27.ダークレヴの狩り

 アルヴィニアから帰国し数週間が経った。

 ポータルを通る鍵となる腕輪を取り上げられた私たちは、もうアルヴィニアへと行くことはままならないが、ダングルベールさんたちは違った。

 約束通りダングルベールさんはレオンたちの家を建てるために、職人を引き連れてやってきたのだった。

 さすがにアルヴィニアの建造物のように、採石場から石を運んでくるのは無理だったので、他のノルンの建物と同じように木材を使って家を建てているのだが、その技術とスピードには目をみはるものがあった。

 アルヴィニアの建造物を一手に手掛けてきただけあって、その卓越した技術はノルンの職工たちもさぞかし勉強になっただろう。

 そして、その技術を最大限に活かして尋常ではない建築スピードを叩き出すことが出来るのは、ジルベールさんお手製の魔道具のおかげだった。

 どうやら木材加工用の魔道具をわざわざ探して作ってくれたらしい。

 そうして、あっという間にダークレヴ全員分の家を森の中にこしらえてしまった。


「おう、これで一丁上がりじゃ。補修やら何やら必要になったら、遠慮なく呼び出すんじゃぞ!」


 そう言って、まるで嵐のように颯爽とダングルベールさん一行は去っていったのだった。

 ガスパルさんの教え通り、プロの治療師としてこうしてしっかり報酬は受け取ったが、これはあまりにもらい過ぎな気がした。

 そんなこんながあってから、今日、私はレオンの新居にお邪魔していた。


「こんな立派は家に住めるなんて、本当にありがとう! クロも喜んでるよ!」


 レオンが大はしゃぎで言った。

 これだけ喜んでくれて、ダングルベールさんも本望だろう。

 それにクロも喜んでいるとのことだ。

 私はちらりと窓の外を見る。

 伏せをしているはずのクロだが、窓からその全身がはっきりと見える。

 それ程の巨体だったと改めて実感する。

 ハッハッと舌を出して息をしている様はどこからどう見ても犬のそれだが、クロは間違いなく魔獣だ。

 まぁ、クロほどの魔獣がいれば下手な猛獣は寄ってこないだろうし、番犬としてはこれ以上ないだろう。


「それで、これからのノルンでの生活だけど、アルヴィニアにいた時と同じように、家畜の世話と畑仕事で本当に大丈夫?」


 せっかく奴隷から開放されたというのに、やってることが同じでは、辛かった時のことを思い出させてしまうのではないかと心配だった。

 でも、そんなことは意に介することもなく、ケロッとした様子で答えるレオン。


「全然! 元々、動物や植物の世話をするのは得意だから、むしろそういう仕事をしたいとみんな思ってるよ。……あの時に辛かったのは、いくら働いてもまともな食事をすることも出来ずに、奴らに搾取されてたからだよ。でも、セルジュさんは違う! ちゃんと平等に扱ってくれるって言ってたから」

