25.謁見の間(前編)
「準備は出来たか? クレア」
セルジュが声を掛ける。
あれから、ダングルベールさんの容態は回復し、一命を取り留めることが出来た。
これでアルヴィニアで蔓延した疫病も終息に向かうだろう。
だが、問題が一つ残る。
それは、この治療法をアルヴィニアの民が受け入れられるかどうかだ。
今回、ダングルベールさんの治療はシャルルベールさんの独断によって行われたが、全国民への処置はまだ始まっていない。
そして、この治療法を知っているのは私たちと、シャルルベールさんからの報告によって知らされた国のトップだけらしい。
ただ、そんなこと私には関係ない。
約束通り治療法を見つけたのだから、ダークレヴの処刑は中止してもらわなければ。
そう考えていた矢先、内務大臣のスニフィンから、本日城へ出向くように連絡があった。
待ってましたと言わんばかりに、私とセルジュ、アルベルトの三人は張り切って城へと向かうことにしたのだった。
「ええ、行きましょう」
「それにしてもお手柄だったね、クレア君。私たちも力になりたかったが、その必要はなかったね」
「そんなことないですよ。二人が励ましてくれたりしたおかげで、私は途中で心折れずに治療法を見つけることが出来たんです」
「そうかい? そう言ってもらえると、私たちも嬉しいよ」
そんなことを話しながら城へ行くと、城内はどこか張り詰めたような空気が漂っている気がした。
大広間に入ると、一人の兵士が私たちに近付き、右手の廊下へ先導する。
最初に通された応接間を通り過ぎ、一番奥の部屋へ通される。
その部屋は何とも殺風景な部屋で、椅子とテーブル以外に家具はなく、窓も高い天窓が一つあるだけだった。
私たちはいぶかし気に椅子へと腰掛けるのだった。
「疫病を退治した英雄をもてなすには、不相応な部屋だね」
「まだ、あまり大っぴらに話したくないからかなぁ」
その時、セルジュが何かに気付いたように、人差し指を私の口元に押し付ける。
「……静かに」
その命令とは裏腹に、私の心臓はとてもうるさかった。
どうやらアルベルトも異変を感じ取ったのか、セルジュと目配せすると、私にこう言った。
「……クレア君。あっちの部屋の隅の壁にぴったり背中を付けていてくれ」
私はコクコクとうなずくと、黙って部屋の隅へ行った。
セルジュは扉の横へ立つと、身構えた。
そして、何とアルベルトは部屋の中央で腰の剣を抜き払ったではないか。
セルジュとアルベルトがうなずき合う。
直後、勢い良く部屋の扉が開かれる。
と同時に、白い頭巾をかぶった者たちが突如押し入ってきた。
「死ね!」
真っ先に目に入ったアルベルト目掛け、剣を突き出そうとする先頭の白頭巾。
だが、真横から鍛え抜かれた太い腕が伸びたかと思うと、気付けば体は宙を舞い、硬い石造りの床へと投げ飛ばされていた。
「グハッ!」
そして、あお向けに倒れた男の顔へ、セルジュが拳を叩き込む。
痛々しい音と共に白頭巾が真っ赤に染まる。
「敵はたかが二人だ! 殺れ!」
その声と共に、白頭巾の集団が部屋へとなだれ込む。
そして、勢い良く飛び出した男が、手にした剣でアルベルトに切りかかる。
小気味好い金属音。
アルベルトの美しい白銀の剣が、男の剣戟を受け止めていた。
「クレア君がいる手前、ここを血の海にする訳にはいかないな」
そう言うと、アルベルトは相手の剣を軽々と弾く。
そして、一瞬にして懐に潜り込む。
「は、はやッ……」
言い終える間もなく、アルベルトが剣の柄で相手のこめかみを打つと、そのまま白頭巾は床に倒れ込むのだった。
「ウギャッ!」
「ブフッ!」
扉の近くでは、セルジュが渾身の右ストレートを顔面に突き刺し、さらに別の白頭巾には強烈なアッパーがその顎を貫いていた。
「おいおい、セルジュ君。今まで活躍出来なかったからって張り切り過ぎじゃないかい? 私にも少しくらい手柄を譲ってくれよ」
「知らんな。こういうのは早い者勝ちだろう?」
「言うじゃないか」
アルベルトが剣の腹で白頭巾の横っ面を叩く。
気付けば部屋には気絶した闖入者たちがいくつも転がり、最早白頭巾の者は一人もおらず、皆赤頭巾となっていた。
「……ほう。異国の者が、少しはやるようだな。ランスの隊では歯が立たないか」
コツコツと靴音を鳴らし、下卑た笑みを見せて扉の前に現れたのは、内務大臣のスニフィンだった。
どうやらこれは彼の差し金らしい。
その中にランス隊長もいたようだ。
