33.エリクサー

「昨日はどこかへ行っていたのかい?」


 アルベルトの問い掛けに私はビクリとする。


「え、ええ、ちょっと図書館へ……」


 ウソは吐いていない。


「そうか。良くも悪くも君は有名人だからね。一人で出歩くのは控えた方が良いだろう。出来ることなら四六時中、君の側にいてあげたいんだが……」


 昨日レオさんから聞いた話を思い出す。

 成金貴族の逆恨みに、裏組織からの捜索……。


「……はい、気をつけます。でも、良くも悪くもだなんて、良い方は一つもないですよ」

「いや、そんなことはないさ。実際、君の実力を知ったエドガー・エメリッヒや、商業区の治療師もいるのだから」


 そうなのだろうか。

 さすがに有名人という程ではないだろう。

 でも、アルベルトにそう言ってもらえると嬉しかった。


「それで、今日は何を?」

「今日はこっそり教区の治療院に来ている患者たちを問診してみようかと」

「それは大胆だね!」

「この前の様子だと、治療院の外にまで患者は溢れているはずです。そして、アンリさんたちはきっと来院者の対応で忙しいでしょうから外のことまで気に掛ける暇はない」

「そこを狙うという訳か」

「私だってれっきとした資格を持つ治療師の端くれですから、病人の治療を行っても全く問題ありません。それに、アンリさんたちが治療しきれない、治療院の外にいる方ですから、文句を言われる筋合いはありません。……まぁ、往来で診察することには多少問題ありそうですが」

「なるほど。まぁ、今の状況では背に腹はかえられないだろう。アンリから何か言われた時は私が引き受けよう」

「ありがとう、アルベルト。では、行きましょうか」


 私たちは再び、教区の治療院へと向かった。

 しばらく歩き、最後の路地の角からちらりと治療院の様子を覗き見る。

 やっぱり、治療院の周りには、並ぶでもなく順番待ちするでもなく、途方に暮れた患者たちが路上にたむろしていた。

 あれが多分、特区から来た患者たちだろう。

 早速、私は一番近くにいる方へ声を掛けてみた。


「あの、すみません。私は治療師ですが、何かお困りのことはありませんか?」

「え? 治療師? ……アイテテテ」


 横腹を押さえた男性が地面に座ったままこちらを向く。

 歳は中年手前くらいといったところだろうか。


「なんか急に腹痛くなって、アレにも血が混じってて、これじゃ仕事も出来ないと思ってたら、イイ薬があるって聞いてさ。薬くらいなら買えるかもと思って全財産持って来たけど、数に限りがあるから俺たち特区の人間は後回しだとよ。いつ俺たちの番が回ってくるか分からないからここで待ってるんだよ」

「そうですか。でも、痛みがあるなら応急処置だけでも特区の治療院で受けてから、こちらで待たれてはどうですか?」


 すると、男性は引きつったような笑いを見せる。


「あのジジイに? もうロクに治癒魔法も使えないアル中だぜ?」

「そうなんですか!?」


 だったらあの治療院の存在意義とは何なのだろうか。

 病人の多い特区から帝都全体に病気が蔓延しないように、運営費を税で賄い治療を行えるはずなのに。

 帝国が税をケチっているのか、はたまた治療師協会本部が国からもらった運営費をピンハネしているからか。

 いずれにせよ、感染性のディスガッツ病患者がこうして往来でたむろしていれば、一気に感染が広まることは目に見えている。

 そこで、私は男性に提案する。


「では、私が治癒魔法で応急処置しますよ」

「いやいや、せっかくだけど、あんたに払う金はないんだ。薬代でほとんどなくなるし、残りはカードのちょっとした遊びに、ね。病気になったことで悪運は使い果たしたから、きっと次は運が向いてくるはずなんだ!」


