15.帝国軍と教会

「珍しいお茶だな。……うん、悪くない」


 そう言ってアルベルトがカップを傾ける。


「キニネイ茶と言って、ノルンの特産なんです」


 私たち三人は役場にある応接室のテーブルを囲みながら、まずは一服していたのだった。


「それで、異端審問だが、君の話だとハウザー氏はもうこの町にいないそうだね」

「はい。……ただ、異端審問というのは口実で、目的は他にあって」

「というと?」

「ガスパルさんがノルン人の赤眼を帝国の貴族に売り渡していたことはお話しましたね」

「ああ、おぞましい話だ」

「でも、ガスパルさんがいない今、赤眼を手に入れようと貴族たちがやってくるのではないかと。もし、その貴族たちを追い払ったとしても、帝国の貴族に危害が加わったと知れば、最悪、帝国軍が動くかもしれない……」

「……なるほど。そうか、それで教会にね」


 するとセルジュがいぶかしげに尋ねる。


「本当にそれで帝国軍は攻めて来ないのか?」

「絶対はないさ。だけど、今は異端審問という特権によってノルンは教会の管理下に置かれている。その状況下で、仮に帝国の貴族が、クレア君の言うような暴挙に出たとしよう。当然、そんな背信者は我々が鎮圧する。その結果、帝国軍が報復に出るかと言えば、彼らも暇じゃない。我々教会と辺境の地で小競り合いをする兵力があれば、その兵を難航している敵国への侵攻に回すだろうからね」


 アルベルトが再びカップを傾ける。


「おいしいな、このお茶」

「おかわりはいかがですか?」

「ぜひいただこう」


 爽やかな笑顔を見せるアルベルト。

 私もにこやかにポットからお茶を注ぐ。

 アルベルトも最初はノルンに偏見を持っていたみたいだけど、少しずつ馴染んでくれたようで嬉しかった。


「ふむ、しかし、いまいち帝国の教会やら軍の力関係が見えないのだが。武力を持っている帝国軍がなぜ教会と対等なのだ?」


 するとアルベルトがチッチッチッと指を振る。


「信仰は力なりだよ、セルジュ君。帝国がここまで周辺諸国を支配下に入れて大きくなれたのは、武力による支配だけではなく、信仰によって民をまとめることで安定的な統治を実現しているからさ。それによって帝国では、絶対的な権力を持つ皇帝陛下の側近として、帝国軍将軍グスタフ・ベアトルフとモーリアン教の教皇シモン・アレクサンドロス様が対等の立場でお仕えされている。だが、皇帝陛下の寵愛をより多く受けた方が、当然、相手より権力を持つことが出来る。だから、お互い躍起になって相手より手柄を立てようとする結果、必然的に教会と帝国軍は対立することになる。これが帝国の権力争いの構図さ。競争原理が働くのは良いことだが、時にはそれが弊害になることもあったり……。おっと、最後は愚痴っぽくなってしまったな」

「それでも、貴族の動きは気になります……。結局、教会も帝国軍も偉い人は全員貴族ですから」

「それはクレア君の言う通り、一理あるな。だが、ノルン人の赤眼を欲しがるような変態はそう多くない。だから、結託して攻めて来ようと、我々、神殿騎士団だけで十分対処可能だろう」


 またまたセルジュがいぶかしげに聞く。


「なぜそんなことが言い切れる?」


 それは確かに私もそう思う。

 うんうんと頷き、アルベルトに視線を向ける。

 だが、アルベルトはこれまで通り、自信たっぷりに話す。


「伊達に異端審問官をしている訳ではないからね。辺境に住むノルン人の赤い瞳を蒐集する異常者が、貴族の中にいる。そんな噂を帝都で耳にして、当然動かない訳にはいかない」


