4.仕事の流儀

 それから一週間、何事もなく余暇を過ごした。

 セルジュに言われた通り、森へ行くこともなかった。

 パルマちゃんとファルメさんのことも気になっていたが、私から会いに行くことはなかった。

 そして、ついにガスパルさんが帝都から戻ってきたのだった。


「失礼します。お帰りなさい、ガスパルさん」


 私は師長室の扉を開け、挨拶をした。

 久々に見るガスパルさんは相変わらずの微笑を浮かべていた。


「ああ、クレアくん。ノルンの生活には慣れたかい?」

「ええ、おかげ様で。もうやることもなくて、時間を持て余していました」

「そうですか。それよりセルジュから聞きましたが、街外れに住む少女を治療したとか……」


 アイツめ……。

 もう報告していたのか。


「……はい。たまたま森に行ってみたら、毒ヘビに咬まれて瀕死の少女が倒れていたので、手順通り、対応しました」

「なるほど……」


 するとガスパルさんが、いつになく神妙な面持ちで考え込んでいる。


「あ、あの、ご不在中に勝手な真似をして申し訳ございませんでした」


 私が咄嗟に謝ると、ガスパルさんはパッと顔を上げ、にこやかに答える。


「いやいや、謝ることではありません。貴女は素晴らしい行いをしましたよ。思案していたのは、貴女を叱ろうという訳ではなく、正直驚いていたのです」

「驚く、ですか?」

「貴女はこれまで治療師として現場に出たことはないでしょう?」


 私はコクリとうなずく。


「友達や家族に頼まれてちょっとしたケガや病気を治療したことはあるかもしれませんが、実際の現場というのは全く違います。そう、今回あなたが経験したように、人の生き死にというものが治療師の手にかかっているからです」


 確かに、ガスパルさんの言う通りだ。

 あの時は無我夢中で治療したが、一歩間違えばパルマちゃんは帰らぬ人となっていたかもしれない。

 私は今更ながら身ぶるいする。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、ガスパルさんが続ける。


「私ももうこれまで何人もの治療師を見てきましたが、現場に初めて出る治療師というのはほとんどがそのプレッシャーからパニックになり、何も出来ないか逃げ出すかのいずれかでしたよ。そうして最初の壁を乗り越えた者たちが治療師として一人前になっていくのです。ですが、貴女は初めて人の生死を目の前にしたにも関わらず見事に治療を成し遂げた。その事実については自信を持ってください」

「ありがとうございます!」


 そんなことを言われたのはこれまでの治療師人生で初めてだった。

 なんだか少し気恥ずかしい。


「だからこそ正直驚いているのです。平民であり、なおかつ女性でもある貴女がここまでの素質を持っていることに」

「そう思って頂いて光栄です」


 またいつもの蔑視かと思いながら謝辞を述べる。


「これなら私も貴女に仕事を任せられます。ですが、一つだけ気がかりな点があります」


 ようやく仕事にありつけたと喜んだと同時に、気がかりな点という含みを持った言葉に不安を覚える。

 私は恐る恐る尋ねた。


「何でしょうか?」

「治療費をもらってないそうだね」


 治療費? 気がかりってそのこと?

 そんなもったいぶって言うこと?

 でも、セルジュも真っ先にそのことを気にしていた。


「はい。ですが、簡単な治療でしたし、解毒薬の材料であるセファラの花は元々パルマちゃんが持っていたものでしたから」

「それでも、治療は治療です。正当な対価を受け取る必要がある」


 正直、どうしてここまでお金にこだわるのか分からなかった。

 お金をたくさん稼げるに越したことはないが、貧しい者から無理矢理取り上げるようなことはしたくなかった。


「それは分かりますが、パルマちゃんのお母さん、ファルメさんも病気で、それに私が治療師だと知るとひどく反発されていたので……」

「そんなことは理由になりません。まぁ、新米が陥りやすい錯覚なので仕方ありませんが。つまり、貴女は技術はあるかもしれないが、プロの治療師としてはまだまだということです」

「それはどういうことでしょうか?」


 ガスパルさんは手を後ろに組みながら窓の外を眺める。


「貴女は神でも聖女でもない。ただの人間です。ミッドランド帝国の治療師協会に所属する一介の治療師という存在です。人間ですから生きていかなければなりません。生きていくには当然お金が必要です。さらに、治療師協会という組織に所属している以上、組織として効率良くお金を得て、分配することが絶対です。それを貴女は独断でルールを破り、皆で分配すべきお金を捨てたのと同じことをしたのです」

