11.地下室の秘密(前編)
ファルメさんの話は信じがたいものだった。
いや、信じたくなかったのだ。
だから、そこにいないで欲しかった。
そうすればファルメさんの話も、夢でも見たのだと一笑に付して、今まで通り平和な日々を過ごせたかもしれない。
だけど、現実は無常だった。
――――――――――――――――――――――――――――
私はファルメさんに聞いた通り、とある地下室の暗い石畳の廊下を歩いていた。
そうして、廊下の突き当りまで来ると、格子窓のある鉄の扉があった。
鼓動が次第に早鐘を打つ。
そして、ついに意を決し、それを押し開ける。
「ガスバル……さん?」
するとそこには、いつもの微笑をたたえるガスパルさんと、手術台のようなものに寝そべる見知らぬ女性がいた。
「意外と早く見つけましたね、クレアさん」
私はその地下に作られた大きな部屋を見渡す。
冷たい石壁がたいまつの揺らめきでぬらぬらと光る。
よく見ると、石造りの床は幾度も塗り重ねられたように不気味な赤黒い色に染まっていた。
「……ここがかつての呪術師の儀式の間ですか」
「そう、そして今や治療学の最先端の場所です」
私は地下室の天井を見上げる。
「まさか、治療院の地下にこんな部屋があるとは思いませんでした。……いえ、ここが元々呪術師の家だと聞いた時に真っ先に気付くべきでした」
天井を見つめたまま私はそう言った。
ここでガスパルさんと出合い、治療師とは、仕事とは、そんなことを駆け出しの私に教えてくれた場所。
私は胸が締め付けられる思いだった。
「町の者でもこの地下の儀式の間に入れたのは一部の者だけですから。ここのことはファルメに聞いたのですか?」
「ええ。ガスパルさん。全て聞きました。……あなたのやっていることも全て」
「全て……とは?」
急に張り付いたような笑顔になるガスパルさん。
顔は笑った形をしているが、明らかに笑ってはいない。
射抜くような眼光が私に向けられる。
だが、私はファルメさんの思いを胸に、毅然と立ち向かう。
「リックさんが入院した時のことです。彼らの家系は代々呪術師の世話役をしていたそうですね。だから、リックさんはあなたの治療にも献身的に、それこそ本当に身を捧げた」
「利害の一致ですね。それが何か? ファルメも納得していたはずですが」
「納得……ですか」
「何が言いたいのです?」
「……入院した後、リックさんは治療をするため移送された。この地下室に。一部の者しか知らない地下室ですが、ファルメさんは呪術師の世話役だったリックさんからここの存在を知っていた。だから、せめてお見舞いをしたいと思い、ある日、こっそり忍び込んだそうです」
その瞬間、ガスパルさんの顔が曇る。
「……それで?」
「そして、この地下室の扉の格子窓から中を覗いたそうです。その時、リックさんと目があった」
黙ったままギラリとした視線だけをこちらに向ける。
そして、私はその先の事実を口にした。
「リックさんのその赤い目は、標本瓶の中からファルメさんを見つめていたそうです」
しばらくの間、たいまつのパチパチとはぜる音だけが響いていた。
「……ですから、それが何だと言うのです。治療の結果を記録するため標本に取らせてもらっただけではないですか。それを残酷だとでも? そんなことでは治療の発展はありませんよ」
「やめてください!!」
私の怒鳴り声が反響する。
「白々しいにもほどがあります!! 私は全てを聞いたのです! ガスパルさん! その標本瓶にあなたが何をしていたのかも全て聞いているのです」
「ほぅ、標本瓶に私が何を?」
「リボンです」
「リボン?」
「リボンを巻いていたところをファルメさんは見たんです。その瞬間、私はある話を思い出したのです」
