20.散策
「ここがアルヴィニアで一番賑わっている通りかな」
そうレオンは言ったものの、人通りはほとんどなく、閉まっている店も多く見受けられた。
それもそうか。
疫病が流行っている街中に、好き好んで出歩く者などいないだろう。
閑散とした通りをぷらぷらと歩く。
いつもだったら活気に溢れた、素敵な町だったんだろう。
言葉は悪いが、町というものも死にかけている気がした。
まずは薬屋を探そうと考えていたが、シャルルベールさんの話から察するに、この町に薬屋なんてものはないだろう。
どうしようかと思案していると、ふと花屋が目に入る。
普段は店の外に、売り物の花を綺麗に並べているのだろうが、さびしげに何も置かれていない階段状の棚だけが残されていた。
だが、店の扉にはオープンの札が掛かっている。
私はその店の扉をゆっくりと開けた。
「ごめんください」
「はーい……」
笑顔で振り向いた中年女性の表情が強張る。
見知らぬ異人と奴隷の少年。
彼女の目にはそう映っていることだろう。
思考が回らぬうちに、こちらのペースに巻き込んでしまおう。
「綺麗な花ですね。私、お花に目がなくて。こちらの黄色のクレージュと、そのセレドと、そこのサビティラは鉢ごと頂けますか?」
もちろん、これらは私の趣味や観賞用などではなく、薬の原料となるものだ。
「こちらで足りますか?」
そして、私はすかさず革袋から金貨を数枚取り出す。
これは城から出る時に、ランスから生活費兼活動費としてもらったものだ。
私なんかに多額の出資をしたくないという反面、アルヴィニアのプライドからか、ひと月の生活には全く困らないか少し余裕があるくらいの金額をもらえたのだった。
「あ、あ……。え?」
花屋の女性は私の顔とカウンターに置かれた金貨を交互に見ていた。
明らかに戸惑っている。
なぜなら、売値の倍、とまではいかないものの、それに近いくらいの金貨がカウンターに置かれているからだ。
もちろん、わざとだ。
ここで薬を調達出来なければ、私のこれからの治療はほぼ不可能だと言わざるを得ない。
だから何としても、異人である私がここで買い物を出来る権利を手に入れなければならない。
そのための投資だ。まぁ、私のお金ではないけど。
閑古鳥の鳴くこの状況で、こんなに儲けが出ることなんて滅多にないだろう。
そして、私は悪魔の甘言のような、トドメの一言を告げる。
「内務大臣のご指示で、しばらくこの町でお世話になる治療師のクレアです。またお花頂きに伺ってもよろしいですか?」
「……は、はぁ。どうも」
花屋の女性はさっと金貨をかすめるように取ると、そそくさと別の花の手入れを始めた。
勝った。
これで暗黙の了解を得られた。
「ありがとうございました。では、また」
「こっちの鉢は俺が持つよ!」
「ありがとう、レオン」
私たちは長居して機嫌を損ねる前に、早々に花屋を後にした。
「あとは何か必要なものはある?」
「とりあえず、今のところはこれくらいかな」
「そっか。お店もあんまり開いてないようだし、居住区に戻る?」
「そうだね。もう、そろそろ暗くなりそうだし」
そう言って歩いていると、丁度向こうからセルジュとアルベルトが歩いてくる。
「やぁ、クレア君。いいタイミングだね。これからそっちに迎えに行こうかと思っていたところだったんだ」
「病人の様子はどうだった?」
「想像以上に深刻な状況だった。本格的な治療は明日から始めるけど、治療方法が見つかるかどうか……。そっちの首尾はどうだったの?」
すると、セルジュとアルベルトが苦々しい顔で小首をかしげる。
何があったというのだろうか。
「まぁまぁ、皆さん。立ち話も何だからウチでごはんでも食べながら話そうよ」
レオンがどこか楽し気にそう言った。
私たちは、それもそうだと頷き合い、レオンに着いて行くのだった。
そうして、町の西方に向かって、裏通りの暗がりを進んでいく。
小綺麗だった街並みが徐々に薄汚れた建物に変わっていき、ついには石畳までもなくなり、地面は整備されていない土のままの場所を歩いて行く。
家々も石造りのものは全くなくなり、木製の平屋がそこかしこに立ち並ぶ辺りへやってきた。
「この辺りが、彼らの言うダークレヴ居住区だよ」
