12.地下室の秘密(後編)
「セルジュ!!」
見間違えるはずがない。
美しい銀髪に燃えるような赤い瞳。
相変わらずの無表情だが、私には分かる。
その顔からは内なる怒りがにじみ出ている。
「待たせたな、クレア」
そう言って部屋に入ってきたセルジュの右手には、ボコボコにされた見知らぬおじさんがズルズルと引きずられているではないか。
「じいさんの部下も大したことないな」
するとセルジュは、そのボコボコにされたおじさんをヒョイとゼニスさんの前に放り出す。
「も、申し訳ございません、ゼニス様……」
ようやくそれだけ告げると、ガクッと突っ伏してしまうおじさん。
「セルジュ……! 邪魔をするでない……!」
「邪魔だと? 同胞の誇りを守ることが邪魔だと? 仲間を、クレアを守ることが邪魔だと!?」
セルジュがずいとゼニスさんに迫る。
だが、ゼニスさんも一歩も引かなかった。
「森を見るのじゃ。枝葉にとらわれてはいかん。お主もノルンという国を背負うならば、真に守らなければならんものは何か、良く考えるのじゃ」
「守らなければいけないものは皆だ」
「たわけ! 現実を見るのじゃ! 全員など救えやせん! また戦争が起きても良いのか!?」
「現実だと? じいさん、現実を見るのはあんたの方だ。今、ノルンで起きている現実、俺たちの体は帝国から来たこの狂った学者の知識欲を満たす実験に使われ、俺たちの誇りと魂は帝国の貴族共の慰みものになっている。……あんたは一体、何を守ってるって言うんだ?」
ゼニスさんがわなわなと震える。
「……だから何だと言うんじゃ。帝国との戦争で何人が死んだと思っておるんじゃ。あの悲劇を繰り返さないためにはそれも仕方のない代償、尊い犠牲なのじゃよ」
それを聞いたセルジュが語気を強めて言った。
「いい加減にしてくれ。あんたは何人死んだかなんてどうでもいいんだろ? あんたの本心は同胞が何人死んだかじゃない。息子が、親父が殺されたのが辛いだけだろう!?」
その瞬間、ゼニスさんの顔が強張る。
そして、ぽつりと呟く。
「……家族を失って辛くない者などいる訳ないじゃろうが。たわけ……」
少しの間、沈黙が流れる。
それを破ったのはセルジュだった。
「俺には両親の記憶なんてほとんどないが、家族の記憶は今でも鮮明に憶えている。よくキノコのシチューを作ってくれた薬屋のフランおばさんに、一緒に悪さした道具屋のグレタとそれを叱ってくれた親父さんのガーベイさん、森のことを教えてくれた先生のようなオーグマさんにワグマさん、もちろんファルメさんやパルマも、俺にとってはノルンの皆が家族だ。だから、俺はあんたの見捨てた家族全員を守ってみせる!」
その言葉を、黙ってうつ向き加減に聞いていたゼニスさん。
そして、突然、力ない声で笑い出した。
「カカカ……。いいじゃろう、セルジュ。森を見ろとわしが言っておきながら、ある意味では確かに、枝葉に心をとらわれていたのはわしの方じゃったかもしれん。じゃが、この秩序を壊せば、必ずや血が流れることになるじゃろう。その覚悟は出来ておろうな?」
「もちろんだ」
「して、どうするつもりじゃ?」
「策はまだない。だが、何とかする」
じっと互いに目を見るセルジュとゼニスさん。
残された唯一の肉親同士。
血の繋がった者同士にしか分からない何かがそこにはあるのだろう。
そして、ゼニスさんがしばらくの後、得心したようにうなずいたのだった。
「……どうやら古き時代は終わったようじゃの。ならばもう、何も言うまい」
そう言ったきりゼニスさんは本当に黙りこくってしまった。
そこへガスパルさんが見かねたように声をかける。
「これはこれはゼニス殿。貴殿も良く分かっておいででしょう? 彼らが商品を、それこそ血眼になって求めているのを。なにも私だって殺してまで赤眼を取りたい訳ではありませんから。治療の結果、死に至った者から採取しているだけで、それが貴殿らノルンの和平交渉の道具になるならば本望でしょう。誇り? 魂? そんな実体のない自己満足に陶酔している暇があるなら、実益を得ることを考えるべきだと思いますがね」
「ガスパルさん! やめてください!」
私は居ても立ってもいられなくなり、すかさず声を上げる。
もうこれ以上、ノルンの皆を貶めることは言って欲しくなかった。
もうこれ以上、私の中のガスパルさんが落ちていくような真似をして欲しくなかった。
治療師としての思想が少し違うだけだと思っていた。
