7.神殿

「ヒーリング!」


 詠唱と共に緑の光がファルメさんを包み込む。

 じっと目をつむるファルメさん。


「どう……ですか?」

「……少し、楽になったわ」


 分かっていたことだったが原因が不明である以上、治癒魔法でも治すことは出来なかった。


「……つま先を触ってもよろしいですか?」

「ええ、構わないわ」


 私はベッドに寝そべるファルメさんつま先に軽くふれた。

 指先が何の抵抗もなく、ぐにゃりと押し曲がる。


「もう、感覚もほとんどなくってね。歩くのも怖くなってきているの」

「……そうですか」


 石化病。

 セルジュに聞いた話だと、石化とは言うものの実際には皮膚や筋肉が硬化する訳ではなく、自らの意思で身体が動かせなくなる病気らしい。

 まずは下半身から、次に上半身へと移り、そして最後は呼吸をすることも出来なくなり、死に至るというものだった。

 ノルンでは昔からごく稀に発症する人がいたとのことだ。


「それでは今日はこれで失礼します。明日も同じ時間に来ますので、何か買ってきて欲しいものがありましたら遠慮なく仰ってください」

「ありがとう。必要な物はまだあるから明日は大丈夫」

「分かりました。では、また明日。バイバイ、パルマちゃん」

「バイバイ……」


 私の落胆した様子に、幼いながらも何かを悟っているのか、悲しげな顔で手を振るパルマちゃん。

 このままじゃダメだ。

 どうにかして糸口を掴まないと。

 私は足早に自宅近くまで戻ると、セルジュの家のドアを叩いた。


「クレアか。どうした?」

「石化病についてもっと教えて!」

「……俺が知っていることは全部話したが。そうだな、図書館に行けばこれまでの病人についての記録や文献があるかもしれないな」

「なるほど! 図書館はどこにあるの?」

「議事堂の中だ。ノルンの者以外が立ち入るには許可がいるだろうから俺も行こう」

「ありがとう! さすが次期当主! 頼りになるぅ!」

「茶化すな。それに、俺はお前を頼りにしている」


 私だって本心で頼りにしてるっての。

 ただ、恥ずかしくて面と向かって言えないだけなのに。

 よくセルジュはハッキリと言えるな。


「ま、まぁ、お互い様ってことで。早く行こう!」

「ああ」


 そして、私たちは議事堂兼役場の扉をくぐるのだった。

 中に入ったセルジュはカウンターにいる事務のお姉さんと何やら話をしていた。

 一通り話が済むと、お姉さんが引き出しから取り出した一枚のカードをガリガリと削り、ポンとハンコを押すとそれをセルジュに渡す。


「これが図書館の利用許可証だ。お前専用だから誰かに貸したり、あげたりするなよ」

「分かった。ありがとう」


 セルジュから受け取った木製のカードには、クレア・エステルと私の名が刻まれていた。


「あの左手の奥の部屋が図書館だ」


 私たちは役場の奥へ進み、図書館の扉を開ける。

 正面にはいくつかのテーブルが置かれ、その奥には天井まで届くほどの大きな本棚がいくつも並んでいた。

 扉のすぐ左手にはカウンターがあり、眼鏡をかけた司書が分厚い本を読み耽っていた。

 静かに扉を閉め、シンと静まり返った室内にコツコツと足音を響かせながら、奥へと向かう。

 ここにノルンの歴史と叡智が詰まっていると思うととてもワクワクした。

 書籍はジャンルごとに分類されているので、医療関係の本棚を探す。

 すると、奥の壁際の本棚にビッシリと並べられているのを見つけた。

 その中から石化病に関するものをいくつか取り、テーブルへと持ってきてそれらを積み上げる。


 ――医学全書:石化病

   ……発症の初期は発熱や頭痛、吐き気など風邪と似たような症状を起こす。

   そこから次第に下半身の自由がきかなくなる。病状の進行と共に全身を動かすことが出来なくなり、最終的には呼吸困難による窒息死を引き起こす。

   発症からの死亡率は極めて高い……。


 ――石化病との闘い

   ○月✕日 腰から足にかけて激痛が走ると、もうその後はピクリとも動かすことは出来なかった。どうやら石化病になったようだ。

   ○月△日 あれから穏やかな日が続いている。最初は取り乱し、泣きわめきもしたが、今は徐々に受け入れ始めている。

   〜中略〜

   △月○日 とうとうペンも持てなくなってしまった。今は友人にこの記録を付けてもらっている。様々な薬草を試してみたがどれも効果はなかった。

   ✕月○日 彼の舌があまり回らなくなってきたので記すべき言葉はもうわずかだろう。彼の目だけがギョロギョロと動き、何かを訴えかけるようだったが私にはどうすることも出来なかった。

   ✕月✕日 彼は息を引き取った。静かに、眠るように、逝った。もし、これから同じ苦しみを受ける者がいるならば、少しでもその孤独と恐怖を和らげられるようこれを残す。


 ――石化病の歴史

   ……かつてミュルク大森林にノルンが建国されて間もなく、石化病は突如としてノルンの民を襲った。

   古の民はミュルク大森林に棲まう悪魔による厄災と恐れ、大勢の者がなす術なく倒れていった。

   そこで、彼らは悪魔に対抗すべく、主神ウルズの神殿を森に造り、毎日祈りを捧げ続けた。

   するとある日、奇跡が起こり、ウルズの加護によりノルンに蔓延した石化病は平癒したのだった。

   それから時代を経て、石化病を発症する者はほとんどいなくなったが、完全に消滅した訳ではない。

   明確な治療法は見つかっていないため、呪術師による治療の効果には甚だ疑問である。

   彼らは、動かなくなった手足に悪魔の呪いが滞留しているとして、患者の四肢を切断した。

   それから、お腹の上に組み上げた木片に火を焚き、もだえ苦しめば悪魔が退いている証拠だと言い、既に感覚がなく無反応であれば悪魔の呪いが全身を冒しているので手遅れと考え、そのまま火葬にした。