 そう、私も帝都にいた頃、そんな噂話を聞いていたから、ガスパルさんの行いに気付けたのだ。


「内密に調査した結果、そんなことをしているのは一部の成金貴族だけだと分かり、悪趣味な連中だということで特段の対応もなく片付けていたんだ」

「なぜ、そいつらを審問にかけない?」


 セルジュが怒気を含んだ声をアルベルトに投げる。

 その怒りは当然だろう。

 そこまで分かっていて何の処罰もなしだなんて。

 そんな私たちの様子を感じ取ったのか、アルベルトが少しだけ申し訳なさそうに語る。


「気を悪くせず聞いて欲しい。別にノルンの瞳を集めようが、敵将の首を飾ろうが、異常者ではあるが、教会の教えに背く異端者ではない。ましてや辺境国のノルン人の瞳だから構わないという偏見も大いにあった。それに貴族に対して異端審問をするなど、よっぽどのことがない限り有り得ないことだ。例えば、ハウザー氏に関しても、そもそも我々の勘違いで来ているのだが、そんな実態があったとしても、ハウザー氏が貴族であることに加え、ノルン人への行為ということで、異端者とされることは絶対にないだろうな。我々がその成金貴族を内偵したのは、あくまで情報収集のためだ。情報は時として武器になるからね。貴族同士の派閥争いやら何やらあった時に、弱みを握っておけばこちらの望むように操ることが出来る」

「その結果、そんな貴族は数少ないということが分かった訳か」

「そうだ。その貴族たちが攻めて来るとしても、軍を動かす訳にはいかないから、私兵を引き連れて来ることになる。成金貴族の寄せ集めの私兵など、チンピラか、せいぜい三流の傭兵に過ぎない。そんな者がいくら来ようが、幾度の聖戦を勝ち抜いてきた、我々、神殿騎士団の敵ではない」


 それを聞いたセルジュは複雑な心境ではあったようだが、一応の納得は示していた。

 そんなセルジュを見て、私は尊敬した。

 私だったら、今の話を聞いて、目の前のアルベルトに食ってかかっていたと思う。

 でも、セルジュはその怒りを抑えて、ノルンのリーダーとして、国民の安全を第一に考えたのだろう。

 だけど、疑問が一つ残る。


「あの、すみません。アルベルト」

「なんだい? クレア君」


 とびきりの笑顔で振り向くアルベルト。


「ガスパルさんは貴族だから異端者にはならないと言いましたよね?」

「ああ、そうだよ。絶対に有り得ない」

「では、これにて異端審問は終了ということで、帝都にお帰りになってしまうのでしょうか?」


 すると、アルベルトはとびきりの笑顔のまま固まってしまった。

 ちーん。

 いやいやいや、あまりにも他力本願な作戦とはいえ、こんな形で終わってしまうとは予想だにしていなかった。

 てっきり、ガスパルさんを探す間は異端審問の期間だと思っていた。

 すると、そこへセルジュが重々しい顔付きで言う。


「そうか。色々と世話になった、アルベルト。荷物になってすまないが、これはキニネイ茶の茶葉だ。土産に持っていってくれ。ついでに、ノルンは良い所だったと土産話も向こうでしてくれると助かる」


