24.真相
ミュルク大森林。
魔境と呼ばれるその森は、未だ全容の解明はされておらず、人跡未踏の地として果てなく広がっていた。
そこでは、独自の生態系が息づき、多種多様な動植物が存在している。
だが、そんな豊富な自然においても、アルヴィニアで発生した疫病の特効薬となるものは、現時点において見つけることは出来なかった。
私はこれまで行ったことのない方へ足を向けてみた。
「本当に不思議な森……。こっちには今まで生えてなかった、ニンドウがある」
私は薬草という薬草を、根絶やしという言葉通りに、とにかく採取していった。
この中に、きっと疫病に効く薬があるという希望を胸に。
それから私は夢中で薬草を採取し続けた。
どれくらい時間が経っただろうか。
「……随分、森の奥まで来ちゃったかな」
ふと見上げると、木々の間から覗くアルヴィニアの純白の城が遠くに見えた。
そういえば、ミュルク大森林には魔獣が出るとセルジュが言っていたような気がする。
それを思い出した瞬間、ぶるりと身震いする。
調子に乗ってこんな森の奥まで来てしまったけど、もしかしたらものすごく危険かもしれない。
「そ、そろそろ、町の方に戻った方が良いかも……」
その時だった。
私の視界にあるものが飛び込む。
それは、ハエだった。
私はそれを目で追う。
すると、その先の地面で何匹ものハエがたかっていた。
「も、もしかして魔獣の……?」
ハエがたかると言えば、フンだろう。
しかも、あれだけのハエがいるということは、相当に大きい。
あれが排出されてどれくらい経ったものなのか、一応鮮度を見よう。
新鮮なものであれば、まだこの近くに、それの主がいる可能性が高いため、すぐに逃げないと。
私は恐る恐る、そのハエのたかる場所へと近づく。
そして、ゆっくりと草をかき分け、それを覗き込んだ。
「何、コレ……!?」
それはフンなんかではなく、私の想像を遥かに超えたものだった。
目の前のこれは恐らく、牛。
牛の死体がそこにはあった。
だけど、普通の死体ではない。
何かがおかしい。
「全身、真っ黒……」
そう、牛の皮膚が黒い模様に覆われていたのだ。
こんな死体は今まで見たことがない。
こんな黒い模様……。
黒い、模様……?
「まさか、この牛も疫病に?」
何ということだ。
人だけではなく、動物にまで罹るだなんて。
だとすれば、ここら一帯の生き物全てが死に絶える。
だったら、なおさら早く私が治療薬を見つけなければ。
私の焦りがピークに達する。
が、そこでセルジュの言葉を思い出す。
「あ、焦るな。まずは、落ち着こう」
私は目を閉じる。
色々な考えが錯綜し、色々な人の顔や言葉が頭に浮かぶ。
そして、この死体を見た時の違和感がふっと意識に上る。
私はそのまま目を開け、死体をもう一度良く見る。
私の違和感。
それは。
「……なぜ、この牛だけなんだろう」
そう、森には動物はごまんといる。
だけど、こんな死体を見たのは初めてだ。
それに動物だったらレオンがたくさん飼っている。
こんな症状で死んだ動物がいたら、頭の良いレオンだったら絶対に教えてくれている。
つまり、私の違和感が示す一つの推論。
それに気付いた瞬間、私は薬草を詰めたカゴをかなぐり捨てた。
そして、それと同時に勢いよく走りだしていた。
「……こんな偶然。だけど、これが一番、可能性が高い!」
私は森の奥から真っ直ぐに、アルヴィニアの南まで来ると、そのまま町の中には入らず、西へと向かった。
アルヴィニアの西。
レオンの牧場がある場所だ。
広大な畑のあぜ道をじぐざぐに走り抜けた私は、ようやく牧場までたどり着く。
膝に手を付き、ハァハァと息を整えていると、人懐っこい声が遠くから響く。
「あれー? クレアさん!? どうしたの? こんなところで」
軽快な足音と共に私の目の前までやって来るレオン。
ようやく息の整った私はレオンの肩に手を置き、告げる。
「牛小屋まで一緒に来て!」
「う、うん」
私のただならぬ気配を感じたのか、そのまま黙って牛小屋に向かうレオン。
牛小屋に着くと、柵の中でのほほんと草を食べている牛が数頭、小屋の中で乳を搾られている牛が数頭いるのが外から見えた。