「そうだね。セルジュは、いえ、ノルンはそういう楽園みたいな場所だから。でも、そういうことなら安心した。これで、あの美味しい牛乳がまた飲めるのね」

「まぁ、まずは牛を手に入れないとだけどね! ……あ、そうだ! これから森へ狩りに行こうよ!」

「狩り?」

「そう! 俺たちは動物の世話も得意だけど、クロみたいなペットと一緒に狩りをするのも得意なんだ!」

「へー! そうなんだ!」

「鹿やイノシシなんか簡単に捕れるよ! あのイノシシ肉のさっぱりした脂身がおいしいんだよねぇ……」


 遠い目をするレオン。

 私も釣られて想像すると、ヨダレが出てきてしまった。

 そのため、私は二つ返事で了承した。


「行こう! ぜひ、行こう!」

「おっけー!」


 そう言ってレオンは壁に掛けてあった弓と矢筒を手にし、私たちは意気揚々と家を飛び出した。

 そして、クロを引き連れると、森の奥へと向かおうとした。

 その時だった。

 たまたま見知った少女とばったり出会う。


「やぁ」

「こんにちは、マチルダ」

「どうも……」


 相変わらず大人びた少女は、なぜか私を睨み付けているように見えた。


「犬の散歩?」


 ダークレヴにとってクロは犬扱いだ。


「ううん、これからクレアさんと狩りに行こうと思って」


 だが、笑顔でそう言うレオンとは対照的に、むっとした表情を見せるマチルダ。


「……二人で?」


 どこか引っ掛かるような物言いのマチルダ。

 だけど、そんなことには全く気付いていない様子のレオンが言った。


「そうだよ!」


 さらにむっとした表情を見せるマチルダ。

 これは、あれだ……。

 間違いない。

 私は嫉妬されてるに違いない。

 いくら男女関係に疎い私でもそれくらいは分かる。

 誰しもが経験するようなことだから。

 私も郷里の村の男の子にそんな感情を抱いたことは少なからずあった。

 だから、そんなマチルダの様子を見て微笑ましく感じていた。

 だけど、それは大いなる勘違いだと伝えたかった。

 レオンは単に私を慕ってくれているだけだ。

 それをまだマチルダは理解出来ていないのだろう。

 だけど、こればかりは自分で気付いてもらうしかない。

 そのためには、これからのレオンの振る舞いが重要になる。

 さぁ、不機嫌な様子の彼女に何て声を掛ける、レオン?

 そんな私の思いを知ってか知らずでか、レオンは思い付いたように手を打って言った


「そうだ! マチルダも一緒に行こうよ!」

「え?」


 キョトンとした顔のマチルダ。

 直後、恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 良くやった、レオン!

