28.出会い

 治療師協会から手紙が届いたあの日。

 とりあえず、私はイノシシをお腹一杯食べることにした。

 セルジュやレオンたちと楽しく笑い合い、語らいながら、宴を満喫しようと思った。

 何だかもう、こんな楽しい時間は過ごせないとか、ここにいることは許されないとか、そんな気がしたからだ。

 だから、手紙はまだ読んでいない。

 しばらく心の準備が出来なかった。

 だけど、ついに中身を開ける決心がついた。

 私はペーパーナイフで、そっと封を開けていく。


「ええーと、なになに? クレア・エステル殿……」


 ――クレア・エステル殿

    ノルン支部の前任者、ガスパル・ハウザー氏の失踪及び、異端審問の経緯について聴取を執り行う。

    即時、ミッドランド帝国治療師協会本部への出頭を命ず。

                       ミッドランド帝国治療師協会本部管理部――


「……ついに来ちゃった」


 薄々予感はしていた。

 あの地下室での一件の後、当然、治療師協会にはガスパルさんが姿をくらませたことは報告していた。

 だが、それだけだ。

 ノルンの赤眼を売買していたことや、ノルン人に対して人体実験していたことは一切報告していない。

 どうせそんなことを書いても信じてもらえないと思ったからだ。

 だから、なぜ突然教会がやって来て異端審問を行っているのかも理解していないはずだ。

 それに、治療師協会と教会もあまり仲が良いとはいえない。

 これまで治療という分野が教会の管轄、独占市場だったことに反発して出来たのが治療師協会だからだ。

 かつては修道士として奉仕の精神でもって治療を行ってきた者たちが、自らの待遇の改善と地位の向上を図って立ち上げたのが治療師協会の前身だと言われている。

 そこから段々、神秘主義的な思想を排し、現実主義的な方向に進んだのだという。

 話がそれたが、とにかく“きょうかい”同士が情報共有していることは有り得ないので、アルベルトと私が教会に報告した、ガスパルさんの所業については、まるで知らないはず。

 だから、こうして私を召喚している訳だ。

 そして、そうなることは容易に想像出来た。

 だけど、問題はどうするかだ。

 このまま従順に協会の言う通りにしたとしても、これまでの私への扱いから、公正に対処してくれるとは思えない。

 下手をすれば、解雇、もしくはノルン支部からの解任、戦争の前線送り、になるかもしれない。

 ただ、いずれにせよ帝国には行かないといけないだろう。

 そこで私はとりあえずセルジュとアルベルトに相談することにした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「そういうことなら私が同行しよう」


 開口一番、そう言ったのはキニネイ茶のカップを傾けるアルベルトだった。


「ほ、本当ですか?」

「ああ、もちろんだ。君が不当な扱いを受けるというのならば、それを守るのが私の役目だ」


 それは本当に心強い提案だった。


「本当は俺も着いて行きたいのだがな……」


 そう言って苦々しい顔を見せるのはセルジュだった。

 帝国はノルン人がその地に足を踏み入れることを認めていない。


「ありがとう、セルジュ」

「まぁ、今回は私に任せてもらおうか」


 アルベルトがなぜか優越感に浸ったようにセルジュを横目で見やる。


「……ああ、そうだな。くれぐれも、よろしく頼む」


 ドスの効いた声でそう言いながら、セルジュがアルベルトの肩に手を置く。


「うむ。……イ、イタタタ! つ、強い強い!」


 そうしてセルジュがアルベルトの肩からパッと手を離す。


「クレア。無事に帰って来てくれ」

「うん。だって、ここが私の家だもの」


 それから私とアルベルトはすぐに準備を整え、帝国へと向かうのだった。

 帝国へは馬車で約三日。


「久々の入国、緊張するなぁ。協会も相変わらずだろうし、ガスパルさんの失踪についてどう説明しよう……」


 揺られる車内で私は溜め息混じりに呟く。

 すると、向かいに座ったアルベルトが優しく微笑む。


「なに、心配いらないさ。私が上手く説明しよう。彼らも身内の不祥事が公になれば具合が悪いだろうから、大事にはしたくないはずだよ。処遇としてはこれまで通りノルンの担当をクレア君に任せて、おしまいというところじゃないかな?」

「無事そうなるといいんだけど……。赤眼を欲しがっていた貴族が協会の内部にいるかもしれないし……」

「そうだな。私たちも全ての貴族を内偵した訳ではないから、もしかしたらいるかもしれない。だが、少なくとも協会のトップにはそのような者はいなかった。とすれば、所詮は木っ端役人の成金貴族だ。どうということはない」

