13.次の世代へ
男が一人、カツカツと真っ白い部屋の中を忙しなく行ったり来たりしている。
男の身に着けた鎧の胸元には、黒い鳥のシンボルが施されていた。
「アルベルト様!」
部屋のドアが勢い良く開けられ、ひざまずいた男が先を続ける。
「出兵の準備が整いました」
アルベルトと呼ばれた金髪の青年は、手にした手紙に視線を落とす。
「まさか君が辺境国ノルンにいるだなんて。……私が必ず、野蛮人どもから君を救うぞ」
そして、漆黒のマントをひるがえすと、ひざまずいた男に向かって言い放つ。
「出陣だ! 異教徒の者どもに鉄槌を!」
――――――――――――――――――――――――――――
「はーい、どうぞ! お入りください」
「どうも、クレアちゃん。今日は腰が痛くてねぇ」
「畑仕事もいいですが、あんまり無茶しないでくださいね」
「分かっちゃいるんだけどねぇ。でも、何にもしてないとどうにも落ち着かなくてねぇ」
私は腰に手を当て、ヒーリングをかける。
そして、さらさらと紙に走り書きをし、それを渡す。
「じゃあ、受付でこれ出して、貼り薬もらってください」
「ありがとうね、クレアちゃん」
「はい、お大事に。……次の方、どうぞ!」
あれから一週間が経った。
治療院はこの通り、見違えるように大盛況になっていた。
待合室はややもすると社交場になりかねないくらいだった。
でも、信用されたのは嬉しい限りだ。
さすがにこの人数を一人で対応するのは無理があるので、受付の事務員や助手を何名か雇い、運営している。
何もかも初めてのことに苦戦する毎日だが、充実していた。
今のところ、一応は平和に過ごしていた。
あの時、ゼニスさんが言っていたことはまだ起こらないで済んでいる。
―――――――――――――――――――――――――――
「では、わしは行くでのぅ」
セルジュがノルンの長となり、そのまま襲名パーティーのようなお祭り騒ぎとなった直後、ゼニスさんがそう私たちに声を掛けた。
「行くって、帰るのか?」
「ファファファ。わしにもう帰る家などありはせん」
「それって……」
「これまで民を騙しておったのじゃ。もうノルンの地を踏む資格などありはせん」
セルジュと私は口をつぐんだ。
かつての呪術師のことが脳裏に浮かぶ。
何が正しいことなのか私には分からなかった。
だけど、ゼニスさんを無理に止めるということもしなかった。
それはセルジュも同じだった。
「これからどうするんだ?」
「すべきことは山ほどあるわい。まずは西じゃな。教会とやらが来ても一時しのぎにしかならんのじゃろう?」
「ええ、調査が終われば教会の庇護からは外れてしまいます。属国ではなく、停戦協定中の国ということですから帝国軍が管轄になると思います」
「教会と帝国軍というのは仲が悪いのか?」
「うーん、その表現が合ってるか分からないけど、お互い良くは思ってないかな。それぞれが独立した役割を持ってるから、ぶつかることも多いみたいだし。例えば、敵国に侵略するにしても、軍はとにかく相手の兵力を削ぐことだけに注力するけど、教会はその後に属国の国民を信者にして信徒を増やしたいから、破壊行為は控えて欲しいみたいな」
「つまるところ中央の権力争いじゃろうて。お互いの利権獲得に邪魔となれば対立し、利害が一致すれば協力する。よくある話じゃ」
「ノルンが危うい立場にあるというのは変わらない訳か……」
セルジュがその責任の重圧からか、くちびるを噛み締める。
私はそんなセルジュの背中をバシッと叩く。
「長がそんな顔してどうする! 大丈夫、教会はひとまず盾になってくれるはず。その間に次の手を考えよう」
「ファファファ、どうしてなかなか。良いパートナーを見つけたのぅ」
「パ、パートナー!?」
さっき二人並んで、皆の前で挨拶したからか、過剰に反応してしまう。
別にパートナーなんて普通の言葉だ。
仲間くらいの意味だ。
ほら、セルジュだって何の反応もしていない。
いや、こいつはいつも無表情か。
でも、いつにも増してその表情は読めなかった。
「それじゃ、わしは行くでのぅ。これがせめてものわしの罪滅ぼしじゃ。この命、体、朽ち果てるまで、ノルンに尽くすつもりじゃ」
「分かった、じいさん」
「ノルンを頼むぞ。……戦争は必ず引き起こされる。それを望む者がいる限り、必ずじゃ」
