18.ダークレヴの呪い

 数日後、レオンの容態はすっかり良くなっていた。


「すごいよ! クレアさん! 完全に元通りになってる」


 レオンは確かめるように、自分の体を触りながら、ピョンピョンと飛び跳ねていた。


「これが治療師の力かな」

「……これなら、本当に皆を助けられるかも」

「じゃあ、行こうか」


――――――――――――――――――――――――――――


 そして、私たちは町の入口で待っている、アルヴィニアの兵士のところへやってきた。


「……想定より早いな」


 そう、ぼそりと呟き、目をみはるアルヴィニアの兵士たち。


「では、掟に従い、レオンが無事に国に帰れるまで俺たちが送り届ける」

「……忌々しい掟だ。……まぁ、いい。奴隷が戻れば金輪際、貴様らと関わることはないだろう」


 すると、アルヴィニアの兵士たちはくるりときびすを返し、スタスタと森の奥へ歩き出してしまった。

 私たちはその後を着いていくのだった。


「見た? 俺を見た時のあいつらの顔。まるで幽霊にでも会ったような顔だったね」


 そう言って無邪気に笑うレオン。

 言われてみれば、一瞬、まさかというような表情を見せた気がした。

 確かに、あと一歩遅ければどうなっていたか分からないけど、治療自体は簡単な部類だ。

 こうして数日でピンピンして歩き回る程度には問題なく治せる。


「そういえば、アルヴィニアまではどれくらいかかるの?」

「ああ、ポータルまで行けばすぐだから」

「ポータル……?」

「そう、ポータル。知らない?」


 私はセルジュとアルベルトの顔を見るが、二人共首を横に振る。


「そっか。やっぱり外の人は知らないんだ。アルヴィニアは他の人たちと関わらないように、森に結界を張っていて、基本的に中から出ることも外から入ることも出来ないようになってるらしいんだ」

「もし、外の人間が結界に触れたらどうなるんだ?」

「どうもならないよ。空間が断絶されてるらしくて、そもそも触れられない。外から見たら、国一つ分の広さが丸々森から消えているって言い方で分かるかな? 俺も聞いた話だから詳しい原理は良く分からないけど」

「じゃあ、アルヴィニアの人は国の端まで行ったら見えない壁にぶつかるの?」

「ううん。正反対の側に出るみたい。例えば、町の東からずーっとまっすぐ歩き続けたら、町の西側に着くらしいよ」

「空間が断絶……とやらが良く分からないが、季節や天気はどうなっているんだい? 雨が降らなければ作物だって育たないだろう」

「それは大丈夫。あくまでこの結界が作用してるのは人間だけみたいだから。雨も降るし、動物だってやって来る」


 私たちはうーんと唸り、揃って首をかしげるのだった。

 そんなおとぎ話のような世界があるだなんて。

 今まで聞いたどの魔法も敵わないくらい、高度な魔法だ。

 そもそもミッドランド帝国では魔法を使える人の方が少ないため、未だに魔法の本質的な仕組みは解明されていないのが現状だ。


「だが、納得は出来た。どおりでいくら森を探索しても、アルヴィニアという国の一端すら見つからない訳だ」

「そういうこと。それで、唯一の外界との移動手段がポータルという訳。それも結界が張られた大昔に一緒に作られた魔法陣で、森のあちこちに繋がってるんだ。通行には当然、許可が必要なんだけど……」

