23.最悪の事態
「……あれは、エファディラの木? こんなところにも生えてるなんて。さすが、魔の森。ミュルク大森林……」
私は数本の柔らかい茎を折ると、既に様々な薬草がぎっしりと詰まったカゴに、それを押し入れるのだった。
あれから、さらに十日がたった。
ひと月の約束だから、残りはあと十日。
可能性があるものは全て行うべく、私は町の外、自然広がるミュルク大森林で薬草を探すことにしたのだった。
だけど、これまで劇的な効果を示す薬草を見つけることは出来なかった。
正直、焦るなという方が無理だが、そこはグッと自分の心を落ち着かせ、とにかくやれることをひたすらやっていくしかなかった。
私は薬草採取を切り上げ、保全省へと向かう。
「また、今日もたくさん採ってきおったのぅ」
「ええ、後悔したくありませんので。私のやれることは全てやるつもりです」
あれからシャルルベールさんとは、魔道具について会話をすることは一切なかった。
だけど、シャルルベールさんは相変わらず私のシリンダーをちらちらと覗き見してくるのだった。
本人は隠しているつもりのようだったが、バレバレだ。
「……さ、これを飲んでみてください」
「……ん、ああ。……に、苦い」
あれから二階の病室で療養していた者たちも、今では別の患者に変わっていた。
その瞬間に直面するのは、とても辛かった。
自分の無力さに腹が立つ。
だけど、そんなことを考えている暇なんてない。
「ヒーリング!」
エメラルドグリーンの光が放たれ、患者の体を包み込む。
……これも違う。
何十回と投薬している内に、段々と自身の魔力を通して、その薬が病気に対して効果を上げているのか分かるようになってきていた。
だから、改めて断言出来る。
これは呪いではない。
病気だ。
魔力の感覚としては、解毒の治療に似ている気がした。
ただ、それも魔力に触れる微細な感覚を何百倍も研ぎ澄ませて、ようやく感じられる程度のものだ。
その感覚が、毒が体を巡っているような異物感を知らせ、それに対して薬が何も中和していないことを無情にも突き付けてくる。
それをシャルルベールさんに伝えてみた。
「異物? 毒は毒じゃろ? そんなもん、感じたことはこれっぽっちもないわい。それに毒は人に伝染らん。これはわしの知る限り、呪いか、災厄じゃ……」
毒は毒。
これまで自分で誰かを解毒してきた感覚と、学院や書物で学んできた内容が、あまりにも噛み合わず、違和感を覚えたことがあった。
ただ、解毒がきちんと出来ていれば問題ないので、今までさして気にしたことはなかった。
だけど、こうした状況で改めてシャルルベールさんの反応を見ると、どうやら私の感覚の方が体の中の状態を子細に捉えられているようだった。
だから、大半の治療師は、毒キノコを食べたり、毒蛇に咬まれたりして、毒に冒された患者を中毒状態とまでは判断出来るが、解毒薬によって体の中でどのような反応が起こり、毒が中和されていくのかまでは分からないのだと思う。
そして、一般的な解毒薬や治癒魔法の効かない疫病は、呪いや災厄と呼ばれ、治療師ではなく、聖職者の管轄となるため、これまで詳細に研究されることはほとんどなかった。
そのような歴史から、私もそういうものかと納得していた。
しかし、こうして自分の目で見て、手で触れ、確かめてみれば、呪いや災厄と呼ばれるものも、病気の一つであるかもしれないと実感出来る。
そうであれば、希望はまだある。
病気であるならば、治療法が必ずあるからだ。
だから、セルジュの言う通り、ここで焦ってはダメだ。
ほんの少しでもいい。
冷静に、どんな些細なことも見逃さず、観察し続ける。
そうすれば、糸口は絶対に見つかるはず。
私は廊下のイスに座り、祈るように手を組み合わせながら、思考を巡らせていた。
「……もう残り十日じゃ。……あんたはまだ諦めていないようじゃが、もう十分ようやったとわしは思っておる」
シャルルベールさんがドカッと私の隣のイスに腰を下ろしながら、少しばかり気遣うようにそう言った。
この二十日間、私に付きっ切りでひたすら治療を行っていたから、相当疲労が溜まっているのだろうか。
……いや、違う。
私が来る前からずっとこの調子だったんだ。
だから、もしかしたら、心がもう折れかけているのかもしれない。
ダークレヴを虐殺すれば皆が救われると、そう安易な考えに流されているのかもしれない。
シャルルベールさんのさっきの言葉は、私に向けられたものではなく、自分に言い聞かせたもののように思えてきた。
私はシャルルベールさんを、そして自分自身を奮起させるためにも言った。
「そんなこと言わないでください。まだ、十日あります。それまでは一緒に頑張りましょう! 患者の皆さんのために!」
すると、うなだれていたシャルルベールさんもハッと身を起こし、咳払いを一つする。
「……う、うむ。無論じゃ。呪いの前には無駄な足掻きとはいえ、万が一ということもある。あんたがやる気なら、わしはとことん付き合うつもりじゃ」
やっぱりシャルルベールさんは私と同じ治療師だ。
自分の力を認められたい、家族の鼻を明かしてやりたいと思っていたとしても、誰かを救いたいという気持ちがなければ、ここまで治療師を続けられないはずだ。
私だって結局、自分の才能を活かして良い暮らしがしたい、農民の両親を楽させたい、という理由で帝国の治療師になったのだ。
でも、フタを開けてみれば、差別的な扱いを受け続け、厄介払いに辺境へ左遷され、今では魔法の国で絶体絶命の状況に追い込まれている。
……あれ?