   その後、幸か不幸かミッドランド帝国による侵略により、最新の医療知識もノルンに流入すると、呪術師は忽然と姿を消した……。


 私はそこで本を閉じる。

 四肢切断……。

 それが治療だと信じられていた時代があったのか。

 今考えれば方法は凄惨で非道いものだが、何とかして病気を治したいという気持ちは同じだと思うと複雑な気分になる。

 いや、そんなことよりも、気になるのは神殿の話だ。

 かつて石化病はノルンで大流行していたのだ。

 それが何かをきっかけに数を減らした。

 神殿で祈りを捧げることは、呪術師の治療と同じくらい、病気平癒との因果関係は皆無だと思う。

 だけど、今はそれしか手ががりはない。

 それにセルジュからそんな神殿の話は聞いたことがなかったので、単純に興味が湧いた。

 私は本を片付けると、セルジュの腕を引き、図書館を出た。


「どうした? 何か分かったのか?」

「森にあるウルズの神殿って知ってる?」


 するとセルジュが不思議そうに首をかしげる。


「森の神殿? ……ああ、もしかしてあの遺跡か」


 どうやらセルジュも知らない神殿が森にあったようだ。

 遺跡というくらいだから今は誰も訪れていないのだろう。


「とにかくそこに連れてって。もしかしたら何か分かるかも……」

「分かった。行こう」


 そして私たちはすぐに森に入っていった。

 木が生い茂る獣道を進んでいくと、意外に町からそう遠くないところに神殿はあった。


「ここが例の遺跡だ。町の者たちも知らない奴の方が多いと思う」


 ところどころ崩れた石壁はびっしりとツタに覆われて緑の塊となっていた。

 神殿というよりは小さな教会のようだった。

 それでも、かつての荘厳さはどことなく感じ取ることが出来た。

 私は入口をくぐり、中へと入る。


「キレイ……」


 するとそこにはノルン人の瞳のように真っ赤な花、キニネイが一面咲き乱れていた。

 奥には恐らくウルズと思しきボロボロの女神像が崩れた天井からの光を全身に受け、それがかえってこの景色を幻想的にさせていた。


「昔からここはキニネイがよく咲いていたな。……戻ったらお茶でもするか」

「もっと他に感想ないの? 花より団子なんだから」


 キニネイはノルンではポピュラーな花で、香りも良くリラックス効果や解毒作用もあることから、お茶として親しまれていた。

 私もノルンに来て初めて飲んだが、一口で気に入ってしまった。


「……昔、ここでノルン人は祈りを捧げていた」


 私がキニネイを踏み潰さないよう慎重に歩くと、何羽もの蝶たちが飛び立っていく。

 そうして女神像の前までやってきた時、セルジュが言った。


「間違いない。この女神像はウルズだ。昔、本の挿絵で見たことがある。ここが、かつてウルズの神殿と呼ばれた場所だろう」


 神ウルズはノルン人の祈りを聞き届け、どのようにして石化病を治したのだろう。

 願わくばその智慧を私に授けてはくれないだろうか。