 百点満点の回答だよ。

 そうして、マチルダは静かに呟いた。


「……行く」

「よーし! じゃあ、みんなでいっぱい獲物捕ろう!」


 そう言うと、張り切ってクロと並んで進むレオン。

 その後ろを微妙な距離感で着いていくマチルダ。

 そんな二人を眺めながら、私は一緒に森の奥へと向かうのだった。


「行け! クロ!」

「ガウッ!」


 森に入って小一時間。

 昼前だと言うのに、生い茂る木々で薄暗くなった森は自然の宝庫だった。

 レオンとクロの見事な連携により仕留められた鹿は、これで三頭目となる。

 クロが威嚇しながら誘導し、それをレオンが弓で射る。

 見事な狩りだった。

 仕留めた鹿の足をロープでくくると、クロの背中に着けられた鞍のようなものにぶら下げる。


「……えい」


 一方、マチルダは石を包んだ革の両端から伸びたヒモを手で持ち、それをヒュンヒュンと頭上で回転させていた。

 そして、十分勢いが付いたところで、その片方のヒモを離す。

 すると、石がとんでもない勢いで飛んでいき、荒々しい鼻息を立てるイノシシの額に見事に命中していった。

 いわゆるスリングという武器だ。

 石を投げつける単純なものにも関わらず、腕力のない少女ですら、イノシシの頭を一撃でかち割ることが出来る。

 こちらも丁度、三頭目のイノシシを仕留めたところだ。

 同様にロープでくくり、クロの鞍へ吊るしていく。


「……二人ともすごいね」


 私はというと、これらのごちそうの調理に使うための香草や、ついでに普通の薬草なんかを摘んでいるだけだった。


「そうかなぁ? これくらい普通だと思ってたけど」

「……別に、少し練習すれば誰でも出来ますから」


 私は苦笑いを返すしかなかった。

 やっぱり、ダークレヴだからということだろうか。

 生まれ持っての狩人の素質が彼らにはあるのかもしれない。


「そろそろ帰る?」


 レオンが五頭目の鹿を仕留めたところでそう言った。

 マチルダも同じく、五頭目のイノシシをクロの鞍に括り付けている。

 いくら巨体とはいえ、これだけの数の獲物を背負ってはさすがのクロも大変だろう。

 それに、このまま夢中になって日が暮れてしまっては、いくらなんでも危険だ。

 私はうなずいて答える。


「ええ、十分だと思う。お腹も空いてきたし……」


 その時だった。

 グルルルルという低いうなり声が聞こえる。

 決して私のお腹ではない。

 クロだった。

 警戒するように身を低くし、森の奥の暗闇をじっとみつめ、突然うなり始めたのだ。

 私はぞくりと得体の知れない寒気に襲われ、とっさに叫ぶ。


「レオン! マチルダ! こっちへ!」


 二人もどうやら異変に気付いたのか、さっとその場から飛び退き、私を守るようにして立った。

 暗闇の奥から、バキバキと枝を豪快に折る音が近付いて来る。

 私たちは、そこから目を離さず、ゆっくりと後ずさりしていく。

 クロが一段と大きなうなり声を上げた、その瞬間。


「グオオオオオオオオオォォォッッ!!」


 森の木々を揺さぶる程の咆哮。

 それと同時に暗闇から現れたのは、灰色の毛皮に覆われた、私の背丈の倍以上はある巨大なクマだった。


「厄介なのがお出ましだね」

「……鹿に釣られて来たのかもね」


 レオンが弓に矢をつがえ、マチルダが石を拾う。


「ちょ、ちょっと! 二人とも、何してるの!? 早く逃げないと!」


 だけど、二人は灰色のクマを捉えたまま、言う。


「あいつ、完全に俺たちも狙ってるよ」

「……そうね。あれはもう人の味も覚えてるみたい」


 そんな恐ろしいクマがこの森にいるなんて。

 私たちを狙っているということは、逃げることも難しいだろう。

 あんな巨体をしていながら、クマの走るスピードは驚異的だ。

 人間など一瞬で追いつかれ、ボロ布のように引き裂かれる。

 でも、こんな怪物と戦おうとでもいうのか。

 それだって無茶だ。

 じゃあ、どうする……。

 だが、そんな私の葛藤などお構いなしに、クマは私たちを見据えたままピタリと動きを止める。

 直後。


「グオオオォォォゥウッッ!!」


 クマが爆発的な速さで私たちに飛び掛かる。


「クロッ!!」


 レオンの怒号とほぼ同時。

 クロが巨大なクマの横腹に飛びつくように噛み付いた。


「グオオ!!」


 軌道を逸らされ、私たちの真横の木に直撃するクマ。


「食らえ!」

「……えい」


 すかさず弓と石を放つレオンとマチルダ。

 だが、分厚い毛皮のせいか、クマは怯む様子は全くなかった。


「グオオオォォォ!」


 大木のような腕を腹に噛み付くクロに振るうクマ。

 その瞬間、クロは後方に飛び退き、紙一重でその一撃をかわす。

 私たちもその隙にクマから距離を取る。


「俺たちの武器じゃどうしようもないね」

「そんなこと最初から分かってるわよ。狙いは私たちなんだから、うまく動きを誘いながら、クロに何とかしてもらうしかないわ」


 マチルダがそう言いながら再び石を拾う。

 やっぱりこの場でこんな怪物に対抗出来るのは、魔獣であるクロだけだ。

 だけど、あんなタフな相手、あとどれくらいで仕留められそうだろうか。

 脇腹から血は滲み、毛皮が赤く染まっているものの、クマの動きに変化はなく、あまりダメージは負ってなさそうだ。

 クロがクマにトドメを刺すまでに、あと何回私たちは猛攻を凌げば良いのか。

 一度でも食らえば確実に死あるのみだ。


「来るよ! クレアさん! 横に飛んで!」


 レオンがそう叫んだかと思うと、短く口笛を鳴らす。

 クマが再び私たちに飛び掛かる。

 そこへ合図を受けたクロが先程と同じく横腹に噛み付く。

 だが、今度はさっきの不意打ちのようにはいかず、クマは踏み止まった。

 そして、何とクロに噛み付かれたまま、私たちに飛び掛かってきた。


「キャーッッ!!」


 私はとっさに横っ飛びにそれをよけ、うつ伏せに倒れた。


「クレアさん!!」


 レオンの叫び声にハッとして、あお向けになり顔を上げる。

 すると、私の眼前には、荒い息を立ててヨダレを垂らすクマがそびえていた。

 そして、川で魚でも捕るかのように、大きく腕を振り上げる。

 それはまさにギロチンであり、さしずめ私は死刑囚だ。

 既に首は死刑台に乗せられ、人生の幕が下ろされるのを待つだけだ。

 私、本当に死ぬの……?