 なるほど。

 ギャンブルで身を滅ぼした方ですか。


「いえ、お金は結構です。ただ対価は頂く必要があるので、情報を提供頂けないですか?」

「情報? 俺なんか何の情報も持っていないぜ?」

「そんなことはありませんよ。私が知りたいのはあの治療院のことなんです。治療薬が発見された知らせがあってからすぐ、ここでずっと様子を見ていたんですよね?」

「ああ。そうだね。理由は知らんが、そんなことで良ければいくらでも教えてやるよ」


 なんとかこれで情報を得られそうだ。

 まずは一歩前進出来たことに、ホッと胸を撫で下ろす。


「では、応急処置にはなりますが、治癒魔法を掛けさせて頂きます。ヒーリング!」


 私の両手からエメラルドグリーンの光が放たれ、男性の全身を包む。

 腹部を中心に魔力を巡らせ、意識を奥深くに集中させる。

 すると、私の魔力にごく僅かな違和感が生じる。

 ……何か、ある。

 これが腹痛の原因なのだろうか。

 何かは分からない。

 だけど、何か正常な人にはないものがあるのは確実だ。


「終わりました」

「お? おおー! あんたすごいな! まるで痛みがなくなっちまったよ! これ、薬いらないんじゃないか……?」

「いえいえ、損傷していたお腹を治しただけで、原因を取り除いた訳ではないですから。しばらくしたら再発するかもしれませんよ」

「まぁ、その時はその時だ! そうなったら薬買いに来ればいいだろう! それよりも、浮いた薬代が倍になるかもしれないからな。こうしちゃいられねぇぜ」


 賭場にでも向かおうとしているのか、そそくさと立ち上がる男性。

 私は慌てて引き止める。


「その前に私の聞きたいことを教えてください」

「ん? ああ、そうだったな!」


*********************


 その後も、私は同様に何人かの患者を捕まえては、治療と質問を繰り返していったのだった。


「……どう思います?」


 薄明かりの酒場の隅の席で、私はアルベルトにそう尋ねてみた。

 アルベルトがワインの入ったグラスを傾けると静かに答えた。


「……エリクサー。浅薄な私の知識から、まず思い浮かんだのはこの言葉だ」


 私もそれにゆっくりと頷いた。

 患者に話を聞いてみると、何とディスガッツ病ではない者たちもこぞって集まっているのだ。

 実際、外に並んでいた特区の患者以外の者にも話だけ聞いてみたところ、それはもう様々な病気の患者たちが例の治療薬を求めていたのだ。


「秘薬、霊薬、万能薬、呼び方は様々ですがどんな病気でも立ち所に治せる伝説の薬、エリクサー。そんなものは、おとぎ話の世界のことであって現実には存在しない。でも、数多の治療師や錬金術師がそんな夢の薬を求めて研究に人生を捧げているのは事実です」

「つまり、エリクサーとまではいかないものの、その研究の成果が一定の実を結んだということかい?」

「ただ、そうすると協会本部、エドガーさんの動きが分からないんです。協会にとってはこれ以上ない功績で、諸手を挙げて喜ぶべきなのに……」

「ふむ。確かに、大々的に発表はされず、なぜかアンリの治療院だけが独占しているな。……エドガー・エメリッヒ、いやそれだけではない。協会本部の上層部もこの事実を知らぬはずはない」


 テーブルに置かれた短いロウソクが妖しくゆらめく。

 ドロドロに溶けたロウがその陰影により、何か蠢くおぞましい生き物のようだった。


「やっぱりそこに秘密がありそうですね。協会本部の上層部は今の状況を受け入れている。あれだけ盛況していれば当然、収益は以前より比べ物にならないくらい増加しているから」

「だが、エドガー・エメリッヒはそうではない」

「ええ。彼ら懐古主義者は今の上層部をひっくり返そうとしている。だけど、彼ら自身は表立って行動出来ない。そのためのカードとして、私たちに治療薬について調べさせ、さらに治療法が見つかればそれを公表出来る」

