26.謁見の間(後編)

「これよりすぐに処刑を開始する。我々には時間がない。下がれ」


 冷徹なギュスターヴ国王の声が謁見の間に響く。

 もう、止められない。

 力なく立ち上がろうとした。

 その時だった。


「僭越ながら申し上げます、国王陛下」


 良く通る低い声が耳に心地良い。

 力強いその声はどこか安心感を覚える。


「その方は?」

「申し遅れました。ノルン当主のセルジュ・ガルと申します」

「ほう。一介の村の長が口を開くか。旨趣によってはその方もダークレヴと共に首を並べることになるぞ」


 ギュスターヴ国王の射貫くような冷たい視線がセルジュに向けられる。

 だが、セルジュはそれを気にも留めず、むしろ跳ね返すように強い語気で言った。


「発言の許可、感謝致します。ダークレヴを処刑されるということですが、国王陛下ともあろう方がそれは少々短絡的かと存じます」


 脅されて早々の喧嘩腰発言に私たちは一同、ギョッとした。

 あれだけの威厳と冷酷さを持った人間にこんな真似出来るなんて。

 どういう神経しているのだコイツは。

 だが、ギュスターヴ国王は相変わらずの冷ややかな目付きではあったものの、その口角は少し上がっているように見えた。


「……続けよ」


 まさかの続行。

 ……偉い人の考えていることは分からない。


「国王陛下及びアルヴィニア国民が問題とされているのは、ダークレヴの体液を使うという治療法。だが、クレアの話によれば、ダークレヴも元々、牛から弱い毒を受けたことから特効薬を作り出す体になったということです」

「つまり、我々に奴隷ではなく、家畜の血を体に流せということか?」


 ギュスターヴ国王は冷ややかな笑みを見せる。

 これは、まずい。

 明らかに侮蔑したような笑みだ。

 回答次第では本当にセルジュの首も並んでしまう。

 お願い! セルジュ!


「それはお任せします」


 おい! セルジュ!

 そこでぶっきらぼうを出すんじゃない。

 一瞬で冷めた目になるギュスターヴ国王。


「ほう……」

「ですが」


 間一髪、セルジュが割って入る。


「私はアルヴィニアを疫病から救うための方法は三つあると考えています。一つ目は既知の通り、ダークレヴの体液を注入する方法、二つ目は最前の牛の体液を注入する方法。これはどちらも、受け入れられない。だが、即効性はある。既に疫病に罹り、命に危機が迫る者に対しては、治療法は極秘にし、嘘を吐いてでも治療を施すべきです。同じ嘘でも、治療法は見つかっていないなどという嘘を吐いて絶望のまま見殺しにするよりは、知らぬは国民だけの方がよっぽど良い」

「ふむ……。して、三つ目は?」

「これはどれくらい時間が掛かるか分からないため、最善とは言い難いですが、感情的にも受け入れられる落としどころと考えます。三つ目は、ダークレヴと同じ状況を作り出すこと。つまり、アルヴィニア国民に牛の世話をしてもらい、弱い毒を受けたアルヴィニア国民の体液を全国民に注入していく方法です」

「我らに家畜の世話をしろ、と?」

「ええ。しかし、今のままでは、不自然だ。牛の世話はダークレヴの仕事ですから。結局、牛の病気を国民の体に入れているのだと気付かれ、反発が出かねない。そこで、一芝居打つ」

「ほう」


 ギュスターヴ国王が再び興味深げに口角を上げる。


「その内容は、この度の疫病はダークレヴによって引き起こされたものだったとして、ダークレヴは全員国外追放する。そうして、誰も世話をしなくなった牛たちをアルヴィニア国民が世話することで、その中から毒にかかる者が出てくる。国民には疫病の治療法は伏せておき、その者たちには治療と称して毒を抜き取り、全国民にも何の治療かは明かさず毒を注入していく。そうすれば、疫病に罹る者が減っていくに従い、ダークレヴが疫病の元凶だったと信じた国民は、それを追放した国王陛下を称え、多くの国民の命が救われる。国外追放と同時に、先程の第一と第二の方法を併用すれば、より効果的でさらに多くの命が救われますが、そこの判断はお任せします」


 ぶっきらぼうなさっきのお任せしますはここに繋がるのか。

 でも、セルジュの言う通り、この方法だったら時間は掛かるかもしれないが、納得はしてもらえるはずだ。

 やっぱり、セルジュはすごい。

 こんなことまで頭が回らなかった。

 希望が見えてきた。

 あとは、ギュスターヴ国王がどう出るか、だ。


「……面白い。確かに、それならばアルヴィニアを救うことは出来そうだ」


 やった!