客観的な事実だけ見ると、よく続けてるな私。
いやいや、ノルンは差別も偏見もなく私を必要としてくれている第二の故郷だし、アルヴィニアに来た理由だってレオンを救うためだ。
誰かを救いたいと思ってるからこそ、私も治療師を続けられている。
だから、同じ治療師同士、力を合わせて治療法を見つけるんだ。
「私、もう一度森へ行って薬草採ってきます」
「おお。そうか。すまんの。……こんな状況でなければ、お茶でもしながらじっくりあんたと話がしたかったもんじゃ」
ポツリとそう呟くシャルルベールさん。
「……ええ。本当に」
しかし、その時だった。
何やら慌ただしい声が階下から響いてくる。
そして、ダンダンと靴を鳴らして一人の職員が階段を駆け上ってくる。
何事かと思い、私たちが立ち上がると、そこへ職員がマスクの下で息を切らしながら叫ぶように告げる。
「シャ、シャルルベール様! 大変です!」
「何じゃ、騒々しい! 寝ている者たちの体に障るじゃろうが」
「そ、それが兄君が……。たった今、シャルルベール様の兄君が、こちらに運ばれまして……」
「何じゃと!?」
直後、シーツの四隅を持った職員たちが階段を上ってきた。
その後ろからは、白い衣装とマスクを付けた、シャルルベールさんと同じくらい小柄な男が叫びながら着いて来ていた。
「しっかりせい! 兄貴!」
その様子を見たシャルルベールさんがすぐさま職員たちの元に向かった。
「おい! 奥の窓際の病床が開いとる! すぐにそこへ運ぶんじゃ!」
「シャルルベールか! 大変じゃ! 兄貴が……」
「ええい! 何を泣き言抜かしておる! いつもの威勢はどうした、ジル兄!」
ジル兄。
ということは、付き添いは真ん中のお兄さん、魔道具の工房長のジルベールさんで、病気に罹ったのは一番上のお兄さんか。
私もすぐさま窓際の病床へ向かう。
ジルベールさんそっくりな小柄な老人は、苦しそうにうめいていた。
額からは汗が流れ、首筋には薄っすら黒い模様が浮かんでいた。
間違いない。
同じ疫病だ。
「ヒーリング!!」
シャルルベールさんの手から、どの職員よりもまばゆい緑の光が放たれる。
お兄さんの顔がゆっくりと和らいでいく。
だけど、息はまだ少し荒かった。
「……まだ初期段階のようですね」
「ああ、そうじゃな。……じゃが、この年じゃ。恐らく進行は早いじゃろう」
「おい! シャルルベール! 治るんじゃろうな! 兄貴は……ダン兄はきっと無事に元気になるんじゃろうな!?」
「黙らっしゃい! そんなことが出来ておれば、とっくにここにいる全員治しておるわ!」
「お前がわしの魔道具を使わんからじゃ! さっさと魔道具を使わんか!」
その瞬間、シャルルベールさんが一段と声を荒らげる。
「治療の方法も分からんのに、手段だけあったところでどうしようもないわい! わしが上手く使えないのを知っていながら、あんなもん送って寄越しおって! 邪魔じゃから引き取っていけ!」
「何じゃと!? わしが親切で作ってやったというのに、何じゃその言い草は!」
「作ってやったじゃと? 偉そうに。どうせ、またわしを馬鹿にするためじゃろ。親父も兄貴たちも昔からそうじゃった……。倉庫の肥やしにしておく程、スペースに余裕はないんじゃ! とっとと持ち帰ってくれ!」
突然の兄弟喧嘩に少々まごついてしまったが、聞き捨てならないセリフがシャルルベールさんの口から飛び出したため、私は二人の間に割って入る。
「お二人とも、落ち着いてください! お兄さんが病気で苦しんでいるんですよ!」
すると、ピタリと喧嘩が止まったかと思うと、揃ってバツが悪そうにうつむく二人。