「中に入っても大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。あいつら大人しいから」
私は木のドアを開け、牛小屋の中に入る。
すると、中では数人の女性が乳搾りや、中の掃除、牛のブラッシングをしていた。
「お仕事中、失礼します。少し、中の様子を見てもよろしいでしょうか?」
「あら、こんにちは。噂の治療師さんね。どうぞどうぞ、散らかってるけど好きに見ていってちょうだい」
優しそうな年長の女性が笑顔でそう言った。
その他の若い女性たちは、軽く会釈をすると仕事を続けた。
私は乳搾りされている牛へと真っ直ぐ近付く。
まずは、第一のポイント。
これがなければ振り出しに戻ってしまう。
でも、私の推論が正しければ絶対にあるはずだ。
ようやく見えてきた勝機。
こぼしてはダメだ。掴み取らなきゃ。
私は大人しく乳を搾られている牛をくまなく調べる。
そして。
「見つけた!」
心臓が高鳴る。
ついに……ついに、手掛かりを掴んだのだ。
牛の乳房の辺り。
そこに、薄っすらと黒い模様が浮かび上がっているのが見えたのだ。
間違いない。
この牛も、疫病に罹っているのだ。
私はすぐさまレオンに尋ねる。
「ここで働く人はいつも決まっている人だけ?」
「ううん、決まってるのは俺だけかな。手の空いた人たちが交代で手伝いに来てくれてるから」
「それじゃあ、最近ここに手伝いに来るようになった人は?」
「ああ、それならクレアの目の前で乳搾りしてるマチルダだよ」
私はマチルダという子の方へ振り返る。
マチルダは我関せずといった様子で、冷めた目つきのまま乳搾りを続けていた。
年はレオンと同じくらいだろうか。
だけど、とても大人びて見えた。
「あの、マチルダ……さん。ちょっといい?」
「……マチルダでいいです。あなたの方が年上なんですから」
はぁと溜め息まじりに作業をやめてこちらを向くマチルダ。
褐色の肌に、つぶらな真っ黒な瞳は紛れもない少女なのだが、醸し出す雰囲気がレオンと同年代とは思えなかった。
「おい! マチルダ! もっと愛想良くしろよ! クレアさんは命の恩人だぞ!」
「あなたのね。別に私は助けられてないわ。幼馴染だからって私までそうする義理はないから。それに、どうせみんな殺されちゃうんだし」
ああ、そうか。
これが普通なのか。
普通、奴隷として生まれたら、こうなるだろう。
マチルダは大人びていた訳ではない。
ただ、希望を失っていただけだ。
だったら私が、その希望を取り戻す。
「マチルダ。ちょっと手を見せて」
いぶかしげに私をにらむマチルダが、恐る恐る両手を広げて、私に見せる。
私はその両手を取ると、静かに目を閉じ、魔力を流す。
「ヒーリング!」
アルヴィニアで初めて体得した、あの体内に巡る微細な動きを探るように、魔力の奥へ奥へと意識を集中させる。
ノルンで石化病の治療薬を作った、キニネイの有効成分だけを抽出した時のように、深く、もっと深くへ。
……感じる。
無数の何かが、凄い速さで流れていく。
指先から、頭、足のつま先、全身を駆け巡っていく。
もっと、もっと深く。
意識が漆黒の闇へ落ちそうになったその時。
それは、いた。
体を蝕む、毒のような物質。
そして、それを中和するように闘う物質がどこからともなく現れてくる。
その場所は、手のひらだ。
私はその瞬間、カッと目を見開き、彼女の両手が顔に付くかと思う程、近付いて覗き込む。
「な、なんですか!?」
怯えた様子のマチルダ。
だけど、私は気にしない。
これが見つかれば、私の推論が実証される。
それは、彼女らダークレヴを救うことであり、ひいてはアルヴィニアという国を救うことになる。
私が彼女の希望を取り戻すだなんて、おこがましい。
彼女こそが、救世の希望そのものだったのだ。
「やっぱり! 私は間違ってなかった!!」
私は彼女の手を取ったまま、そう叫ぶとそのまま小躍りし始めた。
無理矢理に一緒に踊らされているマチルダは、すでに恐怖におののいた表情を見せていた。
それでも、私は気にしない。
この状況で躍り出さない者などいないだろう。
心が。