「そんな……」

「ひどいと思うかもしれませんね。ですが、貴女が気まぐれで無償としたことについて、他の人が知ったらどう思いますか? 当然、自分も無償で治療してもらいたいと思うでしょう。そうなれば同様の者が次々と現れ、貴女は死ぬまで無償で使い捨てられるだけです。もう一度言いますが、貴女が神か聖女ならそれでも良いでしょう。しかし貴女は人間だ。それならば、どんな状況や境遇でも必要な対価は受け取らなければならない。それが治療師協会の行動規範でもある、本当の意味での公正無私です。そうは思いませんか?」


 ガスパルさんの言っていることは理解できる。

 その意味で私がプロではないというのもその通りだ。

 平民の私が人より裕福な生活を送るのであれば、組織のルールに従い、対価を得るのは必要なことだ。

 むしろそれを望んでこの仕事を選んだはずだ。

 だけど、どこか割り切れない部分を感じていた。

 しかし、今の私にその答えを出すことは出来なかった。


「まぁ、今は話を聞いて、心の片隅に留めておいてください。さて、それではこれからの仕事の話をしましょうか」

「はい」

「貴女はノルンの長にはもう会いましたか?」


 ノルンの長? つまり国王ということだろうか?

 確かに、辺境国というくらいだから民をまとめる統治者や施政者は当然いるだろうが、今まで全く気にしたことはなかった。


「いえ、お会いしてないです。私なんかがお目通り出来るものなのでしょうか?」

「そう構えずとも大丈夫ですよ。帝国で言う、町長か市長程度のものです」

「そうですか。それで、そのノルンの長が?」

「端的に言えば、長を手伝ってあげて欲しいということです。とあることをお願いしているのですが、進捗が良くないので、貴女の手を貸して頂きたいのですよ」

「私に出来ることであれば是非。それで、何を手伝えばよろしいのでしょうか?」


 すると、ガスパルさんは含みのある笑みを見せた。


「それは実際に長に聞いてみてください。話は通してあります。色々な人とコミュニケーションを取るのもまた経験ですから」

「はぁ。わかりました。行って参ります」


 何だかよく分からないまま、私はノルンの長に会いにいくこととなった。

 ノルンの長は普段、議事堂と役場が一緒になった館にいるらしい。

 確かに、町の中央にそんなような建物があったが、厳めしい門番が立っていたのであまり近づかなかった。

 とにかく、そこへ向かった。

 治療院と議事堂は目と鼻の先だったので、程なくして到着した。


「どうも」


 私は門番に会釈して、中へと入っていった。

 扉を開けると、整然と並べられた奥にカウンターがあり、その中で忙しなく事務仕事を行う方々がたくさんいた。

 私はカウンターにいるノルン人の女性に声をかけた。


「すみません。私、クレア・エステルと申します。ノルンの長にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」

「え? 長ですか? 少々お待ちください」


 すると、女性はカウンターの奥に入るとどこかに行ってしまった。

 しばらくして女性が戻ると階段を手で示した。


「お約束のクレア様、お待たせしました。あちらの階段で二階に上がりまして、右手の突き当りの部屋へどうぞ」

「どうもありがとうございます」


 一階は住民の色々な手続きや行政を行う窓口のようだ。

 私は言われた通り二階へと向かった。

 木造の古い階段がぎしぎしと鳴る。

 相当、長い年月、この町の中心で人々の生活を支えてきたのだろう。

 突き当りの扉をノックする。


「失礼します。クレア・エステルと申します」

「……おぉ。お待ちしておりましたよ」


 そこには真っ白いヒゲとまゆ毛を長く伸ばした老人が、杖を突いて立っていた。

 そして、震える手を中央の応接テーブルに差し向ける。


「ありがとうございます」


 私と長は向かい合って座った。


「ノルンの当代のゼニス・ガルじゃ」

「改めまして、ミッドランド帝国治療師協会ノルン支部に配属されましたクレア・エステルです。本日はハウザー氏の指示によりお伺い致しました」

「うむ、話は聞いておる。将来有望な治療師さんらしいのぅ」

「いえいえ、そんな……」

「ときにエステルさん。帝国からはるばるやって来た貴女の目に、ここノルンはどう映りますかな?」

「ここの印象ですか? とても素敵な場所です。都会のような喧騒もなく、穏やかで、平和な」

「そうですか。なるほどのぅ」


 そう言ってヒゲを撫でるガル氏。


「平和でなによりじゃ。ハウザーさんもよくやってくれておる」


 ガスパルさんもよくやっている?

