16.見知らぬ客人
それからしばらくは穏やかな日々が続いた。
アルベルトは私たちと同じタイプの一軒家に、神殿騎士団の方々は兵舎へ寝泊まりしながら、昼間は訓練を行っているようだった。
ノルンの兵舎は日常的に使われていることはなかった。
なぜなら、皆、自宅に帰っているからだ。
たまに集中訓練と称して合宿を行うくらいの使用頻度らしい。
帝国の侵略以後、ノルンの軍備はほとんど解体され、町の警備兵程度の規模と役割しかなかった。
そのため、ちょうど兵舎が空いていたので助かった。
神殿騎士の方々も辺境の奥地で、しかも異端者の巣窟だと思っていたから、しばらく野営生活も覚悟していたところに、ベッドで寝られると分かり大変喜んでいた。
それに自然豊かで、食事も想像以上においしく、ノルン人も聞いていた話とまるで違う印象だったらしいので、裏では今回の遠征は大当たりだなどと盛り上がっているらしい。
それを知って、私は我が事のように嬉しかった。
だから、アルベルトにも先輩面で、自慢気に町の紹介をして、少しばかりの優越感に浸ることにしたのだった。
「ここがメイン通りになります。帝都に比べたら全然ですが、やっぱり野菜や果物の鮮度は比べ物にならないですね。テーブルなんかの木工品の質も高いと思います」
「うん、ここ数日に頂いた食事で思っていたが、ノルンは野菜がとても美味しい。せっかく頂いた食事だからと、覚悟を決めて数年ぶりにトマトを口に入れたが、何だあの甘さは。もっと青臭くて、酸っぱいものだろう」
「……トマト、お嫌いなんですね?」
すると、アルベルトが恥ずかしそうに慌てて弁解する。
「い、いや、その嫌いというか、昨日たまたま、数年ぶりにトマトと出会っただけで、今まで避けてきた訳では……」
そこで、ぷっと吹き出してしまう私。
それにつられてアルベルトも笑い出す。
「ここは、いい場所だな」
「はい。左遷されて本当に良かったです」
「まさか辺境国に飛ばされていたなんて夢にも思わなかったよ。どうして、その時に頼ってくれなかったんだ?」
「それは、治療師としての私の仕事ぶりの問題でしたから。そんなことで頼る訳にはいきません。……ただ、今回は私の力ではどうすることも出来ず、ご迷惑をおかけすることになってしまいました」
「迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないから、心配しなくていい。ようやく君への恩を返せる時がやって来て、嬉しいくらいさ」
「そんな、私は当たり前のことをしただけで……」
「だが、それによって命を救われたのは事実だ。君のその癒やしの力は誰もが持つ力ではない。それに、力を持っていたとしても、その力を誰かのために使おうという優しい心がなければ、私は野垂れ死んでいただろう。だから、私は君という存在に救われたんだよ」
今度は私が恥ずかしくなり、うつ向いてしまった。
「そう言えば、クレア君の生まれ故郷もこんな、のどかな場所だったね。こうして君に色々と案内されながら歩いていると、初めて会った時のことを思い出すよ」
「そうですね! アルベルトが血を吐きながら村の入口に倒れていた時は心臓が止まるかと思いましたよ」
「あの突然の高熱に、吐血……。もう二度と経験したくない。まさに地獄だったよ」
「たまたま村の入口で倒れていたので良かったですが、そうでなかったらと思うとゾッとします」
「それも神の思し召しか。もしかしたら、こうして出会ったのも運命かもしれないな」
アルベルトが冗談ぽく笑って見せる。
陽光にきらめく金髪がさらさらと風になびく。
本当に、この方はもう少し自分のことを理解した方が良い。
そんな笑顔を気軽に振りまくなんて、神に仕える男が、そんな罪作りでどうする。
それに、いくら命を救ったとはいえ、平民の私にまでそんな態度を貴族が取ってはよろしくない。
というか、実際そんな風評によって迷惑をかけてしまったため、帝都では出来るだけ近づかないようにしていたのだ。
