10.祈り

「企んでるって、ゼニスさんが? 何を?」


 神殿には永い間そうであったかのように朽ちた女神像が佇み、その足元にはキニネイが揺れている。


「……分からない。だが、あの時、治療院の話を聞いてどうにも違和感を覚えた」

「違和感?」

「はっきりと分かっている訳ではないが、前にオーグマさんの奥さん、ワグマさんや他の病人を治療院に運んでいると言っただろう?」

「うん」

「しかし、治療院には病人の姿は見当たらず、他の場所へ移送された」

「ガスパルさんはそう言ってたし、確かに治療院には誰もいない」

「じゃあ、遺体はどこへいくんだ?」

「え? それは、解剖されて見るに堪えないとはいえ、さすがに墓地に埋葬されてるんじゃ……」

「ガスパル一人でか?」

「あ……」


 そこで言葉に詰まる。

 セルジュの言う通りだ。

 病人を運ぶのに屈強な若者であるセルジュが手伝っているというのに、それを埋葬するのにガスパルさん一人というのは確かに変だ。

 手伝おうにもセルジュもどこに病人が移送されたか分からないのだから、手伝えるはずがない。

 他の町の者に頼んでいたのだとしても、それは必ずセルジュの耳に入るだろう。

 ということは……。


「何か俺たちに知られたくない秘密があるんだろう」

「そういうことになるか……」

「そして、ここで起きていることをじいさんが知らないなんてことはありえない。つまり、じいさんも一枚噛んでるはずだ」

「……だとしても、何を隠してるの? 何の目的で?」

「それは……分からない。ただ、嫌な予感がした。だから、お前を関わらせたくなかった」


 うつ向き気味にセルジュが言う。

 セルジュなりに私が怒ったことを気にしてくれているのだろうか。


「確かに、怪しい感じはするけど、もうここまできて関わるなっていう方が無理だから。心配しないでも、大丈夫。私、悪運だけは強いから。それより、問題なのはファルメさんの方なの」

「石化病か……」


 私はコクリとうなずく。


「……症状が進行してきていて、早く治療法を見つけないとこのままじゃ手遅れになってしまう」

「何か糸口はつかめたのか?」

「ううん。それで思案してたらいつの間にかここへ」

「そうか」

「そう言えば、ファルメさん、うわ言でようやくあの人の元へ行けると言っていたけど……」

「リックさんのことだろう」

「リックさん?」

「ファルメさんの旦那、パルマの父親だ」


 今まで聞くに聞けないでいたが、薄々感じていた通りだった。


「じゃあ、そのリックさんはもう……」

「ああ。リックさんも石化病だった」

「リックさんも!?」


 なんという不幸だろうか。

 滅多に発症しないと言われている難病に二人共なるなんて。


「リックさんも治療院に?」

「そうだ。ファルメさんは大反対したがな。リックさんたっての希望でノルンのために尽力してくれた。そのせいでファルメさんはガスパルを憎んでいるんだろう」


 うーん、果たしてそうだろうか。

 確かに、研究のために身を捧げたとはいえ、それはリックさん本人が望んだことだ。

 それについて、ファルメさんがガスパルさんを憎むのはお門違いというのはファルメさんも理解していると思う。


「……でも、あれ?」


 あの時、ファルメさんは何と言っていた?

 ――あの男にあんなひどいことをされたまま、何も出来なかった私を許して。

 あんなひどいこと、とはどういうことだ?

