19.死の香り

「ひと月という提案は奴の保身だろう。クレアの申し出を無下にして、万が一、治療法が見つかった時のためのな」

「向こうがどう考えていようが、我々はクレア君を全力でサポートするだけだよ、セルジュ君」

「ああ、分かっている。ただ、気負い過ぎたり、責任を感じたりする必要はないと思って言っただけだ」

「ありがとう、二人とも」


 どうやら相当思い詰めたような顔をしていたらしい。

 始まる前からこんな弱気ではダメだ。

 私たちはアルヴィニア城を後にし、まずは保全省とやらに向かうことにしたのだった。

 その前に、城門近くの門番の詰め所に立ち寄り、レオンと再会した。


「クレアさん! どうだった? 偉い人と話は出来た?」

「ええ、ひと月という時間はもらえた。だから、これから保全省に行って、病人を診させてもらおうと思って」

「じゃ、じゃあ、俺は……処刑されないで済むかもしれない……?」

「とりあえず、ひと月は……。でも、私が必ず守ってみせるから!」

「何で……。何で、俺みたいな奴隷なんか助けてくれるんだ? クレアさんたちにとって何の得にもならないのに」

「別に理由なんてないよ。命を救うのが治療師だから」


 その瞬間、レオンの頬にすっと一筋の涙が流れる。


「……あ、あれ? く、くそっ……! はは……。今頃、足が震えてきたみたい」


 そう言って膝を押さえるレオン。

 安心したせいか、途端に恐怖が溢れ出たのだろう。

 つまり、今の今まで死を覚悟していたということだ。

 こんなの、やっぱり間違っている。

 本当に死を覚悟しなければいけないのは、アルヴィニア人の方だというのに。

 その覚悟があれば、もう少し冷静な判断が出来たんじゃないか。

 あまりにもアルヴィニア人と感覚がズレ過ぎていて、違和感ばかり覚える。


「大丈夫、安心して。私がきっと、この疫病を治してみせるから」 


 そう言って、レオンの手を優しく包む。


「ありがとう……。クレアさん」


 そうだ。

 私が弱気でどうする。

 とにかく、急いで病人を診よう。


「クレア。俺はこの後、アルヴィニアの町を調べようと思う。一緒に病人のところへ行っても俺が力になれることはほとんどない。だから、今の町の様子や、当時病気が流行りだした頃の状況を聞いてみる」

「私もセルジュ君に同行するよ。彼の言う通り、私も治療に関しては手伝えることはあまりなさそうだからね」


 城門を出たところで、セルジュとアルベルトがそう言った。


「……うん、分かった。ありがとう!」

「それじゃ、クレアさんは俺が保全省まで案内するよ!」


 レオンがそう言うと、セルジュはうなずき、背を向けた。


「じゃあ、頼んだよ」


 アルベルトが後に続き、レオンに手を振る。

 レオンもそれに返すように手を振っていた。


「じゃあ、保全省に行こうか、クレアさん。……と言っても、たぶん病人が収容されているのは町外れの方だと思う。彼らは呪いだと思ってるから、呪いの伝播を恐れて隔離してるんだ」


