5.薬作り

 少し靄がかった朝。

 私はゼニスさんの手伝いのため、森番の待つ広場へと向かっていた。

 薬草の精製、つまりポーション作りを手伝えと言う訳だ。

 ミュルク大森林には帝国では滅多にお目にかかれない薬草や、見たこともない植物がたくさんあるのでとても楽しみだった。

 広場に着くと、ヒゲもじゃのおじさんが一人立っている。

 使い古したレザーブーツにレザーグローブ、頭にはレザーのハンチングをかぶり、腰には大きなナタ、いわゆるハチェット、山刀を差している。

 まさに山男。この方が森番に違いない。


「おはようございます! ゼニス・ガル氏の依頼により同行させて頂きますクレア・エステルと申します。本日はよろしくお願いいたします」


 すると森番のおじさんはその強面を私にじっと向ける。

 う、恐い。

 すごい迫力だ。

 女なんかが森に入るんじゃねぇ!

 って怒られたらどうしよう。

 その瞬間、森番のこぶしが思い切り突き出される。

 やられる!

 と思ったが、そのこぶしに目をやると、小さなグローブが握られていた。

 呆然と森番を見ると、ニカっと豪快に笑っているではないか。


「ほれ、グローブせんとケガするだ。おらは森番任されとるオーグマ・ドグっちゅうもんだ」

「あ、ありがとうございます」


 私はおずおずとグローブを受け取る。

 オーグマさんめっちゃいい人だった!


「森は何があるかわからんで、おらにちゃんと着いてくるだよ」

「分かりました。では、早速行きましょうか」


 するとオーグマさんが首を横に振る。


「うんにゃ。もう一人来るで、そいつを待つだ……。おぉ! 来た来た!」


 もう一人? 誰だろう?

 不思議に思いながら振り返る。

 するとそこには、銀髪赤眼であの見慣れた仏頂面の男がいるではないか。


「遅くなりました」

「セルジュさん!?」

「そんなに驚くことはないだろう」


 まぁ、確かに。

 何でこんなに動揺したのだろう。


「でも、どうしてセルジュさんが?」

「じいさんに頼まれただけだ。お前に何かあったらガスパルさんに合わせる顔がないらしい」

「え? おじいさんって?」


 すると、セルジュはやれやれといった顔を私に向ける。

 大して表情は変わってないが何となく雰囲気で分かる。


「昨日会ったんだろう?」

「まさかゼニスさん?」

「そうだ。言ってなかったか? 俺はセルジュ・ガル。ゼニス・ガルの孫だ」


 こいつ、ノルンの長の孫だったの!?