 空虚に天を仰ぐウルズ像はただ沈黙だけをたたえていた。


「どうだ? 何か分かりそうか?」

「ううん、やっぱり何も見つからなかった。あまり期待もしてなかったけどね」


 私が肩をすくめながら首を横に振る。

 セルジュも一瞬落胆したような表情を浮かべるが、すぐにハッと気付いたように言った。


「そうだ、じいさんに昔の神殿の話を聞いてみるか? かつての様子が分かれば何か手掛かりがあるかもしれない」


 その言葉に私もまた希望が湧いた。


「名案かも! お願い!」


―――――――――――――――――――――


「ファファ、それでわしのところにのぅ」


 そう言いながらゼニスさんはポットを傾け、赤茶色のキニネイ茶を私たちのカップに注いだ。

 セルジュはビスケットをかじりながら、淹れたてのお茶をすする。


「そうなんです。昔、蔓延していた石化病を神ウルズが平癒したという伝承は本当なのでしょうか?」


 するとゼニスさんはヒゲを撫でながら語った。


「ウルズの神殿か。懐かしい話じゃ。あまりにも古い話じゃから、さすがのわしも真偽までは分からんが、そういった伝承は祖父母から小さい頃に聞いておった。万病を癒やし、あらゆる厄災から我らを守りしウルズ。じゃが、世の中が平和になればなる程、信仰は薄れゆくものじゃ。ここでの生活が豊かになっていくに従い、神殿へ参拝する者も徐々に減っていた。かくいうわしも物心付いた頃に祖父母に連れられキニネイを献花しに行って以来、一度も足を運ばなかったからのぅ」

「そうだったんですね。でも、石化病の発症者は減ったとはいえ、ゼロではなかったのですよね?」

「死は誰にも平等に訪れるものじゃ。老いも、獣による突然の死も、当然病気も石化病だけが死に至る病でもあるまい。つまり石化病は人々の恐れる厄災や危機ではなく、人の死の一つの形に過ぎないものに変わったのじゃよ。そして当時は呪術師という存在が病気を治療し、魔を退ける役割として、神に取って代わったのも信仰がなくなった要因の一つじゃろう」

「……しかし、呪術師の治療法はデタラメも多かった」

「いや、正しかったのじゃよ」

「でも、手足を切るだなんて……」

「ファファファ、良く知っとるのぅ。じゃが、それは今の時代から見ればという話じゃ。当時はそれで良かったのじゃ」

「良かったって……。どういうことですか?」

「かつて理不尽な厄災として、国民全員がただがむしゃらに神に祈りを捧げた時代から、限られた者だけが陥る不幸となった時、人々はそこに理由を求めたのじゃ。なぜ自分が病気にとな。そうして、そこに理由を与えたのが呪術師なのじゃよ。それがたとえ事実と相違あるものであったにせよ、それに納得した者たちは心の不安を取り除くことが出来たのじゃ。無理矢理に治療を施された者など一人もいない。皆、望んでその身を差し出したのじゃ。手足を切られようとも、体を焼かれようとも、遅かれ早かれ死に至るのであれば、安寧とした心でこの世を去りたかったのじゃよ。それを非難する権利は誰にもないはずじゃ」