それが、ノルンに来てからそんなことを気にする必要がなくなったため、こうしておしゃべりしながら散歩が出来るなんて。
アルベルトは元々、生まれや性別なんて気にする人ではない。
そうでなければ、セルジュに対等に接して良いだなんて、普通の帝国の貴族だったら言うはずがない。
そういうところもあって、私はアルベルトを尊敬するし、居心地も良い。
明るい人だから一緒にいて飽きないし。
「どうした? 私の顔に何か付いているか?」
アルベルトの声に私はビクッとする。
いかん、少し呆けていた。
「い、いえ! 久しぶりにこうしてお話出来て、昔と変わらず楽しくて良かったと……」
「ははは! 私もだよ。あんな世界に飛び込んだ君が、相変わらず純真なままで正直ホッとしている」
「純真だなんて! 私はお金のために治療師になったのですから、全然純真じゃないです」
「何を馬鹿な。人を救う力があるから治療師になったんだろう? 救われた者は惜しむことなく相応の礼をする。その形が金銭だったとして、何が悪いんだ?」
「うーん、まぁ、順序の問題と言いますか……」
「それに、正直なところ、ノルンの経済状況を見る限り、帝都の治療師ほどもらえるとは思えないが……」
「……意外に見てらっしゃいますね。治療に掛かる実費や運営費はノルンの税から賄っていますが、私の給金については帝国の治療師協会から頂いていますよ。ただ、ガスパルさんがいなくなってしまっても助手待遇のままですが……」
「なんだと!? やはり不当な扱いを受けてしまっていたか……。よし! 協会にも知り合いは何人かいる。即刻、私が意見書を出してやろう!」
「いえいえ! 大丈夫です! 今は、何というか、協会と揉めたくないと言いますか。下手なことをして、ノルンへの異動を解かれたくないのです。ここが私の居場所ですから。それに、一軒家だってタダで住まわせてくれて、町の人たちもやさしくて、食べ物やら雑貨やら色々くれたりするので、生活には全然困ってないですし」
「そうか。……いや、先走ってすまない。クレア君が幸せそうで何よりだ。一度、帝都で見かけた時は死人のような顔をしていたから、本当に心配だったんだ」
「え? そうだったんですか?」
多分、そんな顔はしていただろう。
薄っすら自覚はある。
でも、まさかアルベルトに見られていたとは思ってもみなかった。
また恥ずかしさが込み上げる。
「あの時はどうすることも出来ない自分の不甲斐なさに腹が立ったが、ようやく自分の力を君のために使える時が来て本当に良かった。ただ、君を笑顔にしたのが、私ではなく、あの男だということには、腹の虫がおさまらないがな……」
あの男?
セルジュのことだろうか?
私が今、充実してるのは、別にセルジュだけが要因という訳ではないのだけれど。
またアルベルトが勝手に暴走しているのか。
そんなことをぼんやり考えている時だった。
「クレアちゃん! ちょっとちょっと!」
突然、大声で名前を呼ばれたので、振り向く。
すると、正面から農家のマリーおばさんが真っ青な顔で駆けてくる。
ただならぬ様子に、私とアルベルトに緊張が走る。
「マリーさん! どうしました!?」
「は、はやく!! 町の入口へ!! あの人が死んじゃうわ!」
マリーおばさんは私の手を取ると、ぐいぐい引っ張った。
私はマリーおばさんに連れられて走り出す。
「し、死んじゃうって、どうしたんですか!?」
「血が、血がいっぱい出て! ああ……」
パニック状態のマリーおばさんは、走ってきたせいもあって、ゼェゼェと言葉にならない呼吸を繰り返すだけだった。
「マリーさんはセルジュを呼んで来てください!」
そう叫ぶと、私はマリーおばさんの掴んだ手を離し、全力で町の入口へと向かう。
「他人事とは思えないな……」
隣を走るアルベルトがぼそりと呟く。
確かに、私も町の入口で人を助けるのはこれで二度目になるということか。
ようやく入口まで辿り着くと、そこには見慣れぬ風貌の男が三人、国境の手前で佇んでいた。