 すると、レオンは町の入口の方へと歩き出した。

 もし、これが疫病だとするならば、隔離というのは正しい対処かもしれない。

 もちろん、十分な治療や生活環境が整えられていればだ。

 そうして私たちは町の入口近くまで来ていたが、突然さびれた区画に足を踏み入れていた。

 建物もまばらになり、急に目の前にただっ広い空き地が現れる。

 そしてその奥、城壁沿いに大きな建物が目に入る。


「あれが保全省の別棟だよ。呪いにかかったら……いや、病気になったら、皆あそこに入れられる」


 死の香り……とでも言おうか。

 何か目に見えない、不気味なドス黒い何かが渦巻いているような感じがする。

 背筋がぞくりとする。

 呪いだと考えるのもあながち間違いではないかもしれない、などと思ってしまう程だ。


「ありがとう、レオン。ここまでで大丈夫。あなたまでわざわざ危険な場所に入ることないから」

「そんな……」

「いいから。大人しく外で待ってて」

「……分かった。待ってるよ」


 少しふてくされたような表情を見せるレオンだったが、近くの空き家の脇に置かれた木箱へ腰を下ろす。

 私は笑顔で頷くと、その禍々しい気配を漂わせる別棟に近付いて行った。

 近くで見ると、少し古くはあるが思ったより綺麗な建物だった。

 ごくりと唾を飲み込むと、私は大きな両開きの扉を何とか押し開けた。


「失礼します」

「はい」


 私はビクリとして、入ってすぐに左を振り向く。

 すると、またもやビクリとする。

 入口のすぐ左手が受付兼事務所のようになっており、人の出入りが常に分かるようになっているのだ。

 一度目は予期せぬ方からすぐに返答があったことに驚いたのだが、二度目はその事務員たちの異様な出で立ちに度肝を抜かれてしまった。

 事務員たちはニ、三名なのだが、その全員が真っ白の革のロングコートに、同じく白い革のロンググローブ、室内にも関わらずつば広の帽子を被り、そして極めつけは巨大なクチバシのように先の尖った奇妙なマスクを着けているのだ。


「……何か?」


 表情は読み取れないが、軽蔑したような冷たい声はアルヴィニア人のそれだと分かる。

 中身まで変な人なのではないかと思ったが、少し安心した。


「ミッドランド帝国、治療師協会ノルン支部所属の治療師、クレア・エステルと申します。内政大臣のスニフィン様から、病人の治療を許可されましたのでこちらへ参りました」


 すると、事務員たちはひそひそと何か小声で話し合うと、一人が奥の部屋へと入っていった。

 残りの者は私など居なかったかのように、これまで通り仕事に戻っていった。

 しばらくすると、奥の部屋に入っていった事務員が戻ってきて、私に言い捨てるように言った。


「……奥へ」


 私はさして気にせず、ずかずかと奥の部屋へと入っていった。

 事務員たちは気にしていない風に装っているが、不審者を見るような視線をビシビシと感じる。

 はたから見ればそちらの格好の方が不審者に見えるというのに。


「失礼します。ミッドランド帝国、治療師協会ノルン支部所属の治療師、クレア・エステルと申します」

「おぉ、あんたが帝国の治療師の。スニフィンから話は聞いとる。わしは保全大臣のシャルルベールじゃ」


 奥の部屋で、後ろ手を組んだ背の低い男がそう名乗った。

 声から察するに年老いた男性だと思うが、この方も全身真っ白のレザーに、つば広帽とクチバシ型のマスクをしていたため、はっきりとは分からなかった。


「あんたもその格好じゃ不味いの。おい! スペアの持ってきてくれ! 」


 シャルルベールさんが外に向かってそう声を掛けると、すぐに事務員の人が奇妙な仮装セット一式を持ってきた。


「さ、それを着なさい」


 郷に入っては郷に従え、だ。

 私はロングコートに袖を通す。


「あの、これは一体、どういった意図があるのでしょうか?」


 すると、シャルルベールさんが自慢げに答える。


「帝国の治療師には分からんか。こいつは呪い除けじゃ。全ての裏地には魔法陣が施されておるから、微量な魔力を流せば、全身防護出来るという訳じゃ」


 やっぱり現場の最前線のトップも呪いだということを信じているらしい。


「すみません。帝国ではあまり呪いというものを目にする機会がなかったもので。実際、呪いというものはこんな災厄をもたらす程、強力で危険なものなのですか?」


 その質問に、シャルルベールさんは少し言い淀むのだった。


「うむ……? まぁ、わしもこれ程までの呪いを見るのは初めてじゃ。普通、呪いと言えば、一人の者が誰か一人を呪うだけで精一杯じゃ。これだけの規模の呪いをかけるとなると、国家総出で呪術の儀式を行うか、相当の怨念がなければ、無理じゃろうな。じゃが、あやつらダークレヴなら、アヴァール討滅戦からの歴史を考えれば不可能ではないからの」


 アヴァール?