ここがレオンの生まれ育ったところか。
そこにはちょうど、仕事を終えた人たちが家路に着く様子で、多くの人が行き交っていた。
そして、疲れて、やせ細ったその顔はレオンと同じ褐色の肌をしていた。
これだけの人の往来を見ると、町のメイン通りに全く人がいなかったことに比べ、活気があるように思えてしまう。
「ウチはこっちだよ! 早く早く!」
そう言ってレオンはするすると人混みの間を縫っていく。
私たちも見失わないように、何とか着いて行く。
そうして、一軒の木造の平屋に着いた。
「ここがウチだよ! ただいまー」
私たちも続いてお邪魔する。
その直後、奥から美人の女性が驚いた表情でレオンに駆け寄ってきた。
そして、その勢いのままレオンを抱きしめた。
「レオン!! あなた、どうして!? 無事なの?」
「い、痛いよ、母さん!」
すると、レオンに母さんと呼ばれた女性は、私たちの姿を目に留めると、レオンを守るようにさらに強く抱きしめた。
「あ、あなたたちは?」
「ちょ、母さん! 俺から説明するから!」
腕からするりと抜けたレオンは、抱きしめられたことが恥ずかしかったのか少し顔を赤くしながら、私たちを紹介する。
「俺が外でアルヴィニア兵に殺されかけた時に、命を助けてくれた治療師のクレアさん。あとは、クレアさんがいた国の領主のセルジュさんと、クレアさんの騎士のアルベルトさん」
その説明にアルベルトはうんうんと力強く頷いていた。
セルジュはやれやれといった様子でそれを見やる。
私はなんだか微笑ましい気持ちで二人のやり取りを見ていた。
「それで、クレアさんは俺たちが処刑されるのを助けるために、なぞの死の原因を解明しに来てくれたんだ! だから、しばらくウチに来てもらおうと思ったんだけど良いよね?」
「……そうですか。……レオンの命を救って頂いてありがとうございます。もちろん、大したお構いは出来ませんが、ぜひこちらでゆっくりしてください」
「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします。当分の生活費を内務大臣より受け取っておりますので、こちらお納めください」
そう言って、私は革袋から金貨を手のひら一杯に出し、差し出す。
すると、レオンのお母さんは目を丸くして驚く。
「い、いえ! 滅相もない! こんな大金頂けません!」
「これは生活費として内務大臣よりもらったものです。なので、受け取って頂く権利は十分にあります」
しばらくの思案の後、レオンのお母さんは恐縮しながらその金貨を恭しく受け取った。
「ちょうどこれから夕食の準備をするところでしたので、早速ではございますが、こちら使わせて頂きます。レオン。これでブラックマーケットのココルさんのところで食材を分けてもらって来て頂戴」
そう言って、レオンのお母さんは金貨を一枚手渡す。
「分かった! ちょっと行ってくるね!」
レオンは金貨を受け取ると、張り切った様子で駆け出して行った。
その姿を慈しむような瞳で見つめながら、レオンのお母さんがつぶやく。
「あの子が無事で良かった……。でも……本当はここには戻らず、外の世界で生きて欲しかった……」
レオンのお母さんの瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
それをグイと拭いながら、私たちに改まって挨拶する。
「申し遅れました。私、レオンの母のオアイーブと申します。命を助けて頂いたにも関わらず、失礼致しました。でも、目の前であの子が処刑されるのを見るくらいであれば、可能性は僅かだとしても、外の世界で元気に暮らしているという希望を抱いていたかったというのが正直な気持ちです……」
何と返して良いのか分からなかった。
彼女からしてみれば、外で消息不明のままだったらレオンの死を受け入れなくて済んだのに、なぜわざわざ命を助けて、レオンの死を突き付けるようなことをしたのだ、ということだろう。
それについて何も言うつもりはない。
それほどまでにレオンが大事であり、また瀬戸際の状態なのだろう。