そして、続けざまにシャルルベールさんに尋ねる。
「シャルルベールさん……。やっぱり、魔道具を捨てたっていうのは嘘だったんですね?」
力なくうなずくシャルルベールさん。
まったく。
ただ、今さら魔道具を見たところで、何か進展があるとは思えない。
リストでどんな物があるか大体は把握しているし、何よりシャルルベールさんが言った通り、ゴールが分からなければ手段がいくらあっても仕方ない。
だから、私は今までの方法を続けるしかない。
「シャルルベールさん、ジルベールさん。私はまた森で薬草を採ってきます。その間、仲良くしててください。絶対にまた喧嘩なんかしないでくださいよ。他の患者にも迷惑です」
「……すまんな、嬢ちゃん。こうなるから、あんたに頼んだんだが、やっぱりこうなってしまったのぅ」
「……ジル兄。ダン兄を見といてくれ。わしは彼女を見送ってくる」
シャルルベールさんがそう言うと、私を入口の方へ促したのだった。
聞かれたくない話でもあるのだろうか。
そんなことを思いながら、私は一階へ下り、衣装をしまうと、扉を開けて外へ出るのだった。
シャルルベールさんも続いて外に出ると、大きな溜息を吐きながら、言い出した。
「……さっき運ばれたのは、ダングルベール。わしら兄弟の長兄で、アルヴィニアの建築のほとんど全てを手掛けた人じゃ。会ったことは?」
私は首を振る。
すると、シャルルベールさんが続ける。
「ダングルベール……。ダン兄が運ばれてきたのを見て、気が動転してしまってのぅ。つい、売り言葉に買い言葉で、あんなみっともないところ見せてしまって申し訳ない……」
「……いえ、そんな。……家族がそうなってしまったんですから、仕方ありません」
「……そう、わしに残された唯一の家族じゃ。……その最後の家族も疫病に冒され、わし一人で孤独に死んでいくのじゃ。……わしは、家族をことごとく奪っていったこの疫病が憎い! じゃが、もうどうすることも出来ん……。最早、呪いと信じて呪術者を消すしか助かる道はないんじゃ……。わしだけではない。わしと同じ思いをしている者は、皆そう思っておる……」
「そんなこと言わないでください!」
突然の私の叫ぶような声に、目をみはるシャルルベールさん。
「さっき、シャルルベールさんは私にとことん付き合うつもりだって言ってくださったじゃないですか! でしたら、せめて残りの時間は、私を信じてください! 私を信じて、最後まで諦めないでください! ダングルベールさんは必ず私が救います! だから、シャルルベールさん。あなたも最後まで見捨てず、私に力を貸してください」
その言葉を聞いたシャルルベールさんが、マスクの上から目元を押さえる。
「……そうじゃな。……あんたには何度も目を覚まさせられる思いじゃ。いい年して面目ない。あんたの言う通り、わしが諦めてどうするんじゃ。言い方は悪いが、他人のあんたがここまでしてくれとるというのに。すまんかった! わしはすぐ兄貴に治癒魔法を掛けに戻る。そして、わしはあんたの治療を信じる。あんたならわしらを救ってくれると、そんな気がしてきたわい」
「ありがとうございます。シャルルベールさん。……あなたと仕事が出来て良かったです」
そして、私は再びミュルク大森林へと向かうのだった。
恐らくこれが最後のチャンスだろう。
どうか、癒しの女神ケレよ。
その御力において、私をお導きください。
願わくば、アルヴィニアの民をダークレヴを、お救いください。
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