 ガスパルさんの研究ノートを見せた時、まるで初めて見るような反応だったはず。

 つまり、ひどいことというのは石化病の治療法を見つける研究や解剖のことではないということだ。

 だったらなぜガスパルさんを憎むのだろう。

 ファルメさん……あなたは何を知っているのですか。


「……しっ! 誰か来るぞ!」

「むぐぐっ」


 セルジュの手が私の口元を覆う。

 突然の出来事に、一気に緊迫した空気が流れる。

 とてもじゃないが町の誰かに聞かせられる話じゃない。

 すると今度はセルジュが私の耳元でささやく。


「……怪しまれると厄介だ。もし、何か聞かれたら逢引ということで口裏を合わせよう」

「あ、逢引!?」


 小さな叫び声を上げる私。

 色んな意味で心臓がバクバク言っている。

 そりゃこんな森の神秘的な神殿で、男女が二人佇んでいたらそれが自然な回答だろうけども。

 よく恥ずかしげもなく言えたもんだ。

 でも、今はその狂言に乗るしかない。

 そう覚悟し、こちらへ近付く人影を固唾をのんで待つ。

 そして、入口にそれが姿を現した瞬間。


「あっ! おねぇちゃん!」


 なんとそこに現れたのはパルマちゃんだった。


「おい、パルマ。もう一人で森に入るなと言っただろう」


 セルジュがふぅとため息混じりにそう言った。

 私も一気に肩の力が抜けてしまった。

 ……なんか、疲れた。


「……ごめんなさい。……でも、おかあさんの病気なおるようにって」


 パルマちゃんの手には摘んだばかりのキニネイの花が握られていた。


「そうなんだ。えらいね! でも、ウルズの神殿のこと、よく知ってたね」

「おばあちゃんがね、死んじゃうまえにつれてきてくれたの。キニネイのお花もってね、ウルズさまにおねがいするの」

「じゃあ、俺たちも一緒にお願いさせてくれ。それから一緒に帰ろう」

「うん! いいよ!」


 にぱっと笑ったパルマちゃんが、神殿に咲くキニネイを揺らしながらこちらへ駆け寄る。

 そして、女神像の前まで来ると、手にしていたキニネイを優しく並べ置き、手を合わせ、目を瞑った。

 私とセルジュも両脇に並び、手を合わせ、目を瞑った。


「おねがいできた」

「そうか。じゃあ、帰るか」

「うん」

「もう絶対に一人では来るなよ。来たかったら俺に言え」

「……はーい」


 それからパルマちゃんを真ん中に、仲良く並んで神殿を後にするのだった。

 大昔の人たちもこうして神殿にお祈りしにきていたのだろう。

 それこそ今の私たちのように、石化病という難病が大流行した時、こうして祈りを捧げたら瞬く間に平癒したという伝承が残っているくらいだ。

 パルマちゃんのようにキニネイの花を持って、必死にお願いしたに違いない。

 そうか。

 だから、あんなにあの神殿にはキニネイが咲いていたのか。

 皆が摘んであの神殿に献花するから、自然と自生し始めたのだろう。

 それからどんどん増えていって、今ではポピュラーなノルン名産のお茶にまでなったのか。

 じゃあ、誰が一番最初にキニネイを捧げようと思ったのだ?

 なぜ、キニネイなのだ?

 神殿、キニネイ、平癒……。

 まさか。

 まさかまさか。

 そんな、だって。

 こんな身近な、ただのお茶が?

 でも、唯一の手掛かりが、妄想も多分に含んでいるものの、一応繋がった。


「セルジュ! パルマちゃん!」


 興奮のあまり声が裏返る。


「なんだ、そんな素っ頓狂な声出して」

「あはは! おねぇちゃん、へんなの!」

「も、も、もしかしたら、お祈りが……通じたかも」

「は?」


 セルジュがぽかんと口を開ける。


「わ、私、確認したいことあるから、先にファルメさんのところ戻るね!」

「お、おう」


 何が何やら分からぬ顔をしているセルジュを横目に、私はファルメさんの家に向かい駆け出した。

 今度こそ成功を願いながら、呼吸をするのも忘れるくらい夢中で走り続けた。


「……ゼェーゼェー」


 ようやくファルメさんの家までたどり着くと、肺がおかしな音を立てるくらい息切れしていた。

 しばらく深呼吸を繰り返し、やっと動けるようになった私はファルメさんの家の扉を開けた。


「あら、クレアさん。ごめんなさい、私、治療の途中で気を失ったみたいで……」

「いえ、大丈夫です。それより、今すぐに試させて頂きたいことがあるのですが」

「……分かりました。本当は遠慮したいのだけれど、何だか今回は迫力が違うわね」

「ほんの少しだけ、光明が見えたものがありまして」

「……まさか、その希望の光は手に持っているキニネイなんてはずないわよね?」


 ファルメさんがいぶかしむように、私の握るキニネイを見やった。

 来る途中、無造作に引き抜いてきたものだ。


「そのまさかです」

「冗談でしょ? そもそも、私、旦那に似てあんまりキニネイ茶好きじゃないの」

「好き嫌いはよくないですね」


 そう言って私はキニネイをシリンダーに押し込む。

 そして、いつも通り魔力を込める。

 キニネイ茶をもっと濃くしたような赤茶色の液体がシリンダーの下半分に溜まり始める。

 ファルメさんはとても嫌そうな顔をしていた。

 だけど、これだけではきっとダメだ。

 見た目通りただの濃いお茶に過ぎない。

 だから、私はシリンダーに詰まったしわくちゃのキニネイを抜き取ると、シリンダーの下半分を取り外し、赤茶色の液体をまた上半分に注ぐのだった。


「お願い! これが最後のチャンスなの!」


 私はシリンダーに魔力を込め始める。

 魔力が赤茶色の液体を伝導し、駆け巡る。

 と同時に魔力を通して、目には見えない液体の内部が脳内に投影される。

 無数の細かい泡粒が生まれては消え、消えては生まれる。

 もっと深く!

 泡粒が段々大きくなる。

 深く、深く!

