29.約束

 あれから数日が経ったある日。

 私がせっせと刈り取った麦を運んでいると、何やら治療院の方で騒がしい声が聞こえた。

 もしかしたら、あの人が目覚めたのかもしれない。

 そう思ったら急に鼓動が早鐘を打つ。

 私は高鳴る心臓を抑えようとする。

 だが、その時の私にはどうすることも出来ず、夢遊病者の如く、ふらふらと治療院の方へと向かって行ってしまうのだった。


「お待ちください! アルベルト様!」

「君には感謝しているよ、ヨーゼフ君。だが、私を本当に治療したのは君ではない。私はただ命の恩人に会いたいだけだ」

「な、何を仰っておりますか。この村には治療師は私一人です。他に貴方様を治療した者なんておりません」

「なぜ君はそんな嘘を吐くんだ? 何か言えない理由でもあるのかい?」

「そ、そんな滅相もございません! 私は真実を申し上げているだけです! 信じてください、アルベルト様!」


 そんなやり取りが私の耳に入る。

 私がそちらを見やった先には、どんな上等な稲穂だって敵わないくらい美しい金髪の青年がそこにはいた。

 私は彼の名前を知った喜びから、自然と口をついて出てしまった。


「……アルベルト、様」


 すると、アルベルトが凛々しい顔をこちらに向ける。

 その瞬間、目を見開いたかと思うと、とびきりの笑顔で私に近付いて来るではないか。

 あまりの神々しさに、私はズサッと一歩退いてしまう。

 だが、それを逃さないといったように、アルベルトが私の手をバッと掴む。


「ひゃっ!?」


 思わず変な声が出てしまう。

 優雅な指で私の手を優しく包み込むアルベルトは、続け様にとんでもないことをしだした。

 何と、そのまま私にひざまずいたのだ。

 私はあわあわと声にならない心の声を上げるので精一杯だった。


「……一目見て直感したよ。君が私の命を救ってくれた。そうだろう?」


 私はまだパニック状態であわあわするしか出来なかった。

 そこへヨーゼフさんが駆け寄って来る。


「お、お止めください! アルベルト様! この者は平民、しかも農家の娘です。そんなことをされては貴方様の沽券に関わります!」


 すると、アルベルトがスッと立ち上がり、私を守るようにヨーゼフさんへ向かう。


「命を助けてもらったのだ。農民だろうが、教皇だろうが、私の恩人に変わりはない。死の前には、人は平等だからな」

「あ、貴方様は病魔との闘いで意識が混濁されているようです。先程も申し上げた通り、この村では治療師は私一人きり。私の他に貴方様を治療出来る者などここにはおりません」


 そう言ってヨーゼフさんは一瞬、私を睨みつける。

 私はそのまま黙りこくる。

 別に私は恩を売るためにアルベルトを助けた訳ではない。

 だから、弁明する気は一切なかった。

 それよりも、むしろヨーゼフさんの機嫌を損ねて、治療を手抜きされたり、帝国に根も葉もない悪評を流され税が倍増したりして、村の皆に迷惑を掛ける方が嫌だった。

 だが、アルベルトにとってそんなことはどうでも良かったようだ。

 少しイラついた様子で言い捨てる。


「だから、嘘を吐くなと言っているんだ」

「……う、嘘では、ございません」


 ギョロギョロと目を泳がせながら、しどろもどろに答えるヨーゼフさん。

 彼も引っ込みがつかなくなっているのだろう。

 そこで、アルベルトが溜め息混じりに、こう問い掛けた。


「では、私の病を治癒した薬は何と言う名の薬だ?」


 突然の質問に、ヨーゼフさんはさらに目をギョロギョロさせ、脂汗を流す。

 そして、突拍子もない思い付きを口にし始めたのだ。


「……ち、治療師協会秘伝の霊薬、万能薬たるエリクサーを用いて、貴方様の御体から病魔を退けた次第にございます」


 それをアルベルトは冷ややかな目つきで眺めると、私に振り返り、柔和な微笑をたたえながら、優しく語り掛けた。


「何を恐れているのか知らないが、気にすることはない。私が必ず君を守る。さぁ、私を治癒した薬の名を彼に教えてやってはくれないか?」


 必ず守る……。

 確か、アルベルトは神殿騎士だとヨーゼフさんは言っていた。

 神殿騎士とやらが何かは分からないが、これまでのヨーゼフさんの態度を見る限り、明らかに彼より立場が上だということは分かる。

 であれば、アルベルトがここまで言ってくれるのだから、わざわざヨーゼフさんに従う必要もないだろう。

 私は静かに答える。


「……クソヨモギ」

「……クックックッ。ハーッハッハッハッ! そう、クソだ! クソヨモギだ! 何というヒドイ名だろう! まさか、そんな薬で命が助かるなんて思いもしなかった!」


 アルベルトが何とも楽しげに笑い出す。

 それを見ていたヨーゼフさんはぽかんと口を開けているしかなかった。


「やはり彼女が私の命の恩人に間違いない。朦朧とする意識の中で、私を救った天使のような女性がその言葉を口にしたことだけは覚えている」


 て、天使!?