 若きリーダーどころか次期当主だった。


「……こ、これはこれはご機嫌麗しゅう。お気づかい頂き恐縮です、セルジュ様」


 貴族と分かり、おべんちゃらを並べる私。

 帝国で生きてきた悲しい性だった。

 そんな様子の私を見て、先程にも増してやれやれ顔を私に向ける。


「……何のつもりだ? 気色悪い」

「私たちの国では家柄で全てが決まりますので、長の家系であるあなたは私より偉いということです」

「何だそれは? くだらんな。俺とお前、何が違うんだ。年だって同じくらいだろう?」

「そりゃあ、まぁ私もそう思いますが……」

「だったらここではそんなことする必要はない」

「そう……ですか? では、今まで通り普通に話させてもらいます。セルジュさん」


 すると、セルジュはじれったそうに、でもやっぱりぶっきらぼうに手を差し出す。


「……セルジュでいい」


 キョトンとする私に向かってさらにずいっと手を差し出す。

 ようやく状況を理解し、そのスラッとした大きな手を軽く握る。


「よ、よろしく。セルジュ」

「ああ」


 そして、手を離すとセルジュはくるりと背中を向けてしまった。


「んだば、森さ行くべ」


 オーグマさんに従い、私は彼らの後を歩いていくのだった。

 意外とガッシリしたセルジュの手の感触がまだ少し残っていた。

 それにしても朝の森は気持ちいい。

 澄んだ空気が身も心も新しいものに変えてくれるみたいだ。

 しばらく歩くとオーグマさんが立ち止まる。


「この辺がミモミのあるとこだ」

「ミモミ?」


 聞き慣れない名前だった。

 するとセルジュが、柔らかく小さな葉っぱがたくさんついた草をむしって渡す。


「こいつがミモミだ。腹を下した時にすりつぶして飲む」


 なるほど。匂いを嗅いでみると、少しスースーした爽やかな香りがする。

 帝都の方にも似たような薬草はたくさんある。

 だけど、このミモミという薬草は見たことも聞いたこともなかった。

 やっぱりミュルク大森林は他と違う何かがあるのかもしれない。

 私は適当にミモミを摘むとカゴに放り込む。

 そして、また森の奥へと歩き出した。


「こいつはベルベの木。この樹皮の煮汁を飲むと熱が下がる」


 セルジュがククリナイフで器用に樹皮を剥がす。

 私はそれを受け取り、カゴへと詰める。

 またしばらく進み、足を止める。


「この花はロベロン。注意して扱え。根っこに毒があって麻痺する。下手すれば死ぬ」

「わ、わかった」


 私は慎重に摘んだロベロンを布にくるみ、カゴへとしまう。


「それにしてもセルジュがこんなに薬草に詳しいなんて」

「ほとんどオーグマさんの受け売りだ。小さい頃からよく森で遊んでいたからな」

「へー、セルジュの小さい頃ってどんなだったの?」

「小さい頃か? 物心付いた時から両親はいなかったから、この森やノルンの皆に世話になっていたな。じいさんも長の仕事で忙しかったみたいだし、いつも誰かの家でメシを食わせてもらってたな」

「あ……。そうなんだ。ごめん、ご両親がいないって知らなくて……」

「謝る必要はない。俺にとっては両親がいないのが普通だったからな。それにノルンの皆がよくしてくれたから寂しいという気持ちもなかった。ノルンの皆が家族みたいなものだ。だから、お前がパルマを助けたことは本当に感謝している」

「あれは本当に偶然だから。パルマちゃんの運が良かっただけ。あれ、でも毒ヘビに咬まれてるから運悪いのかな?」


 するとセルジュがふっと口角を上げる。

 いつも仏頂面の彼が初めて見せた和らいだ顔。


「お前は変わった奴だ。帝国から来た治療師と聞いて、どんな嫌な奴かと思っていたが。それに都会の人間がそんな泥まみれになって、嫌じゃないのか?」

「全然! だって私、農家の生まれだし。確かに帝都の人たちは蜂が一匹出ただけでギャーギャー大騒ぎしてたけど。だからこんな自然に囲まれたところは懐かしくて落ち着くかも」

「そうか。……クレアで良かった」

「え? 最後何て言ったの?」

「いや、何でもない。行こうか」


 私は首をかしげながらセルジュの後を歩いて行くのだった。

 でも、色々と話せて良かった。

 私もセルジュのことはぶっきらぼうで嫌な奴だと思ってたけど、ただの不器用な奴だということが分かった。

 今だって、森を進む時は枝葉を切り払いながら、こちらを気にかけて歩いてくれていた。

 こういう面倒見の良さが皆の信頼に繋がり、名実ともに若きリーダーと呼ばれる所以なのかなと一人納得していた。


「んだば、そろそろ小屋いくべ」


 しこたま薬草を採った私たちに、オーグマさんが汗を拭いながら言った。


「小屋?」

「ああ。薬草を保管、精製している小屋だ」

「ふーん」


 私たちはノルンの町の方を目指し、戻っていった。

 しばらく歩くと、森を抜けたすぐそば、町外れの川沿いに大きな水車小屋があった。


「あれが小屋ですか?」

「んだ」


 ギーギーときしむ音を立てながら、大きな水車がゆっくりと回っている。

 私はその水車小屋の扉を開け、中へと入る。

 そこには薬草がたっぷり入ったカゴがいくつも並び、それ以上に色黒く変色したタルやドロドロの液体が入ったビンが無数に並んでいた。

 そして、水車の回転がシャフトを通じ、石臼を回している。そこからピチャピチャと紫色の液体が受け皿に垂れ落ちていた。


「おらが摘んだ薬草はいつもこの石臼で挽いて薬にしとるんだ。だけんど、これじゃあちぃっとも量ができん」

「それで私がその薬の製作をお手伝いする訳ですね」

「すまんが、頼めるけの。昔はハウザーさんがあの大釜を使ってたみたいでの」


 大釜?