 私は心の中でガッツポーズをする。

 だが、それはどうやら早計だったようだ。

 ギュスターヴ国王の無慈悲な言葉が降り注ぐ。


「だが、なぜ国外追放にする? ダークレヴがいなくなれば問題ないのであれば、計画通り、処刑を執行する。それが我らの悲願なのだから」


 そうだ。

 セルジュはレオンたちを助けたいがために、国外追放と言ったのだろうか。

 話の流れでそのまま了承されると思って。

 だが、さすが国王。

 あの瞳の前では何も隠し立てすることは出来ないのか。

 やっぱり、処刑は避けられない運命だったのか。

 私は不安げにセルジュの顔をちらと見る。

 しかし、セルジュは真っ直ぐ、燃えるような赤眼でギュスターヴ国王を見据えたまま、不敵な笑みを浮かべていた。


「ですから、国王陛下。それは少々短絡的かと存じます」


 空気が一瞬にして凍り付く。

 もう、ギュスターヴ国王は笑みなど浮かべていなかった。

 だが、それを打ち砕くようにセルジュの力強い声が響く。


「処刑と申されますが、日にどれだけの人数を処刑されるおつもりですか? 当然、国民への演出ですから、一度にそれ程多くの人数は処刑されないでしょう。効果的ではないですから。それに死体の処理をするにも限りがある。すると、あれだけの人数のダークレヴを全員処刑するには、少なくともひと月以上は掛かる。そうなれば、最早牛の世話などしている暇はない。完全に手遅れになる。だが、国外追放であれば、ほんの二、三日で全員の追放が出来る。むしろ、短い期間で全てのダークレヴが一気に町から消えた方が、国民に与える印象は効果的であり、国王陛下の手腕も称賛される。僭越ながら、以上が国王陛下への進言となります」


 ギュスターヴ国王は押し黙っていた。

 沈黙に耳が痛くなる。

 ぎゅっと目を閉じると、心臓がとてもゆっくり脈打っているように感じる。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 とても長い時間のようで、実は一瞬だったのかもしれない。

 しばらくして、ギュスターヴ国王はフッと口元を緩めると静かにこう言った。


「……その方、セルジュと言ったな。……良い領主になるであろう」


 そして、ギュスターヴ国王はシャルルベールさんに向かって言った。


「後のことはその方に任せる。良きに計らえ」

「……は、はい! 畏まりました!」


 シャルルベールさんが立ち上がり、深々とお辞儀をする。

 私たちも同じく、立ってお辞儀をすると、シャルルベールさんに続いて謁見の間を後にするのだった。

 大広間に戻り、ようやく大きく息をつく私たち。

 全然生きた心地がしなかった。

 でも。


「やったー! セルジュ! すごい!! もう、緊張と息苦しさと嬉しさで言葉が出ないけど、すごいよ!! 本当にありがとう!!」

「さすがに今回は脱帽だよ、セルジュ君。あれは君にしか出来ない交渉だった」

「俺は当たり前のことを言っただけだ。本当にすごいのは、治療法を見つけたクレアの方だ」

「本当に、本当に、わしはあんたらと出会えて本当に良かったと感動しとる。まさか国王陛下にあそこまで言わせるなど夢にも思わんかった。これで、アルヴィニアの民を大勢救うことが出来る。あんたらには心から感謝しとる」


 そう言って瞳を潤ませながら頭を下げるシャルルベールさん。


「そんな! 頭を上げてください、シャルルベールさん! シャルルベールさんがいなければこんなに上手くいかなかったです。治療に対する理解や、命を救うことを第一に考える立派な治療師だったから。だから、こちらこそありがとうございます」


 私はシャルルベールさんの手を取り、両手でぎゅっと握りしめる。


「……あんたは本当に、女神のようじゃ」


 そうこぼしたシャルルベールさんだった。


「さて、これからが本番だ。俺たちも忙しくなる。そろそろノルンに戻るか」

「俺たちも忙しくなる……ってどういうこと?」


 私がそう尋ねると、セルジュがやれやれといった様子で笑って言った。


「ダークレヴ全員が国外追放になるんだ。誰かがレオンたちの面倒を見てやらんとな」

「え? じゃ、じゃあ、レオンたちはノルンに……?」


 セルジュが大きくうなずく。

 何ということだ。

 確かに、これはセルジュにしか思いつかない交渉だ。


「やれやれ、今回はセルジュ君と揃って出番がないと思っていたが、最後の最後にこんな活躍を見せられるとはね」

「大丈夫! アルベルトも素晴らしい剣さばきでしたよ。さすが騎士様!」

「そうだろう! 何たって、君の騎士だからね!」

「あ、そうだ! そんなことより、レオンたちにも早く知らせてあげようよ!」

「そ、そんなこと……」


 なぜかアルベルトはガクッとうなだれてしまった。

 だけど、そんなことは気にせず、私はセルジュとアルベルトを引っ張るようにしてダークレヴの居住区へと向かうのだった。

 街並みを抜け、レオンの家までやってくる。


「おかえり、クレアさん! お城での話し合いはどうだった?」


 私はレオンと彼の母オアイーブさんにも、事の子細を伝えた。

 全てを聞き終えたレオンは、私の気持ちを体現するかのように、部屋を所狭しと飛び跳ねまわった。


「やった! 処刑されない! ここから出られる!」

「……私たちまでお救い頂き、本当にありがとうございます。息子だけでもと思っておりましたが、私たちまで。それに、奴隷から解放頂いた上に、居住地まで……。この御恩は一生忘れません。この身全てをあなた方に捧げます」

