3.初仕事

 ――お前、平民のくせによくこの学院に入れたな?

 ――女に出来る仕事は書類整理くらいだろう。ハハハハ!


 ――面倒だけは起こしてくれるな。


 あのノルン人の顔が近づいたところで、パチリと目が覚める。

 嫌な夢だ。

 窓からはさわやかな日の光がさしこみ、小鳥のさえずりが耳をくすぐる。

 私はもそもそと起き上がると、洗面所へと向かった。

 洗面所は地下室に作られており、川から引かれたキレイな水が、石で作られた高さの違う二段の小さな貯水槽に流れ落ちるような仕組みになっていた。

 一段目の高い貯水槽は飲水や料理、洗面など直接口にするような用途で使い、そこから一段低い槽に流れる水は主に洗い物や洗濯に使う。そして、そこから奥の個室、トイレにつながり、そして生活用水を流す別の川へと流れていくのだった。

 また、貯水槽とは別に、水の流れる先があり、それはシャワーとバスタブへ繋がっていた。蛇口をひねると川から引いた水が出始めるのはもちろん、シャワーヘッドには小さな魔石が埋め込まれ、魔力により水が熱せられお湯が出るのだ。

 私の実家じゃ毎日井戸で水汲みするのが仕事だったので、この便利さには感動すら覚えた。

 身支度を済ませると私は家を出て、治療院へ向かう。

 ノルンの街は朝早くから活気に溢れ、店を開けたり、農作業に出かける人たちが行き交っていた。

 そして、その道行く人々は訝しげに私を見ていくのだった。

 治療院に着くと昨日と同じく、中はひっそりと静まり返っていた。

 私はそのまままっすぐ師長室へと向かう。


「おはようございます。ガスパルさん」


 だが、扉を開けた先には誰もいなかった。


「あれ? まだ来てないのかな?」


 首をかしげながら部屋を見渡すと、中央に置かれた低い応接テーブルの上に革袋とメモが置かれていた。


 ――クレアくんへ

   所用により帝都へ行ってきます。

   当分の生活費を置いていくので、理想の生活を存分に楽しんでください。

   戻ったら仕事の話をしましょう。

                            ガスパル・ハウザー――


「はぁ、そうですか」


 私は革袋を手にしたまま途方に暮れてしまった。

 だけど、まぁ、昨日の話で十分ショックは受けたし、状況も一応理解した。

 戻ったら仕事の話をするとも言ってくれているし、焦っても仕方ないから、言われた通り、まずは新しい生活を楽しむか。

 そう考えるとちょっとにやついてきてしまう。

 なぜなら、このずっしりとした革袋の重み。当分の生活費とはいえ、少しばかり手に余りそうな感じだ。それにノルンは物価が安い。


「そしたらまずは朝ごはんかな!」


 私は軽やかな足取りで市場へと向かう。

 やっぱり朝の市場は賑やかで、こちらも元気な気分にさせてもらえる。

 肉や野菜の食材はもちろん、鳥の串焼きや鉄板焼などその場で調理した食事も色々と堪能できる。

 迷いに迷った結果、朝ということもあり、木いちごのジャムのクレープを買ってみた。

 コーンをすりつぶして練った生地を薄く伸ばしながら焼き、その上に甘酸っぱい木いちごのジャムをたっぷり塗ってくるくるっと巻いたシンプルな一品。


「んー! おいしい!」


 木いちごの酸味とコーン生地のやさしい甘みがベストマッチしている。

 惜しみながら最後の一欠片を口に放ると、今度は雑貨が売られている方へぶらぶら歩いていった。


「あ! あれかわいい」


 石を彫って作られたロウソク立てで、小さな妖精が両手でロウソクを持っているようなデザインだった。

 もちろんお買い上げした。

 それから洋服を見たり、アクセサリーを見たり、家具を見たり。

 広場の方をぶらぶら散歩したり、裏通りを散策したり。

 お腹が空いたら食堂に入ってみたり、カフェに入ってみたり。

 そんな生活が五日続いた。

 そして……。


「暇ぁぁ……」


 私はあくび混じりに伸びをしながら市場を歩いていた。

 店の人たちも慣れてきたようで、笑顔で私に接客してくれるようになった。

 大きな街ではないから、すぐに顔見知りになれた。

 そう、大きな街ではないのだ。

 仕事もしないで丸五日感もぶらぶらしていれば、大体行き尽くしてしまう。

 ガスパルさんは一向に帰ってくる様子もないので、最初は新鮮で楽しかった新生活も、いつまでこれが続くのかという不安がふつふつと湧いてきた。


「街の外、行ってみようかな」