「オアイーブさん……。大変おこがましいですが、私もあなたと同じ思いです。あなたの抱いている思いの強さは、私には到底計り知れないものですが、でも、思っていることはきっと同じはずです。私もレオンを救いたい。いえ、治療師として、皆さんを、アルヴィニアの全員を救いたいと考えています。正直に言うと、まだ何の手掛かりも掴んでいない状況で、果たして疫病を平癒出来るかどうか分かりません……。ですが、レオンの治療師として、無責任に放り出すような真似は絶対にしません!」
すると、オアイーブさんは嗚咽をこらえながら、再び目元を拭う。
「……本当に申し訳ございません。あの子の元気な姿を見たら、つい感情が抑えられなくなってしまって……。ありがとうございます。……レオンのこと、よろしくお願い致します」
最後の一言は何か含みのあるような言い方であった。
セルジュはその意図を汲み取ったのか、言葉に出さないものの強く頷いていた。
そこへ、レオンがタイミング良く帰ってくる。
「ただいま! 買ってきたよ! ヤギのミルクに、鶏肉、チーズ、あと野菜にパン」
自慢げに大きな麻袋を掲げるレオン。
「ありがとう、レオン。それじゃあ、今夜はシチューにしましょうか」
「やったー! シチューなんて久々だね。クレアさん! ウチのシチューすごく美味しいから楽しみにしててね!」
「もう、あまりそういうこと言わないでちょうだい。本当に、大したものではありませんので……。支度しますので少々お待ちくださいね」
そう言ってオアイーブさんは食材を持って、奥へと入っていった。
「みんなそちらにどうぞ」
レオンに勧められ、食卓に着いた。
そして、レオンがわくわくしながら尋ねる。
「セルジュさんとアルベルトさんはアルヴィニアの町は楽しかった?」
「そうだな。色々、興味深いことがあった」
「セルジュくんと町を一回りしたけど、やっぱり私たちのような異邦人には皆、口を閉ざしてしまってね。中々、情報を集めるのに苦労したんだけど、話の分かる人が一人いてね」
「とある作業場の親方が、年のせいか話好きのようで、色々と教えてくれた」
そこでアルベルトがいたずらっぽく微笑みながら私に問いかける。
「その作業場で建築材の石を加工していたんだけど、こんな森の中でどうしてって思うだろう?」
アルヴィニアに来て、あの城を目にして真っ先に疑問に思ったことだ。
私が頷くとアルベルトが先を続ける。
「実はポータルの一つが森の奥の山に繋がっているらしくて、そこから採石して運んだものをここで加工しているそうなんだ」
「あー、なるほど」
言われてみれば単純な話だった。
水がないなら、川から引いてくれば良いのと同じだ。
だけど、こんな便利な魔法を作った人は本当に偉大だ。
これがあればあらゆる制約を取り除き、産業はもちろん、戦争にだって絶大な優位をもたらすことが出来る。
その瞬間、恐ろしいことに気付く。
「……閉鎖的なアルヴィニアだから良かったものの、この魔法が帝国や他の国に知られた大変なことになるんじゃない?」
すると、セルジュがフッと笑って言う。
「俺も同感だった。だが、どうやらその心配はなさそうだ。石材の加工の話とも共通しているので、話を戻そう」
「ああ、そうだね。採石してきた材料を作業場でどうやって加工しているのかと言うと、彼らが魔道具と呼んでいる装置があってね。そこに石材と水を入れて魔力を込めると、粘土状の物体が出来るので、それを望む形に加工して、再び魔力を流して固めると、アルヴィニアの様々な建築物が出来るそうなんだ」
「ふーん、魔道具ね。私の持っているシリンダーと同じようなものかな。アルヴィニアの建造技術については分かったけど、それがさっきのポータルの悪用とどう繋がるの?」
「そう、まさにクレアくんたち、治療師のもつシリンダーのようなものだ。帝国では魔力を持つ者は滅多にいないから、ほとんど普及していないけど、どうやらアルヴィニアでは魔道具という魔力で働く道具を使って生活しているそうなんだ。例えば、私たちは料理をする時、かまどに火を焚いて煮焼きするけど、アルヴィニア人はほぼ全ての人が多かれ少なかれ魔力を持っているから、かまど型の魔道具に魔力を込めると、魔法陣から火が出てくるし、魔力で簡単に火力を調整出来るそうなんだ」