「そ、そんな大げさですよ! せっかく助かったんですから、もっと気楽に自由にしてください」

「いえ、我々は皆同じ気持ちだと思います。我々、ダークレヴはノルンに忠義を尽くします」


 私は困ったようにセルジュの顔を見る。

 すると、セルジュが肩をすくめ言う。


「それで気が済むのなら好きにすればいい。どうであれ、ノルンはお前たちを歓迎する」

「ねぇ! ねぇ! クロも連れて行っていい?」

「クロかぁ……」


 巨大な黒いフォレストウルフのクロ。

 フォレストウルフにそっくりだけど、あれは間違いなく魔獣だろう。

 今はレオンが使役出来ているから問題ないが、万が一コントロールが効かなくなってしまったらどうなるだろう。

 だが、そんな心配なんてこれっぽっちも考えていないかのように、セルジュがぶっきらぼうに言う。


「ちゃんと世話するならいいぞ」

「もちろん!」


 そんな犬や猫みたいな扱いでいいのか?

 まぁ、セルジュのことだから万が一の時のことは考えているのだろう。


「よし、それじゃあ俺たちはノルンに戻るか。レオン、ノルンまでの道は分かるだろう? 正式に追放の令が出たら、同胞をノルンまで連れてきてくれ」

「わかった! 任せてよ!」


 そう言って私たちはレオンの家を後にするのだった。

 すぐにまた会えるというのに、レオンはいつまでも私たちに手を振り続けていた。

 私たちはアルヴィニアの大通りを南門に向かって歩いて行く。

 入国してすぐに受けた洗礼である、アルヴィニア人の奇異なものを見る視線も今では懐かしく思える。

 ひと月という時間は短く、あっという間だったのに、なぜかノスタルジックな感傷に浸ってしまう。

 ごくたまにすれ違うアルヴィニア人たちは、相変わらず私たちを蔑んだように見やる。

 私たちがアルヴィニアの歴史の表舞台に出ることは決してない。

 だけど、彼らの命を救ったのは事実だ。

 私は彼らの視線を受けながら、誇らしげに歩いて行くのだった。

 そして、南門が見えてくると、そこには数人の兵士と三人の老人が立っていた。


「おおーい! 待っとったぞ!」


 老人の一人が私たちに手を振っている。

 それは、シャルルベールさんだった。

 その横にはジルベールさん、そしてダングルベールさんが立っていた。


「シャルルベールさん! わざわざお見送りありがとうございます」

「見送りなんぞ当然じゃ。それに、ほれ。渡したいもんもあったのでのぅ」


 そう言って手渡されたのは、水晶玉だった。


「離れた場所でも会話が出来る魔道具じゃ。困ったことがあれば何でも連絡せい。今度はわしがあんたの力になる」

「ありがとうございます。シャルルベールさん。これでいつでもお茶が出来ますね!」

「ガーハッハッハッハ! 本当じゃの!」


 心の底から楽しそうに笑うシャルルベールさん。

 すると、ジルベールさんがこそっと私にささやく。


「……あいつが水晶の魔道具を作ってくれと頼みに来た時は腰を抜かしたわ。治療用の魔道具も使いこなしているようじゃ。これも全部あんたのおかげじゃ。あんたも魔道具のことで困ったらわしに相談するんじゃぞ。修理でも何でもやってやるからのぅ」


 私はくすりと笑って言った。


「ありがとうございます。その時はまたよろしくお願いします」


 そして、最後にダングルベールさんが声を掛ける。


「あんたは命の恩人じゃ。改めて礼を言う。ありがとう。何か恩返しをしたいと考えておったが、わしに出来ることは建物を造ることくらいじゃ」

「そんな恩返しだんて。私は当然のことをしたまでですから」

「いいや、それじゃわしの気が済まん。で、聞いたところによると、ダークレヴがあんたらの国に移住するそうじゃな」

「ええ、そうですが……」

「じゃったら、わしがダークレヴの家を造ってやる」

「え!? そんな大変なこと!」

「なーに! わしの手に掛かれば朝飯前じゃ! やると言ったらやるかのぅ!」


 すると、セルジュがダングルベールさんに手を差し出した。


「それは非常に助かる。こちらも必要な人員や資材を用意するから、これからよろしく頼む」

「おう! 任されよう!」


 そうして、二人はガシッと手を取り合うのだった。


「もういいか? そろそろ時間だ」


 兵士の一人が不機嫌そうに言った。

 その顔はボコボコに腫れ上がっていた。

 どこか見覚えのある顔だと思い、目を凝らして見れば、それはランス隊長だった。

 恐らく、城でセルジュの鉄拳をこれでもかと食らったのだろう。

 レオンを殺そうとした罰だ。

 いい気味だ。


「それでは、皆さんまた! さようなら!」

「おう! 元気での!」


 さすが、三兄弟。

 セリフも息もピッタリだ。

 私は彼らが小さくなって見えなくなるまで手を振り続けた。

 森の中にぽっかりと浮かぶ美しい純白の城。

 まるで、おとぎ話のような国。

 苦しいこともあったけど、本当に来て良かった。

 ありがとう。

 そして。

 さようなら、アルヴィニア。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る