「それにしても公表出来ない治療薬とは一体何なのだろうね。クレア君は治療師として、いわゆる万能薬の存在は有り得ると思うかい?」

「……そうですね」


 私は少しの間、じっとグラスを見つめていた。


「万能薬、普遍治薬、そういったものがあれば、どれだけ多くの命が救えるのかと思い、存在して欲しいと願っています。もちろん、ニンドウのように多くの効能がある薬草はありますが、病気の根本を治癒している訳ではありません。ガスパルさんや私のように、病気を根本から治療するため、それらの病気の治療法について真正面から研究すればするほど思い知らされるのです」

「何をだい?」

「そんな薬は存在しないということをです」


 悲しいが、それが私の経験則から導き出された結論だ。

 だからこそ、アンリさんたちの治療薬について興味がある。

 あれだけの人がこぞって薬を求めるのだ。

 何かしらの効果がなければこんな事態にはなり得ない。


「そうか。では、アンリには悪いが、その秘密を暴かせてもらおうか」

「はい。明日が楽しみですね」


 明日、私たちはとある貴族と会う予定になっていた。

 教区の治療院に並ぶ人たちに話を聞いていった中で、偶然にもアルベルトの知り合いの貴族がいたのだ。

 そのご婦人はひどい頭痛に悩まされていたそうなのだが、知人に勧められ例の治療薬を使ってみると、嘘のように頭痛が消えてしまったらしい。

 その時の詳しい状況や治療の様子、薬の詳細について話を聞かせて欲しいとお願いしたところ、何と快諾してくれたのだ。

 なので明日、そのご婦人の邸宅へお邪魔することとなっている。


「もう夜も深くなってきたな。そろそろ帰ろうか」

「そうですね」


 私たちは気持ちの良い酔い心地で酒場を後にした。

 今夜は月も雲に隠れ、辺り一面真っ暗闇だった。

 風が少し肌寒い。

 酔い覚ましには丁度いいかもしれない。

 そんなことをぼんやり思っていた時だった。

 鼻先を急な突風が吹き抜ける。

 そう感じた瞬間、私はアルベルトに突き飛ばされた。


「キャッ!」


 直後、目の前で金属がぶつかり合う甲高い嫌な音が闇に響くのだった。

 何が起こっているのか訳が分からなかった私の耳にアルベルトの声が届く。


「貴様たち一体何者だ?」


 尻もちをついたままの私は、必死で暗闇に目を凝らすとニ、三人の人影がそこにいるのが分かった。


「……ちっ。仕損じた。散るぞ」


 その微かな声が聞こえたかと思うと、人影はバラバラに夜の闇に消えて行った。


「待て! 誰の差金だ!!」


 アルベルトの怒号がむなしく響く。

 それから静寂が辺りを包むと、アルベルトが静かに溜め息を吐き、チンという剣を鞘に収める音が聞こえた。


「急に突き飛ばしたりしてしまってすまない。怪我はないかい?」

「ありがとう。大丈夫です。アルベルトは?」

「私も大丈夫だ。……奴ら何者だ? どうやら狙いはクレア君のようだったが」


 アルベルトに手を引かれて立ち上がると、ポンポンとお尻の土をはたく。

 私が狙い。

 今更ながら恐怖でぞわりと震える。

 レオさんの言っていた通り、成金貴族による報復が始まったのだ。

 震えが止まらない。

 すると、アルベルトの暖かい手が私の震える手の上にそっと重ねられる。


「今日は私と一緒に別邸に泊まりなさい」

「え、ええ? い、いえ、わ、私は、だ、大丈夫ですから! それに何度も言う通り、私みたいな者がアルベルトの家に入っていくのを誰かに見られたら、大変な誤解をされてしまって迷惑掛けてしまいます!」

「ダメだ。今日ばかりは私の言うことを聞いてもらう。命が狙われたというのに、一人宿に残しておける訳がないだろう。私も何度も言わせてもらうが、君が私の家に泊まったところを誰かに見られたところで迷惑なんてことは一切ない。百歩譲って今夜は月明かり一つない闇夜だ。誰かに見られることはないだろう」


 アルベルトがぎゅっと手を強く握る。

 いつの間にか私の震えも止まっていた。


「……分かりました」


 そうして手をつないだまま、私たちは暗い夜道を歩いていくのだった。

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