 特に目的はないけど、同じところをぐるぐると回るより、今はとにかく新しい場所に飛び込みたい気分だった。

 森には危険な動物も出るということだが、そんなに遠くまで行かなければ大丈夫だろうという根拠のない理由を胸に街を出た。

 街は森の入口にあり、森を出ると平野に畑が広がっているだけなので、私は逆に森の奥へと入ってみることにした。

 人知未踏のミュルク大森林。私はついにそこへ足を踏み入れたのだ。

 そんな妄想をしながら、子供のようなワクワク感を思い出した。

 木漏れ日が心地良い。

 新緑の香りに癒やされる。

 見たこともない花を愛でながら歩いていく。

 そして、ある木々の間を抜けた瞬間、目の前に可憐な花畑が広がった。


「すごい! なにここ!」


 思わずハイテンションになる私。

 つい大人気なく笑いながらくるくると花畑で回ってしまった。

 ヨルヴォさんに言われた通り、自分が本物のお嬢様になったかのように思えた。

 だけど、そんな楽しい幻想は一瞬にして打ち砕かれた。

 くるくると回る視界の端にちらりと映った少女の姿。

 花畑に倒れた彼女は苦悶の表情を浮かべていた。


「だ、大丈夫!?」


 驚いた私はすぐに彼女のそばに駆け寄る。

 幻覚などではなく、確かに目の前で倒れていた少女は、青白い顔で不規則な荒い呼吸を繰り返していた。

 一気に血の気が引いていく私。

 あまりの出来事の落差に思考が追いつかない。

 すると、少女が私に気付き、薄っすらと目を開けて、手を伸ばす。


「……あ、あ」


 明らかに助けを求めている。

 その苦しそうな少女の顔。


「何をやってるんだ、私は!!」


 自分のほっぺを思い切り両手で叩く。

 その瞬間、停止していた思考が動き出す。

 目の前には瀕死の少女。

 その横には治療師の私。

 私がやらなくてどうする。


「ど、どうしたの? どこか痛いところは?」 


 落ち着こう。

 そう思うほど心臓はバクバクと音を立てて激しく急き立てる。

 大丈夫。学院で覚えたことをやるだけ。

 そう考えれば考えるほど頭は真っ白になり何も出てこない。

 これが実際の現場なのか。

 自分の無力さに泣きたくなってくる。


「え、えっと、目立った外傷は見当たらない……。どこからも出血はないよね……」


 割れものでも触れるように震える手を彼女の胸に当てる。

 今の私と正反対に弱々しい鼓動がかすかに指先に伝わる。

 焦りと共に嫌な汗が背中を伝う。

 喉が張り付いて上手くつばが飲み込めない。

 その時だった。


「……へ」


 わずかに少女の口が動く。


「……ヘ……ビ。ちゃ……ちゃいろ……ヘビ……」


 声を絞り出した少女は精一杯の力で袖をまくり、その細い腕を私に見せた。

 すると、その腕は青黒く変色し、その中央には黒く並んだ二つの小さい穴があった。


「ヘビね! 茶色いヘビ! ……フォレスト・バイパー!」


 多くの森に生息するヘビで、緑のものはフォレスト・スネークと呼ばれ毒を持たない種類だが、茶色のものはフォレスト・バイパーと呼ばれ毒牙を持つ。

 特に獰猛な性格ではないが、敵が近づけば当然、その武器を使って攻撃する。

 恐らく、花の下に隠れているのに気づかず、少女が花を摘もうとした時に咬まれたのだろう。


「よし! 大丈夫! ……やれる!」


 原因さえ分かればあとは教科書通り対処するだけ。

 こんなの一年生で習う基本中の基本、超基本、基本の中の基本なのに基本を超えてしまうほどのすごい基本だ。

 幸いフォレスト・バイパーの毒は弱い。

 とは言え子供の体では死に至る危険は高い。

 早く治療を始めないと。


「……癒やしの女神ケレよ、私にその恵みを分け与えたまえ。ヒーリング!」


 詠唱と共に私の手から放たれた魔力が少女の体を包み込む。

 すると少女の顔が少し和らぐ。


「そして、リジェネレーション!」


 再び放たれた魔力が、今度は薄い膜のように少女を覆ったままふよふよと漂っていた。

 毒の治療の手順。

 まずは失った体力を治癒魔法のヒーリングで回復する。

 そして、解毒までの間、徐々に失い続ける体力を断続的に回復し続けるリジェネレーションを施しておく。

 これでひとまず命の心配はない。


「あとは解毒だけど……」


 とりあえずこのまま街まで抱いて戻れば何とかなるかな。

 そう思った視線の先に、ふと目に入ったのは手提げのカゴだった。

 摘んだ花を入れるために持っていた少女のカゴだろう。

