9.治療開始
「ファルメさん!」
「あら、どうしたの? そんなに急き込んで」
パルマちゃんがにぱっと微笑みかける。
「いらっしゃい!」
私もニコリと笑顔を返すと、ファルメさんに向き直る。
「大事なお話があります」
「……何かしら?」
「私はあなたを治療したいと考えています」
「それは願ってもないことだけど、何か方法が見つかったの?」
「いえ、叶うならばそれをファルメさんと一緒に探していきたいのです」
「それは、どういうことかしら?」
私は意を決してガスパルさんから受け取ったノートを見せる。
たぶん、ガスパルさんはこんなこと、想像だにしていないはず。
こんなこと。
つまり、ファルメさんにまでこのノートを見せることだ。
私はゆっくりとページをめくり始める。
「……クレアさん。これは? ……色々な薬草の効果なんかが書いてありますが」
「これはガスパルさんのこれまでの石化病の治療に関する研究成果です。……うっ」
思わずページをたぐる指が止まってしまう。
予想した通りだ。
そこにはご丁寧な挿絵付きでドギツい解剖の結果が事細かに記されていた。
その後のページにも、開腹した中に薬草を詰めるという治療や毒性のある薬物の投与による経過観察といった痛々しい内容が続いた。
「……なぜ、これを私に?」
青ざめた顔のファルメさんがか細い声で尋ねる。
私はぐっとファルメさんの手を握る。
そして真っ直ぐ目を見て、自分の思いを伝えた。
「ファルメさん、私は病気の治療法を探すためとはいえ、あなたが苦しむようなことはしたくありません。だから、病気が治るだなんて甘い言葉であなたを騙すようなことは絶対にしません!」
ファルメさんもじっと私の瞳を見つめ、私の言葉に耳を傾ける。
「これから色々な薬を試すかもしれません。でも、その都度、元々の薬の効能や副作用を説明した上で、ファルメさんが納得いかなければ遠慮なく拒否してください。また二人で違う方法を探していきましょう!」
すると血の気の戻った顔のファルメさんが、軽く口元を緩ませる。
「……分かりました。どうやらあの男とは違うようですね。クレアさん、あなたを信頼します。どうかパルマのためにもよろしくお願いします」
「はい!」
そう、私はガスパルさんとは違う。
きっとガスパルさんは、ノートを見た私がこれからファルメさんにすることは大なり小なり自分と同じことだ、私の考えは甘いんだと分からせるつもりだったのだろう。
だけど、それも含めて私は全てをファルメさんに伝えた。
そんな発想はガスパルさんにはなかったことだろう。
私は私のやり方で、ファルメさんと共に石化病と闘っていくのだ。
「……でも、ここまで言ってくれたのにごめんなさい。うちにはあなたにお支払いする治療費が……」
ファルメさんがうつむきながら申し訳なさそうにつぶやく。
治療費か……。
治療を始めるのであれば治療費をもらわないといけない。
でも、ガスパルさんは確か私の考える方法で良いと言っていた。
「それでしたら、夕飯をご一緒させて頂けないでしょうか?」
するとパルマちゃんが嬉しそうな声を上げる。
「おねぇちゃん、一緒にごはん食べていくの?」
「あ、あの。そんなことでいいんでしょうか……?」
「はい、大丈夫です。治療と言ってもその方法が見つかった訳ではありませんし。それに今まで一人で食事することが多かったものですから」
「……本当に何から何までありがとうございます」
服のすそで目元を押さえるファルメさん。
私は安心して微笑むと、立ち上がった。
「では、早速! キッチンお借りしますね!」
「パルマもてつだう!」
「クレアさん! そんな! 私が作りますからゆっくりしててください」
「ダメです! ファルメさんは病人なんですから、ファルメさんこそゆっくりしててください。これは治療師命令です」
「おかあさん、ダメ!」
私とパルマちゃんは満面の笑みをファルメさんに向けた。
するとファルメさんは諦めたように、そして初めて見るような幸せそうな顔でフッと笑みを浮かべた。
