32.密会
あれから数日後、私の宿の部屋に、差出人不明の手紙が一通滑り込まれていた。
「きた!」
きっとレオさんからの連絡だ。
私の宿をどうやって知ったのか、ちょっと気味が悪いが、彼が私にとっての唯一の望みだ。
急いで手紙を開ける。
「……えぇーと。中央図書館の第五閲覧室にて待つ、か」
第五閲覧室は個室だったはずだ。
確かに、図書館の個室の使用中の閲覧室に、わざわざ入っていく者など普通だったらいないだろう。
それにバラバラに出入りすれば、人目にだってつかない。
なかなか理に適った待ち合わせ場所だ。
私はすぐさま宿を出て、中央図書館へと向かった。
帝都最大の蔵書数を誇る中央図書館は、幾度の増設を繰り返し、数々の知識を蓄えていった。
正面入口をくぐると、奥では多くの人々が黙々とページを手繰っていた。
入口すぐの受付で、女性が静かに声を掛ける。
「許可証を」
私はカバンから許可証を出すと、受付の女性に見せる。
図書館は原則、貴族しか利用出来ない。
各分野の学者や専門家も利用出来るが、ほとんど貴族しかいないため、原則、貴族しか利用出来ないということになる。
そんな中、私は例外の一つになる。
「治療師協会発行の許可証ですね。どうぞお入りください」
私は身じろぎ一つしない兵士の横を通ると、真っ先に地下へと繋がる螺旋階段を下りていった。
地下にある本はより本格的で難解なものばかりのため、閲覧しに来る人は少ない。
私は第五閲覧室の前まで行くと、手紙に書いてあった通り、変則的なリズムで五回ノックをした。
すると、ノックが三回返ってくる。
間違いない。レオさんだ。
私は静かに扉を開ける。
そこには、以前と同じようにフードを被った背の高い男性が腕組みして立っていた。
「お待たせしました、レオさん」
「いや、大丈夫だ。それより、実は今日呼び出したのは薬を渡すという件ではないんだ」
「そうなんですか?」
あれだけ熱狂的な人々が毎日のように並んでいるのでは、そう簡単に手に入るものではないだろう。
では、今日は一体何のために呼び出されたのだろうか。
レオさんは少し苦い顔をすると続けた。
「まだ薬は手に入れられなかったので、薬の出所を追ってみたんだが、どうにも不思議でね」
「不思議……ですか?」
「ああ。君は、治療師のクレイグ・ディクソンという男を知っているか?」
クレイグ・ディクソン。
初めて聞く名だった。
同じ治療師とはいえ、大きな組織であるから、一緒の現場で働いていたなど、関わりがなければ知らない人同士ということがほとんどだ。
「いいえ。残念ながら」
「そうか。彼は教区の治療院に配属されている治療師で、ルーベンス氏の先輩として指導をしているらしい」
「それが、初めて会った時に、レオさんが彼らと言っていたもう一人の治療師なのですね」
「そう、どうやらルーベンス氏だけでなく、このクレイグ・ディクソンという治療師も一枚噛んでいるようなんだ」
「なるほど。彼は何を担当しているのでしょうか? あの時、治療院の前で喋っていたのはルーベンス様だけでしたから、実際の治療や対応はルーベンス様がやられているようでしたが」
「彼は主に薬の調達を行なっているんだ。ディクソン家は元々、ここらの豪商で、その財力によって爵位を手に入れた、言わば成金貴族だな。その商人のコネを使って、教区の治療院は薬を仕入れている。そこで、私は今回の水薬の原料と調達ルートを追ってみたんだが、どうにも不思議なんだ」
不思議……。
薬について調べているだけなのに、そんな不思議なことが起こるのだろうか。
でも、何かもやもやとする。
何一つ確かなものを見ていないから、何が起こっているのかいまいち掴めていないんだ。
病気も治療薬も、私の知らないところで、知らない何かが起こっている。
これは単なる病気の治療ではない、もっと大きな何かに巻き込まれているような漠然とした不安が胸を覆い尽くしていた。
「……大丈夫か?」
「あ、ええ。すみません。それで、不思議というのは?」
「ああ。教区の治療院の出入りの業者、つまりディクソン家お抱えの商人を追ってみたんだが、あの治療院に卸しているのは、ほとんどがニンドウだったんだ」
「ニンドウ? 確か、今は戦争で中々手に入らなくなっているはずでは?」
「そこが豪商の手腕だな。独自のルートで調達したニンドウを、協会本部を通さず、自分の治療院に市場価格より少し高いくらいの値段で卸させ、高騰している薬の値差を自分たちの治療院の利益としているようだ。当然、利益を上げればそれだけ自分たちの評価に繋がるからね」
評価、つまり体面を気にしているのか。