「何それ! すごい便利! 帝国じゃ、せいぜい魔石を使って水をお湯にしてお風呂入るくらいだもんね」
「そう、結局、魔石といっても魔力がこもった石が自然に発している魔力によって、高熱を帯びていることを利用しているだけに過ぎない。……ところで、クレアくんはそのシリンダーの魔法陣の意味を理解しているかい?」
突然の質問に私はきょとんとする。
確かに、今まで考えたことがなかった。
いや、どうしてこんなことが出来るのだろうと思ったことはあるが、誰も知らないし、どの本にも書いていないし、考えても分からないので、考えるのをやめたのだ。
そういうものなんだろうと勝手に納得していただけだ。
そんな思いを見透かすように、アルベルトが言った。
「実は彼らも同じみたいなんだ」
「同じ……?」
「そう、親方に魔道具の仕組みを聞いてみても、どうにも歯切れの悪い回答でね」
「でも、その魔道具は彼らが作っているんじゃないの?」
「ああ、アルヴィニアの魔道具を作る工房というのがあって、そこで一般家庭の魔道具から産業用の魔道具まで作っているらしい」
「じゃあ、使っている人は分からないけど、作っている人だけが分かるって状態なんだ」
「いや、それも違うみたいなんだ」
そこで、セルジュとアルベルトは町で会った時と同じ苦笑いを浮かべながら、言ったのだった。
「既にある魔法陣を使って魔道具を作ることは出来るけど、本当に魔法を理解して、新たに魔法陣を作れる者は今や誰一人いないらしい」
「魔法を理解している人がいない……?」
「そうなんだ。だから、ポータルや結界みたいな高度な魔法を複製することなんて、現状不可能のようなんだ」
「どうやら昔、戦争があったようで、魔法そのものを理解している者もそれらに関する記録も全て失われてしまったらしい」
その話に、私は強烈なデジャヴを感じる。
そして、ハッと気付く。
「……シャルルベールさん。……保全省もだ!」
彼らも治癒魔法というものを全く理解していなかった。
傲慢。
それがアルヴィニアにピッタリの言葉だと思った。
魔法が使えるという優れた能力に慢心し、失われた魔法の知識を理解しようとしなかった。
だけど、そこに希望がある。
彼らの傲慢さによって見落としていたものの中に、もしかしたら疫病の原因に関する手掛かりがあるかもしれない。
「……うん、やれるかも」
そう思ったら少し安心して、お腹が空いてきた。
いや、それだけじゃない。
この漂ってくる良い香りが食欲を刺激したのだ。
「もう出来たかな!」
さっきまで話が退屈だったのか、うつらうつらしていたレオンが急に元気にはしゃいだ。
その気持ちは凄く分かる。
これは心躍らざるを得ない。
「お待たせしました」
そう言ってオアイーブさんが、湯気の立つクリームシチューの入った木の皿を私たちの前に並べてくれた。
「いただきまーす!」
レオンが待ちきれずに、木のスプーンで口に運ぶ。
「……アフ、ハフ。……うん、美味しい!!」
「じゃあ、私たちも頂きます」
そうして、シチューを一口食べる。
その瞬間、クリームの濃厚なうま味が口いっぱいに広がる。
そして、鼻に抜ける芳醇な香りはチーズだろうか。
飲み込むと、一口で胃が大喜びするほどの満足感。
だけど、すぐにまた次の一口が食べたくなる。
そのループにスプーンが止まらない。
今度はパンをちぎって、浸し、それを鶏肉と一緒に食べる。
至福。
パンと合わない訳がない。
皆、どうやら同じようで一心不乱に食べ続けていた。
「……ごちそうさまでした」
「レオンくんの言う通り、本当に美味しいシチューでした」
「ノルンにも持ち帰りたいな。後でレシピを教えて頂けないか?」
「まぁ、ありがとうございます。もちろんです。そう言って頂けると、作った甲斐があって嬉しいですね」
「美味しいのはこれだけじゃないから! これから一ヵ月、楽しみにしててよ!」
そうして、皆で笑いながら、他愛もない話をして夜が更けていくのだった。
そう、一ヵ月後も。
その時も、こうして皆で笑って美味しい食事が出来るようにするために。
その戦いがいよいよ幕を開けるのだった。
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