 だが、そのカゴから顔を出していた一つの花に私の視線は釘付けになっていた。


「セファラの花!」


 そう、まさに解毒薬の材料となる薬草が目の前にあったのだ。

 何という偶然だろうか。

 私は躊躇なくその花束を掴み取ると、ベルトポーチから透明な筒を取り出した。

 その筒に花をぎゅうぎゅうと押し込めていく。

 筒はちょうど半分のところで仕切られており、半分から上にセファラの花がぎっちりと詰め込まれ、残り下半分は空っぽだった。


「ふん!」


 セファラの花を入れられるだけ入れるとコルクで栓をする。

 そして、両手でその筒を包み込むと私はそこへ魔力を注ぎ込んだ。

 すると、仕切り板からぽたりぽたりと紫色の滴が落ちて来た。

 そう、これは抽出器と呼ばれるもので、治療師の必需品なのだ。

 錬金術を応用したもので、上半分に原料を入れて該当する成分に対する魔力を込めると、仕切り板に施された魔法陣によってその成分だけが下半分に抽出されるというもの。

 なので、セファラの花からこうして紫色の解毒成分を取り出せば解毒薬の完成だ。

 滴のしたたりが止まるのを見計らい、下の筒を回すと簡単に二つに分かれた。

 そして、その解毒薬を少女の口へ流し込む。


「ヒーリング!」


 今度は解毒薬が全身にくまなく巡るよう魔力を操作し、解毒成分をさらに活性化させる。

 しばらくすると、少女の顔は穏やかになり、呼吸は深く、落ち着いたものへとなっていった。


「ふぅ、治療完了……」


 私は安堵の息を漏らした。


「……あ、あれ。わ、わたし……。おねぇ……ちゃん、だれ……?」


 少女が意識を取り戻す。

 やった。

 助けられた。

 命を救えた。

 本当に嬉しかった。

 自然と顔がほころんでしまう。


「もう大丈夫だから。完全に毒が消えるまで今日は安静にしてて。お家まで送っていくから」


 そう言って私は少女をおぶさり、彼女の花カゴを手にした。

 カゴの中を良く見ると、セファラの花以外にも薬草でいっぱいだった。

 こんな小さな子でも薬草の見分けがつくなんて正直驚いた。

 確かに、こんな街では治療師なんか必要とされないかもしれないと実感した。

 しばらく森を歩き、来た道を戻っていく。


「お家はどのあたり?」

「……いちご畑のはじっこ」


 いちご畑。森の入口、街の外れの方だ。


「もうちょっとで着くからね、えっと……」

「……わたし、パルマ。……ありがと。おねぇちゃん」

「どういたしまして。私はクレア。よろしくね」


 すると背中のパルマがぎゅっと抱きしめる。

 そうして歩き続け、ようやく街まで戻ってきた。


「あれ! あそこがわたしのおうち!」


 指差した先には、小さな家が一軒だけぽつりと建っていた。

 熟しきっていない緑のいちご畑の間を抜け、家の前までやってくるとノックをしながら扉を開ける。


「ごめんください。パルマちゃんをお連れしました」


 すると、部屋にはベッドから身を起こし、驚いた顔でこちらを見つめるご婦人がお一人だけいらっしゃった。


「……パルマ?」

「おかあさん!」


 背中から下りてベッドの母に抱き着くパルマ。


「一体、どうしたの? どこへ行っていたの?」


 すると安心したのか怒られると思ったのかパルマは泣き出してしまった。


「……お、おかあさんにね、やくそうあげようとおもってね、もりにいったの……」


 なるほど。それで、危険な森に入って、こんなにカゴいっぱいになるまで薬草を摘んでいたのか。

 私はサイドテーブルにその花カゴを置く。


「……バカな子ね。心配しなくても大丈夫よ。それより、もう一人で森に行くなんて危ないマネしないで。パルマに何かあったら死ぬよりつらいんだから」

「……う、う。ごめん、なさい」


 そうしてパルマの頭を優しく撫でる母。


「あなたが森でパルマを見つけて連れ帰ってくれたのね。ありがとう」

「いえ、どういたしまして。それより、その……。お体の具合、良くないのですか?」

「……ええ。しばらく前からちょっと。私も年かしらね」


 そう言って乾いた笑いを見せるパルマの母。

 確かに、その頬は痩せこけ、青白い肌をしていた。

 私はパルマを助けられたことから妙な自信を得ていた。

 迷った挙げ句、私はつい、こう切り出した。


「あ、あの。具体的にどんなところが悪いか教えて頂けませんか? もしかしたら、何とか出来るかもしれないです」

「え? 何とかって……」