 確かに小屋の入口付近にかまどが三つと、その上に大きな鍋が三つ乗っていた。

 私は鍋の底を覗き込む。

 そして、ピンと来た。


「そっか! じゃあ、お二人にお願いしたいのですが、外に積んであった薪をじゃんじゃん持ってきてください! あと川の水も」

「分かった」

「任せるべ」


 私はその間にカゴに入った薬草を種類ごとにそれぞれ三つの大釜の中にぶちまける。

 そして、セルジュが汲んできた水を注ぎ、オーグマさんがせっせと運ぶ薪を三つのかまどに入れ、火をつける。

 ゴウゴウと燃えるかまどに薪をくべつつ、グツグツと煮立ってきた大釜を木のスプーンでゆっくり混ぜる。

 すると、そこへセルジュが暗い顔で私に声をかける。


「作業しているところ悪い。確かにこれで大量には作れるかもしれんが、薬草をそのまま煮込んだ水薬は不純なものが多くて効きがあまり良くないんだ」


 だけど私は逆に明るい顔をセルジュに向けた。


「あ、良く知ってるじゃん! セルジュ!」


 そして私はスプーンを回しながら得意気に語る。


「この大釜には仕掛けがあって、底に魔法陣が刻まれてます。それが治療師必携アイテム、抽出シリンダーと同じ原理になっていて、こうして魔力を込めながらかき混ぜて煮込むと、余計な成分が蒸発して、必要な成分だけが抽出されるって訳。まぁ、もちろん抽出シリンダーの方がより精練度は高いけど、一般的な腹下しとか発熱とか打ち身、切り傷、火傷の薬なんかはこれで十分じゃないかな」

「なるほど。水を差してすまなかった。何か手伝えることがあれば言ってくれ」

「ありがと。でも、もうこうして煮込むだけだから大丈夫!」

「そうか」


 そうして煮込むこと小一時間。


「ふー、こんなもんかな」


 かまどの火を消し、額の汗を拭う。


「いやぁ、ご苦労さまだべ」

「それぞれ、風邪薬、胃腸薬、ケガ全般の塗り薬になってます」

「おらじゃこんな量作るにゃ十年はかかるべ! 大したもんだ!」

「いや、オーグマさん。量だけじゃない。このハッキリとした綺麗な色。店のはどれも濁っててこんなの滅多に置いてない」

「あれま、ホントだべ」


 何か二人が騒いでるのが恥ずかしくなってきた。


「いやいや、大釜で煮込んだからそんなに質は良くないですよ。普通の薬です」

「これが普通なのか……。帝国の治療師ってのはやっぱりすごいんだな」

「まぁ、それなりに色々勉強してきたから。その成果かもね」


 だけど、その時オーグマさんが一際大きな唸りを上げる。


「おら、むかーし、ハウザーさんの作った薬見たけんど、こげな上等なもんじゃなかった気するべ……」

「へ? いやいや、そんなまさか」

「お前、そんなに優秀な治療師だったのか……」

「そんな訳ないじゃない! 自分一人で練習はしてたけど、学院の時は一度も実験させてもらえなかったし、協会入っても実務なんて一回もやらせてもらえなかったんだから」

「と言うことは、他の奴らがどの程度の実力か知らないんじゃないか?」


 言われてみればそうかもしれない。

 自分の実力がどれくらいなのか、今はさっぱり分からない。

 でも、治療師の称号試験はおまけで合格させてやるって言われたから全然ダメなはずだ。


「まぁ、私の実力が何であれ役に立てるのであればそれでいいんじゃない? さ、今日はこれでガスパルさんに報告してごはんでも食べに行きましょう!」


 すると今度はオーグマさんが神妙な面持ちで言う。


「ハウザーさんとこに行くなら、こいつも精製して持っててくれるべか?」


 そうして渡されたカゴには先程採ってきたものとは違う、見たこともない花や種子、根っこやキノコなどが入っていた。


「これは何ですか?」

「おらにも分からん。ノルンじゃ今まで薬にしたこともねぇような植物だ。だけんど、ハウザーさんが採ってこいと言ったもんだ」


 今まで薬にしたことがない植物?