治療師の先輩として、人生の先輩として、優しく導いてくれていると思っていた。
その点についてはガスパルさんもそうしてくれていたんだと思う。
だけど、ここまで相手と自分が全然違う人間だと感じると、不思議なもので、あの時の優しさは蜃気楼のように私の中から消えていってしまうのだ。
それが、とても悲しかった。
「クレアさん、貴女も他人事のように言っていますが、貴族が私兵を率いてくればノルンで虐殺の限りを尽くすでしょう。それに抵抗すれば、内乱の鎮圧として必ず帝国軍が出向くことになります。今の帝国の軍事力はかつての比ではありません。ましてや、前回辛酸を舐めた彼らにとってこんな都合の良い口実はありません。完膚なきまでに叩きのめそうと、相応の準備をしてくるでしょう。そうなれば貴女だって、次は辺境どころか戦場の最前線に送り込まれるかもしれません」
「ガスパルさん、戯言はもうたくさんです……」
私がそう呟くと、ガスパルさんはにやりと不敵な微笑を浮かべる。
「……ええ、そうですね。そうです。今更そんなうわべだけの会話に何の意味もありません。そう、貴女にとってここが楽園なように、私にとってもここはこの上ない素晴らしい場所です。ここを失うのはあまりにも惜しい。なぜなら、帝国の法や協会の規則に縛られることなく、思いのままにあらゆる治療を試せるのですから。先ほど、セルジュが私を狂った学者と言いましたが、その狂った学者のおかげで救えた命もごまんとある。では、私と呪術師の違いは何ですか? 彼らはデタラメを言い、ノルン人を騙し続けていた。だが、その嘘に救われた者がいたからこそ、嘘という名の治療によって癒されていたからこそ、ここにいることを許された。しかし、それが嘘だと白日の下に晒された時、どうなったと思いますか?」
唐突な質問に言葉が詰まる。
呪術師がどうなったか?
あれ?
確か、ガスパルさんが来て、今まで呪術師が治せなかった病気を治してしまって。
「……居場所がなくなって、去っていったと聞きましたが」
そこで再びガスパルさんがにやりと笑う。
「そう、去っていったのですよ。この世をね。正しくは、この世から退去させられたと言うべきですかね。彼ら、ノルン人によって」
そう言ってガスパルさんがゼニスさんを指さす。
しかし、ゼニスさんは沈黙を守ったままだった。
「ノルン人によって……この世から……?」
そんなこと想像したくなかった。
私は今日までのことで、どこかノルンの人たちを神聖視していたのかもしれない。
「今までのことが嘘だと分かった途端、怒りが爆発したようでね。携わらなかった者はいないほど、ノルン人全員で、この私ですら筆舌に尽くしがたい惨殺、処刑、拷問、と枚挙に暇がないくらいの惨劇が繰り広げられました。では、なぜ彼らはそこまでの怒りを覚えたのか。それは、呪術師が嘘を吐いていたからに他なりません。自分の信じていたことが裏切られ、意味もなく酷い目に遭わされていたのですから当然です。つまり、私と呪術師の決定的な違いはそこにあります。私がここにいることが許されるのは、真実を追求しているからに他なりません!」
「ガスパルさん! それは違います!」
「何が違うと言うのです? 私は病気を治すため、根本的な治療法を研究するため、ノルン人に協力してもらっているのです。そこに嘘偽りは一切ない。治療を試した結果、効果がなかったことや、逆に死に至らしめることもなかったとは言いません。ですが、その結果によって真実への道がまた拓けたのです。その実益をノルン人だって享受しているのですよ。治療師が治療学の発展に寄与して何が悪いと言うのです? 断じて私は間違ってなどいない!」
初めて聞いたガスパルさんの怒声に、私は胸が苦しくなる。
何て純粋な人なんだろう。
何て実直な人なんだろう。
こうしてお互い治療師としてではなく、別々の立場で出会っていたならば、私はガスパル・ハウザーというその人を一人の人間として尊敬していたかもしれない。
だけど、私は治療師なのだ。
たとえ私が未熟であろうと、これまでの価値観がボロボロに打ち砕かれようと、治療師である私は自分の決めた道を歩むのだ。
だから、私はガスパルさんと戦う。
「治療師の心得、第一条!!」
私はありったけの声で叫ぶ。
感謝とそれから色々な感情をぶちまけるように叫ぶ。
「治療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし! 治療師と治療を受ける者との信頼関係に基づき! 治療を行わなければならない!! これが、癒しの女神ケレの一番最初の、そして一番大事な教えです! ガスパルさん! あなたは……、治療師失格です!!」