その言葉を残し、ゼニスさんはノルンを去っていった。
―――――――――――――――――――――――――――――
私はその日、仕事を終えると、従業員を帰し、治療院を閉めた。
そして、師長室に戻ると、床の隠し扉を開けた。
ゆっくりとはしごを降り、ロウソクに火を灯す。
あれから毎晩、この地下室に来るのが私の日課になっていた。
地下室に保管されたおびただしい数の標本と記録。
それらを取り出し、机に置くと、私はその記録をくまなく読み進める。
机の端には一通の便箋があの時と全く同じように置かれていた。
セルジュが長になった翌日、ガスパルさんの姿はノルンのどこにもなかった。
当然と言えば当然だ。
異端審問を受けると分かっていて残る者などいないだろう。
しかも恐らく異端者の烙印を押されることが明らかなのだからなおのことだ。
便箋にはガスパルさんの綺麗な字でこう書かれていた。
――クレア・エステル殿
私は貴殿の治療師としての素質に敬意を表すと共に妬ましく思う。
私は自らの知識に傲っていたとはいえ、此度の石化病に関する治療薬の発見は、紛れもなく貴殿の素質による功績である。
なぜ神は私にその素質をお与えにならなかったのか。
そのような愚問が頭をよぎったが、答えは簡単だった。
私が女神ケレの教えに背いたからに他ならない。
だが、私は自らの考えを改める気はない。
認めよう。
私は治療師ではなかった。
狂った学者だ。
しかし、そうであれば、私の考えは真に正しいものであったのだ。
それをいずれ、貴殿に証明出来る日が来るのを楽しみにしている。
その序章に、この地下室のあらゆる記録を貴殿に捧げよう。
貴殿のその素質に最上の敬意を込めて。
ガスパル・ハウザー ――
この手紙を読んだ時、私は最初戸惑っていた。
これら治療の記録とは直接関係ないとはいえ、彼らノルン人の瞳をここで取り出し、帝国の貴族に売り渡していたのだ。
ここの全てを土に還すか、灰に還すかすべきではないかと考えたこともあった。
だが、セルジュに相談すると。
「いいんじゃないか? 治療に役立つ貴重な記録なんだろう? その方が死んだ者たちへの弔いにもなる」
と、意外にあっさりとした回答だった。
まぁ、私がとやかく言うことでもないので、一分の無駄のないよう、こうして活用させて頂くことにした。
それにしても、やっぱりガスパルさんの知見と分析はそこらの学術書とは一線を画す。
これがあれば帝国の治療学も十年くらい進むという程だ。
だけど、それは不可能だった。
内容が内容なので、見つかれば即刻、焚書にされるか、禁書庫に厳重保管され日の目を見ることはないだろう。
でも、それによって救える命もたくさんある。
だから、これらを元に正規の治療を行い、その治療法を世に広めることが、この記録を引き継いだ私の使命なのかもしれない。
「うぅーん! 今日はこの辺にしとこうかな」
私はイスに座ったまま思い切り伸びをすると、短くなったロウソクの刺さる燭台を手に取り、地下室を後にするのだった。
治療院を出ると、真夜中近くのノルンの町はひっそりと静まり返っていた。
月の明るい晩だった。
広場まで歩いて来ると、議事堂の方から見慣れた姿の男がやってくるのが見えた。
「あれ? セルジュも今帰り?」
「ん? クレアか。ああ、奇遇だな。こんな時間まで仕事か? 無理するなよ」
「それはセルジュもでしょ。大分疲れた顔してるけど?」
「ああ、日々じいさんのすごさを改めて実感してるというところだな。……ところで、食事はもう済ませたのか?」
「ううん、適当に食べて帰ろうと思ってたところ」
「じゃあ、一緒にどうだ?」
「軽く一杯いきますか。今日は私がおごってあげよう! このクレアお姉さんが愚痴でも何でも聞いてあげましょう!」
「そう言って愚痴をこぼしたいのはお前の方だろ?」
「う……ま、まぁ、それはお互い様でしょ?」
「まぁいいさ。いつもの串焼き屋でいいか?」
「うん! あそこの牛バラ串最高!」
そうして束の間の平和を私たちは楽しむのだった。
この平和が、そう長くは続かないということを、この時の私たちは知る由もなかったのだから。
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