 いやいや、あなたの方がよっぽど天使の笑顔ですから。

 そして、アルベルトが呆けているヨーゼフさんに、続け様に言い放つ。


「さっきも言ったが、治療院での世話については本当に感謝しているよ、ヨーゼフ君。この言葉の意味が分からぬ訳ではあるまい? 私が帝国に帰った際には、その礼は必ずする。だが、下手な嘘を吐いてまで、分不相応なことはしない方が良い。貴族のプライドか何か知らないが、彼女の方が治療師として優秀なのは誰の目にも明らかだ」


 それを聞いた瞬間、ヨーゼフさんはその場に崩れ落ちてしまった。

 哀れだと思ったが、自業自得だから仕方ない。

 普通の貴族だったら、平民で女の、しかも治療師でも何でもないただの農家の娘の私に治療されたとなれば、お互いに具合が悪いので、その嘘で丸く収まっていたかもしれない。

 だけど、アルベルトは全く違っていた。

 とても偉い貴族の中の貴族であるはずなのに、他の誰よりも貴族っぽくなかった。

 人を人として見る人。

 そんなところに私は心を惹かれていた。


「では、改めて、君が私の命の恩人だということが確認出来たところで、君の名を教えてはくれないか?」


 私は少し恥ずかしがりながら、うつむき気味に答える。


「……クレア。クレア・エステルです」

「そうか、クレア君か。……いい名だ。私はアルベルト・クローディス。ミッドランド帝国モーリアン教会の神殿騎士。……まだ新米だがね。クローディス家の名において誓おう。君の恩義に必ず報いると」


 そうして、アルベルトは私の手をそっと握るのだった。

 体が熱い。

 今、自分の顔は真っ赤になっているだろう。

 恥ずかしさのあまり、さらにうつむいてしまう。


「そうだ! せっかくだから、この村を案内してくれないか?」

「……は、はい。分かり、ました」

「よし! では、行こう!」


 そう言ってそのまま手を握ったまま、アルベルトは歩き出してしまった。

 私はそれに着いて行く他なかった。


「……案内と言っても大したものはありませんが。……この村の特産である麦が、丁度収穫の時期ですので」

「ほぅ、これはすごい。まるで黄金の大海原だ」


 アルベルトの言葉通り、一面に広がる麦畑は、豊かに実った稲穂が風にそよぐ度、さざ波を立てる海辺のようであった。


「……アルベルト様は不思議な方ですね」

「そうかい? 至って普通だと思うが」

「普通の貴族でしたら、平民の女とこんな連れ立って歩いたり、和やかに話し込んだりしないと思います」

「ああ、確かに親しみやすいとはよく言われるね。クローディス家は礼節を重んじているから、たとえ身分が違えど、どんな者に対しても礼節を持って接する。当然だと思っていたが、案外世の中はそうでもないらしい。とはいえ、私だって誰彼構わずこんなに親しくする訳ではない。……君は特別だよ」

「……そ、そうですか。その、仰る通り、私が今まで見てきた貴族の方は、ヨーゼフさんのような方ばかりでしたので、アルベルト様は……こんなこと言っては失礼かもしれませんが……その、とても居心地が良いです」


 そう消え入るような声で呟き、ちらとアルベルトの顔を見ると、満面の笑みでこちらを見つめていた。

 ドキリとした私は、バッと視線をそらす。


「まぁ、人とはそういうものかもしれないね。他者を見下し、自分を保とうとする。身分とはまさにおあつらえ向きの制度じゃないか。ヨーゼフがそれにすがるのも理解は出来る。私に取り入って、他者を出し抜こうとする輩はごまんといたからね」

「……彼も悪い人ではないんですけど。以前、彼が酔っ払っていた時にこぼしていたのですが、帝都の協会本部では、当時の上司や同僚との人間関係が上手くいっておらず、ヨーゼフさんの家柄も貴族の中では決して高い爵位ではないことから、それも相まって孤立、からのサリー村の左遷という経緯があったみたいです」

「それで私がこの村に辿り着いたことを、これ幸いと自身の手柄にして、本部の人間に目に物見せてやろうとした訳か。それであんな見え透いた嘘を。……哀れな男だ。自身の腕を磨こうともせず、周りの批判ばかりしていたのだろう。大方、本部の人間にもそれを見抜かれて左遷されたのかもしれないな」


 中々、辛辣な分析ではあるが、あながち間違っていない気がした。

 この村に来た時から、大した怪我でもないのに、やたらと治療に時間が掛かったり、傷の治りが悪かったり、それでいて自分は貴族だと偉そうな態度を取るので、評判は最悪だった。