「ハハハハハハハハハ!! 何を馬鹿なことを! 治療学をここまで発展させた私が治療師失格!? 口を慎みたまえ、クレアくん。懇意の貴族や治療師協会に私が一言口添えすれば、君の治療師資格など一瞬で剝奪出来るのですよ。そうなれば文字通り、貴女の方が治療師失格だ!」
「では、どちらが治療師としてふさわしいのか、公正たる神によって判断してもらいましょう」
そう言うと私はポケットから一枚の紙を取り出し、ガスパルさんの眼前に突き出した。
「貴女、一体何を? これは、駅逓局の受領印が押された控え、ですか? これが何だと言うのです?」
駅逓局。
ノルンと帝国を結ぶ通信・郵便を担う役所。
ここに来る前、私がとある物を郵便に出していたのだ。
「この宛先を見てください」
「宛先? ……ミッドランド帝国、モーリアン教会。神殿騎士、アルベルト・クローディス。神殿騎士だと!? まさか!?」
「ええ、異端審問の告訴状です。あなたのノルンでの行いを事細かに記載しました。そして、その証拠として訴状に同封させて頂きました。あなたから頂いた、あの治療のノートを」
その瞬間、ガスパルさんの微笑は失われた。
血の気の引いたその顔はまるで亡者のようだった。
「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! 異端審問だと? 教会が動く!?」
「彼はちょっとした知人でして。まぁ、そうでなくともあのノートがあれば教会は必ず動くでしょう。そうなれば、ここは当面、教会の管轄となります。教会が相手となれば、貴族たちも迂闊に手出しは出来ないでしょうね」
「そうなのか!? クレア?」
セルジュが驚きと喜びの入り混じった表情で私を見る。
相当嬉しかったのだろう。
私でなくとも、誰が見たって今のセルジュの表情は読み取れる。
「まぁ、当面の間はね。ちょっと面倒なことにはなると思うけど」
「……ハハハ。確かに。確かに、それは妙手だ」
乾いた笑い声を絞り出すガスパルさん。
そして、最後の切り札と言わんばかりに大声を上げる。
「だが、私がいなくなれば、ノルンの病人はどうなる!? 誰が石化病を研究し、治療するというのだ!?」
その瞬間、私の勝利は確定した。
私はセルジュと目を合わせ、うなずくと、ポケットからシリンダーを取り出した。
「私が完成させました。石化病の治療薬です」
「馬鹿な!!」
今日一番の馬鹿な、だった。
「では、証明します。そこの手術台に寝ている女性、ワグマさんですよね?」
私はつかつかとワグマさんに近寄り、そっと頭を抱き起すと、シリンダーに入った真っ赤な液体をゆっくりと口に流し込んだ。
「癒しの女神ケレよ。その恵みを我らに与えたまえ。ヒーリング!」
ほとばしる魔力が暗い地下室を明るく照らす。
ワグマさんを緑色の光が優しく包み、そして消えていった。
その直後、ワグマさんのまぶたがゆっくりと開けられる。
「……あ、ありゃ。わたす、寝ちまっただか? ……治療さ、してくれてるのに申し訳ねぇべ」
「大丈夫ですよ。ワグマさん、治療は無事終わりました。調子はどうですか?」
「本当け? つま先は動かねぇが。ああ、でもずーんと体が重いのはなくなってるべ」
私は振り返り、ガスパルさんを見やる。
ガスパルさんは唖然とした顔で私を見返していた。
「ど、どういうことです? 一体、その薬は?」
「これはキニネイから抽出した薬です」
「キニネイだと!? あの、キニネイか!?」
私ははっきりとうなずいて見せる。
「馬鹿な!! いや、確かにキニネイには解毒作用がある。だが、それは非常に微弱なものだ。そんなものいくら抽出し、飲ませようと、効くはずがない!」
「そうです。罹患した初期の場合や、予防には効果があるかもしれません。だからこそ古代ノルン人がキニネイを飲み親しみ始めた頃から、石化病の大流行はおさまった。だけど、運悪く病状が進行してしまった時には、キニネイをそのまま飲んでも効果はない。だから、私はキニネイの微弱な解毒成分を分解し、余計な構造を破壊して、解毒成分を強めたのです」
「成分を……分解? こ、構造を……? な、何を言っているのですか、貴女は。何の話を?」
「ですから、魔力を操作し、こうビュンビュンと飛び回る解毒成分以外のですね……」