どれかは分からないが。
「町でもコソコソと付け狙っていたな」
そのセルジュの言葉に私は驚く。
それを察したようにアルベルトが私に言った。
「クレア君が治療法を見つけたと言った時から、きな臭い動きを感じていてね。私とセルジュ君でこれまで暗殺されないよう警戒していたのさ」
何が、力になりたかったが必要なかった、だ。
アルベルトとセルジュがいなければ、今頃私は亡き者になっていた。
それだけ、私の発見が彼らの琴線に触れていたということだろう。
「こんなことをして何になるというのですか? 一刻も早く治療を施さなければ、疫病で苦しむ人々がさらに増えてしまいます」
「治療? あれを治療だと貴様は言うつもりか? 穢れた奴隷の血を我々の体内に入れるなどと。ならば疫病で死んだ方が余程ましだ」
想像通りのセリフだった。
厳密には血ではないが、今さらそれを説明したところで意識が変わるとも思えない。
「さて、私も暇ではないのでね。そろそろ貴様たちには退場してもらおうか」
スニフィンがパチンと指を鳴らす。
すると、さっきの倍以上はいるだろう白頭巾の集団が部屋へぞろぞろと入ってきた。
「よくもまぁ、こんな狭い部屋にうじゃうじゃと。だが、この数は中々骨が折れそうだ……」
「……クレア。俺たちが何とか隙を作り出す。その間に逃げろ!」
「で、でも!」
「心配するな。俺たちは大丈夫だ。……覚悟を決めろ」
そう言ってセルジュが拳を構える。
アルベルトも手にした剣を白頭巾の集団へと向ける。
今にも激突しようとした、その刹那。
「一体、こりゃあ何の騒ぎじゃ!」
怒号と共に、白い集団を掻き分けて部屋に入ってきたのは、真っ白いヒゲを蓄えた背の低い老人だった。
「やっぱり、あんたたちか。探したぞ。さ、一緒に来るんじゃ!」
「あの、失礼ですが……」
「あん? 何じゃ? わしの顔なんかじっと見おって……。そうかそうか! 素顔を見せるのは初めてじゃったの!」
上機嫌に笑うと、老人は続けて言った。
「わしじゃよ。シャルルベールじゃよ」
「やっぱりそうですよね! 今までマスク越しでしかお会いしてなかったので、つい」
「恩人だというのに素顔も見せず、失礼したの。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
「いえいえ。もう十分ですよ」
「そうか。さ、こんなところで油売っておらんで、行くぞ」
そうして私たちがシャルルベールさんに続き、部屋を出ようとした時、スニフィンがそれを遮るように扉の前に立った。
「おい、シャルルベール。邪魔をするな。こいつらを行かせる訳にはいかん。貴様のような裏切り者に言っても分からんだろうが、これはアルヴィニアに対する反逆だ。高尚な我ら血脈に、穢れた血が混ざるなど言語道断。それを私が粛清しようと言うのだ」
「いい加減にせい、若造が! そのくだらんプライドのせいで、わしらの目は曇り、この疫病の真実を見抜けなかったのじゃ。お前は、その言葉を疫病で苦しむ者や、家族を失った者たちにも向けることが出来るのか?」
「勿論だ」
「……どうしようもない奴じゃ。話にならん。そこをどけ。お前には彼女らを粛清する権利などありはせん」
「何を言っているのだ? 私は内務大臣だぞ」
だが、そこでスニフィンがハッと何かに気付き、顔色が変わる。
「察しが良いのぅ。さすが内務大臣。さ、わしらを通してもらおうか。何せ、国王陛下直々のご命令じゃからのぅ」
「陛下が……。まさか……。こんなやつらと……」
スニフィンがギリと歯ぎしりするのがここまで聞こえた。
私もこのタイミングで国王に謁見出来るとは思ってもみなかった。
しかし、アルヴィニアの国王だ。
当然、このスニフィンと大なり小なり同じ思想を持っているはずだ。
だけど、ここを何とか説得せねばレオンの処刑は免れない。
逆に、国王さえ説得出来れば、確実に助けることが出来る。
これが最後の戦いか。
「行くぞ」
そう言ってシャルルベールさんはスニフィンを押しのけると、廊下を歩いて行った。
私たちも凄まじい形相で睨みつけてくるスニフィンを横目に、シャルルベールさんの後を歩いて行くのだった。
廊下を無言でひた歩く私たち。
得も言われぬ緊張感が漂っていた。
大広間に出て、正面の大階段を上る。
まるで死刑台に向かうかのようだ。
階段を上り、大きな扉の前で立ち止まるシャルルベールさん。
すると、シャルルベールさんが振り返らず言った。