 戸惑う母の袖をくいくいとパルマが引っ張る。


「……あのね、わたし、ヘビにかまれたの。それで、おねぇちゃんが助けてくれたの」

「ヘビに!?」

「実は私、先日ここに赴任した新米の治療師なんです」

「治療師!?」


 その瞬間、パルマを守るように抱きしめた母が、鬼のような形相であらん限りの声で叫んだ。


「今度は一体何が望みなの!? 私たちはもう何も持っていないわ!」


 何が起きているのか分からなかった。

 なぜ私は怒鳴りつけられているのだ。


「あ、い、いえ、あの、もし病気で困っていたら、私でも治療出来るかなと思っただけで……。その、治療費に関しては詳しいことは分からないので、後日ガスパルさんに確認しますが、パルマちゃんは私が勝手に治療しただけなので、大丈夫です、気にしないでください」

「いいから私たちのことは放っておいて! どれだけ私たちから奪えば気が済むの!! 早く出ていって!!」


 あまりの気迫に後ずさりしながら、訳も分からず私はパルマの家を出た。


「おねぇちゃん!!」


 パルマの悲しげな声を背中受けながら、私は家へと走っていた。

 なんで? どうして?

 感謝されこそすれ、あんなこと言われる筋合いは一つもない。

 少しショックだった。

 けど、こうして走りながら冷静に考えると、なぜという疑問の方が強くなっていた。

 やっぱりこの街には何かある。

 それも帝国というよりは治療師に対して。

 治療師と言ったらこの街には一人しかいない。

 ――ガスパルさん。

 でも、あんな優しそうな人がなぜ。

 それに街を歩いてても、食事に行っても、街の人からはそんな態度なんて微塵もされてなかった。

 パルマのお母さんと個人的に何かあったのだろうか。

 うん、その可能性が高いかもしれない。

 少しだけ心の整理が出来て落ち着いてきた。

 そうして、自分の家まで帰ってくると、その前に誰かがいるのが見えた。

 腕を組み、切れ長の赤い瞳を私に向けている。


「今までどこへ行っていた」


 相変わらずのぶっきらぼうな口調でセルジュが問いかける。


「別にどこだっていいでしょ。気分転換に森へ行ってただけ」

「森だと? 言ったはずだ。森には危険な動物がいる。しかも、俺たちですら森の奥がどうなっているか分からないんだ。もし魔物でも出たらどうする」

「心配してくれるの?」

「俺はガスパルに留守の間、お前の面倒を見るよう言われただけだ」

「あっそ。今度から気をつけるから。でも、そのおかげでパルマちゃんを助けられたんだから、今日は大目に見てよね」

「……パルマ? ああ、ファルメさんの娘か。何をしたんだ?」


 あのお母さん、ファルメさんと言うのか。


「何って、森で毒ヘビに咬まれて死にかけてたから、治療して家まで送ってあげただけ」


 怒鳴られたことはコイツに言うこともないと思って黙っていた。

 するとセルジュも突然、血相を変えて顔を近づける。


「治療だと? いくら取るつもりだ?」


 またお金の話だ。

 そりゃ私だって高収入を求めて治療師になったとは言え、そこまでガメつい訳じゃない。


「お金なんて取る訳ないでしょ。……私の治療師デビューだし」

「ん? 最後が良く聞こえなかったが……」

「い、いやいや、何でもない! こっちの話!」

「そうか。とにかく何も取らんという訳か。……それはガスパルは知っているのか?」

「知る訳ないでしょ。私が勝手にやったことだし」


 私がそう言うとセルジュは少し考えるようにうつ向き、軽く舌打ちをした。


「……面倒だけは起こすなと言ったのに」

「……聞こえてますけど!」

「まぁいい。とにかくもうこれ以上、面倒を起こさず、危ないマネもするな」


 ファルメさんがパルマちゃんに言い聞かせた時のようだ。


「私は子供か」


 そして、セルジュが私の横を過ぎ去ろうとした時、こう呟いた。


「パルマのこと、感謝する」


 その瞬間、胸の奥が熱くなった。

 目頭からじんわりと涙が溢れる。

 私は今日、初めて治療師として人の命を救った。

 それを今ようやく実感出来た。

 ノルンに来て本当に良かった。

 今日は人生で忘れられない一日になる気がする。

 そうして、私は家の扉を開ける。


「ただいま」


 そう、ここがノルンでの、私の新しい帰るべき場所なのだ。

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