 反射的にぎゅっと目を閉じる。

 だがその瞬間、甲高い指笛がこだまする。


「グォゥウウゥ!!」


 妙なクマの鳴き声がした。

 まだ、私は死んでいない。

 パッと目を開けると、何とそこには大きな一羽の白い鳥がクマの頭の周りを旋回していた。

 そして、白い鳥はそのカギ爪やクチバシで、執拗にクマの顔面を狙っているようだった。


「クレアさん! 今のうちに早く!」


 その呼び声に、私は慌てて立ち上がると、震える膝を無理矢理押さえつけながら何とかレオンたちの方へと辿り着いた。

 クマはがむしゃらに腕を振るい白い鳥を退けようとするが、スイスイと優雅に空中を舞う鳥を捉えることは出来なかった。


「あ、あの鳥は?」

「私のペットです」


 マチルダがしれっと言う。

 だが、あんな鳥、見たこともない。

 クマに引けを取らないくらい大きな怪鳥。

 美しい羽根に、三つに割れた尾羽根を持つそれも、明らかに魔獣だろう。

 私は安堵しながらも、ダークレヴの力に頭を抱える。

 まさかマチルダまでとは。

 しかし、マチルダが私の考えとは裏腹に不安げに漏らす。


「やっぱり、鳥とクマでは分が悪いですね……」


 ハッと見やると、白い鳥はクマの手の届かぬ頭上でゆっくりと旋回したまま、攻撃を止めていた。

 当然だ。

 いくら鳥が魔獣とはいえ、このクマだって魔獣と遜色ない。

 鳥がクマを仕留めたなんて話、聞いたこともない。

 そこへレオンが口笛を鳴らす。


「グォオオオ!」


 背後からクロが噛み付く。

 だが、クマも重い一撃を繰り出すと、クロはくるりと身を翻しながら立てていた牙を離す。

 すかさず白い鳥が急降下するが、クマも野性の勘によって、上体をそらし、眼球への攻撃をうまくずらす。

 そうして、一進一退の攻防が続いていた。

 クマの顔面や体の至るところから血が流れ、激しく息を立てている。

 クロや鳥も、致命的な傷はないものの、体力は限界に近いだろう。

 このままではジリ貧だ。

 スタミナ勝負になれば、クマの方に軍配が上がることは目に見えている。

 ここでどうにか勝負を決めるチャンスを作らなければ。

 私がオトリになるか……?

 いや、打ち合わせも何もないのに、それでは一か八か過ぎる。

 助けを呼ぶ?

 今さら行ったところで間に合わないだろうし、それ以前に誰を呼ぶというのだ。

 どうする。

 どうすれば……。

 何か、少しでも隙を作る方法があれば……。

 その時、私は自分の右手が妙にヒリヒリとするのを感じた。

 右手はたまたま、摘んだ薬草を詰めたポーチの中に入っており、無意識の内に力が入ったため、何かを握り潰していたようだった。

 私は右手を出すとそれを見る。

 一瞬の思案。

 直後、私は叫んでいた。


「マチルダ! 手伝って!」


 驚いて振り返るマチルダをよそに、私はシリンダーを取り出し、握り潰していたものと同じ実をポーチからいくつも取り出し、どんどん抽出していった。

 ジルベールさんに改良してもらったおかげか、凄いスピードで溜まっていく。

 そして、次にハンカチを取り出すと、それに抽出した液体をヒタヒタに染み渡らせた。


「これをスリングで、あいつの鼻先に狙って!」


 私はスリングの上に、液体のたっぷり染みたハンカチを置き、そこへ石を乗せると、それを包むように軽くハンカチの端を結ぶ。

 マチルダは既に驚いた顔などしておらず、何かを確信したかのように、無言のまま力強くうなずいた。

 そして、力を蓄えるようにスリングを回し始める。

 この一瞬で勝負が決まる。

 すると、以心伝心でもしたのか、白い鳥が攻撃を誘うように急降下したではないか。

 水の低きに就くが如く、クマがその腕を振り下ろす。

 今だ!