「まぁ、それなら平気か。アルベルトもいるしね」

「ああ。……そうだ! 協会へ顔を出した後、うちへ遊びに来ないかい?」

「へ? うちって……」


 もちろん、アルベルトのお屋敷だろう。

 アルベルト・クローディス。

 クローディス候爵家の嫡男であり、かの家は代々モーリアン教会の神殿騎士を務めている。

 そして、他の貴族たちとの爵位の違いは、異端審問官を兼務しているところにある。

 その天使のような美しい見目と家柄から国中の女性たちを魅了する一方、異端審問官としてはどちらが悪魔か分からないと言われるくらい一目置かれ、恐れられているらしい。

 とにかく、そんな人の家に平民の私が踏み入ったと知られれば、帝国中の全女性から目の敵にされ、殺されかねない。

 赤眼を狙う貴族なんかよりよっぽど恐ろしい。

 私はグビリと息をのむ。


「い、いえ、お気持ちだけで十分です。それより、ノルンにいた時のように、くだけた言葉遣いでは色々と面倒なことになりますので、帝国では敬語でお話しさせて頂きます、アルベルト様」

「むむ、そうか。今、余計な猜疑の目で見られるのはクレア君にとってよろしくないか。……いずれ、治療師として認められてから、ゆっくり挨拶に来ればいいか」


 挨拶とは一体、何の話だ。

 アルベルトは至極残念そうにうつむくのだった。


「それより、教会には顔を出される予定ですか?」

「いや、やめとくよ。ガスパル氏への異端審問ということで、貴族の特権階級についてあれこれ揉めているだろうからね。このままずるずると話が長引けば長引く程、ノルンも安泰だから、わざわざ敵に塩を送ることもあるまい」


 同じ教会の人間だというのに、敵とバッサリ切り捨てるアルベルト。

 彼はこういうところがある。

 教会の神殿騎士だというのにまるで信心深くない。

 異端審問もあくまで仕事と割り切ってやっているだけだと、昔、言っていた。

 どうやら、それ以上に自分の中にある正義を信奉しているらしい。

 それが、命を救った私に報いるということのようだ。


――七年前――


「おおーい! 誰か! 村の入り口に行き倒れだ!」


 その声が私の住むサリー村に響いたのは、とある夏の暑い日だった。

 西日が照り付ける夕刻手前。

 黄金色に実った麦の刈り取りを終えた私は、まさに家路につこうとした時だった。

 そのまま家とは反対方向である、村の入り口へと自然に走り出していた。


「どうしました、イェーガーさん? 行き倒れって聞こえましたが……」

「あぁ、クレアちゃんか! 助かった! 猟から帰って来てみりゃ、村の入り口で馬から転げ落ちて倒れてる若者がいたもんで、とにかくそこの小屋に運んで寝かせとる!」

「分かりました!」


 私はその小屋へと急いで飛び込む。

 すると、そこには立派な麦よりもキラキラと輝く金髪の青年が、苦悶の表情で横たわっていた。

 それが、私とアルベルトの初めての出会いだった。

 黒い鳥のシンボルが施された鎧を身に着けたアルベルト。

 口元からは血が流れ、その鎧も血に塗れていた。


「大丈夫ですか!?」


 私はすぐさまアルベルトに駆け寄ると、治癒の魔法をかける。

 私の手からは緑色の光が放たれ、アルベルトの全身を包む。

 どうやら外傷はほとんどないようだ。

 私は魔法をかけながら、アルベルトの額に手をやる。


「……うぅ」


 激しい呼吸と共に漏れるうめき声。

 汗ばんだ額は、真夏に放置された鉄の農具かと思う程、熱かった。

 そして、突然、彼の体は痙攣を起こしたのだった。


「お願い! 収まって!」


 私がさらに魔力を込めると、緑の光は一層強く輝き出す。

 すると、痙攣していた体は徐々に落ち着いていった。


「……これは、ただの風邪じゃないかも」


 これだけの高温に、体が痙攣まで起こすなんて。

 症状から見て、熱病に違いない。


「この辺でなるといったら……もしかして、マリー熱?」


 それを聞いていた猟師のイェーガーさんがぽんと手を打つ。


「その可能性は高いぞ、クレアちゃん! こいつの馬やブーツにはまだ新しい泥がたくさん付いてるからな。恐らく、南の湿地帯を抜けて来たんだろう。あんなところ好き好んで通るなんてどうかしてるぜ、まったく」