「見張りの目を盗んで、抜け出して来たのね」


 すると、レオンは力なく笑って言う。


「それだけでも重罪だからね。処刑はされないまでも、ヨボヨボのじぃさんになるまで牢屋からは出られないかもね」


 そうだったのか。

 だったら、やっぱり私の助けた命とは何だったのだろうか。

 そうまでして、なぜアルヴィニアは他の国との交流を絶ったのだろうか。

 そんなことを話している内、私たちはとある岩場までやって来ていた。

 巨大な岩が積み重なり、小高い丘のようになっているところもある。


「そうそう。ここから来たんだ」


 レオンがそう、ひとりごちた時、先を歩くアルヴィニア兵たちが岩山の隙間へと入っていくのが見えた。

 私たちも後を追い、人一人やっと通れるくらいの隙間を抜け、岩山の中へと入っていった。

 岩山の中はまるで、テントのような空洞になっており、ところどころ空いた岩の間からは日光が差し込み、ぼんやりとした明るさがあった。

 だが、それ以上に明るいものが、地面の中央に青白く光っていた。

 それは、魔法陣だった。

 私の持っているシリンダーに刻印されたものに似た、読解不明の文字と幾何学模様で構成された大きな円形の記号が、地面に浮かび上がっていた。


「……では、ここまでだ。本来であれば、この神聖なるポータルすら貴様らの薄汚い瞳に映したくはなかったがな」


 そう言うと、アルヴィニア兵の一人がレオンの腕をぐいと掴み上げる。


「イテテテッ!」

「ちょっと! 病み上がりなんだから! また傷口が開いたら、無事に送り届けられなかったってことで、貴方たちが掟を破ることになるけどいいの?」

「……フン」


 アルヴィニア兵は不服そうにパッと手を離す。


「それと、レオンから聞いたけど、今アルヴィニアでは原因不明の死者がたくさん出ているみたいね」

「……チッ、余計なことを。……それがどうした? 貴様に何の関係がある? 呪術者が誰か白状しないからこいつは処刑されるのだ。自業自得だ」

「へー、呪術者ね……。もし、それが呪いなんかじゃなかったらどうするの? 奴隷を虐殺して、自分たちも死んでいって、誰にも気付かれないままアルヴィニアという国は消えてなくなるけど」

「貴様!!」


 三人のアルヴィニア兵の内、両脇の二人がほぼ同時に剣の柄へ手を掛ける。

 しかし、それを真ん中に立つアルヴィニア兵が制止する。


「……どういう意味だ」

「ランス隊長!」

「こんな奴らの言うことなんてデタラメですよ!」


 ランスと呼ばれた男が二人を睨みつけると、両脇の兵士たちはしゅんとした様子でゆっくりと剣の柄から手を離した。


「……続けろ」

「聞いた話だと、亡くなる方は高熱を出して、全身激痛に襲われていると。それは、治療師の私から見れば、何らかの病気にかかった可能性がある。しかも、同時にこれだけの人がなくなっているから疫病である可能性が高い」