「……ここが謁見の間じゃ。くれぐれも粗相のないようにの」
私はごくりと唾を飲み込む。
そして、シャルルベールさんが扉を恭しく開くのだった。
「国王陛下! かの者たちを連れて参りました」
謁見の間の長い部屋の先には、豪奢な椅子に座る一人の男がいた。
部屋には他に誰もおらず、話が話だけに人払いしているのだろう。
私たちはゆっくりと謁見の間を進み、国王の前に歩み寄る。
純白の肌に、端正な顔立ちの国王は、美しいという他なかった。
それは、身に着けた光り輝く装飾品や、趣向を凝らした衣装が霞む程だった。
だが、美しさよりもまず感じるのは、その威厳だ。
その風貌からは想像出来ない程の君主たる威厳、オーラが溢れている。
そして、切れ長の瞳は誰よりも冷たく、全てを見通すようだった。
私たちは自然と彼の前にひざまずいていた。
このまま気圧されていては説得どころではない。
私は勇気を振り絞り、震える声で言った。
「この度はご拝顔の栄を賜りまして恐悦至極にございます。ミッドランド帝国治療師協会ノルン支部所属、クレア・エステルと申します」
「……面を上げよ」
氷のように冷たい声が、再び私の心を震え上がらせる。
しかし、ここで負けてはこれまでの全てが水の泡だ。
私はグッと息を止めると、顔を上げ、力強く国王を見つめた。
「アルヴィニア国国王、ギュスターヴ・アルヴィンだ。その方が此度の疫病を退けたという治療師か。シャルルベールから話は聞いておるが、治療法についてその方の口から、簡潔に説明せよ」
「はい。弱い疫病に感染したダークレヴは、自らの体内で疫病に対する特効薬を作り出すことが出来るため、それらの弱い疫病をダークレヴの体内から取り出し、わざと感染させることで、ダークレヴと同じく、特効薬を作り出す体にし、死に至る強い疫病から命を守るという治療法になります」
「その体内で作られる特効薬とやらを精製することは?」
「現時点では不可能です。成分を調べるために膨大な時間が必要であることと、仮にそれが判明したとしても、この森で手に入るほとんどの薬草からは同一の効果があるものは見つかりませんでしたので、精製するための原料がありません」
「ふむ。理には適っているな。その方の話が真実であれば」
「国王陛下よ。彼女の話は紛れもなく真実じゃ。そのおかげでわしの兄貴の命は救われたのじゃから」
すると、ギュスターヴ国王はフッと冷ややかな溜め息を吐く。
「それが問題なのだ。それが真実であれば、治療法は無いのと同義だ。……皮肉なものだ。これでは、まさにダークレヴの呪いではないか」
何という言い草だろう。
これが国民のトップに立つ者の言葉だろうか。
国民の命を何だと思っているんだ。
私の中で何かがふつふつと沸き立つ。
凍った心が次第に溶けていき、鼓動が強く胸を打つ。
「お言葉ですが、国王陛下!」
ギョッとした顔で私の顔を覗き込むシャルルベールさん。
その顔はヒゲよりも白く見えるくらい蒼白だった。
「残念ながら治療法はこれしかありません。他の方法を探すとなれば手遅れになるでしょう。それでも治療法は見つかっていないと、国民に嘘を吐くおつもりですか?」
シャルルベールさんがピシャリと額を叩く音が聞こえた。
頭を振って深くうなだれる姿も横目に見えた。
だが、もう遅い。
私は治療師だ。
命を救うのが仕事だ。
救える命が目の前にたくさんあるというのに、それを黙って見捨てるなんてこと、私には絶対に出来ない。
「異国の民か……。面白い」
そう漏らしたギュスターヴ国王は冷ややかに口角を上げる。
「その方はなぜダークレヴと呼ばれる者たちが奴隷となっているか知っておるか?」
「いえ……」
唐突な質問に虚を突かれる。
確かに、アルヴィニアの歴史はあまり知らなかった。
ダークレヴは奴隷、そういうものだと思い、その経緯など考えたこともなかった。
「かつて我々アルヴィニアとダークレヴはミュルク大森林の中、それぞれの地において暮らしていた。魔法に長けた我々と、魔法を使えぬダークレヴ。それぞれの思想や文化の違いから、特に争いも交流もすることはなかったが、互いの存在は認知していた。だが、突如ダークレヴの中にアヴァールという者が現れた」
アヴァール……。
どこかで聞いたような気もするが、忘れてしまった。
「アヴァールはダークレヴの王を名乗ると、こともあろうに我々アルヴィニアへの侵略を始めたのだ」
ダークレヴがアルヴィニアを侵略?