私はつい、体も踊り出してしまったが。
「ク、クレアさん! どうしたの? マチルダが怖がってるよ!」
止めにかかるレオン。
だけど、私はそのレオンの手も取ると、急に真剣な表情で言った。
「仕事中、申し訳ないけど、すぐに私と保全省に来て!」
そして、返事も待たず、両手に掴んだ勝機、もとい少年少女を半ば強引に連れ出したのだった。
「急にどうしたの? もしかして、何か分かったの?」
「ええ、レオンのおかげでね。それと、マチルダも」
「……別に私は何もしてませんけど」
それから、小走りで……。
いや、既にこれは全力疾走と言っても過言ではないくらいのペースで保全省の別棟へと向かった。
三人とも息を切らしながら、ようやく保全省へ着くと、その扉を開け、服も着替えぬまま二階に上がる。
「シャ、シャルルベールさん!」
「おう、早かったのぅ。……おい! そやつらは一体、何じゃ!? ダークレヴなぞ連れてきおって、どういうつもりじゃ!!」
突然、もの凄い剣幕で怒鳴り散らすシャルルベールさん。
私が驚きのあまり固まっていると、シャルルベールさんがグイと袖を引っ張り、一階へと連れていこうとする。
「とにかくこっちへ来るんじゃ!」
そうして、連れてこられたのは、階段脇にあった薄暗い倉庫の中だった。
「ここは呪いで苦しんでおる者たちが大勢いる場所じゃ! そこに、こんなダークレヴの子供を連れてきおって。頭に血が昇った者たちが、死んでしまうか、あんたらを殺しちまうか、分かったもんじゃない!」
「私たちを殺す……?」
「よく分かっとらんようじゃから、改めて言っておこう。ダークレヴとはそういうもんじゃ。他所から来たあんたには分からんじゃろうが、そやつらは奴隷じゃ。穢れた肌のそやつらが無惨に死のうがどうでも良い。むしろ、このような状況であれば、気すら晴れる。……と、そう思ってる者も少なくないということを理解すべきじゃな。無闇にこんなところへ連れてきたり、町を歩かせては、一緒にいるあんたにも危険が及ぶ」
「そんな! 彼女たちはあなた方を救えるかもしれないんですよ!」
その言葉に若干の戸惑いを見せるシャルルベールさん。
「どういうことじゃ? あんた、薬草を採りにいったはずじゃろう? それがどういう訳か、ダークレヴを連れてきて……。順を追って説明してくれんか?」
「そうですね。分かりました。……確かに、アルヴィニアの皆さんが彼女たちに対して、そのような印象を抱いているのであれば、この後の治療においてはあなたの協力が必要不可欠です、シャルルベールさん」
そう言った私を、レオンたちも固唾を飲んで見守っていた。
当の本人たちも何も知らずに連れてこられたのだから当然か。
私はこれまでの自分の推論と、その答えについて説明を始めたのだった。
「まず、私が森で薬草を採取している時に見つけたのは牛の死体でした。これが最初の手掛かりであり、そして治療法を見つけるための答えでもありました」
「牛の死体じゃと? それが何だと言うんじゃ?」
「ただの死体ではありません。全身が真っ黒い模様に覆われた、紛れもなく疫病で死んだ牛です」
「疫病じゃと!? ……そうか、遂に動物にまで。早く、治療法を見つけんと! 疫病に冒されなかった者もいずれ餓死してしまう!」
「そう、私も同じことを思いました。でも、なぜよりによって牛なのでしょうか。森にはこれだけ色んな動物がいるのに。森にいるなんてとても珍しい牛だけが、死体となってそこにいたのです。レオン、あなたが飼っている動物たちが、そんな病気で死んだ記憶はある?」
「う、ううん、一度も見たことない」
私は笑顔でうなずく。
改めて確かめたけど、想定通りで良かった。
「つまり、たまたま牛が疫病になった訳ではない。逆の言い方をすれば、牛が疫病になるのは必然だった。ということは、牛という動物は、元々、そのような疫病に罹っているのではないかと考えたのです」
「何じゃと!?」
「そして、私はすぐに森から戻ると、レオンの牧場まで行き、彼の飼っている牛を調べました。すると、乳房のあたりに、疫病の症状にそっくりな、薄い黒い模様が、どの牛にもあるのを見つけました」