「必要悪というやつですか……」


 するとゼニスさんはニヤリと笑う。


「善悪とな。まだまだ青いのぅ。まぁ、いいじゃろう。今はお前さんの思う暗黒時代も終わり、かつての呪術師の根城は、最先端の治療師の象牙の塔になっとる訳じゃ。それも未来から振り返った時に悪と呼ばれんことをわしは祈っとるよ」


 そうして私たちはゼニスさんのところを後にしたのだった。


「結局、病気のことは分からずじまいだったな」

「うん、でも話が聞けて良かった。ノルンの歴史の裏にある人々の思いというか、そういうのが分かって、今を生きる私たちがやるべきことを改めて理解した気がする」


 するとセルジュは持ち前の仏頂面をさらに曇らせた。

 そして沈黙の後、こんなことをのたまった。


「じいさんはあんなこと言っていたが、クレアが気にすることはない。これは俺たちの問題だ」


 その言葉に私はカチンときた。


「それ、どういう意味? 私はまるで無関係みたいな言い方だけど」

「そのままの意味だ。俺たちが死のうが苦しもうがクレアには関係ない」


 今度はカチンときたどころではなかった。


「急に何なの? 頼りにしてるだの何だの言っといて、突然そんな言い方ある?」

「……悪かったな。頼りにしてるというのは忘れてくれ。これ以上、関わるな」

「ふざけるな! 関係ないことなんてあるか!」


 ビンタの一つでもくれてやりたかった。

 私は怒鳴り声を上げるとセルジュの前から逃げ去るように走り出した。

 まだノルンに来て短いけれど、ノルンでこれから新しい人生を送る私はノルンのために何かをしたかった。

 それをセルジュは理解し、受け入れてくれたとばかり思っていた。

 だけど、そうではなかった。

 本当は怒りより、その悲しみの方がとても大きかった。

 何で急にそんなことを言い出したのかは分からない。

 ゼニスさんの話を聞いて、私がかつての呪術師のようにノルンの人たちに非道いことをするとでも思ったのだろうか。

 だけど、確かに、最初に本でその事実を知った時、方法は違えど私は人々を治療するその姿勢に共感を覚えた。

 そして、ゼニスさんの話を聞いた時も必要悪だったと納得してしまった。

 しかし、セルジュはどうだろう。

 さっき初めてゼニスさんからそんな凄惨な話を聞いたのだとしたら。

 それに既にガスパルさんは治療法を見つけるという名目で遺体を解剖し、その体は家族の元に帰ることはないと言っていた。

 それはセルジュにとってどう見えていたのだろう。

 セルジュはノルンの人たちは自分にとって皆、家族だと言っていた。

 だとしたら私のやろうとしていることはあの呪術師と同じだということなのか。

 そう思われてしまったことがショックだった。

 私もセルジュも望むことは同じなはずなのに。

 ぽつぽつと滴が地面に落ちる。

 それからザァーと雨が降り始めた。

 こんな時は濡れるのも悪くなかった。


「おや、どうしました?」


 聞き慣れた声に顔を上げると、そこには傘を差したガスパルさんが立っていた。


「……ガスパル、さん」

「冷えてしまっては体に毒ですよ。治療師が自分の体調管理を出来ないというのは感心しませんね。すぐそこが治療院ですから行きましょう。雨宿りがてら、話くらい聞きますよ」

「……ど、どうして?」

「そんな思い詰めた顔をしていれば誰だって分かりますよ」


 そのまま私は黙り込む。

 そして無言のまま私とガスパルさんは治療院へと並んで歩いて行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る