そして、ノルンの町に入ってすぐのところに一人の男が突っ伏して倒れ、血溜まりの中をこちらへ這って来ているようだった。
私はすぐにその男のそばに駆け寄ると、魔力を込めて、手のひらをかざす。
「ヒーリング!」
とにかくまずは失った体力を回復させながら、魔力で全身を探り、止血を試みる。
男は薄汚れたボロ布同然の衣服をまとっていたが、それは自身の血で赤黒く染まっていた。
そこから覗く肌は褐色で、苦悶の表情を浮かべる彼の耳は細く尖っていた。
明らかに私たちとは異なる外見に驚きながらも、応急処置を続ける。
すると、そこへ静かな、でも威圧感のある声が、入口に佇む男の一人から投げられる。
「低脳な人間共の棲み家に逃げ込むとは。恥を知れ。……おい、そこの人間。そいつは罪人だ。治療など必要ない。今すぐこちらへ引き渡せ」
私はその男たちへ、ちらりと視線を向ける。
幾何学模様の施された白銀の軽鎧を身に着けた男たち。
その男の手には、白銀の細剣が握られ、白く輝く刀身の剣先からはポタポタと鮮血が滴り落ちていた。
この男たちが、褐色の彼を殺めようとしたのか。
そう思い、男たちの顔を見ると、真っ白い肌に端正な顔立ちをしているが、全く年齢が読めなかった。
そして、その男たちも、褐色の彼と同じように、尖った耳を持っていた。
状況は未だに理解出来ないが、とにかく目の前で命の灯火が消えかけているのだ。
救ってから話を聞いても遅くはないだろう。
「……私は治療師です。目の前でこんな重傷を負った人が倒れていて、見過ごすことなんて出来ません」
「貴様には関係のないことだ。つべこべ言わず身柄を引き渡せ」
だが、彼らは無理矢理私を引き離すでもなく、入口の前でピッタリと動かず、手だけをこちらへ伸ばしていた。
「容態はどうだい? 救えそうか?」
「……それが、ここではダメです。出血は何とか魔力で抑えていますが、このまま傷口を塞いでも、化膿してしまい、内蔵をやられてしまって死んでしまいます。治療院に運んで、傷口に薬を塗らないと」
「よし! では、すぐ運ぼう!」
アルベルトが血に汚れるのも気にせず、褐色の男を抱きかかえる。
「貴様ら。それ以上は越権行為になるぞ。どうなってもいいのか?」
もう、彼らが何を言っているのか訳が分からなかった。
もしかして、このまま彼を助けようとしたら、ノルンに迷惑がかかるのか?
いや、迷惑なんてレベルではなく、また危機にさらしてしまうことになってしまうのだろうか。
それはさすがにマズイのではないか……。
だけど、彼の呼吸も鼓動もどんどん弱々しくなっていく。
どうすればいい。
私はどうすれば……。
その時だった。
「何をしている。早く治療院に連れて行け」
いつの間にか、私の横にはセルジュが立っていた。
そして、燃えるような険しい瞳を男たちに向けていた。
「俺がノルンの長だ。知っての通り、我々人間との掟がある以上、彼は正式な客人だ。そして、掟に従うならば、こちらの世界に来た客人は、命の安全を保障し、無事にそちらの世界へ送り届ける義務がある」
そうセルジュが言うと、男たちは苦虫を噛み潰したような顔をしたまま黙り込んでしまった。
「理解してくれて何よりだ。これ以上、騒ぎを起こさないというのであれば、貴殿たちもノルンの客人として迎えるが?」
「……下賤な人間共が。余計な気遣いは無用だ。我々はここで待たせてもらう。もし、奴をこの町から逃したとしても、我々の魔力によってすぐに探知可能だ。無駄な手間はかけさせるなよ」
そう釘を刺すと、男たちはそのまま入口で仁王立ちを続けるのだった。
「……奴らは放っておこう。治療院へ急ごう」
それを聞いてアルベルトが頷くと、私たちは褐色の彼を連れて、治療院へと向かった。
何としても救ってみせる。
今はそれだけを考えて、ひたすら走り続けるのだった。
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