「なんと! それじゃあ、あんたはこの呪いの原因は牛が運んできた伝染病じゃと言う訳か?」
「いえ、私にも発生原因自体は分かっていないのですが、アルヴィニア人を死に至らしめる疫病と、牛の持つ病気は、とても似ているのですが、少し違うようなのです」
「違う……?」
「ええ、そうです。なぜなら、牛たちの症状はそれ以上進行せず、のほほんと生きていますから。それに、帝国でも当然、牛は飼っていますが、こんな疫病が発生したなんて聞いたことありません。……これは、私の憶測の域を出ないのですが、何らかの要因によって、牛の弱い病気だったものが、アルヴィニアにおいて人を死に至らしめる凶悪な疫病に変質したのかもしれません。そして、幸運なことにアルヴィニアは結界で閉じられた世界であるため、他の地域に蔓延せずに済んだ。いえ、もしかしたら結界で閉じられた世界ということが病気の変質を引き起こしたのかもしれない。これ以上は神のみぞ知る、ということでしょう……」
「ううむ、なるほどのぅ。……そうであればなおさら、呪いと言われた方が納得出来るわい」
「要因が分からない以上、そう考えてしまうのが自然かもしれません。話を戻しますと、同じ症状の疫病にも関わらず、死なない牛たちと、そうではないアルヴィニア人という現状。そこで、私はこの疫病のもう一つの謎について思い出したのです」
「謎……とな?」
「はい。最大の謎。それは、彼らです」
そうして、私はレオンをビシッと指さす。
「お、俺?」
そう言ってレオンは恐々と自身を指さしていた。
「この疫病、なぜかダークレヴは罹らない。だから、ダークレヴの誰かがアルヴィニア人に対して呪いをかけたと。奴隷の反乱という大義名分もあることから、それはアルヴィニア人にすんなり受け入れられた」
「そうじゃ! なぜダークレヴは疫病に罹らぬ!? 疫病を持つ牛の一番近くにおるはずなのに、なぜじゃ!!」
「そう、ダークレヴはこの疫病に罹らない。でも、本当は違うんです」
「……何を、言っとるんじゃ?」
シャルルベールさんが少し怯えたような、でも少し嬉しそうな声でそう言った。
私の答えによって、呪いということが完全に否定される。
それは、つまりアルヴィニア人にとって、ダークレヴを非難することによって得てきた心の拠り所を奪うことになる。
だけど、病気だということが分かれば、治すことも出来る。
そんな複雑な心境にあるのだろう。
私は、アルヴィニア人も、ダークレヴも、大勢の命を救うため、真実を告げる。
「彼らは既に、疫病に罹っているのです」
「そうなの!?」
レオンの声が倉庫に響く。
まぁ、本人からしてみれば当然の反応だろう。
「同じ症状の病気であるのに、なぜか死なない牛。それと同様に、なぜか疫病に罹らないダークレヴと呼ばれる彼ら。それらの共通点をつなぐ何かがそこにあると、私は感じずにはいられませんでした。そして、彼女の体を診察した時、ついにそれを見つけたのです」
「な、何があったのじゃ?」
「言うなれば、解毒剤です」
「解毒? そう言えば、あんた前にも毒がどうのと言っておったが、わしにも分かるように説明してくれ」
「毒という単語が正確ではないのは自分でも分かっているのですが、私にはピッタリなイメージでしたので、そう説明させてください」
「うむ。分かった」
「まず、この疫病を毒と仮定すると、牛の持っていたのは全く同じ性質の弱い毒、そして、アルヴィニア人が罹ったのがそれの非常に強い毒だと考えてみてください」
「……ほう! なるほどの。牛は弱い毒であるから、己の治癒力で重症化せんと。一方、わしらは毒の力が強すぎて、治癒魔法も効かず、命を落とすと」
「そうです! そこで私は思ったんです。毒はあくまでそれに対する解毒剤によって中和することが出来る。つまり、牛は自分の体内で解毒剤を作ることによって、弱い毒を中和し、重症化しなかったのではないかと。そして、それと同じことが、彼らダークレヴにも起こっているのではないかという結論に至ったのです」
「同じ……。つまり、彼らの体内にも……」
私は大きくうなずき、レオンとマチルダを見やる。
そして、シャルルベールさんに向き直り、最後の説明をした。