 また、良く分からない単語が出てきたなと思いながら、最後に帽子を被ると、着替えは完了した。


「よし。良く似合っておる。では、クランケのところへ行こうかの」


 全然嬉しくなかった。

 皆一緒で誰が誰かも分からないのに、似合ってるもないだろう。

 私はため息交じりに、シャルルベールさんの後に着いていく。

 事務室を出て、廊下を進み、まずは二階の大部屋に案内された。


「ここが初期段階のクランケを治癒する部屋じゃ」


 そこには数十のベッドが並び、うめき苦しむ人たちを、我々と同じ格好の人たちが治癒魔法をかけていっているようだった。

 私はすぐそばで治癒魔法をかけている病床の一つへ近付く。

 患者のアルヴィニア人女性は治癒魔法のおかげか、少し和らいだ顔をしているが、額は汗ばんでいた。

 そして、首筋には黒い斑点のようなものが現れていた。

 これがレオンたちの言っていた、肌が黒くなるという症状か。

 すると、患者の女性が私に向かい、手を伸ばす。


「……ど、どうか。どうか、助けてください」


 どうやらこの格好のおかげで、私が外から来た人間だとは気付いていないようだった。

 初めて役に立った。好都合だ。

 私はその手を取り、尋ねる。


「もちろんです。そのために来ましたから。どこか痛いとか、どういう風に気分が優れないとか、詳しく教えてもらえますか?」

「熱がひどくて、手足も痛むのです……」


 私が握った手の甲にも黒い斑点がいくつも出ていた。

 額に手を当てると、革のグローブ越しでも熱いのが分かる。

 症状はまさに熱病といった様相だ。


「どうじゃ、わしの部下の治癒魔法は。帝国などとは比較にならんだろう」


 突然、自信たっぷりに語りかけるシャルルベールさん。

 学院時代は実技に参加させてもらえなかったし、治療師になってからも帝国では現場に出たことがなかったから、他の治療師がどの程度の治癒魔法を扱えるのか、正直良く分からない。

 だけど、パッと見る限り、私の方が上手いように思えた。

 いや、今はそんなことどうだっていい。


「治癒魔法は分かりましたが、患者にはどんな薬を与えているのですか? 熱がひどいようですが、ベルべの樹皮の煮汁は効果ありましたか?」

「ベルべ? 何じゃそりゃ」

「いや、だから薬ですよ。症状に合った薬を与えないと……」

「あぁ、そうかそうか、なるほどの!」


 シャルルベールさんは一人で何か納得したようだった。


「帝国人は魔力が低いからの。薬で補わなければ、治療もまともに出来んという訳じゃな。全く、この程度で良くしゃしゃり出てこれたもんじゃ。我々、アルヴィニアの魔力の高さを見れば分かるじゃろ」