 光は消えていき、暗い闇の中に溶けていく。

 深く……。

 ついに目の前は黒一色に染まってしまった。

 だが、その瞬間。

 目の端を何かが物凄いスピードで横切る。

 目を凝らすと、無数の何かが超高速でビュンビュンと飛び交っていた。


「これだ……」


 闇の中に私の魔力を浸透させる。

 すると、無数に飛び交う球状のそれらの動きが、手に取るように分かった。

 しばらく観察している内、動きの法則性が異なるものがあるのを見つけた。

 私はその、違う動きをする特定のものだけを狙い、魔力を放出させる。

 そして、それだけを的確に狙って破壊していったのた。

 これは今までの魔力の使い方とは違う。

 それらを破壊し終えると、私はゆっくりとまぶたを開けた。


「これが……石化病の治療薬」


 シリンダーにはノルン人の瞳によく似た真っ赤な液体が揺れていた。


「さ、ファルメさん! これを!」

「分かったわ。……苦いかしら?」

「いいですから、早く!」


 ファルメさんは渋々、その真っ赤な液体を飲み干す。


「癒やしの女神ケレ、ノルンの守り神ウルズ、どうかその恵みをお与えください。ヒーリング!」


 魔力の膜がファルメさんを包み込む。

 治療薬の成分を全身にくまなく巡らせる。


「うう……」

「頑張ってください! もう少しです!」


 具体的にどうという説明は出来ないのだが、いつもの解毒をした時のような、あの手応えがあった。


「……どう、ですか?」


 ヒーリングをかけ終えた私は恐る恐る尋ねる。

 すると、ファルメさんは何度か目をしばたたかせるとケロッとした声でこう言った。


「ダルくない」

「ほ、他には?」

「熱もないし、あの風邪の時の感じが全くなくなったわ」


 やった。

 見つけたのだ。

 私が石化病の治療薬を……。


「うわぁぁぁぁああん!!」


 なぜか涙が溢れ出した。

 自分でも何が何やら訳が分からなかった。

 色んな感情が一気に押し寄せて私の許容範囲を超えた。


「……クレアさんたら。……もう、泣きたいのはこっちだっていうのに。ありがとう」


 そう言ってファルメさんがベッドに寝たまま、私をそっと抱き寄せる。

 私もファルメさんに抱きつき、わんわん泣いた。

 その時、家の扉が開く。


「おい! どうした、クレア!! まさか、ファルメさんに何か!」

「おかあさん!?」


 セルジュとパルマちゃんだった。

 慌てて私たちのところへ駆け寄る二人。

 それに向かってファルメさんが手をひらひらと振っているようだった。


「ま、まさか、クレア、お前、本当にやったのか!?」

「おかあさん、病気治ったの!?」


 雄叫びを上げるセルジュ。

 私につられて泣き出すパルマちゃん。

 しばらくの間、ファルメさんの家は大騒ぎだった。


―――――――――――――――――――――――――――――


「……えー、取り乱してしまいすみません」


 私は深々と頭を下げた。


「何言ってるの。そんなことしないで、頭上げて。あなたは私たちの命の恩人なんだから。頭が上がらないのはこっちよ」

「おねぇちゃん、ありがとう!」

「ノルンを代表して礼を言う。ありがとう、クレア」

「い、いや、ちょっと恥ずかしいのでそういうのはなしでお願いします。それに、病状の進行は食い止めたとはいえ、ファルメさんの動かなくなった足までは治療することは出来ませんでしたから……」


 私は申し訳なさそうに、未だベッドの上で上半身を起こしたままのファルメさんを見つめる。

 だが、ファルメさんは晴れやかな笑みを返す。


「そんなことどうだっていいわ。命が助かったんだもの。こうして、まだパルマと一緒にいられる、一人にさせずに済む、それだけでもう感謝してもし尽くせないわ」

「……そうですか。まぁ、まだ改良が必要なのかもしれませんが、とにかく治療薬は出来ましたのでガスパルさんに報告してきます!」

「……そうね。……あの男が来る前にあなたが来てくれていたらどんなに良かったことか」


 突然、呪詛でも吐くかと思うくらい低く暗い声でファルメさんがそう言った。

 そうだ。

 なぜかファルメさんはガスパルさんを憎悪しているのだ。

 理由は分からないが、原因は分かっている。


「……リックさん、ですか?」


 おずおずと尋ねる。


「あの男は愛する夫から全てを奪っていったの」

「……その、遺体が戻らないのは心苦しいですが、リックさんも納得した上で治療の研究に貢献頂いたと聞いております」

「それはもちろん理解してるわ。やっぱり知らないのね、あの男が何をしてるか」

「やっぱり何か奴に俺たちの知らない秘密があるのか?」


 セルジュが割って入る。


「いいわ。聞かせてあげる。あの男が何をやっているのかを」


 そうして、ファルメさんはとうとうと、それについて語り始めるのだった。

 そして、それは私の想像を遥かに超える話であった。

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