いや、違う違う。


「私がノルンの赤眼を守ったからといって、あそこまでやるなんて……。彼らの執着心を見くびっていました……」

「彼ら?」


 アルベルトともあろう方が気付いていないのだろうか。


「ノルンの赤眼を蒐集していた悪趣味な成金貴族ですよ」


 すると、アルベルトは眉間にしわを寄せながら、衝撃的な言葉を口にした。


「いや、それは考えられない」

「え? どういうことですか?」

「私も初めはそう思ったんだ。クレア君に対する警告なのか嫌がらせなのか。だが、主犯の一人が確かにこう口にしたんだ。『仕損じた』、とね」


 確かに、そんなことを漏らして去っていったような気がする。

 仕損じたとは、つまり殺しそこねたということだろう。


「腹いせに私を殺そうとしたのではないのですか?」


 その発言にアルベルトが大きくかぶりを振る。


「腹いせに? そんなことではリスクに見合わないだろう。相手が貴族だろうが、帝都で殺人が起きれば軍の警備隊が確実に動く。それに君は今、異端審問の重要参考人としてモーリアン教会の庇護下にあることは当然その成金貴族も知るところだ。そんな両組織から追われれば必ず、投獄、処刑されることは目に見えている。だから、腹いせのような理由で君を暗殺までするなんてことは考えにくい」

「でも、私の後釜に自分たちの息の掛かった治療師を配属させて、またノルンの赤眼を手に入れることも出来るのではないですか?」

「そんなことをすれば自分が犯人だと言っているようなものだ。クレア君の存在を疎ましく思いこそすれ、実行に移す真似はしないだろう」


 そんな。

 だったら、一体誰が何の目的で。

 そこまでして私を殺そうだなんて。

 再び底知れぬ恐怖が私を襲う。

 恐怖というものは、その原因が分かればある程度緩和されるものだ。

 だけど、それが未知のものである時、恐怖はその深淵を増していく。


「……不安にさせてすまない。だけど、クレア君は必ず私が守る」

「……はい。ありがとうございます」


 その時、馬車が止まり、アニストン家の前に着いたようだった。

 御者が扉を開けると、アニストン家の執事がアルベルトに深々をお辞儀をしながら出迎えていた。

 彼に連れられ、私たちはアニストン家の邸宅へと入っていく。

 アルベルトの別邸と同じくらいか、少し小さいくらいの邸宅。

 とは言え、アニストン家の爵位は子爵であり、それなりの家柄だ。

 ただ、侯爵家というのがあまりにも別格で、比べる方が酷であったというだけの話だ。

 玄関を入った先には広間があり、そこかしこに色鮮やかな切り花が飾られていた。

 まるで花畑に来たかのような香りのベールをまといながら広間を横切り、客間へと通される。


「ごきげんよう。アルベルト様」


 すると、ソファから立ち上がった美しいブロンドのご婦人が、両手でスカートの裾を持ち上げながら、片足を引き、膝を曲げて挨拶をした。


「ジェニーさんもお元気そうで」

「初めまして。クレア・エステルと申します」


 私も見よう見まねでジェニーさんと同じ仕草で挨拶した。

 すると、ジェニーさんがにこりと品のある笑顔を返す。


「あなたも楽にしていてね」


 そうは言われたものの、そのままお言葉に甘えてアルベルトの隣にドッカリ座ろうものなら、クロ―ディス家の沽券に関わる。

 なにせ今の私はクロ―ディス家のメイドなのだから。

 よって私はアルベルトの座るソファの斜め後ろに立つのだった。


「い、いや、あの。……え?」


 アルベルトが引きつった笑顔で私を見やる。

 だけど、私は毅然とした態度で、さも当然のような顔でそのまま立っていた。

 そうして少しばかり動揺するアルベルトを見ているのが楽しかった。

 ついに、アルベルトが諦めたように短い溜め息を吐く。


「それでは、教区の治療院で処方された治療薬についてお話し頂けますか?」

「ええ。その話でしたわね。私も知人から聞いた時はまさかと思い、半信半疑でしたが、そのまさかでしたわ」

「確か、ひどい頭痛に悩まされていたとか」


 すると、ジェニーさんが目頭をつまみながら首を横に振る。

 大分、芝居がかっているなと思いながらも耳を傾ける。


「そうなんです。数年前から突然現れたのですが、少し気分が悪いなと思った後、目の前がチカチカとして、それからズキズキと心臓の音に合わせて頭が痛むんです」


 典型的な頭痛の症状だ。


「それから色々な治療を試してみたのですが効果がなく、もう諦めていたその時です。私と同じ頭痛で悩む知人が、教区の治療院で治療を受けたところすっかり良くなったと教えてくれたのです。そこで、私は藁にもすがる思いで教区の治療院に行ってみると、ある治療薬を頂きました。それをしばらく飲み続けていると不思議と頭痛が起こることが少なくなり、ついにはほとんど頭痛が起こることはなくなってしまったのです!」