「どんな話です?」
「帝都の治療院にいた頃、風の噂で耳にした話です。ノルン人の真紅の瞳は下劣な貴族の間で美術品として高値で取引されている、という胸くそ悪い話ですよ!! リボンを巻いているという行為に初めは何の意味があるのかと疑問に思いましたが、その意味が分かった瞬間、吐き気をもよおす程の嫌悪感と裏切られたという絶望感でいっぱいになりました!」
だめだ。
涙が。
必死でこらえようと荒い息を立てながらくちびるを噛む。
だが、そんな人の気も知らず突然高らかな声を上げるガスパルさん。
「ははははははは! 全てを聞いたというのは本当だったようですね。ええ、そうです。確かにあなたの推察通り、リックや他のノルン人の瞳を帝都のイカれた貴族共に売り渡していました」
その言葉を聞いた瞬間、その場に崩れ落ちたかった。
そうだと分かっていても、心のどこかでは、まさかとか、何かの間違いというような一縷の望みを無意識に抱いてた。
だけど、真実にそんな幻想は打ち砕かれてしまった。
「どうして? どうしてですか、ガスパルさん!? そんなことにリックさんも、ファルメさんも納得なんてしてません! ノルンの人たち、全員納得するはずありません!!」
「納得、ですか……」
クククとこらえ切れないといった様子で口元を押さえるガスパルさん。
「何がおかしいんですか!?」
「私が何のためにそんなことをしているか分かりますか? まさか、金なんかのためにやっているとでも? 納得と言いましたが、一人だけ、いや彼を支持する者たちには合意の上でやっていたことです」
「こんなことに納得するなんて! 誰が……」
「わしじゃよ」
バッと勢い良く振り返る。
廊下の暗闇。
そこからヌッと顔を出したのは、好々爺らしく柔和な泣き笑いのような顔をした、ノルンの長、ゼニスさんその人だった。
「まさか……。ノルンの……ノルンの長の、あなたが? 何で!?」
「なぜ、か。ファファファ。青いお前さんに分かるよう言うとすれば、必要悪、というやつじゃな」
「な、何を言っているんですか? こんなこと、完全な悪であって、必要なことなんて何一つありません!」
「落ち着きなされ。小娘にも理解出来るよう説明してやろう。……数十年前、ひっそりとミュルク大森林のふもとで暮らすわしらをミッドランド帝国は蹂躪しおった。じゃが、わしらも相応の抵抗はした。そこで互いに痛手を負った帝国とノルンは停戦協定を結んだのじゃ」
「え? 停戦協定? 属国として、辺境のノルンを守護させてるのではないの?」
「それは帝国の建前じゃ。辺境の小国に自国の兵が敗れたとあれば由々しき事態じゃろう。じゃから国民にはそんな説明をしているということじゃろ。それから、しばらくは互いに干渉せず、元の生活を取り戻していったのじゃが、帝国の一部の貴族共はわしらの存在を知ると、その容姿から魔女の銀髪は不老不死の妙薬に、魔族の赤眼は持つ者に絶大な権力を与える宝玉じゃという根も葉もない噂に毒されおった。奴らはどうにかして、わしらの肉体を手に入れたかった。そこで、白羽の矢が立ったのがこの男じゃ」
そう言ってゼニスさんはガスパルさんを指差した。
「奴らは再び戦争を引き起こさないことを条件に、わしらにその瞳を差し出すよう要求してきたのじゃ」
「そんな! だからってそんなひどい要求に従うなんて……」
そう言いかけるやいなや、ゼニスさんがカッと目を見開き凄まじい迫力で声を荒らげる。
「黙らっしゃい! 小娘が! お前なんぞに何が分かる! 戦争で仲間が、同胞が、家族が、そして息子夫婦が目の前で殺されたわしらノルンの民の何が分かると言うんじゃ!!」
息子……夫婦?
つまり、それはセルジュのご両親のことではないのか?