「……つまり?」

「私がこの病気を治療することが出来れば、レオンたちを処刑する必要はありませんよね?」


 ランスは目を閉じると、口を真一文字に結んだ。

 しばらくの間、沈黙が流れる。

 どきどきと自分の心臓の鼓動だけが大きく聞こえる。

 そして、ランスがようやく口を開く。


「……貴様が治療出来るという確証は?」

「分かりません。病人を診察すらしていませんので。だけど、見ての通り、治療師としての技量はそれなりにあると思っています」


 そう言って私はレオンを見やる。

 それはランスも良く理解しているようで、どうやら葛藤しているようだった。

 それもそうだろう。

 根本的な原因も分からず、ただ家族や友人、そして自分自身が死んでしまうかもしれない恐怖の中で、微かな希望が目の前に現れたのだ。

 誰もが、立場やプライドを捨てて、今すぐすがり付きたいと思うだろう。

 社会的地位のある者ほど、そう思うはずだ。

 そのイスを守りたいがために。

 そんな奴らは帝都でごまんと見てきた。

 だから、ランスのこの答えは私にとって当然の結果だった。


「そこで少し待っていろ」


 そう言うと、ランスと二人の兵士は魔法陣の上に乗り、瞬く間にその姿を消したのだった。

 やった。

 これで私たちのアルヴィニア入りは確実なものとなった。

 自分の判断では決めることが出来なくなった隊長のランスは、必ず上官に決裁を委ねるだろう。

 そして、自分の命が助かるかもしれないという選択を迫られた時、社会的地位のある者ほど肯定的になっていく。

 上官はまたその上官に、そしてまたその上官はさらに上の立場の者へ。

 つまり、ランスが判断に迷い、上へ報告した時点で結果は見えたのだ。

 しばらくして、魔法陣にランスの姿が突如現れた。


「……この腕輪を付けて、着いて来い」


 私たちは心の中でガッツポーズをした。

 そして、見たこともない宝石のはめられた腕輪を付けると、先程までランスが立っていた魔法陣の上へ恐る恐る足を踏み入れる。

 その瞬間、目の前が真っ暗になる。

 そして、浮遊感。


「……おい、さっさと出ろ」

「え?」


 目を開けると、石造りのがらんとした部屋の出口から、槍を手にした門番のような男たちが私の手を引っ張るのだった。

 外に出ると、先程と変わらぬ森が広がり、ランスが腕組みをして目の前に立っている。

 ただ、一つ違うのは、ランスの頭越しに、大きな純白の城が見えることだった。

 私が唖然としていると、後ろから出てきたセルジュとアルベルトも私の横に立ち、同様に言葉を失っていた。


「アルヴィニアへようこそ!」


 最早、レオンのその無邪気な声は冗談にしか聞こえなかった。

 森を進んで行くと、石造りの巨大な城壁が見えてくる。

 こんな森の中で、どうやったらこんな石製の建造物が出来るのだろうか。

 見張りの立つ門をくぐると、そこには城下町が広がっていた。

 道には石畳が敷かれ、城壁と同じような白い石材の建物がそこかしこに並んでいた。

 帝都までとはいかないものの、均整の取れた美しい街並みには目をみはるものがあった。

 私たちは大通りを真っ直ぐ進み、目の前にそびえる城に向かっていた。

 その時、ふと嫌な気配を感じ、そちらを見る。

 その気配の正体は、道行くアルヴィニア人たちが驚きと侮蔑の入り混じった視線を私たちに向けていたものだった。


「……やはり、歓迎はされていないようだな」


 セルジュが小声でささやく。


「……私は慣れっこだけど、セルジュとアルベルトはキツイんじゃない?」

「異教徒には大体いつもこんな反応をされるから、どちらかというと私も慣れている方だよ。いい気分ではないがね」

「……そうか。どうやら俺は今までぬるま湯に浸かっていたようだな」


 少し意外だった。

 私はてっきり、貴族であるアルベルトの方が苦労知らずのお坊ちゃんという印象を抱いていた。

 まぁ、セルジュもノルンという国の中で見れば、当主の血統だから貴族と言えば貴族か。


「……おい、貴様ら。もし城内で粗相があればその命、無いものと思え」


 ランスが振り向き様に言った。

 私たちはいつの間にか城門の前まで来ていた。


「お前はそこの詰め所で待っていろ。おい、そこの。この奴隷を詰め所で見張っていろ」

「ハッ! ランス隊長!」


 敬礼をした門番の一人がレオンに近づく。


「じゃあ、クレアさんまた後でね! 俺、城に入れないからさ」


 さも当たり前のように笑って言うレオン。

 奴隷だから、城に入れないということなのだろう。

 複雑な気持ちで私は城へと入っていく。

 純白の城は中も白一色で統一されていた。

 床に配された石は大理石だろうか。

 マーブル模様の美しい石が敷き詰められている。

 大広間の正面奥には大きな階段があり、厳しい両開きの扉が見える。

 恐らくあそこが謁見の間だろう。

 だけど、ランスは大広間を真っ直ぐ進まず、右手の廊下を進み、とある一室に入る。


「ここで待て」


 そう言うとランスは部屋を出た。

 部屋には意匠の凝った背の低い長椅子とテーブルが置かれ、きれいな花が活けてあった。

 いわゆる応接間の一つだろう。


「やっぱり王様に謁見って訳にはいかないか」

「さすがにな。しかし、アルヴィニアがここまで大きな国だとは……」

「帝国が存在を知ったらどう出るだろうね」


 正直、ここまで驚きっぱなしだった。

 同じ森に住むノルンとは大違いだ。

 確かに自負するだけはある。

 そして、それを目の当たりにする度、どんどんと不安が募っていく。

 ここまで高い文明なら、きっと治療師だっているはずだ。

 その治療師が手を焼いている病気を、果たして本当に私が治療出来るのだろうか。

 それに、もし本当に呪いだとしたら……?