「牛の世話をした多くのダークレヴと、その人たちと一緒に暮らす家族は、牛の弱い毒が徐々に伝染っていった。そして、その弱い毒によって、彼らの体内で解毒剤が作られるようになった。それによって、アルヴィニア人の間で流行していた毒が強力とはいえ、毒は毒。解毒剤を体内に持つ彼らにとっては、重症化することは少なかったのではないでしょうか」
「……そういえば、最近」
ぼそりと呟くマチルダ。
皆がそれに耳を傾け、彼女が後を続ける。
「向かいのおじいちゃんが熱病で亡くなったって。その前は、裏のおじいちゃんも。私たちダークレヴは、みんな働き過ぎで、病気もろくに治療してもらえないから、亡くなる人は多かったけど、もしかしたらその疫病で亡くなった人たちも中にはいたのかもしれない……」
そうか。
もしかしたら、私が森で見た牛の死体も、たまたま森ではぐれていた牛が、体力も落ちて、死に瀕したため病気が進行したのかもしれない。
いずれにせよ、レアケースだろう。
「……そうじゃったか。……しかし、あんたらダークレヴも疫病に罹っておったとは。特徴的な黒い模様が出るというのに、気付かんもんだのぅ」
「それなんですが、マチルダ。ちょっと両手をシャルルベールさんに見せてあげて」
マチルダは少し警戒しながらも、黙って両手をシャルルベールさんに向けた。
「ん? 何じゃ?」
「実はその子、最近毒にかかったばかりなんですが、やっぱり弱い毒だからか模様も薄いんです」
「んん? 模様じゃと……。あ! み、見えた! そうか、この褐色の肌のせいで……」
そうなのだ。
私も彼女を診察し、この結論にたどり着くまで、全く気付かなかった。
彼女たちを避けてきたアルヴィニア人がこれに気付くなんて、到底不可能だろう。
「そ、それで、ダークレヴが疫病にならんのは何となく分かったんじゃが、わしらの治療はどうすればいいんじゃ?」
「簡単です。ダングルベールさんにも、彼女と同じ弱い毒を与え、体内で解毒剤を作れるようにするんです」
「し、しかし、ダングルベールはもう疫病に罹っておるぞ」
「まだ初期段階ですから、可能性はあります。今はそれに賭けるしかありません」
「……そうじゃのぅ。分かった。それで、その毒はどうしたらいい?」
そこで、私はジルベールさんにもらった羊皮紙をバッと広げた。
そこには、保全省に納入したという魔道具のリストがずらりと並んでいる。
その一つを指さし、私は言った。
「この、瀉血用の魔道針というのを使います」
瀉血。
悪い血を抜き、患者を健康にするという古代の民間療法。
かつての名残か、今でもまだそのようなことを行う者もいるらしい。
ジルベールさんからすれば、そんなことは知るはずもないので、代々受け継がれてきたこのリスト通りに作っただけなのだろう。
そして、血を抜くといっても、抜き過ぎては死んでしまうので、その加減を行うために魔力で調整するのがこの魔道針というやつだろう。
「この魔道針を使って、マチルダから毒だけを抜き取り、その毒をダングルベールさんに投与するんです」
「何ぃ!? ダークレヴの血じゃと!? あんた、正気か!?」
愕然としたシャルルベールさんの声が倉庫にこだまする。
アルヴィニア人からは穢れた者と蔑まれるダークレヴ。
だが、命を助けるには、その血を自分たちの体に流し込むしかない。
「だから、あなたの協力が必要不可欠と言ったんです。シャルルベールさん。これは、あなたがやらなければいけないと思います。部外者の私ではなく、アルヴィニア人である、シャルルベールさんが決断すべきです。皆を救うため共存の道を歩むか、空虚な誇りのため命を捨てるか」
「わ、わしが……」
シャルルベールさんの手がわずかに震えていた。
しかし、次第にそのこぶしが力強く握られていく。
そして、何か吹っ切れたように大きく叫ぶ。
「そんなもん、ハナから決まっとるわ!!」
その直後、後ろに積んであった木箱を乱暴にこじ開け始めたではないか。
そして、中に入っているものをポイポイと投げ出していく。
「ほれ! あったぞ!」
ひょっこり木箱から顔を出したシャルルベールさんの両手には、細い金属製の針と、付属の小さなガラス瓶が握られていた。