物心ついた時からいないと言っていたご両親は、帝国が殺したのだ。
「じゃから、わしらは奴らの要求に従い、魂を売り、平和を買っていたのじゃ。どうじゃ? 小娘。これでもお前さんの言う悪かのぅ?」
ゼニスさんの顔がぐにゃりと歪んで見えた。
混乱し過ぎて、私の中の何かがガラガラと崩れていくようだった。
私はすがるようにガスパルさんへ視線を向けた。
「そ、それは……。ガスパルさん……。ガスパルさんは、なぜここへ?」
すると、ガスパルさんは初めて会った時と全く同じ微笑をたたえてこう言った。
「私はずっと変わりませんよ。全ては治療学の発展のためです。帝都では出来ないようなことが、ここでは出来ますから。私は貴族に言われた通りにすることで、ここでの自由を保証してもらっている。どうです? 全員の望みは一致しているではないですか」
「小娘よ。善悪というくだらん二元論で物事を単純化しおるのがまだまだ青いと言うとるのじゃ」
「さて、クレアさん。世界はこうした絶妙なバランスで保たれているということは聡明な貴女には理解頂けたでしょう? だからこそ、貴女は美味しい食事をし、ベッドで安らかに眠り、そして望む仕事が出来る訳です」
優しく諭すような口調で話し続けるガスパルさん。
困惑して疲弊した私の目には、ガスパルさんがキラキラと光って見えた。
「貴女も私同様、このままここで仕事を続けていきたいでしょう? だったら、どうすべきか分かるでしょう? 優秀な貴女なら理解しているはずです」
理解?
理解はしている。
ノルンの民を守るため、病気の根絶のため。
それはとても大事なことだ。
だけど、それはとある前提条件に基づいているのだ。
その前提条件とは、多少の犠牲には目をつぶる、ということだ。
だから、私も黙ってこのまま二人に従い、治療師としてこれからもノルンの皆の病気を治せばいい。
そんなことは重々理解している。
だけど。
だけど、だけど。
「納得できません!!」
そう、私はあの時決めたのだ。
私は私のやり方でノルンの皆を守ると。
「私の望みは机上の空論かもしれません。青二才の理想論かもしれません。はたまた夢想家の戯言と一蹴されるかもしれません。ですが、私には誰一人として、見捨てることはできません!!」
あらん限りの力で叫んだ。
何かが変わると信じていた。
「そうじゃな……」
だが、返ってきたのは無慈悲な言葉だった。
「それなら仕方ないのぅ。ここまで知られては生かしてはおけん」
背筋がゾッとした。
ゼニスさんのくしゃくしゃにした不気味な笑顔が私に向けられたのだ。
「い、生かしてはおかないって……。帝国の治療師協会の人間にそんなことしたら、帝国だってさすがに黙ってないはずですよ!」
だが、そんな私の抵抗など意に介す様子はまるでなかった。
「左遷されてきた、ましてや女の治療師が一人いなくなったところでどうということはないじゃろ」
「ええ、なんとでも説明はつきます。まぁ、たかだか女一人死んだくらいで何も言ってはきませんよ」
そう言って下卑た笑い声を上げる二人。
「こ、殺すって……。本気なの!?」
「何を今更。わしの腹心の部下たちがリックと同じように、お前さんの死体も綺麗に処理してくれるじゃろうて」
するとゼニスがポケットからベルを取り出し、響かせた。
腹心の部下!?
どうしてこんなことに?
私はただガスパルさんと話がしたかっただけなのに。
虎の尾を踏んでしまったのだ。
コツコツと廊下の暗闇から足音が近づく。
本当にこんなところで私は死んでしまうのか。
思えば今までいい事なんて一つもなかったけど、ノルンに来てからは幸せだった。
女だからと見下されることも、平民だからと蔑まれることもなかった。
それどころか仕事を評価してもらえ、感謝までされたのだ。
ようやく自分の居場所が見つかったのに。
いつ死んでもいいと、死んだように生きてきた私が、ようやく生まれ変わったというのに。
私はもう、死にたくない。
その時だった。
「俺も納得は出来ないな」
廊下の暗闇から聞こえた声。
あの聞き慣れた声。
涙が溢れ出す。
私は嗚咽が止まらなかった。
ぶっきらぼうなあの声が、確かに私の耳に届いたのだった。
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