 その時、部屋の扉が開けられる。


「この者たちか?」

「ハッ! そうです!」


 ランスが共に部屋に入ってきた初老の男に、恭しく敬礼をする。

 初老の男は冷たい視線を私たちに漏れなく配りながら、椅子へ腰掛ける。


「ノルン当主のセルジュ・ガルだ。ノルンに迷い込んだ貴国の民を、掟に従い送り届けに来た」

「私はミッドランド帝国、治療師協会ノルン支部所属のクレア・エステルです。今、貴国において未知の流行り病が発生していると伺い、何か力になれればと思い、こうして参りました」


 すると、初老の男の眉がぴくりと動く。


「私はミッドランド帝国、モーリアン教会の神殿騎士アルベルト・クローディス。彼女らの護衛ですので、お気になさらず」


 初老の男は無言で椅子を指し、座るよう勧める。

 私たちはそれに従い、テーブルに着くのだった。


「内政大臣のスニフィンだ。外務大臣も兼務しているが、そのような役職があることすら忘れるくらい、外交などという無価値なことは行われていない」

「……無価値ですか?」

「そうだ。他の種族から得られる利益など何もない」


 清々しいほどに徹底した優生思想だ。


「それで? 奴隷を数日で治した程度で、我らの呪いを解くと?」

「その、呪いですが、呪いだという根拠はどこにあるのですか?」


 スニフィンは一瞬言葉に詰まる様子を見せたが、澄ました顔で答える。


「死んだ者は、皆、肌が黒く変わる。そして、肌の黒い奴隷共から死者の出た報告はない。これはつまり、我ら正統な純血への冒涜であり、このようなことをするのは汚れた血の種族であるダークレヴ以外に考えられぬ」


 ダークレヴ?

 汚れた血の種族、ダークレヴ。

 そうか、レオンたち肌の黒い者たちはダークレヴと呼ばれているのか。

 そして、自分たちは正統な血統であるアルヴィニア人だということか。

 レオンから聞いていた話と大体同じだ。

 だけど、やっぱり違和感が残る。


「理由はそれだけですか?」

「十分過ぎる。貴様ら低脳な種族には理解出来ないようだな」


 遂に私の中の何かがぶちんと切れた。

 別に、罵られたことに対して怒った訳ではない。

 そんなことはどうでもいい。

 彼らのその盲目的な考え方に憤りを覚えたのだ。

 これが違和感の正体だ。


「亡くなった方々は、高熱にかかり、激痛に襲われていたと聞きました。治療師の私から見れば、それは呪いなんかではなく病気の可能性が高い。それをなぜ調べようともせず、呪いだなんて不確かな現象で結論付けてしまうのですか? あなたたちのその妄想のせいで、レオンたちを処刑するだなんて。もしかしたら、病気で苦しむアルヴィニアの方々ももっと早く治療出来るかもしれないのに。どれだけ、多くの命を無駄に落とすようなことをすれば気が済むのですか。そんなやり方、間違っています!」


 私は真っ直ぐにスニフィンを見つめる。

 引かない。怯まない。

 私には治療師としての信念がある。

 私はレオンを殺させるために治療したんじゃない。

 救うために治療したんだ。

 だから、こうしてここにいる。

 戦うためにここに来たのだ。


「……他所の土地の下賤な種族が、内政干渉とはいいご身分だ。……だが治療師か、なるほど。そこまでの気炎を吐くのだから、余程の自信があるようだな」


 スニフィンが冷徹な視線でじっと見つめ返す。

 だが、私は一切動じなかった。


「私がレオンを、ダークレヴを守ります」


 すると、スニフィンがにやりと狡猾な笑みを浮かべ、冷ややかに言い捨てる。


「……ひと月だ。ひと月でこの状況を打開出来なければ、ダークレヴの処刑を開始する」


 ひと月……。

 果たしてそれだけの時間で未知の病気を治療出来るのだろうか。

 あまりにも困難な期限だ。

 だけど、彼らの様子ではここまでが限界だろう。


「ご斟酌頂きありがとうございます」

「口先だけの礼など無用だ。虫酸が走る。こちらは毛ほどの期待もしていない。だが、ひと月の約束は守ろう。自らアルヴィニアの名を汚す訳にはいかぬ。……後ほど、保全省の方にも話を通しておく」


 すると、スニフィンは席を立ち、部屋を出ようとする。

 その去り際、こちらを振り返り、吐き捨てるように言った。


「そうそう、貴様らの滞在はダークレヴの居住区とする。せいぜい最期の別れを楽しむのだな」


 ひと月。

 このひと月でレオンの運命が決まる。

 私が救った命だ。

 理不尽に奪われてなるものか。

 セルジュとアルベルト、二人と目を合わせ、決意を新たに、私たちは立ち上がるのだった。

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