「そうしたらお願いするわ」
そうして、夕暮れに沈む一軒家に明るい灯がともるのだった。
―――――――――――――――――――――――――――
翌日から私の治療は始まった。
「このロベロンの根には強い解毒作用があるのですが、同時に麻痺を引き起こす毒性もあります。なので、麻痺の毒性をシシルの花で打ち消しながら、ニギの根の解毒作用だけを試してみたいと思っています。副作用としてはシシルの花で打ち消し切れなかった麻痺が起こってしまうかもしれません。その場合、シシルの花をすぐに投与しますので大事に至ることはありませんが、少し麻痺の症状が苦しいかもしれません」
「分かりました。大丈夫です。お願いします」
私はシリンダーにロベロンの根とシシルの花を詰め、魔力を込める。
灰褐色の液体がシリンダーの下半分に溜まると、それをパチリと外し、ファルメさんに手渡す。
「グイッとお願いします」
「グイッとね……」
目をぎゅっと閉じ、ファルメさんが中の液体を飲み干す。
飲み干した後を目はぎゅっと閉じたままだった。
相当苦いのだろう。
臭いだけでも分かる。
すぐさま私は水の入ったコップを渡し、交換にシリンダーを受け取る。
ファルメさんはその水もグイッと飲み干す。
「それでは。ヒーリング!」
薄っすらエメラルドグリーンに光る魔力がファルメさんの全身を包む。
薬の成分をくまなく巡らせる。
その時だった。
「う、うう……」
ファルメさんがわずかにうめく。
「どうしました!? 我慢せず言ってください!」
「りょ、両手がなんだか、ビリビリとしへきへ……」
ダメだ。舌も少し麻痺してきている。
私はすぐにシリンダーを洗い流すと、今度はシシルの花だけをシリンダーに詰め、抽出する。
「これを飲んでください!」
ファルメさんの上半身を抱き起こしながら、シリンダーをグイッと傾ける。
「ああ、こっちの方が苦い! 花なのに!」
「ヒーリング!」
するとシシルの花が効いてきたのか、身体の強張りは解けていった。
苦さに強張った顔はそのままだったけど。
「どうですか?」
「……痺れはなくなったわ」
「その他の調子は」
「うーん、変わらないわね。ダルさも熱っぽさも相変わらず……」
石化病は基本的にずっと風邪のような症状が続いていく。
その症状は変わらぬまま体の自由が奪われていくのだ。
なので、逆にこの風邪のような症状がおさまれば石化病が治ったと考えていいのだとか。
だから基本的には風邪の治療に使われるような、解毒・解熱作用のある薬を試していく。
その中でもロベロンの根は麻痺成分の解毒が難しいことから石化病に対する臨床結果はこれまでなかった。
ガスパルさんのノートにも麻痺毒が全身に回り死亡したとの記録がある。
それで今回改めて麻痺毒対策を万全に期した上で試してみたが、どうやら結果は芳しくなかったようだ。
「……今日はこれまでですね。薬の成分が抜け切るまで次の投薬は出来ませんので」
「そんなに落ち込むことないわよ。まだ一回目じゃない。明日からまた頑張りましょう」
「そうですね。すみません、私がこんなことじゃダメですね! 明日からも大変ですがお願いします! それじゃ明日の薬草採ってきたら、夕飯の買い出しして戻りますね」
そう言って私はファルメさんの家を出ると、ガスパルさんのノートをパラパラとめくりながら、一人で森へと入っていった。
当然ながらそこらの薬草は片っ端からガスパルさんの手によって試し済みだった。
また、それによって未知の薬草だったものの効能が判明したものもある。
素直に喜んで良いのか複雑な気分だった。
だけど、私はファルメさんに未知の薬草を試す訳にはいかない。
どんな効果や副作用があるかも分からないのに、何てファルメさんに説明するのだ。
だから、まずは既に効果の分かっている薬草を複合的に組み合わせたり、量を変えたりしてみることにした。
でも、それを全て試し終わってもまだ完治出来なかったらどうしよう。
考えたくなかった。
――――――――――――――――――――――――――