 あれほど眉間にしわを寄せていたのに、今度は晴れ晴れしい笑顔を見せるジェニーさん。


「そうですか。それで、その薬というのはどのようなものですか?」

「とても綺麗な小瓶に入った水薬で、ほんのり甘くて飲みやすいお薬ですよ。さすが、ルーベンス候爵様のお作りになられたお薬です。診察の際も、あのアンリ・ルーベンス様直々に診てくださって、私なんかの話を真剣にじっと聞いてくださるんです。……ああ、思い出すだけで、あの典麗なお顔に素晴らしい人徳。あのお方こそ治療師の鑑ですわ……」


 それを聞いたアルベルトがうーんと唸る。


「アンリが直々に診察ですか……」

「ええ。あのような高貴なお方にお会い出来るならまた病気になってもいいと思うくらいで、これが新しい頭痛の種ですわ。オホホホ」


 ジェニーさんの高らかな笑いを横目に、私たちはこっそり肩をすくませる。


「実際にその薬を見せてもらえませんか?」

「あら! 残念ですわ。もう昨日全て使ってしまいました。でも、本当にあの薬はすごい効き目でしたわ。心まで癒やされるような、今まで感じたことのない、自分の内側から力が湧いてくる気分でした」

「そうですか」


 アルベルトはちらりと私を見やる。

 私はコクリと一つ頷く。


「ありがとうございます。ジェニーさん。参考になりました」

「もうよろしいのですか? 本当に、ルーベンス候爵様が教区の治療院に来てくださって私どもは幸せですわ」


 恍惚とした表情を浮かべるジェニーさんを残し、私たちは挨拶もそこそこにアニストン家を後にするのだった。

 アニストン家の執事に見送られ、馬車に乗り込むと、アルベルトがすかさずツッコミを入れる。


「いや、衣装に忠実過ぎるだろ」

「まぁまぁ。ジェニー婦人に説明するにはややこしい話ですし。おおむね聞きたいことはアルベルト様が聞いてくださいましたから」

「そうかい? それで、どう思う?」

「どうにも掴みどころのない話でしたが、やっぱり私の思っているような治療薬とは違うということが分かりました」

「ほう。と言うと?」

「昨日、酒場で話していたエリクサーのこと覚えていますか? 病気を治療するための薬を研究すればする程、エリクサーのような万病に効く普遍治薬は存在しないことがはっきりしてくるというお話です」

「ああ。でも、アンリの薬によってジェニーさんのように頭痛が治ったり、ディスガッツ病が治ったという者もいる」

「そうです。しかし、頭痛は病気ではありません」


 それを聞いたアルベルトが狐につままれたような顔をする。


「頭痛はあくまで症状であって、どのような原因で生じているかは様々です」

「あ、そうか。風邪で高熱が出ても頭痛はするし、深酒した翌朝も痛む時があるな」

「つまり、私が病気の治療薬と呼んでいるものは、病気の原因となっているものを取り除いたり、治癒したりする性質のものです。ですが、アンリさんの薬はそのような薬とは少し違う性質のもののような気がします」

「なるほど。すると、見方によっては伝説のエリクサーとまではいかないまでも、ほどほどの効果の万能薬が見つかったということだろうか……」

「そうだと良いのですが……」


 私は窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。

 確かに、ジェニーさんはアンリさんの治療薬によって頭痛がすっかりなくなったと言っていた。

 ディスガッツ病も治るという話も広く噂されている。

 これだけの事実が、アルベルトの言う通り、万能薬の存在を裏付けているように見える。

 だけど、こうして目の当たりにした今でも、私はそれを信じることが出来なかった。

 浅いながらもこれまでの経験で培った、治療師としての勘だろうか。

 何としてでもそれを証明しなければ。

 私の処遇というよりも、治療師として、より多くの病気で苦しむ人を救うため。

 アンリさんの薬の秘密を明らかにするのだ。

 アンリ・ルーベンス候爵。

 未だ実態の掴めぬ存在。

 私にとって多くの敵を作る結果となるかもしれない。

 それでも私は、彼と戦うしかないだろう。

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