「あ、貴女には何が見えているというのですか? そんなことが出来る治療師、いる訳がない!! 貴女は一体、何者……?」
何だかよく分からないが、何者だと聞かれたらこう答える他ない。
私は胸を張って言ってみせた。
「私は、ただの女で平民の、辺境に左遷された治療師です」
それを聞いたガスパルさんは膝から崩れ落ちたのだった。
これで、全てが決着した。
「……行こう、クレア」
セルジュがワグマさんをおぶさりながらそう言った。
私は微動だにしないガスパルさんを見つめていたが、セルジュに従い、地下室を後にしようとした。
その時、沈黙していたゼニスさんが私たちの背中に声を掛ける。
「……すぐに町の者を集めるぞ、セルジュ。これからはお前さんたちの時代じゃ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゼニスさんやセルジュの影響力はすごいもので、あんなことがあったその晩に町の全員が広場に集まっていた。
皆、何事かとざわめいた様子だった。
立派な議事堂の建物を背に、特設された演壇へ立つゼニスさんとセルジュ、そしてなぜかそこに並ぶ私。
しばらくすると、ゼニスさんが大きく一つ咳払いする。
その瞬間、騒いでいた民衆は水を打ったようにしんと静まり返った。
「えー、皆の衆に集まってもらったのは他でもない。急な話ではあるのじゃが、わしは今日を持って隠遁する」
再び、ざわめく民衆。
「えーい! 静かにせんか! お前ら、いつまで老人に鞭打つ気じゃ! わしももう老いぼれじゃ。もう、次の世代に引き継ぐ時が来たようじゃ」
そして、セルジュが一歩前に出る。
「あとはこの、わしの孫のセルジュがノルンを引っ張ってくれるじゃろう。わしからの遺言じゃ。セルジュの言葉に耳を貸し、皆で支えてやってくれんかの」
「若輩者かもしれないが、ノルンの平和と繁栄を目指し、尽力する。だから、皆も力を貸してくれ」
すると拍手と歓声が大きく沸き起こった。
突然のこととだったかもしれないが、皆受け入れてくれたようだった。
これもセルジュの人徳なのだろう。
そんなことを思っていたら、セルジュの声が耳に届く。
「では、俺から皆への一番最初の連絡事項だ。治療院のガスパル氏がノルンを去ることとなったため、新たに治療院の師長をそこの者に任せることにした。ミッドランド帝国治療師協会所属の治療師、クレア・エステルだ!」
その瞬間、先ほどまでの喧騒が嘘のように鎮まった。
なぜ私がここに並んでいるのかようやく理解できた。
そして、理解した時には遅かった。
ガスパルさんの全ての行いを知らないとはいえ、ノルンの皆が帝国から来た治療師を快く思っているはずがない。
こんなの吊るし上げだ。
魔女裁判だ。
セルジュめ、恨んでやる。
そう思ってセルジュをにらみつけた時だった。
「おねぇちゃん! おかぁさん治してくれてありがとう!! これからもよろしくお願いします!!」
「クレアさん! 頑張って! 応援してるわよ!! 」
それはパルマちゃんとファルメさんの声だった。
「おらの妻も無事に帰ってきただ! あんたは命の恩人だべ!!」
「うんとごちそうするから今度ウチ来るべ!」
オーグマさんとワグマさんの声も聞こえてきた。
「……ほら、石化病の治療薬見つけたって噂の……」
「……ああ、確か薬屋のすっごい良く効く薬もあの娘が作ったって……」
ざわざわと声が広がり、それが倍々に大きくなり、ついには割れんばかりの大歓声が私に降り注いだ。
「いいぞ!! クレアさん! よろしく頼みますよ!!」
「俺も診て欲しい!!」
「今度一緒にお茶しましょう!」
呆然と立ち尽くす私。
いつの間にか涙があふれ出していた。
ここに居てもいいんだ。
認められたんだ。
私のやってきたことは間違いではなかったんだ。
本当にノルンに来て良かった。
胸に熱いものがこみ上げ、喉が詰まって何も言葉に出来なかった。
私はセルジュの横に立つと、期待に応えるよう精一杯の気持ちでお辞儀をした。
そこに再び大きな拍手が降り注ぐ。
顔を上げた時、セルジュが私の耳元でこうささやいた。
「これからも俺の横にいてくれるか?」
その言葉に私は満面の笑みでこう応えた。
「もちろん! でも、報酬は弾んでもらうからね。私はプロの治療師だから!」
そう、これからが私の治療師奮闘記の始まりなのだ。
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