 昔から、南の湿地帯を通って来た者は何故かこのような熱病に罹ることが多く、地元ではマリー熱と呼ばれ、湿地帯を通る者はほとんどいなかった。

 ただ、幸いなことに、昔の人たちはマリー熱に効く薬草を既に発見し、今でも言い伝えられていた。


「やっぱり……。そうしたら、イェーガーさん! すみませんが、クソヨモギを手当たり次第持ってきてもらえませんか?」

「おう! そうだな! ちょっと待ってな!」


 その間に私は水を汲み、火を起こし、鍋とすり鉢を近くの家から借りてきた。

 準備が整うと、タイミング良くイェーガーさんも薄黄色の草を両手に抱えて戻ってきた。

 私はそれらをゴリゴリとすり鉢ですり潰すと、火にかけた鍋の中に入れて煮詰めていった。

 そして、煮汁を木のコップに移すと、ゆっくり冷ましながらも、急いでアルベルトの口元に持っていく。


「さ、これを飲んでください」

「……うぅ」


 だが、口に含ませようとした時だった。


「キャッ!」


 再び、アルベルトの体が痙攣を始めたのだった。

 まずい。

 時間がない。

 このままでは手遅れになってしまう。

 早く薬を飲ませなければ、でも、治癒魔法もかけないと。

 私はもうパニック状態だった。

 だから、無我夢中で、思考は停止し、体が勝手に動いていたのだ。

 そう、不可抗力というやつだ。


「……んん」

「……んぐ?」


 私はコップをグイッとあおった後、アルベルトの唇へ自身の唇を重ねたのだった。

 治癒魔法の神秘的な光が私たち二人を覆っていた。

 しばらくして、痙攣が収まっていく。


「……ゲホッ! ゲホゲホッ!!」


 少し気管に入ってしまったのか、アルベルトが咳込んでいる。

 だが、同時に朦朧とした様子ではあったが、意識を取り戻した。


「……こ、ここは? わ、私は……」

「良かった……。イェーガーさん、ありがとう! クソヨモギのおかげだね!」

「……クソ? ……ひどい、名……だ」


 そうして、また意識を失ったアルベルトだったが、呼吸も徐々に落ち着いていった。

 これでしばらく安静にしていれば、熱も下がってくるだろう。


「さっすがクレアちゃんだ!」


 バシッと背中を叩かれた私は、イェーガーさんに振り向き、ニカッと笑い合うのだった。

 だが、そう振り向いた直後、小屋の扉がバンと開かれる。

 そこに立っていたのは、サリー村に派遣されていた治療師のヨーゼフさんだった。

 不安気に大きな目をギョロギョロとさせながら、オドオドと小屋へと入って来る。


「お、おい! また、お前か! ちょっと魔法が使えるからって勝手な真似するんじゃない!」


 それを聞いたイェーガーさんがチッと舌打ちをする。


「……お言葉ですがね、先生。クレアちゃんが治療してなきゃ、そこの若者は今頃おっ死んでましたよ。普段はロクに治療もしないくせに、今日は一体どういう風の吹き回しで?」


 すると、ヨーゼフさんがいつものヒステリックな声を上げる。


「う、うるさい! ……どれどれ、知らせに来た村人の言った通り、黒い鳥のシンボル。……間違いない。……神殿騎士だ。……おい! お前たち! この方はな、お前たち平民がおいそれと近付いて良いお方ではないんだ! それを勝手に治療してしまうなんて何たる無礼!」


 それを聞いたイェーガーさんが何かを悟ったように口角を上げると、怒りのこもった視線を向ける。


「ほう? そうかい。そうかい。そういうことかい。だから、先生直々にご足労頂いたって訳かい。いい加減にしろよ、コノ……」

「ひっ!」

「やめてください! イェーガーさん!」


 私はすんでのところでイェーガーさんの腕に飛び付き、その振り上げた拳を止めるのだった。

 ヨーゼフさんが恐る恐る目を開けると、ゴホンと咳払いを一つし、偉そうにイェーガーさんに向かって言う。


「ふ、ふん! これだから平民は。まぁ、彼女の態度と応急処置に免じて目をつぶろう。……さ、こんな不潔な小屋にこの方を寝かせてはダメだ。今すぐ私の治療院に運びなさい」

「……イェーガーさん」


 イェーガーさんの腕はプルプルと震えていたが、やがてフッと力なくだらりと垂れた。

 そのままイェーガーさんは無言でアルベルトを抱きかかえると、ヨーゼフの後に着いて小屋を出るのだった。

 私はふぅと安堵の溜め息をつくと、小屋を片付け、家へと帰ることにした。

 空を見上げると、もう辺りは薄暗く、星が瞬き始めていた。

 星空の下、どこかふわふわとした心持ちで、ぼぉーっと物思いに耽っていた。

 なんて美しい人だろう。

 私は無意識の中に残る微かな記憶から、そっと唇に手を触れるのだった。

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