 昔から仲の良い人たちは、こっそり私のところへ治療を頼みに来ていたくらいだ。

 だけど、治療師の資格を持たない者が、命の危険がある時などの緊急時を除き、無闇に治療行為を行ってはいけないことになっている。

 だから、多くの場合は、ヨーゼフさんのところに渋々通わなければならないのだった。


「……どうであれ、きちんと仕事をして頂かないと村の皆が可哀想です。生活を切り詰めてまで、高い税を納めているんですから。この一件で彼の考えが変わることを祈ります」

「そうだね。礼は礼できちんとするとして、彼の指導やサリー村への支援も治療師協会へ直訴してみよう。ところで、クレア君は将来、治療師になるつもりなのかい?」

「え? ……治療師、ですか?」


 治療師は貴族しかなれないものだと思っていた。

 だけど、アルベルトの口ぶりだと、私にその選択肢があるかのように聞こえた。

 私は確かめるように、アルベルトへ聞き返す。


「……あの、私は平民で、ただの農家の娘ですので、治療師の資格は取れないのではないでしょうか?」

「ん? ああ、そうか。確かに、治療師協会はほとんど貴族ばかりか。だけど、治療師の資格取得に身分による制限はなかったはずだよ。筆記試験と治癒魔法の適性検査さえ合格すれば誰でも治療師になれる。あれだけの治癒魔法と薬に関する知識、そして瞬時に的確な判断が出来るクレア君なら楽勝じゃないかな」


 私が治療師に?

 私はその瞬間、一気に目の前が開けたような気がした。

 これまで生まれ持ったこの力を堂々と活かせず、くすぶったまま生きていくのだと思っていた。

 自分の力を呪ったことさえあった。

 私が勝手に治癒魔法を使えば、使った私だけでなく、治癒魔法を受けた者も罰を受けることになる。

 そのため、村では私に関わろうとする者はあまりいなかった。

 どこか皆、私に対してよそよそしかった。

 だから、こんな力、欲しくなかった。

 普通でいたかった。

 ずっとそう思っていた。

 だけど、私でも治療師になれる。

 それが分かった途端、私の心にかかった靄が一斉に晴れていく。


「……私、なります。……治療師になります!」


 だが、それを聞いたアルベルトの顔は、私とは対照的に少しばかり曇っていた。


「……私から焚き付けておいてこんなことを言うのは気が引けるが、やはり君には酷な世界かもしれない。確かに、治療師の資格取得には身分の制限はないが、そもそもこれまで貴族の男子しか受ける者がいなかったからだろう。それが暗黙の了解になっていたのかもしれない。そして、治療師協会もそのようなエリート主義の貴族の集まりだと聞く。そんな世界にクレア君を飛び込ませて苦しい思いをさせてしまうのは、私の望むところではない」


 親身に私を心配してくれているアルベルトだったが、その時の私にとってそんなことはどうでも良かった。

 正直、この後に受けるであろう様々な差別など、この村から出たことのない私には到底想像出来るはずがなかった。

 そして何より、治療師になれるということが幸せで、他のことなど眼中になかった。

 だから、声高に叫ぶように言葉が飛び出す。


「大丈夫です! 私は必ず治療師になります! そのためならば、どんなことだって耐えられます!」


 私の熱意が伝わったのか、アルベルトは慈しむような微笑みを私に向ける。


「……そうか。余計なお節介だったかな。私の望みはクレア君の幸せだ。全力で応援させてもらうよ。そして、何か困ったことがあればすぐに私に言うといい。……私が必ず、君を守るから」


 そう言って私の手を取り、再びひざまずくアルベルト。

 そして、そのまま手の甲に軽くキスをされた。

 ん?

 思考が止まる。

 手の甲に……キス?


「ええーーッ!! な、何を、何をしているのですか!? アルベルト様!!」

「何って、君の恩義に報いることを誓っただけさ」


 な、何だ。

 そういうことか。

 ま、まぁ、それなら分からなくもない。

 だが、直後、アルベルトはとんでもないことを言いやがったのだ。


「それと、薬を飲ませてくれた時のお返しかな」


 薬を……飲ませて……。


「き、き、き、気づいていたのですかーッ!!??」


 すると、アルベルトがいたずらっぽく片目を閉じる。

 ボンという音が頭の中に響いた。

 その瞬間、もう頭は真っ白だった。

 そして、全身が燃え盛るように熱くなっていた。

 それからのことはハッキリ覚えていない。

 多分、これ以降アルベルトとまともに話した記憶はない。

 数日後、回復したアルベルトが村から去っていったのは薄っすら覚えている。

 それから程なくして、私は帝都の治療師学院へ何とか入学し、治療師を目指すこととなるのだった。

 懐かしいなぁ。


――――――――――――――――――――


「……ア君。……クレア君?」


 私はハッと我に返る。


「すみません、アルベルト様。ちょっと、昔のことを思い出してました」


 甘酸っぱい思い出だ。

 当時の私には、物語の中の王子様が目の前に現れたような出来事だった。


「……そうか。帝都では色々辛かっただろう。だが、心配ない。今度は私が一緒だからな」


 どうやら帝都に戻る私がナイーブになっているものだと思っているらしい。

 あの時から全く変わらず、こうして私を心配してくれて、力になってくれて、本当に嬉しかった。

 すると、アルベルトが微笑みながらあの時の言葉を口にする。


「約束しただろう? 私が必ず、君を守るよ」


 私は満面の笑みで、ゆっくりうなずくのだった。

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