アンリさんのアルベルトへの言動を見ると、貴族のメンツをとても大事にしているようだった。
それを保つため、クレイグ・ディクソンの持つ商人のコネを利用したのだろうか。
でも、そう考えれば別に不思議なことなど何もない。
「ニンドウで儲けているだろうことは分かりました。でも、それが今回の薬とどういう繋がりがあるのでしょう?」
「いや、何もない」
ズルっと滑りそうになる。
一体何の話だったのか。
だが、次のレオさんの言葉で全てを理解した。
「何もない。つまり、ニンドウ以外、これといって目に留まるものは何も仕入れていないんだ」
ぞわりと寒気がする。
ニンドウなんて解熱作用があるくらいで、何かの特効薬といったものではない。
まぁ、だからこそ広く治療に使われ需要も多いのだが。
「自分たちで仕入れているのではなく、協会本部からの支給は……?」
「それこそ一般的な薬草くらいのものさ。それに協会本部からの支給に入っているなら、協会が既に治療薬の原料を把握していることになる」
それはそうだ。
では、一体アンリさんの治療薬はどうやって作ったのだ。
レオさんの見つけることが出来なかった裏ルートでもあるのだろうか。
それこそ、侯爵家の力を使えばそんなこと、いとも簡単に隠蔽出来るのかもしれない。
豪商のコネと貴族の権力。
そして、かつての実力主義の世界を夢見る懐古主義者。
私はあまりにも巨大な、しかし姿の見えない影のような存在に無謀にも戦いを挑んでいるような気がしてならなかった。
「まぁ、薬のことは実際にブツを手に入れてからでないと分からないことが多い。今日はその他にもう一件、伝えたいことがあって呼び出したんだ」
急に神妙な面持ちでそう話を切り出すレオさん。
「……何でしょうか?」
「商人のルートを探っている時にとある情報が入ってきたんだけどね。君は噂によると、あの辺境国ノルンで何かマズいことをやったようだね」
「いえ、私は正しいことをしたまでです!」
キッパリと言い放った。
一応、今は協力者という関係にあるレオさんに誤解を与えたくなかった。
だが、私が思っていた方向と、どうやら『マズい』の意味が違ったようだ。
「いや、すまない。私の言い方が悪かった。私が聞いた情報が間違いでなければ、君がとった行動は、ノルン人にとって正しい行いだと私も思う。だが、一方でそれを良く思わない連中もいるということだ」
「良く思わない……?」
「ノルンの赤眼の蒐集者たちさ」
そこで改めて思い出す。
そうだ。
ここは帝都だ。
私に恨みを持っている成金貴族が絶対にいるはずだ。
「で、でも、私を襲ったところで赤眼は手に入りませんよ」
「彼らにとってはそんなこと、どうでも良いのではないかな? 憂さ晴らしの意味もあるし、君がノルンからいなくなれば、自分の息の掛かった治療師を送り込むことが出来るかもしれない。それと、君を狙っているのは蒐集者だけではない、ということを伝えたかったんだ」
「え? 悪趣味な成金貴族だけではないのですか?」
「そうだ。私の入手した情報だと、ノルンと蒐集者、成金貴族を繋ぐ者たち、つまりそういった非正規の商品を取り扱う組織が、君を探しているらしい」
「そんな……。裏の組織が、私を……?」
「ああ。目的は分からない。単なる報復とは考えにくいが、警戒するに越したことはないだろう。くれぐれも気をつけたまえ。では、私はこれで失礼する」
そうさらっと言うと、レオさんはフードをグイッとさらに目深に被り、部屋を出ていってしまった。
取り残された私は、しばらく部屋で一人呆然と佇んでいた。
何か不思議な治療薬で信用を得ている侯爵家のアンリさん。
怨恨により私を狙う悪趣味な成金貴族と、私を探しているという組織。
それらの障害を掻い潜りつつ、治療薬の秘密を探り、侯爵家を出し抜いてさらに良質な治療薬を見つける。
もし成功しなければ、実質の死刑宣告。
これは一体、どこの諜報部隊の任務だ?
もうどこか遠い世界へ逃げ出したい気分だった。
だけど。
やっぱり気になることがある。
不思議な治療薬の正体だ。
それが本当に効果のあるものであれば、大変な発見であり、他の病気にも使えるかぜひ分析してみたい。
もし、残念ながら効果的な薬でないならば、ディスガッツ病で苦しんでいる人たちのために治療薬を見つける手助けをしたい。
こんな危機的な状況なのにそんなことを考えてしまう。
これが治療師の性なのだろう。
だったら、満足いくまで、行けるところまで行ってみよう。
そう決心し、少し自虐的な笑みをこぼすと、私も図書館を後にするのだった。
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