 この人は何を言っているんだ。

 魔力の高低なんか関係ない。

 治癒魔法は万能ではないというのに。

 全ての病気が治癒魔法で治るのだったら、ノルンの石化病だって治癒魔法で簡単に完治出来る。

 魔法の詳しい仕組みは未だ良く分かっていないが、治癒魔法というのは魔力で何かを修復するような性質のものだ。

 だから、外傷のように目的が一目で分かるものの治療は簡単に行える。

 だけど、一見して原因の分からない病気に対しては、どのようにその原因を取り除けば良いか分からないため、結局魔力を全身に巡らせ、何となく体を修復するしかない。

 軽い病気ならそれでも自然に治ってしまうだろう。

 しかし、重病であれば体の修復が追い付かず、というか適切な修復が行われず、最悪のケースに陥るのだ。

 そのために、ガスパルさんのような治療師が、様々な病気に対する治療法を日夜研究しているというのに。


「あの、だからですね。実際、治癒魔法だけでは命を救えていない訳ですよね」

「そうじゃ。ここまで強力な呪いとは思わなんだ。早急に術者を見つけて、術を解かんと手遅れになる」


 シャルルベールさんは力強く言った。

 そうきたか。

 だから、呪いという結論に至った訳か。

 なるほど。ある意味、もう手遅れかもしれない。

 いやいや、そんなニヒリストじみたことを言っても仕方ない。

 何としても治療法を見つけなければ。

 無関係のレオンたちが殺されてしまう。

 それだけは本当に避けたい。

 だって本当に無意味な死なのだから。


「さて、あんたにはちとキツイかもしれんが、次の部屋に行こうかの」

「キツイ……ですか?」

「そう、最期を迎える者たちの部屋じゃから」


 シャルルベールさんは後ろ手を組みながら、部屋を出た。

 私もそれに従い、歩いていく。

 その背中は悲哀に満ちているように見えた。

 そうだ。

 シャルルベールさんだって気持ちは私と同じだ。

 いや、私なんかよりも、誰よりも強いはずだ。


「……ここじゃ」


 階段を降り、一階の裏口に最も近い部屋にやってきた。

 薄暗いその部屋は、しんと静まり返っていた。

 言い表せぬ程の恐怖が全身を襲う。

 死。

 それがまさに目の前にある。

 すると、呆然と立ち尽くす私の横をすり抜け、二人組の治療師が部屋へと入っていく。

 そして、一人の患者の様子を確認すると、ゆっくりと首を横に振り、二人でシーツの端を持ち、患者を外に運ぶのだった。

 横を通り過ぎる時、患者、いや遺体の顔が目に入った。

 その顔は苦悶に固まり、黒い斑点はあのアルヴィニアの白い肌をほぼ隙間なく埋め尽くしてしまっていた。


「……また一人、逝ってしもうたか」

「……お悔みを」


 私たちは自然と胸に手を当てていた。


「……シャルルベールさん、遺体の解剖は?」

「か、かいぼ……!? あんた、何を言っておるんじゃ! 死者を冒涜するつもりか!」


 想像通りの回答だった。


「……これだから野蛮人は。……ちぃとでも期待したわしが馬鹿だったわい」


 シャルルベールさんがぶつくさ言いながら事務室へと戻っていく。

 私もそれに着いていく。

 今日のところは治療の実態が分かっただけでも良しとしよう。

 町に行って色々と準備して、明日から本格的な治療に取り掛かろう。


「シャルルベールさん。一応、確認ですが、内務大臣の許可がある以上、ひと月は私の自由に治療をさせて頂けるのですよね? もちろん、先程の解剖の話のような、皆様の意に反するような行為は致しません」

「……そうじゃ。好きにやらせよという指示が出ておる。まぁ、あんたも弁えているようじゃから、わしの立ち合いの元、帝国の治療とやらを試して構わん」

「ありがとうございます。それでは明日から行わせて頂きます」


 事務室に戻ると、シャルルベールさんは背中を向けながら、片手を上げ、奥の部屋へと入っていった。

 私はやれやれといった様子で帽子を脱ぐ。

 すると、事務員の一人がすっと後ろのクローゼットを指さす。

 ああ、ここにしまえと言うことね。

 いやしゃべれよ。

 仮装セットをクローゼットに掛けると、私は別棟を後にした。


「クレアさーん!」


 直後、レオンが手を振りながら走ってくる。

 子犬みたいだな。

 よく私が出てきたのがすぐ分かったものだ。


「どうだった? 何か分かった?」

「うーん、分かったことはいっぱいあるけど、病気についてはまだ全然分からない……」

「そっか……」

「大丈夫! 実際の治療は明日からだから! そのためにも、薬の材料を仕入れたりしたいから、市場に行きたいの」

「分かった! 案内するよ!」


 森の民アルヴィニア。

 これまでのことから、彼らのことが何となく分かり始めてきた。

 高い技術力と魔力に裏打ちされた自信。

 その自信から来る高慢な態度。

 だけど、人を思う気持ちは変わらない。

 もし、私がこの病気を治療出来たら、彼らのその態度も少しは変わるだろうか。


「クレアさーん! 早く早く!」

「はーい! 今、行くから」


  私はそんなことを考えながら、希望に満ちたレオンの笑顔に応えるべく、町へと繰り出すのだった。

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