 何でそんなものをガスパルさんは必要としたのだろう。

 しかも、精製するということは薬にするということだ。

 ノルンの人も知らないという薬なのに。


「……分かりました。シリンダーで抽出して、ガスパルさんに渡します」


 そう言った瞬間、いきなりオーグマさんが私の手をガッシリと両手でつかむ。


「頼むべ……クレアさん。この通りだ。……こいつで、妻を、助けてぐれ」


 妻? 助ける?

 一体、オーグマさんは何を言っているんだ。


「……オーグマさんの奥さん、ワグマさんは病気で治療院にいるんだ」


 私はセルジュに振り返る。

 病気? 治療院?

 あれ? だって、ノルンの人は薬草の知識があるから全員健康で、治療院はガラガラで。

 でも、ちょっと待って。

 確か、パルマちゃんのお母さん、ファルメさんは病気で。

 それなのになぜか治療師を毛嫌いしていて。

 治療師が来る前は呪術師がいて。

 そう言っていたゼニスさんは、呪いはあるなんてこと言ってて。

 だめだ。頭がごちゃごちゃになってきた。


「……その、まず、奥さん、ワグマさんが治療院にいるって話だけど、今、治療院に患者なんて一人もいないけど」

「何だと!? 俺は確かにあそこのベッドに運んだぞ!」

「セルジュが運んだ?」

「……ああ。俺はガスパルに言われて町の病人を治療院に連れて行っている。ただの病人じゃない。治療の難しい病人だ」

「治療の難しいって……。ノルンの人でも治せない病気があるってこと?」

「当たり前だろう。ワグマさんは石化病だったんだ。全身が石みたいに固まって最期は……」


 石化病。聞いたことのない病気だった。


「それをガスパルさんが治療してるはずってことね。だけど、治療院にワグマさんの姿はない。運んだ後はお見舞いとか行かなかったの?」


 すると突然、二人が黙り込む。

 そして悔しそうに口びるを噛みながらセルジュが言った。


「住民はあの治療院には決して近づかない」

「どうして?」


 剣呑な雰囲気に固唾を飲んで言葉を待つ。

 そこでセルジュが口にしたセリフは到底信じられないものだった。


「治療院に入って生きて出られた者はいないからだ」


 直後、オーグマさんが嗚咽混じりに涙を流す。


「莫大な治療費を払って返ってくるのは、死だけだ。確かに、これまでは難病にかかれば死を覚悟する他なかった。だが、ガスパルの存在により希望が生まれた。彼なら治してくれるかもしれないという。しかし、結果は皆、帰らぬ人となった。遺体も病気解明のため、家族の元には帰らない。それから、治療院は死に一番近いところとして、忌避されているのだ」


 治療院が死に最も近い場所。

 なんて皮肉だろう。

 ガスパルさんはそんなこと一度も話してくれなかった。

 何かがおかしい。

 私は心の底から何かフツフツと沸き上がるものを感じる。


「オーグマさん! まだワグマさんの訃報は届いていないんですよね?」


 オーグマさんは服のすそで涙を拭きながら軽くうなずく。


「だったらガスパルさんに確かめて来ます! ワグマさんはどこにいるのか。治療は一体どうなってるのか」

「すまねぇ……。すまねぇ……」


 そうして私は勢い良く水車小屋を飛び出したのだった。

 後ろでセルジュが何か言っているようだったが最早聞こえなかった。

 とにかくガスパルさんに聞きたいことが山程ある。

 急がなければ。

 何かがこのノルンで起きているのかもしれない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る