8.治療とは

「珍しいですね。貴女がそんな顔をするなんて」


 雨はしとしとと降り続いていた。

 ガスパルさんは治療院のタンスから大判のタオルを出した。

 タオルを受け取った私はもそもそと頭を拭く。


「ここに初めて来た時から、逆境でもどこか生き生きしていたというのに」

「……そう、ですか?」


 師長室の長椅子に身を沈めるガスパルさん。


「当分、雨も止みそうにないですし、ゆっくり自分の気持ちを吐き出してみてはいかがですか? 人に話す内に、意外と心の整理というのは出来ていくものですよ」


 沈黙が二人の間を流れた。

 不規則な雨音が余計に私の心をかき乱すようだった。

 頭の中でまとまりがつかないものの、私はとにかく口を開いてみた。


「……ガスパルさんにとって、治療とは何ですか?」

「ふむ、治療とは、ですか。……一見、深そうな質問ではありますが、私にとっては単純です。治療とは、健康な状態にすること。ただそれのみです」

「ガスパルさんは患者を治療して健康にするためにどこまでのことをしますか?」

「どんなことでもします」


 ガスパルさんはそうキッパリと答えた。


「じゃあ、ガスパルさんは治療と称して手足を切ったり、体を焼いたりしても良いと思うのですか!?」

「無論です」

「そんな……。私、もう何が正しいのか分からなくて……」


 するとガスパルさんは何かを思いついたように顔をほころばせる。


「なるほど。貴女の言わんとしていることが何となく分かりました。石化病を調べる内にかつての呪術師の文献に行き当たったのでしょう?」


 私はバッと顔を上げるとウンウンと大きくうなずいた。


「それで手足を切るだの体を焼くだのおかしなことを言っていたのですね」

「でも、それが正しかったとゼニスさんは仰っていて……」

「まぁ、明確な治療法がありませんからね。彼らの行っていた儀式によって、心を救われた人たちはいたかもしれません。ですが、私の理念である健康にするという観点から見れば、手足を切除しても石化病は治せませんから、そういった意味では正しい治療とは呼べません」


 私は軽くうなずく。

 そこまでは私も同意だ。

 あくまで病気を治すという目的からは外れた行為であることは間違いない。

 それでも、価値や評価というものは時代や人々からの需要、受け取り方によって、大きく変わってくるのだろう。


「正しい治療と言いましたが、貴女の言った呪術師の例を取るとすれば、もし事故で手足を怪我し、長期間にわたって治療が行えず、手足が腐ってしまっていれば切除することはあります。同様に、傷口を消毒出来るものがない、傷口が大きく開き血が止まらないといった時に緊急時の治療として傷口を焼くことはあるかもしれません。つまり、一見残酷に思われる行為ですが、それは単なる手段であり、その目的が最も重要であると私は考えていますよ」


 私はガスパルさんのその言葉にハッと気付く。

 そうなのだ。

 ガスパルさんは一貫している。

 ずっと同じことを言い続けている。

 私がぐるぐると同じところをさまよっている中、ガスパルさんは迷いなく突き進んでいるのだ。

 だから私は単刀直入に聞いてみた。


「つまり、治療のためであればノルンの人たちの遺体を家族の元に帰さなくても何とも思わないのですか?」


 その瞬間、ほんの一瞬だけガスパルさんの眼が鋭く私を射抜いた気がした。

 しかし、すぐにいつもの微笑でこう返した。


「……なかなか手厳しいですね。白々しいかもしれませんが、全く何も思わない訳ではありません。ただ、町の者から冷血漢、悪魔、死神などと軽蔑されようが、私は未知の病気を解明するためならば多少の犠牲は仕方ないと考えているということです」

「多少の犠牲ですか……」

「ええ、そうです。家族が亡き骸を見たからといって生き返る訳でも、病気の原因が分かる訳でもありません。それならば、残された家族のためにも、他の生きている人たちのためにも、難病の原因究明に役立った方がよっぽど意義ある死だと思いませんか?」

「ですが、それをノルンの人たちは本当に理解し、望んでいるのでしょうか?」

「そんなことは私には関係ありません」


 ああ、やっぱりガスパルさんはガスパルさんなんだ。

 この強い信念は正直羨ましい。

 これほどまでに真っ直ぐ進めたらどんなに気持ちいいだろうか。

 農村の出というだけで蔑まれ、女というだけで見下され、唯一の自尊心である治療師という称号は一度も使われることなく埃まみれ。

 そんな私の中の自信はボロボロだった。

 だからこそ、切り捨てられる者の痛みがよく分かる。


「……私はそれも正しい治療だとは思えません」

「どうやら貴女はノルン人と深く付き合いすぎたようですね。立場を混同してしまっている。貴女はミッドランドという大帝国から来た治療師なのですよ。治療師ならば病気の治療だけに専念すべきです。その他の些末なことにかかずらっている暇はありません」


 これで私は決意した。

 ガスパルさんと話したおかげで私の道が見えてきた。


「私がどこから来ようが、どんな立場だろうが、相手がどんな人種だろうが、そんなの全部関係ありません!」


 私は真っ直ぐとガスパルさんを見据えたまま続けた。


「ガスパルさん、ありがとうございます。私は、自分がここでやりたいことがハッキリしました。それはガスパルさんとは相容れない方法かもしれませんが、私がノルンで生きるためには譲れないことなんです。青二才の分際でおこがましいのは重々承知していますが、どうかお許しいただけないでしょうか?」


 ポツリポツリと雨垂れの音だけが耳に届く。

 等間隔に聞こえていたはずの雨垂れが、次第にその間隔が異様に長いもののように感じ始めた。

 そして、ようやくガスパルさんが深いため息をつき、苦笑いでこう言った。


「貴女が健康に戻ってくれたのは良いですが、間違った治療をしてしまいましたかね」


 私はニッコリと晴れやかな笑顔を返す。


「やれやれ、参りました。最初に貴女が尋ねた、治療とは。良い質問でしたね。これまで色々な治療師を見て来ましたが、それはもう様々な人がいましたから、私は治療師の数だけ治療についての考えがあっていいと思っています。むしろ、自分の考えを持った治療師ほど良い治療師でしたから。ただ、考え方がいくらあろうと、治療法はただ一つです。そこに皆、向かい、苦心しているのです。ただ、そんな中で私の治療に対する考え方が誰よりも早く答えにたどり着くと思っていますがね」


 するとガスパルさんは立ち上がり、デスクの方に行くと、引き出しから一冊のノートを取り出した。


「これからファルメさんの治療を始めるのでしょう? これは私の石化病に関する研究の一部です。……貴女の治療を認めましょう」


 私はすぐさま立ち上がり、ボロボロのノートを両手でしっかりと受け取った。


「ありがとうございます! ガスパルさん!」


 深く頭を下げる私。


「何事も経験です。まぁ、すぐに自分の考えの甘さに気付くことになるでしょうが。ああ、それと治療をするなら以前も話した通り、対価は受け取りなさい。貴女の考える方法で構いませんから」

「分かりました! 行ってきます!」


 そう言うとすぐに私は治療院を飛び出した。

 雨はもうすっかり止んでいた。

 泥をはねながらファルメさんの家へと駆けて行く。

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