私はジルベールさんに優しく微笑んだ。
その後、今度はマチルダの方へ向くと、膝を落とし、じっと目を見て話しかける。
「急にこんなことになってしまってごめんなさい。だけど、皆の命を救うため、協力して欲しいの」
すると、マチルダはプイと横を向いてこう言った。
「……別にこのおじさんたちがどうなろうと知ったことじゃないけど、私が協力すればレオン……ダークレヴのみんなが処刑されなくて済むんでしょ? だったら、血なんてどれだけ抜かれても構わないです」
私はくすりと笑いながら頭をなでる。
「ありがとう、マチルダ。抜くのはほんのちょっとだし、痛みもほとんどないと思うから心配しないで」
「マチルダ! ありがとう! お前も俺の命の恩人になっちゃったな。……これからは敬語で話した方がいいですか?」
「は? 馬鹿じゃないの? いつも通りしてなさいよ。みっともない」
「……はい」
相変わらずの冷ややかな言葉にレオンはしゅんとしていたが、私にはマチルダの声にどことなくぬくもりがこもっているように感じていた。
「シャルルベールさん、準備はいいですか?」
「い、いや、その……」
「どうしたんですか? やっぱりまだ覚悟が決まらないのですか?」
「ち、違うわい! その、ま、魔道具の使い方が、よく分からんのじゃ……」
「いい機会ですね。魔道具の使い方なんて簡単です。余計なことは考えず、魔力でやりたいことをイメージするだけです」
言われた通り、シャルルベールさんがプルプルと震える手で針の先端をマチルダの手に付ける。
だが、何も起きなかった。
「……ダ、ダメじゃ。やっぱり、わしには使えん……」
「 何を言ってるんですか、シャルルベールさん! 魔力が一切出ていませんよ。余計なことは考えないでくださいと言ったじゃないですか。今、あなたのお父さんやお兄さんからの仕打ちなんて関係ありませんから」
「な、なぜそれを知っておる……! 」
「ジルベールさんから聞きましたよ。変に気負うから、そんな状態になってしまうんです。昔は魔力の制御がおぼつかず、魔道具を上手く使えなかったかもしれませんが、今のあなたはアルヴィニア随一の魔力を持つ治療師です。だから、自信を持って、皆を救うことだけを考えてください。それで、お兄さんたちに実力を認めさせましょう!」
すると突然、シャルルベールさんが心を許したかのように気持ち良く笑い出した。
「クックックッ……。ガーッハッハッハッ! 異邦人で、若造で、しかも女のあんたにここまで言われるとは、わしもまだまだじゃのぅ」
「……女は余計です」
「いや、すまんすまん。初めは正直、そう思っとったのは否めんが、今はそんなこと微塵も思っとらんから安心せい。どれ、アルヴィニアの保全大臣の意地を見せてやるかのぅ」
その瞬間、凝縮した光の筋がシャルルベールさんの手から放たれ、ゆっくりと魔道針に通じていく。
それに呼応するように、魔道針の側面に施された幾何学模様が、上から下へゆっくり青白く輝いていく。
そして、光が針の先に集中したかと思うと、今度は下から光が上っていき、反対側に付けられたガラス瓶にその光が入っていった。
「どんなもんじゃ!」
「おめでとうございます! ! シャルルベールさん! 成功ですよ!」
「よし! 今度は、ダングルベールに打ってくるぞ! それにしても、昔わしが魔道具を上手く使えなかったのが、魔力の制御が出来なかったからじゃと何で分かったんじゃ?」
「ああ、それですか。簡単ですよ。私もかつて同じことで悩んでいましたから」
「なるほどのぅ。……本当に、あんたとはもっと早く出会って、お茶がしたかったわい」
そう言ってシャルルベールさんは倉庫を出ていった。
階段を嬉しそうに駆け上がる音が、倉庫の中に響いて聞こえた。
これで、恐らくダングルベールさんの命は助かるだろう。
そして、この方法が成功すれば、いずれアルヴィニアからこの疫病がなくなるはずだ。
しかし、まだ終わりではない。
私の胸には一抹の不安が残っている。
そう、最後の決戦はこれからなのだ。
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