それから数週間が経った。
色々な薬草を試してみたが、結果は全て同じだった。
そして、事態は悪化したのだった。
「ファルメさん!! 大丈夫ですか!?」
「……う、うぅ」
今日試すはずだった薬草を放り出すと、私はファルメさんに駆け寄った。
「ヒーリング!」
ファルメさんの苦痛にゆがんだ顔が少し和らぐ。
そうしてしばらくの間、治癒魔法をかけ続けると、ようやくファルメさんの荒い息は落ち着いた。
「……クレアさん、ありがとう」
「どうしました!?」
するとファルメさんが暗い声で告げる。
「もう、膝から下の感覚がないわ」
あまりの衝撃に目の前が暗くなる。
どんなに頑張って治療法を探そうと、病魔は容赦なくファルメさんを蝕んでいく。
そう、時間は限られているのだ。
何の手掛かりもなく、手当り次第に全ての薬草を試している時間なんてない。
どうにかして効果的な治療法を見つけないと。
何かヒントさえあれば……。
そんなことを考えていると、ファルメさんが夢うつつなまどろんだ声でぼんやりとつぶやく。
「……私もようやくあなたの元に行けそうよ。……あの男にあんなひどいことをされたまま、何も出来なかった私を許して。あの暗い地下室で見たあなたのあの綺麗な瞳、決して忘れないわ……」
そう言うとファルメさんは気を失うように眠ってしまった。
一体、ファルメさんは何を口走っていたのだ。
あなたの元とは誰のことなのだろうか。
あの男とはこれまでの口ぶりから想像はつく。
そして、暗い地下室とはどこのことだろう。
いや、まずは石化病の方が先決だ。
「リジェネレーション」
念のため継続効果の治癒魔法をかけると、私はまたノートをめくりながら森へと向かうのだった。
ノートと薬草を見比べながら、ああでもない、こうでもないとさまよい歩く。
症状は風邪に似たものであるのに、それらに有効な解熱薬なんかは一切効果がなかった。
かつて、大昔に流行したという石化病。
でも、それがどうして沈静化したかは謎に包まれていた。
「あれ、ここって」
気付くと私の目の前にはウルズの神殿があった。
無意識なのか、もしかして女神ウルズに導かれたか分からないが、せっかく来たのだから中に入ってみることにした。
「あっ!」
「ん?」
すると、なんとそこにはセルジュがいたのだ。
実はあの雨の日に別れて以来、まともに口をきいていなかった。
だから、とても気まずかった。
「ファルメさんの治療をしているそうだな」
抑揚のない声が刺さるようだった。
表情もそうだが、セルジュは声も感情が薄いせいで何を考えているのか分からない。
だから私も強く返してしまう。
「言っとくけどファルメさんが苦しむようなことは誓ってしてないから」
「ああ、知ってる。パルマから聞いた」
「え? パルマちゃん? まだ小さいのに?」
「小さいからこそ、母親のそういった心の動きには敏感なんだろう。お母さんが嬉しそうだって喜んでたぞ」
「……それなら良かった。セルジュの誤解も解けたみたいだし」
「誤解? 何のことだ?」
「だって、あの日、ゼニスさんから呪術師や治療師の話を聞いて、私が同じようなことをノルンの皆にするんじゃないかって思ってあんなこと言ったんでしょ?」
「何を言っているんだ?」
セルジュはぽかんとした顔で私を見ていた。
そして、こう言った。
「お前が俺たちにそんなことをするはずないだろう」
ぶわっと何かがこみ上げた。
何で。
何で私はこいつのこと全然分かってないっていうのに、こいつは私のこと理解しているの?
救われた反面、腹立たしくもあった。
私もセルジュのことを理解したい。
そう思った。
「だったら何で関係ないなんてヒドいこと言ったの?」
「……正直、クレアをこれ以上関わらせたくなかった」
「どういうこと?」
するとセルジュは一段低い声でとんでもないことを言い放ったのだった。
「じいさんは何か企んでいる」
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