私は耳を疑った。
つまり、レオンたちの祖先がアルヴィニアに戦争を仕掛けたということだ。
「戦争は熾烈を極めた。その理由は、ダークレヴは魔法を使えない代わりに、ある力を有していたからだ。……それは、魔獣を操る力」
魔獣を操る……。
その瞬間、レオンの姿が脳裏に浮かぶ。
あの時、レオンは言っていた。
ダークレヴはアルヴィニア人にはない不思議な力を持っている。
それは動物に好かれる力だと。
動物に好かれる?
とんでもない。
魔獣を操るのが彼らの本来の力なのか。
それが紛れもない事実であることを、あの巨大な黒いフォレストウルフのクロが雄弁に物語っている。
「魔獣とダークレヴの襲撃により、アルヴィニアは壊滅しかけた。そこで、かつての賢人たちはとある作戦を遂行することにした。それは、アルヴィニアの領土にダークレヴを誘い込んだ後、大規模な結界を張り、ダークレヴの力を奪うというものだ。これがアヴァール討滅戦と呼ばれる、我々とダークレヴの大戦だ」
ダークレヴの力を奪う大規模な結界。
それが今でもこうして残っていたのか。
「作戦は成功したが、我々の被害は甚大であった。賢人たちは息絶え、魔法に関する文献等も全て焼失し、魔法の知識は過去の遺物だけとなり、今の我々にはそれらを複製することしか出来なくなった」
そうだ、セルジュが町を見て回ってきた後、言っていた。
昔、戦争があって、魔法そのものを理解している者もその記録も全て失われたと。
その原因が、まさかダークレヴだったなんて。
私は目まいを覚える。
自身の境遇から、ダークレヴに同情していたことは否めない。
肌の色が違うから、差別され、奴隷にされたに違いない。
私と同じ、理不尽な社会的弱者なんだと勝手に思い込んでいた。
だけど、彼らの歴史を知った今、正直これまでと全く同じ気持ちを抱くことは出来なくなっていた。
「これで理解したか? ダークレヴが唾棄すべき存在であり、我々の奴隷であることの正当な理由が」
「そ、それでも、今のダークレヴたちは実際に戦争を起こした人たちでは……」
「ない。だが、祖先を虐殺した者たちの末裔だ。人の感情などそう簡単に割り切れるものではない。その方も理解しているはずだ」
私は何も言い返すことが出来なかった。
これまで、アルヴィニア人の考えていることは理解出来ない、間違っていると切り捨てていたが、理解してみれば何ということはない。
私たちと同じだ。
その上で、彼らの選択を間違っているなどと無神経に言い放つことは出来なかった。
悔しい。
それ以上にそう思っているのは、ギュスターヴ国王本人かもしれない。
国王の言った、まさにダークレヴの呪いだという言葉の真意が今、分かった。
「その方の発見は大義であった。我々は計画通り、国民が疫病で死に絶える前に、全ダークレヴの処刑を執行する。それが何よりの死者への手向けとなる」
その冷酷で無慈悲な宣告は、再び私の心を凍らせるには十分過ぎるものだった。
もう、私にはどうすることも出来ない。
絶望の暗闇に落ちていくのがはっきりと分かった。
ごめんね、レオン。
約束を守ることが出来なくて。
気付けば、目から涙が溢れていた。
私はそれを止める術を知らなかった。
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