「……えい!」


 乾坤一擲。

 放たれたスリングショットは途轍もないスピードで、クマの顔面目掛け一直線に飛んで行く。


「お願い! 当たって!」


 果たしてその願いは現実のものとなった。

 鳥に夢中になって腕を振り下ろすクマ。

 そのガラ空きになった顔面へ見事に石が的中する。

 その衝撃自体にはクマはビクともしなかった。

 だが、べチャリと濡れたハンカチが顔に張り付いた。

 直後。


「グォォオオオオオオオンンンンン!!」


 突如、クマが顔を抑えながら悶絶し、のたうち回る。


「レオン!」

「分かった!! クロ!!」


 レオンの口笛が鳴ったと思った時にはもう、クロの黒い影がクマの首元に飛び掛かっていた。

 そして、そのダガーのような鋭い牙をクマの首に深々と突き立てる。


「グボォォンンン!! ガボォォォオオ! ガボォ! ガボォォォ……」


 口元から血泡を吹き出しながら叫喚するクマ。

 そして、地面が揺れるかと思う程大きな音を立てて、ズシンとその場に沈んだ。

 血が小川のように流れ落ちる。

 それから怪物が動くことはなかった。


「……や、やった」

「……何とか仕留められたわね」

「レオン! マチルダ! 二人とも大丈夫!? 怪我はない!?」


 私は目に涙を浮かべながら、二人を抱き寄せるようにして言った。


「だ、大丈夫だよ。クレアさん。奇跡的にね。それより、さっきのクマに投げたアレ、何だったの?」

「ん? あー、アレ? 香辛料にと思って採ってたんだけど……」


 私はポーチから余っていた真っ赤な実を取り出す。


「激辛トウガラシ。シリンダーで辛味成分だけを凝縮して抽出したの」


 すると、レオンが舌を出しながらパタパタと手で顔をあおぐ。


「うへぇ。傷だらけの顔にこれが塗り付けられたんだ。こんなの地獄だよ!」

「……まぁ、あんたはお子様舌だから特にそうかもね」

「なにぃ? 俺だって辛いものくらい食べられるよ!」

「そう? うちでトウガラシ入りのトマト煮込み出した時、涙目でイタイイタイ言いながら食べてたのは誰だっけ?」

「うぬぬ! お前んちのは普通のより辛いんだよ!」


 そんな二人のやり取りを見て、私はつい吹き出してしまった。

 それを見たレオンとマチルダも釣られて笑い出した。

 そうして私たち三人はしばらく笑い合っていた。


―――――――――――――――――――――――――――


「……ただいまー」


 私たちはようやくノルンへと帰ってきた。

 もう日は暮れ始め、綺麗な夕焼けがトウガラシのように真っ赤に燃えていた。

 町の入口には、なぜかセルジュが森番のオーグマさんと一緒に立っていた。


「何だ、お前たち。まさか森へ行っていたのか……っておい!! 何だソレは!?」


 セルジュのここまで驚いた顔は初めてみたかもしれない。

 こんな顔出来るなら普段からもっと感情豊かにして欲しいものだ。

 まぁ、でも、これはさすがのセルジュでもそうなるだろう。

 鹿とイノシシを積んだクロが、さらにロープをくくりつけて、あのクマを後ろに引きずっていたのだから。

 しかも、そのクマの上では、あの白い怪鳥がまるで自らの手柄だとでも言うように羽を休めていた。


「すごいだろ? セルジュさん! 俺たち三人で狩ったんだ!」

「……正確には三人と二匹よ」

「ごめんなさい、セルジュ。森にこんな危険な動物がいるなんて。ノルンの皆にも知らせて注意しないと……」


 すると、あんぐりと口を開けたセルジュが我に返って、こんなことを言い出した。


「あ、ああ。そうだ。皆に注意喚起せねばな。……というか、それをさっきしたところだ。なぁ、オーグマさん」


 振られたオーグマさんも目をゴシゴシと擦りながら、何度もクマを確認する。


「……んだ。間違いねぇべ。コイツが仲間を襲った人喰い熊だ! 町の皆にゃ、しばらく森さいぐなと言ったのに。あんたら、女子供と犬と鳥で倒しちまったべか……」

「アルベルトにも頼んで神殿騎士団と一緒に討伐隊を組もうかと話していたところにコレだからな……。もう、怒るべきか、褒めるべきか分からん。ただ、無事に帰ってきて、それだけは良かった」