 そう言ってセルジュは、いつの間に用意していたのか、三つほど重ねた木箱を机に乗せ、ずいと押しやる。

 いやいやいや、さすがリーダー、実は気遣いが出来て面倒見が良いのは知ってたけど、そこはもう少し食い下がらなくてどうする。

 それを見て、戸惑うアルベルト。


「い、いや、そう結論を焦らなくてもいいじゃないか、セルジュ君!」


 だが、続いて頭を下げるセルジュ。


「我々ノルンの問題に巻き込んですまなかった。辺境までのご足労、感謝する。これからは、俺がこの国とクレアを守るから、安心して国に帰ってくれ」


 そこで、笑顔のままのアルベルトの額に、ピキッと青筋が浮かぶのが見えた。


「……そうだ、そうだ。私としたことが最も重要な目的を失念しかけていたよ。私がここに来たのはクレア君を守るためだ。辺境の森には悪い虫も出そうだからな」


 アルベルトが茶葉の入った木箱をセルジュにずいと押し返す。

 すると、セルジュが再び木箱をずいと押しやる。


「帝国の神殿騎士は色々と忙しいだろう。後は俺が責任を持って面倒を見る」

「……面倒を見るだと?」


 その瞬間、懐から紙、ペン、インクがセットになった書簡筒を取り出し、何やら殴り書きをするアルベルト。

 その紙をバンッと木箱の上に置くと、木箱を押し返した。


「……不幸中の幸いか、ハウザー氏の行いは過去に前例のないほど、凄惨な行為と言える。帝国がノルン人をどう見ているかということを差し引けば、神の教えに背く立派な異端行為であり、治療師協会としても何らかの対処が必要になるだろう。この手紙には、そのような事実の確認に予想以上の時間がかかるというようなことが書かれているが、これを教会が受け取ればさすがに無視することは出来ないだろう。自分で言うのも何だが、貴族である私が、その特権階級の在り方について、異端審問官の立場から一石を投じる訳だからな。教会内部は大わらわで、額を寄せ合う姿が目に浮かぶ。その間は間違いなく、教会の庇護下に置かれるはずだ」

「ふむ、なるほど。アルベルトも覚悟を決めてくれて何よりだ」


 覚悟?

 その瞬間、私はハッと気付く。

 そうだ、私はアルベルトを知っているが、セルジュは初対面なのだ。

 アルベルトだって帝国から来た人間であり、貴族なのだから、その成金貴族とグルになって、嘘をついている可能性だってゼロではない。

 私のアルベルトに対する信頼を、信じていない訳ではないのだろうけど、国民の命がかかっているのだ。

 それを預けられる人物かどうか、試したんだ。

 この手紙が教会に届けられた以上、アルベルトが私たちを裏切って、ノルン人の赤眼を売りさばいたとしても、自分が異端者になる訳だから、これまで異端者が審問官にされてきたことを一番良く理解している者が、そんな愚行を犯すことこそ有り得ない。

 つまり、当初の計画通り、ノルンは異端審問によって、教会の庇護下に置かれることが確実になったのだ。


「ふん、先に言っておくが、これは決して負け惜しみではないからな。さっきも言った通り、私の目的はクレア君を守ることだ。そのためには、何だってやる。だから、今回はまんまと君の口車に乗ってみせただけだ。クレア君から手紙をもらった時から全て覚悟の上だ」

「ああ、疑ってすまなかった。ノルンを代表して礼を言う」


 すると、アルベルトがふぅと軽くため息をついて言う。


「やれやれ、クレア君に格好悪いところを見られてしまったね。まぁ、これ以上、言葉で言っても仕方がない。態度で示さないとね。部下たちにこれからのことを説明してくるよ」

「分かりました。助けに来てくれて本当にありがとう、アルベルト」


 それを聞いたアルベルトはとびきりの笑顔を見せると、部屋を後にしたのだった。

 扉が閉まるのを確認すると、私はセルジュの肩をはたいて言った。


「やるじゃん」


 見え見えの挑発だったが、アルベルトの背中を押したのは確実だろう。

 今朝のやり取りから、一瞬でここまで考えるなんて感心してしまった。

 だが、セルジュからは予想外の言葉が返ってくる。


「何がだ?」

「何がって……。アルベルトをやる気にさせてくれて、無事に帝国からの攻撃の心配がなくなったじゃない」

「ああ、彼が急にこんな手紙を寄越してきた時は驚いたが、ひとまず安全だということになって良かった」

「ん? それを分かっててあんな押し問答してたんじゃないの?」

「何を言っているんだ? 俺はただ、彼に断られたから礼を言って、早く次の策を考えたかっただけだ」


 えーー!!

 それじゃあ、私のあの考察は何だったの!?


「さて、とりあえず心配事はなくなったとはいえ、やることは沢山あるからな」


 そう言って席を立つセルジュ。

 私は少し、ぼーっと放心していた。

 まぁ、結果良ければ何でもいいか。

 私はだらだらとカップを片付け始める。

 でも、だとしたら。

 セルジュが言った、責任を持って面倒見るって……。

 いやいや、面倒見の良いリーダーだから。

 単にそういう意味でしょう。

 私はそそくさとテーブルを拭くと、食器を持って部屋を出た。

 そして、私が廊下を一歩一歩踏むたび、食器はカチャカチャと楽しげな音を奏でるのであった。

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