 何の話だろう。

 治療院はあんなにガラガラだというのに。


「それで、そのハウザー氏からは貴殿を手伝うように言われて来たのですが」

「おぉ、そうじゃな。ハウザーさんから薬草を採って精製するよう言われているんじゃがな、中々精製には時間がかかるもんでのぅ。エステルさんなら治療師じゃから、その技術で簡単に精製出来ると言っておって、わしのところに寄越したようじゃ」

「なるほど。確かに私の抽出器であれば簡単に精製出来ると思います」


 でも、それはガスパルさんも同じだ。

 まぁ、ゼニスさんが言った通り、彼も彼なりにやることがあって忙しいのだろう。

 こういうのは助手である私の仕事ということか。


「それにしても、薬草を精製して何に使うのでしょうか? ノルンの皆さんは薬学にお詳しいので、ご自身で治療されてしまうと伺いました。実際、治療院に患者は一人もおらず、小さな子供ですら豊富な薬草の知識がありましたから」

「ノルンは森の民とも呼ばれていましたからのぅ。森の生き物についてそれなりに知らなければ生きていけませんからの。ただ、今でこそ治療院は誰も行かなくなったかもしれんが、昔ハウザーさんが来るまであそこは呪術師がおったのじゃよ」

「呪術師……ですか?」


 帝都では聞いたことがなかったが、本でちらと読んだことがある。

 古い時代、まだ治療に対する知識やその伝達が進んでいなかった頃、治癒の力を持っていたのか持っていなかったのかよく分からないが、不思議な力でケガや病気を治すこともあれば、逆に呪いをかけたり、未来を占う、神のお告げを聞くなんてことが出来た人たちを呪術師と呼び、集落の中心的な存在として崇めていたらしい。


「そこへ治療師のハウザーさんがやってきて、呪術師が手を焼いている病人たちを治してしまったのじゃ」


 やっぱり単なる民間療法だったのだろう。

 体系化された知識に基づき、正しい治療法が確立された現代においては呪術師という存在は必要とされなくなっているのかもしれない。


「じゃが、呪いはある」

「え?」


 今、ゼニスさんは何と言った?

 呪い?

 聞き間違いでなければそうだ。

 このご時世に呪いとはどういうことなのか。


「の、呪いですか? 急に何を仰るのですか?」

「ファファファ! 老人のたわ言じゃ! 気にするでない。ハウザーさんがわしらノルンのことを気づかって薬草の精製を勧めてくれているお陰で、急な病気もすぐに治せて元気に暮らせているということじゃ」


 確かに、病気になってから薬草を採ってくるのでは遅すぎる。

 ある程度、薬を準備しておけば安心だ。

 でも、急に呪いなんて言い出したことがどうしても引っかかる。

 それに、呪いという言葉を発した時のゼニスさんの瞳。

 老いて濁った瞳の中に一瞬だが、燃えるような赤い光が見えたような気がした。


「さて、それでは明日からお願いしようかのぅ。朝一に広場へおいでなさい。森番が待っているじゃろうから彼に従って森へ行って、薬草を採って、精製を頼みます」

「はい。承知しました。……あ、そうだ。報酬の件なのですが」

「ファファファ! 抜け目ないのぅ!」

「あ、いえ!」


 そう言われて否定しようとしたが、ガスパルさんに言われたことを思い出す。


「……すみません、仕事なので。ただ、プロとして報酬以上の仕事が出来るよう頑張りたいと思います」

「うむ。報酬はハウザーさんとすでに話しておるから心配いらん。明日からよろしくのぅ」

「分かりました。本日はありがとうございました」


 私は立ち上がり一礼すると、ゼニスさんの部屋を後にした。

 部屋を出た私の顔は晴れやかだった。

 色々な話を聞いて頭の中はごちゃごちゃだ。

 だけど、仕事が出来ることは嬉しかった。

 今日は疲れたから甘いものでも買って帰ろう。

 うん、そうしよう。

 明日から頑張らないといけないし。

 そうして、私は市場の人混みの中へと消えていったのだった。

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