「もう、素直に喜んでよ」


 すると、セルジュがいつもの通り、やれやれとため息混じりに言う。


「能天気な奴め。一歩間違えれば死んでいたかもしれんのに」


 まぁ、これはこれで心配してくれたということだろう。

 そんなことを思っていると、オーグマさんが何かに気付いたように、誰ともなしに呟いた。


「ありゃ、あの白い鳥は、まさかシムルグだべか……!?」

「ああ、あれですか。マチルダのペットみたいですよ。珍しい種類なんですか?」


 私はどうやら本当に能天気だったらしい。

 なぜなら、オーグマさんがまたまた目をゴシゴシと擦った後、信じられないといった顔を私に向けたからだ。


「……あ、あれは、おらも初めて見るが、たぶんシムルグで間違いねぇ。親父やそのまた親父から聞いた話だが、この森にゃ神の使いとも呼ばれる純白の神鳥がいるっちゅう話だ。その名はシムルグ。ミュルク大森林の中心にそびえる大樹に棲み、その羽ばたきで巻き起こされた風があらゆる種子を運んだんで、このミュルク大森林には様々な植物が生まれたっちゅう伝説の神鳥だべ。大きさからして、まだ雛なのかもしれないべ……」


 何ということだ……。

 魔獣の次は神鳥ときたか。

 でも、オーグマさんも見たことないって言ってるし、もしかしたら違うかもしれない。

 私もあんなデカくて綺麗な鳥は見たことないけど、新種の鳥という可能性もある。

 一応、マチルダに確認してみよう。


「オーグマさんはああ言ってるけど、本当のところはどう? この鳥はどこで捕まえてきたの?」


 すると、マチルダがあごに指を当て、首をかしげる。


「シロですか? さぁ? 分かりません。代々うちの家で飼われてきたものなので。でも、なぜか、つがいでもないのにいつの間にか卵を産んで、雛がある程度育つと親鳥はどこか飛んで行ってしまうみたいです」


 シロという名前なのか。

 まぁ、白いからね。へぇー。

 いや、そんなことはどうでもいい!

 今、まさにしれっと神鳥の特徴っぽいこと言っていたでしょ。

 でも、神鳥ということだったら、仮にマチルダの言う事を聞かなくなっても、人に危害を与えることはないと思いたい。


「ねぇ、そんなことより早くみんなでイノシシ食べようよ! クマの血抜きもしないとだし」


 レオンの思わぬ助け舟。

 皆、思いがけない出来事の連続で思い詰めたような顔をしていたが、その一言で皆、考えるのをやめた。

 考えたって仕方ない。

 意外と皆、能天気だったのかもしれない。


「そうね! せっかくだし、セルジュたちも食べてくでしょ?」

「……あ、ああ。そうだな」

「おらもいいんべか?」

「もちろん! さ、お肉はレオンに任せて、私は野菜でも切ろうかな」


 そう張り切って腕まくりをした時だった。


「すみませーん。クレア・エステルさんはどちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」


 その声に振り向くと、そこには駅逓局の帽子を被った青年が立っていた。


「はい、私がクレアですが」


 すると、安堵の表情を見せる駅逓局の青年。


「ああ、すぐ見つかって良かったです。これで早く帰れる……。クレア・エステルさん宛に書留です。受領証にサイン頂けますか?」


 どうやら思ったことは口に出てしまうタイプらしい。

 肩に掛けたカバンから、仰々しく革のケースに入れられた一通の手紙を取り出す。

 それにしても、楽しい宴をこれから始めるって時に一体誰からだろう。

 私に手紙なんて送ってくる程、親しい人はいないし。

 それとも家族に何かあったのだろうか。

 私は不安になる気持ちを抑えながら、受領証にペンを走らせる。


「はい、どうも。では、これで失礼します。……うぉっ! 何だあれ? クマか? 嘘だろ?」


 駅逓局の青年はギョッとした顔のまま、駆け足で去っていった。

 だけど、私は彼の何倍も、それこそ本当に心臓が口から飛び出したかと思う程、驚いていた。

 革のケースを開き、中から取り出した手紙には、かつて見飽きるくらい毎日見ていたデザインの封蝋がされていたのだ。


「……治療師、協会」


 ざわざわと木立が風に揺れる。

 私はその手紙を手にしたまま、呆然と立ち尽くしてしまうのだった。

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